第1 本記事の対象と結論
1 本記事の対象
本記事は,認知症や精神障害等で判断能力を欠く人が権利を持っている場合に,その権利の消滅時効がどのように扱われるかを,民法158条と最高裁判所第二小法廷平成26年3月14日判決を中心に整理するものである。
あわせて,民法159条から161条までの権利者側の事情による完成猶予と,除斥期間について民法158条の法意を用いた最高裁判所第二小法廷平成10年6月12日判決との関係にも触れる。
調査基準日は令和8年9月19日であり,条文はe-Gov法令検索で取得した現行民法等の本文と照合し,判決は裁判所ウェブサイトの詳細頁と全文で確認した。
消滅時効全体の見取り図は消滅時効に関するメモ書きにある。
2 結論
民法158条1項は,時効の期間の満了前6か月以内の間に未成年者又は成年被後見人に法定代理人がないときは,法定代理人が就職した時等から6か月を経過するまで,その人に対して時効は完成しないと定める。
後見開始の審判をまだ受けていない人は,判断能力を欠いていても,条文上の「成年被後見人」には当たらない。
しかし,平成26年判決は,時効の期間の満了前6か月以内の間に精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある人に法定代理人がない場合において,少なくとも,時効の期間の満了前の申立てに基づき後見開始の審判がされたときは,民法158条1項の類推適用により,成年後見人が就職した時から6か月を経過するまでの間は,その人に対して時効は完成しないとした。
この救済を受けるには,①満了前6か月以内に判断能力を欠く常況にあったこと,②満了前に後見開始の申立てがされたこと,③その申立てに基づいて後見開始の審判がされたことが必要であり,④成年後見人は就職から6か月以内に権利を行使しなければならない。
時効の満了前に申立てがされていない場合に類推適用が認められるかは,平成26年判決の判断の外にある。
したがって,判断能力を欠く親族の権利について時効の満了が迫っているときは,満了前に後見開始の申立てをしておくことが決定的に重要である。
第2 民法158条の内容
1 条文
民法158条1項は「時効の期間の満了前六箇月以内の間に未成年者又は成年被後見人に法定代理人がないときは、その未成年者若しくは成年被後見人が行為能力者となった時又は法定代理人が就職した時から六箇月を経過するまでの間は、その未成年者又は成年被後見人に対して、時効は、完成しない。」と定める。
同条2項は「未成年者又は成年被後見人がその財産を管理する父、母又は後見人に対して権利を有するときは、その未成年者若しくは成年被後見人が行為能力者となった時又は後任の法定代理人が就職した時から六箇月を経過するまでの間は、その権利について、時効は、完成しない。」と定める。
いずれも,時効の完成を猶予する規定であり,時効期間を振り出しに戻す更新の効果はない。
完成猶予と更新の区別は,時効の完成猶予と更新の違い―旧法の中断・停止との対応関係と事由の一覧で整理している。
2 改正前民法との関係
改正前民法158条は,見出しが「時効の停止」であったほかは,現行民法158条と同じ文言である。
平成29年法律第44号附則10条2項は,施行日(令和2年4月1日)前に改正前民法158条から161条までの時効の停止の事由が生じた場合におけるこれらの事由の効力については,なお従前の例によるとしている。
もっとも,民法158条の文言は改正の前後で変わっていないから,平成26年判決の考え方は現行法の下でもそのまま参考になる。
3 規定の趣旨
平成26年判決は,民法158条1項の趣旨について,成年被後見人等は法定代理人を有しない場合には時効中断の措置を執ることができないのであるから,法定代理人を有しないにもかかわらず時効の完成を認めるのは成年被後見人等に酷であるとして,これを保護するところにあると述べている。
同判決は,さらに,同項が成年被後見人等だけを掲げているのは,その該当性や法定代理人の選任の有無・時期が形式的・画一的に確定し得る事実であり,時効を援用しようとする者の予見可能性を不当に奪うものとはいえないからであると説明している。
この二つの観点,すなわち権利者保護の必要性と,時効を援用しようとする者の予見可能性が,類推適用の可否を分ける基準になっている。
第3 最高裁平成26年3月14日判決
1 事案
最高裁判所第二小法廷平成26年3月14日判決(平成25年(受)第1420号,民集68巻3号229頁)の事案は,遺産の全部を長男に相続させる旨の遺言により遺留分を侵害された妻が,長男に対して遺留分減殺を原因とする登記手続等を求めたものである。
判決が引用する原審の確定した事実関係によれば,経過は次のとおりである。
①平成20年10月22日,夫が死亡し,妻はその時点で相続の開始と遺言の内容が減殺することのできるものであることを知っていた。
②平成21年6月30日,妻と任意後見契約を結んでいた弁護士が任意後見監督人の選任を申し立てたが,妻が同年7月24日に任意後見契約を解除したため,申立ては取り下げられた。
③平成21年8月5日,妻の子らが妻について後見開始の審判を申し立てた。
④平成22年4月24日,後見を開始し,成年後見人を選任する審判が確定した。
⑤平成22年4月29日,成年後見人が長男に対し,遺留分減殺請求権を行使する旨の意思表示をした。
遺留分減殺請求権の1年の消滅時効は,平成20年10月22日から進行するから,平成21年10月22日の経過をもって期間が満了する計算になる。
原審は,時効の期間の満了前に後見開始の審判を受けていない者に民法158条1項は類推適用されないとして,時効消滅を認めた。
2 判断
最高裁は,精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にあるものの,まだ後見開始の審判を受けていない者は,既にその申立てがされていたとしても民法158条1項にいう成年被後見人に該当しないとした。
その上で,そのような者も法定代理人を有しない場合には時効中断の措置を執ることができないから,成年被後見人と同様に保護する必要性があるとした。
また,その後に後見開始の審判がされた場合に同項の類推適用を認めても,時効を援用しようとする者の予見可能性を不当に奪うものとはいえないときもあり得るとし,申立てがされた時期,状況等によっては類推適用を認める余地があるとした。
そして,時効の期間の満了前6か月以内の間に精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者に法定代理人がない場合において,少なくとも,時効の期間の満了前の申立てに基づき後見開始の審判がされたときは,民法158条1項の類推適用により,法定代理人が就職した時から6か月を経過するまでの間は,その者に対して時効は完成しないと判示した。
本件については,後見開始の申立て(平成21年8月5日)が1年の時効期間の満了前にされているから,妻が満了前6か月以内の間に事理を弁識する能力を欠く常況にあったことが認められれば,成年後見人が就職した平成22年4月24日から6か月を経過するまでの間は時効が完成しないことになるとし,その点を審理させるため事件を東京高等裁判所に差し戻した。
3 日付で見た当てはめ
この事案を日付で追うと,時効期間の満了は平成21年10月22日であり,その前6か月以内の期間は平成21年4月22日頃から同年10月22日までである。
後見開始の申立ては平成21年8月5日であり,満了前にされている。
成年後見人の就職は平成22年4月24日であり,そこから6か月を経過するまで,すなわち平成22年10月24日の経過までは時効が完成しない。
成年後見人は,就職の5日後の平成22年4月29日に遺留分減殺請求権を行使しているから,類推適用の要件を満たせば,権利は時効で消滅していないことになる。
差戻し後に残ったのは,妻が満了前6か月以内に事理を弁識する能力を欠く常況にあったかという事実認定の問題である。
4 判断の射程
平成26年判決は「少なくとも」という限定を付けており,類推適用が認められる典型の場合を示したにとどまる。
第一に,時効の期間の満了後に後見開始の申立てがされた場合に類推適用が認められるかについては,判決は判断していない。
判決は,申立ての時期・状況等によっては類推適用の余地があるとしつつ,類推適用を認めた場合として示したのは満了前の申立ての場合だけであるから,満了後の申立てで救済を受けられるかは,同判決から直ちには導けない。
第二に,後見開始の申立てがされていても,後見開始の審判がされなければ類推適用の前提を欠く。
第三に,満了前6か月以内の間に「事理を弁識する能力を欠く常況」にあったことは,類推適用を主張する側が立証すべき事実であり,診断書,介護記録,後見開始の審判の際の鑑定・診断の資料等で裏付ける必要がある。
第四に,判決が対象としたのは後見開始の審判がされた場合であり,保佐開始・補助開始の審判がされた場合や,任意後見契約がある場合の扱いには触れていない。
被保佐人・被補助人は民法158条1項の「未成年者又は成年被後見人」に当たらず,保佐人・補助人は当然には代理権を持たない(民法876条の4・876条の9参照)から,これらの場面は別に検討が要る。
第4 平成10年6月12日判決との関係
1 除斥期間への民法158条の法意の適用
最高裁判所第二小法廷平成10年6月12日判決(平成5年(オ)第708号,民集52巻4号1087頁)は,予防接種により重度の心身障害者となった被害者の国家賠償請求について,改正前民法724条後段の20年を除斥期間と解しつつ,その効果を制限した。
同判決は,民法158条の趣旨を,無能力者は法定代理人を有しない場合には時効中断の措置を執ることができないから,時効の完成を認めるのは酷であるとしてこれを保護するところにあると述べた。
その上で,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において当該不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6か月内に損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法158条の法意に照らし,改正前民法724条後段の効果は生じないと判示した。
2 両判決の違い
平成10年判決は,除斥期間について,心神喪失の常況が加害行為そのものによって生じた場合に,民法158条の「法意」に照らして除斥期間の効果を制限したものである。
平成26年判決は,通常の消滅時効について,判断能力を欠く原因を問わず,民法158条1項を「類推適用」したものである。
平成10年判決の事案では,被害者が禁治産宣告(現在の後見開始の審判に当たる)を受けたのは,昭和27年の接種から20年を経過した後の昭和59年であったが,心神喪失の原因を与えた加害者が20年の経過で義務を免れるのは著しく正義・公平の理念に反するという事情が重視されている。
これに対し,平成26年判決は,加害者が判断能力の喪失の原因を作ったかどうかを問わない代わりに,満了前の申立てという予見可能性を支える事情を求めていると整理できる。
改正前民法724条後段の除斥期間と最高裁令和6年7月3日大法廷判決による判例変更については,改正前民法724条後段の除斥期間と最高裁令和6年7月3日大法廷判決―信義則・権利濫用による制限と判例変更の射程で扱う。
3 現行民法724条2号との関係
現行民法724条2号の「不法行為の時から二十年間」は消滅時効として定められているから,令和2年4月1日の施行の際に20年が経過していなかった不法行為については,民法158条以下の完成猶予の規定が時効の規定として問題になる(平成29年法律第44号附則35条1項参照)。
被害者が成年被後見人であれば民法158条1項が直接適用され,後見開始の審判を受けていない被害者については平成26年判決の類推適用の枠組みが問題になると考えられる。
第5 実務上の対応
1 時効の満了前に後見開始を申し立てる
判断能力を欠く親族が持つ権利(遺留分侵害額請求権,損害賠償請求権,貸金債権,過払金返還請求権等)について時効の満了が迫っているときは,満了前に後見開始の審判を申し立てることが,平成26年判決の救済を受けるための前提になる。
後見開始の審判は,本人,配偶者,4親等内の親族等の請求によってすることができる(民法7条)。
遺留分侵害額の請求権は,相続の開始及び遺留分を侵害する贈与又は遺贈があったことを知った時から1年で時効によって消滅する(民法1048条)から,判断能力が低下した高齢の配偶者が遺留分権利者となる場面では特に期間が短い。
遺留分侵害額請求の期間と手続は,遺留分侵害額請求の期限と手続―内容証明・交渉・調停・訴訟・必要書類で扱っている。
2 審判前の保全処分
後見開始の申立てがあった場合において,成年被後見人となるべき者の財産の管理のため必要があるときは,家庭裁判所は,後見開始の審判が効力を生ずるまでの間,財産の管理者を選任することができる(家事事件手続法126条1項)。
審判前の保全処分の要件と手続は,後見等開始の審判前の保全処分――財産の管理者,後見命令及び職務執行停止で扱っている。
もっとも,審判前の保全処分で選任された財産の管理者が民法158条1項の「法定代理人」に当たるか,また財産の管理者が時効の完成猶予・更新のための手続をとれるかは,本記事では確認できた資料の範囲に含めていない。
財産の管理者の権限で訴えの提起等ができるなら,それによって時効の完成を防ぐことを優先して検討すべきである。
3 就職から6か月以内に権利を行使する
民法158条1項(又はその類推適用)による完成猶予は,成年後見人の就職から6か月で終わる。
成年後見人は,就任後,本人の財産を調査する中で,時効の満了が近い権利がないかを最初に確認し,6か月以内に訴えの提起その他の完成猶予・更新の手続をとる必要がある。
平成26年判決の事案では,成年後見人は遺留分減殺請求権を行使する旨の意思表示を相手方にすることで権利を行使している。
遺留分侵害額請求権を行使した結果生ずる金銭の支払請求権については,別に消滅時効が問題になると考えられるから,意思表示をした後の管理も怠れない。
成年後見人が本人の古い債務の返済を求められた場面については,成年後見人は本人の古い借金を返してよいか――債務の存否の確認,消滅時効の援用及び家庭裁判所への連絡票で扱っている。
4 後見人に対する権利(民法158条2項)
成年被後見人がその財産を管理する後見人に対して権利を有するときは,成年被後見人が行為能力者となった時又は後任の法定代理人が就職した時から6か月を経過するまで,その権利について時効は完成しない(民法158条2項)。
後見人による本人財産の使い込みが後から発覚した場合に,本人の損害賠償請求権が後見人の在任中に時効にかかってしまうことを防ぐ規定である。
後任の成年後見人は,就職から6か月以内に前任者に対する請求の手続をとる必要がある。
5 債務者の側が判断能力を欠く場合
民法158条は,判断能力を欠く人に「対して」時効が完成しないとする規定であり,判断能力を欠く人が債務者である場合に債権者の時効を止める規定ではない。
債務者が判断能力を欠き,法定代理人がいない場合,債権者は,未成年者又は成年被後見人に対し訴訟行為をしようとする者として,遅滞のため損害を受けるおそれがあることを疎明して,受訴裁判所の裁判長に特別代理人の選任を申し立てることができる(民事訴訟法35条1項)。
後見開始の審判を受けていない債務者について特別代理人の選任が認められるかは,本記事では扱っていない。
債権者としては,時効の満了前に,催告や訴えの提起等の手続を検討する必要がある。
第6 その他の権利者側の事情による完成猶予
1 夫婦間の権利(民法159条)
民法159条は,夫婦の一方が他の一方に対して有する権利については,婚姻の解消の時から6か月を経過するまでの間は時効は完成しないと定める。
婚姻中は夫婦間で権利を行使しにくいことを考慮した規定であり,離婚や配偶者の死亡の後に,婚姻中の貸金等の請求を検討する場面で意味を持つ。
2 相続財産(民法160条)
民法160条は,相続財産に関しては,相続人が確定した時,管理人が選任された時又は破産手続開始の決定があった時から6か月を経過するまでの間は時効は完成しないと定める。
最高裁判所第三小法廷平成21年4月28日判決(平成20年(受)第804号,民集63巻4号853頁)は,被害者を殺害した加害者が相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人が確定しないまま殺害の時から20年が経過した場合において,その後相続人が確定した時から6か月内に相続人が損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法160条の法意に照らし,改正前民法724条後段の効果は生じないとした。
相続人に判断能力を欠く人がいる場合の遺産分割は,相続人に認知症・精神障害等で判断能力を欠く人がいる場合の遺産分割で扱っている。
3 天災等(民法161条)
民法161条は,時効の期間の満了の時に当たり,天災その他避けることのできない事変のため民法147条1項各号又は148条1項各号に掲げる事由に係る手続を行うことができないときは,その障害が消滅した時から3か月を経過するまでの間は時効は完成しないと定める。
改正前民法161条では障害が消滅した時から2週間とされていたが,改正により3か月に延ばされた。
この規定は「時効の期間の満了の時に当たり」障害がある場合に限られるから,満了前に障害が消滅していれば適用されない。
第7 関連記事
消滅時効全体は消滅時効に関するメモ書きで,完成猶予と更新の区別は時効の完成猶予と更新の違い―旧法の中断・停止との対応関係と事由の一覧で扱っている。
催告と協議の合意は内容証明による催告と協議を行う旨の合意―6か月の完成猶予,再度の催告及び民法151条の使い方で扱う。
成年後見に関しては,後見等開始の審判前の保全処分――財産の管理者,後見命令及び職務執行停止,成年後見人は本人の古い借金を返してよいか――債務の存否の確認,消滅時効の援用及び家庭裁判所への連絡票及び相続人に認知症・精神障害等で判断能力を欠く人がいる場合の遺産分割がある。
遺留分については,遺留分に関するメモ書きもある。
第8 出典・参考資料
1 法令
①民法(明治29年法律第89号)7条,11条,15条,158条~161条,724条,876条の4,876条の9,1048条(e-Gov法令検索で現行条文を確認)
②改正前民法(令和2年3月31日時点)158条~161条(e-Gov法令検索の時点指定で確認)
③民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)附則10条,35条
④家事事件手続法(平成23年法律第52号)126条
⑤民事訴訟法(平成8年法律第109号)35条
2 裁判例
①最高裁判所第二小法廷平成26年3月14日判決(平成25年(受)第1420号,民集68巻3号229頁)裁判所ウェブサイト
②最高裁判所第二小法廷平成10年6月12日判決(平成5年(オ)第708号,民集52巻4号1087頁)裁判所ウェブサイト
③最高裁判所第三小法廷平成21年4月28日判決(平成20年(受)第804号,民集63巻4号853頁)裁判所ウェブサイト