第1 この記事が扱う対象と時点
1 対象とする制度と調査基準日
(1) 対象とする制度
この記事は,租税特別措置法41条の19が定める「特定の基準所得金額の課税の特例」を扱う。
国税庁は,この制度を「極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置」と呼んでいる。
いわゆる「1億円の壁」への対応として令和5年度税制改正で設けられ,令和8年度税制改正で対象と税率が見直された。
記事の中心は,見直しの内容,適用が始まる年分及び弁護士業務で問題となる場面である。
(2) 調査基準日と改正の時点
本記事は,令和8年9月16日時点で,e-Gov法令検索に掲載された現行条文及び施行前の改正後条文,財務省及び国税庁の公表資料を確認して作成した。
改正法は,令和8年3月31日に公布された所得税法等の一部を改正する法律(令和8年法律第12号)である。
e-Gov法令検索では,本特例の控除額と税率を改める改正後の条文は令和9年1月1日施行の版として掲載されており,令和8年9月16日時点では施行前である。
本記事は税額の計算方法を条文と公表資料に基づいて説明するものであり,個別の申告額は,所得の構成,所得控除及び税額控除によって変わる。
2 「1億円の壁」と本特例の関係
(1) 所得が大きくなると負担率が下がる理由
給与所得や事業所得は累進税率の総合課税であるのに対し,株式等の譲渡所得と土地建物等の長期譲渡所得は,他の所得と区分して所得税15%を課す分離課税である(租税特別措置法31条1項,37条の10第1項)。
分離課税の所得の割合が大きいほど所得全体のうち税率15%で課税される部分が増えるため,合計所得金額が一定の水準を超えると,所得税の負担率がかえって下がることがある。
財務省のパンフレット「令和8年度 税制改正」4頁(PDF6頁)の図も,実際の申告実績データに基づく所得税負担率が,合計所得金額の増加につれて途中から下がる形を示している。
(2) 令和5年度改正による導入
国税庁の制度説明によれば,本特例は令和5年度税制改正で導入され,令和7年分の所得税等の確定申告から始まった。
国税庁は,導入時の対象を「おおむね平均的な水準として30億円を超える高い所得」と説明している。
すなわち,令和7年分及び令和8年分の本特例は,年に数十億円規模の所得がある人を主な対象とする制度であった。
令和8年度改正は,この対象の水準を大きく引き下げるものである。
第2 本特例の仕組み
1 追加の所得税額の計算式
(1) 現行の条文
現行の租税特別措置法41条の19第1項は,次のとおり定めている。
「個人でその者のその年分の基準所得金額が三億三千万円を超えるもの(第四項において「特例対象者」という。)については、当該超える部分の金額の百分の二十二・五に相当する金額からその年分の基準所得税額を控除した金額に相当する所得税を課する。」
計算式にすると,追加の所得税額=(基準所得金額-3億3000万円)×22.5%-基準所得税額であり,計算結果が0以下であれば追加の所得税は生じない。
(2) 判定の順序
国税庁のリーフレット「特定の基準所得金額の課税の特例ー極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置ー」(令和7年12月)は,判定を3段階で示している。
①基準所得金額が3.3億円を超えるか,②(基準所得金額-3.3億円)×22.5%を計算する,③②が基準所得税額より大きいか,という順序である。
②が基準所得税額以下であれば特例の適用はなく,②が上回る場合に限り,その差額を所得税の額に加算して確定申告をする。
計算には,国税庁の「特定の基準所得金額の課税の特例に関する適用判定表兼税額計算書」を使う。
2 基準所得金額に含まれる所得
(1) 合算される所得の範囲
基準所得金額は,租税特別措置法41条の19第2項各号の金額の合計額である。
総合課税の総所得金額,退職所得金額及び山林所得金額に加え,上場株式等の配当所得等,土地の譲渡等に係る事業所得等,土地建物等の長期譲渡所得及び短期譲渡所得,一般株式等及び上場株式等の譲渡所得等並びに先物取引の雑所得等が合算される。
非上場会社の株式の譲渡益も,不動産の売却益も,給与も,同じ1つの基準所得金額に入るということである。
(2) 申告不要の所得,特別控除及び非課税の所得
同項は,申告不要制度(租税特別措置法8条の5第1項,37条の11の5第1項)の適用がないものとして計算した金額を合算すると定めている。
そのため,確定申告をしないことを選べる上場株式等の配当や,源泉徴収ありの特定口座の譲渡益も,基準所得金額に含まれる。
さらに同条4項により,追加の所得税が生じる人は,その年分について申告不要制度を使うことができない。
他方,土地建物等の譲渡所得は,収用等の場合の5000万円の特別控除(同法33条の4第1項)や居住用財産を譲渡した場合の3000万円の特別控除(同法35条第1項)などの特別控除に関する規定を適用した後の金額で合算される(同法41条の19第2項4号・5号)。
財務省のパンフレット4頁は,スタートアップ再投資やNISA関連の非課税所得が対象外であることも示している。
3 基準所得税額と復興特別所得税
(1) 比べる相手になる通常の税額
基準所得税額は,本特例の適用がないものとして通常の方法で計算した所得税の額である(租税特別措置法41条の19第3項)。
国税庁は,申告不要制度を適用する所得を除いて計算した申告書上の所得税の額と,申告不要制度を適用した所得に係る源泉徴収税額との合計額であり,復興特別所得税を含むと説明している。
条文上も,東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法33条1項(以下,この法律を「復興財源確保法」という。)が,租税特別措置法41条の19第3項の「所得税の額」を「所得税及び当該所得税に係る復興特別所得税の額」と読み替えている。
(2) 追加の所得税にも復興特別所得税がかかること
復興財源確保法10条1号は,復興特別所得税の課税標準となる基準所得税額を,非永住者以外の居住者について「所得税法第七条第一項第一号に定める所得につき、同法その他の所得税の税額の計算に関する法令の規定(同法第九十三条及び第九十五条の規定を除く。次号において同じ。)により計算した所得税の額」と定めている。
本特例による所得税も租税特別措置法により計算される所得税であるから,その額にも復興特別所得税の税率が乗じられると考えられる。
国税庁の適用判定表兼税額計算書も,通常の所得税の額に本特例による加算額を加えた金額を,申告書第一表の「税金の計算」欄へ転記する様式になっている。
本記事の試算(第4)では,本特例による追加の所得税額に復興特別所得税等を加えた額を追加負担として示す。
住民税の取扱いは本特例の条文に定めがなく,本記事では扱わない。
第3 令和8年改正の内容
1 控除額と税率の見直し
(1) 改正後の条文
令和8年法律第12号による改正後の租税特別措置法41条の19第1項は,次のとおりである(e-Gov法令検索に掲載された令和9年1月1日施行の版による)。
「個人でその者のその年分の基準所得金額が一億六千五百万円を超えるもの(第四項において「特例対象者」という。)については、当該超える部分の金額の百分の三十に相当する金額からその年分の基準所得税額を控除した金額に相当する所得税を課する。」
控除額は3億3000万円から1億6500万円に半減し,税率は22.5%から30%に上がる。
(2) 見直しの趣旨と増収見込額
令和8年度税制改正の大綱(令和7年12月26日閣議決定)は,改正の趣旨を「税負担の公平性を確保する観点から、極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置の見直し等を行う。」と述べている。
財務省のパンフレット13頁(PDF15頁)は,本特例の改正前の制度部分の増収見込額を1130億円とし,令和8年度改正による増収見込額と合わせて平年度4000億円となると記載している。
改正により,本特例は数十億円規模の所得がある人だけの制度ではなくなる。
2 適用開始は令和9年分から
(1) 改正法の経過措置
財務省が国会に提出した所得税法等の一部を改正する法律案の附則47条は,「新租税特別措置法第四十一条の十九第一項の規定は、令和九年分以後の所得税について適用し、令和八年分以前の所得税については、なお従前の例による。」と定めている。
大綱も「上記の改正は、令和9年分以後の所得税について適用する。」としており,財務省のパンフレット4頁も「令和9年分の所得から適用」と明記している。
(2) 令和8年分までは改正前の基準による
この経過措置により,令和8年分の所得税には改正前の3億3000万円・22.5%の基準が適用される。
所得税は暦年単位で計算するため,令和8年12月31日までに収入すべき時期が到来する譲渡所得は改正前の基準で,令和9年1月1日以後のものは改正後の基準で判定することになる。
どちらの年分の所得になるかの考え方は,第6で説明する。
3 令和9年分以後の復興特別所得税と防衛特別所得税
(1) 税率の組替え
同じ令和8年法律第12号により,令和9年分以後は,基準所得税額に1%を課す防衛特別所得税が創設され,復興特別所得税の税率は2.1%から1.1%に引き下げられる(我が国の防衛力の抜本的な強化等のために必要な財源の確保に関する特別措置法(以下「防衛財源確保法」という。)5条の9,復興財源確保法13条の令和9年1月1日施行の版)。
所得税に上乗せされる税率の合計は,令和8年分までの2.1%と変わらない。
所得税の確定申告全般への影響は,所得税の確定申告に関するメモ書きで扱っている。
(2) 基準所得税額にも両方が含まれること
令和9年1月1日施行の防衛財源確保法5条の31は,租税特別措置法41条の19第3項の「所得税の額」を「所得税並びに当該所得税に係る防衛特別所得税及び復興特別所得税の額」と読み替えている。
そのため,令和9年分以後も,本特例で比べる通常の税額には復興特別所得税と防衛特別所得税の両方が含まれる。
4 暗号資産の譲渡益の算入
法律案要綱22頁は,基準所得金額の計算について,対象となる所得の範囲に「特定暗号資産に係る譲渡所得等の金額を加える」としている。
この改正は,暗号資産の譲渡益を申告分離課税とする改正に合わせたものであり,施行日は,暗号資産を金融商品取引法の規制対象とする改正法(令和8年法律第64号)の施行日の属する年の翌年1月1日とされている。
令和8年法律第64号の施行日は政令で定めることとされており,令和8年9月16日時点のe-Gov法令検索では確定日ではなく予定日として表示されている。
暗号資産の分離課税と金融商品取引法改正の関係は,暗号資産に関する令和8年金融商品取引法改正の内容と施行時期で扱っている。
第4 追加税額の試算
1 分離課税の所得だけがある場合
(1) 追加の所得税がかかり始める所得水準
所得が株式等の譲渡所得など税率15%の分離課税の所得だけで,所得控除を考えない場合,基準所得税額は所得の15.315%(所得税15%と,その2.1%に当たる復興特別所得税等との合計)になる。
この前提で本記事が計算すると,追加の所得税がかかり始める基準所得金額は,令和8年分までは約10億3340万円,令和9年分以後は約3億3708万円である。
計算式は,令和9年分以後であれば,0.30×(X-1億6500万円)=0.15315×Xを解いたものである。
財務省のパンフレット4頁も,所得全てが分離課税(15%)の場合の追加負担は年間所得約3.4億円から生じると図示している。
(2) 所得水準ごとの追加負担額
次の表は,同じ前提で本記事が計算した追加負担額(本特例による追加の所得税額に,その2.1%の復興特別所得税等を加えた額。万円未満四捨五入)である。
| 基準所得金額(分離課税の所得のみ) | 通常の税額(基準所得税額) | 令和8年分までの追加負担 | 令和9年分以後の追加負担 |
|---|---|---|---|
| 3億3000万円 | 5054万円 | 0円 | 0円 |
| 4億円 | 6126万円 | 0円 | 943万円 |
| 5億円 | 7658万円 | 0円 | 2443万円 |
| 6億円 | 9189万円 | 0円 | 3942万円 |
| 10億円 | 1億5315万円 | 0円 | 9939万円 |
| 20億円 | 3億0630万円 | 7091万円 | 2億4933万円 |
| 30億円 | 4億5945万円 | 1億4427万円 | 3億9926万円 |
例えば,自社株式を譲渡して5億円の譲渡所得が生じ,他に所得がない場合,令和8年中の譲渡であれば追加負担はないが,令和9年以後の譲渡であれば約2443万円の追加負担が生じる。
2 試算の前提と限界
表は,所得控除,税額控除,千円未満や百円未満の端数処理及び住民税を考慮していない。
給与や事業所得など累進税率の総合課税の所得があると,基準所得税額が大きくなるため,追加の所得税がかかり始める所得水準は表より高くなる。
財務省のパンフレット4頁は,実際の申告実績データに当てはめた場合の追加負担は年間所得約6億円から生じるとしている。
所得が総合課税の所得だけであれば,最高45%の累進税率による通常の税額が改正後の算式の額を上回るため,本記事の計算では追加の所得税は生じない。
第5 追加税額が問題となる場面
1 M&A・事業承継による自社株式の譲渡
(1) 株式譲渡による一時の大きな所得
オーナー経営者が会社を第三者に売却する株式譲渡では,非上場会社の株式の譲渡益は一般株式等に係る譲渡所得等として基準所得金額に算入される(租税特別措置法37条の10第1項,41条の19第2項6号)。
長年保有してきた株式の含み益がその年に一度に実現するため,毎年の所得が高くない経営者でも,譲渡した年だけ基準所得金額が数億円になることがある。
(2) 資産管理会社への低額譲渡
オーナーが自分の資産管理会社に株式や不動産を譲渡する場合も,譲渡益は基準所得金額に入る。
所得税法59条1項2号は,法人に対する「著しく低い価額の対価として政令で定める額による譲渡」について,その時の価額で譲渡があったものとみなしており,低い価格で譲渡しても時価を基に譲渡所得が計算されることがある。
取引相場のない株式の評価方法そのものの見直しの動きは,取引相場のない株式の評価に関する有識者会議で扱っている。
2 不動産の売却
土地建物等の長期譲渡所得及び短期譲渡所得は,特別控除に関する規定を適用した後の金額で基準所得金額に算入される(租税特別措置法41条の19第2項4号・5号)。
特別控除の適用によって基準所得金額が下がる場合があるため,売却の規模が大きいときは,特別控除の要件を満たすかどうかが本特例の判定にも影響する。
相続した不動産の売却での取得費や特別控除の考え方は,相続した不動産を売却したときの譲渡所得で扱っている。
3 離婚に伴う財産分与
(1) 資産で分与した側の譲渡所得
国税庁の所得税基本通達33-1の4は,民法768条による財産分与として資産の移転があった場合には,「その分与をした者は、その分与をした時においてその時の価額により当該資産を譲渡したこととなる。」としている。
含み益の大きい自社株式や不動産を現物で分与すると,分与した側にその年分の譲渡所得が生じ,その金額は基準所得金額に算入される。
(2) 分与の年が税負担に与える影響
令和9年分以後は,分離課税の所得だけでも約3億3708万円を超えると追加の所得税が生じ得るため,財産分与の対象が数億円規模になる経営者の離婚では,分与の方法と時期の検討に本特例を含める必要がある。
財産分与と税金の基本は離婚時の財産分与と税金で,自社株式の分与は経営者の離婚と自社株式の財産分与で扱っている。
4 限定承認によるみなし譲渡
所得税法59条1項1号は,限定承認に係る相続により譲渡所得の基因となる資産が移転した場合に,その時の価額で譲渡があったものとみなしている。
このみなし譲渡所得は被相続人の死亡した年分の所得であり,非上場株式や不動産の含み益が大きい場合には,被相続人の準確定申告で本特例による追加の所得税が生じ得る。
なお,租税特別措置法39条7項は,「相続又は遺贈による当該資産の移転につき所得税法第五十九条第一項又は第六十条の三第一項の規定の適用を受けた資産」を相続税額の取得費加算の対象資産に含まないとしているため,限定承認によりみなし譲渡課税を受けた資産を相続人が売却しても,第5の5で説明する取得費加算は受けられない。
限定承認とみなし譲渡の関係は,限定承認と税金で扱っている。
5 相続後の換価
(1) 相続人自身の譲渡所得
相続税の納税資金や代償金を用意するために相続人が相続財産を売却すると,その譲渡所得は相続人自身の所得になる。
複数の不動産や自社株式を同じ年に売却すると基準所得金額が大きくなるため,売却の時期と数量は,相続税の納期限だけでなく本特例の判定も踏まえて検討することになる。
(2) 相続税額の取得費加算と基準所得金額
租税特別措置法39条1項は,相続税額がある相続人が,相続税の申告書の提出期限(相続の開始があったことを知った日の翌日から10月以内。相続税法27条1項)の翌日以後3年を経過する日までに相続財産を譲渡した場合について,譲渡所得の計算上の取得費を「当該取得費に相当する金額に当該相続税額のうち当該譲渡をした資産に対応する部分として政令で定めるところにより計算した金額を加算した金額とする。」と定めている。
この特例は取得費そのものを増やすものであるから,これを適用すると長期譲渡所得,短期譲渡所得又は一般株式等若しくは上場株式等に係る譲渡所得等の金額が小さくなる。
本特例の基準所得金額は,これらの譲渡所得の金額を合算するものであり(同法41条の19第2項4号~7号),同条には,申告不要制度とは異なり,取得費加算の適用がないものとして計算する旨の定めがない。
そのため,本記事では,取得費加算を適用した後の譲渡所得の金額が基準所得金額に算入され,比べる相手となる基準所得税額もその金額を基に計算されると整理する。
この点を直接述べた通達又は裁判例は,令和8年9月16日時点で見当たらなかった。
(3) 追加負担が生じる所得水準での取得費加算の効果
追加の所得税が生じる所得水準では,基準所得金額が減ると,通常の税額と追加の所得税額の両方が減る。
第4と同じ前提(分離課税の所得のみ,所得控除なし)で本記事が計算すると,令和9年分以後に譲渡益10億円の株式を売却し,2億円の取得費加算を受けた場合,所得税等(所得税,復興特別所得税及び防衛特別所得税)は約2億5254万円から約1億9193万円となり,約6062万円(加算額の約30.3%)減る。
同じ条件で令和8年中に売却した場合は,譲渡益10億円でも追加の所得税が生じないため,取得費加算による減少額は約3063万円(加算額の15.315%)にとどまる。
また,譲渡益が発動点に近い場合には,取得費加算によって追加の所得税が生じない水準まで基準所得金額が下がることもある。
(4) 取得費加算の要件と限界
加算額は,確定した相続税額に,相続税の課税価格のうち譲渡した資産の価額が占める割合を乗じた金額である(租税特別措置法施行令25条の16第1項本文)。
加算額は譲渡した資産ごとに計算し(租税特別措置法39条8項),加算前の譲渡益の額が上限となるから(同令25条の16第1項ただし書),取得費加算によって譲渡損失を生じさせることはできない。
国税庁のタックスアンサーNo.3267は,「この特例は譲渡所得のみに適用がある特例ですので、株式等の譲渡による事業所得および雑所得については、適用できません。」としている。
代償金を支払って取得した相続財産を譲渡した場合の加算額は,租税特別措置法関係通達(山林所得・譲渡所得関係)39-7の算式で計算する。
相続した非上場株式を発行会社に譲渡する場合は,同法9条の7によりみなし配当課税をせずに対価の全額を譲渡所得の収入金額とする特例があり,国税庁のタックスアンサーNo.1477は,取得費加算を「併用することも可能です。」としている。
他方,相続税額が更正の請求に基づく更正により減少すると,取得費に加算する金額も更正後の相続税額で計算し直すことになり(租税特別措置法施行令25条の16第2項),所得税の修正申告に伴って本特例の追加の所得税が生じ,又は増えることがある。
第6 所得がどの年分になるか
1 譲渡所得の収入すべき時期
(1) 土地建物等の譲渡
所得税基本通達36-12は,譲渡所得の総収入金額の収入すべき時期を,原則として資産の「引渡しがあった日」とし,納税者の選択により「契約の効力発生の日」で申告することも認めている。
同通達の注1は,引渡しの日は所有権移転登記に必要な書類等の交付などの支配の移転の事実に基づいて判定し,原則として譲渡代金の決済を了した日より後にはならないとしている。
(2) 株式等の譲渡
租税特別措置法関係通達(株式等譲渡所得等関係)37の10・37の11共-1は,株式等の譲渡所得等の収入すべき時期を,原則として株式等の「引渡しがあった日」とし,納税者の選択により「契約の効力発生の日」によることも認めている。
株式交換,株式移転,合併等による場合は,同通達が別に定める日による。
令和8年中に契約を締結し,令和9年に株式を引き渡すM&Aでは,契約の効力発生の日と引渡しの日のどちらで申告できるかによって,改正前と改正後のどちらの基準が適用されるかが変わり得る。
2 予定納税額の減額申請
譲渡所得で追加の所得税を納めた翌年は,前年の税額を基に計算される予定納税額が大きくなることがある。
所得税法111条1項は,その年6月30日の現況による申告納税見積額が予定納税基準額に満たないと見込まれる場合に,その年7月15日までに予定納税額の減額の承認を申請できると定めている。
国税庁は,本特例の適用が見込まれる場合の予定納税額の減額申請について,申告納税見積額の計算方法を別に案内している。
第7 裁判例及び裁決の状況
令和8年9月16日時点で,本特例の解釈又は適用が争われた裁判例及び公表裁決事例は見当たらなかった。
裁判所ウェブサイトの裁判例検索で「特定の基準所得金額」を全文検索した結果は0件であり,判例秘書で同じ語を検索した結果も0件であった。
国税不服審判所の公表裁決事例の要旨にも,「基準所得金額」を含むものはなかった。
本特例は令和7年分の所得税から適用が始まった制度であり,裁判例が現れていないことは,解釈上の争いがないことを意味するものではない。
第8 出典・参考資料
1 法令
①租税特別措置法(昭和32年法律第26号)9条の7,31条1項,32条1項,37条の10第1項,39条,41条の19(現行の版及び令和9年1月1日施行の版。e-Gov法令検索)
②租税特別措置法施行令(昭和32年政令第43号)25条の16(e-Gov法令検索)
③相続税法(昭和25年法律第73号)27条1項(e-Gov法令検索)
④所得税法(昭和40年法律第33号)59条1項,111条1項(e-Gov法令検索)
⑤東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法(平成23年法律第117号)13条,33条1項(現行の版及び令和9年1月1日施行の版。e-Gov法令検索)
⑥我が国の防衛力の抜本的な強化等のために必要な財源の確保に関する特別措置法(令和5年法律第69号)5条の9,5条の31(令和9年1月1日施行の版。e-Gov法令検索)
2 国会提出法案・閣議決定
①財務省「所得税法等の一部を改正する法律案(第221回国会提出)」のうち法律案附則47条(PDF618頁)及び法律案要綱22頁
②「令和8年度税制改正の大綱」(令和7年12月26日閣議決定)1頁,25頁,106頁
3 財務省・国税庁の説明資料及び通達
①財務省「令和8年度 税制改正」(パンフレット)4頁(PDF6頁),13頁(PDF15頁)
②国税庁「極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置について」
③国税庁「特定の基準所得金額の課税の特例ー極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置ー」(令和7年12月)
④国税庁「特定の基準所得金額の課税の特例に関する適用判定表兼税額計算書・書き方」
⑤国税庁「極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置(租税特別措置法第41条の19に規定する「特定の基準所得金額の課税の特例」)の適用が見込まれる場合の所得税及び復興特別所得税の予定納税額の減額申請について」
⑥国税庁「所得税基本通達33-1の4」
⑦国税庁「所得税基本通達36-12」
⑧国税庁「租税特別措置法関係通達(株式等譲渡所得等関係)37の10・37の11共-1」
⑨国税庁「租税特別措置法関係通達(山林所得・譲渡所得関係)39-7」
⑩国税庁「タックスアンサーNo.3267 相続財産を譲渡した場合の取得費の特例」(令和8年4月1日現在法令等)
⑪国税庁「タックスアンサーNo.1477 相続により取得した非上場株式をその発行会社に譲渡した場合の課税の特例」(令和8年4月1日現在法令等)
4 裁判例・裁決の検索
①裁判所ウェブサイト「裁判例検索」(全文検索「特定の基準所得金額」。令和8年9月16日確認)
②判例秘書(任意語「特定の基準所得金額」。令和8年9月16日確認)
③国税不服審判所「公表裁決事例」(要旨検索「基準所得金額」。令和8年9月16日確認)