目次
第1 7月26日のポツダム宣言の発表及びその後の放送
1 ポツダム会談
2 7月26日のポツダム宣言の発表
3 ポツダム宣言の放送
4 日本軍に関するポツダム宣言の条項
第2 日本側の当初の反応からソ連対日参戦まで
1 7月27日のポツダム宣言の公表
2 7月28日の黙殺発言
3 8月6日の広島市への原子爆弾投下
4 8月8日のソ連の対日宣戦布告
5 8月9日のソ連の対日参戦
第3 1回目のポツダム宣言受諾通告及びバーンズ回答
1 1回目のポツダム宣言受諾通告
2 8月11日のバーンズ回答
第4 バーンズ回答後,玉音放送までの経緯
1 2回目のポツダム宣言受諾通告
2 8月15日の玉音放送
第5 ポツダム宣言受諾から降伏文書調印までの陸海軍内部の経緯
1 8月14日の大本営の指示内容
2 大本営による停戦命令
3 降伏文書及び一般命令第一号
第6 明治憲法に基づく勅令等とヒトラーの総統命令等の比較
1 明治憲法に基づく勅令等の位置付け
2 ヒトラーの総統命令等の位置付け
第7 1928年8月署名の不戦条約の,「人民ノ名ニ於テ」問題
1 不戦条約の本文
2 帝国政府宣言書
3 日本政府が不戦条約を批准するまでの経緯
第8 関連記事その他
第1 7月26日のポツダム宣言の発表及びその後の放送
1 ポツダム会談
(1) 昭和20年7月17日から8月2日にかけて,ソ連の占領地域となったドイツ・ポツダムに米英ソの3カ国の首脳が集まり,第二次世界大戦の戦後処理を決定するため,ポツダム会談が実施されました。
(2) ツェツィーリエンホーフ宮殿は,1917年,当時の皇太子であったヴィルヘルム・フォン・プロイセンのために建設された宮殿であり,1990年,宮殿の建物及び庭園は「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
この頃、ベルリンの南西に位置するポツダム・ツェツィーリエンホーフ宮殿ではトルーマン(米大統領)、チャーチル(英首相)、スターリン(ソ連首相)による首脳会談と、米・英・ソ・仏・中の五カ国外相による外相理事会が行われていた。 #芙蓉録 pic.twitter.com/9jy43KEO7w
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 23, 2021
2 7月26日のポツダム宣言の発表
(1) 7月26日午後9時20分(ベルリン時間)にポツダム宣言が発表されました。
(2) 蒋介石主席はポツダム会談に参加していませんでしたし,1945年7月のイギリス総選挙の敗北によりチャーチル首相が一時帰国していたため,トルーマン大統領が3人分の署名をポツダム宣言に行いました。
ポツダム宣言の草案からは、スティムソン陸軍長官がこだわっていた「現在の皇室の下での立憲君主制」の維持を認めるという一文が削除されており、日本が降伏を拒否する事はトルーマン自身が一番よく知っていた。
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 23, 2021
1945年7月26日20:00(BST 7月26日12:00) 英国で7月5日に投票が行われた下院議会総選挙の開票が行われた。26日正午までにクレメント・アトリーが率いる労働党の勝利が確実となり、与党・保守党の敗北とウィンストン・チャーチルの首相退陣が決まった #芙蓉録 pic.twitter.com/4TQFCUk2XC
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 26, 2021
3 ポツダム宣言の放送
(1) 7月27日午前5時(東京時間),戦時情報局(OWI)の西海岸の短波送信機から英語の放送が始まり,重要な部分は午前5時5分から日本語で放送されました。
(2) 同日午前7時,日本語の全文の放送がサンフランシスコ放送で開始されました。
(3) 日本側では外務省,同盟通信社,陸軍,海軍の各受信施設が第一報を受信しました。
1945年7月27日02:00(CEST 7月26日19:00) バーンズ米国務長官が、ポツダム宣言のコピーを報道陣に配布する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 26, 2021
1945年7月27日05:00(EDT 7月26日16:00) 米戦争情報局(OWI)が、西海岸の短波送信機を使用し「日本への降伏要求の最終宣言(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)」(通称、ポツダム宣言)の放送を開始する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 26, 2021
1945年7月27日07:00(EDT 7月26日18:00) サンフランシスコ放送がポツダム宣言(日本語訳)の放送を開始する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 26, 2021
4 日本軍に関するポツダム宣言の条項
・ 日本軍に関するポツダム宣言の条項は以下のとおりでした。
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
十三 吾等ハ日本國政府ガ直ニ全日本國軍隊ノ無條件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適當且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ對シ要求ス
第2 日本側の当初の反応からソ連対日参戦まで
1 7月27日のポツダム宣言の公表
(1) 7月27日,日本政府はポツダム宣言の存在を論評なしに公表しました。
(2) 7月28日の新聞報道では,読売新聞で「笑止、対日降伏条件」、毎日新聞で「笑止! 米英蔣共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などという新聞社による論評が加えられていた。
1945年7月27日08:00 ポツダム宣言の放送を受け、外務省にて緊急幹部会(東郷外相、松本俊一次官、渋沢信一条約局長、安東義良政務局長)が開かれる。この会合で東郷大臣を含む外務省の意思は「ポツダム宣言の受諾」で一致する
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 26, 2021
1945年7月27日11:10 東郷外務大臣が天皇に拝謁。英国総選挙の結果やポツダム宣言の詳細な内容について奏上する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 27, 2021
1945年7月27日13:00 最高戦争指導会議でポツダム宣言が議題に上がる。阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長は拒否すべきと強硬論を展開する一方、鈴木首相と東郷外相はソ連の出方を見るべきと主張。議論の結果、ポツダム宣言には反応せず、静観することが決まった
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 27, 2021
東郷外相「ポツダム宣言は『条件付降伏』を呼びかけたものであり、拒否することは由々しき事態をもたらす。政府は宣言に関するいかなる発言も慎み、ソ連との交渉の道を歩むべき」 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 27, 2021
1945年7月27日13:25 木戸内大臣が、天皇に拝謁。モスクワにおける交渉を待つ事で意見が一致する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 27, 2021
1945年7月27日19:00 日本放送協会のラジオ放送でポツダム宣言の内容が国民向けに発表される #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 27, 2021
1945年7月26日、連合国は大日本帝国に降伏を要求(ポツダム宣言)。この時点で受諾していれば、広島と長崎の原爆や、8月14日の大阪大空襲などの無差別空襲での数十万人の死は回避できた。
だが、当時朝日新聞等が何と書いたか。「笑止!」笑わせるな、と。当時の反省は今の大手メディアにはない様子。 pic.twitter.com/HtiIKnyDz7
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) May 22, 2021
2 7月28日の黙殺発言
(1) 7月28日,鈴木貫太郎首相は,記者会見において,「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し断固戦争完遂に邁進する」と述べ,7月29日の朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道されました。
(2) 「黙殺」につき,同盟通信社では「ignore」と英語に翻訳され,またロイターとAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。
1945年7月28日11:00 ポツダム宣言に関し、新聞記事に歩調を合わせた陸海軍統帥部から「政府として意思表示が必要である」との申し入れが行われ、鈴木首相は同意する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 28, 2021
1945年7月28日16:00 鈴木首相は、記者会見でポツダム宣言について「私はあの共同宣言はカイロ宣言の焼直しであると考えている。政府としては何ら重大な価値ありとは考えない。ただ黙殺するだけである。我々は戦争完遂にあくまで邁進するのみである」と答える #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 28, 2021
鈴木首相は言及できない(No comment)という意味で発言をしたが、報道各社は改めて「黙殺」と報じる。同盟通信社は「全面的無視(Ignore it entirely)」と翻訳して海外へ配信、ロイターとAPは「拒否(Reject)」と書いた。 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 28, 2021
黙殺発言は、終戦工作を行っている東郷外相と高木少将を慌てさせた。特に27日の閣議で日本政府として意思表示をしないという取り決めが守られなかっただけでなく、一切の相談も無しにコメントが出された事に憤慨した東郷外相は鈴木首相に強く抗議した。 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 28, 2021
「7月28日に東京ラジオは日本政府が戦争を継続すると報道した。アメリカ、イギリス、中国による共同最後通牒に対する回答はなかった。我々にはもはや選択肢はなかった。原爆は日本がその前に降伏しなければ、8月3日より後に投下されることになっていた」
―トルーマン大統領の回顧録より―
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 28, 2021
3 8月6日の広島市への原子爆弾投下
・ 8月6日午前8時15分,広島市に原子爆弾が投下されました。
7月30日、朝日新聞は朝刊で「昼間に侵入する敵B-29の1機投弾が常態化している」とする記事を掲載した。記事では「1機のために仕事をやめる必要はない」としつつも、「警戒警報はあくまで警戒警報であり、警報に対する心持ちは必要」と油断しないよう警鐘を鳴らしている #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 30, 2021
この頃、原子爆弾投下作戦を担う第509混成群団は、B-29を単機で日本上空に侵入させ、訓練用大型爆弾「パンプキン」の投下を行う「特殊爆撃任務」を行っていた。これは搭乗員に実戦経験を通じて日本本土の地理を周知させる一方、日本人に少数機で飛ぶB-29の姿を見慣れさせることが目的だった #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 30, 2021
1945年8月6日01:45(ChST 8月6日02:45) V-82「エノラ・ゲイ」が、テニアン北飛行場A滑走路を離陸 https://t.co/lhIENOD3Vn #8月6日 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 5, 2021
1945年8月6日08:20
【発:V-82「エノラ・ゲイ」 宛:第509混成群団司令部】
雲量1/10の雲を通して、1機が広島を目視爆撃した。結果良好。
投下時刻は052315Z。対空砲火も敵機の抵抗もなし。
以上
#8月6日 #芙蓉録 pic.twitter.com/0ANP9DpkQJ— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 5, 2021
1945年8月6日13:55 V-82「エノラ・ゲイ」以下センターボード作戦参加機が、テニアン北飛行場に着陸。カール・スパーツ少将より機長ティベッツ大佐に対し殊勲十字章が授与される #8月6日 #芙蓉録 pic.twitter.com/xpOwebODyI
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 6, 2021
4 8月8日のソ連の対日宣戦布告
(1)ア 日本政府は,昭和20年6月18日の最高戦争指導会議構成員会議において和平仲介を対ソ交渉に加えることを決定し,同月22日の御前会議において改めてこのことを確認し,7月10日の最高戦争指導会議構成員会議において近衛文麿 元首相を特使として派遣することを決定しました。
イ ソ連政府からは目的が不明なため特使派遣の受入れの可否を即答できないと回答されたものの,ソ連がポツダム宣言に加わっていないこともあり,日本政府としては,ポツダム宣言発表後もソ連による仲介の可能性に希望を残していました。
1945年8月1日10:10 加瀬俊一駐スイス公使は、ポツダム宣言がソ連の合意を得て発表され、米英ソでなんらかの取り決めが行われた可能性があるとの見解を外務省に打電する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 1, 2021
1945年8月4日22:28 佐藤駐ソ大使は「ポツダム宣言に基づいた交渉以外に選択肢は無い」とし、戦争責任者を出すことは不可避とする認識を外務省へ打電する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 4, 2021
(2)ア 昭和16年4月13日にモスクワで調印され,同月25日に発効した日ソ中立条約は,昭和20年4月5日に不延長を通告されたものの,昭和21年4月25日までは有効でした(同条約3条)。
そのため,トルーマン大統領は,スターリンに対し,ソ連の対日参戦は国際法に違反しないことを説明するため,昭和20年7月31日,以下の内容の書簡を送りました(OFFICE OF THE HISTORIANの「President Truman to Generalissimo Stalin[Babelsberg,] July 31, 1945.」からの貼り付けです。)。
Dear Generalissimo Stalin: Paragraph 5 of the Declaration signed at Moscow, October 30, 1943 by the United States, the Soviet Union, the United Kingdom and China, provides:
“5. That for the purpose of maintaining international peace and security pending the reestablishment of law and order and the inauguration of a system of general security, they will consult with one another and as occasion requires with other members of the United Nations with a view to joint action on behalf of the community of nations.”
Article 106 of the proposed Charter of the United Nations provides:
“Pending the coming into force of such special agreements referred to in Article 43 as in the opinion of the Security Council enable it to [Page 1334]begin the exercise of its responsibilities under Article 42, the parties to the Four-Nation Declaration, signed at Moscow, October 30, 1943, and France, shall, in accordance with the provisions of paragraph 5 of that Declaration, consult with one another and as occasion requires with other Members of the United Nations with a view to such joint action on behalf of the Organization as may be necessary for the purpose of maintaining international peace and security.”
Article 103 of the Charter provides:
“In the event of a conflict between the obligations of the Members of the United Nations under the present Charter and their obligations under any other international agreement, their obligations under the present Charter shall prevail.”
Though the Charter has not been formally ratified, at San Francisco it was agreed to by the Representatives of the Union of Soviet Socialist Republics and the Soviet government will be one of the permanent members of the Security Council.
It seems to me that under the terms of the Moscow Declaration and the provisions of the Charter, above referred to, it would be proper for the Soviet Union to indicate its willingness to consult and cooperate with other great powers now at war with Japan with a view to joint action on behalf of the community of nations to maintain peace and security.
Sincerely yours,
イ 北方領土問題HPの「3.千島列島のロシア領有(北方領土問題の歴史・経緯)」には,昭和20年7月31日のトルーマン書簡に関して以下の記載があります。
「1943年10月31日のモスコー宣言では、法と秩序が回復し一般的安全保障制度が創設せられるまで、平和と安全を維持するために、(米英ソ3国は)相互に協議をとげ、国際社会のために共同行動をとることになっている。また、いまだ批准されていないが国際連合憲章草案の第106条でも、憲章の効力を生ずるまでは四大国がモスコー宣言に基づいて行動することになっているし、また第103条では国際連合憲章による義務と他の国際協定の義務が矛盾する場合は、憲章に基づく義務が優先する。ソ連は平和と安全を維持する目的で、国際社会に代わって共同行動をとる為に、日本と戦争中の他の大国と協力せんとするものであるというべきである。」(萩原徹/著「大戦の解剖」1950年、読売新聞社 P261-P267)
ウ(ア) 1943年10月30日に米英ソ中によって採択されたモスクワ宣言第5項は以下のような内容です(私が個人的に第5項を日本語に訳しただけです。)。
法と秩序の再構築及び集団的安全保障体制の発足までの間,4国宣言の当事国は,国際の平和及び安全の維持のために,必要な共同行動を国際社会に代わってとるために相互に及び必要に応じて他の連合国と協議する。
(イ) 1945年6月24日にサン・フランシスコ市において調印され,同年10月24日に発効した国際連合憲章の関係条文は以下のとおりです。
第103条
国際連合加盟国のこの憲章に基く義務と他のいずれかの国際協定に基く義務とが抵触するときは、この憲章に基く義務が優先する。
第106条
第43条に掲げる特別協定でそれによって安全保障理事会が第42条に基く責任の遂行を開始することができると認めるものが効力を生ずるまでの間、1943年10月30日にモスコーで署名された4国宣言の当事国及びフランスは、この宣言の第5項の規定に従って、国際の平和及び安全の維持のために必要な共同行動をこの機構に代ってとるために相互に及び必要に応じて他の国際連合加盟国と協議しなければならない。
1945年8月2日11:00(CEST 8月2日03:00) ポツダム会談が終わる。トルーマンはスターリンに「貴下がポツダム宣言に署名せずとも、モスクワ宣言と国際連合憲章に基づき日本に宣戦する事が可能である」と伝える #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 2, 2021
(3) 8月8日午後11時,特使派遣に対する回答を得られると期待して面会に赴いた佐藤尚武駐ソ大使に対し,ソ連のモロトフ外務大臣が交付したソ連の宣戦布告文は以下のとおりであって(太平洋戦争とは何だったのかHPの「ソ連-対日宣戦布告文」参照),1945年2月11日署名のヤルタ協定には言及されていませんでした。
ヒットラードイツの敗北ならびに降伏の後、日本は依然として戦争の継続を主張する唯一の大国となった。日本武装兵力の無条件降伏を要求した今年7月26日の三国すなわちアメリカ合衆国、英国ならびに支那の要求は、日本の拒否するところとなった。
従って、極東戦争に対する調停に関するソビエト連邦に宛てられた日本政府の提案は、一切の基礎を失った。調停に関する日本の降伏拒否を考慮し、連合国はソビエト政府に対して日本の侵略に対する戦争に参加し、戦争終結の時期を短縮し、犠牲の数を少なくし、全面的平和をできる限り速やかに克復することを促進するよう提案した。ソビエト政府は連合国に対する自国の義務に従い、連合国の提案を受諾し、本年7月26日の連合各国の宣言に参加した。
ソビエト政府においては自国の政府の右進路が平和を促進し、各国民を今後新たな犠牲と苦難とから救い、日本国民をしてドイツが無条件降伏を拒否した後被った危険と破壊を避けしめ得る唯一の方途と思惟する。
以上に鑑み、ソビエト政府は明日すなわち8月9日よりソビエト連邦が日本と戦争状態に入る旨宣言する。
1945年7月31日21:55 在ソ大使館からの電文が外務省に届く。佐藤駐ソ大使は「(スターリンは)日本が降伏した場合、満洲、支那、朝鮮に関して米英支と重圧を加えて自己の主張を貫徹する見込みを立てており、日本と不可侵条約を維持し続ける必要は皆無」と東郷大臣に警告した #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 31, 2021
1945年8月6日17:00
【外務省第991号電 発:東郷外務大臣 宛:佐藤駐ソ大使】
「スターリン」、「モロトフ」、本日「モスコー」に歸還せる趣なるが諸種の都合あるに付至急『モ』と會見の上回答督促せられたし(了)
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 6, 2021
【在ソ連大使館第1097号電 発:佐藤大使 宛:東郷外相】
「モロトフ」歸莫と共に早速會見方申込み「ロゾフスキー」にも右斡旋方重ねて依賴せる所、七日「モ」より明八日午後五時會見し得べき旨豫告し來たれり(了)
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 7, 2021
1945年8月7日19:50 佐藤駐ソ大使は外務省本省に、モロトフ外相との会談がモスクワ時間8日17時(日本時間8日23時)に設定されたことを報告する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 7, 2021
1945年8月8日23:00(MSK 8月8日17:00) ソヴィエト連邦の首都・モスクワで佐藤尚武駐ソ日本大使が、ソ連外務人民委員ヴャチェスラフ・モロトフの執務室を訪れる。モロトフ外相は「挨拶はいい。これからソ連政府の名に於いて声明を読み上げる」の述べ、対日宣戦を通告する #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 8, 2021
(4) 駐ソ大使が送ったソ連の対日宣戦布告文に関する公電はソ連当局によって電報局で封鎖されたため,日本の外務省には届きませんでしたから,午前4時頃のソ連の国営タス通信(1992年以降はロシアのイタルタス通信)の報道等により,日本政府はソ連の対日参戦を知りました(産経新聞HPの「対日宣戦布告時、ソ連が公電遮断 英極秘文書」参照)。
1945年8月8日23:00(MSK 8月8日17:00) ソ連内務人民委員部が在モスクワ日本大使館を封鎖。無線機を没収するとともに電話電信の差止めを実施する #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 8, 2021
1945年8月9日01:00(MSK 8月8日19:00) モロトフ外相がクラーク駐ソ英大使とハリマン駐ソ米大使に対日宣戦布告文書のコピーを手渡す #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 8, 2021
1945年8月9日04:00 モスクワ放送が、モロトフ外相が佐藤大使に対日宣戦布告を手交しソ連軍が対日攻勢作戦を発動したと伝える #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 8, 2021
1945年8月9日05:00(EDT 8月8日15:00) トルーマン米大統領がホワイトハウスで記者会見を行い、ソ連の対日宣戦布告を発表する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 8, 2020
1945年8月9日06:00 参謀次長の河辺虎四郎中将のもとに「ソ連対日宣戦布告」の報告が上げられる #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 8, 2021
1945年8月10日11:15 マリク駐日ソ連大使が東郷外相を訪問し、対日宣戦布告文を読み上げる。東郷外相はソ連の対日参戦に抗議すると共に、日本がポツダム宣言受諾を決定した事を伝える #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 10, 2021
1945年8月9日、ナチス・ドイツの東側の同盟国であった日本との戦争で鍵となる戦いとなった、赤軍による満州戦略攻撃作戦が開始された。その一日前の1945年8月8日、米国と英国という、ヒトラーに抗する二つの連合国に対する義務をはたすべく、ソ連は在モスクワ日本大使に、宣戦布告の文書を手交しました pic.twitter.com/cEhgsPqVx7
— 駐日ロシア連邦大使館 (@RusEmbassyJ) August 9, 2020
5 8月9日のソ連の対日参戦
(1) 8月9日未明,極東ソ連軍が満州への侵攻作戦を開始しました。
【発:ソ連軍最高司令部 宛:極東ソ連軍総司令官】
全ての前線の航空機による戦闘は、第一にハルビン並びに長春への爆撃を目標に、8月9日朝に開始すべし。
#対ソ防衛戦 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 7, 2021
1945年8月7日22:30(MSK 8月7日16:30) ソ連軍最高司令部は、極東ソ連軍(総司令官:アレクサンドル・ワシレフスキー元帥)に対してザバイカル時間8月9日零時に対日攻勢作戦を発動することを命じる #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 7, 2021
1945年8月9日00:00 極東ソ連軍が対日攻勢作戦を発動。西部よりザバイカル方面軍、東部より第1極東方面軍、東北部より第2極東方面軍がそれぞれ満洲国境を突破し、新京へ向けて進撃を開始する #対ソ防衛戦 #芙蓉録 pic.twitter.com/S1E2dWogdX
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 8, 2021
(2) Wikipediaの「ソ連対日参戦」には「関東州を含めた在満洲日本人居留民は155万~160万人、その約14%にあたる27万人が開拓民であり、うち7万8500人が死亡した。これは日本人死亡者17万6千人の45%にあたる」と書いてあります。
1945年8月10日14:00 関東軍総司令部は、当初の民間人避難構想を破棄。連絡がついた順より後送を始めるよう満鉄と大陸鉄道司令部へ要請する #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 10, 2021
1945年8月11日12:00 満洲国首都・新京駅より平壌行きの避難最終列車である第十八便が出発。避難できたのは新京在住者14万人中、約3万8千人(軍関係者家族約2万300人、政府関係者家族750人、満鉄関係者家族約1万6千人、その他若干) #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 11, 2021
一年前の駐日ロシア大使館のツイートです。当然、あれからロシアから何の謝罪もなく、今でもロシアはこの認識を持っています。極めてふざけた形で、ロシアはソ連の蛮行を絶賛し、日本人を侮辱しています。しかも、わざわざ日本語で書いて、日本人にもこの歴史認識を押し付けようとしています。 pic.twitter.com/C1JiSrjpW5
— グレンコ アンドリー(新刊「NATOの教訓」発売中) (@Gurenko_Andrii) August 11, 2021
【非軍事化・非ナチス化目指す】ロシアによるウクライナ侵攻について、ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使「我々はウクライナの非軍事化・非ナチス化を目指す。ロシアが今やってる作戦が完全に平和維持活動の目的に合致してる」
力による現状変更が平和維持とか、相変わらず言ってることが無茶苦茶。 pic.twitter.com/u9GtFjx5iZ
— Mi2 (@mi2_yes) February 25, 2022
第3 1回目のポツダム宣言受諾通告及びバーンズ回答1 1回目のポツダム宣言受諾通告
(1)ア 8月9日未明のソ連対日参戦を受けて開催された最高戦争指導会議構成員会議及び閣議では,ポツダム宣言受諾の可否について結論が出ませんでした。
1945年8月8日16:00 東郷外相が天皇に拝謁し、在ソ大使館第1097号電について奏上。佐藤・モロトフ会談に対応するため翌9日に最高戦争指導会議構成員会議を開催することが決まる #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 8, 2021
1945年8月9日10:30 宮城で最高戦争指導会議(鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長)が始まる。冒頭、鈴木首相よりポツダム宣言受諾が提議される #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 9, 2021
1945年8月9日11:36(ChST 8月9日12:36) 第313航空団司令部がワシントンに長崎市への原子爆弾投下を報告する #8月9日 #芙蓉録 pic.twitter.com/bjfrMPkJSJ
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1945年8月9日13:00 最高戦争指導会議の場に「長崎への原子爆弾投下」の情報がもたらされる #芙蓉録
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1945年8月9日13:30 鈴木首相が木戸内大臣に最高戦争指導会議の結果、ポツダム宣言受諾に対して四条件(国体護持、自主的武装解除、自主的戦犯処罰、可及的小範囲進駐)での回答が優勢と報告する #芙蓉録
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1945年8月9日14:30 鈴木内閣の臨時閣議が始まる。東郷外相がまずソ連の対日参戦について報告し、阿南陸相が満洲方面の戦況と捕虜から得た原子爆弾の情報を説明。続いて各閣僚から現状について報告が行われた #芙蓉録
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1945年8月9日14:45 大本営報道部は長崎への原爆投下を報道せず、西部軍管区司令部発表という形式で公表する #8月9日 #芙蓉録
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1945年8月9日16:00 重光葵と木戸内大臣が会見する。重光は四条件での回答は「内外収拾すべからざる大事に至る恐れ」があり、侵攻を続ける「ソ連の脅威」から皇室を守るためにも一条件での回答をすべきと説得。最終的に木戸内大臣は一条件案を受け入れる #芙蓉録
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1945年8月9日16:35 木戸内大臣が天皇に拝謁。高松宮、近衛文麿、重光葵の推す一条件案について言上する #芙蓉録
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1945年8月9日17:20 木戸内大臣が天皇への拝謁を終える。これまで四条件を付帯することを支持していた天皇は、一条件案へと意見を変える #芙蓉録
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1945年8月9日17:30 戦争指導にまつわる決定を行えないまま、臨時閣議が散会する。迫水久常内閣書記官長と松本俊一外務次官は「『聖断』で事を運ぶ他手段がない」と合意する #芙蓉録
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1945年8月9日18:30 鈴木内閣の臨時閣議が再開する #芙蓉録
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東郷外相「もともと相手方はネゴシエーションにすることを避けている。現に三国宣言の表示されし方法はその一つの現れである。ソ連が直ちに宣戦布告せしも亦同じことである」 #芙蓉録
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東郷外相「従ってこの際、バーゲンしようとしてもできない。談判による事は出来ないと考えねばならぬ。戦争の継続不能なる以上は普通の交渉はダメである。殊に原子弾の出現に加うるにソ連の参戦するあり。先方は承諾せぬものと見ねばならぬ」 #芙蓉録
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この閣議でも一条件案派と四条件案派に分かれ、議論は平行線のままとなった。なお四条件案を支持したのは阿南陸相の他、安井藤治国務大臣、松阪広政司法大臣、岡田忠彦厚生大臣、安倍源基内務大臣だった #芙蓉録
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太田文相「対ソ交渉が失敗したことの責任、そして只今の内閣の意見不統一からみましても、筋道からいえば内閣は総辞職すべきではなかろうか。総理はいかがお考えになりますか?」
鈴木首相「総辞職するつもりはありません。直面するこの重大問題を、私の内閣で解決する決心です」 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 9, 2021
イ 翌日午前2時20分頃終了の御前会議(1回目の聖断)及び同日午前4時頃終了の閣議に基づき,日本は,連合国に対し,以下のとおり通告しました(「ポツダム受諾に関する8月10日付日本国政府申入」参照)。
帝国政府ニ於テハ常ニ世界平和ノ促進ヲ冀求シ給ヒ今次戦争ノ継続ニ依リ齎ラサルヘキ惨禍ヨリ人類ヲ免カレシメンカ為速ナル戦闘ノ終結ヲ祈念シ給フ
天皇陛下ノ大御心ニ従ヒ数週間前当時中立関係ニ在リタル「ソヴィエト」聯邦政府ニ対シ敵国トノ平和恢復ノ為斡旋ヲ依頼セルカ不幸ニシテ右帝国政府ノ平和招来ニ対スル努力ハ結実ヲ見ス茲ニ於テ帝国政府ハ
天皇陛下ノ一般的平和克服ニ対スル御祈念ニ基キ戦争ノ惨禍ヲ出来得ル限リ速ニ終止セシメンコトヲ欲シ左ノ通リ決定セリ
帝国政府ハ一九四五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ米、英、支三国政府首脳者ニ依リ発表セラレ爾後「ソ」聯政府ノ参加ヲ見タル共同宣言ニ挙ケラレタル条件ヲ右宣言ハ 天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス
帝国政府ハ右了解ニシテ誤リナキヲ信シ本件ニ関スル明確ナル意向カ速ニ表示セラレンコトヲ切望ス
1945年8月9日22:50 木戸内大臣が天皇に拝謁。内閣としてはポツダム宣言の受諾条件の原案を「天皇の国法上の地位存続」のみに限ることに変更した旨の情報を現上する #芙蓉録
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1945年8月9日22:55 鈴木首相と東郷外相が天皇に拝謁。東郷外相はポツダム宣言の受諾条件を巡る議事について説明。鈴木首相は天皇に「御前で最高戦争指導会議を開くことをお許しください」と最高戦争指導会議への親臨を奏請するとともに、平沼騏一郎枢密院議長の出席を願い出る #芙蓉録
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1945年8月9日23:30 駐スイス公使の加瀬俊一からポツダム宣言の受諾を求める電文が東郷外相に向けて送られる #芙蓉録
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1945年8月10日00:03 宮城地下御文庫附属室で、天皇臨席のもと最高戦争指導会議が始まる #芙蓉録
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議題:三国共同宣言受諾に付て
東郷外相案(甲案)
“七月二十六日付三国共同宣言にあげられた条件の中には、天皇の国際法上の地位を変更する要求を包含しおらざることの了解のもとに日本政府はこれを受諾す”
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陸海軍統帥部案(乙案)
“七月二十六日付三国共同宣言に付、連合国に於て
一、日本皇室の国際法上の地位に変更に関する要求は、右宣言の条件に包含せざるものとす
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 9, 2021
二、在外日本軍隊は速かに自主的撤退を為したる上、復員す
三、戦争犯罪人は国内に於て処理すべし
四、保障占領は為さざるものとす
との了解に同意するに於ては日本政府は戦争の終結に同意す“
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 9, 2021
鈴木首相「議をつくすこと、すでに二時間におよびましたが、遺憾ながら三対三のまま、なお議決することができませぬ。しかも事態は一刻の遷延も許さないのであります。御聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」 #芙蓉録
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1945年8月10日02:00 天皇がポツダム宣言の受諾に関する意見を表明する #芙蓉録
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「朕の意見は、外務大臣の意見に同意である」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 9, 2021
「私の任務は祖先から受け継いだこの日本という国を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本国民に生き残ってもらい、その人たちに将来再び起ち上がってもらうほかにこの日本を子孫に伝える方法はないと思う」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 9, 2021
「それに、このまま戦争を続けることは、世界人類にとっても不幸なことである。もちろん、忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰など、それらの者はみな忠誠を尽くした人々で、それを思うと実に忍び難いものがある」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 9, 2021
「しかし、今日は、その忍び難きを忍ばなければならない時だと考えている。私は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、耐え難いこと、忍び難いことではあるが、この戦争をやめる決心をした」 #芙蓉録
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鈴木首相「御思召のほどは承りました」 #芙蓉録
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(2) 外務省が用意した受諾電文案では,不戦条約批准に際して発表した昭和4年6月27日付の帝国政府宣言書(不戦条約1条の「人民の名において」という文言は日本国に限り適用はないという了解を宣言したもの)のように,国体護持についての了解を一方的に言い放つ(天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス)という内容でした。
しかし,結果として,1回目の受諾通告は,国体護持についての明確な保証を連合国側に求める内容となりました(「国体護持と「八月革命」─戦後日本の「平和主義」の生成─」3頁参照)。
1945年8月10日02:25 天皇が退席した後、平沼枢相による指摘を反映した上で東郷外相案(甲案)を以て最高戦争指導会議の決定とすることが決議される #芙蓉録
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1945年8月10日03:00 臨時閣議が再開する。最高戦争指導会議の判断を採択し、ポツダム宣言を「七月二十六日附三国共同宣言に挙げられたる条件中には天皇の国家統治の大権に変更を加ふる要求を包含し居らざることの了解の下に日本政府は之を受諾す」ることを決定する #芙蓉録
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1945年8月10日04:00 東郷外相が外務省に戻り御前会議の結果を報告。ポツダム宣言受諾草案の一文「天皇の国際法上の地位」を閣議で決定された「天皇の国家統治の大権」に変更することを指示した #芙蓉録
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1945年8月10日06:00 ポツダム宣言受諾案最終テキストが東郷外相の決裁を受け、外務省電信課に送られる #芙蓉録
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1945年8月10日06:45 外務省は加瀬駐スイス公使と岡本駐スウェーデン公使に対して外務省暗号第647号「三国宣言受諾ニ関スル件(本電)」を発信。中立国政府を通じ日本政府がポツダム宣言受諾の意思を示したことを連合国に伝える様に命じる #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 9, 2021
1945年8月10日09:30 阿南陸相が、陸軍省で御前会議の経過を伝える。
「厳粛なる軍規の下、団結し、越軌の行動を厳に誡める、国家の危局に際し、無統制なる行動は国を破る最大の原因である」
「敢えて反対の行動に出ようとする者は、まず阿南を斬れ」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 10, 2021
1945年8月10日14:00 臨時閣議が開かれる。ポツダム宣言受諾に関する国内向けの公表問題が論議されるも結論が出ず、情報局総裁談話を出しつつ大衆には確定するまで「ジリジリと終戦の空気へ方向転換」をさせることが決まる #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 10, 2021
1945年8月10日19:00 大田三郎外務省情報課長は、長谷川同盟通信外信局長と松本外務次官による指示で、一刻も早く連合国へポツダム宣言受諾の情報を伝えるため、同盟通信名で「三国宣言受諾ニ関スル件」を発信。軍に対して送信を秘匿するためモールス信号を使用する #芙蓉録
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1945年8月10日20:30(EDT 8月10日07:30) アメリカ合衆国の短波放送が同盟通信からモールス信号で送られた「三国宣言受諾ニ関スル件」を受信。AP通信によって全世界へ「日本、ポツダム宣言受諾」が配信される #芙蓉録 pic.twitter.com/jHgZ66JSSh
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2 8月11日のバーンズ回答
(1)ア 8月11日,米国国務長官のジェームズ・フランシス・バーンズの名前で,連合国は以下のとおり回答しました(いわゆるバーンズ回答です。)。
① 降伏のときより、天皇および日本国の政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のため、その必要と認める措置をとる連合国軍最高司令官の制限の下に置かれるものとする。
② 天皇は、日本国政府、および日本帝国大本営に対し「ポツダム宣言」の諸条項を実施するために必要な降伏条項署名の権限を与え、かつ、これを保障することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸・海・空軍官憲、および、いずれかの地域にあるを問わず、右官憲の指揮の下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終止し、武器を引き渡し、また、降伏条項実施のため最高司令官の要求するであろう命令を発することを要請される。
③ 日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜、および、抑留者を連合国の船舶に速やかに乗船させ、安全なる地域に輸送すべきである。
④ 日本国政府の最終形態は、「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである。
⑤ 連合国軍隊は、「ポツダム宣言」に掲げられた諸目的が完遂されるまで日本国内に駐留するものとする。
イ ①の原文は「the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.」です。
(2) 「国体護持と「八月革命」─戦後日本の「平和主義」の生成─」3頁には以下の記載があります。
第1項では、「天皇の権力が最高司令官に従属するものであることを明確に述べることによって、間接的に天皇の地位を認めたもの」であり、第4項は、天皇制の存続の可否に言及することなく、単に、天皇制問題を日本国民の意思に委ねるというポツダム宣言第12項(「日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし」)を引用したものであり、「すでに約束した以上の約束は何ひとつなかった」
1945年8月10日22:00(EDT 8月10日09:00) ホワイトハウスで「三国宣言受諾ニ関スル件」の対応に関する会議が開かれる #芙蓉録
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1945年8月11日01:00(EDT 8月10日12:00) バーンズ国務長官らが作成した、「降伏文書に天皇が署名することを条件とした」バーンズ回答草案をトルーマン大統領が了承。トルーマンは「アメリカはいかなる譲歩もしない」との意思を明確にする #芙蓉録
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1945年8月11日03:00(EDT 8月10日14:00) ホワイトハウスの閣議でトルーマン大統領はスウェーデン政府を通じたポツダム宣言に関する正式回答と米側のバーンズ回答について説明し、「ロシア人が満洲に深く入り込む前に、日本の回答を確保することが我々の利益にかなうことである」と述べる #芙蓉録
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1945年8月11日03:15(GMT 8月10日18:15) イギリス政府よりアメリカ政府へ「三国宣言受諾ニ関スル件」に関して「天皇を象徴として認めることはやぶさかではない」「天皇を除去すれば海外の辺境地で日本兵が自殺的抵抗をする」との意見が送られる #芙蓉録
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1945年8月11日04:45(EDT 8月10日15:45) バーンズ回答原案が、ロンドン、重慶、モスクワへ送られる #芙蓉録
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1945年8月11日09:00(GMT 8月11日00:00) イギリス政府はバーンズ回答に対し「天皇と軍の最高司令官に降伏文書の署名を強いることは得策ではない」とし、「天皇と大本営が代表者を送って降伏文書に署名すること」を許容すべきとの修正案を提案する #芙蓉録
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1945年8月11日23:26 加瀬駐スイス公使が、スイス外務省を通じて手交された「連合国回答文(バーンズ回答)」を外務省に打電する #芙蓉録
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第4 バーンズ回答後,玉音放送までの経緯1 2回目のポツダム宣言受諾通告
(1)ア バーンズ回答第1項の「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施するため適当と認める措置を執る連合国最高司令官(SCAP)の制限の下に置かれるものとする。」という記載に紛糾して8月12日の閣議で結論が出ませんでした。
1945年8月12日00:45 サンフランシスコ放送が「連合国回答文(バーンズ回答)」の放送を始める。外務省ラジオ室と同盟通信が放送を傍受し、関係各所に連絡する #芙蓉録
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1945年8月12日05:30 東郷外相私邸で東郷外相、松本次官、渋沢条約局長、安東政務局長らがバーンズ回答の対応を協議。松本次官はこの回答を根拠としてポツダム宣言を受諾するよう外相に進言する #芙蓉録
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1945年8月12日10:30 首相官邸の鈴木首相を東郷外相が訪問。両者はバーンズ回答の受諾で一致する #芙蓉録
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1945年8月12日11:05 東郷外相が天皇に拝謁し、バーンズ回答について「皇室の安泰は確保される」と上奏。天皇は「議論するとなれば際限はない。それが気に入らないからといって戦争を継続することはもうできないではないか」とバーンズ回答の受諾を支持する事を表明する #芙蓉録
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1945年8月12日15:20 御文庫附属室で皇族会議が始まる。天皇に梨本宮守正王が、在京皇族5家13人を代表して終戦の決断を支持すると表明する。一方で朝香宮鳩彦王は「国体を護持できなければ戦争を継続するつもりか」と質問し、天皇は「もちろんである」と返答する #芙蓉録
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1945年8月12日17:30 閣僚懇談会での結論は「バーンズ回答の再照会」へと傾く。東郷外相は「正式回答文の未接到につき、論議を翌日に持ち越す」ことを提案し懇談会は散会する #芙蓉録
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1945年8月12日18:00 東郷外相が松本次官に辞任を示唆。松本次官は思いとどまるように説得する #芙蓉録
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1945年8月12日18:40 加瀬駐スイス公使が打電したバーンズ回答の正式文書(在スイス大使館第875号電、第876号電)が外務省に届く。松本外務次官は和平派が戦略を練り直す時間をかせぐため、翌7時40分まで公表を先延ばしする事を決定する #芙蓉録
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1945年8月12日21:45 木戸内大臣は東郷外相へ電話し、鈴木首相がバーンズ回答に基づくポツダム宣言の受諾に同意したことを報せる #芙蓉録
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イ バーンズ回答第1項に関しては,8月13日の最高戦争指導会議構成員会議及び閣議でも結論が出ませんでした。
1945年8月13日02:10 岡本駐スウェーデン公使が、外務省に海外メディアの反応についての報告を発信する #芙蓉録
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1945年8月13日07:40 外務省がバーンズ回答正式文を公表する #芙蓉録
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1945年8月13日09:00 最高戦争指導会議で内閣法制局の村瀬直養長官がバーンズ回答は「国体に抵触するものではない」とする外務省の解釈を支持する #芙蓉録
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1945年8月13日14:20 東郷外相が天皇に拝謁し、最高戦争指導会議が混迷に陥っている事を報告する。天皇からは「外相の主張通りでよい。総理にもその旨を伝えよ」と外相案を支持する確約を得る #芙蓉録
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1945年8月13日16:00 ポツダム宣言に係わる対四国(連合国)回答を議題とした閣議が始まる #芙蓉録
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東郷外相「不戦条約の問題と同じくこれ以上の了解を求めることとは事実不可能と考える。すべて日本の内部の現状をよく見極めての上である」
松阪法相「国民に主権ありて決するという思想は理念に於いて根本より違う」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 13, 2021
1945年8月13日18:30 閣議はポツダム宣言とバーンズ回答の受諾を巡って閣僚らの意見がまとまず、散会となる。また、安倍内相が「このままの形で終戦になれば国内は大混乱を起こす」と懸念を表明したため、町村警視総監が首相官邸に呼ばれることになる #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 13, 2021
1945年8月13日夜、陸軍省へ登庁する阿南陸相に秘書官の林三郎大佐が、国民の間に厭戦気分が蔓延しており、戦争を継続しても国民が付いてこなくなると進言する #芙蓉録
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1945年8月13日21:00 東郷外相が梅津参謀総長と豊田軍令部総長から申し出を受け首相官邸に赴く。両総長は懇談の席上、「バーンズ回答の再照会」を申し入れるも、東郷外相は自説を崩さず両者の会話は並行線のままとなった #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 13, 2021
ウ 8月14日正午終了の御前会議(2回目の聖断)によりポツダム宣言受諾が決定しました。
木戸内大臣は「米軍機がバーンズ回答の翻訳文を伝単として散布しつつある」との情報を鑑みると、この状況にて日を経ることは国内が混乱に陥る恐れがあると言上する。続いて鈴木首相が「お召しによる御前会議の開催」を奏請。天皇は午前10時半からの御前会議開催を決める #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 13, 2021
1945年8月14日11:02 宮城地下御文庫附属室で天皇の発意により御前会議が始まる。出席者は鈴木内閣閣僚16名全員、陸海軍両総長、枢密院議長、幹事役4人 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
受諾反対の者のみが鈴木首相から指名され意見を述べる。阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長は改めて米国への再照会を主張。この後、鈴木首相より「聖断」が言上される #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
天皇
「皆ノ意見ハ解ッタ。朕ノ考ヲ述ベル」
「先般ノ回答ニ就テハ朕ハ戦力、国力等ヲ充分考ヘテ決定シタノデアッテ決シテ軽々ニ考ヘタモノデハナイ」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
「ドウカ賛成シテ呉レ。陸海軍ノ統制モ困難ガアラウ」
「自分自ラ「ラジオ」放送シテモヨロシイ」
「速ニ詔書ヲ出シテ此ノ心持チヲ伝ヘヨ」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
1945年8月14日11:55 御前会議が終わる。「終戦詔勅案奉呈」を拝承し、迫水書記官長が作成を行うことが決まる #芙蓉録
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エ 8月14日午後の閣議及び午後11時発布のポツダム宣言受諾の詔書(「大東亜戦争終結ノ詔書」ともいいますが,いわゆる「終戦の詔書」です。)に基づき,2回目となるポツダム宣言受諾通告を行いました。
1945年8月14日13:00 閣議が開催され、鈴木内閣はポツダム宣言の受諾を正式に決定。天皇自らの声によって「終戦の詔書」を国民へ伝えるため、天皇の声を録音盤に吹き込む事も承認される #芙蓉録
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1945年8月14日16:00 「終戰の詔書」の文面などを議題とした閣議が始まる #芙蓉録
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1945年8月14日17:00 日本政府は内閣情報局を通じて新聞・通信各社にポツダム宣言受諾が決定したことを伝えるとともに、敗戦による混乱を防止し、国民の結束を保持し続けるため「大東亜戦争終結交渉に伴う輿論指導方針」を通達した #芙蓉録
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1945年8月14日19:00 「終戰の詔書」案が閣議で承認される #芙蓉録
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1945年8月14日20:00 佐野内閣理事官が清書した正式な「終戰の詔書」が閣議に届けられる。鈴木首相は詔書を持って宮城に参内するため退席。閣議では当初「14日午後」に放送する予定だった詔書発表(玉音放送)の時間で議論が行われ、最終的に「15日正午」に実施することが決まった #芙蓉録
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1945年8月14日21:00
【日本放送協会ラジオ放送】
「明日正午、重大放送がございます。国民は皆謹聴しますように」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
ウ バーンズ回答第4項の「日本国政府の最終形態は、「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである。」については,フランスへの依存が強かった国際連盟管理地域であったザール地方につき,1935年1月13日実施の住民投票(投票率98%,そのうちの90.73%がドイツ帰属を希望)に基づき,同年3月1日にドイツに復帰したという前例があったこともあって,決定的な問題とはなりませんでした(「国体護持と「八月革命」─戦後日本の「平和主義」の生成─」8頁参照)。
木戸内大臣は平沼枢相との議論の中で触れられた「自由に表明された国民の意思」への不安を述べるが、天皇は「それで少しも差支えないではないか。仮令、連合国が天皇統治を認めて来ても人民が離反したのではしようがない。人民に自由意志によって決めて貰って少しも差支えないと思ふ」と話す #芙蓉録
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エ 8月14日付のポツダム宣言受諾通告は8月15日午前4時頃にアメリカ政府に到着したため,14日の晩から15日の朝にかけて,熊谷空襲(埼玉県熊谷市),伊勢崎空襲(群馬県伊勢崎市),小田原空襲(神奈川県小田原市)及び土崎空襲(秋田県秋田市土崎港)がありました。
1945年8月15日11:02(ChST 8月15日12:02) 第315航空団が日本石油秋田製油所への空襲(作戦任務第328号)を終え、グアム北西飛行場に帰投する。「野戦命令第20号」に基づいた各任務が全て終了。B-29部隊による日本本土空襲作戦が終わる #本土空襲 #芙蓉録
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(2) ポツダム宣言受諾通告(米英蘇支四国ニ対スル八月十四日附帝国政府通告)は以下のとおりです(国立公文書館HPの「[ポツダム宣言受諾に関し瑞西、瑞典を介し連合国側に申し入れ関係]」参照)。
「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル八月十日附帝国政府ノ申入並ニ八月十一日附「バーンズ」米国国務長官発米英蘇支四国政府ノ回答ニ関聯シ帝国政府ハ右四国政府ニ対シ左ノ通通報スルノ光栄ヲ有ス
一 天皇陛下ニ於カセラレテハ「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル詔書ヲ発布セラレタリ
二 天皇陛下ニ於カセラレテハ其ノ政府及大本営ニ対シ「ポツダム」宣言ノ諸規定ヲ実施スル為必要トセラルヘキ条項ニ署名スルノ権限ヲ与ヘ且之ヲ保障セラルルノ用意アリ又 陛下ニ於カセラレテハ一切ノ日本国陸、海、空軍官憲及右官憲ノ指揮下ニ在ル一切ノ軍隊ニ対シ戦闘行為ヲ終止シ武器ヲ引渡シ前記条項実施ノ為聯合国最高司令官ノ要求スルコトアルヘキ命令ヲ発スルコトヲ命セラルルノ用意アリ
1945年8月14日23:00 外務省が電報「第354号“『ポツダム』宣言ノ条項受諾ノ件”」を在スイス大使館に向けて発信する #芙蓉録
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【外務省第354号 「ポツダム」宣言ノ条項受諾ノ件 発:東郷外務大臣 宛:加瀬俊一駐瑞西公使】
「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル八月十日附帝国政府ノ申入及八月十一日附「バーンズ」米国国務長官発米英蘇華四国政府ノ回答ニ関聯シ帝国政府ハ右四国政府ニ対シ左ノ通通報スルノ光栄ヲ有ス#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
1945年8月15日04:00(EDT 8月14日15:00) バーンズ国務長官が、トルーマン大統領に日本外務省電である「『ポツダム』宣言ノ条項受諾ノ件」を解読したと報告する #8月15日 #芙蓉録
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1945年8月15日04:05(EDT 8月14日15:05) アメリカ国務省にスイス大使館から日本政府の正式な回答「米英ソ支四国政府宛通告文」が手交されたとの連絡が入る #8月15日 #芙蓉録
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(3)ア 昭和20年8月15日午前4時42分発信の加瀬スイス公使の電文は以下のとおりです(国立公文書館HPの[米国務長官メッセージ]参照)。
第八八四号
十五日午前三時半外務次官ハ本使ニ対シ米国国務長官ハ在米瑞西公使ニ対シ十四日附帝国政府通告ハ「ポツダム」宣言並ニ十一日附四国回答ニ対スル完全ナル受諾ト認メ米国大統領ノ命ニ依リ別電第八八五号ノ「メッセージ」ヲ帝国政府ニ伝達方依頼セル旨ヲ伝ヘ直ニ帝国政府ニ電報方ヲ求メタリ(了)
イ 昭和20年8月15日午前4時30分発信の在瑞西加瀬公使の電文は以下のとおりです(国立公文書館HPの[停戦実施方に関する米国政府通告文]参照)。
貴方は左の措置をとられたし
一 日本国軍隊の軍事行動の速急なる停止を指令し連合国最高司令官に右停戦実施の日時を通報すること
二 日本国軍隊及び司令官(複数)の配置に関する情報を有し且連合国最高司令官及び其の同行する軍隊が正式降服受理の為連合国最高司令官の指示する地点に到著し得る様連合国最高司令官の指示する打合を為すべき充分の権限を与えられたる使者(複数)を直に連合国最高司令官の許に派遣すること
三 降伏の受理及びこれが実施の為ダグラス・マッカーサー」元帥が連合国最高司令官に任命せられたる処同元帥は正式降服の時、場所及び其の他詳細事項に関し日本国政府に通報すべし
1945年8月15日08:00(EDT 8月14日19:00)トルーマン米大統領はホワイトハウスで記者会見を行い、日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏し、太平洋戦争が終結したことを宣言する #8月15日 #芙蓉録 pic.twitter.com/jRNnnX2szM
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【発:アメリカ合衆国軍最高司令官ハリー・S・トルーマン】
日本政府は八月十四日に連合国の降伏の要求を受諾した。貴下の地域の連合国軍の安全を保持する以外、ここに日本の陸海軍に対する攻撃的行動を停止することを命じる(了) #8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
1945年8月15日11:00 全アメリカ合衆国軍が戦闘任務を停止。第3艦隊旗艦の戦艦「USS ミズーリ(BB-63)」から戦闘旗が降ろされ、艦上に勝利を示す信号旗が掲げられる #8月15日 #芙蓉録
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2 8月15日の玉音放送
(1)ア 8月14日付のポツダム宣言受諾の詔書(いわゆる「終戦の詔書」)は,同日午後11時25分頃から翌日午前1時頃にかけて録音作業等が行われ,8月15日正午にラジオ放送されました(いわゆる「玉音放送」です。)。
イ 8月14日深夜から翌日朝にかけて,一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件(いわゆる「宮城事件」です。)が発生しました。
(2)ア 終戦の詔書には,阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣の要求により「国体ヲ護持シ得」たと記載されました(現代語訳では,国体は「天皇を中心とする秩序」となっています。)ところ,「国体護持と「八月革命」─戦後日本の「平和主義」の生成─」10頁には以下の記載があります。
少なくとも陸軍は一連の「降伏交渉」を経て国体護持が可能となったとは考えていなかったが、それを納得させ、武装解除と復員に導くためには、国民や政府ではなく天皇自身が国体を護持しえたという確信を有していることを詔書に示す必要があった。
イ 大審院昭和4年5月31日判決は,治安維持法(大正14年4月21日法律第46号)1条の「国体」に関して,「我帝國ハ萬世一系ノ天皇君臨シ統一治權ヲ總攬シ給フコトヲ以テ其ノ國體卜爲シ治安維持法二所謂國體ノ意義亦此ノ如ク解スヘキモノトス」と判示したみたいです。
ウ 阿南惟幾陸軍大臣は8月15日午前5時半頃に自刃しました。
石黒農商「“神器ヲ奉シテ”の字句は削除した方が良い。米国などは、いまなお、日本の天皇に神秘的な力があると信じている。神器についてあれこれ詮索しないとも限らない」
阿南陸相「代わりに“茲ニ国体ヲ護持シ得テ”と入れましょう。相手方に確認はとれないまでも国体護持は自ら宣言すべきだ」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
阿南陸相「終戦の議がおこりまして以来、わたくしは陸軍の意志を代表して、ずいぶんいろいろと強硬な意見を申し上げてまいりました。そのため総理に大変ご迷惑をおかけしましたことをここに謹んでお詫び申し上げます」 #芙蓉録
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(3) 8月15日午前11時30分から午後1時30分にかけて,玉音放送拝聴による中断をはさみつつ,天皇臨席の下,枢密院本会議において,内閣総理大臣及び外務大臣からの報告が実施されました(国立公文書館アジア歴史資料センターHPの「「ポツダム」宣言受諾ニ関スル内閣総理大臣及外務大臣報告」参照)。
1945年8月14日23:25 宮内省二階御政務室で天皇自らの声による「終戰の詔書」の録音が始まる #芙蓉録
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1945年8月14日23:50 「終戰の詔書」の録音が終わる。録音盤は徳川侍従が預かり、皇后宮事務所の整理戸棚の中にある書類金庫に納められた #芙蓉録
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下村情報局総裁「放送は一刻も早くするべきだが、朝七時の放送では聴取率が極めて低い。また十六日まで延期することは、不測の事態発生と考えると危険である。その観点から見て、今晩より十分に告知し聴取率の最も良い明日、正午放送というのが順当と考える」 #芙蓉録
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【日本放送協会ラジオ放送】
“謹んでお伝えいたします”
“畏きあたりにおかせられましては、このたび詔書を渙発あらせられます”
“畏くも天皇陛下におかせられましては、本日正午、御自ら御放送あそばされます”
#8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
1945年8月15日11:30 東京放送会館スタジオに憲兵将校が放送阻止を狙い乱入しようとするも、鈴木東部軍参謀の命令で憲兵隊に取り押さえられる #8月15日 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
1945年8月15日12:00
和田放送員「只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立願います」
下村情報局総裁「天皇陛下におかれましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事になりました。これより謹みて玉音をお送り申します」 #8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
#8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
下村情報局総裁「謹んで詔書の奉読を終わります」
和田放送員「畏くも天皇陛下に於かせられましては万世の為に太平を開かんと思召されきのふ政府をして米英支蘇四国に対しポツダム宣言を受諾する旨通告せしめられました」 #8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
【内閣告諭】
本日畏クモ大詔ヲ拜ス帝國ハ大東亞戰爭ニ從フコト實ニ四年ニ近ク而モ遂ニ 聖慮ヲ以テ非常ノ措置ニ依リ其ノ局ヲ結ブノ他途ナキニ至ル臣子トシテ恐懼謂フベキ所ヲ知ラザルナリ
#8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
1945年8月15日12:37 特別放送が終わる。「玉音」と「内閣告諭」に続き、終戦決定の御前会議と交換外交文書の要旨、ポツダム宣言受諾に至った経緯などがニュースとして放送された #8月15日 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
1945年8月15日15:45 鈴木貫太郎首相が天皇に拝謁、閣僚の辞表を捧呈する。鈴木内閣は職務執行内閣へ移行。天皇は木戸内大臣に後継内閣首班の選定を下命する #8月15日 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
1945年8月16日10:02 東久邇宮稔彦王が天皇に拝謁。天皇は稔彦王に対し組閣を命じる
天皇「卿に内閣組織を命ずる。特に憲法を尊重し詔書を基とし、軍の統制秩序の維持につとめ、時局収拾に努力せよ」
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 16, 2021
第5 ポツダム宣言受諾から降伏文書調印までの陸海軍内部の経緯1 8月14日の大本営の指示内容
(1) 御前会議以前に出されたものと推定される,8月14日付の大陸命(大本営による陸軍部隊への最高命令です。)第1380号には,対ソ戦への大本営の対処方針,日本本土周辺の外地各軍の任務分担が示されていたものの,終戦や停戦を暗示する文言はありませんでした。
1945年8月11日03:40 南方軍がポツダム宣言受諾放送を傍受し東京へ問い合わせる
【発:南方軍総参謀長 宛:参謀本部次長】
十一日零時東京英語放送ニ依リ日本政府ノ「ポツダム」最後通牒受諾ノ用意アル旨聴取セルガ其ノ真相至急承リ度(了)
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 10, 2021
1945年8月11日14:37 ポツダム宣言受諾報道を傍受した外地の各部隊から意見具申が相次いだため、阿南陸相と梅津参謀総長は動揺を抑えるため交渉の状況について説明する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 11, 2021
1945年8月11日15:50 支那派遣軍総司令部が、中国各地に「日本のポツダム宣言受諾」に関する情報が広がっており、敵側の謀略宣伝に乗せられないよう注意し、動揺の防止を図るよう隷下各軍に伝える #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 11, 2021
1945年8月12日18:00 南方軍総司令官の寺内寿一元帥大将が、ポツダム宣言受諾への反対意見を打電する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 12, 2021
1945年8月14日08:58 宮城御文庫で梅津参謀総長が天皇に拝謁。ソ連参戦に伴う支那派遣軍総司令官への命令について上奏を行う #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 13, 2021
(2) 午後6時,阿南惟幾陸軍大臣と梅津美治郎参謀総長の連名で,陸機密電第六八号「帝国ノ戦争終結二関スル件」が発電され,「御聖断二従ヒ政府及大本営ハ逐次具体的処理ヲ進メラルベキモ停戦二関スル大命ノ発セラルル迄ハ依然従来ノ任務ヲ続行スベキモノトス」などと記載されていました(「日本の敗戦と大本営命令」(リンク先のPDF)8頁及び9頁)。
(3) 「南京1945年 8~9月― 支那派遣軍から総連絡班へ ― 」には以下の記載があります(リンク先のPDF1頁)。
「終戦」当時、日本は陸軍だけで総計547万人の兵力を各地に配しており、ここでとりあげる支那派遣軍のみでも105万6000人に上っていた。これは、長城線以南の中国本土において、ほぼ完全な武器装備ともに、後述するように、敗れたという意識を持たずに存在していた将兵の総数であった。
(4) 「日本の敗戦と大本営命令」には以下の記載があります(リンク先のPDF8頁)。
停戦・降伏近しと思われる弱気な命令を大本営が出せば、出先軍司令部・部隊の中での賛否論争に時間を与え、継戦を主張する一部の強硬部隊が大本営の統制に服さなく恐れがあったからである。停戦は、天皇・大本営の統制力を維持した上で、予告なしに有無を言わさぬ方法でなされなければならなかった。
1945年8月14日12:00 満洲国通信社が、「東京に大きな動きあり、ポツダム宣言受諾と決まった模様」とする情報を関東軍総司令部へ伝達する #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
1945年8月14日14:40 参謀本部の河辺参謀次長は、宮崎周一第一部長の提案を受け「皇軍は飽く迄御聖断に従い行動」することを示した「陸軍の方針」を陸軍省の若松次官、荒尾軍事課長らと共に作成。陸軍省応接室に集まっていた陸軍首脳全員から署名を得る #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
1945年8月14日15:00 阿南陸相は陸軍省の課員以上全員を集めて「大御心」を伝達。さらに三長官、元帥会合の上で「皇軍ハ御親裁ノ下ニ進ムコトト決定」したことを伝える #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
1945年8月14日15:00 支那派遣軍総司令官の岡村寧次大将が阿南陸相と梅津参謀総長に向け、台湾、朝鮮、満洲は日本に必要であり、国民党軍への無条件降伏は承服しがたいとする電報を打つ #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
1945年8月14日18:00 全陸軍部隊にポツダム宣言の受諾を知らせる「陸機密電第68号」が陸軍大臣・参謀総長名で発信される #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
2 大本営による停戦命令
(1) 8月15日付の大陸命第1381号は,「各車ハ別二命令スル迄各々現任務ヲ続行スヘシ但シ積極進攻作戦ヲ中止スヘシ」というものでしたし,同日付の大海令第47号は「何分ノ令アル迄対米英蘇支積極進攻作戦ハ之ヲ見合ハスベシ」というものでした。
【大陸命第1381号】
命令
一、大本営の企図する所は八月十四日詔書の主旨を完途するに在り
#8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
【大海令第47号】
奉勅 軍令部総長 豊田副武
小沢海軍総司令長官に命令
命令
何分の令ある迄対米英蘇支積極進攻作戦は之を見合はすべし
昭和二十年八月十五日
#8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
ワシントンD.C.では日本のポツダム宣言受諾回答を受けSWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)が日本降伏後に連合国軍に対して発令する「一般命令第一号」の起草を行っており、日本軍の武装解除を実施する連合国軍の担当区域の確定が進められていた。#芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
米国は朝鮮半島全体を米軍の担当区域にすることを望んでいた。しかし、ソ連軍が既に朝鮮半島北部に侵入しており、単独で朝鮮半島を占領する可能性が危惧されたため、米国政府として最低限の影響力を確保するため、朝鮮半島のどこかに米ソの境界線を引くことを決める。 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
朝鮮半島に関する草案提出を30分以内に求められたチャールズ・H・ボーンスティール3世大佐とディーン・ラスク少佐は、京城が米軍担当区域に含まれ、朝鮮半島が二等分出来る北緯38度線を米国とソ連の境界線とした。
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
一方でソ連は、朝鮮北部への侵攻は関東軍の退路遮断が主目的で、京城を含む朝鮮半島全体を単独で占領する意図は無かった。まだ占領していなかった平壌を含め、朝鮮半島北部全体を担当区域とすることが米国から提案されたスターリン首相は一般命令第一号をすぐに受け入れた。
#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
(2)ア 8月16日付の大陸命第1382号及び大海令第48号は,自衛のための戦闘行為を除き,即時戦闘行動の停止を命じるものでした。
1945年8月16日09:17 天皇は御文庫で朝香宮鳩彦王、竹田宮恒徳王、閑院宮春仁王と対面。天皇はポツダム宣言受諾の聖旨伝達のため、鳩彦王を支那派遣軍へ、恒徳王を関東軍へ、春仁王を南方軍へそれぞれ派遣すると述べる #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 16, 2021
1945年8月16日16:00 大本営は自衛戦闘以外の戦闘停止を命じる「大陸命第1382号」と「大海令第48号」を発令。続いて帝国政府及び大本営通告を連合国へ向けて発信する #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 16, 2021
1945年8月16日22:00 関東軍総司令官の山田乙三大将が関東軍全部隊に停戦を命じる
【関作命甲106号 発:関東軍総司令官】
総司令官は承詔必謹、挙軍一致、万策を尽くして停戦を期する
#対ソ防衛戦 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 16, 2021
イ 札幌に司令部を置き,北海道,南樺太及び千島列島を作戦地域としていた第5方面軍は,8月16日,樺太の第88師団に対し,自衛戦闘の実施と南樺太死守を命じました。
1945年8月10日22:00 極東ソ連軍総司令部は、第16軍に8月11日を期して北緯50度線を突破し、南サハリン(南樺太)へ侵攻することを命じる #樺太防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 10, 2021
1945年8月16日07:00 上陸してきたソ連軍に対して、阿部塔路町長と高村警防団長らが白旗を掲げ降伏を申し入れるも、両者共に射殺される #樺太防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
1945年8月16日18:00(PETT 8月15日21:00) ソ連軍北千島上陸作戦部隊が出撃準備を完了する #占守島防衛戦 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 16, 2021
(3) 8月17日付の大海令第49号及び8月18日付の大陸命第1385号は,大本営が別に指定する時期をもって全面的な停戦に移行することを予告するものでした。
1945年8月17日17:00 関東軍総司令部が隷下全部隊に即時停戦を命じる #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) August 17, 2021
(4)ア 8月19日付の大陸命第1386号は,第一総軍,第二総軍及び航空総軍(作戦担当地域は北海道を除く日本本土)につき8月22日午前0時以降,一切の武力行使を停止するというものでした。
イ 千島列島東端にある占守島の戦いについては,8月21日午後9時に停戦が成立しました。
1945年8月21日18:00(PETT 8月21日21:00) 北千島の防衛を担当する第九十一師団が降伏に同意。占守島の戦いが終わる #占守島防衛戦 #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) August 21, 2021
(5)ア 8月22日付の大陸命第1388号は,北海道及び外地の陸軍につき,8月25日午前0時以降,支那派遣軍における局地的自衛の措置を除き,一切の武力行使を停止するというものでした。
1945年8月22日、梅津参謀総長が天皇に拝謁。外地軍の作戦任務を解除し、戦闘行動停止に関する命令「大陸命第1388号」について上奏する #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) August 22, 2021
イ 8月22日付の大海令第54号は,外地部隊の艦隊司令長官に対し,速やかな全面的停戦を指示するものでした。
ウ 樺太の戦いについては,8月23日頃までに日本軍の主要部隊との停戦が成立し,同月25日の大泊占領をもって終わりました。
1945年8月24日、北海道近海でソ連軍の潜水艦によるものと思われる民間船舶への攻撃が相次いだことを受け、大本営は連合国軍総司令部に抗議するとともに攻撃停止を要請する #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) August 24, 2021
1945年8月25日00:00 外地に展開する大日本帝国陸軍の全ての作戦任務が解除され、武力行使が停止される #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) August 24, 2021
1945年8月25日09:00 樺太・大泊海軍基地が武装解除される #樺太防衛戦 #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) August 25, 2021
1945年8月22日12:00 旧満洲国・新京の関東軍総司令部庁舎が極東ソ連軍に明け渡される #対ソ防衛戦 #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) August 22, 2021
1945年8月22日、極東ソ連軍司令部は、第1極東方面軍、第2極東方面軍、太平洋艦隊に対して北海道上陸作戦の延期を伝えるとともに、南クリル諸島への部隊輸送の検討を命じる #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) August 22, 2021
エ 支那派遣軍の場合,中国国民党の政府軍及び中国共産党軍が相克状態にあり,それぞれが日本軍の軍事物資を接収に来たり,抗争を繰り返したりしているという事情がありました(「南京1945年 8~9月― 支那派遣軍から総連絡班へ ― 」(リンク先のPDF10頁)参照)。
(6) 8月22日付の大陸指第2552号は外地の陸軍各軍司令官に対して現地停戦交渉の相手を特定し,同日付の大海令第53号は,日本本土とその近海を作戦区域とする各部隊の自主的な武装解除を命じるものでした。
(7) ポツダム宣言13項は,「吾等ハ日本國政府ガ直ニ全日本國軍隊ノ無條件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適當且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ對シ要求ス」と定めていました。
しかし,結果として,ポツダム宣言により指示された無条件降伏命令は9月2日の降伏文書調印まで出されませんでした(北方領土問題HPの「大陸命第千三百八十一号~第千三百九十二号」参照)。
(8) ドイツの場合,4月30日午後3時頃にヒトラーが自殺し,5月2日にベルリンの戦いが終了し,5月8日午後11時頃に降伏文書が調印され,5月13日にソ連軍がすべての進撃を停止し,5月15日にスロベニアのドイツ軍が降伏してすべての戦闘が終了し,5月23日にフレンスブルク政府の閣僚が逮捕されてドイツの中央政府が消滅しました。
3 降伏文書及び一般命令第一号
(1) 9月2日,東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの甲板上において降伏文書が調印されました。
(2) 降伏文書には「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」と記載されました。
1945年9月2日01:40 天皇が内閣から上奏を受けた「降伏文書調印に関する詔書」に改めて署名する #9月2日 #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) September 1, 2021
1945年9月2日、東京湾に錨を下ろした戦艦「ミズーリ」艦上で降伏文書調印式が行われ、第二次世界大戦は終結した。この後、南京やシンガポール、サイゴンなどで現地軍による正式な降伏と武装解除が行われていく。 #芙蓉録 pic.twitter.com/pbB1m15Ta2
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) September 2, 2021
1945年9月2日13:13 重光外相と梅津参謀総長が天皇に拝謁し、復命する。天皇は卓上に置かれた降伏文書を確認し、全権を務めた2人に慰労の言葉をかける #9月2日 #芙蓉録
— 残花録 (@Fuyo1945) September 2, 2021
ソ連の北海道侵攻を阻止
~陸軍中将・樋口季一郎の決断
「神田蘭の日本史列伝」オンライン講演会@ran_kanda昭和20年8月18日
千島列島最北の占守島にソ連軍が襲来
狙いは、樺太と千島列島の全土、そして北海道神田蘭の講談と久野潤先生の解説でお届け
詳しくはhttps://t.co/dPn376Wyjm pic.twitter.com/tyA2w6SBNJ
— 産経Podcast(聴く産経新聞) (@Sankei_Podcast) February 21, 2023
(3)ア 日本の大本営は,降伏文書調印後,9月2日付の一般命令第一号により,以下のとおり各地域の日本軍の降伏先司令官を定めました。
① 日本本土、沖縄、北緯38度線以南の朝鮮、フィリピン:アメリカ合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官
② 日本国委任統治諸島、小笠原その他太平洋の諸島:アメリカ合衆国太平洋艦隊最高司令官
③ 満州、北緯38度線以北の朝鮮、千島列島:ソビエト連邦極東軍最高司令官
④ 中国、台湾、北緯16度以北のフランス領インドシナ:蔣介石
⑤ ボルネオ、英領ニューギニア、ビスマルク諸島、ソロモン諸島:オーストラリア陸軍最高司令官
⑥ 上記以外の地域:東南アジア軍司令部最高司令官
イ 支那派遣軍の降伏先は蒋介石が率いる中国国民政府だけであって,中国共産党は除外されていました。
(4) ソ連軍は,8月29日に択捉島を占領し,9月1日から同月4日にかけて国後島及び色丹島を占領し,同月3日から5日にかけて歯舞群島を占領しました(Wikipediaの「ソ連対日参戦」参照)。
(5) 最高裁大法廷昭和35年4月18日決定(昭和24年から昭和25年に実施されたレッドパージに関する裁判例です。)は,以下の判示をしています。
平和条約発効前においては、わが国の国家機関及び国民は、連合国最高司令官の発する一切の命令指示に誠実且つ迅速に服従する義務を有し(昭和二〇年九月二日降伏文書五項、同日連合国最高司令官指令一号一二項)、わが国の法令は右指示に牴触する限りにおいてその適用を排除されるものであることは、当法廷の判例とするところである(昭和二六年(ク)一一四号、同二七年四月二日大法廷決定、民集六巻四号三八七頁参照)。
連合国はカール・デーニッツ大統領らナチス政権の閣僚を逮捕。さらにドイツ国の敗北と中央政府の消滅により、ドイツの主権はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の各国政府が掌握したことを表明する「ベルリン宣言」を6月5日付で発表した。#芙蓉録 pic.twitter.com/iECpA6VDR4
— 残花録 (@Fuyo1945) July 22, 2021
第6 1928年8月署名の不戦条約の「人民ノ名ニ於テ」問題1 不戦条約の本文
(1) 1928年8月27日署名の不戦条約は,ケロッグ・ブリアン条約ともいわれます(アメリカの国務長官フランク・ケロッグとフランスの外務大臣アリスティード・ブリアンの名前にちなんだ名称です。)ところ,その本文は以下のとおりでした。
第一條
締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
第二條
締約國ハ相互間ニ起ルコトアルベキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス
第三條
本條約ハ前文ニ揭ゲラルル締約國ニ依リ其ノ各自ノ憲法上ノ要件ニ從ヒ批准セラルベク且各國ノ批准書ガ總テ「ワシントン」ニ於テ寄託セラレタル後直ニ締約國間ニ實施セラルベシ
2 帝国政府宣言書
・ 昭和4年6月27日付の帝国政府宣言書は「帝國政府ハ千九百二十八年八月二十七日巴里ニ於テ署名セラレタル戰爭抛棄ニ關スル條約第一條中ノ「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」ナル字句ハ帝國憲法ノ條章ヨリ觀テ日本國ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス」というものでした。
3 日本政府が不戦条約を批准するまでの経緯
(1) アメリカ政府提案の不戦条約案1条の「人民ノ名ニ於テ」という文言につき,日本政府は,アメリカ政府に対し,主権在民は帝国憲法上の解釈として容認し難いと伝えたものの,日本以外に反対した国がありませんでしたし,何らかの文言修正に一度でも応じると他にも修正要求が出て収拾困難になる可能性があったため,アメリカ政府は文言修正に応じませんでした。
その後,アメリカ政府は,日本政府に対し,妥協案として,「日本国天皇は「人民のために」署名するという解釈を採用してもいい」という趣旨のアメリカ国務長官覚書(1928年7月16日交付。1929年6月28日好評)を交付したことから,1928年8月27日に不戦条約はパリで署名されました。
(2) 日本国内での批准に際し,「人民ノ名ニ於テ」という文言には主権在民の観念が示されているため,天皇主権を定める明治憲法に違反するという反対論が根強くあり,枢密院の審議でも紛糾しました。
その一方で,「人民ノ名ニ於テ」という文言は日本国に適用されないという留保付き批准を行って他の締約国が留保を承認しなかった場合,日本は不戦条約に加入できなくなるばかりか,不戦条約自体が成立しなくなる可能性もあった(3条の「各國ノ批准書ガ總テ「ワシントン」ニ於テ寄託セラレタル」参照)ところ,そのような事態となった場合,軍縮問題や中国問題とかで日本の立場が非常に不利になることが予想されました。
そのため,「了解」(ただし,一方的了解です。)という文言を含む点で留保のような重要な意味を含む宣言ではないことについてアメリカ政府の了承を得た上で,1929年6月26日,宣言付批准とすることで不戦条約の批准が枢密院に於いて承認されました(ただし,枢密院としては,留保付批准という認識でした。)。
そして,1929年6月27日,同日付の帝国政府宣言書とともに,不戦条約について同日付の批准書を作成し,同年7月24日,アメリカ政府のもとに批准書が寄託されました。
(3) 「不戦条約中「人民ノ名ニ於テ」の問題」が非常に参考になります。
NHKブックス12月。「”平和の誓約”は、なぜ戦争を防げなかったのか?
戦間期の1920年代、当事国としてその構築に密接に関わった国際法秩序から、日本はなぜ逸脱し、戦争へ至ったのか。…」
⇒柳原正治
『帝国日本と不戦条約 外交官が見た国際法の限界と希望』 https://t.co/x3mppfEXwh— 猫の泉 (@nekonoizumi) October 25, 2022
第7 明治憲法に基づく勅令等とヒトラーの総統命令等の比較1 明治憲法に基づく勅令等の位置付け
(1)ア ①明治憲法8条1項に基づく緊急勅令の場合,法律と同等の効力を有していたものの,明治憲法8条2項に基づき次の会期において帝国議会の承諾を受ける必要がありましたし,②明治憲法9条に基づく勅令の場合,憲法上,法律事項とされていない事項を対象とするに過ぎませんでしたし,法律を変更することはできませんでした。
また,天皇の立法大権の行使には帝国議会の協賛が必要でした(明治憲法37条)。
そして,このような解釈は条文上明らかですから,天皇主権説でも否定はできなかったと思います。
イ 天皇の条約大権の行使に際しては,枢密院(明治憲法56条)の審議及び意見上奏が予定されていました(枢密院官制6条)。
阿南陸相「ポツダム宣言受諾となると条約の一種となる。条約締結には枢密院本会議での議決(枢密院官制第六条四項)を必要とするので、終戦の詔書を公布する前にその手続きを踏むのが当然である」 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
村瀬法制局長官「法律上の解釈からみて、事前に枢密院の議にかける必要はありません。枢密院としては明日、本会議を招集して、議決の手続きを得ればよいと思います」 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
平沼枢密院議長、お沙汰書朗読
「朕は政府をして米英支ソのポツダム宣言を受諾することを通告せしめたり。これはあらかじめ枢密院に諮詢すべき事項なるも、急を要するをもって、枢密院議長をして議に参ぜしむるにとどめたり。これを了承せよ」 #8月15日 #芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 15, 2021
(2) 天皇機関説に立った場合,天皇が外交大権(明治憲法13条)を行使するためには国務大臣の輔弼(ほひつ)が必要となり(明治憲法55条1項),天皇が国務に関する詔勅を出すためには国務大臣の副署が必要となった(明治憲法55条2項)のに対し,昭和10年の国体明徴声明に基づき天皇主権説に立った場合,これらが常に必要というわけではありませんでした。
1945年8月14日20:32 鈴木首相が天皇に拝謁。「大東亜戦争終結に関する詔書」を捧呈し、「帝国ノ方針ニ関スル件」について内奏する #芙蓉録
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1945年8月14日21:20 天皇は内閣上奏書類「帝国ノ方針ニ関スル件」を裁可し、「大東亜戦争終結に関する詔書」に署名する #芙蓉録
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1945年8月14日22:00 詔書を行政文書として承認するため鈴木内閣閣僚による「終戰の詔書」への副書が始まる。続いて官報の号外として「終戰の詔書」を公布する手続きが行われる #芙蓉録
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1945年8月14日23:00 閣僚の「終戰の詔書」への副書が全て終わる。続いて内閣総辞職のための辞表の取りまとめが行われる #芙蓉録
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1945年8月14日23:00 官報号外「終戰の詔書」が公布される #芙蓉録
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(3) 昭和20年6月,4日間の会期で第87回帝国議会が開かれ,義勇兵役法その他の戦時立法が制定されました。
2 ヒトラーの総統命令等の位置付け
(1)ア 1919年8月14日施行のヴァイマル憲法は,1933年1月30日のヒトラー内閣成立及び同年3月5日のドイツ国会総選挙を経て同月23日に制定された全権委任法によって死文化され,1945年のドイツ敗戦に伴って廃止されました。
イ 全権委任法に基づき,ヒトラー内閣は,立法府の代わりに法律を制定でき(1条),大統領の権限等に関する事項を除いて憲法違反の法律を制定できましたし(2条),大統領の代わりに法律を公布できましたし(3条),立法府の同意なしに条約を締結できるようになりました(4条)。
ウ 1934年8月1日制定の「ドイツ国及び国民の国家元首に関する法律」に基づき,同月2日のヒンデンブルク大統領の死去に伴い,ヒトラー首相は大統領職を兼ねるようになり,それは1945年4月30日の自殺まで続きました。
(2)ア Wikipediaの「総統命令」によれば,ヒトラーによって制定される総統命令の場合,法的根拠並びに関係大臣の同意及び副署は不要でしたし,総統命令により法律の改廃すら行われていました。
イ 1939年8月23日署名の独ソ不可侵条約は,1941年6月22日のバルバロッサ作戦の発動(独ソ戦の開始)により失効しました。
ウ 1941年6月6日付の「政治将校の取扱いに関する指針」(いわゆるコミッサール指令です。)では,戦時国際法を無視して,ソ連赤軍の捕虜のうち,政治将校(コミッサール)については原則としてその場で処刑することが命ぜられました。
(3) 1942年4月26日に戦前のドイツにおける最後の国会が開会し,同日に閉会しましたところ,その日の国会決議に関して,ヒトラー全記録549頁には以下の記載があります。
ヒトラー、国会演説で「全権委任、自己神格化、反ボリシェヴィズム」を強調。国会「非常時大権」を承認する。ヒトラーは行政・司法・立法・軍事のすべてにおいて独裁的絶対権を掌握し、自らが法である「最高司法権保有者」となる。身分保障に関する一切の規定は「戦争終結まで効力を停止する」と国会で決議。午後四時二四分に最後の国会閉会。
一方、ドイツではアドルフ・ヒトラーが率いる国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチス)が政権を獲得。全権委任法の成立とともに、ナチス以外の政党は解散した。ヒンデンブルク大統領が逝去すると、ヒトラーは大統領と首相を兼務する「総統」となった。 #虎落録 pic.twitter.com/zwj0S1MmU0
— 虎落録 (@Fuyo1945) November 25, 2021
第8 関連記事その他
1(1) 最高戦争指導会議は,小磯内閣発足後の昭和19年8月4日に大本営政府連絡会議を改称して設置された会議です。
(2) 最高戦争指導会議構成員会議は,ドイツ降伏後の昭和20年5月11日以降に首相,外相,陸相,海相,参謀総長及び軍令部総長の6人だけが参加して開催されるようになったものです。
(3) 御前会議は,昭和19年8月19日以降,「御前に於ける最高戦争指導会議」という名称で開催されました。
2 ポツダム宣言はカイロ宣言を引き継いだものですが,ポツダム会談に招かれなかった蒋介石主席の意見として反映された部分は,ポツダム宣言1項の順番を米英中から米中英に変えたことだけでした。
ただし,ポツダム宣言の表題は米英中三国宣言となっていますし,同宣言2項の順番は米英中のままとなりました(「「大日本帝国」崩壊 東アシアの1945年」142頁及び143頁)。
また、トルーマンは重慶にいる中華民国総統の蒋介石に対してポツダム宣言案の「同意」を迫り、24時間以内の回答が無かった場合は「米英2ヶ国宣言」にすると通告している。署名欄にも蒋介石の名前はなく、トルーマンが「中国総統」とだけ書いた。 #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) July 26, 2021
3 奈良県立図書情報館HPに「「日本の皆様」B29米軍投下ビラ」(昭和20年8月13日の文書)が載っています。
4(1) 「国体護持と「八月革命」─戦後日本の「平和主義」の生成─」9頁には,「我報ノ「ポツダム」宣言受諾申出ニ対スル先方回答ニ関スル件」(発信者は岡本スウェーデン公使であり,8月13日午前2時10分到着)に関して以下の記載があります。
岡本電(13日午前に到着)は、現地新聞に掲載されたバーンズ回答の発出経緯に関するロンドン、ワシントン特電を伝え、天皇制の廃止や無条件降伏を主張するソ連など連合国内部の反対論を、「天皇の地位を認めざれば日本軍隊を有効に統御するものなく、連合国は之が始末になお犠牲を要求せらるべし」として米国政府が押し切ったものであり、それは「米側の外交的勝利」であり、実質的には日本側条件を是認するものであると指摘していた。
(2) 国際法外交雑誌86巻4号(1987年10月)に「帝国政府のポツダム宣言受諾をめぐるスイスの仲介(1945年8月)」が載っています。
5 「敗戦時における公文書焼却の再検討― 機密文書と兵事関係文書 ― 」には「国内でわずかに残存する焼却指示文書を手がかりに、敗戦時の焼却は内務省系統と軍系統の二系統が存在し、焼却対象となったのは内務省系統では法令に基づいた機密文書であり、軍系統では動員関係文書が中心であった」と書いてあります。
日本政府の閣議決定に基づき、外務省、内務省、大蔵省などで公文書焼却命令が出される。さらに各市町村にまで公文書の焼却を命じ、徴兵や召集関係などの兵事資料も焼かれた。大東亜省も外地の出先公館に機密文書焼却の訓令を発し、公文書の破棄が始まった #芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 14, 2021
6 外務省外交史料館HPに「戦後70年企画 「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示 降伏と占領開始を告げる二つの文書」が載っています。
7 アーバンライフメトロHPの「東京の「お盆」は7月って本当? なぜ1か月早いのか、専門家に聞いてみた」には「8月15日を中心に行われるお盆。しかし東京や関東圏の一部では7月15日を中心に行われています。その背景には地方の抱える宿命がありました。」と書いてあります。
8 以下の記事も参照してください。
・ 昭和20年8月15日,長崎控訴院が福岡に移転して福岡控訴院となり,高松控訴院が設置されたこと等
・ 裁判官及び検察官の定年が定められた経緯(日本国憲法の制定経緯を含む。)
・ 日本国憲法外で法的効力を有していたポツダム命令
・ 在外財産補償問題
・ 日本の戦後処理に関する記事の一覧
・ 旧ドイツ東部領土からのドイツ人追放,及びドイツ・ポーランド間の国境確定
しかし、当時の新聞や文化人の論調を見ていると、弱腰の政府に不満を覚える国民と、それに煽られるまたは煽るメディアによって不満の空気が醸成されていき、一定歓迎する空気の中で戦争に突っ走っていたという側面があったのではないかと考えるようになりました。すると反省の仕方がまるで変わります。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) August 15, 2022
第二次世界大戦でイギリスを戦勝に導いたチャーチル首相に、ウクライナのゼレンスキー大統領を擬える声が結構あるよう。イギリス政治研究者として言わせてもらうと、今でこそ大政治家というイメージが定着しているが、チャーチルが首相になる前は色々とやらかしているのである(1/5)。
— Daisuke IKEMOTO/池本 大輔 (@MGULaw) March 14, 2022
しかし日本国憲法の前文において戦後日本が前提とした「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」は、ロシアの暴虐なウクライナ侵略により根底から崩壊に瀕している。
いまや「戦後」の命脈は尽き、近代日本は第三のサイクルに入ったのかもしれない。— 司史生@停滞中 (@tsukasafumio) April 28, 2022
思ってたこと的確で草
本当にこの通りプロパガンダのテンプレート演説でもあるのよなぁ pic.twitter.com/wqrdhpiUCL— 犬の飯 (@iunomesu) February 22, 2023