目次
- 第1 結論
- 第2 旧法事案となる相続開始日
- 第3 遺留分算定の基礎財産は相続開始時に評価する
- 第4 旧民法1041条の価額弁償は別の時点で評価する
- 第5 減殺請求前に目的物が処分された場合
- 第6 遺産分割及び税務上の評価との区別
- 第7 主張立証及び鑑定で確認すべき事項
- 第8 関連記事
- 第9 まとめ
- 出典・参考資料
第1 結論
遺留分減殺請求がされた旧法事案では,「遺産をいつの価格で評価するか」という問いに一つの時点だけを答えると不正確である。
遺留分侵害の有無及び割合を計算するための基礎財産は,相続開始時の価額で評価する。
これに対し,旧民法1041条の価額弁償は,現実に弁償される時の価額によるのが原則であり,訴訟で裁判所が価額を定める場合は,事実審口頭弁論終結時の価額による。
したがって,「相続開始時」と「口頭弁論終結時」のいずれが正しいかという形で一方だけを選ぶことはできない。
本記事では,この二つの基準時がなぜ併存するのかを,旧法の条文及び裁判例に即して整理する。
旧法の遺留分減殺請求における主な評価基準時は,次のとおりである。
| 問題となる場面 | 評価基準時又は評価額 |
|---|---|
| 遺留分侵害の有無及び割合を計算するための基礎財産 | 相続開始時の価額 |
| 金銭の生前贈与 | 贈与時の額面を相続開始時の貨幣価値に換算した額 |
| 受贈者の行為によって贈与財産が滅失し,又は価格が増減した場合 | 相続開始時に贈与時の原状のまま存在したものとみなした価額 |
| 旧民法1041条の価額弁償 | 現実に弁償される時の価額。訴訟では,これに最も近い事実審口頭弁論終結時の価額 |
| 相続開始後,減殺請求前に受遺者が目的物を譲渡した場合 | 譲渡価額が譲渡時に客観的に相当であれば,その譲渡価額 |
相続開始時は遺留分侵害の有無及び程度を計算する時点であり,口頭弁論終結時は現物返還に代わる価額弁償額を裁判所が定める時点である。
本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり,個別事件では相続開始日,減殺の意思表示,対象財産の処分及び価額弁償に関する各当事者の意思表示を確認する必要がある。
第2 旧法事案となる相続開始日
平成30年法律第72号による遺留分制度の改正は,原則として令和元年7月1日に施行された。
同法附則2条は,施行日前に開始した相続について,原則として従前の例によると定めている。
そのため,被相続人が令和元年6月30日までに死亡した相続には,減殺の意思表示又は訴えの提起が令和元年7月1日以後であっても,原則として旧法が適用される。
被相続人が令和元年7月1日以後に死亡した相続では,物権的な減殺ではなく,金銭債権である遺留分侵害額請求を定める改正法が適用される。
適用法を決める基準は,請求日ではなく相続開始日である。
第3 遺留分算定の基礎財産は相続開始時に評価する
1 旧民法1029条及び1044条
令和元年6月1日時点の民法1029条1項は,遺留分算定の基礎を,被相続人が相続開始時に有した財産の価額に贈与財産の価額を加え,債務の全額を控除したものとしていた。
旧民法1044条は,特別受益の価額に関する同法904条を遺留分に準用していた。
これらの規定から,現存財産及び基礎財産へ加算する贈与財産は,相続開始時を価格時点としてそろえることになる。
2 大審院大正7年12月25日判決
大審院大正7年12月25日第三民事部判決(大正7年(オ)第773号,贈与滅殺請求ノ件,大審院民事判決録24輯2429頁)は,現存財産及び被相続人が贈与した財産について,相続開始時の価額を具体的に定めた上で減殺請求の当否を判断すべきものとした。
同判決の判決要旨は,債権について債務者の資力及び担保の有無等を,不動産について性質及び所在等を考慮して価額を定めることも示している。
同判決は,単に名目額又は帳簿額を集計するのではなく,相続開始時における具体的価値を認定する必要があることを示した先例である。
3 金銭の生前贈与は相続開始時の貨幣価値に換算する
最高裁昭和51年3月18日第一小法廷判決(昭和49年(オ)第1134号,遺留分減殺請求事件,民集30巻2号111頁)は,相続人が被相続人から贈与された金銭を特別受益として基礎財産に加える場合,贈与時の金額を相続開始時の貨幣価値に換算して評価すべきものとした。
同判決は,原審が物価指数を用いて換算した判断を是認した。
例えば,長期間を隔てた金銭贈与について,贈与時の額面をそのまま加算することはできない。
どの指数及び期間を用いるかは,当事者が主張する贈与の性質,贈与日,相続開始日及び利用できる統計資料に即して検討する必要がある。
4 評価時点と財産の状態は分けて考える
旧民法904条は,受贈者の行為によって贈与財産が滅失し,又は価格が増減した場合,相続開始時になお贈与時の原状のまま存在するものとみなして価額を定めるとしていた。
したがって,価格時点を相続開始時に合わせるだけでは足りず,どの状態の財産を評価するかも確定しなければならない。
受贈者による建築,造成,取壊し,分筆又は用途変更等がある事案では,相続開始時の現況をそのまま評価するのか,贈与時の原状を前提に評価するのかが結論を左右し得る。
第4 旧民法1041条の価額弁償は別の時点で評価する
1 相続開始時評価と価額弁償時評価は目的が異なる
旧法の遺留分減殺請求には物権的効力があり,減殺の対象となった財産について,原則として現物返還の問題が生じた。
旧民法1041条は,受贈者又は受遺者が減殺を受ける限度において贈与又は遺贈の目的物の価額を弁償することにより,返還義務を免れる制度を定めていた。
基礎財産の評価は遺留分侵害を測るための計算であるのに対し,価額弁償は返還すべき現物を金銭に置き換えるための計算である。
この目的の違いから,同じ不動産について相続開始時と口頭弁論終結時の二つの価額が必要となることがある。
2 現実の弁償時と事実審口頭弁論終結時
最高裁昭和51年8月30日第二小法廷判決(昭和50年(オ)第920号,持分権移転登記等請求事件,民集30巻7号768頁)は,旧民法1041条の価額弁償額は,現実に弁償される時の目的物価額によるとした。
裁判所が訴訟で価額を確定する場合には,現実の弁償時に最も近い事実審口頭弁論終結時を基準とする。
同判決は,旧民法1029条及び同法1044条が準用する同法903条・904条は,遺留分算定の基礎財産の価額と侵害の有無及び程度を定める規定であり,旧民法1041条の弁償価額を定める規定ではないと区別した。
最高裁平成9年2月25日第三小法廷判決(平成6年(オ)第1746号,遺言無効確認等請求事件,民集51巻2号448頁)は,価額弁償の意思表示だけでは現物返還請求権は消滅しないことを前提に,事実審口頭弁論終結時の価額による弁償を条件とする引換給付判決を認めた。
不動産価格が相続開始後に上昇又は下落した場合,基礎財産の算定額と価額弁償額が異なることは,この判例法理から生じる予定された結果である。
3 金銭判決には二段階の意思表示が必要である
価額弁償の評価基準時が定まっても,裁判所が当然に金銭の支払を命じることができるわけではない。
旧民法1041条1項に基づき,価額を弁償する旨の意思表示をする主体は,受遺者又は受贈者である。
もっとも,受遺者又は受贈者が価額を弁償する旨の意思表示をしただけでは,遺留分権利者は価額弁償請求権を確定的に取得しない。
最高裁令和7年7月10日第一小法廷判決(令和6年(受)第2号)は,受遺者が価額を弁償する旨の意思表示をした場合であっても,遺留分権利者が受遺者に対して価額弁償請求権を行使する旨の意思表示をしていないときは,裁判所が受遺者に価額の支払を命じることはできないとした。
同判決は,旧法事案における金銭判決の手続的前提を明確にしたものであり,相続開始時又は事実審口頭弁論終結時という評価基準そのものを変更したものではない。
第5 減殺請求前に目的物が処分された場合
1 最高裁平成10年3月10日判決
最高裁平成10年3月10日第三小法廷判決(平成8年(オ)第20号,共有持分売却代金請求事件,民集52巻2号319頁)は,相続開始後,遺留分減殺請求前に受遺者が遺贈の目的物を第三者へ譲渡した事案を扱った。
同判決は,旧民法1040条1項を類推適用し,譲渡価額が譲渡当時に客観的に相当であった場合には,その譲渡価額を弁償額とすべきものとした。
これは,基礎財産を相続開始時に評価する原則の例外ではなく,減殺請求前の処分によって現物返還ができなくなった場合の弁償額を定める別の法理である。
2 処分の時期及び内容を先に確定する
対象財産が売却,競売,収用,滅失又は第三者への移転を経ている場合は,まず各出来事が相続開始前,相続開始後・減殺請求前,減殺請求後のいずれに生じたかを確定する必要がある。
減殺請求後の処分は,減殺によって生じた権利,対抗要件及び第三者との法律関係が問題となるため,減殺請求前の処分と同じ基準で処理することはできない。
改正前の遺留分減殺請求によって不動産が共有となった場合の処理は,改正前の遺留分減殺請求によって共有となった不動産の解消方法で説明している。
第6 遺産分割及び税務上の評価との区別
1 遺産分割の評価基準時とは異なる
遺産分割では,現に存在する遺産を公平に分けるため,原則として分割時の価額が問題となる。
これに対し,旧法の遺留分算定の基礎財産は,相続開始時の価額である。
同じ相続事件であっても,具体的相続分を計算する場面,現存遺産を分割する場面,遺留分侵害を計算する場面及び価額弁償を命じる場面では,評価の目的と基準時が異なる。
遺産分割における代償金については,遺産分割における代償分割―代償金・支払能力・分割払・税務も参照されたい。
2 相続税評価額がそのまま民法上の時価になるとは限らない
固定資産税評価額,路線価による相続税評価額及び帳簿価額は,価格を検討するための資料にはなるが,それぞれ制度上の目的が異なる。
遺留分の基礎財産で問題となるのは,原則として相続開始時の客観的交換価値である。
したがって,相続税申告書の評価額を当然の前提とせず,売買事例,公示地価,基準地価,収益性,物件固有の事情及び鑑定評価等を検討する必要がある。
非上場株式のように評価手法自体が争点となりやすい財産については,遺産相続における非上場株式の評価方法も参照されたい。
第7 主張立証及び鑑定で確認すべき事項
1 出来事を時系列に並べる
最初に確認すべき日は,①相続開始日,②各贈与又は遺贈の効力発生日,③目的物の滅失,改良又は処分の日,④減殺の意思表示が相手方へ到達した日,⑤価額弁償に関する各当事者の意思表示又は履行提供の日,⑥事実審口頭弁論終結予定日である。
この時系列が確定しなければ,適用法,評価対象となる財産の状態及び評価基準時を正しく選ぶことができない。
2 価格資料の基準日を明示する
不動産査定書,鑑定評価書,株式価値算定書又は物価指数を証拠とする場合は,その資料がどの日を価格時点としているかを明示する必要がある。
現在価格の査定書だけでは,相続開始時の基礎財産を立証できないことがある。
反対に,相続税申告時の資料だけでは,口頭弁論終結時に近い価額弁償額を立証できないことがある。
3 二つの時点の評価が必要となることがある
価額弁償が争われる旧法事案では,同じ目的物について,①遺留分侵害を計算するための相続開始時評価と,②価額弁償額を定めるための事実審口頭弁論終結時評価を準備する必要がある。
さらに,受贈者の行為による財産状態の変化又は減殺請求前の処分がある場合は,贈与時の原状又は処分時の客観的価額も問題となる。
鑑定事項を定めるときは,「対象財産」,「前提とする状態」,「価格時点」及び「評価目的」を分けて指定することが重要である。
第8 関連記事
①旧法・新法を含む遺留分制度全体の裁判例及び論点は,遺留分に関するメモ書きを参照されたい。
②旧法の減殺によって生じた不動産共有の解消方法は,改正前の遺留分減殺請求によって共有となった不動産の解消方法で説明している。
③基礎財産から控除される債務については,遺留分侵害額請求の基礎財産から控除される「被相続人の債務」の効果的な主張立証方法を参照されたい。
④遺産分割における特別受益の証拠収集及び10年ルールは,特別受益の主張・立証方法―10年ルール,証拠収集と費用対効果で説明している。
第9 まとめ
旧法の遺留分減殺請求では,基礎財産を相続開始時の価額で評価する。
金銭の生前贈与は,贈与時の額面を相続開始時の貨幣価値に換算する。
旧民法1041条の価額弁償は現実の弁償時の価額によるが,訴訟では事実審口頭弁論終結時が基準となる。
相続開始後・減殺請求前に目的物が譲渡された場合は,譲渡時に客観的に相当な譲渡価額を用いるという別の判例法理がある。
したがって,評価を依頼し,又は訴訟で価格を主張するときは,計算の目的,対象財産の状態及び価格時点を一組として明示する必要がある。
出典・参考資料
1 法令
①民法(明治29年法律第89号。令和元年6月1日時点)904条・1029条・1040条・1041条・1044条(e-Gov法令検索)
②民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律(平成30年法律第72号)附則1条・2条
2 裁判例
①大審院第三民事部大正7年12月25日判決(大正7年(オ)第773号,贈与滅殺請求ノ件,大審院民事判決録24輯2429頁。判例秘書により判決原本画像の判決要旨を確認。裁判所HP未掲載)
②最高裁判所第一小法廷昭和51年3月18日判決(昭和49年(オ)第1134号,遺留分減殺請求事件,民集30巻2号111頁,裁判所ウェブサイト)
③最高裁判所第二小法廷昭和51年8月30日判決(昭和50年(オ)第920号,持分権移転登記等請求事件,民集30巻7号768頁,裁判所ウェブサイト)
④最高裁判所第三小法廷平成9年2月25日判決(平成6年(オ)第1746号,遺言無効確認等請求事件,民集51巻2号448頁,裁判所ウェブサイト)
⑤最高裁判所第三小法廷平成10年3月10日判決(平成8年(オ)第20号,共有持分売却代金請求事件,民集52巻2号319頁,裁判所ウェブサイト)
⑥最高裁判所第一小法廷令和7年7月10日判決(令和6年(受)第2号,裁判所ウェブサイト)
3 公的資料
①法務省「民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律について(相続法の改正)」
②法務省「遺留分制度の見直し」
③国立国会図書館デジタルコレクション『大審院民事判決録 大正7年 第24輯』(書誌及び目次)
4 文献
①星野雅紀編『遺留分をめぐる紛争事例解説集』(新日本法規出版,2008年)79頁~82頁・359頁~383頁
②埼玉弁護士会編『第二次改訂版 遺留分の法律と実務―相続・遺言における遺留分減殺の機能』(ぎょうせい,2018年)100頁~104頁・181頁~193頁
③田村洋三・小圷眞史編著『第3版 実務相続関係訴訟―遺産分割の前提問題等に係る民事訴訟実務マニュアル』(日本加除出版,2020年)374頁~375頁・466頁~467頁・490頁
④片岡武・管野眞一編著『第4版 家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務』(日本加除出版,2021年)205頁・269頁~271頁
⑤東京地方裁判所プラクティス委員会第三小委員会「遺留分減殺請求訴訟における遺留分算定について―計算シートによるモデル訴状の提案」判例タイムズ1345号34頁以下(2011年。評価基準時に関する記載は38頁)