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ポツダム宣言第10項と東京裁判――戦争犯罪人処罰条項の法的意味(AI作成)

第1 この記事の結論と射程

1 第10項は東京裁判の設置文書に引用されている

ポツダム宣言第10項は,「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ」と定める降伏条件である。この条項は,1946年1月19日に連合国最高司令官マッカーサーが極東国際軍事裁判所条例(以下「東京裁判所条例」という。)を制定した際の特別宣言の前文に明示的に引用されており,東京裁判(極東国際軍事裁判)の設置根拠の一つとして法的に接続されている。もっとも,第10項の文言は「戦争犯罪人」の処罰を述べるにとどまり,東京裁判所条例が定めた管轄犯罪のうち「平和に対する罪」を明示していない。この文言上の隙間をどう埋めるかが,東京裁判の法的正統性をめぐる議論の出発点になる。

本記事では,ポツダム宣言第10項の英語原文・日本語訳から説き起こし,①東京裁判所条例の前文がどのように第10項を引用したか,②東京裁判所自身が判決の中で管轄権の根拠をどう説明したか,③パル判事(インド代表)の反対意見がどの論拠で多数意見を批判したか,④「人道に対する罪」が実際の起訴・認定でどう扱われたか,⑤日本国内でサンフランシスコ平和条約第11条による「裁判の受諾」がどう解釈されてきたか,⑥最高裁判所がポツダム宣言・平和条約に基づく国内法秩序をどう位置づけてきたかを,一次資料に基づいて順に確認する。

2 この記事が扱わない事項

本記事は,第10項及び東京裁判の法的構造を条文・判決・公文書に基づいて整理するものであり,A級戦犯の靖国神社合祀や公式参拝の当否といった政治的な当否の判断には立ち入らない。また,南京事件をはじめとする個別の戦争犯罪の事実認定,戦後補償訴訟における個別の請求の当否も対象としない。パル反対意見をめぐる日本国内の思想的な受容史(いわゆる「パール判決論争」)についても,法的な論点整理に必要な限度でのみ触れる。

第2 ポツダム宣言第10項の文言と東京裁判への接続

1 第10項の英語原文と日本語訳

ポツダム宣言第10項の英語原文は,次のとおりである。

“We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.”

日本語訳は,国立国会図書館「日本国憲法の誕生」掲載のポツダム宣言(出典は外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻,1966年刊)によれば,次のとおりである。

「十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」

第10項の文言は,日本人を民族又は国民として奴隷化・滅亡させる意図はないと断った上で,捕虜虐待を含む「戦争犯罪人」に厳重な処罰を科すとするものである。文言上明らかなのは,捕虜虐待者が「一切の戦争犯罪人」に含まれるという点であり,「戦争犯罪人」の範囲自体は定義されていない。このため,後に東京裁判所条例第5条が定めた「平和に対する罪」,「通例の戦争犯罪」及び「人道に対する罪」のどこまでを第10項が含むかは,その文言だけでは確定できない。少なくとも,開戦行為そのものを処罰する「平和に対する罪」は明示されていない。

2 東京裁判所条例の前文が第10項を引用する構造

東京裁判所条例は,1946年1月19日,連合国最高司令官マッカーサーの特別宣言によって制定された。同宣言の前文(Whereas条項)は,ポツダム宣言・降伏文書・モスクワ会議(1945年12月26日)の三つの文書を根拠として引用しており,第10項はその第一に位置づけられている。

“WHEREAS, the Governments of the Allied Powers at war with Japan on the 26th of July 1945 at Potsdam, declared as one of the terms of surrender that stern justice shall be meted out to all war criminals including those who have visited cruelties upon our prisoners; WHEREAS, by the Instrument of Surrender of Japan executed at Tokyo Bay, Japan, on the 2nd September 1945, the signatories for Japan, by command of and in behalf of the Emperor and the Japanese Government accepted the terms set forth in such Declaration at Potsdam; WHEREAS, the Governments of the United States, Great Britain and Russia at the Moscow Conference, 26th December 1945, having considered the effectuation by Japan of the Terms of Surrender, with the concurrence of China have agreed that the Supreme Commander shall issue all Orders for the implementation of the Terms of Surrender.”

この前文は,①ポツダム宣言第10項が戦争犯罪人の厳重処罰を降伏条件の一つとしたこと,②日本が降伏文書(1945年9月2日,東京湾)によってこの条項を受諾したこと,③モスクワ会議での米英ソ三国の合意(中国も同意)により連合国最高司令官が降伏条項実施のための命令を発する権限を与えられたこと,の三段階を根拠として東京裁判所条例の制定権限を基礎づける。東京裁判所条例第1条は,この権限に基づき「極東における主要戦争犯罪人の公正かつ迅速な裁判及び処罰のため,ここに極東国際軍事裁判所を設置する」と定める。

なお,前文にはカイロ宣言(1943年)への直接の言及はない。カイロ宣言は,ポツダム宣言第8項が「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク」と定めることを介して間接的に組み込まれる構造になっており,この点はポツダム宣言第8項の意味で扱った領土条項の場合と同様である。

3 東京裁判所条例第5条が定める管轄犯罪と第10項の文言の乖離

東京裁判所条例第5条は,裁判所の管轄犯罪を次の3類型に区分する。以下の引用は,1946年1月19日の制定時の文言である。

Article 5: “The Tribunal shall have the power to try and punish Far Eastern war criminals who as individuals or as members of organizations are charged with offenses which include Crimes against Peace.” (a) Crimes against Peace: “the planning, preparation, initiation or waging of a declared or undeclared war of aggression, or a war in violation of international law, treaties, agreements or assurances, or participation in a common plan or conspiracy for the accomplishment of any of the foregoing” (b) Conventional War Crimes: “violations of the laws or customs of war” (c) Crimes against Humanity: “murder, extermination, enslavement, deportation, and other inhumane acts committed against any civilian population, before or during the war…”

第10項の文言から明確に読み取れるのは,少なくとも捕虜虐待に代表される(b)の「通例の戦争犯罪」が「戦争犯罪人」の処罰に含まれるという点である。しかし,第10項は「戦争犯罪人」の範囲を定義しておらず,条例第5条が明記した(a)の「平和に対する罪」及び(c)の「人道に対する罪」を明示していない。このうち,侵略戦争の計画・準備・開始・遂行を独立の犯罪とする(a)と第10項との関係が,第3及び第4で扱う法的論争の中心となった。

4 1946年4月26日の条例改正――パル判事任命の背景

東京裁判所条例は,1946年4月26日に一部改正されている。米国務省の公式条約集(TIAS 1589)で改正前後の全文を対照すると,実質的な変更は第2条,第4条,第5条(c),第9条及び第15条に及ぶ。具体的には,①判事定数を「5名以上9名以下」から「6名以上11名以下」に拡大し,判事候補者の指名権者に降伏文書署名国に加えてインド及びフィリピン・コモンウェルスを追加した第2条,②6名の判事がいれば正式に開廷できる旨及び判事欠席後の取扱いを追加した第4条,③「人道に対する罪」の定義から「against any civilian population」という句を削除した第5条(c),④被告人の言語,弁護人及び防御活動に関する規定を再編し,被告人本人又は弁護人のいずれか一方が防御を行うものとした上で,弁護人のいない被告人が公開法廷で選任を求めた場合は裁判所が弁護人を選任し,請求がない場合も公正な裁判のため必要と判断すれば選任できるとした第9条,⑤弁護人が付いている被告人の冒頭陳述,証人尋問及び最終弁論を弁護人によるものとした第15条である。この改正によって,インド代表のラダビノード・パル判事及びフィリピン代表のデルフィン・ハラニーリャ判事の任命が可能になった。

5 伝聞資料の採用と被告人の防御権

ポツダム宣言第10項は,証拠の採用基準や証人尋問の方法を定めていない。東京裁判の証拠手続を確認するには,同項の処罰要求と,これを具体化した東京裁判所条例の規定を区別する必要がある。

1946年4月26日改正後の東京裁判所条例第13条(a)は,裁判所が技術的な証拠法則に拘束されず,証明価値があると認める証拠を採用するものとした。同条(c)は,政府機関の文書,医師や調査担当者等の報告書,宣誓供述書その他の署名された供述書,日記・書簡等を採用できる資料として列挙し,原本を直ちに利用できない場合には写し等も認めていた。したがって,法廷外の供述を内容とする資料を,伝聞であるという理由だけで一律に排除する仕組みではなかった。以上は条文の要約であり,公定訳の引用ではない。

もっとも,第13条(b)は証拠と争点との関連性を判断するため,提出前にその性質の説明を求め得るとし,第15条(d)は証拠の採否を裁判所が決定すると定めていた。また,第13条(d)が証明を不要とした事項のうち,政府の公文書・報告書について明記されているのは,その真正である。これを,公文書に書かれた内容をすべて真実とみなす規定と読むことはできない。証拠として取り調べることと,その記載をどの程度信用して事実認定に用いるかは区別される。

防御側については,第9条(d)・(e)が,裁判所の定める合理的な制限の下で証人を尋問する権利と,証人又は文書の取寄せを申し立てる手続を定めていた。取寄せの申立てには,所在,立証しようとする事実及び防御との関連性の記載が必要であり,申立てが当然に認められる仕組みではなかった。第15条(e)も,訴追側と被告人側による証人等の尋問を予定していた。ただし,これらの規定があることから,採用されたすべての供述書について作成者への反対尋問が実現したとまではいえない。個々の資料の採否,異議への判断及び反対尋問の実施は,公判記録と証拠を確認して検討すべき事項である。

第3 東京裁判所自身は管轄権の根拠をどう説明したか

1 判決「法」の章の理由づけ

東京裁判所は,1948年11月の判決(「法」の章)において,管轄権の直接の法源を東京裁判所条例に求めた。

“In our opinion the law of the Charter is decisive and binding on the Tribunal. This is a special tribunal set up by the Supreme Commander under authority conferred on him by the Allied Powers. It derives its jurisdiction from the Charter. In this trial its members have no jurisdiction except such as is to be found in the Charter.”

もっとも,同判決は,条例に無制限の効力を認めるものではないとも限定している。

“The foregoing expression of opinion is not to be taken as supporting the view…that the Allied Powers or any victor nations have the right under international law…to enact or promulgate laws or vest in their tribunals powers in conflict with recognised international law or rules or principles thereof. …belligerent powers may act only within the limits of international law.”

弁護側は7項目にわたる管轄権抗弁を提出したが,東京裁判所は,条例の法が裁判所を拘束するという理由でこれらを形式的に排斥した上で,問題の重要性に鑑みて理由を付すとした。

2 「平和に対する罪」はポツダム宣言以前から存在したという立場

「平和に対する罪」の実体的な正当化について,東京裁判所は独自の理由づけをほとんど展開せず,先行する1946年のニュルンベルク国際軍事裁判所判決の理由づけへの「無条件の同調」という形をとった。

“With the foregoing opinions of the Nuremberg Tribunal and the reasoning by which they are reached this Tribunal is in complete accord. …In view of the fact that in all material respects the Charters of this Tribunal and the Nuremberg Tribunal are identical, this Tribunal prefers to express its unqualified adherence to the relevant opinions of the Nuremberg Tribunal rather than by reasoning the matters anew…”

引用されたニュルンベルク判決の理由づけは,1928年の不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)による戦争放棄が,侵略戦争の違法化とその計画・遂行者の犯罪化を必然的に含むという構成をとる。

“After the signing of the pact any nation resorting to war as an instrument of national policy breaks the pact. In the opinion of the Tribunal, the solemn renunciation of war as an instrument of national policy necessarily involves the proposition that such a war is illegal in international law; and that those who plan and wage such a war, with its inevitable and terrible consequences, are committing a crime in so doing.”

この理由づけを前提に,東京裁判所は,第10項の文言に限定して条例を解釈すべきだとする弁護側の主張を退け,侵略戦争の可罰性はポツダム宣言に先立って既に存在していたと結論づけた。

“Aggressive war was a crime at international law long prior to the date of the Declaration of Potsdam, and there is no ground for the limited interpretation of the Charter which the defence seek to give it.”

すなわち東京裁判所の立場は,第10項の文言をそのまま管轄犯罪の限界とは見ず,「平和に対する罪」の可罰性を条約前史(1928年不戦条約以降の国家実行)に求めることで,文言上の乖離を埋めるものであった。この点について,大森正仁編著『入門 国際法』(法律文化社,2024年)220頁も,「平和に対する罪」の第二次世界大戦後における適用が事後法による遡及処罰ではないかという根強い批判に対し,ニュルンベルク判決が不戦条約の戦争放棄を根拠に正当性を論じたことを紹介している。

第4 パル判事の反対意見――何を,どの論拠で否定したか

1 時間的管轄を1945年9月2日の降伏までの戦争に限定する論拠

パル判事は,反対意見書(Dissentient Judgment of Justice Pal)において,通例の戦争犯罪については管轄権を肯定しつつ,管轄の時間的範囲を1945年9月2日の降伏に至った戦争に限定すべきだと主張した。

“The first substantial objection relating to the jurisdiction of the Tribunal is that the crimes triable by this Tribunal must be limited to those committed in or in connection with the war which ended in the surrender on 2 September, 1945. In my judgment this objection must be sustained. It is preposterous to think that defeat in a war should subject the defeated nation and its nationals to trial for all the delinquencies of their entire existence.”

この立場に立てば,満州事変(1931年)等,1945年の降伏に直結しない過去の軍事行動に関する訴因は,全面的な共同謀議(訴因1)が立証されない限り管轄外になる。

2 合衆国憲法の事後法禁止規定を介した主権論

パル判事の事後法論(nullum crimen sine lege)は,罪刑法定主義一般論にとどまらず,マッカーサーの立法権限の由来を問う独自の主権論として展開されている。

“It was urged on behalf of the defendants that a fundamental principle of all law—international and domestic—is that there can be no punishment of crime without a pre-existing law. Nullum crimen sine lege, nulla poena sine lege.” “…I am not quite sure if the Constitution of the U.S.A., in its Article 1 Sections 9 and 10 providing that ‘no ex post facto law shall be passed’ by the Congress and ‘no state shall…pass any ex post facto law’, did not limit its sovereignty itself in this respect. The author of the Charter in the case before us derived his authority at least in part from the U.S.A., and, so far as his power of legislation is concerned, it may be subject to this limitation…”

すなわちパルは,マッカーサーの立法権限が合衆国から一部由来する以上,合衆国憲法自体が禁じる事後法制定を,その委任を受けたマッカーサーが行いうるのかという構成で,弁護側の事後法論を補強した。この反対意見書は法廷で朗読も公表もされず,占領終了・平和条約発効後の1952年に公表されている。

第5 「人道に対する罪」は実際どう扱われたか

1 起訴状の訴因構成

東京裁判の起訴状は55の訴因から成るが,「人道に対する罪」を独立させる訴因群は存在しない。起訴状は3グループに分かれ,「平和に対する罪」を扱う第一グループ(訴因1~36)に対し,「通例の戦争犯罪」と「人道に対する罪」は第三グループ(訴因53~55)として一体で起訴されている。

“Group Three” introductory text: “The following Counts charge conventional War Crimes and Crimes against Humanity, being acts for which it is charged that the persons named and each of them are individually responsible, in accordance with Article 5 and particularly Article 5 (b) and (c) of the Charter…”

2 判決の認定

判決(Chapter IX)は,55訴因のうち認定対象を10訴因(1,27,29,31,32,33,35,36,54,55)に絞り込んだ。人道に対する罪を含みうる訴因54・55についても,判決文は「人道に対する罪」の語を用いず,もっぱら「戦争の法規」(laws of War)の枠組みで認定している。

“Count 54 charges ordering, authorising and permitting the commission of Conventional War Crimes. Count 55 charges failure to take adequate steps to secure the observance and prevent breaches of conventions and laws of war in respect of prisoners of war and civilian internees. We find that there have been cases in which crimes under both these Counts have been proved.”

このように,東京裁判では「人道に対する罪」だけを独立の理由とする有罪認定は行われなかった。これは,(c)の独立した適用範囲が実際の判決では限定的であったことを示すが,第10項が(c)を明示していないという文言上の問題まで解消するものではない。東京裁判所の管轄権論で中心的に争われた乖離は,(a)「平和に対する罪」を第10項が明示していない点である。

第6 捕虜虐待者処罰とBC級戦犯裁判

1 第10項は裁判所及び犯罪類型を指定していない

ポツダム宣言第10項は,「俘虜ヲ虐待セル者」を戦争犯罪人の例として明示している。
しかし,同項は,戦争犯罪人を東京裁判で裁くのか,各連合国の軍事法廷で裁くのかを定めておらず,後に用いられたA級・B級・C級という犯罪類型も明示していない。

したがって,第10項から東京裁判だけが予定されていたと解することはできない。

2 東京裁判と各連合国の戦争犯罪法廷の役割

東京裁判と,横浜軍事法廷を含む各連合国の戦争犯罪法廷は,次のような相対的な役割分担をしていた。

東京裁判と各連合国戦争犯罪法廷の比較
比較項目東京裁判横浜軍事法廷等の各連合国戦争犯罪法廷
設置・運営主体連合国最高司令官が特別宣言及び東京裁判所条例により設置した極東国際軍事裁判所米国,英国,オーストラリア,中国,オランダ,フランス,フィリピン等が各国の軍事法廷その他の手続により運営
主な被告人戦争指導に関与した政治・軍事上の主要指導者捕虜収容所関係者,現地軍の指揮官・隊員,憲兵,軍医その他の個別行為に関与した者
主な犯罪類型平和に対する罪,通例の戦争犯罪,人道に対する罪通例の戦争犯罪,捕虜虐待,殺害,暴行,食糧・医療の不提供その他の戦争法規違反
捕虜虐待との関係東京裁判でも捕虜及び抑留者の取扱いが訴因・立証の対象となった。横浜軍事法廷をはじめ,捕虜虐待を中心的な訴因とする事件が多数扱われた。
記録の所在国立国会図書館,米国立公文書館その他に裁判記録が所蔵される。外務省外交史料館,米国立公文書館及び各裁判国の公文書館等に記録が分散している。

この表は,東京裁判が捕虜虐待を扱わなかったこと,又は各連合国法廷が下位の軍人だけを裁いたことを意味しない。
東京裁判の訴追側資料には捕虜及び抑留者の取扱いに関する総括及び付属資料が含まれており,東京裁判でも通例の戦争犯罪に関する責任が審理された。

他方,米国立公文書館の解説によれば,横浜で行われた裁判の多くは,飢餓,殴打及び放置等の捕虜虐待を扱っていた。
したがって,東京裁判を戦争指導者の組織的・上位責任を中心に審理した法廷,各連合国法廷を個別の戦争法規違反及び捕虜虐待をより直接的に審理した法廷として,相対的な役割の違いを捉えるのが適切である。

3 A級・B級・C級は刑の重さ又は人物の序列ではない

一般にA級と呼ばれる類型は平和に対する罪,B級は通例の戦争犯罪,C級は人道に対する罪に対応する。
これらは犯罪類型の区分であり,A級がB級又はC級より常に重いという刑罰上の等級又は被告人の地位の序列ではない。

また,一人の被告人について複数の犯罪類型が問題となり得るため,「東京裁判はA級だけ,それ以外の法廷はB級・C級だけ」と完全に分ける説明も正確ではない。

4 平和条約第11条は双方の裁判を対象とした

サンフランシスコ平和条約11条は,日本国が極東国際軍事裁判所及び日本国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾することを定めた。
同条は東京裁判だけでなく,各連合国の戦争犯罪法廷の裁判も対象としている。

したがって,ポツダム宣言第10項による処罰要求は,東京裁判及び各連合国法廷による裁判を経て,平和条約11条により戦後の日本国の条約上の義務へ接続したと整理できる。
もっとも,平和条約11条は,日本の裁判所が各事件について新たに有罪・無罪を審理する制度を設けた条項ではないため,同条の「裁判」の意味及び刑の執行・赦免等の取扱いについては,次節で扱う政府答弁及び裁判例と併せて理解する必要がある。

第7 日本国内での受諾――平和条約第11条の解釈をめぐる政府見解の推移

1 サンフランシスコ平和条約第11条の文言

日本国との平和条約第11条は,次のとおり定める。

「第十一条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」

日本国との平和条約の締結について国会の承認を求める議案が審議されていた1951年10月26日,参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において,西村熊雄・外務省条約局長は次のとおり説明した。

「第十一條は戰犯に関する規定でございます。……一体平和條約に戰犯に関する條項が入りません場合には、当然各交戰国の軍事裁判所の下した判決は将来に対して効力を失うし、又判決を待たないで裁判所が係属中のものは爾後これを釈放する、又新たに戰犯の裁判をするということは許されないというのが国際法の原則でございます。併しこの国際法の原則は、平和條約に特別の規定がある場合にはこの限りにあらずということでございます。」

2 「判決を受諾」か「裁判を受諾」か――政府答弁の推移

平和条約第11条の「裁判を受諾」の意味については,1951年の国会答弁と1986年の国会答弁との間に文言上の違いが生じ,衆議院議員野田佳彦が2006年6月6日に提出した質問主意書がこれを取り上げた。同主意書は,1951年の西村熊雄条約局長及び大橋武夫法務総裁の答弁と,1986年の後藤田正晴内閣官房長官の答弁とを対比する。

「昭和二十六年に西村熊雄外務省条約局長が『日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を受諾いたすということになつております』と答弁し、大橋武夫法務総裁は『裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考える』と答弁しているのに対し、昭和六十一年に後藤田正晴官房長官は『裁判を受け入れた』という見解を表している。」

同主意書は,さらに,平和条約の正文の一つであるフランス語文言(”Le Japon accepte les jugements prononcés par le Tribunal Militaire International pour l’Extrême-Orient”)を挙げ,日本が受諾したのは「裁判」ではなく「諸判決」と解釈すべきではないかと問うた。

3 2006年の政府答弁書による整理

これに対する2006年6月16日付の政府答弁書(内閣衆質一六四第三〇八号,小泉純一郎内閣総理大臣名)は,次のとおり回答した。

「極東国際軍事裁判所の裁判については、法的な諸問題に関して種々の議論があることは承知しているが、我が国は、日本国との平和条約……第十一条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している。御指摘の答弁はいずれも、この趣旨を述べたものであり、その意味において相違はない。」

「極東国際軍事裁判所において、ウェッブ裁判長は、judgmentを英語で読み上げた。我が国は、平和条約第十一条により、このjudgmentを受諾しており、仏語文の平和条約第十一条も同じ意味と解される。なお、judgmentに裁判との語を当てることに何ら問題はない。」

政府の立場は,「判決を受諾」(1951年)と「裁判を受諾」(1986年)との間に意味の相違はないというものであり,条約正文のフランス語における”jugements”(判決)という語と,日本語文の「裁判」という語との間に実質的な差異を認めない。

4 赦免・減刑・仮出所は判決の否定を意味するのか

平和条約第11条は,裁判の受諾及び刑の執行と,赦免・減刑・仮出獄の手続を併せて定めている。日本が単独でこれらを決定できる仕組みではなく,日本国の勧告と,刑を科した一又は二以上の政府の決定が必要であり,東京裁判で刑を宣告された者については,同裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定と日本国の勧告が必要であった。後者は,平和条約の署名国全体の過半数という意味ではない。

国内の実施手続は,「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律」(昭和27年法律第103号)に定められた。1952年の制定時の規定では,中央更生保護委員会が審理し,勧告の手続をとることが相当と決定した場合に法務総裁へ報告し,日本国の勧告及び関係国の決定によって許されることとなった後に,委員会が仮出所,赦免又は刑の軽減の処分をする構造であった(19条4項・5項,20条,30条5項,31条)。これは当時の制度であり,同法は昭和37年法律第42号により,1962年3月29日に廃止された。

仮出所は,刑期満了による釈放と同じではない。同法の制定時の21条は仮出所中の者を刑期満了まで保護監督に付すことを定め,22条は遵守事項違反等による仮出所の取消しを定めていた。したがって,刑務所から出た日と,刑の執行から最終的に解放された日とは区別する必要がある。

実際の経過について,外務省『わが外交の近況』昭和34年版「北米関係」9「戦犯問題の解決」は,A級戦犯の仮出所後も保護監督が続き,その後に減刑された経過を記録している。さらに,2006年10月6日付の政府答弁書(二の4)は,東京裁判でA級戦争犯罪人として有罪判決を受けた者のうち,赦免された者はいないが,終身禁錮から減刑された者は10名であったと説明している。
仮出所・減刑の時系列は,東京裁判の経過・判決・戦後処理を参照されたい。

他方,前記外交記録は,米国関係のBC級戦犯について,1958年5月20日付で巣鴨在所者全員の仮出所が実現し,その後,仮出所中の者に対する減刑・赦免が進み,同年12月29日付で全員の赦免が実現したと記載している。したがって,A級戦犯についての減刑の説明を,BC級戦犯を含むすべての処分に一般化することも適切でない。

判決との関係について,前記2006年10月6日付の政府答弁書は,第11条及び同法による赦免・減刑を「刑の執行からの解放」と説明する一方,同法に基づく赦免・刑の軽減が判決の効力に及ぼす影響を定めた法令等はないとしている。この政府説明は,赦免等によって判決が取り消され,又は無罪判決へ変更されたという説明ではない。

国内の資格制限や遺族援護も別の問題である。2025年11月28日付の政府答弁書(一)は,軍事裁判による受刑者の資格に関する取扱いを改めた通達,赦免の実施促進を求めた国会決議及び遺族年金等の支給に関する法改正は,それ自体として軍事裁判による受刑者を赦免したものではないと説明している。これらの国内措置が持つ個別の効果と,戦犯刑についての赦免・減刑の処分を混同してはならない。

以上から,釈放,刑の執行からの解放,判決の取消し又は無罪への変更,国内の資格・援護上の取扱いは区別すべきである。第11条に沿った釈放等の実施を理由として,東京裁判の判決そのものが否定されたと説明することはできない。主権回復及び占領終了と,その後にも履行すべき条約上の義務との関係は,サンフランシスコ平和条約の全体構造を扱う記事を参照されたい。

第8 最高裁判所が示した国内法的効力

ポツダム宣言受諾に基づく占領期の法秩序と,平和条約第11条に基づく戦犯刑の執行は,最高裁判所大法廷の複数の判断で扱われている。以下のうち,昭和27年7月30日判決及び昭和29年4月26日決定は戦犯刑の執行を直接扱い,昭和24年6月13日判決及び昭和28年4月8日判決は占領期法秩序一般を扱う。いずれも裁判所ウェブサイトの裁判例検索で全文を確認できる。

1 ポツダム宣言受諾に基づく緊急勅令の効力

最高裁判所大法廷昭和28年4月8日判決(昭和24年(れ)第685号,刑集7巻4号775頁)は,国家公務員の争議行為を禁止した政令201号の効力が争われた事件で,その根拠となった昭和20年勅令第542号(いわゆるポツダム緊急勅令)の性質を次のとおり判示した。

「わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をした。その結果連合国最高司令官は、降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を有し、この限りにおいてわが国の統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなつた(降伏文書八項)。かかる基本関係に基き前記勅令第五四二号、すなわち『政府ハポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為、特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得』といふ緊急勅令が、降伏文書調印後間もなき昭和二〇年九月二〇日に制定された。この勅令は前記基本関係に基き、連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならない。」

2 平和条約第11条による刑執行義務

最高裁判所大法廷昭和27年7月30日判決(昭和27年(マ)第79号,民集6巻7号699頁)は,戦犯として服役中の者による人身保護請求事件において,平和条約第11条に基づく刑執行義務の性質を次のとおり判示した。

「連合国は、戦争犯罪人に対し、極東国際軍事裁判所又は日本国内及び国外の戦争犯罪法廷において裁判を宣告し、その当然の順序としてこれに応ずる刑を科し来つたのであるが、前記平和条約第一一条においては右刑の執行を日本国に委ねることに関し規定をおいたのである。」

3 藤田八郎裁判官の意見――ポツダム宣言に基づく法秩序と日本国憲法の関係

最高裁判所大法廷昭和29年4月26日決定(昭和28年(ク)第55号,民集8巻4号848頁)は,戦犯として拘禁中の者が,平和条約第11条及び「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律」(昭和27年法律第103号)5条以下の違憲を主張して釈放を求めた人身保護請求の抗告事件である。多数意見は,人身保護規則4条の「拘束の権限がないことが顕著である」との要件を満たさないとして,違憲論の当否には立ち入らずに請求を退けたが,藤田八郎裁判官の意見は,この論点に正面から踏み込み,次のとおり述べている。

「そもそも平和条約一一条は、わが国が敗戦の結果、一切の戦争犯罪人に対する厳重な処罰条項を含むポツダム宣言を受諾し、その誠実な履行を約したことに基き、連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、かつ、これらの法廷がわが国民に課した刑を平和克復后、わが国において執行することを約したものであつて、畢意、ポツダム宣言の誠実な義務履行の一端に外ならないものである。」

「日本国憲法は、ポツダム宣言受諾の後に制定せられたものであつて、右憲法の条項の中には、独乙国ワイマール憲法第一七八条……のごとき規定は存在しないけれども、ポツダム宣言受諾の効果は、日本国憲法により、その効力を妨げられるべきものでないことは日本国憲法制定の由来等からして当然の理と解すべきであるから、前記のごとく直接ポツダム宣言に基拠し、その義務履行の一端としてなされた平和条約一一条のごときは、日本国憲法によりその効力を妨げられることのないもの――換言すれば日本国憲法の効力の外にあるもの――と解すべきである。」

藤田意見は,第10項(戦犯処罰条項)→降伏文書による受諾→平和条約第11条という法的連鎖を「ポツダム宣言の誠実な義務履行の一端」として定式化し,この法秩序全体を日本国憲法の効力の外側に位置づける理論構成をとった。多数意見はこの憲法論自体には立ち入らなかったため,藤田意見はあくまで一裁判官の見解にとどまるが,第10項から平和条約第11条に至る法的連鎖を最高裁判所の裁判官が理論として言語化した資料として,本件テーマにとって重要な意味を持つ。

なお,最高裁判所大法廷昭和24年6月13日判決(昭和23年(れ)第1862号,刑集3巻7号974頁)も,公職追放の効力が争われた事件において,「裁判官が連合国側の正当な要求に従うべきことは、ポツダム宣言の受諾にもとずく当然の法的要請である」とし,ポツダム宣言の受諾を占領期の法秩序全体の基礎として位置づけている。

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第10 出典・参考資料

1 宣言・降伏文書・裁判所条例

ポツダム宣言,1945年7月26日,国立国会図書館「日本国憲法の誕生」(出典表示は外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻,1966年刊)。

降伏文書,1945年9月2日,イェール大学ロースクール Avalon Project。

③連合国最高司令官特別宣言(極東国際軍事裁判所設立に関する宣言)前文,International Military Tribunal for the Far East, Charter,1946年1月19日,ibiblio.org「HyperWar」。

④極東国際軍事裁判所条例第1条・第5条,同上

Charter of the International Military Tribunal for the Far East(1946年1月19日制定時及び同年4月26日改正後の全文),連合国最高司令官制定,米国務省公刊条約集(Bevans)所収,20頁~32頁(PDF1頁~13頁)。証拠及び防御権については,改正後の第9条・第13条・第15条,29頁~31頁(PDF10頁~12頁)。米国議会図書館掲載の法規範原文。

極東国際軍事裁判所起訴状,ibiblio.org「HyperWar」。

⑦極東国際軍事裁判所判決「法」の章(Chapter II, Jurisdiction),International Military Tribunal for the Far East, Judgment,1948年11月,ibiblio.org「HyperWar」。

⑧極東国際軍事裁判所判決 訴因別認定(Chapter IX),同上

⑨パル判事反対意見書,Dissentient Judgment of Justice Pal, International Military Tribunal for the Far East,Internet Archive所蔵。

2 条約・法令・国会会議録・政府資料

日本国との平和条約第11条,1951年9月8日署名・1952年4月28日発効,外務省条約データ検索。

第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会第4号・西村熊雄外務省条約局長答弁,1951年10月26日,国立国会図書館国会会議録検索システム。

サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問主意書,衆議院議員野田佳彦提出,2006年6月6日,衆議院。

同質問に対する答弁書(内閣衆質一六四第三〇八号),内閣総理大臣小泉純一郎,2006年6月16日,衆議院。

⑤「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律」,昭和27年法律第103号,1952年4月28日公布,衆議院法制局。同法は昭和37年法律第42号により廃止(日本法令索引,国立国会図書館)。

平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律を廃止する法律(昭和37年法律第42号)本則・附則1項,1962年3月29日公布・施行(衆議院掲載の制定法律本文)。

⑦外務省『わが外交の近況』昭和34年版「北米関係」9「戦犯問題の解決」(1959年,外務省。当時の外交活動の報告)。

第二次世界大戦についての歴史認識及び戦争責任に関する質問に対する答弁書(内閣参質一六五第二号),2006年10月6日,二の4(内閣作成・参議院掲載。赦免・減刑の意味及び実施状況についての政府説明)。

日本国との平和条約第十一条に関する質問に対する答弁書(内閣衆質二一九第八二号),2025年11月28日,一及び二(内閣作成・衆議院掲載。国内の通達・国会決議・法改正と赦免との関係についての政府説明)。

3 裁判例

最高裁判所大法廷昭和24年6月13日判決(昭和23年(れ)第1862号,刑集3巻7号974頁,裁判所ウェブサイト)。

最高裁判所大法廷昭和27年7月30日判決(昭和27年(マ)第79号,民集6巻7号699頁,裁判所ウェブサイト)。

最高裁判所大法廷昭和28年4月8日判決(昭和24年(れ)第685号,刑集7巻4号775頁,裁判所ウェブサイト)。

最高裁判所大法廷昭和29年4月26日決定(昭和28年(ク)第55号,民集8巻4号848頁,裁判所ウェブサイト)。

4 文献

①大森正仁編著『入門 国際法』法律文化社,2024年2月,220頁。

②Kirsten Sellars, “The Defence Response to the ‘Crimes against Peace’ Charge at the International Military Tribunals,” in ‘Crimes against Peace’ and International Law, Cambridge University Press, 2013年,16頁~19頁。

③Zachary D. Kaufman, “The Nuremberg Tribunal v. The Tokyo Tribunal: Designs, Staffs, and Operations,” 43 John Marshall Law Review 753 (2010年),757頁。