第1 対象と結論
1 最初に押さえる結論
債務を負う相続人が遺産分割協議で何も取得しないことに合意した場合,その協議は民法上の詐害行為取消請求又は破産法上の否認権行使の対象となり得る。最高裁判所平成11年6月11日第二小法廷判決は,遺産分割協議が相続財産の帰属を確定させる財産権目的の法律行為であることを理由に,詐害行為取消権行使の対象となり得ると判示した。
もっとも,法定相続分より少ない遺産しか取得しなかったという結果だけで,直ちに取消し又は否認が認められるわけではない。民法上の詐害行為取消請求では被保全債権の先行性,共同担保の減少,債務者の認識及び受益者の善意・悪意が問題となり,破産法上の無償行為否認では遺産分割の実質が無償の財産処分と評価できるかが問題となる。
2 三つの制度を分ける必要
| 行為又は制度 | 基本的な扱い | 主な確認事項 |
|---|---|---|
| 家庭裁判所への申述による相続放棄 | 詐害行為取消権の対象とならない | 熟慮期間,放棄の申述,放棄前後の相続財産の処分 |
| 何も取得しない遺産分割協議 | 詐害行為取消権の対象となり得る | 債務状況,遺産評価,特別受益,寄与分,代償金,受益相続人の認識 |
| 破産前の偏った遺産分割協議 | 詐害行為否認又は無償行為否認の対象となり得る | 支払停止等の時期,詐害性,無償性,民法906条の事情との関係 |
相続放棄と,遺産分割協議において取得額をゼロと定めることは,経済的な結果が似ていても法的性質が異なる。また,民法上の詐害行為取消請求は個別債権者が行使する制度であるのに対し,破産法上の否認権は破産管財人が破産財団のために行使する制度であり,要件,効果及び期間を混同してはならない。
3 この記事の時点と適用法
本記事は令和8年8月11日現在の公表資料を対象とする。平成29年法律第44号による改正民法は令和2年4月1日に施行されたが,同法附則19条は,施行日前にされた旧民法424条1項所定の法律行為に係る詐害行為取消権について従前の例によると定めているため,まず遺産分割協議の日を確定する必要がある。
本記事は一般的な制度及び裁判例を説明するものであり,個別事件の結論を示す法律相談ではない。遺産の範囲・評価,債権の発生原因,債務者の資産,登記及び破産申立ての時期によって結論が変わるため,実際の案件では資料に即した検討が必要である。
第2 民法上の詐害行為取消請求
1 遺産分割が取消対象となり得る理由
相続人が数人いるとき,相続財産は共有となり,各共同相続人は相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する(民法898条・899条)。遺産分割は,この遺産共有を各相続人の単独所有又は新たな共有関係へ移行させ,最終的な帰属を定める行為である。
最高裁判所平成11年6月11日第二小法廷判決(平成10年(オ)第1077号・民集53巻5号898頁)の事案では,300万円の保証債務を負う妻が,債権者から履行及び相続登記を求められた後,夫の遺産である建物を取得せず,子2人が各2分の1を取得する協議を成立させ,その約2か月半後に自己破産を申し立てた。最高裁は,遺産分割協議が財産権を目的とする法律行為であることから取消対象となり得るとし,取消しを認めた原審判断を是認した。
この判決が確定したのは,遺産分割という行為類型が一律に取消対象外ではないという点である。法定相続分と異なる遺産分割がすべて詐害行為になると判示したものではなく,個別の協議について現行民法424条以下の要件を審査する必要がある。
2 現行民法上の要件
現行民法424条による検討の中心は,次の事項である。行為類型が取消対象となり得るというだけでは足りず,すべての要件を個別に確認する必要がある。
- ①取消債権者の債権が,問題となる遺産分割協議より前の原因に基づいて生じたものであること。
- ②遺産分割によって債務者の責任財産が減少し,債権者が完全な弁済を受けられない状態が生じ,又は深まったこと。
- ③債務者である相続人が,協議によって債権者を害することを知っていたこと。
- ④利益を得た相続人が,協議時に債権者を害することを知らなかった場合でないこと。
- ⑤被保全債権が強制執行によって実現できる性質のものであること。
被保全債権について必要なのは,債権額が協議前に確定していたことではなく,債権発生の原因が協議前に存在したことである。貸付け,保証委託,不法行為又は課税原因などについて,契約日,実行日,事故日,申告期限その他の発生原因を証拠で特定しなければならない。
共同担保の減少は,遺産の名目額だけでは判断できない。債務者の預貯金,不動産,保険,売掛金その他の資産と,優先担保,租税,執行費用その他の負債を協議時点で評価し,遺産分割がなければ一般債権者の引当てとなった純資産がどれだけ失われたかを検討する。
3 法定相続分との差額が直ちに取消額にならない理由
民法906条は,遺産の種類・性質,各相続人の年齢,職業,心身の状態,生活状況その他一切の事情を考慮して分割すると定める。さらに,特別受益は民法903条,寄与分は民法904条の2によって具体的相続分を調整するため,法定相続分は機械的な最低取得額ではない。
実務上は,少なくとも次の事情を同じ評価時点で整理する必要がある。一項目だけを取り出さず,取得した利益と引き受けた負担を対応させて評価する。
| 検討項目 | 主な内容 |
|---|---|
| 遺産の範囲と価額 | 不動産・株式・預貯金の範囲,評価時点,換価可能性,担保控除後の価値 |
| 相続人間の調整 | 特別受益,寄与分,代償金,過去の相続,生前に受けた経済的利益 |
| 負担の分配 | 相続債務,葬儀費用,固定資産税,管理費,事業又は家産の維持費 |
| 協議の経緯 | 被相続人の生前の意向,家業承継,居住確保,交渉記録,専門家の関与 |
| 債権者との関係 | 督促,期限の利益喪失,差押え予告,支払停止,協議後の破産申立て |
もっとも,債務者が文字どおり何も取得せず,代償金,特別受益,寄与分又は負担の引受けによる合理的な説明もなく,督促又は差押えを受けた直後に親族間で財産を移した場合は,詐害性を基礎づける事情が重なる。反対に,債務者に十分な固有財産があり,協議による共同担保の減少がない場合や,取得差を説明する客観的資料がある場合は,結果の不均衡だけで取消しを認めることはできない。
4 受益相続人の善意・悪意
民法424条1項ただし書は,受益者が行為時に債権者を害することを知らなかったときは取消しを認めない。親族であるという関係だけで悪意が決まるものではないが,債務の相談を受けていたこと,督促状を見ていたこと,協議の直前に差押えを避ける発言があったこと,客観的根拠のない特別受益資料を作成したことなどは,認識を判断する間接事実となり得る。
受益相続人の側では,協議時に把握していた債務の範囲,債務者の資産について受けた説明,取得差を設けた理由及びその基礎資料を保存する必要がある。後から説明を作るのではなく,遺産目録,評価資料,代償金の送金記録,費用負担の合意及び協議過程の連絡記録を同時に残すことが重要である。
5 取消しの方法・範囲・期間
詐害行為取消しは,遺産分割協議が自動的に無効になる制度ではなく,債権者が裁判所に請求する制度である。受益者又は要件を満たす転得者を被告とし,財産の返還又は返還が困難な場合の価額償還を請求することができ,債務者には訴訟告知をしなければならない(民法424条の5~424条の7)。
目的が可分であるとき,取消しは取消債権者の債権額が上限となり,認容確定判決の効力は債務者及び全債権者にも及ぶ(民法424条の8・425条)。出訴期間は,債務者が害意をもって行為したことを債権者が知った時から2年,又は行為時から10年であり,古い遺産分割については経過措置と併せて確認する必要がある(民法426条)。
不動産では,受益相続人名義の登記の抹消・回復,持分の返還又は価額償還のどれを求めるかを設計する。遺産分割全体が相互依存的である場合の内部清算や,既に第三者へ売却された場合の転得者要件もあるため,単純に法定相続分の登記へ戻せば終了するとは限らない。
第3 破産法上の否認権
1 詐害行為否認と無償行為否認
破産法160条1項は,破産者が破産債権者を害することを知ってした行為や,支払停止又は破産申立ての後にした害する行為について,一定の場合に否認を認める。遺産分割に債権者害意が認められる事案では,民法上の詐害行為取消しと同様の実質を持つ詐害行為否認が問題となる。
これに対し,同条3項は,支払停止等の後又はその前6か月以内にした無償行為及びこれと同視すべき有償行為を否認対象とする。無償行為否認では同項自体が破産者又は受益者の害意を要件としていないが,まず問題の遺産分割が無償行為又はこれと同視すべき行為に当たるかを判断しなければならない。
2 東京高裁平成27年11月9日判決
東京高等裁判所平成27年11月9日判決(平成27年(ネ)第2013号・金融・商事判例1482号22頁)は,遺産分割と無償行為否認の関係を直接判断した重要な裁判例である。純資産評価額約2億3710万円の遺産について,破産者である弟が約2598万円の土地等を取得し,兄が約2億1111万円を取得したため,破産管財人が兄の法定相続分超過額約9256万円の価額償還を求めた。
同判決は,相続人が法定相続分又は具体的相続分を超える遺産を取得する合意を当然に贈与と同様の無償行為とは評価できず,遺産分割協議は原則として破産法160条3項の無償行為に当たらないとした。他方で,民法906条が掲げる事情と無関係に行われ,遺産分割の形式を借りた財産処分と認めるに足りる特段の事情があるときは,例外的に無償行為否認の対象となり得るとした。
本件では,土地を代々当主が承継してきた経緯,弟が過去の母の相続及び父の生前に受けた経済的利益,兄が土地管理,相続債務及び諸費用を負担したことなどが考慮され,特段の事情は否定された。同判決は裁判所ウェブサイトには掲載されていないが,判決書誌及び判旨は金融・商事判例,新・判例解説Watch並びに専門書で確認できる。
3 「特段の事情」を判断する材料
東京高裁判決は割合による安全基準を示していない。法定相続分を何%下回れば無償となるという基準はなく,協議の形式ではなく,遺産分割としての合理的な説明があるかを全体として判断する。
| 無償の財産処分を疑わせる事情 | 遺産分割としての説明を支える事情 |
|---|---|
| 債務者が無取得又は極端に少額である | 過去の相続又は生前利益を含めた実質的調整がある |
| 支払停止又は受任通知の直前・直後である | 家業,農地,同族会社株式又は居住の一体的承継が必要である |
| 代償金や負担の引受けがない | 相続債務,管理費,税負担又は代償金を取得者が負担する |
| 債権者から隔離する発言又は虚偽資料がある | 価額資料,交渉記録及び支払記録が協議時から残っている |
| 協議後すぐに換価して親族間で利益を分配した | 民法906条の事情に沿う具体的な協議経過がある |
同判決が無償行為否認を否定したからといって,破産法160条1項の詐害行為否認まで否定されるわけではない。害意と相手方の認識を裏づける事実がある場合は,同条1項の要件を別に検討する必要がある。
4 否認の効果・手続・期間
否認権の行使は破産財団を原状に復させ,破産管財人は一定の場合に現物返還に代えて価額償還を請求できる(破産法167条・168条)。転得者に対する否認は同法170条が定め,否認権は破産管財人が訴え,否認の請求又は抗弁によって行使する(同法173条)。
行使期間は破産手続開始の日から2年,又は否認しようとする行為の日から10年である(破産法176条)。無償行為否認では,支払停止等から遡る6か月という危機時期と,否認権そのものの2年・10年という行使期間を区別しなければならない。
無償行為が否認された場合でも,相手方が行為時に支払停止等及び詐害性を知らなかったときは,現に受けている利益の償還で足りる場合がある(破産法167条2項)。不動産の価格変動,費消された金銭の現存利益及び反対給付の扱いは,否認の成否とは別に効果の段階で検討する。
5 近時の公的資料が示す実務的重要性
法務省の令和7年司法試験・倒産法の出題趣旨は,設問上,特定の遺産分割合意について無償行為否認が認められることを前提に,預金の現存利益及び不動産の価額算定基準時を検討させたと説明している。これは裁判例ではなく,東京高裁平成27年判決の一般的な判断枠組みを変更する資料でもないが,事実関係によっては遺産分割が破産法160条3項の適用対象となり,否認の効果まで具体的に問題となることを示す近時の公的資料である。
第4 相続放棄及び類似する行為との区別
1 正式な相続放棄
相続放棄は,原則として自己のために相続開始があったことを知った時から3か月以内に家庭裁判所へ申述して行い,放棄者はその相続について初めから相続人でなかったものとみなされる(民法915条・938条・939条)。最高裁判所昭和49年9月20日第二小法廷判決(昭和47年(オ)第1194号・民集28巻6号1202頁)は,相続放棄が既得財産を積極的に減少させる行為ではなく,財産増加を消極的に妨げる行為であり,他人の意思によって相続承認を強制すべきでない身分行為であることから,詐害行為取消権の対象とならないとした。
もっとも,相続放棄前に相続財産を処分すると,保存行為等を除き法定単純承認となり得る(民法921条1号)。相続放棄の方式,熟慮期間及び処分行為の関係は「相続の法定単純承認(民法921条)の実務」で詳しく扱っている。
2 何も取得しない遺産分割
相続放棄をせず,相続人として遺産分割協議に参加した上で取得額をゼロとする行為は,正式な相続放棄ではない。相続開始によって取得した遺産共有上の地位を前提に財産の帰属を定めるため,最高裁判所平成11年判決のとおり,詐害行為取消権の対象となり得る。
遺産分割協議書に「相続放棄する」「相続分を放棄する」と記載されていても,家庭裁判所への申述をしていなければ民法938条の相続放棄にはならない。債権者又は破産管財人は,文書の表題ではなく,家庭裁判所の受理証明書,協議への参加,登記原因,代償金及び実際の財産移転を確認する必要がある。
3 相続分の放棄・譲渡及び特定財産の持分処分
共同相続人間で行われる相続分の放棄・譲渡や,特定不動産の遺産共有持分の無償移転も,家庭裁判所への相続放棄とは区別される。これらの名称だけから取消し又は否認の成否を決めることはできず,既に取得した財産上の地位を処分したのか,遺産分割の一環なのか,対価又は合理的な調整があるのかを検討する。
最高裁判所昭和49年判決が直接判断したのは民法所定の相続放棄であり,「事実上の相続放棄」と呼ばれるすべての行為を取消対象外としたものではない。この区別を誤ると,債権者側は取消可能な行為を見落とし,相続人側は協議後の訴訟又は否認リスクを過小評価することになる。
第5 当事者別の実務対応
1 債権者が最初に収集する資料
債権者は,取消訴訟を直ちに提起する前に,債権の発生原因と遺産分割の時系列を固定する。金銭消費貸借契約書,保証契約書,請求書,期限の利益喪失通知,判決,公正証書又は課税資料を確保し,被保全債権の原因が協議前に存在したことを示す。
次に,戸籍,遺産分割協議書,不動産登記事項証明書,固定資産評価証明書,預貯金資料及び相続税申告書を収集する。債務者の固有財産,担保権,優先債権及び他の債務も確認し,協議時の無資力と共同担保の減少を数量化する。
受益相続人の認識については,債務の存在を直接示す資料だけでなく,督促と協議の近接,親族間の連絡,債務整理相談,差押えを避ける発言,協議後の転売及び代金移動を時系列表にする。保全の必要が高い不動産では,処分禁止の仮処分等の可否も早期に検討する。
2 受益相続人が準備する反証
受益相続人は,法定相続分との差を抽象的な家族事情だけで説明するのではなく,協議時に存在した客観資料へ結び付ける。特別受益の送金記録,寄与を示す契約・帳簿,代償金の支払,債務・税・管理費の負担,家業又は不動産管理の実績及び専門家の評価書が中心となる。
また,債務者の債務を知らなかったことを主張する場合は,協議時に受けた説明と自ら確認した範囲を具体化する必要がある。親族間の協議であっても,遺産目録,評価の根拠,取得差を設けた理由及び支払記録を作成時の資料として残すことが,後の善意及び分割の合理性を支える。
3 破産申立てを見据えた確認
破産申立代理人は,相続開始の有無だけでなく,過去10年の遺産分割,相続分譲渡,財産分与,贈与及び親族間売買を聴取する。遺産分割協議の日,支払停止等の日,破産手続開始の日を並べ,破産法160条1項・3項及び176条の期間を別々に確認する。
破産管財人は,法定相続分との差額をそのまま請求額とせず,民法906条の事情,具体的相続分,財産評価,負担の分配及び受益者の反論を検証する。同時に,無償行為否認が難しくても詐害行為否認が成立する可能性,現物返還と価額償還の選択,転得者及び現存利益の範囲を検討する。
4 費用をかけた調査へ進む判断
低コストで取得できる登記事項証明書,戸籍,協議書,債権資料及び手元の資産資料で,債権の先行性,無資力及び財産移転の概算を先に確認する。ここで回収可能額が訴訟費用を下回る場合や,受益者の無資力が明らかな場合は,高額な不動産鑑定又は広範な照会へ進む前に経済合理性を再評価する。
反対に,不動産又は非上場株式の評価差が結論を左右し,担保控除後も十分な回収余地があり,処分のおそれが具体的である場合は,専門鑑定,保全処分及び転得者調査を検討する。取消し又は否認の法律要件だけでなく,判決後に実際に回収できるかを入口で検討することが必要である。
第6 主要裁判例と現在の争点
1 主要裁判例の位置付け
| 裁判例 | 対象行為 | 結論と射程 |
|---|---|---|
| 最高裁判所昭和49年9月20日第二小法廷判決・昭和47年(オ)第1194号・民集28巻6号1202頁 | 家庭裁判所への相続放棄 | 詐害行為取消権の対象とならない。財産増加を消極的に妨げる行為であり,承認を強制すべきでない身分行為とした。 |
| 最高裁判所平成11年6月11日第二小法廷判決・平成10年(オ)第1077号・民集53巻5号898頁 | 何も取得しない遺産分割協議 | 遺産分割協議は財産権目的の法律行為であり,詐害行為取消権の対象となり得るとした。個別事案では取消しを認容した。 |
| 東京高等裁判所平成27年11月9日判決・平成27年(ネ)第2013号・金融・商事判例1482号22頁 | 法定相続分を超える取得を含む遺産分割協議 | 原則として無償行為ではないが,遺産分割に仮託した財産処分といえる特段の事情があれば破産法160条3項の対象となり得るとした。個別事案では否認を認めなかった。 |
三つの裁判例を同時に読むと,形式的な行為類型だけで結論を出せないことが分かる。正式な相続放棄は取消対象外である一方,遺産分割は取消対象となり得るが,詐害行為又は無償行為の要件を満たすかは協議時の財産状態,認識及び分割の実質に左右される。
2 確立していない点
最高裁判所平成11年判決は,特別受益,寄与分又は複雑な代償分割がある場合の取消範囲を一般的に示していない。東京高裁平成27年判決も「特段の事情」の例示を尽くしておらず,債務者が完全に無取得となる場合と,一部の財産を取得する場合の線引きに数値基準はない。
また,寄与分について協議が調わない場合は家庭裁判所が定めるため,通常裁判所の詐害行為取消訴訟で具体的相続分をどこまで前提判断できるか,家庭裁判所の手続との関係をどう処理するかには事案ごとの検討が残る。相続分の放棄・譲渡,特定財産の持分処分及び遺産分割後の転売についても,それぞれの法的性質と当事者を特定する必要がある。
令和8年8月11日までに確認できた公刊資料では,遺産分割と無償行為否認について東京高裁平成27年判決の枠組みを変更する最高裁判例は確認できない。ただし,裁判所ウェブサイトにはすべての裁判例が掲載されるわけではなく,未公刊又は商用データベース未収録の裁判例があり得るため,個別事件では最新の判例誌及びデータベースを再検索する必要がある。
第7 出典・参考資料
1 法令
①民法(明治29年法律第89号)424条~426条,898条,899条,899条の2,903条,904条の2,906条,907条,909条,915条,921条,938条及び939条(e-Gov法令検索)。②破産法(平成16年法律第75号)160条,167条~170条,173条及び176条(e-Gov法令検索)。
③民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)附則1条及び19条(衆議院・制定法律)。同法附則19条により,施行日前にされた旧民法424条1項所定の法律行為に係る詐害行為取消権は従前の例による。
2 裁判例・公的資料
- ①最高裁判所昭和49年9月20日第二小法廷判決(昭和47年(オ)第1194号,民集28巻6号1202頁,裁判所ウェブサイト)。
- ②最高裁判所平成11年6月11日第二小法廷判決(平成10年(オ)第1077号,民集53巻5号898頁,裁判所ウェブサイト)。
- ③東京高等裁判所平成27年11月9日判決(平成27年(ネ)第2013号,金融・商事判例1482号22頁,LEX/DB文献番号25541921。裁判所HP未掲載)。判旨及び事案は,三森仁「法定相続分を超える遺産分割に対する否認の請求に理由がないとされた事例」新・判例解説Watch倒産法No.33で確認した。
- ④法務省「令和7年司法試験論文式試験・出題の趣旨」倒産法第1問・設問2(2)。
3 文献
- ①伊藤眞ほか『条解破産法〔第3版〕』(弘文堂,2020年)1118頁~1121頁。
- ②松原正明『全訂第2版 判例先例相続法Ⅱ―相続の効力』(日本加除出版,2022年)536頁~539頁。
- ③七戸克彦「相続放棄・事実上の相続放棄の法律問題」法政研究89巻3号91頁~118頁(2022年)。
- ④三森仁「法定相続分を超える遺産分割に対する否認の請求に理由がないとされた事例」新・判例解説Watch倒産法No.33(2016年)。