国境を越えて連れ去られた子が同居親のもとに残りたいと述べていても,年齢と発言だけで自由意思による滞在と決めることはできません。最高裁平成30年3月15日判決は,子が多面的・客観的な情報を得ているか,同居親の心理的影響を受けていないかを具体的に検討しました。
第1 結論
子の意思を扱う実務では,次の三層を分けます。
- 子が言葉として何を述べているか。
- その判断の前提となる情報が多面的・客観的だったか。
- 監護親への依存,情報遮断,反復説明その他の心理的影響により,発言が自由意思に基づかない状態になっていないか。
また,ハーグ条約実施法による子の返還手続は,監護権の最終的な帰属を決める手続ではありません。常居所地国へ子を返すかを判断する手続と,親権・監護権の本案を混同しないことが重要です。
第2 最高裁平成30年3月15日判決
最高裁判所第一小法廷平成30年3月15日判決は,国外への子の返還を命じる確定決定があるのに返還が実現していない事案で,人身保護請求の成否を判断しました。
最高裁は,意思能力のある子が監護親のもとにとどまる意思を示していても,子が自由意思に基づいてそこにいるとはいえない特段の事情があれば,監護親による「拘束」を認め得るとしました。そして,返還決定に従わない監護の継続について顕著な違法性を検討し,原審を破棄して差し戻しました。
第3 年齢だけでは自由意思を判断できない
事案の子は当時13歳でした。一般に年齢が上がれば意思を尊重すべき度合いは高まりますが,最高裁は年齢だけで自由意思を肯定しませんでした。
重要なのは,発言の一貫性だけではありません。子がどのような情報を誰から得たか,反対側の親・生活環境について客観的な説明を受けたか,発言が形成された時期及び監護親への心理的依存を検討します。「会いたくない」「帰りたくない」という結論を否定するためではなく,その意思形成過程を確認するためです。
第4 情報環境と心理的影響を検討する
最高裁判決は,子が返還先での生活等について多面的・客観的な情報を十分に得ていないこと,監護親の影響を強く受けていることなどを重視しました。
実務では,次の事情を一つずつ資料化します。
- 連れ去り前後の居住,通学,言語,友人及び家族関係
- 別居親との連絡・面会が保たれたか,遮断されたか
- 返還先の住居,学校,安全,支援者等について誰がどう説明したか
- 子の発言がいつ,誰の面前で,どの質問に対してなされたか
- 心理職・調査官等の面接方法と所見
- 監護親が返還決定や別居親をどのように説明したか
第5 人身保護請求における拘束と顕著な違法性
人身保護法は,法律上正当な手続によらないで身体の自由を拘束されている者について,迅速な救済を図る制度です。親が子を監護している通常の状態でも,子の自由意思が実質的に失われている特段の事情があれば,法的な「拘束」が問題になります。
家事事件の一般的な監護者指定と同じ衡量をするのではなく,人身保護請求の要件として,拘束の存在と違法性の顕著性を検討します。確定した返還決定の存在・不履行は重要ですが,それだけで全ての事案の結論が自動的に決まるとまではいえません。
第6 ハーグ条約の返還決定との関係
外務省の案内のとおり,ハーグ条約と国内実施法は,国境を越えた子の不法な連れ去り・留置に対し,子を原則として常居所地国へ返還する仕組みを設けています。
返還決定は,父母のどちらが最終的な親権者・監護者として適切かを確定する本案判決ではありません。返還拒否事由,子の異議,重大な危険等は実施法の枠組みで判断されます。返還後の監護の本案は,原則として常居所地国の裁判所で扱われます。
返還執行については令和2年の法改正後の手続も確認し,判決当時の制度説明を現在の執行実務へそのまま流用しないようにします。
第7 証拠収集と子への配慮
子の発言を得るために繰り返し質問したり,録音を前提に誘導したりすると,子の負担を増やし,証拠価値も損ないます。代理人は,子を当事者間の証拠争いの道具にせず,家庭裁判所調査官,心理職その他の中立的な関与を検討します。
資料は,連れ去り前から現在までの時系列,裁判・行政手続の経過,子の生活状況,双方の親との連絡,情報提供の内容及び専門家所見に分けます。SNS投稿や一方当事者の要約だけで心理状態を断定しません。
第8 申立て・防御のチェックリスト
- 子の常居所地,連れ去り・留置の時期及び監護権を確認したか。
- 返還申立て,返還決定,執行及び人身保護請求の各記録を分けたか。
- 子の発言内容だけでなく,情報源と意思形成過程を確認したか。
- 別居親との連絡遮断又は同居親の心理的影響を客観資料で示したか。
- 子の年齢・成熟度を個別具体的に評価したか。
- 返還手続と親権・監護権の本案を混同していないか。
- 現行の返還執行手続と支援制度を確認したか。
第9 出典と確認範囲
- 最高裁判所第一小法廷平成30年3月15日判決(裁判所公表PDF)
- 人身保護法(e-Gov法令検索)
- 国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の実施に関する法律(e-Gov法令検索)
- 外務省「ハーグ条約とは」
- 外務省「外国返還援助申請について」
- 東京家庭裁判所「ハーグ条約実施法に基づく子の返還申立事件等Q&A」
確認範囲:判旨は裁判所公表の判決全文,現行制度はe-Gov,外務省及び裁判所資料で確認しました。平成30年度全体の件数・傾向は判例時報2420号の年次記事による二次資料であり,同年度全件を判例秘書で照合したものではありません。