第1 はじめに
1 問題の所在――四つの法分野が交錯すること
依頼者が,SBI証券や楽天証券などの国内証券会社に開設した外国株式取引口座を通じて米国上場株式を保有したまま死亡した場合の相続は,一見すると通常の株式の相続と同様に処理できるように見えます。
しかし,この類型の相続は,①相続人の確定及び相続分を決める準拠法の問題,②相続税法上の納税義務者の区分及び国外財産の評価の問題,③米国の連邦遺産税(estate tax)が及ぶかどうかという米国税法の問題,④証券会社における現実の名義書換え手続という実務上の問題という,性質の異なる四つの論点が同時に生ずる点に特色があります。
このうち③の米国連邦遺産税は,日本の相続税とは納税義務者や基礎控除の建て付けが根本的に異なり,米国内国歳入庁(IRS)に対する申告義務が生ずる場合があります。
また,米国の会社が発行する株式は,国内の証券会社を通じて保有していても,日米いずれの実務上も米国所在の財産として扱われるため,保管場所を国内に置くことで米国税法上の問題を回避できるわけではありません。
他方で,米国の証券会社に直接口座を開設して米国株式を保有する場合と,国内の証券会社の外国株式取引口座を通じて保有する場合とでは,名義の構造が異なり,実務上の手続の重さにも違いが生じ得ます。
2 本記事の対象と留保
本記事は,被相続人及び相続人がいずれも日本に住所を有する日本人であり,米国の証券会社ではなく国内の証券会社の外国株式取引口座を通じて米国法人が発行する株式(米国上場の個別株式及び米国籍のETF等)を保有していた場合を主たる対象とします。
外国に住所を有する被相続人若しくは相続人が関与する場合,米国以外の国の株式が問題となる場合,又は米国の証券会社に直接口座がある場合には,本記事が前提とする事実関係とは異なる考慮を要します。
本記事は,これらの論点を一般的に整理する情報提供を目的とするものであり,個別の事案に対する法的助言ではありません。
実際の事案への当てはめに当たっては,保有株式の内訳,証券会社の約款,被相続人及び相続人の住所歴等の個別の事実関係を踏まえて,改めて検討する必要があります。
第2 相続人の確定と相続税の納税義務者の判定
1 相続の準拠法
法の適用に関する通則法36条は,「相続は,被相続人の本国法による。」と定めています。
被相続人が日本国籍を有する場合,相続人の範囲及び相続分は,資産の所在地が米国であるかどうかにかかわらず,常に日本の民法によって決まります。
民法896条は,相続人が相続開始の時から被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する旨を定めており(一身専属的な権利義務を除きます。),米国株式もこの包括承継の対象に含まれます。
相続人が複数あるときは,相続財産は共同相続人の共有に属します(民法898条1項)。
なお,同条にいう「本国法」は日本の国際私法における連結点であり,米国側の抵触法上,動産の相続をどの法によるべきとしているかは,本記事が対象とする被相続人及び相続人がいずれも日本に住所を有する事案では,相続手続の帰結を左右するものではありません。
2 相続税の納税義務者の区分と「住所」の認定
(1) 無制限納税義務者と制限納税義務者の分岐
相続税法1条の3第1項1号イは,相続又は遺贈により財産を取得した個人が,その財産を取得した時において相続税法の施行地に住所を有する場合(一時居住者等の除外事由に該当する場合を除きます。),この法律により相続税を納める義務がある旨を定めています。
同法2条1項は,同法1条の3第1項1号又は2号に該当する者について,「その者が相続又は遺贈により取得した財産の全部に対し,相続税を課する。」と定めており,このような納税義務者(無制限納税義務者)については,取得した財産が国内にあるか国外にあるかを問わず,全世界の財産が課税対象となります。
これに対し,同条2項は,同法1条の3第1項3号又は4号に該当する者(制限納税義務者)については,「その者が相続又は遺贈により取得した財産でこの法律の施行地にあるものに対し,相続税を課する。」と定めています。
本記事が対象とする,被相続人及び相続人がいずれも日本に住所を有する典型的な事案では,相続人は無制限納税義務者に当たり,米国株式を含む全世界の財産が日本の相続税の課税対象となります。
被相続人又は相続人の一方若しくは双方が国外に居住している事案では,同条1項1号ロ又は2号の一時居住者及び外国人被相続人・非居住被相続人に関する除外事由の該当性を個別に検討する必要があります。
(2) 「住所」の認定が争われた最高裁判決とその考慮要素
相続税法1条の3にいう「住所」は,同法に独自の定義がなく,民法22条の「各人の生活の本拠をその者の住所とする」という定めと同じ意味に解されています。
この住所の認定が争われた事案として,最高裁判所第二小法廷平成23年2月18日判決(平成20年(行ヒ)第139号・集民第236号71頁)があります。
同判決は,平成15年法律第8号による改正前の相続税法1条の2第1号(贈与税の納税義務者に関する規定)にいう住所の存否が争われた事案について,「香港に赴任しつつ国内にも相応の日数滞在していた者が国外財産の贈与を受けた場合において,当該贈与を受けたのが上記赴任の開始から約2年半後のことであり,通算約3年半にわたる赴任期間中の約3分の2の日数を香港の居宅に滞在して過ごし,その間に現地での業務に従事していたなど判示の事実関係の下では,上記期間中の約4分の1の日数を国内の居宅に滞在して過ごし,その間に国内での業務に従事していた上,贈与税回避の目的の下に国内での滞在日数が多くなりすぎないよう調整していたとしても,その者は,当該贈与を受けた時において,相続税法(平成15年法律第8号による改正前のもの)1条の2第1号所定の贈与税の課税要件である国内(同法の施行地)における住所を有していたということはできない。」としました。
この判決は,贈与税に関する平成15年改正前の規定について判断したものであり,一時居住者や外国人被相続人・非居住被相続人に関する規定が追加された現行の相続税法1条の3にそのまま当てはまるものではありません。
もっとも,同判決が示した,滞在日数の比率,現地及び国内における業務従事の実体等の客観的な生活の実態を総合して住所の有無を認定するという枠組みは,現行法の下で住所の有無が問題となる事案でも参考になると考えられます。
同判決はまた,租税回避の目的をもって国内での滞在日数を調整していたという事情があっても,それだけで住所の存在を基礎付けることにはならないとした点でも留意すべき先例です。
本記事が対象とする,被相続人及び相続人がいずれも日本に生活の本拠を置いている典型的な事案では,住所の認定が実務上の争点になることは通常ありませんが,相続人の一部が国外に生活の本拠を移している事案を受任する場合には,このような考慮要素に沿った事情聴取と証拠収集が必要になります。
第3 米国株式は相続税法上「国外財産」であること
1 財産の所在に関する規定
相続税法10条1項8号は,「社債(特別の法律により法人の発行する債券及び外国法人の発行する債券を含む。)若しくは株式,法人に対する出資又は政令で定める有価証券については,当該社債若しくは株式の発行法人,当該出資のされている法人又は当該有価証券に係る政令で定める法人の本店又は主たる事務所の所在」によって財産の所在を定める旨を規定しています。
この規定によれば,米国法人が発行する株式の所在は,発行法人の本店の所在地である米国であって,株式を現実に保管している場所や,株主名簿上の名義がどこにあるかとは関係がありません。
したがって,米国上場株式を国内の証券会社の外国株式取引口座を通じて保有していても,相続税法上は,同法の施行地外にある財産,すなわち国外財産として扱われます。
この帰結は,前記第2の2(1)で述べた課税財産の範囲の区分と組み合わされます。
無制限納税義務者については,米国株式が国外財産であっても,日本の相続税の課税対象から除外されるわけではなく,全世界財産の一部として課税対象に含まれます。
他方で,このように相続税法上「国外財産」に区分されることは,後記第6の1で述べる外国税額控除及び国外財産調書の適用場面において意味を持ちます。
2 評価と邦貨換算の実務
米国の証券取引所に上場されている株式の評価については,財産評価基本通達5-2が,「国外にある財産の価額についても,この通達に定める評価方法により評価することに留意する。」と定めており,国内上場株式の評価方法(同通達169)に準じて評価するのが実務です。
同通達169(1)は,上場株式の価額について,「その株式が上場されている金融商品取引所……の公表する課税時期の最終価格によって評価する。ただし,その最終価格が課税時期の属する月以前3か月間の毎日の最終価格の各月ごとの平均額……のうち最も低い価額を超える場合には,その最も低い価額によって評価する。」と定めています。
米国上場株式についても,死亡日(課税時期)の終値と,死亡日の属する月以前3か月間の各月の終値平均額のうち最も低い額とを比較し,いずれか低い額によって評価することになります。
外貨建ての財産の邦貨換算については,財産評価基本通達4-3が,「原則として,納税義務者の取引金融機関……が公表する課税時期における最終の為替相場(……いわゆる対顧客直物電信買相場又はこれに準ずる相場をいう。……)による。」と定めています。
すなわち,証券会社が公表する死亡日時点の対顧客直物電信買相場(TTB)が原則的な換算レートであり,死亡日にその相場がない場合は,死亡日に最も近い日の相場によります。
これに対し,後記第6の1で述べる外国税額控除額を邦貨換算する際には,相続税法基本通達20の2-1が対顧客直物電信売相場(TTS)を用いる旨を定めており,財産の評価と税額控除の計算とで換算に用いる相場が異なる点に注意を要します。
第4 米国連邦遺産税(非居住外国人課税)の構造
1 課税対象と基礎控除
米国の連邦遺産税は,日本の相続税とは異なり,各相続人ではなく,被相続人の遺産(estate)そのものを納税義務者とする税です。
米国の市民でも居住者でもない者(nonresident alien,以下「NRA」といいます。)が死亡した場合,米国内国歳入法(Internal Revenue Code,以下「IRC」といいます。)2103条は,NRAの遺産に対する連邦遺産税は,死亡時に米国に所在する部分の遺産にのみ課される旨を定めています。
そして,IRC2104条(a)は,米国法人が発行する株式について,「shares of stock owned and held by a nonresident not a citizen of the United States shall be deemed property within the United States only if issued by a domestic corporation」(非居住外国人が保有する株式は,米国法人が発行するものである場合に限り,米国内の財産とみなす。)と定めています。
この規定は,株式の保管場所や名義がどこにあるかを問わず,米国法人が発行する株式である以上,常に米国所在財産として扱う旨を明らかにするものであり,国内の証券会社の口座を通じて保有していても異なりません。
NRAの遺産に認められる基礎控除(unified credit)は,IRC2102条(b)(1)により1万3000ドルとされており,これは6万ドル相当の遺産額に対応する額です。
この基礎控除額は物価上昇に応じた調整がされておらず,米国の市民又は居住者に認められる基礎控除額(2025年7月成立のOne Big Beautiful Bill Actによる改正後のIRC2010条(c)(3)(A)により,2026年は1500万ドル)とは全く別の制度です。
NRAの遺産に対する税率は,IRC2101条(b)により,市民又は居住者と同じIRC2001条(c)の税率表を用いて計算され,最高税率は課税価格100万ドルを超える部分について40パーセントです。
2 申告義務とその期限
米国内国歳入庁(IRS)が公表するForm706-NA(非居住外国人の遺産に係る連邦遺産税申告書)のInstructionsは,遺言執行者は,死亡時における米国所在財産の価額に,贈与税の特別控除額及び生前贈与加算額を合算した額が申告基準額(filing threshold)である6万ドルを超える場合に,Form706-NAを提出しなければならないとしています。
IRSが公表する解説ページも,「The filing threshold for Form 706-NA is not indexed for inflation.」(Form706-NAの申告基準額は,物価上昇に応じた調整がされない。)としています。
申告期限は死亡日から9か月以内であり,Form4768により自動的に6か月の延長を受けることができます。
国内の証券会社の外国株式取引口座を通じて米国上場株式を保有している場合であっても,その株式の価額を含めた米国所在財産の合計額が申告基準額を超えるときは,この申告義務の対象になり得ます。
米国所在財産の内訳や評価額を把握しないまま相続手続を進めると,この申告義務の要否を見落とすおそれがあるため,保有株式の銘柄及び死亡日時点の評価額を早期に確認する必要があります。
3 日米相続税条約による軽減とその代償
日本は,昭和29年(1954年)4月16日に署名され,昭和30年(1955年)4月1日に発効した,遺産,相続及び贈与に対する租税に関する二重課税の回避及び脱税の防止のための日本国とアメリカ合衆国との間の条約(以下「日米相続税条約」といいます。)を締結しており,これは相続税及び贈与税に関して日本が締結した唯一の租税条約です。
IRC2102条(b)(3)(A)は,条約上の義務がある場合には,NRAの基礎控除額を,「the value of the part of the decedent’s gross estate which at the time of his death is situated in the United States bears to the value of his entire gross estate wherever situated」(死亡時に米国に所在する遺産の価額が,所在地を問わない遺産の総額に対して占める割合)に応じて按分した額とする旨を定めています。
Form706-NAのInstructionsは,日本をこの按分規定の対象となる条約締結国として挙げています。
被相続人及び相続人がいずれも日本に住所を有し,遺産の大半が日本国内にある事案では,この按分の分母(全世界の遺産総額)が大きくなるため,按分後の基礎控除額が実際の米国所在財産の価額を上回り,結果として米国連邦遺産税が生じない場合が少なくありません。
もっとも,この按分による軽減は自動的に適用されるものではなく,IRSに対して全世界に所在する遺産の内容を開示する申告をすることが前提となります。
すなわち,米国連邦遺産税の負担を軽減するためには,日本国内の財産を含む遺産全体の内容を米国の税務当局に開示することになるという代償を伴う点を,依頼者に説明しておく必要があります。
第5 IRS移転証明書(Transfer Certificate)制度と証券会社経由保有
1 制度の趣旨と義務を負う主体
この制度の背景には,IRC6324条(a)が,被相続人の遺産税について,死亡の日から10年間,遺産の全体に先取特権(estate tax lien)を及ぼす旨を定めていることがあります。
IRC6325条は,この先取特権を解除する権限をIRSに認めており,米国財務省規則(Treasury Regulations)20.6325-1条は,NRAの遺産に属する財産について,遺産税の債務が完済され又はその履行が担保されたことをIRSが証する移転証明書(Transfer Certificate)が発行されない限り,その財産を保有する者が相続人等に財産を移転しない取扱いがある旨を定めています。
この規則が義務の名宛人として掲げるのは,「Corporations, transfer agents of domestic corporations, transfer agents of foreign corporations(……),banks, trust companies, or other custodians in actual or constructive possession of property」,すなわち発行会社,その名義書換代理人及び銀行・信託会社その他財産を現実に又は擬制的に占有する者です(なお,外国法人の名義書換代理人については,非居住外国人の名義で保有される株式に関して除外する括弧書きが付されていますが,これはIRC2104条(a)により米国法人株式のみが米国所在財産として扱われることに対応するものであり,本記事が対象とする米国法人株式には関係しません。)。
また,IRC2203条に基づく法定執行者(statutory executor)に関するTreasury Regulations20.2203-1条は,「米国内において選任され,その資格を有し,かつ現に職務を行っている(appointed, qualified and acting within the United States)」遺言執行者又は遺産管理人がいない場合の代替概念として,被相続人の財産を現実に又は擬制的に占有する者を執行者とみなすとした上で,その例として「the decedent’s agents and representatives」,「safe-deposit companies, warehouse companies, and other custodians of property in this country」,「brokers holding, as collateral, securities belonging to the decedent」及び「debtors of the decedent in this country」を挙げています。
このうち保管業者及び債務者の例は「in this country」(米国内)という地理的な限定が明文で付されていますが,被相続人の証券を担保として保有するブローカーの例には,条文上その限定が明示的には付されていません。
もっとも,法定執行者の概念自体が,米国内で選任され現に職務を行っている遺言執行者又は遺産管理人がいないことを前提として発動するものであることからすると,この代替概念全体が,米国内で財産を把握し得る者を捕捉する趣旨のものであると解する余地があります。
この点を踏まえると,義務を負う占有者に当たり得るのは,米国内において現実に株式を保管する者であると考えられ,国内の証券会社が米国株式の保管を委託している米国内のグローバルカストディアン(現地保管機関)が,これに該当し得ると考えられます。
もっとも,この点を正面から論じた判例,通達又は公式の解釈指針は確認できず,以下に述べる構造的な問題を含め,条文の文言から導かれる推論にとどまる点に留意する必要があります。
2 日本の証券会社の保管構造
国内の証券会社が公表する外国証券取引口座約款は,米国株式を含む外国証券の保管について,証券会社自身の名義で一括して現地の保管機関に保管する旨を定めています。
例えば,SBI証券が公表する外国証券取引口座約款4条2項は,「寄託証券は,当社の名義で決済会社に混合寄託するものとし……振替証券は,……現地保管機関における当社に係る口座に記載又は記録された当該振替証券の数量を,当該現地保管機関における決済会社の口座に振り替え,当該数量を記載又は記録するものとする。」と定め,同約款15条1号及び2号は,保管を当社(証券会社)の保管機関に委任し,その保管は当社の名義で行われる旨を定めています。
同約款15条7号は,「お客様が権利を有する外国証券につき名義人を登録する必要のある場合は,その名義人は当社の保管機関又は当該保管機関の指定する者とします。」と定めており,顧客個人が名義人になることは予定されていません。
顧客が取得するのは,現地保管機関における証券会社の口座に記載された数量に応じた権利(共有持分)にとどまります(同約款15条3号)。
楽天証券が公表する外国証券取引口座約款も,同一の条番号(15条)で同旨の定めを置いています。
このような保管構造の下では,米国内のグローバルカストディアンの帳簿上,口座名義人として記録されるのは国内の証券会社という法人であって,個々の顧客の氏名ではありません。
そのため,顧客が死亡したという事実は,証券会社の内部の帳簿に反映されるにとどまり,米国内のカストディアンに当然に伝わる仕組みにはなっていないと考えられます。
現に,複数の証券会社が公表する相続手続の案内は,国内株式の場合と同様に,戸籍謄本及び遺産分割協議書等の提出のみによって手続を案内しており,外国株式について米国側の追加的な証明書の取得を要求する記載は見当たりません。
3 手続の平易さと納税義務の峻別――結論を左右し得る不確実な要素
もっとも,前記2の保管構造から,国内の証券会社経由で保有する米国株式についてTransfer Certificateの取得が制度上一律に不要になるとまで断定することはできません。
Treasury Regulations20.6325-1条の文言上,義務を負う占有者は米国内のグローバルカストディアンであり得るところ,そのカストディアンが,証券会社を通じて保有される個々の顧客の死亡の事実を現実に把握しないという運用上の情報の欠如が,制度の適用そのものを排除するのか,それとも単に手続が現実に開始されないという事実上の結果にとどまるのかを,正面から論じた法令,通達又は判例は確認できません。
この点は,本記事の執筆時点において確立した先例のない,未解決の論点として扱う必要があります。
さらに重要なのは,Transfer Certificateの取得手続が現実に問題にならないという実務上の傾向があるとしても,それは前記第4で述べた米国連邦遺産税の実体的な申告義務及び納税義務の存否とは別の問題だという点です。
米国法人株式が米国所在財産に当たるという実体判断(IRC2104条(a))は,保管の名義構造によって左右されません。
したがって,証券会社における相続手続が国内株式と同様に円滑に進んだという事実は,米国所在財産の合計額が申告基準額を超える場合のForm706-NA申告義務が消滅することを意味しません。
依頼者に対しては,証券会社での名義書換えが完了したことと,米国への申告義務の有無とは別個に検討すべき問題であることを説明しておく必要があります。
第6 相続税申告の実務対応
1 外国税額控除と国外財産調書
相続税法20条の2は,「相続又は遺贈……によりこの法律の施行地外にある財産を取得した場合において,当該財産についてその地の法令により相続税に相当する税が課せられたときは,……算出した金額からその課せられた税額に相当する金額を控除した金額をもつて,その納付すべき相続税額とする。」と定めています。
米国株式が国外財産に当たることは前記第3の1で述べたとおりであり,前記第4で述べた米国連邦遺産税が現実に課され,かつ納付された場合には,この規定による外国税額控除の対象となり得ます。
控除額の邦貨換算には,前記第3の2で述べたとおり,財産評価の場合とは異なり,対顧客直物電信売相場(TTS)を用います(相続税法基本通達20の2-1)。
また,内国税の適正な課税の確保を図るための国外送金等に係る調書の提出等に関する法律5条1項は,居住者が,その年の12月31日において合計額5000万円を超える国外財産を有する場合に,翌年6月30日までに国外財産調書を提出する義務がある旨を定めています。
同条2項は,相続開始年分の国外財産調書については,相続又は遺贈により取得した国外財産(相続国外財産)を除外して同条1項を適用できる経過的な扱いを定めています。
相続人が相続によって米国株式を含む国外財産を取得し,翌年以降も継続して保有する場合には,その年の年末の保有状況に応じて,この国外財産調書の提出義務の要否を確認する必要があります。
2 遺産が未分割である場合の申告
米国株式を含む遺産の分割協議が相続税の申告期限までに調わない場合であっても,相続税法27条に基づく申告期限(相続の開始があったことを知った日の翌日から10か月以内)は延びません。
この場合,各相続人は,民法の規定による相続分に従って財産を取得したものとして,いったん申告及び納税をすることになります。
米国株式の評価額は前記第3の2で述べた方法により確定できるため,遺産分割協議が未了であることそれ自体が,日本の相続税の申告を妨げる事情にはなりません。
他方で,米国連邦遺産税の側では,前記第4の2で述べた申告義務の判定に当たり,未分割の遺産についてどのように扱うかを含め,個別の事案ごとに確認を要します。
3 税務当局から想定される指摘
国内の税務当局との関係では,米国株式の評価額の算定根拠(死亡日の終値であるか,3か月平均額と比較した結果であるか),邦貨換算に用いた為替相場の根拠資料,及び相続人が制限納税義務者に当たると申告した場合における住所の認定資料が,主要な確認事項になり得ます。
前記第2の2(2)で述べた考慮要素は,相続人の一部が国外に生活の本拠を置いている事案において,税務当局から住所の認定を争われる場合の反論の準備にも参考になります。
外国税額控除を適用する場合には,米国において現実に納付した税額を裏付ける資料(Form706-NAの申告書控え又はIRSからの納税証明等)を確保しておくことが,控除の適用を受けるための実務上の準備になります。
第7 受任時の確認事項
1 依頼者への事情聴取事項
受任に当たっては,次の事項を確認する必要があります。
①保有する外国株式の銘柄及び発行法人の設立国(米国法人であるかどうか),②当該株式を保有する証券会社名及び口座の種類(特定口座であるか,NISA口座であるかを含みます。),③被相続人及び相続人の死亡日又は現在の住所並びに過去の居住歴,④死亡日時点における米国所在財産(当該株式のほか,米国の銀行預金や不動産等があればその内容を含みます。)の合計額のおおよその見込み,⑤遺産分割協議の進捗状況です。
これらの事情のうち,④のおおよその見込みが前記第4の2で述べた申告基準額である6万ドルを上回るかどうかは,米国への申告義務の要否を見極める最初の目安になります。
もっとも,この基準額の判定には,株式以外の米国所在財産及び生前贈与加算額も合算する必要があるため,正確な要否の判断は,保有財産の全体像を確認した上で行うべきです。
2 受任後の実務上の注意点
国内の証券会社に対する相続手続については,各社が公表する案内に従って戸籍謄本及び遺産分割協議書等を提出することになりますが,米国所在財産の合計額が申告基準額を上回る可能性がある場合には,証券会社の窓口で手続が完了したことをもって米国側の対応が不要になったと即断せず,前記第4及び第5で述べた申告義務の要否を別途検討する必要があります。
申告義務が生ずる可能性がある場合には,日米両国の税務を扱う専門家との連携を検討すべきです。
また,前記第5の3で述べたとおり,証券会社経由保有の場合にTransfer Certificateの取得が実務上問題にならない傾向があるという整理は,確立した先例のない限定的なものにとどまるため,保有額が大きい事案では,証券会社に対して名義書換えの実務上の取扱いを個別に照会しておくことが望ましいと考えられます。
第8 まとめ
国内の証券会社の外国株式取引口座を通じて米国株式を保有していた場合の相続は,相続人の確定という国際私法の問題,相続税法上の国外財産の評価及び納税義務者の判定という日本税法の問題,米国連邦遺産税の申告義務という米国税法の問題,そして証券会社における名義書換えという実務上の問題が重なり合う分野です。
受任に当たっては,まず保有株式の発行法人及び死亡日時点の評価額を確認し,米国所在財産の合計額が米国連邦遺産税の申告基準額を超えるかどうかを見積もった上で,日本の相続税の申告と,必要に応じた米国への申告とを並行して検討する必要があります。
証券会社における相続手続が円滑に完了したという事実は,米国への申告義務の有無を左右するものではない点に,特に留意すべきです。
出典
本記事が根拠とした主な法令,裁判例及び資料は次のとおりです(日本法令の条文は電子政府の総合窓口(e-Gov)法令検索により確認しています。裁判例は,裁判所ウェブサイトの裁判例検索に掲載されているものについて,本文中にリンクを付しています。米国法令は,Cornell Law School Legal Information Institute掲載の合衆国法典及び連邦規則集により確認しています。)。
1 日本法令
- 法の適用に関する通則法36条(e-Gov法令検索)
- 民法22条・896条・898条(e-Gov法令検索)
- 相続税法1条の3・2条・10条・20条の2・27条(e-Gov法令検索)
- 財産評価基本通達4-3・5-2(国税庁ホームページ)
- 財産評価基本通達169(国税庁ホームページ)
- 相続税法基本通達20の2-1(国税庁ホームページ)
- 内国税の適正な課税の確保を図るための国外送金等に係る調書の提出等に関する法律5条(e-Gov法令検索)
2 裁判例
3 米国法令等(Cornell Law School Legal Information Institute掲載の条文により確認しています。)
- Internal Revenue Code(26 U.S.C.)2103条――NRAの課税対象は米国所在財産に限る旨
- 同2104条(a)――米国法人株式は常に米国所在財産とみなす旨
- 同2102条(b)(1)・(b)(3)(A)――NRAの基礎控除額及び条約による按分
- 同2101条(b)及び2001条(c)――NRAに適用される税率表
- 同2010条(c)(3)(A)――市民又は居住者の基礎控除額
- 同2203条及びTreasury Regulations20.2203-1条――法定執行者の定義
- 同6324条(a)――遺産税の先取特権(死亡日から10年間)
- 同6325条及びTreasury Regulations20.6325-1条――先取特権の解除及び移転証明書制度
- Instructions for Form 706-NA(United States Internal Revenue Service,Rev. September 2025)――申告基準額,申告期限,統一クレジット額及び条約締結国の一覧
- Estate tax for nonresidents not citizens of the United States(IRS.gov)――申告基準額が物価上昇に応じて調整されない旨
4 実務資料
- SBI証券外国証券取引口座約款4条・15条(SBI証券ウェブサイト公表資料)
- 楽天証券外国証券取引口座約款15条(楽天証券ウェブサイト公表資料)
- 税理士法人ゆいアドバイザーズ編『改訂版Q&A国際相続の実務と国外転出時課税』(日本法令,2024年)――日米相続税条約の名称,署名日及び発効日並びに条約による軽減が全世界財産の開示を前提とすることの説明