第1 本記事の対象と結論
1 検討対象
本記事は,法律事務所が裁判例その他の法律情報を生成AIの学習,追加学習,評価又はRAGに用いる場合を対象とする。
本記事が扱うのは,判例データベースを法律事務所内の生成AI・RAG・追加学習・評価に用いる場合である。一般の著作物を対象とする学習データ契約及びクリエイターへの対価還元は「生成AIの学習データ契約とクリエイターへの対価還元」,米国政府意見書及び一般的なフェアユース論は「米国政府はAI学習を「合法」としたのか」で扱い,本記事では重複して詳述しない。
2 結論
「判例は著作権がない」という一文だけで,判例データベースの一括取得,埋込みベクトル化又は追加学習まで許されるとは限らない。
①裁判所の判決本文,②裁判所が付した書誌情報,③民間事業者の判例要旨・解説・分類体系,④データベース全体の選択又は体系的構成を分け,さらに閲覧,取得,保存,学習,検索及び出力の各行為を分けて確認する必要がある。
本記事は,令和8年9月17日現在の法令及び公開資料に基づく。
第2 法律情報を構成する四つのデータ層
1 裁判所の判決,決定,命令及び審判
著作権法13条3号は,裁判所の判決,決定,命令及び審判並びに行政庁の裁決及び決定で裁判に準ずる手続により行われるものを,著作権の目的とならない著作物としている。
2 裁判所が付した書誌情報及び編集
事件番号,裁判年月日,裁判所名,事件名その他の書誌情報は,判決本文と同じものではない。個々の項目の保護と,項目を選択し体系的に配列した編集物又はデータベースの保護を分けて検討する必要がある。
3 民間の判例要旨,解説,headnote及び分類体系
民間事業者が作成した判例要旨,解説,headnote,キーワード,論点分類,相互リンク及び引用関係は,判決本文に含まれない付加情報である。著作物性は個別に判断されるが,判決本文が著作権の目的とならないことだけから,これらの付加情報も自由に利用できるとはいえない。
4 データベース全体の選択又は体系的構成
著作権法12条の2第1項は,情報の選択又は体系的な構成によって創作性を有するデータベースを著作物として保護する。同条2項は,その保護がデータベースを構成する個々の著作物の権利に影響しないことを定める。個々の判決本文の取扱いと,データベース全体又は実質的部分の取扱いは同じではない。
第3 日本の著作権法で確認する規定
1 著作権法13条
同条は裁判所の判決等を権利の目的から除外する規定である。ただし,判決書に引用された第三者の著作物,民間の付加情報又はデータベースの構成まで一律に権利の対象外とする規定ではない。
2 著作権法12条の2
判例データベースでは,収録対象,論点分類,検索項目,相互参照及び更新体系の組合せに創作性があるかが問題となり得る。保護範囲は具体的な選択又は体系的構成に応じて判断される。
3 著作権法30条の4
同条は,著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない場合に,必要と認められる限度で利用できるとし,情報解析を例示する。
他方で,著作物の種類及び用途並びに利用態様に照らし,著作権者の利益を不当に害する場合は除外される。したがって,「AI学習」又は「検索精度向上」という名称だけで結論は決まらない。
4 著作権法47条の5
同条は,電子計算機による情報検索,情報解析その他一定の情報処理の結果を提供する場合に,当該結果の提供に付随する軽微利用等を認める。RAGによる回答表示では,データベース構築時の複製と,利用者に原文又は要約を表示する行為を分け,表示量及び表示態様が同条の範囲に入るかを個別に確認する必要がある。
第4 利用行為を六つに分けること
1 閲覧及び検索
通常の画面閲覧又は個別検索が許されていても,機械的な連続取得まで許されるとは限らない。
2 ダウンロード,OCR及びローカル保存
PDFの保存,OCRによるテキスト化,キャッシュ及びバックアップは,それぞれ複製を伴い得る。取得元,ファイル,日時,担当者及び許された目的を記録する必要がある。
3 RAG及び埋込みベクトル化
RAGでは,原データの取得,チャンク化,埋込みベクトルの作成,ベクトルデータベースへの保存,検索,プロンプトへの挿入及び回答表示を分ける。回答に表示する原文量,出典リンク,キャッシュ期間及び削除方法も決める必要がある。
4 事前学習,追加学習及び評価
事前学習,追加学習,ファインチューニング,評価及び検証は目的も再利用可能性も異なる。モデル系列,後継版,委託先及び国外移転を含め,許される範囲を特定する必要がある。
5 回答,要約,引用及び公開
内部検索に用いることと,依頼者への回答,訴訟書面,ブログ記事又は外部サービスに原文を表示することは別の行為である。AIの回答だけを根拠にせず,判決本文及び法令の現行条文を確認する必要がある。
6 ログ,バックアップ及び契約終了後の残存物
原データを削除しても,埋込みベクトル,評価データ,プロンプトログ,生成ログ,バックアップ又は学習済みモデルが残ることがある。契約終了時の停止,削除,利用継続及び証明方法を事前に定める必要がある。
第5 著作権と利用規約・契約を分けること
1 著作権法上利用できることと契約上許されることは同じではない
著作権法上の権利制限規定が適用される可能性があっても,利用規約,ライセンス契約,アカウント契約及び技術的アクセス制御が定める取得方法又は利用範囲は別に確認する必要がある。契約違反と著作権侵害も同じではない。
2 契約で特定すべき事項
契約では,データ層,対象ファイル,取得経路,利用行為,モデル又はRAGシステム,利用者,委託先,保存期間,回答表示量,出典表示,監査,事故通知,削除及び終了後の利用を特定することが望ましい。
3 アクセス制御を回避しないこと
認証,件数制限,API制限又はダウンロード制限を技術的に回避して取得することは,単なる画面閲覧と異なる問題を生じさせる。取得の可否に疑義がある場合は,提供事業者に利用目的と方法を示して許諾範囲を確認すべきである。
第6 Ross Intelligence事件が示すこと
1 事案の概要
Thomson Reuters Enterprise Centre GmbH v. Ross Intelligence Inc.では,Westlawの判例本文そのものではなく,民間編集者が作成したheadnoteを基礎として作られた質問データが,競合法律検索サービスの訓練及び検証に利用された。
2 連邦地裁の判断
デラウェア連邦地裁は,令和7年2月11日,2,243件のheadnoteについて侵害を認め,競合サービスの開発目的,問題となった中間複製の性質及び既存又は潜在的な学習用データ市場等を考慮し,フェアユースを否定した。
3 射程及び上訴状況
同事件は,一般利用者向けに文章を生成する大規模言語モデルではなく,法律検索市場で競合する非生成型の検索サービスに関する米国法上の事案である。
第三巡回区は令和8年6月11日に口頭弁論を実施し,令和8年9月17日現在,公開記録上は判断待ちである。地裁判断を日本法の結論又は確定した一般原則として扱うことはできない。
第7 法律事務所で用いる実務手順
1 ソース台帳を作ること
台帳には,取得元URL,取得日,データ層,事件番号,文書名,一次資料又は再公開資料の別,認証の有無,著作権上の根拠,契約上の根拠,許される利用行為及び未確認事項を記録する。
2 利用可能行為表を作ること
各データ層について,閲覧,印刷,ダウンロード,OCR,ローカル保存,共有,RAG,埋込みベクトル化,追加学習,評価及び外部表示の可否を○,条件付き又は未確認で表示する。
3 回答時に一次資料へ戻ること
判例要旨又はAI回答は論点を見つける手掛かりとして用い,最終的な引用,判旨及び事件情報は判決本文で確認する。裁判所公式PDF,認証済み判例データベース又は記録謄写物のいずれを確認したかを区別する。
4 削除と証拠保全を両立させること
利用権限が終了したデータは削除対象を特定する一方,紛争又は監査に必要な取得記録,ハッシュ値,許諾記録及び削除証明は保存する。原文データと証拠保全用の利用記録を混同しない。
第8 国内裁判例及び判例秘書の確認範囲
1 裁判所ウェブサイト
令和8年9月17日までに確認した裁判所ウェブサイトの公開裁判例検索の範囲では,判例データベースを生成AI又はRAGに利用する場合の著作権と利用規約を直接判断した国内裁判例を確認できなかった。
ただし,裁判所ウェブサイトにはすべての裁判例が掲載されるわけではなく,検索結果は裁判例の不存在を意味しない。
2 判例秘書
本記事の作成時には,認証済み判例秘書による検索を実施していない。そのため,国内裁判例の有無及び射程は未確認である。
後日の検索では,検索日,検索欄,検索語,ヒット件数,重複除外,事件ID及び全文確認の有無を記録する必要がある。
第9 確認チェックリスト
①利用対象を判決本文,書誌情報,民間の要旨・解説・分類及びデータベース構成に分けたか。
②取得元が裁判所公式資料,認証済みデータベース,裁判記録の再公開又は二次資料のいずれかを記録したか。
③閲覧,取得,保存,RAG,学習,評価及び出力を分けたか。
④著作権法13条,12条の2,30条の4及び47条の5のどの規定を根拠とするか確認したか。
⑤利用規約,契約,アカウント区分,API条件及びアクセス制御を確認したか。
⑥委託先,クラウド,国外移転,ログ及びバックアップを確認したか。
⑦回答表示量,引用,出典リンク及び原資料確認の手順を定めたか。
⑧契約終了後の停止,削除,継続利用及び証明方法を定めたか。
⑨国内裁判例の検索範囲と未確認部分を明示したか。
第10 まとめ
判決本文が著作権の目的とならないことと,判例データベースを機械的に取得し,RAG又はAI学習に利用できることは同じではない。法律事務所は,データ層と利用行為を分け,著作権,契約,アクセス制御及び出力の各段階を確認する必要がある。
Ross地裁判決は,民間編集headnoteと判決本文を分離し,競合関係及び学習用データ市場を具体的に見る必要性を示す比較法上の手掛かりである。
ただし,米国法の非生成型法律検索サービスに関する上訴中の判断であり,日本法の結論ではない。
第11 出典
①e-Gov法令検索・著作権法12条の2,13条,30条の4及び47条の5
②文化審議会著作権分科会法制度小委員会「AIと著作権に関する考え方について」(令和6年3月15日)
③文化庁「AIと著作権に関するチェックリスト&ガイダンス」(令和6年7月31日)
④Thomson Reuters Enterprise Centre GmbH v. Ross Intelligence Inc., No. 1:20-cv-613-SB (D. Del. Feb. 11, 2025)(デラウェア連邦地裁公式PDF)
⑤U.S. Court of Appeals for the Third Circuit, List of All Oral Argument Files(事件番号25-2153)
⑥骨董通り法律事務所「判例要旨のAI学習はフェアユースではないと判断したRoss事件」(令和7年7月7日)
⑦生成AIの学習データ契約とクリエイターへの対価還元――著作権法30条の4との関係(AI作成)
⑧米国政府はAI学習を「合法」としたのか―OpenAI著作権訴訟と取得・学習・出力の違い(AI作成)