第1 この記事の対象と資料
1 この記事の対象
本記事は,建築紛争の訴訟で鑑定が必要になったとき,裁判所がどのように鑑定人を探すのか,鑑定料はどう決まるのか,調停委員や専門委員を含む建築の専門家をどう選ぶのかを,最高裁判所の建築関係訴訟委員会の公開資料から整理するものである。
施主側と施工者・設計者側のどちらの代理人にとっても,鑑定や専門家調停を申し出る前に知っておくと見通しを立てやすくなる事項である。
建築関係訴訟の件数,審理期間,終局区分,瑕疵の種別,鑑定率及び付調停率は,建築訴訟の統計(令和6年)にまとめた。
医療訴訟について同じ仕組みを扱った記事として,医療訴訟の鑑定人はどう選ばれるかがある。
2 使用した資料と読み方の注意
資料は,最高裁判所の建築関係訴訟委員会のページに掲載された,第1回(平成13年7月19日)から第21回(令和6年12月19日)までの議事要旨,分科会の議事要旨,添付資料,平成17年6月の答申,中間取りまとめ,委員会規則及び統計である(令和8年9月20日に取得)。
議事要旨の発言は委員又はオブザーバーの意見であり,委員会の結論や裁判所の運用そのものではない。
本記事では,資料に書かれた事実と,委員等の意見とを区別して書く。
期間や件数の一部は,議事要旨に添付された「鑑定人候補者推薦依頼一覧」から本記事で集計したものである。
一覧は月単位でしか日付を示していないため,集計した期間には1か月程度の誤差がある。
第2 建築関係訴訟委員会とは
1 設置の経緯と規則
建築関係訴訟委員会は,建築関係訴訟委員会規則(平成13年最高裁判所規則第6号)に基づき,平成13年に最高裁判所に置かれた委員会である。
設置の前から,最高裁判所事務総局民事局と日本建築学会との間で意見交換が行われ,平成12年6月には学会の中に司法支援建築会議が作られていた(答申)。
規則2条は,民事訴訟事件又は民事調停事件のうち争点若しくは証拠の整理又は裁判をするについて建築の専門的知識経験を必要とするものを「建築紛争事件」と定め,委員会の事務として,運営に関する共通的な事項の調査審議のほか,次の3つの候補者の選定を掲げている。
①鑑定人の候補者(2条3号)
②民事調停委員の候補者(同条4号)
③専門委員の候補者(同条5号)
規則は委員を20人以内とし(3条),鑑定人等候補者選定分科会を置いている(7条)。
令和6年12月19日現在の委員名簿には,建築系の研究者を中心に,実務家,弁護士及び法学研究者の11名が掲載されている。
2 推薦の流れ
推薦の流れは,概略図と第3回委員会(平成14年3月5日)の資料によれば,次のとおりである。
①事件を担当する地方裁判所等が,推薦依頼を最高裁判所事務総局民事局(委員会の事務局)に送る。
②事務局が,日本建築学会(司法支援建築会議)等に推薦を依頼する。
③学会の推薦は,同じ経路を逆にたどって裁判所に届く。
④裁判所が候補者に連絡し,鑑定人に選任するかを判断する。
概略図には,推薦は法的な強制によるものではなく,推薦された候補者を選任するかどうかは各裁判所の判断に委ねられることが注記されている。
推薦依頼一覧によれば,依頼先は全て日本建築学会であった。
学会は,依頼した裁判所の地域の司法支援建築会議の支部の会員から候補者を探す(第18回議事要旨)。
第3 推薦依頼の件数と期間
1 件数
推薦依頼一覧に掲載された事案は,委員会の発足前の試行分18件を含めて121件である(本記事の集計)。
平成14年の18件,平成22年の10件が多く,平成23年以降は年0件から5件にとどまり,令和2年と令和3年は0件であった。
件数が少ないのは,各地の裁判所が地元の建築関係団体と連携し,推薦を受けられるようになったためである(答申)。
委員会の議事要旨には,推薦依頼は「いわば最後の手段」として使われているという説明(第13回)や,下級裁判所が自ら候補者を探す努力をしなくても利用できることを周知すべきだという意見(第19回)がある。
2 期間
推薦依頼一覧から集計すると,依頼から学会の回答までは1か月から2か月,依頼から鑑定人の選任までは4か月から6か月,選任から鑑定書の提出までは4か月から5か月であった(本記事の集計・中央値)。
鑑定書の提出から事件の終局までは,さらに1年前後かかっている。
推薦依頼から終局までを通すと,おおむね2年である。
学会の回答は早いが,回答の後の選任手続(費用の予納や鑑定事項の確定)と,鑑定書の提出後に時間がかかっていることが分かる。
終局の区分が記載された103件の内訳は,判決62件,和解41件であった(本記事の集計)。
推薦依頼は難しい事件で使われるため,一般の建築訴訟より判決の割合が高いと考えられる。
第4 推薦依頼書と専門分野の伝え方
1 推薦依頼書の記載事項
平成12年の民事局の書簡の記載例と,平成16年の書簡に添付されたひな型は,推薦依頼書に次の事項を書くものとしている(第12回分科会資料)。
①担当裁判所,事件の表示及び当事者
②事案の概要
③争点(争点整理表や瑕疵一覧表を添付する)
④鑑定事項(未確定であれば暫定のものと明示する)
⑤推薦に当たっての希望(構造,意匠,設備,材料,設計,施工等の専門分野)
⑥訴訟の経過,進行予定及び鑑定人の審理への立会いの要否
答申は,鑑定の前提として争点の整理とともに鑑定事項の整理が不可欠であり,主張整理表や瑕疵一覧表で整理した情報を建築界に提供すべきであるとしている。
第1回分科会(平成13年11月19日)では,「瑕疵に当たるか」は法的評価であるから,より具体的な鑑定事項にすべきであるという意見が出ている。
鑑定事項は,事実,数値,原因及び修補方法の形で書くのが基本である。
2 専門分野を具体的に伝える
建築関係訴訟委員会は,第21回の意見交換を踏まえ,令和7年3月付けで「建築事件において事案に適した専門分野の専門家を選定するために裁判所において把握することが考えられる情報等」を取りまとめた。
この資料は,裁判所が調停委員等について把握しておくと有用な情報として,次のものを挙げている。
①所属団体・勤務先(建築士会,建築士事務所協会,日本建築家協会,日本建築学会の支部等)
②資格(一級建築士,構造設計一級建築士,設備設計一級建築士,建築設備士,施工管理技士,技術士,建築積算士等)
③経験のある構造種別(木造軸組,枠組壁工法,鉄骨造,鉄筋コンクリート造,鉄骨鉄筋コンクリート造等)
④経験のある建物種別(戸建て住宅,集合住宅,事務所,店舗,工場,病院等)
⑤経験のある分野(設計・監理,施工,積算・見積り,環境工学,地盤・基礎,材料,建築関係法規,改修・リフォーム)
⑥具体的な経験(構造計算の実務,工事監理,施工管理,積算の経験,他の裁判所での鑑定人・専門委員・調停委員の経験等)
同じ資料は,選定の留意点として,一人で足りる事案か分野ごとに複数選ぶべき事案かを見極めること,関係法規が改正されている場合は施工当時の法令の下での業務経験を確かめること,専門外の知見が必要になれば追加で選ぶことを挙げている。
候補者に打診するときは,「鉄筋コンクリート造の事務所兼店舗の基礎工事と外構工事が問題で,損害額の算定に積算が問題になりうる」というように,構造,建物,分野を具体的に伝えると,必要な知見が的確に伝わるとされている。
代理人としては,鑑定や専門家調停を申し出る段階で,構造種別,建物種別,問題となる工種,施工時期(適用される法令)及び積算の要否を1枚にまとめて裁判所に提出すると,専門家の取り違えを防ぎやすい。
瑕疵の判断と補修費用の積算とは別の専門性であるから,損害額が争点になるときは,積算の専門家の関与を求める理由を示しておくとよい(第15回・第18回議事要旨)。
3 利害関係の確認
第18回(平成31年3月4日)では,平成29年と平成30年の推薦事案で,候補者と当事者等との利害関係が問題になったことが報告された。
東京地方裁判所と大阪地方裁判所は,当事者と代理人だけでなく,問題の建物や一方当事者の協力建築士等との関係にも注意し,関係者の氏名と勤務先を事前に当事者から聴いて一覧にしたうえで,候補者と当事者の双方に確認している。
第7回(平成15年11月14日)では,私的鑑定を行った建築士と推薦された候補者とが師弟関係等にあることが分かり,推薦をやり直した例も紹介されている。
代理人としては,自分の側の協力建築士や私的意見書の作成者の氏名と勤務先を早めに裁判所に伝えておくことが,選任後の忌避や差替えを防ぐことにつながる。
委員からは,利害関係が疑われると理論的に正しい鑑定でも当事者が受け入れにくくなるので,事案によっては遠方の鑑定人に依頼することも考えられるという意見が出ている(第18回)。
第5 鑑定料の考え方
1 「鑑定料の検討に当たり考慮することが考えられる要素」
第19回(令和3年3月18日)で,鑑定人の経験者から鑑定料の金額を聞かれて答えに困ったという発言があり,第20回(令和5年3月16日)で日本建築学会の鑑定人経験者へのアンケート等を基に議論し,別紙「鑑定料の検討に当たり考慮することが考えられる要素」が取りまとめられた。
別紙は,下級裁判所に周知され,個別の事件で鑑定料を検討するときの参考とされる。
別紙が挙げる要素は,次のとおりである。
①調査の期間と作業量(補助者数人で1日で終わった例から,2,3か月かかった例まである)
②鑑定書の作成期間(現地調査から鑑定書の提出まで3か月から6か月が多く,1か月程度の例も1年以上の例もある)
③鑑定人の関与の態様(鑑定事項の整理・検討の作業や,提出後に期日に出頭して説明することが予定されている場合は,その報酬を考慮すべき場合がある)
④外注費(高額になる場合は,概算払を含め,裁判所と事前に協議するのが望ましい)
⑤現地調査の交通費
⑥鑑定人の人件費相当額(日額について,国土交通省の「設計業務委託等技術者単価」や,経済調査会の「積算資料」の労務単価を参考にした例がある)
別紙は,鑑定事項について裁判所と十分に事前協議し,鑑定費用についても事前に協議することが有益であるとしている。
裁判所から当事者の希望を踏まえた予算額が示され,その費用で可能かを打診された例や,予算内に収まる方法・範囲に調整された例も紹介されている。
2 代理人の対応
鑑定料の額は,民事訴訟費用等に関する法律26条により,裁判所が相当と認めるところによって決まる。
申出側の代理人は,鑑定を申し出る段階で依頼者が負担できる予算を確認し,予算の範囲で可能な鑑定事項と調査方法を裁判所と協議することができる。
見積りに疑問があるときは,調査日数,人件費の日額の根拠,外注費の有無及び期日への出頭の有無を項目ごとに確かめるとよい。
第6 鑑定以外の手段―専門家調停と専門委員
建築紛争では,鑑定よりも,建築の専門家が調停委員として関与する調停や,専門委員の関与が多く使われている。
第11回(平成19年2月23日)では,専門委員や専門家調停委員は早い段階の説明や助力に,鑑定は判断が必要になったときに使うという整理が示された。
大阪地方裁判所は原則として調停を利用しており,評議の結果を調停委員会の意見書として当事者に交付し,調停が成立しなくても訴訟で証拠として使えるようにしている(第16回議事要旨)。
東京地方裁判所では,建築調停のおおむね4分の3が成立していると報告されている(同)。
民事調停法20条1項ただし書は,事件について争点及び証拠の整理が完了した後は,当事者の合意がなければ事件を調停に付することができないと定めている。
専門家調停を使いたいときは,争点整理の早い段階で申し出る必要がある。
また,付調停により調停が成立したときは,訴えの取下げがあったものとみなされる(同条2項)。
個人の鑑定人が見つからない事案について,委員から,複数の分野にまたがる鑑定を組織として受ける仕組みが欲しいという意見が出たことがある(第12回議事要旨)。
民事訴訟法218条1項は,裁判所が相当の設備を有する法人に鑑定を嘱託できると定めているので,鑑定の嘱託も選択肢として検討できる。
第7 事件類型の動向
議事要旨では,各回に東京地方裁判所と大阪地方裁判所から事件の動向が報告されている。
平成29年以降に目立つとされた類型は,次のとおりである。
①外壁タイルの浮き・剥離(判断基準が確立しておらず,経年劣化との区別が難しいとされる)
②リフォーム(図面等の客観的な資料が乏しい)
③隣地の掘削・山留め工事による第三者の被害(施主,設計監理者及び施工者の責任が問題になる)
④元請と下請の間の紛争(契約前の着工,設計変更の精算方法の未定等が背景として指摘されている)
東京地方裁判所は,追加変更工事,工事の瑕疵及び出来高の3つの類型について審理モデルを判例タイムズに掲載し,一覧表を使う審理の要点を新しい事件の当事者と共有している(第19回・第20回議事要旨)。
審理モデルは,判例タイムズ1453号から1455号まで(追加変更工事・工事の瑕疵・出来高)と,1489号,1490号及び1495号(設計・監理の報酬請求,設計・監理の債務不履行・不法行為,第三者被害型)の6本であり,その内容は建築訴訟の審理モデルで整理している。
大阪地方裁判所は,令和6年7月にウェブサイトに掲載している一覧表の書式を改めた(第21回議事要旨)。
第8 代理人の実務上の対応
鑑定や専門家調停を申し出る前に,次の点を整えておくと,専門家の選定と鑑定が円滑に進む。
①瑕疵一覧表を先に作り,鑑定事項を「瑕疵に当たるか」ではなく,事実,数値,原因及び修補方法の形で書く。
②構造種別,建物種別,問題となる工種,施工時期及び積算の要否を1枚にまとめる。
③協力建築士や私的意見書の作成者の氏名と勤務先を早めに開示する。
④依頼者の予算を確認し,鑑定の範囲と方法を費用と併せて協議する。
⑤調停を使うなら争点整理の早い段階で申し出る。
⑥地元で鑑定人が見つからないときは,最高裁判所を通じた学会への推薦依頼を裁判所に求めることを検討する(推薦から終局までおおむね2年かかることを依頼者に説明しておく)。
第9 関連記事
建築訴訟の統計(令和6年)―審理期間,終局区分,瑕疵の種別,鑑定率及び付調停率
建築訴訟の審理モデル―東京地裁民事第22部が示した6類型の主張立証と一覧表・付調停による2年審理
医療訴訟の鑑定人はどう選ばれるか―医事関係訴訟委員会の推薦ルート,期間,費用及び鑑定人質問の実情
民事訴訟の鑑定事項書の作り方―鑑定人が答えやすく裁判所が評価できる質問設計
建設業者の不法行為責任等―建築瑕疵,契約不適合,破産及び石綿判例
裁判所の専門委員制度―関与手続,鑑定人との違い及び説明の証拠上の扱い
裁判所に設置されている主な委員会等―現行組織・活動終了・廃止の区別
第10 出典
1 法令・規則
①民事訴訟法(平成8年法律第109号)218条1項(e-Gov法令検索)
②民事調停法(昭和26年法律第222号)20条(e-Gov法令検索)
③民事訴訟費用等に関する法律(昭和46年法律第40号)26条(e-Gov法令検索)
④建築関係訴訟委員会規則(平成13年最高裁判所規則第6号,令和4年最高裁判所規則第3号改正)(裁判所ウェブサイト)
2 建築関係訴訟委員会の資料
①最高裁判所「建築関係訴訟委員会」(議事要旨・統計の一覧)
②建築関係訴訟委員会「答申」(平成17年6月)
③第12回分科会(平成16年2月13日)資料3(推薦依頼書のひな型),第18回(平成31年3月4日)・第19回(令和3年3月18日)・第20回(令和5年3月16日)・第21回(令和6年12月19日)議事要旨及び別添「鑑定人候補者推薦依頼一覧」(いずれも上記①のページに掲載)
④第20回建築関係訴訟委員会(令和5年3月16日)議事要旨及び別紙「鑑定料の検討に当たり考慮することが考えられる要素」
⑤建築関係訴訟委員会「建築事件において事案に適した専門分野の専門家を選定するために裁判所において把握することが考えられる情報等」(令和7年3月)
* 本記事は特定の裁判例を根拠としていないため,判例秘書による判例本文の確認は行っていない。