第1 比較の対象と結論
1 この記事が比較するもの
本記事は,ドイツについてはワイマール憲法下でヒトラー内閣が成立した1933年から1945年までを中心とし,日本については大日本帝国憲法の施行から第二次世界大戦の終結までを扱う。
比較の対象は,憲法典の文言だけではなく,立法権,緊急権,政党,臣民又は国民の権利,軍の統帥,裁判所,政治警察,人種・植民地・優生法制及び戦時経済統制である。
本記事の中心は,ナチス・ドイツと大日本帝国憲法下の日本における国内統治法制の比較である。
昭和20年のポツダム宣言発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの外交・軍事上の時系列は,ポツダム宣言の発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの経緯で扱い,戦争放棄の国際法史,不戦条約の条文,成立経緯及び現在の締約国は,不戦条約の内容,成立経緯及び現在の全締約国で扱う。
ナチス法制は,単一の「ナチス憲法」に置き換えられた制度ではない。
大統領緊急令,政府制定法,国会制定法,総統命令,警察措置,党の規範及び秘密命令が累積し,ワイマール憲法を形式上は残したまま,立憲的統制を失わせた法秩序であった。
この併存を説明するのが,エルンスト・フレンケルの「二重国家」という分析である。
私法取引や経済活動を予測可能な規範で処理する規範国家と,政治目的のため法的制約を外れた措置をとる大権国家が並存し,後者が前者へ侵入したと捉えるものであり,ナチス自身が制定した法概念ではない。
2 先に示す比較の結論
両国には,反対勢力の抑圧,広い委任立法,戦時動員,思想取締り,優生政策及び司法の制度的脆弱性という共通点があった。
しかし,ナチス・ドイツでは立法,行政,党及び軍の最終的な意思がヒトラー個人へ集約されたのに対し,大日本帝国憲法下の日本では,天皇大権,国務,統帥,陸海軍及び官僚機構が併存し,権力が分立的に保障されたのではなく,責任の所在が分散したまま議会内閣による統制が弱まった。
したがって,「独裁化と人権侵害」という結果の類似だけで両国を同じ制度とみることも,法形式の相違だけで日本の抑圧と動員を過小評価することも適切ではない。
本記事では,共通する機能と異なる法的経路を分けて比較する。
3 比較表
| 比較軸 | ナチス・ドイツ | 大日本帝国憲法下の日本 |
|---|---|---|
| 憲法上の出発点 | 国民主権,基本権及び議会制を定めたワイマール憲法 | 天皇の統治権と大権を定め,帝国議会の協賛及び国務大臣の輔弼を組み込んだ大日本帝国憲法 |
| 立法権の移動 | 1933年授権法により,政府が法律を制定し,憲法に反する法律も制定できた | 帝国議会の協賛を原則として維持しつつ,緊急勅令及び法律による広範な命令委任を用いた |
| 議会と政党 | 国会の実質的権能を失わせ,ナチ党以外の政党を法律で禁止した | 帝国議会は存続し,政党解消後の大政翼賛会も法的にはナチ党と同じ独占政党にはならなかった |
| 権利 | 主要な基本権を期限を定めず停止し,人種法で市民資格を階層化した | 臣民の権利は当初から法律の留保等を伴い,治安維持法その他の法律と警察行政によって制約した |
| 軍の指揮 | 1938年以降,ヒトラーが国防軍の最高指揮を直接執った | 統帥権が国務から独立するとの運用が強まり,軍と政府の二重構造を生んだ |
| 司法 | 通常裁判所を残しながら,類推処罰,特別裁判所及び民族裁判所を政治的抑圧に用いた | 裁判官の身分保障はあったが,司法行政は司法大臣の監督下にあり,違憲審査制もなかった |
| 人種・植民地法制 | 血統を基準として市民資格,婚姻及び性的関係を全国法で規制した | 内地と外地で異なる法域を組み,台湾・朝鮮では総督の命令に法律と同じ効力を認めた |
| 優生法制 | 強制断種を制度化し,後には秘密の権限付与に基づく組織的殺害へ進んだ | 1940年国民優生法が断種を定め,本人の同意によらない手続も設けたが,制度と規模は同一ではない |
第2 憲法構造と独裁化の経路
1 ワイマール憲法を廃止せずに変質させたナチス法制
ヒトラー内閣は,ワイマール憲法を一度に廃止して新憲法を制定したのではない。
1933年2月28日の「民族及び国家を保護するための大統領令」1条は,身体の自由,住居の不可侵,通信の秘密,表現・集会・結社の自由及び財産権に関するワイマール憲法の条項を「別段の定めがあるまで」停止した。
これは4年間の時限措置ではなく,停止自体に期限がない緊急令である。
続く1933年3月24日の「民族及び国家の窮状を除去するための法律」,いわゆる授権法は,政府が国会の手続によらず法律を制定できることを1条に定めた。
2条は,国会及び参議院の制度そのもの並びに大統領の権利を対象外としつつ,政府制定法が憲法に反することも認めた。
同法5条の当初の有効期限は1937年4月1日であり,その後に延長されたのであって,大統領緊急令による権利停止の期限と混同してはならない。
連邦制も段階的に解体された。
1934年1月30日のライヒ再建法は,州議会を廃止し,州の主権的権限を国へ移し,州政府を国政府へ従属させたほか,国政府が新たな憲法法規を定立できるものとした。
2 大日本帝国憲法の天皇大権と国務大臣の輔弼
大日本帝国憲法1条は大日本帝国を万世一系の天皇が統治すると定め,4条は天皇を国の元首として統治権を総攬する者とした。
他方,4条は天皇が憲法の条規により統治権を行うとも定め,5条は立法権を帝国議会の協賛をもって行うものとし,55条は国務大臣が天皇を輔弼して責任を負い,法律,勅令その他の国務に関する詔勅には国務大臣の副署を要するとした。
この構造は,天皇主権を定めながら,立法,国務及び統帥を複数の機関と手続へ配分していた。
ナチス期の総統原理のように,国家,政府,党及び軍の権限を一人の指導者の意思へ法的に集約した制度ではない。
3 権力集中と権限分散という相違
ドイツでは,1934年8月1日の「ドイツ国の国家元首に関する法律」が,大統領の職を首相の職と結合し,大統領の従来の権限をヒトラーへ移した。
その結果,憲法上の国家元首と政府の長が同一人物となり,党首としての地位もこれに重なった。
日本では,統治権が天皇に属するとの憲法構造の下でも,内閣,陸軍,海軍,枢密院及び官僚機構の権限がヒトラー型の一元的指揮系統へ統合されなかった。
この分散は自由を守る権力分立として機能せず,軍部大臣現役武官制や帷幄上奏を通じて軍が内閣から自律し,政策失敗について一元的な政治責任を問うことを難しくした。
第3 緊急権・授権法・国家総動員法
1 ナチス授権法が政府に移した権限
授権法の核心は,個別事項について命令へ委任したことではなく,政府自身に法律制定権を移し,その政府制定法に憲法逸脱能力まで認めた点にある。
条約についても,政府制定法の対象事項に関する限り,立法機関の承認を不要としたため,国会による事前統制は立法と外交の双方で失われた。
もっとも,授権法だけでナチス支配の全体を説明することはできない。
大統領緊急令による権利停止,州の強制的同質化,政党の禁止,公務員制度の人種化,警察権力,特別裁判所及び党の支配が重なって,政府制定法を止める制度的条件そのものが消滅した。
2 緊急勅令と命令による法律の施行
大日本帝国憲法8条は,公共の安全を保持し,又は災厄を避けるため緊急の必要があり,帝国議会が閉会中であるとき,法律に代わる勅令を発することを認めた。
ただし,次の会期に帝国議会へ提出し,承諾されなければ将来に向かって効力を失う旨を公布する制度であった。
同憲法9条は,法律を執行し,又は公共の安寧秩序を保持するため必要な命令を発する権限を認める一方,命令によって法律を変更できないと定めた。
したがって,条文上は,政府が憲法に反する法律を自ら制定できたナチス授権法と,緊急勅令又は独立命令との間に明確な相違がある。
緊急勅令,独立命令及び総統命令の詳細な比較は,「大日本帝国憲法の緊急勅令とナチス・ドイツの総統命令」で扱っている。
3 国家総動員法は日本版授権法であったか
国家総動員法は,昭和13年法律第55号として帝国議会の協賛を経て成立し,同年4月1日に公布された。
同法1条は,戦時又は戦時に準ずべき事変に際し,国防目的達成のため国の全力を最も有効に発揮できるよう人的・物的資源を統制運用することを国家総動員と定義した。
同法4条以下は,徴用,労務,賃金・労働条件,生産,配給,輸出入,物資の使用・収用,企業経理,設備,価格及び出版物の掲載制限等を,勅令によって統制できるものとした。
生活と経済の広い領域を将来の命令へ委ねた点では,議会が行政へ広範な権限を移すという授権的機能を持っていた。
他方,国家総動員法は,政府に「法律」を制定する権限を与えず,憲法に反する立法も認めなかった。
法律の授権範囲内で勅令その他の命令を制定する形式を維持したため,法的構造までナチス授権法と同一であるとはいえない。
この相違は,当時の議会でも意識されていた。
第73回帝国議会衆議院国家総動員法案委員会昭和13年3月9日の質疑では,衆議院議員の羽田武嗣郎が,法案を「白紙委任」と批判し,臣民の権利を守るため法律自体により多くを定めるよう求めた。
近衞文麿内閣総理大臣は,戦争又は事変の規模と相手方によって必要な措置が異なり,迅速適切な対応のため具体的内容を法律に書き切ることは困難であると答弁した。
第4 議会と政党
1 ナチ党による一党独占と党・国家の結合
1933年7月14日の政党新設禁止法1条は,ナチ党をドイツにおける唯一の政党とし,2条は他政党の維持又は新設を処罰の対象とした。
同年12月1日の党と国家の統一を保障する法律1条は,ナチ党をドイツ国家思想の担い手とし,国家と不可分に結び付いた公法上の団体と位置付けた。
授権法は国会を形式上廃止しなかったが,自由な政党競争が法律で消滅し,政府が国会外で立法できる以上,国会は政府を交代させ又は法律を審議する機関としての実質を失った。
1933年11月の国会選挙では,ナチ党だけの名簿が提示されたことも,ドイツ連邦公文書館の授権法解説で確認できる。
2 帝国議会の存続と大政翼賛会の限界
日本では,政党が解消して大政翼賛会が昭和15年10月12日に発足し,内閣総理大臣が総裁となる全国組織が作られた。
しかし,大政翼賛会を強力な一党とする構想には,「近衛幕府」となるとの違憲論や内務省の反対があり,昭和16年2月には公事結社とされて政治活動を禁止され,行政補助機関としての性格を強めた。
帝国議会も敗戦まで制度上存続し,法律と予算の審議を続けた。
もっとも,政党解消,言論統制並びに軍と官僚による政策形成の下で,議会が政府と軍を実効的に統制できたという意味ではない。
3 同じ「一党制」とは整理できない理由
ナチ党は法律上唯一の政党であり,国家と不可分の公法上の団体とされた。
これに対し,大政翼賛会は全国的な翼賛組織であったが,法的に唯一の支配政党となる構想は実現せず,むしろ政治活動を禁じられた行政補助機関として制度化された。
両者には,政治的多元性を失わせ,大衆を国家目的へ組織化したという機能上の共通点がある。
しかし,党が国家機構を貫通して指導者へ従属させたドイツと,既存の官僚・軍・議会の組織を残した日本とでは,権力を組織する法的技術が異なった。
第5 権利保障と政治的取締り
1 基本権の停止と刑罰法規の類推適用
ドイツの大統領緊急令は,対象となるワイマール憲法上の権利を個別の事件で制限したのではなく,期限を定めず停止した。
これにより,共産党員その他の反対者に対する逮捕,捜索,通信監視,出版禁止及び集会禁止を常態化させる法的基盤が作られた。
さらに,1935年6月28日の刑法改正法は,法律が犯罪と宣言した行為だけでなく,刑法の基本思想と「健全な民族感情」に照らして処罰に値する行為を処罰し,直接適用できる刑罰法規がなければ最も適切な構成要件を類推適用するものとした。
刑罰法規により事前に犯罪と刑罰を定める罪刑法定主義は,この一般的な類推処罰によって後退した。
2 法律の留保を伴う臣民の権利と治安維持法
大日本帝国憲法は,居住・移転,逮捕・監禁・審問・処罰,住居,信書,所有権,信教,言論・出版・集会・結社等を臣民の権利として定めた。
しかし,これらの条項には「法律ノ範囲内」「法律ニ定メタル場合」「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限」等の留保が置かれ,31条は戦時又は国家事変の場合に天皇大権の施行を妨げないとした。
大正14年法律第46号の治安維持法は,国体の変革又は私有財産制度の否認を目的とする結社等を処罰対象とした。
昭和16年法律第54号による全面改正では,取締対象,刑罰及び予防拘禁の仕組みが拡張され,思想犯保護観察法や特別高等警察の運用とともに政治的自由を狭めた。
3 権利制約の法的な経路の違い
ドイツでは,ワイマール憲法が保障した主要な権利を一括して停止し,政党禁止,人種法,警察措置及び類推処罰を累積させた。
日本では,臣民の権利が当初から法律の留保と大権の制約を受ける構造の下で,帝国議会が制定した治安法令,緊急勅令及び行政警察による取締りが拡大した。
普通選挙法と治安維持法が同じ大正14年に成立したことは,日本の制度変化が,政治参加の拡大から一挙に全面的独裁へ転換したという単線的な過程ではなかったことを示す。
参加の拡大と思想取締りが併存し,その後に戦時体制の下で後者が強化されたのである。
第6 軍の統帥と最高指揮
1 ヒトラーによる国防軍の直接指揮
1938年2月4日の国防軍指揮に関する総統命令は,ヒトラーが国防軍全体の指揮権を自ら直接行使し,国防軍最高司令部を自己の直属機関とすることを定めた。
これにより,軍が政府と並ぶ独立の憲法機関として総統に対抗する余地はなくなり,国家元首,政府の長,唯一政党の指導者及び軍の最高指揮者という地位が一人の意思へ集約された。
2 統帥権の独立が生んだ日本の二重構造
大日本帝国憲法11条は,天皇が陸海軍を統帥すると定めた。
条文自体は「統帥権の独立」という語を置いていないが,軍令事項は国務大臣の輔弼と内閣の責任から独立するとの解釈と運用が強まり,陸海軍の統帥部が内閣を経ずに上奏する経路を持った。
昭和5年のロンドン海軍軍縮条約をめぐる統帥権干犯問題は,条約締結と兵力量の決定に対する政府・議会の関与を,統帥権の侵害と批判できることを示した。
陸海軍大臣を現役の大将又は中将から任用する制度も,軍が後任を出さないことによって内閣の存立へ影響する手段となった。
3 集中した指揮と分裂した指揮
ドイツの制度的特徴は,軍を含む国家意思の最終決定をヒトラーへ集中させたことである。
日本の制度的特徴は,統帥を一般国務から切り離し,さらに陸軍と海軍も別個の指揮系統を持ったため,政府が軍事と外交を一体として統制しにくかったことである。
両者は,議会に責任を負う内閣が軍を統制できなかった点で共通する。
しかし,一方は個人への集中,他方は権限と責任の分裂によって統制を失ったのであり,統治機構上は反対方向の機序であった。
第7 裁判所と法による統制
1 通常裁判所を残したナチス司法
ナチス期にも通常裁判所と法学専門家は存続したが,政治的事件を通常の上訴構造から切り離す裁判所が拡張された。
1934年4月24日の法律により設けられた民族裁判所は,内乱罪及び外患罪等をライヒ裁判所から移して第一審かつ終審で扱い,再審級を持たなかった。
ドイツ連邦公文書館の民族裁判所資料によれば,構成員は司法大臣の提案に基づいてヒトラーが任命し,法曹資格を必要とする構成員も限定されていた。
類推処罰,特別裁判所,警察による保護拘禁及び人種法が重なることにより,裁判所が存在すること自体は自由と適法性の保障にならなかった。
2 大日本帝国憲法上の司法権と司法行政
大日本帝国憲法57条は,司法権を天皇の名において法律により裁判所が行うと定め,58条は裁判官の資格を法律で定め,刑法の宣告又は懲戒処分によらなければ罷免されないとした。
他方,同憲法は法律を憲法に照らして無効とする違憲審査制を設けず,行政官庁の違法処分に関する訴訟は行政裁判所が扱った。
裁判所構成法の下では,司法行政の最高監督権は司法大臣に属し,各裁判所長が管内の司法行政を監督した。
裁判官の職権行使と身分保障は存在したが,裁判所組織の人事・監督を行政から分離した日本国憲法下の司法行政とは異なる。
制度の沿革は,「司法行政の意義及び戦前と戦後の司法行政の違い」で詳しく扱っている。
3 司法の脆弱性に関する共通点と相違点
両国とも,裁判官の存在や裁判形式だけでは,議会と基本権を弱める立法や政治警察を止められなかった。
ドイツでは憲法逸脱立法,類推処罰,民族裁判所及び警察権力が裁判による統制を解体し,日本では違憲審査制の欠如,司法行政の大臣監督,広い法律の留保及び治安法令が統制の限界を作った。
ただし,ナチスの民族裁判所と日本の通常裁判所を,同じ性質の政治裁判所として一括することはできない。
比較すべきなのは名称や有罪率ではなく,①適用法を誰が作ったか,②裁判所の管轄と上訴がどう設計されたか,③裁判官の任命・監督を誰が支配したか,④警察措置が司法審査に服したかという制度である。
第8 人種・植民地・優生法制
1 ニュルンベルク法による市民資格と婚姻の人種化
1935年9月15日の帝国市民法は,ドイツ又はこれと近縁の血統を持ち,ドイツ民族と国家へ忠実に仕える意思と能力を行動で示す国籍保有者だけを帝国市民とし,完全な政治的権利を帝国市民に限った。
同日のドイツ人の血と名誉を保護するための法律は,ユダヤ人とドイツ又は近縁の血統を持つ国籍保有者との婚姻及び婚姻外の性的関係を禁止した。
「ユダヤ人」を祖父母の人数等で具体化したのは帝国市民法そのものではなく,1935年11月14日の帝国市民法第一次施行令である。
同令は,ユダヤ人である祖父母が3人以上いる者を原則としてユダヤ人とし,2人の場合にも宗教,婚姻等の条件によってユダヤ人とした。
2 日本の内地・外地法制との比較
大日本帝国憲法18条は,日本臣民となる要件を法律で定めるとした。
帝国市民法のように祖父母の血統を全国的な市民資格と婚姻禁止へ直結させる体系は採らなかったが,日本帝国の法秩序が一様で平等であったことを意味しない。
国立国会図書館の旧外地法令資料が示すように,内地の法律は台湾及び朝鮮へ当然には施行されず,台湾総督又は朝鮮総督の命令に法律と同じ効力を認める別個の法域が組まれた。
共通法は内地,朝鮮,台湾等の法域間の関係を調整したが,居住する地域と法域によって適用法と統治機構が異なった。
したがって,ナチス法制は本国法の中で血統を基準に市民資格と婚姻を階層化し,日本法制は植民地ごとに異なる統治法域を構成したという違いがある。
これは法的技術の相違であり,日本の植民地支配に差別又は強制がなかったという評価ではない。
3 断種法制と秘密の殺害政策
ドイツの1933年遺伝病子孫予防法は,遺伝健康裁判所の手続を通じ,対象とされた疾病等を理由とする強制断種を制度化した。
これとは別に,障害者等を殺害した「T4」作戦は,公刊された包括的な安楽死法ではなく,ヒトラーの秘密の権限付与と行政組織によって遂行されたため,制定法と秘密政策を区別して理解する必要がある。
日本では,昭和15年法律第107号の国民優生法が優生手術を制度化した。
本人の申請と同意を基本とする説明が政府から示された一方,公益上必要と認める場合に本人の同意なしで進める手続もあり,単純な「任意の制度」ではなかった。
衆議院・参議院の旧優生保護法一時金認定審査会調査報告書は,ドイツの断種法が日本の立案過程へ影響したことを資料に基づいて整理している。
ただし,ドイツの強制断種制度,T4による殺害,日本の国民優生法及び戦後の優生保護法は,根拠法,対象,手続及び実施時期が異なり,一つの制度として扱うことはできない。
第9 比較から分かる法制上の問題
1 法形式だけでは支配の実態を測れないこと
ナチス法制には,官報で公布された法律と命令だけでなく,秘密命令,警察の保護拘禁,党組織の指示及び占領地での暴力が含まれた。
日本でも,憲法と法律の条文だけでなく,軍令,勅令,閣議決定,通牒,警察実務及び植民地法制を合わせなければ統治の実態を把握できない。
他方,実態を重視することは,法形式の相違を無視してよいという意味ではない。
国家総動員法の広い委任と授権法の政府立法権,緊急勅令と無期限の権利停止,大政翼賛会と唯一政党,統帥権の独立と総統の直接指揮を区別することで,どの統制装置がどの経路で失われたかが明らかになる。
2 「適法であった」と「法による統制があった」は同じではないこと
議会が制定した法律に基づく措置であっても,委任の範囲が広く,反対政党,報道,裁判所及び地方自治による統制が弱ければ,法律は権力を制限する規範ではなく動員と排除を実行する手段となり得る。
国家総動員法と治安維持法は帝国議会の協賛を経た法律であり,その事実だけで立憲的統制が実効的であったとはいえない。
ナチス授権法も,当時の憲法改正手続を外形上利用して成立したが,議員の逮捕,威圧及び反対勢力の排除された状況を離れて議決の形式だけを評価することはできない。
法の支配を判断するには,法律の制定形式に加え,権利の内容,権力分立,政治的競争,司法審査及び権力行使を争う現実的な機会を確認する必要がある。
3 戦後の無効判断と日本の法制転換
ドイツ連邦憲法裁判所1968年2月14日決定(2BvR557/62,BVerfGE23,98)は,ユダヤ人の国籍を剥奪した帝国市民法第11施行令について,正義の基本原則に耐え難い程度で反し,当初から無効であったとして法的効果を認めなかった。
これは,国家が制定した形式を持つ規範であっても,極端な不正義のため法として承認できない場合があることを示す戦後判例である。
日本では,治安維持法が昭和20年勅令第575号により同年10月15日に廃止され,昭和22年5月3日に日本国憲法が施行された。
国民主権,基本的人権,国会を唯一の立法機関とする原則,内閣の国会に対する連帯責任,戦争放棄,司法権の独立及び違憲審査制は,大日本帝国憲法下で統制を弱めた構造に対する制度上の転換となった。
大日本帝国憲法から日本国憲法への移行過程は,「ポツダム宣言受諾と国体護持」で扱っている。
第10 出典・参考資料
1 憲法・法律・命令
①国立国会図書館「大日本帝国憲法」(明治22年2月11日発布,明治23年11月29日施行)
②国立国会図書館日本法令索引「国家総動員法(昭和13年法律第55号)」,国立公文書館デジタルアーカイブ「国家総動員法・御署名原本・昭和十三年・法律第五五号」(御21379100)
③国立国会図書館日本法令索引「治安維持法(大正14年法律第46号)」及び「治安維持法改正(昭和16年法律第54号)」
④国立国会図書館日本法令索引「裁判所構成法(明治23年法律第6号)」及び「国民優生法(昭和15年法律第107号)」
⑤e-Gov法令検索「日本国憲法(昭和21年憲法)」(昭和21年11月3日公布,昭和22年5月3日施行)
⑥ドイツ大統領「民族及び国家を保護するための大統領令」(1933年2月28日,RGBl. I S. 83)
⑦ドイツ国「民族及び国家の窮状を除去するための法律」(1933年3月24日,RGBl. I S. 141)
⑧ドイツ国「政党新設禁止法」(1933年7月14日,RGBl. I S. 479)及び「党と国家の統一を保障する法律」(1933年12月1日,RGBl. I S. 1016)
⑨ドイツ国「ライヒ再建法」(1934年1月30日,RGBl. I S. 75)
⑩ドイツ国「ドイツ国の国家元首に関する法律」(1934年8月1日,RGBl. I S. 747)及び総統兼首相「国防軍指揮に関する命令」(1938年2月4日,RGBl. I S. 111)
⑪ドイツ国「帝国市民法」及び「ドイツ人の血と名誉を保護するための法律」(いずれも1935年9月15日,RGBl. I S. 1146),「帝国市民法第一次施行令」(1935年11月14日,RGBl. I S. 1333)
⑫ドイツ国「刑法改正法」(1935年6月28日,RGBl. I S. 839)及び「遺伝病子孫予防法」(1933年7月14日,RGBl. I S. 529)
2 議会資料・公文書
①帝国議会会議録検索システム「第73回帝国議会衆議院国家総動員法案委員会議録第10回」(昭和13年3月9日),特に近衞文麿内閣総理大臣の答弁及び羽田武嗣郎委員の質疑
②国立国会図書館「普通選挙法と治安維持法」,「ロンドン海軍軍縮会議と統帥権干犯問題」及び「大政翼賛会の発足」
③国立国会図書館「日本の統治体制の改革(SWNCC228)」(1946年1月7日)及び国立国会図書館リサーチ・ナビ「旧外地法令の調べ方」
④衆議院・参議院「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律第21条に基づく調査報告書」(令和5年6月)第1編3頁~4頁,第2編32頁~42頁
⑤ドイツ連邦公文書館「1933年3月24日の授権法」,「民族裁判所の設置」及び「第三帝国における安楽死」
3 裁判例
①ドイツ連邦憲法裁判所1968年2月14日決定(2BvR557/62,BVerfGE23,98~113頁),公式判例集第23巻索引及び決定全文
4 文献
①長利一『ドイツ緊急権の憲法史――「危機憲法」論』(日本評論社,2022年)541頁,597頁~598頁
②赤坂幸一『統治機構論の基層』(日本評論社,2023年)92頁~95頁
③Michael Stolleis, “Law and Lawyers Preparing the Holocaust,” Annual Review of Law and Social Science, Vol. 3 (2007), pp. 213–231, DOI: 10.1146/annurev.lawsocsci.3.081806.112815