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遺産分割前に預貯金を払い戻す二つの方法―民法909条の2と仮分割の仮処分(AI作成)

第1 結論

1 二つの方法

被相続人名義の預貯金は,遺産分割が終わる前でも,一定の範囲で払い戻すことができる。方法は,①民法909条の2に基づいて相続人が金融機関に直接請求する方法と,②家事事件手続法200条3項に基づいて家庭裁判所に預貯金債権の仮分割を申し立てる方法の二つである。

前者は,裁判所を利用せず,使途や資金の必要性を証明することも要しない反面,各預貯金債権についての計算額と一金融機関当たり150万円という上限がある。後者には150万円という定額上限はないが,遺産分割調停又は審判が係属していること,預貯金を行使する必要があること,他の共同相続人の利益を害しないことが必要である。

2 通常の検討順序

まず,共同相続人全員の合意による払戻し又は預貯金だけの一部分割が可能かを確認する。合意が難しい場合には,民法909条の2による払戻額で当面の資金需要を満たせるかを計算し,それでも足りず,具体的な支払期限のある資金需要があるときに仮分割の仮処分を検討するのが通常である。

二つの制度は併用できる。しかし,先に民法909条の2による払戻しを受けた事実は,後の仮処分における必要性及び他の共同相続人への影響の判断材料になるため,既払戻額と使途を正確に示す必要がある。

第2 預貯金が遺産分割の対象となるまでの経緯

1 最高裁判例

最高裁平成28年12月19日大法廷決定(平成27年(許)第11号,民集70巻8号2121頁)は,共同相続された普通預金債権,通常貯金債権及び定期貯金債権は,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されるものではなく,遺産分割の対象となるとした。同決定の補足意見は,遺産分割前の資金需要に対応するため,当時の審判前の保全処分を活用することにも言及した。

最高裁平成29年4月6日第一小法廷判決(平成28年(受)第579号,裁判集民事255号129頁)は,定期預金及び定期積金に関する債権についても,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されるものではないとした。これらの判例により,相続人全員の合意がない限り,相続人が遺産分割前に預貯金を単独で取得することは原則としてできなくなった。

2 平成30年相続法改正

平成30年法律第72号は,遺産分割前の資金需要に対応するため,民法909条の2を新設し,家事事件手続法200条3項の仮処分を整備した。いずれも令和元年7月1日に施行され,同日より前に相続が開始していた場合にも,同日以後は新制度を利用できることが法務省の経過措置資料に示されている。

民法909条の2については,平成30年法律第72号附則5条が施行日前に開始した相続にも適用すると明記している。家事事件手続法200条3項については,民法改正部分に関する附則2条の制限を受けず,施行日後の家事事件手続に適用される。

第3 民法909条の2による金融機関での払戻し

1 払戻限度額

(1) 各預貯金債権についての計算

民法909条の2により各共同相続人が単独で権利行使できる額は,各預貯金債権について,次の式で算出する。

相続開始時の預貯金債権額 × 3分の1 × 払戻しを求める相続人の法定相続分

ここで用いるのは,遺言による指定相続分や特別受益等を考慮した具体的相続分ではなく,民法900条又は901条による法定相続分である。普通預金,定期預金等の預貯金債権ごとに計算するため,ある口座で余った計算枠を別の口座に付け替えることはできない。

(2) 一金融機関当たり150万円の上限

各預貯金債権について算出した額の合計には,預貯金債権の債務者である金融機関ごとに150万円の上限がある。この金額は,平成30年法務省令第29号が定めている。

同じ銀行の別支店に口座がある場合も,一金融機関として合算する。別の銀行,信用金庫又はゆうちょ銀行に預貯金がある場合には,それぞれについて計算と150万円の上限を適用する。

2 計算例

相続人が配偶者と子一人であり,配偶者が払戻しを求める場合を考える。A銀行に普通預金900万円と定期預金300万円,B銀行に普通預金180万円があり,いずれも死亡時残高とする。

A銀行の普通預金は,900万円×3分の1×2分の1=150万円であり,定期預金は,300万円×3分の1×2分の1=50万円である。合計は200万円になるが,A銀行から払い戻せる額は一金融機関の上限である150万円までである。

B銀行については,180万円×3分の1×2分の1=30万円を払い戻せる。したがって,この例で配偶者が二つの金融機関から払い戻せる額は,合計180万円である。

3 金融機関に提出する資料

金融機関は,共同相続人と法定相続分を確認する。一般には,①被相続人の出生から死亡までの戸籍・除籍謄本,②相続人全員が判明する戸籍又は法定相続情報一覧図,③請求人の本人確認書類,④印鑑証明書,⑤金融機関所定の申請書等が求められる。

もっとも,必要書類,証明書の有効期限,原本還付,代理人による請求及び定期預金の処理は金融機関によって異なる。全国銀行協会の案内及び三井住友銀行の案内にも制度と必要書類の例が示されているが,実際の提出前に取引金融機関へ確認すべきである。

4 払戻しの効果と注意点

民法909条の2による払戻しには,使途の法定制限がない。ただし,被相続人本人を装って暗証番号を用いる方法ではなく,同条に基づく請求であることを金融機関に明示して所定の相続手続を行う必要がある。

払戻しを受けた相続人は,その預貯金債権を遺産の一部分割によって取得したものとみなされる。したがって,最終的な遺産分割では既に取得した財産として扱われ,具体的相続分を超えるときは代償金等による精算が問題となる。払戻金を葬儀費用等に使用したことだけで,みなし取得の効果がなくなるわけではないため,払戻額,使途及び領収書を保存しておくことが望ましい。

相続放棄を検討している場合は,払戻しや費消が法定単純承認との関係で問題となり得る。遺言,遺贈,差押え,既払戻し又は残高減少がある場合にも通常の計算だけでは処理できないことがあるため,個別の確認を要する。

第4 家事事件手続法200条3項による仮分割の仮処分

1 申立要件

(1) 遺産分割事件が係属していること

家事事件手続法200条3項の仮処分は,遺産分割調停又は審判の申立てが既にある場合に限られる。仮処分だけを独立して先に申し立てることはできず,本案が係属する裁判所に申し立てる。

対象となる金融機関は,遺産分割事件の当事者ではない。審判では,本案の申立人又は相手方が,金融機関に対する特定の預貯金債権の全部又は一部を仮に取得することを命じる。

(2) 預貯金を行使する必要があること

条文は,相続財産に属する債務の弁済,相続人の生活費の支弁その他の事情により,預貯金債権を行使する必要があることを求めている。平成30年改正前の一般的な保全処分で求められた「急迫の危険」を防止する必要までは要しないが,単に早く受領したいというだけでは足りない。

費目,必要額,支払期限,申立人の収入・固有資産,借入れその他の調達可能性,民法909条の2による既払戻額,合意による一部分割の可能性を具体的に示す必要がある。法律上の150万円上限はないものの,認められる額は疎明された必要性の範囲に限られる。

(3) 他の共同相続人の利益を害しないこと

仮取得によって,最終の遺産分割で他の共同相続人に具体的相続分相当の財産を取得させられなくなるおそれがあるときは,仮処分を命じることができない。遺産総額,対象預貯金額,法定相続分・指定相続分・具体的相続分,特別受益・寄与分の主張,他の流動資産,申立人の代償金支払能力,既払戻額及び相手方の意見が判断材料となる。

法定相続分の範囲であっても,申立人に多額の特別受益があることが明らかな場合等には,他の相続人の利益を害することがある。反対に,被相続人の債務を支払うなど,事後の負担調整を含めて公平を確保できる事案では,法定相続分を超える仮取得が理論上直ちに排除されるわけではないが,当然に認められるものでもない。

2 申立てと疎明資料

申立書では,金融機関,支店,口座種別・口座番号,対象となる預貯金債権及び仮取得を求める金額を特定する。必要性と利益不侵害は別個の要件であるから,資金使途の資料だけでなく,遺産全体と各相続人の取得見込みを示す資料も提出する必要がある。

典型的な疎明資料は,①相続関係図・戸籍,②遺産目録,③通帳又は残高証明書,④不動産等を含む全遺産の評価資料,⑤申立人の収入・固有資産資料,⑥請求書,納付書,施設利用料その他の支払資料,⑦支払期限の資料,⑧事情を説明する陳述書,⑨民法909条の2による払戻しその他の既払資料である。提出済みの本案記録を参照できる場合でも,仮処分の要件ごとにどの資料が何を疎明するかを明確にする必要がある。

仮の地位を定める仮処分であるため,裁判所は原則として審判を受ける者となるべき共同相続人の陳述を聴く。ただし,陳述を聴くことによって申立ての目的を達することができない事情がある場合は例外があり,裁判所が担保を立てさせることもある。認容審判と却下審判のいずれについても即時抗告が可能であり,即時抗告に当然の執行停止効はない。

3 仮取得の効果

認容審判により,申立人は特定の預貯金債権の全部又は一部を仮に取得し,審判書等を用いて金融機関に払戻しを求める。金融機関ごとの実施書類は事前に確認する必要がある。

この仮取得は,本案の遺産分割内容を先に確定するものではない。本案では仮取得の対象となった預貯金債権を含めて遺産全体を改めて分割し,既払額を履行又は精算の段階で調整する。この点で,一部分割による取得とみなす民法909条の2の払戻しとは法的効果が異なる。

第5 二つの制度の使い分け

1 比較表

項目民法909条の2家事事件手続法200条3項
手続金融機関への直接請求家庭裁判所への仮処分申立て
遺産分割事件不要調停又は審判の係属が必要
資金の必要性証明不要具体的な必要性の疎明が必要
他の相続人の同意不要不要。ただし利益不侵害の審査がある
金額各預貯金債権の計算額かつ一金融機関150万円まで定額上限なし。ただし必要性と利益不侵害の限界がある
効果一部分割で取得したものとみなす仮取得であり,本案で改めて分割する
想定場面比較的少額の当面資金上限を超える具体的かつ疎明可能な資金需要

2 費目ごとの注意点

(1) 葬儀費用

一般的な葬儀費用は,被相続人が死亡時に負担していた債務そのものではない。誰が葬儀会社と契約したか,被相続人が生前に手配していたか,費用の内容,支払期限及び相続財産との法律上の結び付きによって取扱いが異なる。

東京家庭裁判所遺産分割部の実務資料は,葬儀費用は一般に遺産分割事項ではなく,本案係属前に支払時期が到来することも多いため,仮分割の仮処分には通常なじみにくいとの方向を示す。他方,令和6年刊行の立法担当者による逐条解説は,申立人に葬儀費用を支払う法律上の利益がある場合に「その他の事情」による必要性を認め得ると説明しており,一律に肯定又は否定できない。

なお,国税庁タックスアンサーNo.4129が葬式費用の一部を相続税の計算上控除することと,葬儀費用が民法上の相続債務又は遺産分割事項になることは別問題である。葬儀の実施主体等については,葬儀・火葬の実施に関する記事も参照されたい。

(2) 相続税

相続税は,各納税義務者が負う公法上の債務であり,被相続人の債務ではない。国税庁タックスアンサーNo.4205によれば,申告と納付の期限は,原則として相続開始があったことを知った日の翌日から10か月以内である。

納期限があることだけで仮処分が当然に認められるわけではない。本案係属の時期,納付額,申立人の固有資産,民法909条の2による払戻可能額及び一部分割の可能性を具体的に疎明する必要がある。

(3) 相続債務と生活費

被相続人の債務の弁済と,相続人の生活費の支弁は,家事事件手続法200条3項が明示する必要性の例である。それでも,債務の内容と期限,申立人が承継する範囲,生活費の月額と必要期間,申立人の収入・資産及び他の調達方法を示す必要がある。

遺産からの無断払戻し又は使途不明金が既にある場合には,現存残高,既払額及び相続人間の精算問題を切り分けなければならない。この問題については,遺産相続の使途不明金を追及する方法も参照されたい。

3 申立て前の確認事項

仮分割の仮処分を検討するときは,①対象口座と死亡時・現在残高,②遺産分割調停又は審判の係属,③必要費目・金額・期限,④申立人の固有資産と代替手段,⑤遺産全体と他の相続人の取得見込み,⑥特別受益・寄与分の主張,⑦既払戻額,⑧金融機関の実施手続を確認する必要がある。

本記事は一般的な制度説明である。遺言,相続放棄,債務超過,差押え,多額の特別受益,相続人間の対立又は支払期限が迫る事案では,払戻し自体が後の手続に影響し得るため,個別事情に応じた検討を要する。

第6 出典

1 法令・立法資料

e-Gov法令検索「民法」900条,901条,909条の2。

e-Gov法令検索「家事事件手続法」105条,107条,109条~115条,200条3項。

e-Gov法令検索「民法第九百九条の二に規定する法務省令で定める額を定める省令」(平成30年法務省令第29号)。

平成30年法律第72号附則2条,5条,11条。

⑤法務省「民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律等について(相続法の改正)」,「経過措置について」及び「中間試案後に追加された民法(相続関係)等の改正に関する試案」12頁~13頁。

2 裁判例

最高裁平成28年12月19日大法廷決定(平成27年(許)第11号,民集70巻8号2121頁)。

最高裁平成29年4月6日第一小法廷判決(平成28年(受)第579号,裁判集民事255号129頁)。

3 公的機関・金融機関の資料

①全国銀行協会「亡くなった親の預貯金,すぐに引き出すことは可能ですか?」。

②三井住友銀行「民法909条の2に基づく遺産分割前の相続預金の払戻し制度とはどんな制度ですか?」。

③国税庁「No.4126 相続財産から控除できる債務」,「No.4129 相続財産から控除できる葬式費用」及び「No.4205 相続税の申告と納税」。

4 書籍

①堂薗幹一郎・野口宣大編著『一問一答 新しい相続法―平成30年民法等(相続法)改正,遺言書保管法の解説』商事法務,2019年,85頁~103頁。

②堂薗幹一郎ほか『逐条解説 改正相続法』商事法務,2024年,92頁~99頁,302頁~310頁。

③東京家庭裁判所家事第5部編著『相続法改正を踏まえた新たな実務運用』日本加除出版,2019年,47頁~55頁。

④東京家庭裁判所家事第5部編著『第4版 家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務』日本加除出版,2021年,438頁~447頁。