第1 特別受益の調査は見込効果の確認から始める
1 特別受益が変えるのは具体的相続分である
特別受益は,共同相続人の中に,被相続人から遺贈を受け,又は婚姻,養子縁組若しくは生計の資本として贈与を受けた者がいる場合に,その利益を具体的相続分の計算へ反映させる制度である。
相手方が生前に金銭を受け取ったという事実だけでは足りず,①被相続人から相手方への財産移転,②返還を予定しない贈与であること,③婚姻,養子縁組又は生計の資本のための給付であることを,候補ごとに区別して検討する必要がある。
遺贈及び贈与の価額がその相続人の相続分以上であっても,その相続人は遺産から追加取得できなくなるにとどまり,超過額を当然に返還するわけではない。
したがって,遺産がほとんど残っていない事件では,特別受益を認定させても遺産分割による回収額が増えないことがある。
2 調査費用と見込増加額を先に比べる
相手方の特別受益候補額に依頼者の法定相続分を乗じた額は,単純な事案における依頼者の取得増加額の概算となる。
例えば,相続人が子2人だけで,遺産5000万円,相手方への特別受益1000万円,他の調整要素がない場合,特別受益を考慮しない依頼者の取得額は2500万円であるのに対し,考慮後は3000万円となり,増加額は500万円である。
もっとも,超過特別受益,寄与分,持戻し免除,評価争い又は遺産の一部不存在がある場合には,この概算どおりにはならない。
初回検討では,①見込増加額,②証拠が残っている可能性,③金融機関等の実費,④弁護士が候補を整理する時間,⑤争点化による手続の長期化を一枚の表で比較するのが実務的である。
第2 遺産分割と遺留分の期限を混同しない
1 特別受益だけを独立訴訟で確定することはできない
最高裁判所第三小法廷平成7年3月7日判決(平成3年(オ)第252号,民集49巻3号893頁)は,特定財産が特別受益財産であることの確認を求める訴えを不適法とした。
最高裁判所第一小法廷平成12年2月24日判決(平成11年(受)第110号,民集54巻2号523頁)も,具体的相続分の価額又は割合の確認を求める訴えを不適法とした。
特別受益は,遺産分割の協議,調停若しくは審判,又は遺留分侵害額請求の計算の中で主張するのであり,特別受益だけを先に判決で確定する手順は採れない。
2 遺産分割には相続開始から10年の制限がある
民法904条の3により,相続開始から10年を経過した後の遺産分割では,原則として特別受益及び寄与分を具体的相続分へ反映しない。
相続開始から10年になる前に家庭裁判所へ遺産分割を請求した場合は例外であり,期間満了前6か月以内に請求できないやむを得ない事由があった場合にも,その事由が消滅してから6か月以内の申立てによる例外がある。
令和3年法律第24号の施行前に開始した相続では,相続開始から10年と令和5年4月1日から5年のいずれか遅い時までが申立期限となる。
仙台家庭裁判所の遺産分割調停手続Q&Aは,令和10年4月1日以降,相続開始から10年を経過した後に申し立てた調停では,特別受益及び寄与分の制度が適用されなくなると説明している。
当事者全員が合意して過去の贈与を分け方に反映させることは妨げられないが,合意できない事件では期限前の申立てが必要である。
3 遺留分には別の1年及び10年がある
遺留分を算定する基礎財産には,相続人が相続開始前10年間に受けた特別受益に当たる贈与が原則として算入されるが,これは遺産分割についての民法904条の3とは別の規律である。
遺留分侵害額請求権は,相続開始及び侵害する贈与又は遺贈があったことを知った時から1年間行使しないと時効により消滅し,相続開始から10年を経過したときも同様である。
裁判所の遺留分侵害額請求調停の案内が明記するように,調停を申し立てただけでは相手方への権利行使の意思表示にならないため,内容証明郵便等による通知を別に行う必要がある。
第3 調査する特別受益候補を絞る
1 優先順位が高い候補
不動産の贈与,住宅取得資金,事業資金,多額の一括送金,相手方債務の弁済及び高額資産の購入代金は,金額が大きく,登記又は金融記録が残りやすいため,優先して検討する候補である。
候補ごとに,①受益者,②移転日,③財産又は金額,④被相続人側の出所口座,⑤相手方側の入金先又は購入対象,⑥贈与と考える根拠,⑦生計の資本と考える根拠,⑧想定反論,⑨現存証拠,⑩追加取得する証拠を記載する。
この候補表を作る前に,家族内の全ての援助を時系列で作文すると,重要度の低い事実が増え,依頼者確認と書面修正の手間が大きくなる。
2 慎重に扱う候補
通常の学費,挙式費用,少額の生活援助及び贈答は,被相続人の資力,扶養関係,他の相続人への援助及び金額に照らし,通常の扶養又は儀礼の範囲かを先に確認する。
相続人の配偶者又は子が受け取った財産は,その名義だけで当該相続人の特別受益になるわけではなく,当該相続人への贈与と実質的に同じであることを示す具体的事情が必要である。
死亡保険金請求権は原則として受取人固有の権利であり,当然に特別受益となるものではない。
最高裁判所第二小法廷平成16年10月29日決定(平成16年(許)第11号,民集58巻7号1979頁)は,保険金額,遺産総額との比率,被相続人との関係及び各相続人の生活実態等を総合し,到底是認できないほど著しい不公平がある場合に限り,民法903条を類推適用するとした。
無償居住,土地使用,死亡退職金,遺族給付及び古い少額送金も,固有の法的性質又は評価問題があるため,金額と証拠の見込みが乏しければ初期調査の対象から外すのが合理的である。
3 生前贈与と預金の無断払戻しを分ける
被相続人の生前の出金について,相手方が贈与を受けたのであれば特別受益が問題となるが,相手方が無断で取得したのであれば不当利得又は不法行為等の問題となり得る。
相続開始後の払戻しは特別受益ではなく,遺産分割前に処分された財産についての民法906条の2又は別の金銭請求を検討する場面である。
出金記録だけを見て直ちに特別受益と決めず,誰が取得したか,贈与の意思があったか,使途が被相続人の生活費又は医療費ではないかを分けて確認する必要がある。
第4 証拠収集は負担の軽い順に進める
1 第1段階は手元資料と公開資料である
最初に確認する資料は,通帳,過去の取引明細,贈与契約書,売買契約書,金銭消費貸借契約書,領収証,住宅ローン資料,被相続人が保管していた確定申告書,固定資産税関係書類,手紙,メール及びメモである。
不動産の名義移転は登記事項証明書で確認し,購入資金の候補は売買時期と被相続人口座の出金時期を照合する。
依頼者の記憶だけで銀行へ全期間の照会をするのではなく,購入時期,結婚時期,開業時期等から対象期間を絞る。
2 被相続人名義口座は相続人から直接請求する
最高裁判所第一小法廷平成21年1月22日判決(平成19年(受)第1919号,民集63巻1号228頁)は,共同相続人の1人が,被相続人名義口座の取引経過開示請求権を単独で行使できるとした。
したがって,被相続人の取引金融機関が判明している場合,相続人本人による開示請求を先に検討し,弁護士会照会を当然の出発点とはしない。
金融機関ごとに保存期間,必要書類,手数料及び所要日数が異なるため,取得前に公式案内又は店舗で確認する必要がある。
| 公式案内の例 | 10年分を取得する場合の手数料例 | 公表された所要期間 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| 三井住友銀行の預金入出金取引証明 | 3万8500円 | 約1週間~10日 | 5年分5500円に,5年超の60か月分を1か月550円で加算した例である。 |
| みずほ銀行の相続預金取引明細証明 | 3万9600円 | 約2週間~3週間 | 1か月330円を120か月分取得する例である。 |
この実費に,資料の読込み,送金先の分類,依頼者への確認及び主張書面化の時間が加わるため,10年分を一律に取得する方法は費用対効果を欠くことがある。
3 取引金融機関が不明なときは口座照会の限界を理解する
預貯金口座付番制度に基づく相続時預貯金口座照会では,相続人1人が金融機関を窓口として,被相続人死亡後10年まで照会できる。
預金保険機構の案内によれば,手数料は1件5060円で,結果通知まで約1か月を要する。
もっとも,対象は被相続人が生前にマイナンバーを付番した口座に限られ,通知されるのも金融機関名,支店名,預貯金の種類及び口座番号等であり,残高及び取引履歴は含まれない。
この制度は未知の全口座を完全に発見する手段ではなく,付番済み口座の所在を確認した後,各金融機関へ別に取引履歴を請求するための入口である。
4 受贈者名義口座の取得は対象を絞ってから検討する
相手方又はその家族名義の口座情報は,被相続人名義口座と同じ方法で当然に取得できるものではない。
まず,被相続人口座の振込先表示,振込依頼書,不動産購入資料等から,金融機関,支店,口座,時期及び金額を可能な範囲で特定する。
その上で,相手方への任意提出の求め,家庭裁判所における調査嘱託等の申出又は弁護士会照会を検討するが,必要性,相当性及びプライバシーの観点から採否又は回答は保証されない。
対象を特定しないまま「相手方の全金融機関の全履歴」を取得することを前提とする事件処理は,通常の法律事務所の手順として現実的ではない。
5 調査を止める基準を決める
①民法904条の3の期限を過ぎ,例外もなく,相手方との合意も見込めない場合は,遺産分割の特別受益調査を広げない。
②候補額に依頼者の法定相続分を乗じた概算額が,履歴取得費,鑑定費及び追加の弁護士費用に見合わない場合は,対象を縮小する。
③出金時期,出金口座,取得者及び使途のいずれにも手掛かりがない場合は,探索的な全件照会を避ける。
④贈与の存在を示す資料が得られず,貸付け,費用償還又は被相続人自身の支出という反論を区別できない場合は,評価作業へ進まない。
⑤遺産がほとんどなく,超過特別受益の返還も求められないため,認定による取得増加が見込めない場合は,遺留分その他の請求の成否を別に検討する。
第5 計算と評価は贈与の存在を固めた後に行う
1 基本計算と超過特別受益
みなし相続財産は,相続開始時の遺産額に特別受益に当たる贈与額を加えた額である。
各相続人のみなし相続分額は,みなし相続財産に法定相続分又は指定相続分を乗じて算出する。
特別受益者の具体的相続分は,そのみなし相続分額から当該特別受益額を控除して算出し,控除後が0円未満となる場合でも原則として超過額の返還義務は生じない。
計算表には,遺産額,各候補額,評価基準日,各相続分,持戻し免除の有無及び寄与分の主張の有無を分けて記載する。
2 貨幣価値換算及び鑑定を早期に始めない
最高裁判所第一小法廷昭和51年3月18日判決(昭和49年(オ)第1134号,民集30巻2号111頁)は,金銭贈与を相続開始時の貨幣価値に換算して評価すべきものとした。
もっとも,送金の存在,受領者及び贈与の趣旨が争われている段階で,古い金銭の物価換算を精密に行っても,贈与自体が認定されなければ作業は無駄になる。
不動産についても,固定資産税評価額,相続税評価額,公示価額又は不動産業者の査定額等で争点の規模を把握し,価額の差が分割結果へ大きく影響し,当事者間で合意できない場合に鑑定を検討する。
生命保険金については,まず最高裁平成16年10月29日決定の特段の事情があるかを検討し,その入口を通過しない事件で複雑な持戻し額計算へ進む必要はない。
第6 主張書面は候補ごとの証拠対応表にする
1 一つの候補を一つの単位として書く
主張書面では,候補ごとに,①給付日,②給付財産又は金額,③被相続人側の出所,④受益者,⑤贈与である根拠,⑥生計の資本等に当たる根拠,⑦評価額,⑧裏付け資料,⑨想定反論への回答を記載する。
複数の少額出金をまとめて一つの多額贈与と主張するときは,なぜ一連の給付と評価できるのかを示し,単なる生活費又は費用精算を混在させない。
京都家庭裁判所の令和8年3月版申立書作成要領が特別受益目録の提出を求めていることも,一件ごとに対象,時期及び金額を整理する実務の参考となる。
2 相手方の反論を先回りして区別する
贈与ではなく貸付けであるとの反論に対しては,返済期限,利息,返済実績,催告及び帳簿処理の有無を確認する。
扶養又は通常の援助であるとの反論に対しては,被相続人の資力,給付額,給付目的,他の相続人への援助及び受益者の生活状況を比較する。
持戻し免除の意思表示があるとの反論に対しては,遺言,贈与時の言動,家業承継の目的,対価的事情及び他の相続人への給付を確認する。
婚姻期間20年以上の夫婦間で居住用の建物又は敷地が遺贈又は贈与された場合は,民法903条4項により持戻し免除の意思表示が推定されるため,最初から別枠で扱う。
相手方が寄与分を主張する場合は,特別受益との機械的な差引きではなく,寄与分を定める処分の申立ての有無,財産の維持又は増加への特別の寄与,生前給付との対価関係及び各金額を別々に検討する。
第7 受任時及び期日前の確認事項
①相続開始日,民法904条の3の期限及び経過措置を確認したか。
②遺留分を検討する場合,民法1048条の1年及び10年を確認し,調停申立てとは別に権利行使通知をしたか。
③現在の遺産額と依頼者の法定相続分から,特別受益認定による見込増加額を概算したか。
④候補を一件ごとの表にし,金額,時期,受益者,贈与性及び特別受益該当性を分けたか。
⑤被相続人名義口座は相続人による直接請求を先に検討し,対象期間を必要な範囲へ絞ったか。
⑥受贈者名義口座について,金融機関,支店,口座,期間及び立証趣旨を可能な限り特定したか。
⑦履歴取得費,名寄せ費,鑑定費及び追加作業時間を依頼者へ説明したか。
⑧贈与,貸付け,費用償還,無断取得及び被相続人自身の支出を区別したか。
⑨持戻し免除,婚姻20年以上の夫婦間の推定及び寄与分の反論を確認したか。
⑩取得増加が見込めない候補又は証拠の手掛かりがない候補について,調査を打ち切る判断をしたか。
第8 出典・参考資料
1 法令
① 民法(明治29年法律第89号)903条,904条,904条の2,904条の3,906条の2,1043条,1044条,1046条及び1048条
② 民法等の一部を改正する法律(令和3年法律第24号)附則3条(遺産の分割に関する経過措置)
2 裁判例
① 最高裁判所第三小法廷平成7年3月7日判決(平成3年(オ)第252号,民集49巻3号893頁)
② 最高裁判所第一小法廷平成12年2月24日判決(平成11年(受)第110号,民集54巻2号523頁)
③ 最高裁判所第二小法廷平成16年10月29日決定(平成16年(許)第11号,民集58巻7号1979頁)
④ 最高裁判所第一小法廷平成21年1月22日判決(平成19年(受)第1919号,民集63巻1号228頁)
⑤ 最高裁判所第一小法廷昭和51年3月18日判決(昭和49年(オ)第1134号,民集30巻2号111頁)
3 裁判所の手続資料
① 仙台家庭裁判所「家庭裁判所における遺産分割調停手続Q&A」