第1 柳本つとむ裁判官について公表資料から確認できること
1 経歴及び現在の配置
柳本つとむ裁判官は,司法修習45期であり,令和3年4月1日以降,名古屋地方・家庭裁判所一宮支部判事を務めている。裁判所ウェブサイトの「名古屋地方裁判所 担当裁判官一覧」(令和8年5月25日現在)は,同裁判官を一宮支部の民事合議係及び民事単独係の担当裁判官として掲載している。
2 平成31年3月の報道と国会答弁
第198回国会衆議院法務委員会では,平成31年3月22日,新聞が報じた裁判官の政治的活動に関する質問があった。最高裁判所事務総局人事局長は,新聞記事の対象となったと考えられる裁判官から事情聴取等をしたものの,本人が記事に記載された事実関係を否定しており,その時点では服務規律違反の事実を確認できていないと答弁した。
同月26日の同委員会でも,人事局長は同じ説明をした上で,事実関係を適切に確認できるよう,引き続き慎重に調査すると答弁した。両日の国会会議録は報道対象者の氏名を明らかにしておらず,公表された会議録から報道対象者と柳本つとむ裁判官との同一性を確認することはできない。
3 令和2年1月24日付け情報公開答申
裁判所の情報公開・個人情報保護審査委員会は,令和2年1月24日付け令和元年度(情)答申第27号及び第28号において,特定の裁判官の勤務時間外の行為又は言動に関する文書について,その存否を明らかにしないで不開示とした判断を妥当とした。
存否応答拒否は,対象文書が存在することも,存在しないことも明らかにしない判断である。したがって,これらの答申は,開示申出書に記載された行為があったこと,裁判所が当該行為を調査したこと,特定の裁判官が服務規律に違反したこと,又はその後に何らかの措置を受けたことを確認する資料ではない。
両答申は,裁判所職員に関する臨時措置規則及び人事院規則14―7が裁判官には適用又は準用されないとも説明している。裁判官の政治運動について直接問題となるのは,裁判所法52条1号である。
4 公表資料から確認できる範囲
令和8年8月9日までに確認した裁判所ウェブサイト,国会会議録及び情報公開答申からは,平成31年3月の報道対象者が柳本つとむ裁判官であること,調査がどのように終結したか,又は同裁判官に何らかの措置があったかは確認できない。氏名のない報道,開示申出書に記載された内容及び文書の存否を答えない答申だけから,特定人の行為又は服務規律違反を認定することはできない。
第2 裁判官分限事件の制度
1 分限事件には執務不能と懲戒があること
裁判官分限法1条1項は,回復の困難な心身の故障により職務を執ることができない場合の裁判を定め,同法2条は懲戒を定めている。同法3条は両者を併せて「分限事件」と呼んでいるため,分限事件と懲戒事件は同義ではない。
日本国憲法78条後段は,裁判官の懲戒処分を行政機関が行うことを禁止している。裁判所法49条は,職務上の義務違反,職務懈怠又は品位を辱める行状を懲戒事由とし,裁判官分限法2条は懲戒の種類を戒告又は1万円以下の過料としている。罷免を目的とする裁判官弾劾裁判所の手続とは,判断機関,要件及び効果が異なる。
2 管轄,審理及び官報公示
地方裁判所,家庭裁判所及び簡易裁判所の裁判官に係る第一審は管轄高等裁判所が行い,最高裁判所及び高等裁判所の裁判官に係る事件は最高裁判所が第一審かつ終審として取り扱う。高等裁判所の終局裁判に対する即時抗告も最高裁判所が扱い,分限事件は高等裁判所では5人の合議体,最高裁判所では大法廷で審理される。
手続は,当該裁判官に対して監督権を行う裁判所の申立てによって開始する。裁判官分限法7条は,執務不能又は懲戒の裁判に原因となる事実及び証拠による認定理由を示すこと並びにあらかじめ当該裁判官の陳述を聴くことを要求している。
裁判官の分限事件手続規則9条は,分限事件の裁判が確定したときは,裁判所が全文を官報に掲載して公示すると定めている。このため,裁判所ウェブサイトの判例検索は有力な検索経路ではあるが,その掲載結果だけを過去の分限裁判の全件一覧として扱うことはできない。
3 政治運動の禁止と表現の自由
裁判所法52条1号は,裁判官が在任中に国会又は地方公共団体の議会の議員となること及び積極的に政治運動をすることを禁止している。同号は,裁判官が政治的意見を持つこと又は一切の政治的表現をすることを禁止した規定ではない。
後記の最高裁平成10年12月1日大法廷決定は,裁判官も一市民として表現の自由を有することを前提としつつ,積極的な政治運動の禁止が,裁判官の独立及び中立・公正,司法に対する国民の信頼並びに三権分立の下における司法と立法・行政との関係を維持するための制約であるとした。
第3 裁判所ウェブサイトで本文を確認できる5件
裁判所ウェブサイトでは,最高裁大法廷の分限関係決定として,昭和33年の執務不能事件1件と,平成10年以降の懲戒事件4件の本文を確認できる。後記のとおり,この5件が過去の大法廷決定の全部という意味ではない。
1 最高裁昭和33年10月28日大法廷決定
最高裁昭和33年10月28日大法廷決定(昭和33年(分ク)第1号)は,懲戒事件ではなく,回復の困難な心身の故障による執務不能の裁判に対する抗告事件である。決定は,対象裁判官の肺結核が治癒したとは認められず,7年余の療養後も勤務できず,将来の治癒時期も予見できないという記録上の事情から,裁判官分限法1条1項に該当するとして抗告を棄却した。
この決定は,当該事件の鑑定結果及び長期療養の経過に基づく個別判断であり,特定の疾病名だけから直ちに執務不能が認定されることを示すものではない。
2 寺西和史裁判官に対する戒告決定
最高裁平成10年12月1日大法廷決定(平成10年(分ク)第1号・民集52巻9号1761頁)は,寺西和史裁判官が組織的犯罪対策法案等の廃案を目的とする集会に参加し,裁判官であることを明らかにして発言した行為を,裁判所法52条1号の「積極的に政治運動をすること」に当たるとして,戒告を維持した。
(1) 多数意見の判断枠組み
多数意見は,「積極的に政治運動をすること」とは,組織的,計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって,裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるものをいうとした。その該当性は,行為の内容,行為に至った経緯及び場所等の客観的事情に加え,当該裁判官の意図等の主観的事情を総合して判断するとした。
多数意見は,本件発言が単なる個人の意見表明を超え,法案の廃案を目指す諸団体の反対運動を積極的に支援し,推進する役割を果たしたと評価した。また,表現内容自体の規制ではなく行動がもたらす弊害の防止を目的とする制約であり,憲法21条1項に違反しないとした。
(2) 5裁判官の反対意見
5裁判官の反対意見は同じ理由によるものではない。行為が多数意見のいう組織性,計画性又は継続性を備えるか,裁判所法52条1号違反が当然に同法49条の懲戒事由となるか,表現行為への萎縮効果をどう評価するか,分限手続の公開,審級及び代理人の数に関する手続保障が十分かという異なる論点から,多数意見を批判した。
3 古川龍一裁判官に対する戒告決定
最高裁平成13年3月30日大法廷決定(平成13年(分)第3号・集民201号737頁)は,古川龍一裁判官が検察官から伝えられた捜査情報を用いて書面等を作成し,被疑者である妻及びその弁護士に交付した行為等を,具体的被疑事件の一方当事者側に立つ実質的な弁護活動と評価した。
多数意見は,家族を支援し,擁護しようとすること自体は自然であるとしながらも,裁判官の公正,中立に対する国民の信頼を傷つける行為にまで及ぶことは許されないとした。これに対し,3裁判官の反対意見は,書面作成等を実質的な弁護活動と評価できるか,望ましくない行為又は職業倫理上の問題と法的な懲戒事由を区別すべきではないかを論じた。
決定が懲戒事由として認定したのは,捜査情報を用いた書面の作成・交付等である。犯人蔵匿又は証拠隠滅を懲戒事由として認定した決定ではなく,反対意見は,パソコンデータの消去等の疑惑が調査報告書で否定されたことを明記している。
4 岡口基一裁判官に対する平成30年の戒告決定
最高裁平成30年10月17日大法廷決定(平成30年(分)第1号・民集72巻5号890頁)は,岡口基一裁判官が,裁判官による投稿であることが広く知られている実名のSNSアカウントで,担当外の民事訴訟に関する投稿をした行為を,裁判所法49条の「品位を辱める行状」に当たるとして戒告した。
決定は,「品位を辱める行状」とは,職務上の行為か純然たる私的行為かを問わず,裁判官に対する国民の信頼を損ね,又は裁判の公正を疑わせるような言動をいうとした。本件では,一方当事者側の視点による記事を紹介し,事件を十分に検討した形跡を示さないまま訴訟提起を一方的に不当と評価したものと受け止められること,当事者の感情を傷つけたことなどが重視された。
結論は全員一致であり,3裁判官の補足意見は,本件投稿に先立つ2度の厳重注意,2度目の注意時の反省の弁及び短期間での同種行為の反復を,懲戒相当性を判断する経緯として説明した。他方で,裁判官の表現を必要以上に萎縮させない配慮にも言及している。
5 岡口基一裁判官に対する令和2年の戒告決定
最高裁令和2年8月26日大法廷決定(令和2年(分)第1号・集民264号41頁)は,平成30年決定が示した「品位を辱める行状」の判断枠組みを踏襲した。
決定は,自らが裁判官であることを示しつつ多数の者に向けて,犯罪被害者遺族が裁判所事務局等から影響を受けている旨の根拠を示さない侮辱的な表現を投稿し,遺族の心情を更に傷つけたことを重視した。また,過去の厳重注意及び戒告後にも同種行為を繰り返した経緯を考慮し,全員一致で戒告した。
第4 裁判所ウェブサイトに掲載されていない大法廷決定
1 官報等で所在を確認できる8件
分限裁判は官報に全文が掲載されるため,現在の裁判所ウェブサイトに本文がなくても,決定が存在しないことにはならない。官報掲載内容,裁判所時報及びこれらを基礎とする公開資料からは,前記5件のほか,少なくとも次の8件の最高裁大法廷決定の所在と概要を確認できる。
| 決定日 | 件数 | 対象となった行為と結論 | 確認上の留意点 |
|---|---|---|---|
| 昭和25年6月24日 | 1件 | 最高裁判所判事4人が,最高裁自身の定めた刑事訴訟規則を看過して裁判したことを職務上の義務違反とし,各1万円の過料とした。3裁判官は戒告相当とし,別の1裁判官は裁判官分限法を違憲無効として申立却下とする意見を述べた。 | 裁判所時報61号6頁に掲載された決定であり,裁判官分限法の合憲性と最高裁判所判事自身の懲戒が論じられた。 |
| 昭和59年7月27日 | 1件 | 書店で書籍2点を窃取した行為を品位を辱める行状として戒告した。 | 私生活上の犯罪行為に関する適用例である。 |
| 平成3年12月16日 | 3件 | 東京地裁,広島地裁及び福岡家裁における旅費の不適正支給について,各庁の長として確認又は指導監督を尽くさなかったことを理由に戒告した。 | 直接の不正受給ではなく,司法行政上の監督義務違反を懲戒事由とした系列である。 |
| 平成13年3月16日 | 2件 | 令状請求関係書類の大量コピーによる報告・保管を是正しなかったことについて,福岡高裁の長官及び事務局長の指導監督上の義務違反等を理由に戒告した。 | 同月30日の古川決定と同じ捜査情報の取扱いをめぐる一連の事件である。 |
| 平成13年10月10日 | 1件 | 神戸地裁所長在任中,電車内で隣席の女性に身体を押し付けた行為を品位を辱める行状として戒告した。 | 平成13年(分)第4号であり,官報本紙第3226号11頁に全文が掲載された。 |
これら8件は現在の裁判所ウェブサイトの分限事件検索では本文を確認できないため,個別ページがないという意味で「裁判所HP未掲載」である。平成13年の3件は調査時に取得した官報本文の画像で全文を確認したが,それ以前の決定を逐語引用する場合には,官報又は裁判所時報の原版を改めて確認する必要がある。
2 件数の意味
裁判所ウェブサイトで本文を確認できる5件と前記8件を合わせると,最高裁大法廷の分限関係決定は少なくとも13件となる。ただし,これは高等裁判所がした分限裁判を含む全件数ではなく,戦後の分限事件を網羅した確定件数でもない。
全国憲法研究会の令和3年9月の公開シンポジウム資料は,官報その他によって当時確認できた分限裁判を61件・58人と整理している。この集計は令和3年時点の研究資料であるため,その後の事件を含む現在の全件数として引用することはできない。
第5 各決定を読む際の留意点
1 行為の類型だけで懲戒の成否は決まらないこと
各決定で問題となったのは,法案反対集会での発言,家族の被疑事件に関する書面作成・交付,係属した訴訟又は犯罪被害者遺族に関するSNS投稿,私生活上の行為及び司法行政上の監督義務違反などである。「政治的意見を述べたこと」,「家族を支援したこと」,「SNSを利用したこと」又は「私生活上の問題があったこと」という抽象的な類型だけから,直ちに懲戒事由を認めることはできない。
裁判官分限法7条は,原因となる事実及び証拠による認定理由の明示を求めている。行為の内容,目的,場所,裁判官であることの表示,具体的事件との関係,当事者等への影響,過去の注意及び行為の反復といった,各決定が実際に認定した事情を区別して読む必要がある。
2 多数意見と個別意見を区別すること
寺西決定の5反対意見,古川決定の3反対意見及び平成30年岡口決定の補足意見は,多数意見と同じ結論又は理由を示したものではない。行為の評価,懲戒事由の範囲,表現の自由への萎縮効果及び分限手続の保障について見解が分かれており,個別意見を最高裁大法廷の法廷意見として引用してはならない。
3 国民の信頼と具体的な事実認定を区別すること
裁判官に対する国民の信頼は,平成13年以降の各決定に共通する重要な評価要素である。もっとも,抽象的に「信頼を損ねた」と述べるだけで懲戒事由が認められるわけではなく,どの行為が,どのような事情の下で,裁判官の公正又は中立を疑わせたのかを特定する必要がある。
同じ理由から,氏名が公表されていない報道,開示申出書の記載又は外部サイトの推測だけを根拠として,特定の裁判官本人の行為又は服務規律違反を認定することはできない。
4 分限裁判と弾劾裁判を区別すること
岡口基一裁判官に関する平成30年及び令和2年の各大法廷決定は,最高裁判所による戒告の裁判である。令和6年4月3日の罷免判決は,国会に設置された裁判官弾劾裁判所による別の手続であり,分限事件の「品位を辱める行状」と弾劾事件の「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」は,法的要件も効果も異なる。
裁判官弾劾裁判所の判決は,刑事事件関係の10個の投稿等のうち1個を除く9個を一体の行為群として検討し,そのうち東京高裁を批判した投稿及び訴追委員会を批判した投稿を除く7個を罷免事由と評価した。他方,犬の返還請求訴訟に関する3個の行為群は非行ではあるが,それだけで罷免事由に該当するほど重大ではないとした。
第6 出典・参考資料
1 法令・規則
①日本国憲法76条3項・78条(e-Gov法令検索)
②裁判所法(昭和22年法律第59号)48条・49条・52条(e-Gov法令検索)
③裁判官分限法(昭和22年法律第127号)1条~8条(e-Gov法令検索)
④裁判官の分限事件手続規則(昭和23年最高裁判所規則第6号)(裁判所ウェブサイト)
2 国会会議録・公的資料
①第198回国会衆議院法務委員会第5号・平成31年3月22日・最高裁判所事務総局人事局長答弁(国立国会図書館国会会議録検索システム)
②第198回国会衆議院法務委員会第6号・平成31年3月26日・最高裁判所事務総局人事局長答弁(国立国会図書館国会会議録検索システム)
③令和元年度(情)答申第27号及び同第28号(令和2年1月24日,裁判所情報公開・個人情報保護審査委員会)
④名古屋地方裁判所 担当裁判官一覧(令和8年5月25日現在,裁判所ウェブサイト)
⑤裁判官弾劾裁判所令和6年4月3日判決(裁判官弾劾裁判所)
3 裁判例
①最高裁判所大法廷昭和33年10月28日決定(昭和33年(分ク)第1号,裁判所ウェブサイトPDF1頁~2頁)
②最高裁判所大法廷平成10年12月1日決定(平成10年(分ク)第1号,民集52巻9号1761頁,裁判所ウェブサイトPDF1頁~41頁)
③最高裁判所大法廷平成13年3月30日決定(平成13年(分)第3号,集民201号737頁,裁判所ウェブサイトPDF1頁~20頁)
④最高裁判所大法廷平成30年10月17日決定(平成30年(分)第1号,民集72巻5号890頁,裁判所ウェブサイトPDF1頁~8頁)
⑤最高裁判所大法廷令和2年8月26日決定(令和2年(分)第1号,集民264号41頁,裁判所ウェブサイトPDF1頁~6頁)
4 官報等に基づく公開資料
①昭和24年7月16日発生の最高裁判所誤判事件に関する最高裁大法廷昭和25年6月24日決定(裁判所時報61号6頁所収決定の全文)
②分限裁判及び罷免判決の実例(官報等を基礎とする年代別一覧)
③官報本紙第3087号12頁掲載の最高裁平成13年3月16日大法廷決定2件及び官報本紙第3226号11頁掲載の最高裁平成13年10月10日大法廷決定(調査時に取得した官報本文の画像)
④全国憲法研究会憲法問題特別委員会第8回公開シンポジウム「裁判官の懲戒と表現の自由」(令和3年9月18日)
5 文献
①渡辺康行『憲法裁判の法理』(岩波書店,令和4年)203頁~234頁
②市川正人『表現の自由―「政治的中立性」を問う』(岩波書店,令和6年)77頁~98頁
③渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅱ 総論・統治〔第2版〕』(日本評論社,令和7年)339頁及び345頁