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不戦条約の内容,成立経緯及び現在の全締約国(AI作成)

第1 この記事の対象と結論

1 対象と資料の基準時

不戦条約は,正式には「戦争抛棄ニ関スル条約」といい,1928年8月27日にパリで署名された多国間条約である。
パリ不戦条約,パリ条約又はケロッグ=ブリアン条約とも呼ばれるが,本記事では日本の公文書で広く用いられる「不戦条約」と表記する。

本記事は,条文,成立交渉,日本の「人民ノ名ニ於テ」をめぐる宣言,満州事変以後の国家実行,戦後裁判,国際連合憲章及び日本国憲法9条との関係を,一次資料に基づいて整理するものである。
現在の締約国については,寄託国である米国の現行ステータスリストを2026年8月22日に確認し,同リストに掲載された全66か国と,同リストが承継国と明示する8か国を掲載する。

本記事の中心は,戦争放棄をめぐる国際法史と不戦条約の現在の条約関係である。

1945年のポツダム宣言発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの外交・軍事上の時系列は,ポツダム宣言の発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの経緯で扱い,ナチス・ドイツと大日本帝国憲法下の日本における国内統治法制の比較は,ナチス法制と大日本帝国憲法下の日本法制――統治構造・戦時動員・権利・司法の比較で扱う。

2 不戦条約をどう評価すべきか

不戦条約は,国際紛争を解決する手段として戦争に訴えることを非とし,締約国相互の関係において国策の手段としての戦争を放棄させた条約である。
それまで国家に認められていた戦争の一般的な自由を否定した点で,国際法上の転換をもたらした。

もっとも,条約は「戦争」を定義せず,自衛権,戦争に至らない武力行使,違反認定の機関,経済制裁,軍事制裁及び個人の刑事責任を明文で定めなかった。
満州事変,イタリアによるエチオピア侵攻,日中戦争及び第二次世界大戦を阻止できなかったため,短期的な戦争抑止の仕組みとしては失敗したといわざるを得ない。

しかし,同条約は,武力によって作られた状態を承認しない政策,侵略戦争の違法性,ニュルンベルク裁判及び東京裁判における「平和に対する罪」の議論並びに国際連合憲章2条4項の武力不行使原則へ接続した。
したがって,「戦争をなくした条約」でも「法的効果のない道徳宣言」でもなく,戦争の法的地位を変えた一方,適用範囲と履行確保に大きな余白を残した条約と理解するのが正確である。

第2 前文と三つの条文の内容

不戦条約は,米国国務長官フランク・ケロッグとフランス外相アリスティード・ブリアンの名にちなみ,ケロッグ・ブリアン条約とも呼ばれる。
国立公文書館の御署名原本にある公布文は,次のとおりである。

第一條
締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
第二條
締約國ハ相互間ニ起ルコトアルベキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス
第三條
本條約ハ前文ニ揭ゲラルル締約國ニ依リ其ノ各自ノ憲法上ノ要件ニ從ヒ批准セラルベク且各國ノ批准書ガ總テ「ワシントン」ニ於テ寄託セラレタル後直ニ締約國間ニ實施セラルベシ

1 第1条――戦争の放棄

国際連盟条約集94巻の条約原本によれば,第1条は,締約国が国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし,相互関係において国策の手段としての戦争を放棄すると定める。
義務は締約国の「相互関係」におけるものであり,条文は後世の用語である「侵略戦争」という限定を置いていない。

自衛戦争は条文に明記されていないが,交渉文書では,自衛権は主権に内在し,条約によって害されないとの理解が各国から示された。
そのため,禁止対象を「侵略戦争」と要約することには合理性があるものの,後世の侵略定義をそのまま1928年の条文に読み込むことはできない。

2 第2条――すべての紛争の平和的解決

第2条は,締約国間に生じ得るすべての紛争又は衝突について,その性質又は起因を問わず,平和的手段以外によって処理又は解決を求めないと定める。
第1条が戦争放棄という消極的義務を置くのに対し,第2条は紛争処理の方法を平和的手段に限定する積極的義務を置いたものである。

3 第3条――批准,寄託及び加入

第3条は,15原署名国による批准,ワシントンにおける批准書の寄託,発効及び他国の加入を定める。
米国政府が批准書及び加入書の寄託を受け,その謄本や通告を各国へ送付する仕組みであるため,現在の参加国を確認する際も米国国務省の寄託者リストが基準となる。

4 前文の「条約上の利益」と制裁の限界

前文は,戦争に訴えて国益の増進を図る締約国は,この条約が与える利益を拒まれるべきであるとの確信を述べる。
もっとも,これは常設の違反認定機関,自動的な経済制裁又は共同軍事行動を定める条項ではない。

米国の1928年6月23日付通牒は,違反国が条約上の利益を失うという一般原則を説明する一方,他国に積極的な強制行動を義務付けるものではないとした。
この履行確保の弱さは,後に条約の実効性を損なう主要因となった。

第3 成立経緯と発効

1 国際連盟規約が残した「戦争の間隙」

国際連盟規約12条以下は,仲裁,司法裁判又は連盟理事会の審査前に戦争へ訴えることを制限したが,すべての戦争を禁止したわけではなかった。
一定の待機期間を経た戦争などがなお許容され得るという「戦争の間隙」が残り,1924年のジュネーヴ議定書も発効しなかった。

不戦条約は,国際連盟の手続的な戦争制限を越えて,国策手段としての戦争を一般的に放棄させようとしたものである。
そのため,交渉の中心は,禁止する戦争の範囲,自衛権及び既存の安全保障義務との調整へ移った。

2 ブリアンの二国間提案とケロッグの多国間化

フランス外相アリスティード・ブリアンは1927年4月6日,米仏間で戦争を放棄する構想を公表した。
フランスには,第一次世界大戦後の対独安全保障を米国との特別な関係によって補強する意図があった。

これに対し,米国国務長官フランク・ケロッグは,二国間条約がフランスとの事実上の同盟又は米国の欧州への特別関与と受け取られることを避け,主要国が参加できる多国間条約へ転換した。
交渉では,フランスが国際連盟規約,ロカルノ条約及び既存の同盟との整合を求め,英国が自衛権と「特別かつ重大な利益を有する地域」を重視したのに対し,米国は例外を本文に列挙せず,短い無条件の本文を維持する方針を採った。

これらの各国説明は,条約の解釈に影響したが,すべてが条約法上の正式な留保であったわけではない。
米国上院も,正式な留保又は解釈決議を条約に付加せず,1929年1月15日に85対1で批准への助言と同意を与えた。

3 1928年8月27日の15原署名国

1928年8月27日にパリで署名した15か国は,次のとおりである。
国際連盟条約集の署名欄では,15か国の全代表が同日に署名しており,一部の国だけが1929年に署名したとする説明は原本と合わない。

No.原署名国当時の名義に関する注記
1オーストラリアオーストラリア連邦
2ベルギーベルギー国
3カナダカナダ自治領
4チェコスロバキア現在は国家として存在しない
5フランスフランス共和国
6ドイツドイツ国
7インド当時の英領インド
8アイルランドアイルランド自由国
9イタリアイタリア国
10日本日本国
11ニュージーランドニュージーランド自治領
12ポーランドポーランド共和国
13南アフリカ南アフリカ連邦
14英国グレートブリテン及び北アイルランド連合王国等の名義
15米国アメリカ合衆国,寄託国

4 発効日の一次資料間の1日差

国連条約情報及び国際連盟条約集は,発効日を1929年7月25日と表示する。
他方,米国法令集46 Stat. 2343は最後の批准書が同月24日にワシントンで寄託され,同日に発効したとし,ニュージーランド外務貿易省の条約登録も7月24日を採る。

この1日差を調整する寄託国又は国際連盟の説明は,確認した一次資料からは見つからなかった。
したがって,本記事では「批准書寄託式は7月24日,国際連盟・国連の条約登録上の発効日は7月25日」と資料の種類を分けて示し,どちらか一方を誤りと断定しない。

5 リトヴィノフ議定書による東欧での先行適用

ソ連,エストニア,ラトビア,ポーランド及びルーマニアは1929年2月9日,モスクワで,不戦条約の義務を相互間で先行適用するリトヴィノフ議定書に署名した。
国際連盟条約集89巻の議定書原本によれば,批准書寄託の組合せに応じて当事国間で順次効力が生じる構造であり,単一の日に全当事国間で一斉発効したものではない。

第4 日本の署名,批准及び「人民ノ名ニ於テ」

1 署名,批准及び公布の日付

日本全権の内田康哉は1928年8月27日に条約へ署名し,日本政府は1929年6月27日に批准した。
国立公文書館の御署名原本及び同館の解説によれば,日本では同年7月25日に昭和4年条約第1号として公布された。

批准,批准書寄託,公布及び国際的発効は,それぞれ別の法律行為又は日付である。
東京裁判判決が日本の批准を7月24日と記した箇所は,ワシントンでの批准書寄託・発効の局面を指すものであり,日本国内の批准日6月27日と混同すべきではない。

2 「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」をめぐる問題

第1条の公定英語文には,締約国が「それぞれの人民の名において」宣言するとの文言があった。
日本では,この文言が大日本帝国憲法下の天皇の統治権及び条約締結大権と抵触するのではないかが問題となった。

日本政府の照会に対し,米国国務省は,条約の「in the name of」は「on behalf of」と同義であり,各国の統治権の所在を変更する趣旨ではないと説明した。
日本は文言の変更を得ないまま,1929年6月27日,この文言は帝国憲法の条章に照らし日本国に限って適用がないものと了解するとの宣言を付して批准した。

昭和4年6月27日付の帝国政府宣言書は,「帝國政府ハ千九百二十八年八月二十七日巴里ニ於テ署名セラレタル戰爭抛棄ニ關スル條約第一條中ノ『其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ』ナル字句ハ帝國憲法ノ條章ヨリ觀テ日本國ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス」というものであった。

米国政府が提案した条約案1条の「人民ノ名ニ於テ」という文言について,日本政府は米国政府に対し,主権在民は帝国憲法上の解釈として容認し難いと伝えた。
しかし,日本以外に反対国はなく,一国の文言修正に応じれば他国からも修正要求が出て収拾困難となる可能性があったため,米国政府は文言の修正に応じなかった。

その後,米国政府は,日本政府に対し,「in the name of」は「on behalf of」と同義であり,「人民を代表して」と訳し得る旨を説明する1928年7月6日付の米国国務長官覚書を交付した。
同年8月27日,不戦条約はパリで署名された。

日本国内の批准手続では,「人民ノ名ニ於テ」という文言が主権在民の観念を示し,天皇主権を定める大日本帝国憲法に反するとの反対論が根強く,枢密院の審議も紛糾した。

他方,日本国に同文言を適用しないとの留保を付して,他の締約国がこれを承認しなければ,日本が条約へ加入できないだけでなく,条約自体が発効しない可能性もあった。
第3条が,原署名国すべての批准書をワシントンに寄託した後に条約が発効すると定めていたからである。
その場合,軍縮問題及び中国問題で日本の立場が不利になることも予想された。

そこで,日本政府は,「了解」という文言を用いた宣言が条約義務を限定する正式な留保ではないことについて米国政府の了承を得た上で,1929年6月26日,宣言付批准とすることで枢密院の承認を得た。
ただし,枢密院は留保付批准であるとの認識を示していた。

日本政府は,同月27日,帝国政府宣言書とともに批准書を作成し,同年7月24日に米国政府へ批准書を寄託した。
この批准過程は,大畑篤四郎「不戦条約中『人民ノ名ニ於テ』の問題」早稲田法学44巻1・2号(1969年)1頁~32頁が詳しく論じている。

3 日本の宣言は戦争放棄義務を限定しなかった

宣言が対象としたのは,宣言主体を表す「人民の名において」という字句であり,第1条の戦争放棄又は第2条の平和的解決義務ではない。
当時の駐米日本大使も米国側へ正式な留保ではないと説明し,米国は異議を述べずに批准書を受領した。

昭和35年5月17日の衆議院会議録でも,外務省条約局長は,宣言は正式の意味の留保ではなく,条約の適用条件又は効力を変更・制限しないと答弁した。
したがって,この宣言を単に「日本が条約に留保を付けた」と表現すると,条約上の義務を除外したかのような誤解を招く。

なお,国立国会図書館日本法令索引は現在も条約を「有効」と表示するが,日本の宣言が今日どの形式分類で残るかを明示した政府資料は確認できなかった。
日本国憲法は国民主権を採用しているため,宣言の前提となった帝国憲法上の問題は消滅しているものの,宣言の条約法上の現在位置は資料上確定できない。

第5 条約が戦争を阻止できなかった理由と国家実行

1 対象と履行確保の構造的な限界

第1の弱点は,条約が「war」を対象とし,武力による威嚇,国境事件,封鎖,武装報復又は「事変」と称する軍事行動を明示的に包摂しなかったことである。
国家が正式な宣戦を避けたり,自衛を主張したりすることで,条文の適用を争う余地が残った。

第2の弱点は,自衛権の範囲と審査主体が本文に定められなかったことである。
行動国が自衛該当性を最終的に自己判断できるとすれば,侵略を自衛と称して条約を空洞化できるが,この問題を事前に判定する常設機関は設けられなかった。

第3の弱点は,違反国に対する自動制裁及び共同執行の義務がなかったことである。
このため,条約は戦争の違法性を宣言できても,違反を現実に止める軍事的・経済的な仕組みを備えていなかった。

2 満州事変とスティムソン・ドクトリン

米国国務長官スティムソンは1932年1月,日本及び中国に対し,九カ国条約又は不戦条約に反する手段によって生じた状態,条約又は協定を承認しないと通告した。
米国国務省の通牒原文は,軍事行動そのものを直ちに止める制裁ではなかったが,違法な戦争によって領土その他の法的利益を取得できないという不承認政策を具体化した。

国際連盟総会も1932年3月11日,連盟規約又は不戦条約に反する手段で生じた状態・条約・協定を承認しない原則を確認した。
不戦条約の法的効果は,侵略国と被侵略国を中立的に同列視せず,違反から生じた成果を法的に承認しない方向へ展開したのである。

3 日中戦争,エチオピア侵攻及び第二次世界大戦

国際連盟総会は1937年10月6日,日本の中国における軍事行動は既存の法的文書又は自衛で正当化できず,不戦条約及び九カ国条約上の義務に反するとする判断を承認した。
1938年9月30日にも対日非難の局面があるが,自衛で正当化できず不戦条約違反であるとの主要判断は1937年10月6日のものである。

それでも,条約はイタリアによるエチオピア侵攻,日本の中国における戦争,ドイツによる侵略及び第二次世界大戦を阻止できなかった。
戦争抑止の失敗と,違反を違法として評価する規範の成立とは両立するのであり,前者だけを理由に条約の法的意義を否定することはできない。

第6 戦後裁判における不戦条約

1 ニュルンベルク裁判――国家の違法から個人の犯罪へ

ニュルンベルク国際軍事裁判所判決は,1939年の開戦時に不戦条約が63か国を拘束していたと認定し,国策手段としての戦争の厳粛な放棄はその戦争を国際法上違法にし,これを計画・遂行する者は犯罪を行うとの命題を含むとした。
さらに,ドイツが起訴対象となった侵略戦争のすべてについて不戦条約に違反したと認定した。

もっとも,裁判所の設置,管轄及び「平和に対する罪」の直接の根拠は,ロンドン協定とニュルンベルク憲章6条である。
不戦条約は,憲章が行為後に作られた新たな犯罪ではなく,既存の国際法を表現したとの論証に用いられたのであり,「不戦条約だけで個人を処罰した」という説明は正確でない。

2 東京裁判――自衛を行動国の最終判断に委ねない

極東国際軍事裁判所判決は,自衛の必要性について行動国に第一次的な判断権があることを認めながら,戦争に訴えた国がその正当性を最終決定できるとはしなかった。
最終的な自己判断を認めれば,各国が侵略を自衛と称するだけで条約が無意味になるからである。

パール判事の反対意見は,各国に広い自衛判断が残されていたことや,条約が個人犯罪と刑罰を定めていないことを重視し,不戦条約から侵略戦争の個人刑事責任を導く多数意見を批判した。
国家間の条約違反から個人犯罪へ進むことが事後法に当たるかという論争は,戦後裁判の歴史的評価においてなお重要である。

3 ポツダム宣言第10項は不戦条約をどう戦後裁判へ接続したか

ポツダム宣言第10項は,捕虜を虐待した者を含む戦争犯罪人に厳重な処罰を加えるという降伏条件を掲げた。
日本は降伏文書でポツダム宣言を受諾し,連合国最高司令官はこの受諾を含む降伏条件の実施として極東国際軍事裁判所条例を制定した。

もっとも,ポツダム宣言第10項は「平和に対する罪」又は侵略戦争の計画・開始を明記していない。
東京裁判所条例5条が「平和に対する罪」を管轄犯罪として定め,裁判所多数意見が不戦条約を侵略戦争の既存違法性を示す法源として用いたことによって,降伏条件,裁判所管轄及び戦前からの実体法が接続されたのである。

東京裁判の起訴・判決・刑の執行の時系列及び各被告人に対する刑の内訳は,東京裁判の経過と判決で整理している。
ポツダム宣言の発表から受諾・降伏文書調印までの時系列と,ポツダム宣言第10項と東京裁判の法的関係は,それぞれの関連記事を参照されたい。

4 その後の裁判が示した射程と限界

不戦条約を扱った後続裁判は,侵略戦争の違法性を確認する一方,条約から当然に私人の請求権,国内犯罪又はすべての戦争関連法効果が生じるわけではないことを示している。
相異なる法命題を示す主要例は,次のとおりである。

裁判例年月日不戦条約に関する要点
米国連邦最高裁判所・Hamilton v. Regents1934年12月3日不戦条約は大学の軍事教練と抵触せず,軍事教育を禁止する条約ではないとした。
米国第8巡回区控訴裁判所・Beale v. United States1934年6月12日不戦条約が帰化法上の防衛義務を変更するとの主張を退けた。
フィリピン最高裁判所・Laurel v. Misa1947年1月30日侵略戦争の違法化と占領下の忠誠義務を論じ,フィリピン憲法の戦争放棄条項にも言及した。
ニュルンベルク継続裁判・Hostages Case1948年2月19日侵略戦争が不戦条約違反であっても,戦争開始の違法性と交戦・占領の際に適用される人道法上の権利義務は区別されるとした。
ニュルンベルク継続裁判・High Command Case1948年10月28日侵略戦争の違法性を確認しつつ,高位の軍人という地位だけでは計画・開始への参加を推定できないとした。
ニュルンベルク継続裁判・Ministries Case1949年4月11日~13日不戦条約が侵略国と被侵略国を法的に区別し,違反が他の締約国の法的関心となるとの同時代の説明を引用した。
ベルギー破毀院・Muller及びKoppelmann1949年7月4日・1950年11月27日不戦条約違反の侵略戦争と戦時法の適用が論じられた。明示的な不戦条約論は第一法務官意見であり,判旨と区別を要する。
米国連邦最高裁判所・Mora v. McNamara1967年11月6日ベトナム戦争を不戦条約等に照らして審理すべきとの申立てについて上告受理を拒否し,実体判断を示さなかった。Douglas判事らの反対意見が審理の必要を述べた。
米国第2巡回区控訴裁判所・Dreyfus v. von Finck1976年4月6日条約はナチス期の財産収奪について私人に米国裁判所で執行できる損害賠償請求権を与えないとした。
米国第4巡回区控訴裁判所・Lynchburg Foundry Co. v. Patternmakers League1979年戦争放棄・平和的解決義務は,特定の仲裁廷の管轄受諾を当然には意味しないとの類推に用いた。
米国ユタ地区連邦裁判所・Centre for Independence of Judges v. Mabey1982年国際文書から第三者の損害賠償請求権を導く主張を退ける際,Hamilton判決を引用した。
英国貴族院・R v Jones2006年3月29日侵略犯罪が国際慣習法上の犯罪であることを認めたが,制定法による国内法化なしに英国国内犯罪を構成しないとした。
米国第2巡回区控訴裁判所・Mora v. New York2008年不戦条約が私人に権利を与えないとのDreyfus判決を,条約の自己執行性に関する先例として引用した。
米国カリフォルニア北部地区連邦裁判所・Saleh v. Bush2014年イラク戦争の違法性に関する請求を,不戦条約の実体解釈ではなく,米国への被告代位,主権免除及び管轄欠缺等によって退けた。

表は,公開資料で判決本文又は公的な引用資料まで確認できた直接関連裁判例のうち,ニュルンベルク本裁判及び東京裁判以外を掲げたものである。
もっとも,異なる訴訟要件や国内法を扱う判断を合算して,不戦条約について世界の裁判所に単一の直接適用理論が確立したとみることはできない。

第7 国際連合憲章及び日本国憲法9条との関係

1 国際連合憲章は対象と制度を拡張した

国際連合憲章2条3項は国際紛争の平和的解決を定め,2条4項は他国の領土保全又は政治的独立に対するものその他国際連合の目的と両立しない「武力による威嚇又は武力の行使」を禁止する。
「戦争」より広い行為を対象とするため,宣戦を避けた軍事行動や戦争未満の武力行使も規律し得る。

同憲章51条は,武力攻撃が発生した場合の個別的又は集団的自衛権を明文で保持し,7章は安全保障理事会による強制措置を制度化した。
不戦条約が曖昧なまま残した自衛と履行確保を,国際連合憲章はより明示的かつ制度的に組み直したのである。

2 不戦条約は形式上存続する

後の条約が成立しただけで,先の条約が当然に終了するわけではない。
国際連合憲章103条は,国際連合加盟国の憲章上の義務と他の国際協定上の義務が抵触する場合に憲章上の義務を優先させるため,現在の武力行使法は国際連合憲章を中心に判断される。

それでも,不戦条約には脱退条項がなく,米国,英国,日本及びニュージーランドの公的資料は現在も条約を有効又は発効中として扱う。
ニュージーランドの条約登録は,不戦条約が国際連合憲章2条4項に実質的に置き換えられたと注記しながら,その状態を「In Force」と表示しており,実務上の中心規範と形式上の存続を区別している。

3 日本国憲法9条は不戦条約をそのまま写したものではない

日本国憲法9条1項は,国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄するという語彙と構造を不戦条約1条と共有する。
しかし,同項は「武力による威嚇又は武力の行使」を明記し,2項は戦力不保持及び交戦権否認を定めるため,不戦条約より広い内容を持つ。

また,不戦条約は締約国相互の国際法上の義務であるのに対し,憲法9条は国内の最高法規として日本を拘束する。
国立国会図書館の憲法制定資料によれば,9条の直接の起草過程には1946年2月3日のマッカーサー・ノートと同月13日のGHQ草案があるため,不戦条約だけを唯一のモデルとすることはできない。

芦田均は1946年2月22日の日記で,戦争放棄と国際紛争の平和的解決という思想は,不戦条約及び国際連盟規約で日本政府が既に受諾した政策であり,耳新しいものではないとの趣旨を記した。
これは法思想上の連続を示す一次史料であるが,憲法9条の文言を不戦条約から直接引用したと述べたものではない。

ポツダム宣言受諾が日本国憲法制定に及ぼした国内法上の意味については,ポツダム宣言と日本国憲法制定の法的連続性――「八月革命説」とその後の学説で扱っている。
同論点は不戦条約の成立史そのものではないため,本記事では,9条の国際法史上の背景を確認する限度にとどめる。

4 武力行使禁止・不干渉・武力攻撃の区別

国際連合憲章2条4項の武力行使禁止と,国家が自由に決定すべき政治・経済・社会・文化体制などへの強制的介入を禁ずる不干渉原則は,重なり得るが別の規則である。ニカラグア事件本案判決(1986年6月27日)は,反政府勢力への武器供与を武力行使に当たり得る支援として扱い,訓練,武装,装備,資金供与,補給その他の支援を不干渉原則に違反すると評価した。他方,資金援助だけでは武力行使に当たるとはしなかった。

また,国際連合憲章51条の「武力攻撃」は,武力行使のうち最も重大な形態であり,すべての武力行使が直ちに武力攻撃となるわけではない。支援国自身の武器供与が違法かという問題と,反政府勢力の個々の攻撃を支援国へ帰属させられるかという問題も区別する必要がある。

武器供与,資金援助,武力行使,不干渉及び武力攻撃の区別は,ニカラグア事件とは|反政府勢力への武器供与・武力行使・不干渉原則(AI作成)で整理している。

第8 現在の全締約国及び承継国

1 米国寄託者リスト上の66か国

米国国務省の不戦条約ページが2026年8月22日現在リンクする公式ステータスPDFには,現在の参加国として66か国が掲載されている。
このうち,PDFの凡例で d=succession と明示される承継国は,アンティグア・バーブーダ,バルバドス,ボスニア・ヘルツェゴビナ,クロアチア,チェコ共和国,ドミニカ国,フィジー及びスロベニアの8か国である。

次の表は,同PDFの Participant と Consent to be bound 欄を全行転記し,日付をISO形式へ統一したものである。
「原署名」は1928年8月27日の署名後に批准した国,「加入」は後から条約に参加した国,「承継」はPDFが d を付した国を意味する。

No.現在の締約国公式PDFの英語表記拘束同意欄の日付参加経路・注記
1アフガニスタンAfghanistan1928-11-30加入
2アルバニアAlbania1929-02-12加入
3アンティグア・バーブーダAntigua and Barbuda1988-11-16承継(旧英国適用領域)
4オーストラリアAustralia1929-03-02原署名・批准
5オーストリアAustria1928-12-31加入
6バルバドスBarbados1971-11-08承継(旧英国適用領域)
7ベルギーBelgium1929-03-27原署名・批准
8ボスニア・ヘルツェゴビナBosnia and Herzegovina1994-08-15承継(旧ユーゴスラビア)
9ブラジルBrazil1934-05-10加入
10ブルガリアBulgaria1929-07-22加入
11カナダCanada1929-03-02原署名・批准
12チリChile1929-08-12加入
13中華人民共和国China, People’s Rep. of1929-05-08現在国名で1929年の中国の加入日を掲載
14コロンビアColombia1931-05-28加入
15コスタリカCosta Rica1929-10-01加入
16クロアチアCroatia1994-05-18承継(旧ユーゴスラビア)
17キューバCuba1929-03-13加入
18チェコ共和国Czech Republic1993-01-01承継(チェコスロバキア)
19デンマークDenmark1929-03-23加入
20ドミニカ国Dominica1988-07-18承継(旧英国適用領域)
21ドミニカ共和国Dominican Republic1929-12-12加入。日付に一次資料間の不一致あり
22エクアドルEcuador1932-02-24加入
23エジプトEgypt1929-05-09加入
24エストニアEstonia1929-04-261929年の加入日を維持
25エチオピアEthiopia1928-11-28加入
26フィジーFiji1973-05-21承継(旧英国適用領域)
27フィンランドFinland1929-07-24加入
28フランスFrance1929-04-22原署名・批准
29ドイツGermany1929-03-02原署名・批准日を現在国名で掲載
30ギリシャGreece1929-08-03加入
31グアテマラGuatemala1929-07-16加入
32ハイチHaiti1930-03-10加入
33ホンジュラスHonduras1929-08-05加入
34ハンガリーHungary1929-07-22加入
35アイスランドIceland1929-06-10加入
36インドIndia1929-03-02原署名・批准
37イランIran1929-07-25ペルシャの加入日を現在国名で掲載
38イラクIraq1932-03-23加入
39アイルランドIreland1929-03-02アイルランド自由国の原署名・批准日を掲載
40イタリアItaly1929-03-02原署名・批准
41日本Japan1929-07-24原署名・批准書寄託日
42リベリアLiberia1929-02-23加入
43リトアニアLithuania1929-04-051929年の加入日を維持
44ルクセンブルクLuxembourg1929-08-24加入
45メキシコMexico1929-11-26加入
46オランダ王国Netherlands1929-07-12PDFは無印。加入を示す同時代資料あり
47ニュージーランドNew Zealand1929-03-02原署名・批准
48ニカラグアNicaragua1929-05-13加入
49ノルウェーNorway1929-03-26加入
50パナマPanama1929-02-25加入
51パラグアイParaguay1929-12-04加入
52ペルーPeru1929-07-23加入
53ポーランドPoland1929-03-25原署名・批准
54ポルトガルPortugal1929-03-01加入
55ルーマニアRomania1929-03-21加入
56ロシア連邦Russian Federation1928-09-27ソビエト連邦の加入日を現在国名で掲載
57サウジアラビアSaudi Arabia1932-02-24加入
58スロベニアSlovenia1992-08-20承継(旧ユーゴスラビア)
59南アフリカSouth Africa1929-03-02南アフリカ連邦の原署名・批准日を掲載
60スペインSpain1929-03-07加入
61スウェーデンSweden1929-04-12加入
62スイスSwitzerland1929-12-02加入
63トルコTurkiye1929-07-08PDFは無印。加入を示す同時代資料あり
64英国United Kingdom1929-03-02原署名・批准
65米国United States1929-03-02原署名・批准,寄託国
66ベネズエラVenezuela1929-10-24加入

2 8承継国と,承継記号を付けない継続国

8承継国のうち,アンティグア・バーブーダ,バルバドス,ドミニカ国及びフィジーは旧英国適用領域からの承継であり,ボスニア・ヘルツェゴビナ,クロアチア及びスロベニアは旧ユーゴスラビアからの承継である。
チェコ共和国について,PDF脚注はチェコスロバキア解体日の1993年1月1日に承継通告が寄託されたとする。

これに対し,中華人民共和国,ドイツ,イラン,アイルランド,ロシア連邦及び南アフリカなどは,現在国名に旧主体の加入日又は批准日を付し,承継記号 d を付けずに掲載されている。
これは寄託者リスト上の表示方法を述べるものであり,国家同一性又は国家承継に関する一般国際法上の全論点を本記事が独自に確定したという意味ではない。

3 66か国という数の限界と寄託者リストの不整合

スロバキア,セルビア,モンテネグロ,北マケドニア及びコソボは,旧チェコスロバキア又は旧ユーゴスラビアとの歴史的関係があるが,現在の米国寄託者リストには掲載されていない。
歴史的加入国であるラトビア及びシャムを承継するタイも同リストに掲載されておらず,これらの不掲載理由を説明する寄託国資料は確認できなかった。

英語版Wikipediaはスロバキアも承継国として挙げるが,その箇所からたどれる2013年12月16日の英国下院答弁は,条約がなお有効で英国が締約国であると述べるだけで,スロバキアの承継を裏付けていない。
このため,本記事は独自に承継国を加えず,米国寄託者リストが現に掲載する66か国を「寄託者リスト上の現在の締約国」として示した。

また,寄託者PDFは,①オランダ及びトルコを加入記号なしで掲載する,②ドミニカ共和国の日付を同時代の米国外交文書より1年遅い1929年12月12日とする,③原署名国の EIF date 欄に各批准書寄託日と同じ日を掲げる,という内部又は一次資料間の不整合を含む。
表ではPDFの転記であることを優先して当該日付を「拘束同意欄の日付」と表示し,個別国ごとの最終的な法的発効日とは表示していない。

4 オランダ王国の領域適用

寄託者PDF脚注2は,2010年10月10日の王国内部の構成変更後も,条約主体はオランダ王国のままであるとする。
条約は,オランダ,アルバ,キュラソー,シント・マールテン,ボネール,シント・ユースタティウス及びサバに適用されるが,これらを独立した締約国として66か国へ加算していない。

第9 出典・参考資料

1 条約原本及び現行ステータス

①League of Nations Treaty Series, vol. 94, No. 2137, 57頁~64頁(条文,署名欄及び登録注記)
②United Nations Treaty Collection, No. 2137(署名日,登録番号及び発効日表示)
③United States Statutes at Large, 46 Stat. 2343~2348(条約英文,批准書寄託及び米国公布)
④U.S. Department of State, Convention Providing for the Renunciation of War as an Instrument of National Policy (Kellogg-Briand Pact)及び公式ステータスPDF(現在の66参加国,承継8か国及び脚注,全5頁)
⑤New Zealand Ministry of Foreign Affairs and Trade, Kellogg-Briand Pact(現行状態及び発効日表示)
⑥Protocol for the Immediate Entry into Force of the Treaty of Paris, League of Nations Treaty Series, vol. 89, 369頁~374頁(リトヴィノフ議定書)

2 日本の公文書及び国会会議録

①国立公文書館「戦争抛棄ニ関スル条約・御署名原本・昭和四年・条約第一号」(日本語正文及び御署名原本)
②国立公文書館「昭和3年(1928)8月|不戦条約が調印される」(日本の署名,批准及び公布日)
③国立国会図書館日本法令索引「戦争抛棄ニ関スル条約」(昭和4年条約第1号及び「有効」の表示)
④外務省外交史料館『日本外交文書 昭和期Ⅰ第1部第2章第1節5 戦争放棄に関する条約締結問題』(「人民ノ名ニ於テ」の宣言及び批准経緯)
⑤第34回国会衆議院日米安全保障条約等特別委員会第35号,昭和35年5月17日(高橋通敏外務省条約局長の答弁)
⑥日本国憲法(昭和21年憲法)9条(e-Gov法令検索)

3 交渉史及び国家実行

①U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States, 1928, vol. I, Documents 1~135(多国間不戦条約交渉),特にDocuments 3,56,71,82,83及び93
②U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States, 1929, vol. I, Documents 260,262及び264(日本の宣言と批准書寄託)
③Congressional Record, 70th Congress, 15 January 1929(米国上院の批准審議及び85対1の表決)
④U.S. Secretary of State Stimson, note of 7 January 1932, FRUS 1932, The Far East, vol. III, Document 10(満州事変に関する不承認通牒)
⑤U.S. Secretary of State Stimson, address of 8 August 1932, FRUS 1932, General, vol. I, Document 356(戦争違法化と条約上の利益)
⑥League of Nations Assembly resolution of 6 October 1937(New Zealand Parliamentary Papers所収,国際連盟関係報告)(日本の中国における行動と不戦条約)

4 裁判資料

①Trial of the Major War Criminals before the International Military Tribunal, Judgment, 30 September and 1 October 1946, 不戦条約と侵略戦争の違法性及び条約違反の認定
②United States et al. v. Araki et al., Judgment, 4 November 1948, Library of Congress掲載判決画像・中国関係章及び判決本文複製
③Radhabinod Pal判事反対意見,全文複製
④Laurel v. Misa, G.R. No. L-409, Supreme Court of the Philippines, 30 January 1947
⑤United States v. Wilhelm List et al., Case No. 7, Judgment, 19 February 1948,Hostages Case判決本文複製
⑥United States v. Wilhelm von Leeb et al., Case No. 12, Judgment, 28 October 1948, Trials of War Criminals, vol. XI, 462頁以下,High Command Case判決本文複製
⑦United States v. Ernst von Weizsäcker et al., Case No. 11, Judgment, 11~13 April 1949, Trials of War Criminals, vol. XIV, 308頁以下,Ministries Case判決本文複製
⑧Hamilton v. Regents of the University of California, 293 U.S. 245 (1934),米国公式判例集画像
⑨Beale v. United States, 71 F.2d 737 (8th Cir. 1934)
⑩Mora v. McNamara, 389 U.S. 934 (1967)
⑪Dreyfus v. von Finck, 534 F.2d 24 (2d Cir. 1976)
⑫Lynchburg Foundry Co. v. Patternmakers League of North America, 597 F.2d 384 (4th Cir. 1979)
⑬Centre for Independence of Judges and Lawyers v. Mabey, 19 B.R. 635 (D. Utah 1982)
⑭R v Jones (Margaret) and others, [2006] UKHL 16, [2007] 1 AC 136,英国貴族院判決
⑮Mora v. New York, No. 06-0341-pr (2d Cir. 2008)
⑯Saleh v. Bush, No. 3:13-cv-01124-JST, ECF No. 53 (N.D. Cal. 2014)
⑰ベルギー破毀院第2部1949年7月4日Muller, Pasicrisie belge 1949, I, 506, 509及び同1950年11月27日Koppelmann, Pasicrisie belge 1951, I, 180, 181頁~185頁(国際司法裁判所へ提出されたベルギー公式書面で正式引用及び引用判旨を確認)

5 国際連合憲章及び憲法制定資料

①国際連合憲章2条3項・4項,51条及び103条(国際連合)
②Vienna Convention on the Law of Treaties, Articles 30 and 59(後続条約との関係を示す法典化規則)
③MacArthur Notes, 3 February 1946及びGHQ Draft, 13 February 1946(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」)
④「芦田均日記 憲法改正関連部分」昭和21年2月22日(国立国会図書館による翻刻)

6 文献

①明石欽司・韓相煕編著『近代国際秩序形成と法―普遍化と地域化のはざまで』慶應義塾大学出版会,2023年,西嶋美智執筆部分251頁~277頁
②山形英郎編『国際法入門〔第3版〕―逆から学ぶ』法律文化社,2022年,25頁,28頁,80頁及び339頁
③徳川信治・西村智朗編著『テキストブック 法と国際社会〔第3版〕』法律文化社,2024年,176頁~179頁
④中野徹也『条約法』法律文化社,2025年,50頁及び195頁
⑤芹田健太郎『国際紛争の解決方法』信山社,2023年,24頁,35頁及び153頁~154頁
⑥本秀紀編『憲法講義〔第4版〕』日本評論社,2026年,60頁及び113頁
⑦大畑篤四郎「不戦条約中「人民ノ名ニ於テ」の問題」早稲田法学44巻1・2号(1969年)1頁~32頁