第1 結論と記事の対象
地震発生後にいったん職場から避難した労働者が,私物の携帯電話等を取りに職場へ戻り,ガス爆発に遭った場合,私物回収であったという一事だけで業務災害から除外されるわけではない。しかし,安全な場所まで避難した後,帰宅後の私生活のために私物だけを回収しようとして自主的に再入場したのであれば,通常は業務との関係が弱く,業務災害に当たらない方向へ働く。
判断は,①再入場した行為が使用者の支配下でされた業務又は業務に付随する行為といえるか,②それが肯定される場合に,ガス爆発が業務,作業環境又は事業場施設に伴う危険の現実化といえるかという二段階で行うのが分かりやすい。携帯電話が私物か会社所有物かという形式だけでなく,会社の指示,業務上の必要性,鍵返却等の併存目的,避難後の勤務状態,施設管理及び爆発原因を具体的に確認する必要がある。
本記事は,この類型の一般的な判断枠組みと証拠の確認順序を示すものであり,特定の事故についての結論を示すものではない。事故ごとの判断には,消防・警察・労働基準監督署の調査結果と,事故直前の指示及び行動を示す客観資料が必要である。
第2 業務災害の判断枠組み
1 業務遂行性と業務起因性
労働者災害補償保険法7条1項1号は,労働者の業務上の負傷,疾病,障害又は死亡を「業務災害」としている。裁判例及び行政実務では,「業務上」を具体化するため,労働者が労働契約に基づいて使用者の支配下にあったかという業務遂行性と,その支配下にあることに伴う危険が現実化したかという業務起因性を検討する。
最高裁平成28年7月8日第二小法廷判決は,業務災害に関する保険給付には,労働者が労働契約に基づいて事業主の支配下にある状態で災害が発生したことが必要であるとした。したがって,事故現場が職場内であったという場所的事情は重要であるが,いったん避難した後に何のために戻ったかを検討せず,職場内の事故であることだけで結論を出すことはできない。
2 避難と再入場は分けて考える
平成7年1月30日付け事務連絡第4号「兵庫県南部地震における業務上外等の考え方について」は,地震時の避難について,業務中に事業場施設に危険な事態が生じたための避難行為は業務に付随する行為であり,業務災害となるとしている。平成23年3月24日付け基労管発0324第1号・基労補発0324第2号も同じ考え方を示す。
もっとも,これらの通知は,危険から離れる避難行為を扱うものである。安全な場所まで避難した後の再入場は方向が逆であるため,再入場について,会社の指示,残務,鍵又は会社物品の管理,同僚の救護若しくは施設防護等の業務上の必要性があったかを改めて検討しなければならない。
3 再入場禁止マニュアル違反
再入場禁止マニュアルの存在は重要であるが,違反があれば直ちに労災保険が適用されないという規定はない。事故当日に誰がどのような指示を出したか,現場管理者が再入場を許可又は黙認したか,従業員がマニュアルを認識していたか,再入場の目的が業務であったかを確認する必要がある。
純粋な私用のため,明示の制止に反して危険な建物へ戻った場合は,業務から離れた私的又は恣意的行為と評価されやすい。他方,業務との関係が残る場合には,業務災害該当性と,労災保険法12条の2の2による故意又は重大な過失等の給付制限を区別する必要がある。単なる不注意又は規則違反が,同条の「重大な過失」に当然に当たるものではない。
第3 私物の携帯電話を取りに戻った目的の評価
1 純粋な私物回収は否定方向である
帰宅後の私生活に必要な携帯電話,財布又は自動車の鍵だけを回収する目的であり,会社からの指示又は許可がなく,業務を再開する予定もなかった場合,再入場は通常,私的行為と評価される。私物を職場に置いた経緯が会社の制度と無関係で,再入場をしなくても業務に支障がなかったことも否定方向の事情となる。
労働保険審査会平成28年労第457号裁決は,農作業に使う私物の器具等を実家へ取りに立ち寄ったとの主張について,会社への報告又は指示がなく,会社経費で器具を調達でき,私物を使う必要性も乏しかったことから,その立寄りを業務の一環としなかった。また,同年第526号裁決は,勤務時間外に私物の携帯電話へ業務照会が入るだけでは足りず,業務命令も,その時点で処理する必要性もないとして,業務による心理的負荷への算入を否定した。いずれも本件類型を直接判断した裁決ではないが,私物の業務利用を主張する場合に,会社の指示と客観的必要性が重視されることを示している。
2 私物であっても業務上必要な場合がある
携帯電話が私物であっても,会社が日常的に業務連絡端末として使わせていた,地震後の安否確認又は緊急連絡のため回収を求めた,会社の持込み禁止又はロッカー保管制度に従って職場に置かれていた,翌日の業務に必要な認証手段が入っていたなどの事情があれば,業務との関係は強くなる。
昭和35年7月20日基収第3615号は,作業後半に必要となる私物の眼鏡を忘れた労働者が,係員の許可を得て会社所有の自転車で工場の門まで受け取りに行く途中の事故を業務上としている。ここで重視されるのは所有者ではなく,その物が業務に必要であり,回収行為が会社の許可及び管理の下で行われたことである。
3 店舗の鍵返却等との混合目的
私物回収とともに,翌日の営業に必要な店舗の鍵を返す,会社所有物を所定の場所へ戻す,未了の退勤処理を行う又は会社の指示で施設を確認する目的があった場合は,私物回収だけの事案とは異なる。どの目的が主であったかだけでなく,各目的が客観資料で裏付けられるか,行動経路及び所要時間がその目的に対応しているかを検討する。
最高裁平成28年7月8日第二小法廷判決は,労働者が資料作成を中断して会社関係の歓送迎会に参加し,研修生を送りながら業務再開のため会社へ戻る途中の死亡事故を業務上とした。最高裁は,単なる復帰意思ではなく,上司の強い意向,翌日に期限が迫った業務,会社負担の行事,社用車,予定されていた研修生送迎及び経路を総合している。
岐阜地裁平成20年2月14日判決も,非番の労働者が夜勤者のため警備システムを解除し,会社が用意すべき夜食を買いに出た際の事故について,明示の命令がなくても,業務運営上の緊急性及び必要性があり,労働者として合理的に期待される行為であるとして業務遂行性を認めた。これらは地震後の再入場を扱った直接先例ではないが,明示の命令がない場合の判断要素を示す。
第4 地震とガス爆発の位置付け
1 地震であることは一律の除外理由ではない
平成7年事務連絡は,地震等の天災地変について予断を持って業務起因性を否定してはならず,作業方法,作業環境又は事業場施設の状況から危険環境下にあったため被災したと認められる場合は業務上とする考え方を示している。したがって,地震が発端であることだけを理由に「労災にはならない」と説明することは適切でない。
地震によりガス配管又は設備が損傷し,職場内に漏えいしたガスが爆発したのであれば,業務遂行性が認められる労働者との関係では,事業場施設又は作業環境の危険が地震を契機として現実化したと評価しやすい。労災保険の認定は会社の過失を要件としないため,設備管理上の過失が確定していないことだけで業務起因性が否定されるものでもない。
2 施設内にいたことだけでは足りない場合
神戸地裁昭和58年12月19日判決は,ホテル従業員が退勤せず会社施設内に残っていたため使用者の支配下にあること自体は認めたが,リフト搬出入口へ身を乗り出す業務上の必要性も,施設の欠陥も認められないとして業務起因性を否定した。避難後の再入場でも,危険な職場内で被災したという外形だけでなく,再入場目的と爆発危険との具体的な関係が問題となる。
他方,労働保険審査会平成29年労第79・80号裁決は,パン製造労働者が昼休みに会社の共同管理する屋外駐車場の自家用車内で休憩し,急性一酸化炭素中毒で死亡した事案について,車内休憩が自由な選択であった面を認めつつ,事業場の休憩環境,店長による駐車場所の指示,管理施設内の事故及び積雪という天災により被災しやすい事情を総合し,不支給処分を取り消した。ただし,同裁決は休憩中も管理施設内にとどまっていた事案であり,避難後に自主的に再入場した行為の業務遂行性まで肯定したものではない。
第5 関連裁判例・裁決例とその射程
1 主要な裁判例
| 裁判例 | 事実及び結論 | 本件類型への射程 |
|---|---|---|
| 最高裁平成28年7月8日第二小法廷判決,平成26年(行ヒ)第494号,集民253号47頁・判時2321号127頁・判タ1432号58頁・労判1145号6頁 | 業務を中断して会社関係行事へ参加し,研修生を送りながら業務再開のため帰社する途中の死亡事故を業務上とした | 職場から離れた後でも,会社の具体的関与,業務再開の必要及び一連の行動が裏付けられれば支配関係が続き得る。単なる復帰意思だけでは足りない |
| 岐阜地裁平成20年2月14日判決,平成18年(行ウ)第4号・平成19年(行ウ)第12号,判タ1272号169頁・労基広報714号24頁 | 非番日に夜勤者のため警備を解除し,会社が用意すべき夜食を買いに出た事故について,緊急性,必要性及び合理的期待を認めて業務上とした | 明示の命令がなくても業務となる場合があるが,会社運用と客観的必要性が必要である |
| 神戸地裁昭和58年12月19日判決,昭和57年(行ウ)第3号,判タ525号248頁・労判425号40頁,判例秘書L03850688 | 退勤せず施設内に残った従業員について支配下にあることは認めたが,事故時の業務上の理由及び施設欠陥がないとして業務起因性を否定した | 職場施設内にいたという事実だけでは足りない。裁判所HP未掲載であり,判例秘書プラスの判文で確認した |
2 厚生労働省公開裁決例の全件確認
厚生労働省「労働保険審査会裁決事案一覧」に掲載された平成26年1月から令和2年7月までの「業務上外」裁決要旨PDFを本記事で集計すると1,906件であり,全件の本文を対象に,地震,天災,私物,携帯電話,職場への戻り,業務遂行性,ガス及び爆発に関する語を検索した。その範囲では,地震後にいったん避難し,私物を取りに職場へ戻ってガス爆発に遭ったという直接同型の裁決例は確認できなかった。
もっとも,同ページの掲載期間は限定されており,公開されているのは「裁決を行った事案の要旨」である。各PDFには「審査資料(略)」「事実認定(略)」等の省略もあるため,1,906件という確認範囲は,公表された裁決要旨に限られる。同期間外又は非公表の裁決例が存在しないという意味ではない。
| 裁決例 | 判断 | 本件類型への射程 |
|---|---|---|
| 労働保険審査会平成29年労第79・80号,取消し | 管理施設,休憩環境,店長の指示及び積雪を総合し,自家用車内の一酸化炭素中毒死の業務起因性を否定し得ないとした | 私的選択が介在しても,会社の施設管理と天災で高まった危険が重要となる。ただし,避難後の再入場事案ではない |
| 労働保険審査会平成28年労第457号,棄却 | 私物の農具等を取りに実家へ立ち寄った行為について,会社への報告・指示と私物利用の必要性がないとして業務性を否定した | 純粋な私物回収を否定方向に評価する類推資料となる |
| 労働保険審査会平成28年労第526号,棄却 | 私物携帯に時間外の業務照会が入るだけでは,業務命令及び即時処理の必要性がないとして業務による心理的負荷への算入を否定した | 私物携帯が業務連絡にも使われていたという一事だけでは足りない |
第6 個別事案で優先して確認する証拠
1 労働者・遺族側の初期確認
最初に,費用と時間の負担が小さく,消去又は上書きのおそれがある資料から確認する。具体的には,①地震発生から爆発までの通話履歴,SMS,業務チャット及び無線記録,②シフト,タイムカード,退勤処理及び翌日の担当,③携帯電話の業務利用状況,④店舗鍵の本数,保管者,返却場所及び翌日の営業への必要性,⑤避難時及び再入場時の管理者の発言,⑥マニュアル本文,周知方法及び事故当日の実際の運用である。
次に,防犯カメラ,入退館ログ,機械警備の解除記録,会社が事故直後に作成した報告書及び関係者の初期供述について,保有者と保存期間を確認し,必要であれば速やかに保存を求める。これらは会社,建物管理者,警備会社等が保有している可能性があり,遺族が当然に取得できるとは限らないため,まず存在と保存状況を確認するのが現実的である。
2 会社側の調査と保存
会社側は,業務災害に当たるかを独自に確定するのではなく,事故当日の指示系統,避難確認,再入場管理,鍵管理,携帯電話の利用ルール及び実際の運用を分けて調査する必要がある。従業員の説明が異なる場合は,結論に合わせて供述を選別せず,聴取日時,質問及び回答を保存し,客観資料との対応を明らかにする。
防犯映像,入退館ログ,チャット,電子メール,災害対策本部の記録,設備点検記録及び事故報告は,通常の保存期間が短いものから保全する。再入場禁止マニュアルだけでなく,現場管理者が私物回収又は鍵返却を許可していたか,他の従業員にも同じ運用がされたかを確認しなければ,実際の支配・管理関係を評価できない。
3 ガス爆発との因果関係
業務遂行性が肯定されても,死亡又は負傷がガス爆発によるものか,ガスがどこからどのように漏えいしたかを確認する必要がある。消防・警察の現場見取図及び原因調査,ガス配管図,設備点検・修理記録,警報器及び換気設備の記録,店舗と共用部分の占有管理区分,同時被災者の状況並びに診療録又は死体検案書が中心となる。
鑑定又は専門家意見は,これらの既存資料を集めてもなお,漏えい源,爆発時刻又は被災位置が結論を左右する形で争われる場合に検討する。公的調査と設備記録で必要な事実が分かる場合に,初めから高額な独自鑑定を行う必要はない。
第7 労災請求の進め方
1 会社が否定しても請求はできる
労災保険給付を認定するのは会社ではなく,労働基準監督署長である。厚生労働省「労働災害が発生したとき」は,被災労働者又は遺族が請求書を提出し,労働基準監督署が必要な調査を行う手続を案内している。会社が「労災ではない」と考えていることだけで,請求権が失われるものではない。
宮城労働局「労災保険の手続(事業主用)」は,業務災害又は通勤災害の請求は被災労働者若しくは遺族が行うとし,事業主が業務上の理由によるものと考えられない場合等には,事業主証明欄が空欄でも差し支えなく,労働基準監督署がその理由を照会すると説明している。請求時には,会社の結論だけを争うのではなく,再入場目的,指示,携帯電話及び鍵の利用実態,事故時系列並びに施設危険を示す資料を整理することが重要である。
2 不支給決定後の期限
不支給決定に不服がある場合は,労働者災害補償保険審査官への審査請求を検討する。厚生労働省「労災保険審査請求制度」によれば,審査請求は,決定があったことを知った日の翌日から起算して3か月以内に行う必要がある。再審査請求又は取消訴訟へ進む可能性がある事案では,原処分段階から,争点と証拠の対応を記録しておく必要がある。
3 追加調査へ進む基準
低負担の資料確認により,会社の指示,業務上必要な鍵返却,携帯電話の業務利用又は避難後の勤務継続を示す手掛かりが得られた場合は,映像・ログの取得,関係者聴取及び施設調査へ進む合理性がある。反対に,純粋な私物回収だけであったこと,具体的に再入場を制止されたこと及び業務再開の予定がなかったことが客観資料で一致し,追加資料を得ても判断が変わらない場合は,高負担の調査を続ける実益は小さい。
もっとも,死亡事故又は重大事故では,事故原因と行動目的の初期資料が失われる前に保存措置をとる必要がある。停止判断は,資料がないことと,調べれば存在し得る資料を確認していないことを区別した上で行うべきである。
第8 事実関係別の評価
| 想定される事実関係 | 評価の方向 | 主な理由 |
|---|---|---|
| 店長等から鍵返却,安否確認,設備確認又は業務用端末の回収を求められ,その目的に沿って再入場した | 業務災害を肯定する方向が強い | 使用者の指示,事業運営上の必要性及び施設危険の現実化を認めやすい |
| 私物携帯の回収と店舗鍵の返却が併存し,会社が携帯を業務連絡に常用させ,保管方法も定めていた | 中間領域 | 私的利益だけでなく業務目的と会社管理がある。主目的,指示,必要性及び経路を総合する |
| 帰宅後の私生活のため私物だけを回収し,業務再開の予定がなく,明示の再入場禁止又は現場の制止に反して戻った | 業務災害を否定する方向が強い | 退避により業務関係が切れ,再入場が私的又は恣意的行為と評価されやすい |
最終的な分岐点は,「職場に戻った」又は「私物を取りに戻った」という短い説明ではなく,誰のために何を完了する行為であったか,会社がその行為をどこまで指示又は管理していたか,その行為によって職場の爆発危険にさらされたといえるかである。
第9 出典・参考資料
1 法令・行政資料
② 厚生労働省・平成7年1月30日付け事務連絡第4号「兵庫県南部地震における業務上外等の考え方について」
③ 厚生労働省・平成23年3月24日付け基労管発0324第1号・基労補発0324第2号「東北地方太平洋沖地震に係る業務上外の判断等について」
④ 厚生労働省「労働保険審査会裁決事案一覧」及び同ページ掲載の平成29年労第79・80号,平成28年労第457号,同年第526号の各裁決要旨
⑤ 厚生労働省「労働災害が発生したとき」,同省「労災保険審査請求制度」及び宮城労働局「労災保険の手続(事業主用)」
2 裁判例
① 最高裁平成28年7月8日第二小法廷判決,平成26年(行ヒ)第494号,集民253号47頁・判例時報2321号127頁・判例タイムズ1432号58頁・労働判例1145号6頁,裁判所HP判決全文
② 岐阜地裁平成20年2月14日判決,平成18年(行ウ)第4号・平成19年(行ウ)第12号,判例タイムズ1272号169頁・労働基準広報714号24頁,裁判所HP判決全文
③ 神戸地裁昭和58年12月19日判決,昭和57年(行ウ)第3号,判例タイムズ525号248頁・労働判例425号40頁,判例秘書L03850688(裁判所HP未掲載)
3 文献
① 労務行政編『改訂8版 労災保険法解釈総覧』労務行政,2013年,189頁,190頁~191頁,222頁~224頁及び422頁~423頁
② 厚生労働省労働基準局労災管理課編『八訂新版 労働者災害補償保険法』労務行政,2022年
③ 荒木尚志・安西愈・野川忍編『論点体系 判例労働法〈第2版〉4 人事・労災補償・安全衛生』第一法規,2024年