第1 この記事の対象と結論
税務調査に対応するときは,①実力で検査を強制できるか,②不答弁や検査拒否等に罰則があるか,③得られた資料が刑事手続で使われるかを分けて考える必要がある。
「任意調査だからすべて拒否できる」「行政調査だから憲法上の保障は問題にならない」という両極端の理解では,依頼者への助言を誤るおそれがある。
本記事は,川崎民商事件判決と現行の国税通則法を対照し,弁護士・税理士が調査の根拠と範囲を確認するための着眼点を整理するものである。
個々の質問や資料要求の適法性は,対象税目,調査の必要性,要求内容及び実際の調査状況に即して判断する必要がある。
法令の確認基準日は令和8年10月30日である。
第2 川崎民商事件で判断されたこと
最高裁大法廷昭和47年11月22日判決(昭和44年(あ)第734号,刑集26巻9号554頁)は,旧所得税法63条による帳簿書類の検査を拒んだ行為について,同法70条10号による処罰の憲法適合性等が争われた事件である。
ここでいう旧所得税法は昭和40年法律第33号による改正前の法律であり,現在の条番号として参照してはならない。
最高裁は上告を棄却した。
判決は,行政手続であることだけを理由に憲法35条・38条1項の保障を一律に除外したわけではない。
行政目的,質問検査の機能,対象・範囲,強制の程度等を検討して,問題となった制度の合憲性を判断している。
第3 令状と間接的な強制をどう区別したか
判決は,当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで,その手続における一切の強制が当然に憲法35条1項の保障の枠外にあると判断することは相当でないとした。
その上で,旧法の検査について,公平確実な課税徴収という目的,所得税の賦課徴収手続上一定の関係にある者の事業に関する帳簿等に対象を限定した制度,刑罰による間接的・心理的な強制にとどまること,実効性を確保する公益上の必要性等を考慮した。
判決は,検査拒否に対する罰則が検査の受忍を強制する作用を伴うことを認めつつ,その強制の度合いは,相手方の自由な意思を著しく拘束して実質上直接的物理的な強制と同視すべき程度には達していないとした。
最高裁は,これらの事情を総合し,この検査は,あらかじめ裁判官の発する令状によることを一般的要件としないからといって,憲法35条の法意に反するものとはいえないとした。
行政調査であればどのような立入りや身体拘束も無令状で許されるという判示へ広げてはならない。
第4 自己負罪拒否の保障と調査の機能
判決は,憲法38条1項の保障について,純然たる刑事手続だけでなく,実質上,刑事責任追及のための資料取得収集に直接結び付く作用を一般的に有する手続にも及ぶとした。
一方,旧法の質問検査は,適正な課税を目的とし,このような刑事資料の取得収集に一般的・直接的に結び付く作用を有するとは認められないとして,関連規定を違憲としなかった。
調査から税法違反の犯罪が発覚する可能性があることと,その手続が一般的に刑事責任追及へ直接結び付く機能を持つことは,判決上区別されている。
これは,個別の調査態様を問わず,刑事捜査への転用がすべて許されるという意味ではない。
第5 現行法の質問検査権と罰則
現行の国税通則法74条の2第1項は,所得税・法人税・地方法人税・消費税の調査について必要があるとき,所定の者への質問,帳簿書類等の検査,物件の提示・提出要求を認めている。
同条の権限があることと,どのような要求でも必要性や範囲を問わず適法であることは同じではない。
同法128条2号は,所定の質問に対する不答弁・虚偽答弁や,検査等の拒否・妨害・忌避を処罰対象とする。
同条3号は,所定の物件の提示・提出等の要求に正当な理由なく応じないことや,虚偽の物件の提示・提出等を処罰対象とする。
法定刑は1年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金である。
「正当な理由がなく」という明文が置かれているのは3号であり,2号・3号の条文の列挙をまとめて言い換える際には注意を要する。
国税庁の税務調査手続に関するFAQ(一般納税者向け)問3は,罰則の存在を説明しつつ,帳簿書類等の提示・提出をお願いする際には,提示・提出が必要とされる趣旨を説明し,納税者の理解と協力の下,その承諾を得て行う方針を示している。
これは行政の説明する運用であり,罰則の法定要件そのものとは区別して読む必要がある。
第6 犯罪捜査のための利用と後の証拠利用
国税通則法74条の8は,質問検査等の権限を犯罪捜査のために認められたものと解してはならないと定める。
課税調査の権限と犯則事件の調査を同じものとして扱ってはならない。
最高裁第二小法廷平成16年1月20日決定(平成15年(あ)第884号,刑集58巻1号26頁)は,法人税法(平成13年法律第129号による改正前のもの)156条の下で,質問検査権を,犯罪の証拠資料を取得収集・保全するなど犯則事件の調査・捜査の手段として使うことは許されないとした。
他方,質問検査時に,取得資料が後に犯則事件の証拠として使われることを予想できたというだけでは,直ちにそのような権限行使に当たるとはしていない。
この決定は旧法人税法156条の解釈とその当てはめを示したものであり,後の刑事利用が常に適法となるという一般的な免責を与えたものではない。
第7 弁護士・税理士が記録しておきたい事項
以下は,判決と条文の区別を調査対応へ移すための筆者の実務上の整理であり,判決が一律に指示した手順ではない。
①調査担当者の所属・立場,対象税目,調査対象者及び示された根拠条文を確認する。
②質問,検査,物件の提示・提出要求のどれが求められ,対象期間・物件・説明された必要性が何かを記録する。
③範囲や方法に疑問があるときは,拒否の結論を先に決めず,要求の具体化と理由の説明を求めた経過を残す。
④刑事責任追及への利用が問題となる場合は,後の証拠利用の可能性だけで結論を出さず,実際の目的と調査態様を時系列で整理する。
これらの記録は,依頼者・税理士・弁護士の間で認識をそろえ,個別の適法性を検討するための資料となる。
一律の全面拒否や無条件の受入れを勧めるものではない。
第8 関連記事と出典
税務調査に関するメモ書き-事前通知,帳簿データ,質問応答記録書及びAI活用では,通知,帳簿データ及び質問応答記録書等を扱う。
特定技能所属機関に対する報告徴収及び立入検査は,別の行政調査権限の要件を確認するための関連資料である。
税務調査の結論を,根拠法の異なる立入検査へそのまま移すことはできない。
主な一次資料は,①川崎民商事件判決の裁判所掲載全文1頁~5頁,②平成16年1月20日決定の裁判所掲載全文1頁~2頁,③国税通則法74条の2・74条の8・128条,④国税庁FAQ問3である。
旧法下の判示,現行法の条文,国税庁の運用説明及び筆者の実務上の提案を区別して参照されたい。