◯「日弁連と信託協会の協議会合意書(平成6年2月22日付)」も参照してください。
第1 最初に区別すべき3つの制度
1 銀行サービスとしての「遺言信託」
信託銀行等が商品名として用いる「遺言信託」は,遺言書作成の相談,遺言書の保管及び相続開始後の遺言執行を組み合わせたサービスを指す。
このサービスを契約しただけで,依頼者の財産が受託者へ移転し,信託財産又は受益権が生じるわけではない。
この意味の遺言信託は,金融機関の信託業務の兼営等に関する法律1条1項4号が認可を受けた金融機関の併営業務として定める「財産に関する遺言の執行」を中核とする。
信託協会も,信託銀行等が行う遺言書の保管及び財産に関する遺言の執行を「遺言信託業務」と説明している。
2 信託法上の遺言による信託
信託法3条2号は,特定の者に財産の譲渡その他の処分をする旨と,その者が一定の目的に従って財産を管理・処分すべき旨を遺言で定める方法を,信託の設定方法として認めている。
同法4条2項により,この信託は遺言の効力発生によって効力を生ずる。
この制度では,遺言者が委託者となり,死亡後に受託者が信託財産を管理し,受益者が信託から給付その他の利益を受ける。
銀行サービスとは異なり,信託財産,受託者及び受益権という信託法上の法律関係が成立する。
3 遺言代用信託
信託法90条1項は,委託者の死亡時に指定された者が受益権を取得する信託と,委託者の死亡後に受益者が信託財産から給付を受ける信託を定めている。
これらは,遺言そのものではなく,生前に契約等によって信託を発効させ,死亡時の承継又は給付を設計する制度である。
信託法90条1項2号の受益者は,信託行為に別段の定めがない限り,委託者が死亡するまでは受益者としての権利を有しない(同条2項)。
生前の受益者変更権,信託終了権及び受託者の監督方法をどのように定めるかによって,委託者と将来受益者の地位が変わる。
4 制度選択の基準
財産を死亡時に直接承継させることが目的であれば,通常の遺言と遺言執行者の指定で足りるかを先に検討する。
死亡後も給付時期,給付額又は財産管理を継続的に拘束する必要があるときに,信託法上の遺言による信託が選択肢となる。
判断能力低下後の生前管理も目的とする場合,死亡時に初めて発効する遺言による信託では対応できない。
この場合は,生前に発効する遺言代用信託,任意後見,財産管理委任その他の制度との組合せを検討する。
銀行サービスの利用を検討する場合は,財産承継の法的設計を委ねるのか,遺言書の保管及び執行事務を委ねるのかを分けて確認する。
商品名ではなく,契約書,約款及び遺言書に定められた法律関係によって制度を特定すべきである。
第2 銀行サービスとしての遺言信託
1 法的根拠と提供業務
兼営法1条1項は,信託業務を営む認可を受けた金融機関について,財産に関する遺言の執行のほか,財産の取得・処分・貸借に関する代理又は媒介,財産管理,遺産の整理又は清算等に関する代理事務を認めている。
銀行が財産調査,目録作成,換価,名義変更及び分配等を行う法的根拠は,個々の委任契約とこの業務範囲に求められる。
もっとも,弁護士法72条は,弁護士又は弁護士法人でない者が,報酬を得る目的で,一般の法律事件に関して鑑定,代理,仲裁,和解その他の法律事務を取り扱い,又は周旋することを業とすることを原則として禁止している。
同法74条3項は,利益を得る目的で,法律相談その他法律事務を取り扱う旨を表示又は記載することを禁止している。
したがって,兼営法上の業務権限と,具体的な相続紛争における交渉又は法律判断の可否は別の問題である。
適法性は,「遺言信託」という名称ではなく,紛争の有無,銀行が提示した案の内容,相続人への働きかけ,債権取立て又は和解交渉への関与によって検討する。
2 平成6年合意書が定めた紛争対応の限界
日本弁護士連合会と信託協会は,平成6年2月22日付合意書で,銀行の相続関連業務について実務上の境界を確認した。
この合意書が対象としたのは,信託法上の遺言による信託ではなく,銀行が行う「いわゆる遺言信託」及び遺産整理業務である。
(1) 遺言書作成の相談
合意書は,信託銀行が遺言による信託の引受け又は遺言執行者への就任可能性がある事案で,遺言書作成に通常必要な事項について相談に応じることを認める。
他方,本人と推定相続人その他の者との間で現に法的紛争があり,又は法的紛争が生じる蓋然性が極めて高い場合は,相談に応じないとする。
弁護士が銀行の関与を検証する場合は,相談開始時だけでなく,家族から異議が示された時点,遺言案が変更された時点及び銀行が相談を継続した時点を時系列化する。
当初は紛争性がなくても,その後の事情によって業務継続の相当性が変わるためである。
(2) 遺産整理業務
合意書は,信託銀行が相続人に知識・情報等の判断材料及び分割協議の参考案を示し,相続人全員の意見が一致した場合に合意内容の文書化へ協力することを認める。
しかし,協議がまとまらない場合は業務を打ち切り,銀行が分割案を作成・提示して調停工作へ関与することを避け,示談交渉を伴う債権取立て又は債務履行を行わないとする。
参考案の提示と,一方当事者の利益を代弁して合意形成を働きかける行為との境界は,文書の名称だけでは決まらない。
案の作成経緯,相続人ごとの要望,銀行が行った説明,修正の主導者及び反対者への連絡内容を確認する必要がある。
(3) 遺言執行者への就任
合意書は,信託銀行が財産に関する遺言を執行することを確認し,同じ遺言書に身分上の事項が併記されている場合は,分離して処理できる段階で財産事項を執行するとする。
就任前に法的紛争が生じ,執行が著しく困難である場合には,遺言執行者へ就任しない。
銀行が就任を辞退した場合,遺言の効力まで失われるわけではない。
遺言で別の遺言執行者が指定されているかを確認し,いない場合又は欠けた場合は,民法1010条による家庭裁判所への遺言執行者選任申立てを検討する。
3 合意書の法的性質
合意成立経緯の原典は,日弁連側と信託協会側の法律上の主張が一致せず,関係行政庁との関係もあるため,公権的な法律解釈を示すのは適当でないとして,実務上の指針を取り決めたと説明している。
合意書は,法令,行政処分又は裁判規範ではなく,個々の業務を包括的に適法とする安全港でもない。
もっとも,合意書は,銀行の相続関連業務を名称だけで違法と扱うものでもない。
兼営法による授権があることを前提に,紛争がある場合の相談拒否,全員合意がない場合の中止,交渉・債権取立ての回避という具体的な管理方法を示した点に現在も実務上の意味がある。
4 契約と費用の確認
銀行サービスを利用する場合,基本手数料,遺言書保管料及び遺言執行報酬が別に発生し,戸籍取得,公正証書作成,不動産登記,鑑定,税務申告又は不動産売却に別費用がかかることがある。
報酬の計算基礎が,債務控除前の財産額か,税務上の評価額か,時価かによって総額は変わる。
例えば,三井住友信託銀行の公表ページは,執行コースについて,プランⅠを基本手数料33万円,年間保管料6600円,最低執行報酬110万円とし,プランⅡを基本手数料88万円,保管料無料,最低執行報酬33万円としている。
同ページは,執行報酬の基礎を「消極財産控除前」の相続財産評価額とし,特別な手続の報酬及び実費が別に生じ得ることも示している。
契約締結前には,①報酬算定財産,②最低報酬,③債務・保険・国外財産の扱い,④書換え・解約時の費用,⑤就任辞退・辞任・解任時の返金,⑥グループ会社による評価・仲介・売却の手数料,⑦紛争発生時の弁護士への引継ぎを約款と最新の料金表で確認する。
第3 信託法上の遺言による信託
1 設定方法と効力発生
信託法3条2号及び4条2項による遺言信託も遺言であるため,民法960条及び967条以下の方式に従わなければならない。
民法985条1項により,遺言は遺言者の死亡時から効力を生じ,これに伴って信託も効力を生ずる。
遺言方式に違反する場合,財産承継部分だけでなく,その遺言を設定根拠とする信託の効力も問題となる。
信託条項を方式外の別紙,後日のメモ又は口頭指示へ委ねる場合は,遺言本文との一体性及び内容の特定可能性を検討する。
公正証書遺言を利用しても,受託者の就任,財産移転,登記,税務及び継続管理まで自動的に完成するわけではない。
遺言の方式審査と,信託の実装可能性の審査を分けて行う必要がある。
2 遺言に定めるべき事項
信託法上の遺言信託では,少なくとも次の事項が判別できる内容とする。
- ① 信託目的と,その目的を実現するため受託者が行う管理・処分
- ② 信託財産の範囲と,死亡時に財産構成が変化した場合の特定方法
- ③ 受託者,後継受託者及び受託者が就任しない場合の処理
- ④ 受益者,受益権の内容,給付時期及び受益者を変更又は指定する権限
- ⑤ 受託者の権限,報酬,帳簿,報告,利益相反及び分別管理
- ⑥ 信託監督人又は受益者代理人を置く場合の権限及び後継
- ⑦ 信託の変更・終了事由と残余財産の帰属
財産の特定は,遺言作成時の一覧だけでなく,相続開始時の残高,銘柄変更,預金口座の統廃合,不動産の売却又は代替財産を想定して設計する。
遺言執行者又は受託者が,どの財産を信託へ移すべきかを客観的資料から判断できなければ,実行段階で相続人との紛争が生じ得る。
3 受託者が就任しない場合
遺言で受託者となるべき者に指定された者は,指定だけで引受義務を負わない。
信託法5条1項により,利害関係人は相当の期間を定めて引受けの確答を催告でき,期間内に確答がなければ引受けをしなかったものとみなされる(同条2項)。
受託者候補が引受けをせず,又は受託者となるべき者が指定されていない場合,利害関係人は,信託行為に別段の定めがある場合を除き,信託法6条1項により裁判所へ受託者選任を申し立てることができる。
したがって,生前に受託者候補へ条項を示し,就任意思,報酬,事務負担及び後継者を確認することが,信託不発を防ぐ中心的な作業となる。
現行信託法7条が受託者になれない者として明記するのは未成年者である。
もっとも,法定欠格に当たらないことと,長期管理を適切に遂行できることは別であり,年齢,財産管理能力,利益相反,健康状態及び居住地等を個別に確認する。
4 遺言執行者と受託者の役割
遺言執行者は,民法1012条1項に基づき,遺言内容を実現するため,相続財産の管理その他遺言執行に必要な一切の行為をする権利義務を有する。
受託者は,信託成立後に,信託目的に従って信託財産を継続的に管理・処分し,受益者へ給付する。
同一人を遺言執行者と受託者に指定することは可能であるが,権限の根拠,開始時点,報酬及び責任は同じではない。
遺言執行者が信託対象財産を確定して必要な移転・登記を行う段階と,受託者が信託財産として管理を開始する段階を,財産対応表と完了報告で分ける。
相続人は,遺言執行者がある場合,遺言執行を妨げる行為をすることができない(民法1013条1項)。
ただし,同項の禁止は,遺言の無効,信託財産の範囲又は遺留分侵害額請求を争う手段まで失わせるものではない。
5 相続人による監督を当然視できないこと
信託法147条は,遺言によって信託がされた場合,信託行為に別段の定めがない限り,委託者の相続人が委託者の地位を相続しないと定める。
相続人であるというだけで,委託者として信託の変更又は受託者監督を行えるわけではない。
受益者が未成年者,判断能力が不十分な者,将来出生する者又は未確定の者である場合,受益者自身による監督が機能しない期間を想定する。
信託監督人,受益者代理人,受益者指定権者,報告先及び後継者を定め,誰が受託者の帳簿・財産状況を確認するかを明示する必要がある。
受益者の定めのない遺言信託では,信託法258条が信託管理人を必要とする。
受益者がいない状態で信託管理人を1年間欠くことは信託終了事由となるため(同法163条6号),公益目的その他の受益者不存在型では管理人の就任確保が不可欠である。
第4 遺言代用信託と受益者連続型信託
1 生前に発効させる遺言代用信託
遺言代用信託は,生前に受託者へ財産を移し,委託者を当初受益者としつつ,死亡後の受益者又は給付先を定める設計に利用できる。
死亡後に初めて受託者を確保する遺言による信託と異なり,財産移転,口座,帳簿及び管理体制を生前に作動させられる。
もっとも,生前から財産が信託関係に入るため,委託者が自由に処分できる範囲,受益者変更権,信託終了権,受託者への指図権及び受託者が交代した場合の処理を契約で定める必要がある。
遺言よりも柔軟であることは,変更・終了又は利益相反を曖昧にしてよいことを意味しない。
2 受益者連続型信託の30年ルール
信託法91条は,受益者の死亡により受益権が消滅し,他の者が新たな受益権を取得する旨の定めを認める。
ただし,信託設定から30年を経過した後に,現に存する受益者がその定めによって受益権を取得した場合,その受益者の死亡又は受益権消滅までに効力が限定される。
この制度は,最初の受益者が取得した財産について,その受益者自身の遺言で次の承継先を決める通常の相続とは異なる。
他方,遺留分,課税,債権者保護,信託目的及び期間制限を受けるため,何代先までも無制限に承継先を拘束できる制度ではない。
3 遺言による信託との比較
遺言による信託は,死亡まで信託が発効しないため,生前の財産管理へ影響を与えずに長期給付を設計できる。
しかし,死亡後に受託者が就任しない場合,財産の特定及び移転が難航する場合又は遺言方式が争われる場合の不確実性がある。
遺言代用信託は,生前に実装状況を確認できる反面,契約時から受託者管理が始まり,設定後の撤回・変更,受託者監督及び税務を考慮する必要がある。
選択の中心は,死亡後の給付だけを拘束するのか,判断能力低下後を含む生前管理も対象とするのかという時間軸にある。
第5 相続開始後の手続選択
1 契約と遺言を入手して法的構造を特定する
相続開始後の相談では,まず「遺言信託を利用した」との説明を法律用語へ置き換える。
銀行との契約書・約款,遺言書,遺言執行者指定,信託条項,財産目録,受託者候補への連絡及び相続開始後の通知を入手し,銀行サービス,遺言による信託又は遺言代用信託のどれかを特定する。
銀行サービスであれば,銀行が遺言執行者へ就任したか,辞退したか,執行中に紛争が生じたかを確認する。
信託法上の遺言信託であれば,遺言の方式・効力,受託者の引受け,信託財産の範囲,受益者,登記及び監督機関を確認する。
2 銀行サービスをめぐる紛争
銀行が約定した保管・通知・遺言執行を行わない場合は,まず契約上の義務内容,免責条項,就任辞退又は中止事由,損害及び因果関係を整理する。
遺言執行者に就任済みであれば,民法1012条以下の権限・義務,財産目録,執行報告,辞任又は解任の手続も検討対象となる。
銀行が相続人間の対立に踏み込んだと主張する側は,法的紛争を銀行が認識した時点,銀行作成案,個別相続人への働きかけ,交渉内容及び報酬目的を具体的に主張する。
弁護士法違反との評価だけで損害賠償が当然に成立するわけではないため,契約違反,不法行為,具体的損害及び因果関係を請求原因ごとに構成する。
3 遺言による信託を実行する手続
受託者候補の就任意思が不明であれば,信託法5条の催告を行い,拒否又は不応答の場合は同法6条の受託者選任申立てを検討する。
遺言執行者が欠けているときは民法1010条の選任申立てを行い,遺言執行と受託者選任のどちらを先行させるかを財産移転の必要性から判断する。
受託者が就任した後は,財産ごとに対抗要件を整える。
不動産,株式,預貯金,保険契約上の権利,知的財産その他の財産では移転方法が異なるため,「信託財産一式」として一括処理せず,遺言条項と現存財産を対応させる。
4 遺留分侵害額請求との関係
現行民法1046条1項は,遺留分権利者が受遺者又は受贈者に対し,遺留分侵害額に相当する金銭の支払を請求できると定める。
信託については,信託設定による財産移転と受益権取得のどちらを対象とし,受託者,受益者その他の関係者の誰を請求相手とするかについて,信託類型に応じた解釈上の問題が残る。
遺言による信託と,生前に発効する遺言代用信託では,処分時期及び当事者構造が異なる。
信託を用いれば遺留分を回避できる,又は信託財産全額が当然に算定対象となると一般化せず,信託行為,利益取得時期,受益権の内容,財産評価及び請求相手を個別に検討する。
民法1048条は,相続開始及び遺留分を侵害する贈与又は遺贈を知った時から1年間行使しない場合,遺留分侵害額請求権が時効によって消滅し,相続開始から10年を経過した場合も同様と定める。
信託への適用関係が争われる場合でも,期間徒過を避けるため,対象行為及び請求相手を検討しながら権利行使の時期を管理する必要がある。
第6 主張立証と証拠収集
1 依頼者から聴取すべき事項
相談時には,次の事項を時系列に沿って聴取する。
- ① 遺言作成時,相続開始時及び現在の家族関係
- ② 遺言書の方式,作成日,保管者,書換え及び撤回の有無
- ③ 銀行,弁護士,公証人,税理士その他の関与者と役割
- ④ 銀行サービスの契約日,説明内容,費用及び就任辞退・中止の通知
- ⑤ 法的紛争が顕在化した時期,異議の内容及び銀行の対応
- ⑥ 受託者候補の就任意思,受益者への通知及び信託管理の開始状況
- ⑦ 遺言作成時と相続開始時の財産構成の差
- ⑧ 遺留分,債務,担保権,国外財産,非上場株式及び税務申告の有無
遺言能力が争点となる可能性がある場合は,遺言内容の複雑性,作成過程,説明者,面談記録,公証人とのやり取り,診療録,介護記録及び日常の財産管理状況を追加して聴取する。
年齢又は診断名だけで能力の有無を判断しない。
2 優先して収集すべき証拠
銀行サービスに関する証拠として,申込書,契約書,約款,重要事項説明書,最新の手数料表,面談記録,録音,電子メール,銀行が作成した遺言案・分割参考案,苦情回答及び執行報告を収集する。
広告表示が問題となる場合は,表示時点が分かるパンフレット,ウェブページ保存又は配布資料を確保する。
信託法上の遺言信託については,遺言書原本又は公正証書謄本,公証実務資料,信託財産目録,残高証明書,登記事項証明書,株主名簿,受託者への就任要請・回答,受益者への通知,信託口口座,帳簿,報告書及び税務申告書を対応させる。
受託者の就任前後と財産移転前後で,誰がどの権限に基づいて財産を管理したかを明らかにする。
3 想定される主張と反論
(1) 銀行サービスの提供者からの反論
銀行側からは,兼営法上の認可業務である,紛争が顕在化していなかった,提示したのは判断材料又は参考案にすぎない,相続人全員の合意を文書化しただけである,紛争発生後は業務を中止した,損害との因果関係がないとの反論が想定される。
これに対しては,抽象的な業務名称を争うのではなく,銀行が誰の要望を受けて案を作成し,反対者へ何を説明し,どの時点で対立を認識し,その後に何を行ったかを証拠で示す。
契約上の中止条項又は免責条項がある場合は,条項の適用要件と実際の対応を対照する。
(2) 信託の効力又は執行を争う側からの主張
信託の効力を争う側からは,遺言方式違反,遺言能力の欠如,信託財産又は受益者の不特定,受託者の不就任,信託目的の実現不能,強行法規違反,遺留分侵害又は詐害信託等が主張され得る。
信託の有効性を主張する側は,遺言全体から信託目的と財産範囲を客観的に特定できること,受託者選任の法定手続が用意されていること,信託条項に変更・終了及び残余財産の処理があることを整理する。
もっとも,受託者を後から選任できることは,方式違反又は信託内容の不確定まで補正するものではない。
4 時系列表と財産対応表
主張書面を作成する前に,遺言作成,銀行契約,家族の異議,書換え,相続開始,就任要請,受託者回答,財産移転,登記,給付及び苦情申出を1枚の時系列表へ整理する。
法的紛争の発生時点又は銀行の認識時点を争う場合,この表が業務継続の適否を検討する基礎となる。
別に,遺言条項,遺言作成時財産,相続開始時財産,現在の名義,担保・差押え,信託への移転状況及び受益者への給付を対応させた財産表を作成する。
財産の特定,遺言執行者の権限,受託者の管理開始及び損害額を,同じ財産単位で主張できるようにする。
第7 税務・登記・事業承継
1 信託を使っても相続税を回避できるわけではないこと
相続税法9条の2は,適正な対価を負担せず信託の受益者等となった者について,信託の効力発生時等に信託に関する権利を贈与により取得したものとみなす。
委託者の死亡を原因として信託の効力が生じた場合は,遺贈による取得とみなされる。
同法9条の3は,受益者連続型信託の受益者が,受益権について期間制限その他の制約がないものとして課税する特例を設ける。
国税庁通達は,収益受益権と元本受益権が分かれる一定の類型で,元本受益権の価額を零として扱うことを示しており,民事上の給付制限と課税価額は一致しない。
受益者等が存しない信託については,相続税法9条の4により一定の場合に受託者へ課税され得る。
設定時,死亡時,受益者変更時及び終了時を分け,所得税,法人税,登録免許税及び不動産取得税も含めて税務専門家と検討する。
2 不動産の権利移転登記と信託登記
不動産登記法97条は,信託登記の登記事項として,委託者,受託者,受益者,信託目的,管理方法及び終了事由等を定める。
同法98条は,権利移転等の登記と信託登記を同時に申請する構造を採る。
遺言による信託では,相続開始後,遺言執行者,受託者及び登記名義人の関係を整理し,権利移転と信託登記に必要な情報を確保する。
信託目録に記録される事項は登記情報として公示されるため,家族事情又は給付条件をどこまで記録するかも設計段階で検討する。
3 自社株式を信託する場合
自社株式を信託する場合,受託者への移転,譲渡制限会社の承認,株主名簿書換え,株券又は振替制度及び議決権行使指図を確認する。
会社法121条は株主名簿記載事項を,同法124条は基準日株主を定めるため,信託内部の受益権と会社に対する株主権行使者を区別する。
中小企業庁「事業承継ガイドライン」は,自社株式を対象とする遺言代用信託,他益信託及び後継ぎ遺贈型受益者連続信託を事業承継の類型として説明する。
ただし,信託だけで取締役選任,後継者育成,個人保証,許認可,納税資金又は遺留分が解決するわけではない。
経営承継円滑化法の遺留分特例による除外合意又は固定合意は,信託とは別の制度である。
信託設定だけで同特例と同じ効果が生じるとの説明はできない。
第8 利用者保護と現在の実務
1 遺言関連業務の取扱件数
信託協会「遺言関連業務取扱状況(令和8年3月末)」によれば,遺言書保管件数は,保管のみ1万6737件,執行付き20万4365件,合計22万1102件であり,遺産整理の令和7年度中引受件数は6901件である。
遺言書保管件数は期末残高,遺産整理は年度中引受件数であり,同じ種類の数値ではない。
この統計は,銀行サービスとしての遺言信託が相当規模で利用されていることを示す。
他方,信託法上の遺言による信託の設定件数を示す統計ではないため,両者の普及状況を同じ数値で説明することはできない。
2 手数料の計算基礎
遺言執行報酬は,財産額に料率を乗じる方式でも,債務控除前の評価額,金融機関ごとの評価方法及び最低報酬によって金額が変わる。
預金,不動産,非上場株式,保険契約上の権利及び銀行預かり資産について,評価方法又は料率が異なる商品もある。
費用比較では,申込時だけでなく,相続開始までの保管料,書換え費用,執行報酬,登記・鑑定・税務申告の実費及び特別執行報酬を合算する。
契約を解約し,又は銀行が就任を辞退した場合の返金条件も,契約書と最新の商品説明書で確認する。
3 利益相反と苦情処理
金融庁が平成19年に公表した「金融検査指摘事例集」56頁には,遺言執行における不動産売却で,関連子会社の評価を所管部署が検証せず,減価の重複又は根拠のない解体費用により,適正な算定価額より低い価額で売却した事例がある。
不動産の評価,仲介,売却及び運用商品販売を同一グループが行う場合は,査定根拠,複数評価,利益相反管理及び意思決定記録を確認する。
金融庁の第69回金融トラブル連絡調整協議会議事録は,信託協会が遺言信託の苦情事例を類型化し,発生原因と未然防止策を加盟会社へ共有したと報告する。
同行議事録は,親族間紛争へ介入してほしいとの申出について,信託相談所の業務範囲ではないと説明する例にも触れている。
苦情がある場合は,銀行の相談窓口へ事実・契約条項・求める対応を文書で示し,解決しない場合は信託協会信託相談所の相談・苦情処理又は金融ADRの利用可能性を確認する。
訴訟,仮処分又は遺言執行者の解任等が必要な事案では,ADRによる解決可能性と裁判上の期間管理を分ける。
第9 令和8年改正と保管証書遺言
1 改正の内容と施行時期
民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)は,令和8年6月17日に成立し,同月24日に公布された。
同法は,電子データ又はその出力書面を法務局へ提出し,本人が対面又はウェブ会議で全文を口述して法務局が保管する保管証書遺言を創設する。
押印の任意化等は公布日から1年以内,システム改修を要する保管証書遺言等は公布日から3年以内の政令で定める日に施行される。
令和8年7月23日現在,保管証書遺言は施行されておらず,現行の遺言方式として利用することはできない。
2 遺言による信託への影響
信託法4条2項は,遺言の効力発生を信託の効力発生原因とするため,保管証書遺言の施行後は,方式上,信託法上の遺言信託を設定する手段にもなり得ると考えられる。
ただし,長文の信託条項,財産目録,全文口述,受託者との事前調整及び登記原因証明情報について,具体的な実務運用を確認する必要がある。
この改正は遺言方式を拡張するものであり,銀行サービスとしての遺言信託を,信託法上の信託へ変更するものではない。
施行前の遺言作成では現行方式に従い,施行後も商品契約と信託設定行為を区別する。
第10 受任時の判断手順
遺言信託に関する相談では,次の順序で確認する。
- ① 契約書,約款及び遺言書を取得し,銀行サービス,遺言による信託又は遺言代用信託のいずれかを特定する。
- ② 遺言方式,信託目的,信託財産,受託者及び受益者を確認する。
- ③ 法的紛争の発生時点と,銀行又は受託者がこれを認識した時点を固定する。
- ④ 遺言執行者と受託者の就任状況,権限及び未了事務を分ける。
- ⑤ 財産ごとに名義,対抗要件,担保,評価及び給付状況を一覧化する。
- ⑥ 遺留分,詐害信託,相続債務及び期間制限を確認する。
- ⑦ 設定時・相続開始時・受益者変更時・終了時の課税を試算する。
- ⑧ 契約履行,損害賠償,受託者選任,遺言執行者選任,遺留分侵害額請求,ADRその他の手続を目的別に選択する。
制度名から結論を出さず,契約,遺言,財産及び相続開始後の行為を対応させることが,手続選択と主張立証の出発点となる。
第11 出典・参考資料
1 法令
- 金融機関の信託業務の兼営等に関する法律1条1項4号等――信託兼営金融機関の遺言執行その他の併営業務
- 弁護士法72条・74条3項――非弁行為及び法律事務を取り扱う旨の表示
- 信託法2条~7条,88条~92条,147条・148条,163条,258条――遺言による信託,遺言代用信託,受託者,受益者及び監督
- 民法960条,967条以下,985条,1006条~1020条,1046条・1048条――遺言方式,効力,遺言執行及び遺留分侵害額請求
- 相続税法9条の2~9条の4――信託に関する権利の相続税・贈与税
- 不動産登記法97条・98条――信託登記の登記事項及び申請
- 会社法121条・124条――株主名簿及び基準日
2 合意書・公的資料
- 日本弁護士連合会・信託協会「日弁連と信託協会との協議会合意について」『自由と正義』45巻5号86頁~88頁,1994年――銀行の遺言相談,遺産整理,遺言執行及び合意書の成立経緯
- 法務省「信託法改正要綱試案補足説明」169頁~173頁,2005年――受益者連続型信託及び遺言による信託の立法説明
- 金融庁「金融検査指摘事例集」56頁,2007年――遺言執行に伴う不動産売却の評価・利益相反事例
- 金融庁「金融検査マニュアル関係」――旧信託検査マニュアルが令和元年12月18日に廃止されたこと
- 金融庁「第69回金融トラブル連絡調整協議会議事録」及び資料3,令和8年2月26日――遺言信託の苦情類型化及び親族間紛争への介入の限界
- 信託協会「信託統計便覧」所収「遺言関連業務取扱状況(令和8年3月末)」――遺言書保管及び遺産整理の件数
- 国税庁「第9条の2関係」及び「相続税基本通達9の3関係」――信託に関する権利及び受益者連続型信託の課税
- 中小企業庁「事業承継ガイドライン」69頁~71頁――自社株式信託の類型と事業承継上の機能
- 中小企業庁「経営承継円滑化法による支援」――遺留分に関する民法特例
- 法務省「民法等の一部を改正する法律案」及び「令和8年法律第45号の概要」――保管証書遺言と施行時期
3 実務書・公式商品資料
- 福田政之ほか『詳解 新信託法』清文社,2007年,98頁~101頁――遺言による信託と遺言代用信託の区別
- 仙波英躬・菅原崇『遺言信託の法務と文例―遺言で設定する民事信託Q&A』日本法令,2021年,236頁~245頁,261頁~304頁,377頁~383頁――遺言信託の設定,受託者,遺言執行,遺留分及び税務
- 三井住友信託銀行「遺言信託・手数料」――手数料,評価方法及び別途費用
- みずほ信託銀行「財産承継信託(やすらぎ)」――遺言による信託設定と銀行の遺言信託業務が別契約・別費用である実例