第1 緊急時の記録は経過表だけでは足りない
爆破予告,サイバー事故又は電子申告障害が発生した場合,最初に優先すべきことは,人の安全,事故の拡大防止,証拠保全及び期限対応である。
もっとも,事後に対応の相当性を説明するためには,「何時に何をしたか」という経過だけでなく,その時点で確認できた事実,選択肢,権限者,判断理由,通知,実行結果及び未解決事項を残す必要がある。
後日の記憶で補った部分は,当時作成した記録と区別する。
本記事でいう意思決定記録は,警察,監督官庁又は依頼者への報告書そのものではない。
原資料を保全しつつ,誰がどの情報に基づき,どの選択肢から何を決めたかを,後から検証できる形にした内部記録である。
第2 事案ごとに初動の目的を定める
1 爆破予告では安全確保と警察への連絡を先行させる
警察庁は,インターネット上で爆破予告等を発見した場合は最寄りの警察署等へ通報し,緊急の対応を要する場合は110番通報するよう案内している。
同庁は,被害対象となった施設について,警戒・検索,避難又は行事中止等の措置が必要となることがあるとも説明している。
施設側の記録には,少なくとも,予告の原文・URL・受信時刻,対象場所と予告時刻,警察への連絡時刻と回答,捜索・避難・中止等の選択肢,決定権者,決定理由,来場者・関係者への通知方法及び安全確認の結果を残す。
警察の指示と施設側の自主判断を混同しないことも重要である。
東京大学は,令和8年5月祭について,爆破予告を受け,五月祭常任委員会が警察と協議し,来場者等の安全を確保できないと判断して中止を決定したと公表している。
この公式発表からは中止の事実と大枠の理由を確認できるが,当時検討された全選択肢,権限分担及び通知記録の全部まで確認できるわけではない。
東京大学新聞の事後報道は記録の必要性を考える端緒になるものの,開示決定通知,請求書及び検索範囲の原資料を得ないまま,文書不存在又は対応の違法性を断定してはならない。
2 サイバー事故では封じ込めと証拠保全を両立させる
サイバー事故では,端末の隔離,外部接続の制限,認証情報の変更等により被害拡大を防ぐ一方,ログ,メール,端末イメージその他の調査資料を失わないようにする。
独立行政法人情報処理推進機構(IPA)の中小企業向け資料は,対応体制,連絡先,初動対応及び再発防止を平時から整理する必要性を示している。
個人情報保護委員会の資料は,漏えい等の原因・範囲を明らかにする際,ログ等の有無が調査可能性を左右し得ることを示している。
復旧を急ぐためにログを上書きしたり,疑わしいファイルを直ちに削除したりすると,侵入経路,影響範囲及び通知対象の確認が難しくなる。
技術担当者の作業記録と,事務所又は法人としての意思決定記録を相互に参照できるようにする。
3 電子申告障害では期限と代替手段を記録する
電子申告に障害が生じた場合,エラー画面,発生時刻,対象税目・年分,利用者識別番号,送信ファイルの版,受付結果及びe-Taxの稼働状況を保存する。
同時に,復旧待ち,別端末・別回線,書面提出その他の代替手段と,それぞれの期限・負担を検討する。
国税庁は,国税庁のシステムが申告期限直前に利用できない場合でも,期限延長の対象・期間・手続は国税庁の告示等によって定まること,対象外の場合には個別延長の申請が問題となることを案内している。
障害があれば当然に期限が延びると扱わず,国税庁の障害情報,法令・告示及び個別事案の資料を確認する。
第3 意思決定記録に残す項目
1 事実,伝聞,推認及び未確認を分ける
受け取った情報には,情報源,取得時刻及び原資料への参照を付ける。
画面又は文書で直接確認した事実,第三者から聞いた内容,担当者の推認及び未確認事項を同じ文章で混ぜない。
後に内容が変わった場合は,古い記録を消さず,訂正者,訂正日時,訂正理由及び新たな根拠を追記する。
2 選択肢,権限者及び理由を残す
結論だけでなく,検討した選択肢,採用しなかった理由,決定権者,協議者,反対又は留保の有無を残す。
緊急の暫定判断と,追加調査後の最終判断を区別し,次に見直す時点と担当者を定める。
| 区分 | 最低限の記録 | 原資料の例 |
|---|---|---|
| 入力情報 | 内容,情報源,取得時刻,確認状態 | 予告原文,メール,画面,通話メモ |
| 選択肢 | 実行可能な対応,期限,利点,危険 | 警察・専門家の助言,規程,障害情報 |
| 決定 | 決定事項,権限者,時刻,理由,暫定・最終 | 承認記録,議事メモ |
| 実行・通知 | 実行者,対象者,手段,到達確認 | 送信記録,作業ログ,受付結果 |
| 結果・残課題 | 安全確認,影響範囲,未確認事項,次回確認 | 調査報告,復旧確認,期限管理表 |
第4 原資料と後日の再構成を分ける
1 メール,チャット,録音及びログを関連付ける
意思決定記録に原資料の全文を複製する必要はないが,どのメール,チャット,録音,システムログ又は画面に基づくかを特定できるようにする。
ファイル名,保存場所,取得日時,作成者及びハッシュ値等を用い,原本と作業用コピーを区別する。
保存期間,アクセス権限及び外部専門家への提供範囲も決める。
2 後日の聴取で補った部分を明示する
緊急対応の最中に完全な記録を作れなかった場合,落ち着いた後に関係者から聴取して補充することはあり得る。
ただし,当時記録した内容と,後日の記憶・推認から再構成した内容を分け,再構成の日時,聴取者及び根拠資料を示す。
記録が後日整えられたこと自体を隠すと,かえって信用性の評価を難しくする。
第5 弁護士・税理士の業務記録としての注意点
1 秘密保持と外部提供の範囲を確認する
日本弁護士連合会の弁護士情報セキュリティ規程は,弁護士等に情報セキュリティの確保を求めている。
警察,保険会社,フォレンジック事業者,クラウド事業者その他の外部先へ情報を提供する場合,必要性,提供範囲,提供根拠及び提供日時を記録する。
緊急対応であることは,依頼者秘密を無限定に共有してよい理由にはならない。
2 税務判断と税理士法上の帳簿を混同しない
税理士法38条は税理士の秘密保持義務を,同法41条は税理士業務に関する帳簿の作成・保存を定めている。
国税庁のQ&Aは,委嘱者別・税目別の業務内容,てん末等を記載し,閉鎖後5年間保存する必要があると説明している。
もっとも,同条の帳簿が緊急時の意思決定記録の全項目を代替するわけではない。
電子申告障害等では,税目・年分,依頼者から得た事実,参照した法令・国税庁資料,計算又は申告データの版,判断者・確認者,期限と代替提出手段を関連付けて残す。
補助者が作業した場合は,税理士法41条の2に基づく監督と,誰が最終確認したかも区別する。
第6 AI議事録は意思決定記録そのものではない
AIによる文字起こし又は要約は,記録作成を補助できるが,権限者,採用しなかった選択肢,判断理由又は通知の到達まで自動的に証明するものではない。
原音声,文字起こし,要約及び担当者の判断を分け,人が確認した版を意思決定記録へ反映する。
録音の説明,外部同期,原音声との照合及び共有前確認は,弁護士・税理士がAI議事録を使うときの確認事項で整理している。
第7 実務用チェックリスト
1 初動時
①人命・身体の安全と緊急通報の要否を判断したか。
②原情報を削除・上書きせず,取得時刻と情報源を保存したか。
③対応責任者,決定権者,技術担当者及び対外連絡担当者を決めたか。
④法定期限,申告期限,報告期限及び依頼者への連絡期限を確認したか。
2 判断時
①確認済み事実,伝聞,推認及び未確認事項を分けたか。
②選択肢と採用・不採用の理由を残したか。
③警察,監督官庁,専門家等の助言と,組織自身の判断を分けたか。
④暫定判断の見直し時点と担当者を決めたか。
3 収束後
①実行結果,通知の到達,残った影響及び未解決事項を追記したか。
②原資料,意思決定記録,対外報告書及び依頼者共有版を区別したか。
③後日の再構成部分を明示したか。
④保存期間,アクセス権限,削除時期及び再発防止策を決めたか。
第8 出典と確認範囲
1 一次資料
①警察庁「インターネット上における犯行予告への対応」及び警視庁「テロを許さない社会・地域づくり」。爆破予告発見時の通報,緊急時の110番及び施設管理者の平時の備えを確認した。
②東京大学「第99回五月祭の中止について」。爆破予告,警察との協議及び安全確保困難を理由とする中止の公表内容を確認した。
③IPA「中小企業のためのセキュリティインシデント対応の手引き」,「インシデント対応体制を整備する」及び「中小企業の情報セキュリティ対策ガイドライン」。初動,体制及び再発防止の枠組みを確認した。
④個人情報保護委員会「漏えい等事案におけるデジタル・フォレンジックの活用に関する資料」及び「個人データの漏えい等が発生した場合等の対応」。ログ等の調査資料と報告・本人通知の枠組みを確認した。
⑤国税庁「災害による申告,納付等の期限延長手続」,e-Tax「利用可能時間」及び「障害等により期限内に申告できない場合」。期限延長の対象・手続と稼働状況の確認先を確認した。
⑥e-Gov法令検索「税理士法」38条,41条及び41条の2,国税庁「税理士制度に関するQ&A」問6-25・問6-26。秘密保持,帳簿及び使用人等の監督を確認した。
⑦日本弁護士連合会「弁護士情報セキュリティ規程」。弁護士等の情報セキュリティ確保の基本的な義務を確認した。
2 二次資料と未確認事項
東京大学新聞「五月祭爆破予告事件のその後 情報開示請求に『文書不存在』」は,開示請求の対象設定と記録保存を検討する二次資料として参照した。
同記事がいう開示請求については,決定通知,請求書,補正経過及び検索記録の原資料を本記事では確認していないため,文書の有無,検索の十分性又は対応の適法性を断定する根拠には用いていない。