第1 結論―必要な証拠でも収集手続と守秘義務を飛び越えられない
最高裁破棄判決・破棄決定のうち証拠収集が問題となった事例は,証拠の重要性だけで提出又は提示の可否を決められないことを示している。文書提出命令その他の証拠収集手続では,手続保障,文書の所持者,原本と写し,提出拒否を判断する主体,守秘義務及び通信の秘密を分けて検討しなければならない。
本記事は,田中豊『最高裁破棄判決―失敗事例に学ぶ主張・立証,認定・判断』(ぎょうせい,令和4年。以下「R041205文書」という。)が「証拠収集」の失敗として扱う3事例を,裁判所公表の決定全文と照合して整理する。22事例全体の位置付けは,最高裁破棄判決とは―22の失敗事例から学ぶ主張・立証・事実認定の実務で扱っている。
第2 証拠収集3事例の全体像
| 最高裁決定 | 対象となった証拠 | 破棄理由から得られる要点 |
|---|---|---|
| 最二小決平成23年4月13日 | 時間外労働を示すタイムカード | 抗告資料を相手方に示さず不利益な判断をすることは,手続的正義に反する。 |
| 最三小決平成31年1月22日 | 捜査報告書・逮捕状関係書類の写し | 原本を検察官が保管していても,写しを持つ都道府県は開示の相当性を判断できる。 |
| 最一小決令和3年3月18日 | 1対1メールの送信者情報 | 送信者情報は通信の秘密に含まれ,黙秘義務が免除されない限り検証物提示義務を負わない。 |
三つの最高裁破棄決定は,証拠収集の入口が異なる。第一は文書提出命令の抗告審における手続保障,第二は捜査関係書類の写しについての文書提出義務,第三は訴え提起前の証拠保全における検証物提示義務である。結論だけを横滑りさせず,各手続の根拠条文と証拠の性質を確認する必要がある。
第3 最二小決平成23年4月13日―タイムカードと攻撃防御の機会
1 時間外勤務手当請求の重要証拠
労働者Xは,使用者Yに対する時間外勤務手当請求訴訟で,労働時間を立証するため,Yが所持するXのタイムカードについて文書提出命令を申し立てた。受訴裁判所は提出を命じたが,Yはタイムカードを所持していないと主張して即時抗告をした。
抗告審は,Yの即時抗告申立書と新たな書証に基づき,Yがタイムカードを所持するとは認められないとして,提出命令を取り消し,Xの申立てを却下した。しかし,Xには即時抗告申立書の写しが送付されず,即時抗告の存在も知らされていなかった。
2 最高裁が示した手続的正義
最高裁平成22年(ク)第1088号決定は,タイムカードが労働従事の事実と労働時間を証明する極めて重要な書証であり,申立ての成否が当事者の主張立証方針や本案判断に重大な影響を与えるとした。文書の所持の有無は,当事者の主張と提出証拠に依存するところが大きく,攻撃防御の機会を与える必要性が極めて高い。
その状況で,Yの具体的反論と新証拠をXに示さず,Xに不利益な判断をしたことは,民事訴訟における手続的正義の要求に明らかに反し,審理手続の裁量を逸脱した違法があるとして,最高裁は原決定を破棄して差し戻した。
3 実務上の確認事項
文書提出命令の抗告では,申立書,抗告状,理由書,添付資料及び追加書証の送付・受領状況を記録する。相手方の新主張又は新証拠を知ったときは,反論機会の付与を明示的に求める。裁判所も,証拠の重要性,所持判断が当事者資料へ依存する程度及び当事者が手続を知り得たかを踏まえて審理を進める必要がある。
第4 最三小決平成31年1月22日―捜査関係書類の写しと判断主体
1 原本は検察官,写しは都道府県が所持
逮捕された者Xが,大阪府警察の違法捜査を理由として大阪府に国家賠償を求めた訴訟で,大阪府が所持する捜査報告書等の写し及び逮捕状請求書・疎明資料・逮捕状の各写しについて文書提出命令が申し立てられた。原本は大阪地方検察庁の検察官が保管し,原本も写しも刑事公判には提出されていなかった。
原審は,刑事訴訟法47条ただし書に基づき公にすることが相当かを判断できるのは原本保管者である検察官だけであり,大阪府には写しの開示を判断する権限がないとして申立てを却下した。
2 最高裁が区別した原本と写し
最高裁平成30年(許)第7号決定は,公判に提出されなかった捜査関係書類の原本と写しは,いずれも刑事訴訟法47条の「訴訟に関する書類」に当たるとした。他方,原本保管者だけが写しの公開相当性を判断できるとの法令上の規定はない。
捜査を担当した都道府県警察を置く都道府県は,自ら保有する情報を基に,公開目的,必要性,被疑者・関係者の名誉・プライバシー,捜査・公判への影響等を総合し,写しを公にすることが相当かを判断できる。この判断は都道府県の合理的裁量に委ねられる。
写しが民事訴訟法220条1号の引用文書又は同条3号後段の法律関係文書に当たり,提出拒否が必要性と弊害のおそれ等に照らして裁量権の範囲を逸脱又は濫用すると認められるとき,裁判所は写しの提出を命ずることができる。最高裁は,文書ごとの検討をさせるため原決定を破棄して差し戻した。
3 実務上の確認事項
捜査関係書類については,①文書の名称,②原本・謄本・写しの別,③現実の所持者,④刑事公判への提出の有無,⑤民事訴訟法220条各号への該当性,⑥刑事訴訟法47条の判断主体,⑦提出の必要性,⑧開示による具体的弊害を文書ごとに整理する。「原本が検察庁にある」という一事だけで,警察又は都道府県が所持する写しの提出可能性を閉ざさない。
第5 最一小決令和3年3月18日―1対1メールの送信者情報と通信の秘密
1 訴え提起前の証拠保全
会社Xは,ウェブサイトの問い合わせフォームを通じて脅迫的表現を含む匿名メールを受信した。送信者に損害賠償請求訴訟を提起する予定であったXは,インターネット接続事業者Yが保有する送信者の氏名・住所等の情報が記録された媒体等について,訴え提起前の証拠保全として検証を申し出,Yに対する検証物提示命令を申し立てた。
原審は,メールが脅迫的であること,送信者情報が責任追及に不可欠であること及び開示による不利益等を比較衡量し,送信者情報は保護に値する秘密に当たらないとして提示を命じた。
2 最高裁が示した通信の秘密の保護
最高裁令和2年(許)第10号決定は,電気通信事業従事者等に民事訴訟法197条1項2号を類推適用し,職務上知り得た事実で黙秘すべきものについて証言拒絶権を認めた。電気通信事業法4条は通信の秘密と従事者の守秘義務を定めており,法定専門職と同様に秘密を保護する必要があるからである。
送信者情報は通信内容そのものではないが通信の秘密に含まれる。通信内容が脅迫的であっても,通信利用者が送信者情報を秘匿する利益は客観的に保護される。黙秘義務が免除されていない以上,Yは,送信者情報が記録された文書又は準文書を検証目的で提示する義務を負わないとして,最高裁は原決定を破棄し,提示命令申立てを却下した。
3 現行の発信者情報開示制度との関係
この決定が対象としたのは,特定の会社だけに届いた1対1の電子メールである。現行の「特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律」(情報流通プラットフォーム対処法)は,「特定電気通信」を不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信と定義している。
したがって,ウェブ掲示板やSNS等の不特定の者が受信する情報に関する発信者情報開示請求・開示命令と,本件のような1対1メールの送信者特定を同じ手続として扱うことはできない。現行法上の具体的な収集方法は,通信の態様,保有者,ログ保存期間,権利侵害の内容及び利用可能な法的手続を個別に確認する必要がある。
4 実務上の確認事項
送信者特定を検討するときは,①通信が不特定の者向けか1対1か,②誰がどのログを保有するか,③通信内容と通信当事者情報の区別,④電気通信事業法上の通信の秘密,⑤民事訴訟法上の証言拒絶・文書提出拒絶・検証物提示拒絶,⑥特別法上の開示制度,⑦保存期間を確認する。証拠の必要性と守秘義務の解除根拠は別の問題である。
第6 証拠収集手続を選ぶ順序
1 証明対象と必要な証拠を特定する
最初に,どの主要事実を証明するため,どの文書・電磁的記録のどの記載が必要かを特定する。広い文書群を抽象的に求めるのではなく,作成主体,時期,件名及び保有部門を可能な限り絞る。
2 現実の所持者と保存状況を確認する
原本,写し,バックアップ,サーバーログ及び紙出力は,別の者が所持することがある。所持者ごとに,保存義務,通常の保存期間,廃棄時期及びアクセス権限を確認する。
3 任意開示と法的手続を分ける
弁護士会照会,調査嘱託,文書送付嘱託,文書提出命令,証拠保全,検証及び特別法上の開示請求は,対象,判断主体,強制力及び不服申立てが異なる。必要性だけで手続を選ばず,提出義務又は提示義務の根拠と除外事由を確認する。
4 相手方の反論機会と秘密保護を設計する
攻撃防御の機会を保障しながら,必要に応じて閲覧等制限,秘密保持,マスキング又は文書の一部提出を検討する。捜査・公判への影響,第三者のプライバシー及び通信の秘密を,文書ごとに具体化する。
第7 証拠収集の実務チェックリスト
1 対象文書等
名称,作成者,作成日,原本・写しの別,記載内容,立証趣旨及び証明対象との関連性を特定したか。
2 所持と判断主体
現実の所持者,原本保管者,写しの所持者及び提出・公開の可否を判断できる者を分けたか。
3 法的根拠
民事訴訟法220条各号,証拠保全,検証,特別法上の開示請求その他の根拠を特定し,除外事由と守秘義務を確認したか。
4 手続保障
申立書,抗告状,理由書及び新証拠が相手方へ送付され,反論の機会が確保されたか。送付・受領日と提出期限を記録したか。
5 時間管理
ログや映像等の保存期間を確認し,任意の保存要請,証拠保全又は消去禁止命令等の利用可能性を早期に検討したか。
第8 資料の位置付けと利用上の注意
本記事の3事例の選択及び実務上のレッスンは,R041205文書の「証拠収集」編を参照した。3決定については,裁判所公表の決定全文も確認した。
令和3年3月18日決定当時のプロバイダ責任制限法と,現行の情報流通プラットフォーム対処法を混同してはならない。現行法にも「不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信」という定義があるが,法改正,通信の態様及び請求時点の法令を個別に確認する必要がある。
最二小決平成23年4月13日・平成22年(ク)第1088号
最三小決平成31年1月22日・平成30年(許)第7号決定全文
最一小決令和3年3月18日・令和2年(許)第10号決定全文
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ぎょうせい・最高裁破棄判決