第1 本稿の対象と結論の要旨
1 この記事が扱う問いと対象範囲
裁判官及び検察官の定年が定められた経緯(日本国憲法の制定経緯を含む。)は,ポツダム宣言の発表から日本国憲法公布に至る事実の時系列を扱っている。本稿は,その時系列の裏側にある法理論上の問い――明治憲法の改正手続によって天皇主権を国民主権へ全面的に転換することが,なぜ法的に正当化できるのか――に絞って検討する。この問いに対する代表的な説明が,憲法学者・宮沢俊義が提唱した「八月革命説」である。本稿では,八月革命説の内容,これと並び立つ・対立する学説,宮沢と法哲学者・尾高朝雄との間で交わされた論争,及び現在の学界における位置づけを,原典に当たって整理する。
2 結論の要旨
日本国憲法は,形式上,明治憲法第七十三条の改正手続によって成立した。しかし,明治憲法が天皇主権を根本原理としていたのに対し,日本国憲法の前文は国民主権を宣言しており,通常の改正手続で根本原理そのものを転換することは,憲法改正に限界があるとする立場からは説明が難しい。宮沢俊義は,1945年8月のポツダム宣言受諾によって「法律的意味における革命」が生じ,この革命によって国民主権が成立したとする「八月革命説」でこの矛盾を説明した。この説は現在も憲法学の教科書で広く紹介される有力な説明であるが,「通説」と明言する一次資料はなく,学界内外から一貫して批判も受けてきた。以下,この経緯を条文と一次資料に即して見ていく。
第2 上諭と前文の間にある論理的緊張
日本国憲法の公布文である上諭は,「朕は,日本国民の総意に基いて,新日本建設の礎が,定まるに至つたことを,深くよろこび,枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し,ここにこれを公布せしめる。」と定める(国立公文書館デジタルアーカイブ「日本国憲法・御署名原本」)。ここで裁可の対象とされているのは「帝国憲法の改正」であって「日本国憲法」そのものではない。国立公文書館の請求目録上の件名も「帝国憲法ヲ改正スル(日本国憲法)」であり,形式上は明治憲法第七十三条による改正として処理されたことが分かる。
これに対し,日本国憲法前文は「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,……主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する」と定める(日本国憲法前文)。明治憲法第一条は「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」,第四条は「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」と定めており,天皇主権を根本原理としていた(Wikisource「大日本帝國憲法」)。明治憲法第七十三条は,改正の発議が勅命によること,両議院とも総員の三分の二以上の出席と出席議員の三分の二以上の多数決を要することを定める通常の改正手続にすぎず,天皇主権という根本原理自体を書き換える権限までを与えたものと読めるかは,条文上は明らかでない。天皇主権を根本原理とする憲法の通常の改正手続によって,国民主権という正反対の原理を採用することが法的に可能かという問いが,ここから生じる。
第3 八月革命説とは何か――宮沢俊義の説明
1 提唱の経緯と原典
八月革命説は,憲法学者・宮沢俊義が1946年5月,雑誌『世界文化』第1巻第4号に発表した論文「八月革命と国民主権主義」(原題「八月革命の憲法史的意味」)で提唱した(頴原善徳「八月革命説再考のための覚書」立命館大学人文科学研究所紀要97号注1)。この論文は,同年3月6日に幣原内閣が発表した「憲法改正草案要綱」,同年4月17日発表の「憲法改正草案」という当時の立法動向を受け,第90回帝国議会での審議を前に書かれたものである。宮沢は同論文で,「政府案は,おそらく意識的であらう,「国民が主権を有する」といふ類の表現を全く用ゐてゐない。しかし,それにもかはらず,その原則を根本建前として承認してゐることは疑ひを容れない」(65頁)と述べ,草案が国民主権主義を前提としていることを指摘した。同論文は後に修正の上「日本国憲法生誕の法理」と改題され,『日本国憲法 別冊付録』(法律学体系コンメンタール篇,日本評論新社,1955年9月30日刊)に収録され,のち『憲法の原理』(岩波書店,1967年)にも収録された。
2 理論の内容
宮沢の理論は二段階からなる(山下威士「8月革命説と4月制定説」帝京大学)。第一に,ポツダム宣言が求めた「国民の自由に表明された意思にもとづく」政府樹立という要求を日本が受諾したことにより,明治憲法第一条にもとづき天皇が有していた国内主権が,国民に移ったという国内法上の主権移動の構成である。第二に,ポツダム宣言の国際法としての拘束力が日本の国家主権に直接及ぶという国際法解釈である。宮沢はこの転換を「国体の変革が,いわば『債権的』にではなく,『物権的』に生じる」と表現した。1955年の「日本国憲法生誕の法理」(315頁~317頁)では,「(ポツダム宣言の受諾の意味は)日本の最終的な政治形体の決定権を国民が持つという意味(であり)……かような変革は,もとより日本政府が合法的になし得る限りではなかった。天皇の意思をもってしても,合法的になしえないはずであった。……これは,憲法的には,革命をもって目すべきものであり……降伏によって,つまりひとつの革命が行われたのである」と明言している(山下論文が原文を直接引用)。すなわち,天皇主権から国民主権への転換は,明治憲法の枠内では起こり得ない性質のものであるからこそ,これを「改正」ではなく法的意味での「革命」と呼ぶ,という論理である。
第4 帝国議会は法的連続性をどう説明したか
第90回帝国議会の審議では,政府側はこの理論とは異なり,法的連続性を維持する立場から説明を行った。1946年6月26日の衆議院本会議で,鈴木義男議員の質問に対し,金森徳次郎国務大臣は次のように答弁した(帝国議会会議録検索システム 第90回帝国議会衆議院本会議第6号)。
「私は「ポツダム」宣言は憲法改正權等の所在に付て直接に物的變動を起して居るものではないと考へて居ります,唯「ポツダム」宣言に基く義務を此の現行憲法の秩序の下に實現して行くのである,言換へますれば現行憲法七十三條の規定に從つて新たなる憲法改正を行ひ,それに依つて「ポツダム」宣言の趣旨を實行して行き得るものと云ふ解釋に出發して居ります」
同じ答弁で金森は,主権は「天皇を含みたる国民全体に在り」としつつ,「主権」という語が多義的であることを理由に条文には用いず,「国民の総意が至高である」との表現を採ったと説明している。さらに,1946年9月6日の貴族院帝国憲法改正案特別委員会では,松村眞一郎議員が,明治憲法を廃止して新たに日本国憲法を制定するという法形式もあり得たのではないかと問うたのに対し,金森は「廢止すると云ふことも,……政府としては,實際に於て必要がありませぬので,さう云ふ點は考へて居なかつた……七十三條は固より重點を置きまして,種々なる角度から研究をして今囘の手續きを結了したのであります」と答弁した(同システム 第90回帝国議会貴族院特別委員会第6号)。すなわち政府は,天皇主権から国民主権への転換を「革命」とは説明せず,あくまで明治憲法第七十三条による通常の改正として一貫した説明を行った。この政府の説明と,学説として提示された八月革命説とは,同じ結論(明治憲法第七十三条による改正手続の利用)を支えながら,その法的性質づけを異にしている。
第5 八月革命説と並び立つ・対立する学説
八月革命説以外にも,日本国憲法成立の法理を説明する学説が複数存在する(青木誠弘「八月革命説に対する一つの代替案」『憲法論叢』2019年9号脚注)。
| 学説 | 提唱者・出典 | 要旨 |
|---|---|---|
| 欽定憲法説 | 佐々木惣一『改訂 日本国憲法論』(有斐閣,1952年)113頁~114頁 | 憲法改正無限界説を前提に,日本国憲法も天皇が定めた欽定憲法にとどまるとする |
| 便宜借用説 | 清宮四郎『憲法Ⅰ〔第3版〕』(有斐閣,1979年)51頁 | 実質は新たな制定だが,明治憲法第七十三条を便宜的に借用したにとどまるとする |
| 段階的主権顕現説 | 佐藤幸治『日本国憲法論』(成文堂,2011年)68頁 | ポツダム宣言の一回の受諾ではなく,帝国議会の審議過程を通じて国民の意思が段階的に顕現したとする |
| 法定追認説 | 大石眞『憲法講義Ⅰ』(有斐閣,2版2009年)56頁 | 制定当初は瑕疵があったが,その後の主権回復等を経て事後に追認されたとする |
段階的主権顕現説を主張する佐藤幸治は,ポツダム宣言に国民主権の要求が含まれていたか自体に当時から疑義があったこと,宣言受諾後も占領統治は明治憲法の秩序の下で行われていたこと,明治憲法第七十三条を用いる根拠が薄弱であることを八月革命説への批判として挙げている。法定追認説を主張する大石眞も,占領管理下という主権が制約された状態での「国民主権」という説明への疑問,国際法優位の一元論への依存,枢密院・貴族院という非民主的機関が改正手続に関与したことの位置づけが不明確である点を指摘する。このほか,竹田恒泰は改正限界説の枠内でも有効な改正だったとする立場(有効改正説),八木秀次はポツダム宣言・バーンズ回答の「自由に表明される意思」は国民主権ではなく民族自決を意味するとの立場を示しており,いずれもポツダム宣言の要求内容の理解そのものを出発点で疑問視する点で共通する。
第6 尾高朝雄との論争――「尾高・宮沢論争」の実際
八月革命説をめぐっては,法哲学者・尾高朝雄との間で交わされた「尾高・宮沢論争」がしばしば言及される。この論争は,1946年10月から翌年5月にかけて雑誌『世界文化』誌上で行われたと紹介されることがあるが,主要な往復論文を確認すると,実際には1946年10月から1950年にかけて,主に『国家学会雑誌』誌上で展開されている(藤崎剛人「主権・ノモス・均衡・天皇――尾高朝雄とカール・シュミット」東京大学駒場ドイツ語研究会レジュメ)。国立国会図書館デジタルコレクションの書誌情報で確認すると,端緒となる論考は,尾高朝雄「國民主權と天皇制」(『国家学会雑誌』60巻10号,1946年10月,214頁~239頁)である。同号は「特輯 新憲法の研究(一)」と題する特集号であり,宮沢俊義も同じ号に「新憲法の概観」(197頁~213頁)を寄稿している。順に,尾高朝雄「國民主權と天皇制」(同60巻10号,1946年10月),宮沢俊義「国民主権と天皇制とについてのおぼえがき」(同62巻,1948年),尾高朝雄「ノモスの主権について」(同62巻594頁,1948年),宮沢俊義「ノモスの主権とソクラテス」(同63巻,1949年),尾高朝雄「事実としての主権と当為としての主権」(同64巻,1950年)という5篇の応酬である。尾高の主著『国民主権と天皇制』(憲法普及会編,国立書院,昭和22年〔1947年〕)も別途刊行されている。
尾高の主張は,宮沢が「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」として天皇主権か国民主権かという主権の所在を論じたのに対し,主権概念それ自体を問い直す点にあった。尾高は「国家の政治の在り方を最終的にきめるものが主権であるならば,主権はノモスにある」とし,「あらゆる法の上にある実力としての主権の概念は,今日では根本から改鋳されなければならない」と,宮沢の主権論を実力決定論だと批判した(奥野恒久「国民主権論と民主主義論」立命館法学2010年5・6号367頁)。これに対し宮沢は,尾高の議論を「天皇制に与えられた致命的とも言うべき傷を包み,できるだけそれに昔ながらの外観を求めようとするホウタイの役割を演じようとするものである」と評して反論した(宮沢『憲法の原理』岩波書店,1967年,299頁)。両者の議論がどこまでかみ合っていたかについては見方が分かれる。尾高が主権移行そのものの法的説明として八月革命説を妥当と認めた上で国体の連続性を別途説明しようとしたにとどまるという整理がある一方,尾高の批判は宮沢が前提とする主権概念そのものに向けられており,広い意味では八月革命説の前提への疑問とも読めるとする見方もあり,この点は原典(尾高・宮沢双方の論文)に直接当たって確認する必要が残る。論争の決着については,多くの憲法学者によって宮沢の優勢と受け止められてきたと評され,尾高のノモス主権論はその後の憲法解釈論において通説的な位置を占めるには至らなかった。
第7 現在の学説状況
八月革命説は現在も憲法学の教科書で広く紹介されるが,これを無条件に「通説」と明言する一次資料は確認できなかった。衆議院憲法審査会事務局が2016年11月に作成した公式資料は,芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法〔第6版〕』(岩波書店,2015年)392頁等を典拠に,「明治憲法の改正手続に則って現行憲法が制定されたことについては,法的連続性がないものと説明されている(8月革命説)」と述べ,憲法改正限界説の枠内での標準的な説明として紹介している(衆議院憲法審査会事務局「立憲主義,憲法改正の限界,違憲立法審査の在り方に関する資料」衆憲資第91号)。もっとも,学界内部からは前記の段階的主権顕現説・法定追認説による理論的批判が続いており,学界外からも,国民主権の要求内容そのものへの疑問を出発点とする批判が示されている。八月革命説は,このように,多くの教科書で紹介される有力な説明でありながら,一次資料上「通説」と明言されているわけではなく,複数の対立する説明が今なお併存している状況にあると整理するのが実情に即している。
第8 本稿で確認できなかった点
宮沢俊義「八月革命と国民主権主義」(『世界文化』第1巻第4号,1946年5月,64頁~71頁)は,国立国会図書館デジタルコレクションで所在を確認したものの,個人送信サービスの対象外であり,遠隔複写サービスの利用又は来館によらなければ全文を閲覧できず,本稿の調査範囲ではオンラインでの全文到達ができなかった。本稿の引用は,同論文を直接引用する学術論文(頴原善徳論文,山下威士論文)を介した確認にとどまる。尾高朝雄「國民主權と天皇制」(『国家学会雑誌』60巻10号)についても同様に個人送信サービスの対象外で全文到達ができなかったが,同論文を収めたとみられる尾高の著書『国民主権と天皇制』(憲法普及会編,国立書院,昭和22年)は国立国会図書館デジタルコレクションでログインなしに閲覧可能であることを確認した。もっとも,同書所収稿と『国家学会雑誌』初出稿との異同(加筆修正の有無)までは確認できていない。また,現行最新版の代表的な憲法教科書における八月革命説の記述文言そのものの原文,及び2020年以降に八月革命説を正面から再検討した学術論文の有無についても,本稿の調査範囲では確認できなかった。これらは今後,原典に当たって補うべき課題として残る。
出典・参考資料
1 法令・公文書
①日本国憲法前文(e-Gov法令検索)
②大日本帝國憲法第一条,第三条,第四条,第七十三条(Wikisource)
③国立公文書館デジタルアーカイブ「日本国憲法・御署名原本」(昭和21年11月3日付上諭)
④帝国議会会議録検索システム 第90回帝国議会衆議院本会議第6号(昭和21年6月26日,金森徳次郎国務大臣答弁)
⑤帝国議会会議録検索システム 第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会第6号(昭和21年9月6日,金森徳次郎国務大臣答弁)
⑥衆議院憲法審査会事務局「立憲主義,憲法改正の限界,違憲立法審査の在り方に関する資料」(衆憲資第91号)(平成28年11月)
2 文献
①宮沢俊義「八月革命と国民主権主義」『世界文化』第1巻第4号(1946年5月)64頁~71頁
②宮沢俊義「日本国憲法生誕の法理」『日本国憲法 別冊付録』法律学体系コンメンタール篇(日本評論新社,1955年)315頁~317頁
③宮沢俊義『憲法の原理』(岩波書店,1967年)299頁
④芦部信喜『憲法〔新版〕』(岩波書店,1997年)29頁~31頁
⑤佐々木惣一『改訂 日本国憲法論』(有斐閣,1952年)113頁~114頁
⑥清宮四郎『憲法Ⅰ〔第3版〕』(有斐閣,1979年)51頁
⑦佐藤幸治『日本国憲法論』(成文堂,2011年)68頁
⑧大石眞『憲法講義Ⅰ〔第2版〕』(有斐閣,2009年)56頁
3 ウェブ資料
①頴原善徳「八月革命説再考のための覚書」(立命館大学人文科学研究所紀要97号)37頁~46頁
②山下威士「8月革命説と4月制定説――日本国憲法の誕生日はいつか――」(帝京大学)
③青木誠弘「八月革命説に対する一つの代替案」(『憲法論叢』2019年9号,日本法社会学会)
④奥野恒久「国民主権論と民主主義論」(立命館法学2010年5・6号)367頁
⑤藤崎剛人「主権・ノモス・均衡・天皇――尾高朝雄とカール・シュミット」(東京大学駒場ドイツ語研究会レジュメ)
⑥国立国会図書館デジタルコレクション「国家学会雑誌 60(10)(701)」(尾高朝雄「國民主權と天皇制」214頁~239頁ほか所収,書誌情報のみ確認,個人送信サービス対象外)
⑦国立国会図書館デジタルコレクション「国民主権と天皇制」(尾高朝雄,憲法普及会編,国立書院,昭和22年,ログインなしで閲覧可能)
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