第1 この記事の対象と結論
1 対象と基準日
本記事は,成年後見人が,成年被後見人(以下「本人」という。)の親族等から「昔,本人にお金を貸した」と申し出を受けたときに,本人の財産から返済してよいか,返済する前に何を確かめ,家庭裁判所にどう連絡すべきかを整理するものである。
基準日は令和8年9月19日であり,法令は同日時点の現行条文と,平成29年法律第44号による改正前の条文を,いずれもe-Gov法令検索で確認した。
裁判例は,裁判所ウェブサイトの裁判例検索及び判例秘書で確認した。
家庭裁判所の運用は,大阪家庭裁判所が後見人等に交付している「成年後見人・保佐人・補助人ハンドブック(Q&A付き)」(令和8年2月1日版。以下「大阪家裁ハンドブック」という。)で確認できた範囲で書く。
2 結論
①成年後見人は本人の債務を本人の財産から返済しなければならないが,貸主が金融機関以外で契約書がない場合には,まず本当に債務があるのかを確かめる必要がある(大阪家裁ハンドブック17頁)。
②古い借金であれば,消滅時効が完成していないかを確かめる必要がある。
令和2年4月1日より前に生じた貸金債権の時効期間は改正前の民法によるから,10年である。
③時効完成後に後見人が返済し,又は債務を認めると,本人は時効完成を知らなかったとしても時効を援用できなくなる(最高裁昭和41年4月20日大法廷判決)。
④時効を援用するか,道義的な理由から返済するかは,本人の意思を踏まえて後見人が判断するが,時効を検討しないまま返済することは避けるべきである。
⑤返済する場合も援用する場合も,債務の内容,存否の判断,時効の検討結果,本人の意思及び後見人の方針を書いた連絡票を,事前に家庭裁判所へ出す。
⑥後見人自身が本人に対する貸付金を主張する場合には,自分への返済を自分だけで判断して実行することは避け,後見監督人がいなければ特別代理人の選任を申し立てて,債務の存否や時効の援用を特別代理人に判断させるのが安全である(第8)。
第2 大阪家裁ハンドブックの記載と記載例
1 ハンドブックの説明
大阪家裁ハンドブックは,本人の財産から支出できるものの一つとして,本人が第三者に対して負っている債務の返済を挙げている(16頁)。
他方で,本人が経済的に困っていた時期に身内から証書も作らずに受け取った金員のように,贈与なのか借金なのかがあいまいなものもあるとして,次のように述べている(17頁)。
「したがって、貸主が金融機関以外の場合で、正式な契約書等が残っていないような場合については、被後見人が本当に債務を負っているかどうか十分確認する必要があります。」
その上で,「いずれにせよ、被後見人の債務を返済する場合には、必ず、誰に対する、どのような債務につき、いくら返済するのかを簡潔に記載し、債務の存否を判断しかねる場合にはその旨も記載した上で、連絡票を用いて裁判所に連絡をしてください」としている(17頁)。
債務の返済は,事前に連絡票で裁判所に連絡すべき事項の一つとして挙げられており,添付資料は借用書の写しなどとされている(大阪家裁ハンドブック25頁,41頁)。
2 連絡票の記載例6
大阪家裁ハンドブックの書式集には,連絡票の記載例(No.6-2)があり,その記載例6は「債務を返済する場合」である。
内容は,本人が兄から昭和の時期に300万円を借りていたことが判明したこと,当時本人は離婚の慰謝料などで金が必要だったらしいこと,借用書は残っていないが昭和の時期に本人名義の口座へ250万円が振り込まれていることから,兄の話を信用して一括返済したい,というものである。
3 記載例6に書かれていないこと
記載例6は,連絡票の書き方の見本であり,法的な判断の見本として作られたものではないと考えられる。
そのまま自分の事案に当てはめると,少なくとも次の三つの確認が抜け落ちる。
①振り込まれた250万円が,貸付けなのか贈与なのか。
②申出の300万円と振込額の250万円の差額50万円の説明。
③昭和の時期の借入れについて,消滅時効が完成していないか。
以下,順に述べる。
第3 債務が本当に存在するかを確かめる
1 貸付けか贈与か
金銭の消費貸借は,当事者の一方が同じ種類・品質・数量の物で返還することを約束して,相手方から金銭その他の物を受け取ることによって効力を生ずる(民法587条。昭和の時期の貸付けに適用される改正前の同条も同じ文言である)。
したがって,貸付けといえるためには,お金を受け取った事実だけでなく,返還の約束があったことが必要である。
本人名義の口座への振込みの記録は,お金が本人に渡った事実の裏付けにはなるが,返還の約束があったことまでは示さない。
親族間の金銭の授受では,援助(贈与)として渡したものを,後になって貸したと考えるようになることもあるので,大阪家裁ハンドブックが贈与か借金かを確かめるよう求めているのは,この点を指している。
東京地裁令和7年9月1日判決(令和6年(ワ)第30419号)は,兄が弟に対し,平成14年から平成15年にかけて毎月10万円を返還の時期を定めずに貸し付けたと主張して,合計180万円の返還を求めた事案である。
判決は,兄が経営する会社から弟の口座への毎月の振込みは認めたが,弟が入院して銀行への返済に困っていた時期に兄が返済を引き受けたという経緯からすると,弟が兄の援助と受け止めたとしても不自然ではないとして,返還の約束を認めず,請求を棄却した。
会社の会計帳簿や確定申告書に貸付金として記載されていたことも,会社の会計上の処理を示すにとどまり,兄弟間の返還の約束の裏付けにはならないとされている。
同判決は,兄が提出した弟名義の領収証についても弟が作成したとは認めず,仮に貸付けがあったとしても改正前の民法による消滅時効が完成しているとも判断している(判例秘書登載。裁判所HP未掲載)。
振込みの記録があることと,返還の約束があったことは別の問題であることを示す例である。
2 確認に使う資料と聴取
確認には,次のような資料と聴取が考えられる。
①借用書,念書,手紙,メール,メモなど,返還の約束をうかがわせる書面。
②本人名義の口座の入出金の記録。振込みの日付と金額,その後に貸主へ送金した記録があるか。
③本人自身の説明。判断能力が低下していても,当時の事情を覚えていることがあるので,本人の話を聞かずに決めない。
④貸主以外の親族の認識。貸主が推定相続人でもある場合,返済は他の相続人の取り分を減らすことになるので,他の親族の認識も聞いておくと後の紛争を防ぎやすい。
⑤過去に本人が一部を返済した記録。返済の記録は債務があったことの有力な裏付けになるが,後で述べるとおり,時効との関係では債務の承認に当たる可能性がある。
3 金額の食い違い
記載例6では,申出額が300万円で,振込みの記録は250万円である。
差額50万円が現金で渡されたのか,利息なのか,申出の記憶違いなのかによって,返済すべき額は変わる。
貸主の説明だけで申出額どおりに返済するのではなく,裏付けのある額と,裏付けのない額を分けて検討し,連絡票にもその区別を書くべきである。
第4 消滅時効が完成しているかを確かめる
1 改正前の民法が適用される
平成29年法律第44号による民法の改正は,令和2年4月1日に施行された。
同法附則10条4項は,施行日前に債権が生じた場合におけるその債権の消滅時効の期間については,なお従前の例によると定めている。
同条1項は,施行日前に債権が生じた場合の消滅時効の援用について,同条2項は,施行日前に生じた時効の中断の事由の効力について,それぞれなお従前の例によると定めている。
したがって,昭和の時期の貸付けであれば,時効期間,援用及び施行日前の中断は,改正前の民法によって判断する。
2 時効期間と起算点
改正前の民法167条1項は,債権は10年間行使しないときは消滅すると定め,改正前の民法166条1項は,消滅時効は権利を行使することができる時から進行すると定めていた。
返還の時期を定めていた貸付けであれば,その時期から10年で時効が完成するのが原則である。
返還の時期を定めなかった場合は,貸主は相当の期間を定めて返還を催告することができる(改正前の民法591条1項)。
東京高裁昭和41年6月17日判決(昭和40年(ネ)第829号,金融・商事判例14号8頁。判例秘書登載,裁判所HP未掲載)は,返済期の定めのない消費貸借上の債務について,貸主はいつでも相当の期間を定めて返還を催告して権利を行使できるから,催告をしていなくても,貸借成立の時から相当の期間を経過した時点から消滅時効が進行するとし,その事案では長くとも債務成立後1か月で相当の期間を経過したとした。
高裁の判断であり最高裁判例ではないが,この考え方によれば,返還の時期を定めない親族間の貸付けも,貸付けから間もなく時効が進行を始めることになる。
もっとも,昭和の時期の貸付けであれば,後で述べる中断の事由がない限り,どの時点を起算点としても10年はとうに経過していることが通常である。
なお,令和2年4月1日以後に生じた貸金債権は,債権者が権利を行使することができることを知った時から5年,権利を行使することができる時から10年のいずれか早い方で時効にかかる(現行の民法166条1項)。
3 中断の事由を確かめる
改正前の民法147条は,請求,差押え・仮差押え・仮処分,承認を時効の中断の事由としていた。
中断した時効は,その中断の事由が終了した時から新たに進行する(改正前の民法157条1項)。
たとえば,本人が20年前に一部を返済していれば,その一部返済は債務の承認に当たり得るので,そこから新たに10年を数えることになる。
そのため,時効の完成を判断するには,貸付けの時期だけでなく,本人がその後に一部を返済し,又は返済の猶予を頼んだことがないか,貸主が裁判を起こしたことがないかを確かめる必要がある。
施行日以後の出来事については,現行の民法の完成猶予・更新の規定(承認による更新は152条)が問題になる。
第5 後見人が返済し又は債務を認めると援用できなくなる
1 時効完成後の承認
最高裁昭和41年4月20日大法廷判決(昭和37年(オ)第1316号,民集20巻4号702頁)は,次のように判示した。
「債務者が、消滅時効完成後に債権者に対し当該債務の承認をした場合には、時効完成の事実を知らなかつたときでも、その後その時効の援用をすることは許されないと解すべきである。」
判決は,その理由として,時効完成後に債務を承認すると,債権者は債務者がもう時効を援用しないだろうと考えるので,その後の援用を認めないのが信義則に照らし相当であることを挙げている。
同判決は,時効完成後に承認したことから時効完成を知って承認したと推定することは許されないとも判示している。
2 承認後に再び10年が経過した場合
最高裁昭和45年5月21日第一小法廷判決(昭和44年(オ)第1131号,民集24巻5号393頁)は,次のように判示した。
「債務者が、消滅時効の完成後に、債権者に対し当該債務を承認した場合においても、以後ふたたび時効は進行し、債務者は、再度完成した消滅時効を援用することができる。」
この事案では,債務者が債権者に対し支払の猶予を求めたことが,時効完成後の債務の承認に当たるとされていた(原審の判断であり,最高裁判決もこれを前提に判断している)。
つまり,返済そのものだけでなく,「少し待ってほしい」「分割なら払う」と伝えることも,債務の承認と評価されることがある。
3 後見人の行為は本人の行為になる
成年後見人は,本人の財産を管理し,財産に関する法律行為について本人を代表する(民法859条1項)。
後見人が本人の代理人として貸主に返済し,又は債務を認める発言をすれば,それは本人がした承認として扱われると考えられる。
したがって,後見人が時効を検討しないまま「確認してお返しします」と貸主に伝えたり,一部だけでも返済したりすると,本人が時効を援用する機会を後見人が失わせることになりかねない。
貸主から申出を受けた段階では,債務を認めるかどうかを留保し,「確認した上で家庭裁判所に連絡する」とだけ伝えるのが安全である。
第6 援用するか返済するかの判断
1 後見人は本人に代わって時効を援用できる
消滅時効は,当事者が援用しなければ,裁判所がこれによって裁判をすることができない(改正前の民法145条,現行の民法145条)。
成年後見人は本人の財産に関する法律行為について本人を代表する(民法859条1項)から,本人に代わって時効を援用することができると考えられる。
援用は,後日の紛争に備え,内容証明郵便など記録の残る方法で行うのが通常である。
2 本人の意思を確かめる
成年後見人は,本人の財産の管理に関する事務を行うに当たっては,本人の意思を尊重し,かつ,その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない(民法858条)。
時効の援用は,法律上の権利ではあるが,親族から受けた恩義に報いたいという本人の気持ちと衝突することがある。
大阪家裁ハンドブックは,本人にとって重大な影響を与える行為について,後見人が本人の意思を確認することなく自分の価値観に基づいて権限を行使してはならないとし,意思決定支援は支援者とともにチームで行うものとしている(52頁)。
本人が兄から助けてもらったことを覚えていて,返したいと明確に述べている場合と,本人の意思を確認できない場合とでは,判断の重みが異なる。
3 返済を選ぶ場合の位置付け
時効が完成している債務をあえて返済することは,法的な義務の履行というより,本人の財産を親族のために使う支出に近い性格を持つ。
大阪家裁ハンドブックは,本人の財産を配偶者や子,孫などに贈与し,又は貸し付けることは原則として認められないとしている(17頁)。
したがって,時効が完成している債務を返済する場合には,本人の明確な意思,本人の財産の額と今後の収支の見通し,他の推定相続人の認識などから,その支出が相当であることを説明できるようにしておく必要がある。
親族のための支出の考え方は,成年後見人は本人の財産から何に支出できるか――親族の交通費・祝い金・扶養・贈与と大阪家裁の考え方で扱っている。
4 善管注意義務と責任
成年後見人は,善良な管理者の注意をもって後見の事務を処理する義務を負う(民法869条による644条の準用)。
時効が完成していることを検討しないまま本人の財産から返済し,本人に損害を与えた場合には,損害賠償を求められる可能性がある。
また,後見人に不正な行為,著しい不行跡その他後見の任務に適しない事由があるときは,家庭裁判所は後見人を解任することができる(民法846条)。
返済すること自体が直ちに任務違反になるわけではないが,検討の過程と判断の理由を記録に残しておくことが,後見人自身を守ることにもなる。
家庭裁判所の裁判官と書記官が執筆した実務書も,被後見人の債務の弁済について,後見人は,契約書,借用証などの客観的な資料を確認し,債務の有無や内容を正確に把握した上で弁済すべきであるとし,「時効にかかった債務や被後見人の判断能力の低下に乗じて作成された債務については,法的措置を講じるべきである。」としている(片岡武ほか『第2版 家庭裁判所における成年後見・財産管理の実務』66頁)。
なお,基準日時点で,判例秘書で「成年後見人」「時効」「善管注意義務」等の語を組み合わせて検索した範囲では,後見人が時効の完成した債務を本人の財産から弁済したことを理由に責任を問われた裁判例は見当たらなかった。
後見人の責任が問題となる場面は,上記の条文の一般原則によって判断されることになる。
第7 家庭裁判所への連絡票
1 事前に連絡する
債務の返済は,事前に連絡票で家庭裁判所に連絡すべき事項である(大阪家裁ハンドブック25頁,41頁)。
大阪家裁ハンドブックは,後見人が本人の利益のために何をすべきかは基本的に後見人の責任で判断することであり,裁判所は相談に応じたり具体的な指示をしたりしないとしている(24頁,40頁)。
疑問点を書く場合も,疑問点だけでなく,それに対して後見人等がどのようなことをしようとしているのか(方針や後見人の考え)を必ず書くよう求めている(40頁)。
そのため,連絡票には「返してよいでしょうか」と尋ねるのではなく,検討の結果と後見人の方針を書く。
回答が必要な場合は「要回答」にチェックを入れ,裁判所は連絡票を受け取ってから2週間を目途に電話で連絡するとされている(40頁)。
2 連絡票に書く事項
記載例6に加えて,次の事項を書くと,裁判所が判断の過程を確認しやすい。
①誰に対する,いつ生じた,いくらの債務か。
②債務の存在を裏付ける資料と,裏付けのない部分。
③時効の検討結果。貸付けの時期,返還の時期の定めの有無,中断の事由の有無,時効が完成しているかどうか。
④本人の意思。確認した方法と本人の発言。確認できない場合はその理由。
⑤後見人の方針。援用するのか,返済するのか,その理由。
⑥返済する場合は,返済額が本人の財産と今後の収支に与える影響。
⑦貸主が推定相続人である場合は,他の推定相続人の認識。
3 書き方の例
次は,時効を検討した場合の書き方の例である(架空の事例である。)。
本人の兄から,昭和60年頃に本人に300万円を貸したとして返済を求められました。
借用書はありませんが,昭和60年5月に本人名義の○○銀行口座へ兄から250万円が振り込まれた記録があります。
差額50万円については,兄は現金で渡したと言っていますが,裏付けはありません。
本人は「兄に助けてもらった」と話していますが,借りたのか,もらったのかについては,はっきりした説明ができません。
その後本人が兄に返済した記録は見当たらず,兄が裁判を起こしたこともありません。
改正前の民法167条1項により10年の時効期間が経過しており,時効が完成していると考えます。
本人の預貯金は約800万円で,毎月の収支は約3万円の赤字です。
以上から,時効を援用し,兄には返済しない方針です。
本人の長女・二女にもこの方針を伝え,異論はないとのことでした。
兄には,後見人として支払をお断りする旨を内容証明郵便で通知する予定です。
不明な点や問題点があったら連絡してください。
4 その後の報告
時効を援用した後に貸主が訴訟を起こし,又は示談が成立したときは,そのことも連絡票で連絡すべき事項である(大阪家裁ハンドブック26頁,41頁)。
返済した場合は,定期報告の後見等事務報告書で,1回につき10万円以上の臨時支出として別紙収支補足説明書に記載し,資料を付ける(大阪家裁ハンドブック書式集No.4-1)。
定期報告書の書き方は,令和7年4月全国統一書式による後見等事務報告書・報酬付与申立事情説明書の書き方で扱っている。
5 他の家庭裁判所の扱い
債務の返済を家庭裁判所への連絡事項とするかどうかは,家庭裁判所によって扱いが異なる。
東京家庭裁判所後見センターの「成年後見人・保佐人・補助人ハンドブック(Q&A付き)」(令和7年4月)は,疑問が生じたか否かに関わらず裁判所への連絡が必要な場合の具体例として「債務を返済する場合」を挙げ,「誰に対するどのような債務につき、いくら返済するのかを簡潔に記載してください」としている(12頁~13頁)。
同ハンドブックは,「債務について証書等が残っていない場合は、被後見人が本当に債務を負っているかどうか十分確認する必要があります。そういった事情がある場合には、弁済する前に裁判所又は後見監督人に連絡してください。」ともしている(33頁)。
さいたま家庭裁判所の後見人等向けQ&A(令和6年12月)は,大阪家裁ハンドブックと同じく「「貸した」という相手が金融機関以外の場合で、証書等が残っていない場合については、本人が本当に債務を負っているかどうか、十分に確認する必要があります。」とし,その場合は弁済をする前に連絡票で裁判所に相談するよう求めている(27頁)。
福岡家庭裁判所の成年後見人向けQ&A(R7.10版)は,身内から借用書等を作らずに融通された金員について,「贈与なのか貸金なのか明確に区別ができません。したがって、そのような場合には、弁済する前に家庭裁判所にご相談ください。」としている(8頁)。
名古屋家庭裁判所の「成年後見人・保佐人・補助人ハンドブック」(R8.4一部改訂)は「法律的な趣旨があいまいなものもありますので、その場合は、弁済する前に家庭裁判所に相談してください」とし(19頁),京都家庭裁判所の「成年後見人ハンドブック 早わかり 成年後見人」(令和7年3月改訂版)は「必要であれば、弁済する前に法律の専門家や裁判所に相談してください。」としている(22頁)。
いずれの資料も,債務が本当に存在するかの確認は求めているが,基準日時点で確認した範囲では,消滅時効に触れたものは見当たらなかった。
大阪以外の家庭裁判所で選任された後見人も,事前の相談が必須とされているかどうかにかかわらず,時効の検討結果を含めて裁判所に連絡しておくのが安全である。
第8 貸主が後見人自身である場合
後見人自身が「本人に貸していた」と主張する場合,債務があるか,時効を援用するかを判断するのが,返済を受ける立場の後見人自身になる。
後見人と本人との利益が相反する行為については,後見監督人がいる場合を除き,本人のために特別代理人の選任を請求しなければならない(民法860条による826条の準用)。
他方で,民法108条は,自己契約・双方代理を無権代理とみなしつつ債務の履行を例外としている(同条1項ただし書)が,代理人と本人との利益が相反する行為についての同条2項には,債務の履行の例外は置かれていない。
最高裁昭和42年4月18日第三小法廷判決(昭和40年(オ)第1499号,民集21巻3号671頁)は,利益相反行為に当たるかどうかは,親権者が子を代理してした行為自体を外形的客観的に考察して判定すべきであって,親権者の動機,意図をもって判定すべきでないとした原判決の判断を正当としている(親権者の事案である。)。
本人の財産から後見人自身に支払う行為は,外形上,本人の財産が後見人に移る行為である。
他方で,大阪家裁ハンドブックは,後見人が立て替えた本人の施設利用料等を清算することを,特別代理人の選任ではなく連絡票で連絡すべき事項としており(41頁),書式集の記載例9も,後見人が立て替えた施設利用料100万円を保険金の入金後に清算したいという内容である。
後見の事務の費用は本人の財産の中から支弁するとされていること(民法861条2項)からすると,存在と金額が領収書等で明らかな立替金の清算は,家庭裁判所に連絡票で連絡した上で行うのが大阪家裁の運用と読める。
東京家庭裁判所後見センターのハンドブックも,立替金を清算する場合を連絡票で連絡すべき具体例とし,「後見人等としてその立替金債務の存否を判断しかねる場合は、その旨も記載してください。」としている(14頁)。
同センターの「後見センターレポート」vol.27(令和4年8月)は,第三者(親族,成年後見人を含む。)が本人のために必要な費用を立て替えた場合は本人の財産から精算することになるとした上で,領収書等が存在しない場合の精算は,その理由や精算の根拠を事前に連絡票で裁判所に連絡するよう求めている。
千葉家庭裁判所後見係の「よくある質問(成年後見編)」も,本人の生活費を後見人が立て替えていた場合について,「少額の場合は後見人の裁量で判断していただいて構いませんが、定期報告の際に立替金の報告及び裏付けとなる資料を提出してください」とした上で,「多額であったり、裏付資料が存在しなかったり、精算の可否について判断に迷ったりした場合には、精算する前に連絡票等を提出して裁判所に相談してください。」としている(12頁,Q49)。
このように,家庭裁判所の運用は,後見人自身に対する支払であっても,存否や金額に疑問のある場合を含めて,特別代理人の選任ではなく事前の連絡票で把握する形をとっている。
これに対し,後見人が「以前に本人に貸していた」と主張する貸付金は,債務があるか,時効を援用するかの判断そのものが後見人自身の利益に直結する。
民法108条1項ただし書が債務の履行を例外とする理由について,我妻榮ほか『第6版 我妻・有泉コンメンタール民法―総則・物権・債権―』234頁は,債務の履行はすでに確定した法律関係を決済するだけで,これによって当事者間に新しく利害関係が生じるものではなく,本人の利益を不当に害する心配がないからであるとし,「債務の履行」は文字通りに解釈せず,当事者間に新しく利益の交換を生じることのない行為の意味に解されているとしている。
この趣旨からすると,債務があるかどうかや時効を援用するかどうかに争いがある後見人自身の貸付金を弁済することは,確定した法律関係の決済とはいえず,本人の利益を害するおそれがあるから,同ただし書の例外には当たらないと考えられる。
基準日時点で,判例秘書の判例検索(「利益相反」「債務の履行」「後見人」等)及び判例雑誌の解説(コメント)の検索並びに後掲の文献で確認した範囲では,この場面を直接扱った裁判例は見当たらなかった。
もっとも,東京家庭裁判所の裁判官が執筆した論稿は,成年後見人と本人との取引について,特別代理人等を選任するのではなく家庭裁判所から事実上の了承を得て済ませようとする問合せがあるとした上で,「家庭裁判所が了承しても無権代理であることは変わらない。後日の紛争を回避するためには,特別代理人等を選任すべきである。」としている(小西洋「成年後見人等の財産に関する権限と限界」判例タイムズ1406号17頁。同論稿は,意見にわたる部分は個人的見解であるとしている。)。
したがって,後見人が本人に対する貸付金を主張する場合には,自分への返済を自分だけで判断して実行することは避け,後見監督人がいなければ特別代理人の選任を申し立てて,債務の存否や時効の援用を特別代理人に判断させるのが安全である。
少なくとも,資料をそろえて事前に連絡票で家庭裁判所に方針を示し,特別代理人の選任の要否を含めて家庭裁判所の判断を仰ぐべきである。
後見監督人が選任されている場合,大阪家裁ハンドブックは,後見人が本人との間で金銭の貸し借り等があれば後見監督人に申し出るよう求めている(27頁)。
民法855条は,後見人が本人に対して債権を有する場合に,後見監督人があるときは財産の調査に着手する前にこれを後見監督人に申し出なければならず(1項),本人に対し債権を有することを知って申し出ないときはその債権を失うと定めている(2項)。
実務書は,申し出なかった債権は絶対的に消滅するとし,後見監督人が選任されていない場合には成年後見人にこの申出の義務はないとしている(大阪弁護士会高齢者・障害者総合支援センター編『【全訂版】成年後見人の実務2023』191頁)。
また,東京家庭裁判所後見センターのハンドブックは,後見監督人を選任する場合の一つとして,「後見人と被後見人との間に高額な貸借や立替金があり、その清算の可否等について被後見人の利益を特に保護する必要がある場合」を挙げている(60頁)。
後見人による本人の財産の不正な使用については,成年後見人による横領──親族後見人と第三者後見人の比較を中心にで扱っている。
第9 保佐人・補助人及び令和8年改正
保佐人・補助人は,債務の返済や時効の援用について代理権を付与されている場合に,その範囲で本記事と同じ判断をすることになる。
代理権の範囲については,保佐人・補助人の権限と実務――同意権・取消権・代理権,金融機関への届出及び令和8年改正で扱っている。
民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)は成年後見制度を大きく改めるが,法務省が公表している「民法等の一部を改正する法律案新旧対照条文」には,本記事で引用した時効に関する規定(145条,152条,166条),消費貸借に関する規定(587条,591条)及び受任者の注意義務(644条)について,その規定自体の改正は掲載されていない(644条は,後見監督人等の規定の準用条文の中で言及されているだけである)。
他方で,後見人の権限や委任の規定の準用を定める859条,869条等は改正の対象となっている。
改正後の859条及び869条は未成年後見についての規定となり,本人の財産に関する包括的な代理権を持つ成年後見人はいなくなる。
改正後は,補助人が本人を代理できるのは,家庭裁判所が特定の法律行為について代理権を付与する旨の審判をした範囲に限られ(改正後の民法11条1項),本人以外の者の請求によるときは,本人がその意思を表示することができない場合を除き,本人の同意が必要となる(同条2項)。
したがって,施行後に補助人が本人の古い借金を返済し,又は時効を援用するには,その行為が付与された代理権の範囲に含まれていることが前提となる。
本記事で引用した条文は,改正後は次のように対応する。
①善管注意義務の準用(現行の民法869条)は,改正後の民法876条の22。
②利益相反行為と特別代理人(現行の民法860条)は,改正後の民法876条の14の臨時補助人(補助監督人がある場合を除く。)。
③解任(現行の民法846条)は,改正後の民法876条の5。同条3号は,不正な行為や任務違反がなくても「補助開始の審判を受けた者の利益のため特に必要があるとき」に解任できるとしている。
④意思の尊重(現行の民法858条)は,改正後の民法876条の11。補助人は,本人に情報を提供して陳述を聴くなどの方法で本人の意向を把握し,これを尊重しなければならない。
同法の施行日は,公布の日から起算して2年6月を超えない範囲内において政令で定める日とされている(同法附則1条)。
施行日前に後見開始の審判を受けた本人とその成年後見人には,原則としてなお従前の例により現行の民法が適用されるが(同法附則2条1項),解任については改正後の民法876条の5が,意向の尊重については改正後の民法876条の11が適用される(同条2項,3項)。
したがって,既に選任されている成年後見人が施行後に古い借金の返済を求められた場合も,本記事の現行法による検討がそのまま当てはまるが,本人の意向の把握と尊重は改正後の規定に沿って行う必要がある。
改正の全体像は,令和8年成年後見制度改正と関係法律61本の整備で扱っている。
第10 出典・参考資料
1 法令
民法(108条,145条,152条,166条,587条,591条,644条,826条,846条,855条,858条,859条,860条,861条,869条) e-Gov法令検索
平成29年法律第44号による改正前の民法(145条,147条,157条,166条,167条,587条,591条)及び同法附則10条 e-Gov法令検索
民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)による改正後の民法(11条,859条,869条,876条の5,876条の11,876条の14,876条の22),同法附則1条,2条 法務省(法律案本文)
法務省「民法等の一部を改正する法律案新旧対照条文」 法務省
2 裁判例
最高裁昭和41年4月20日大法廷判決(昭和37年(オ)第1316号,民集20巻4号702頁) 裁判所HP
東京高裁昭和41年6月17日判決(昭和40年(ネ)第829号,東京高等裁判所判決時報民事17巻6号125頁,金融・商事判例14号8頁,金融法務事情449号8頁) 判例秘書(判例番号L02120265)で確認,裁判所HP未掲載
最高裁昭和42年4月18日第三小法廷判決(昭和40年(オ)第1499号,民集21巻3号671頁) 裁判所HP
最高裁昭和45年5月21日第一小法廷判決(昭和44年(オ)第1131号,民集24巻5号393頁) 裁判所HP
東京地裁令和7年9月1日判決(令和6年(ワ)第30419号) 判例秘書(判例番号L08032287)で確認,裁判所HP未掲載
3 公的資料
大阪家庭裁判所「成年後見人・保佐人・補助人ハンドブック(Q&A付き)」(令和8年2月1日版)16頁~17頁,24頁~27頁,40頁~41頁,52頁,書式集No.4-1・No.6-2 裁判所
東京家庭裁判所後見センター・同立川支部後見係「成年後見人・保佐人・補助人ハンドブック(Q&A付き)」(令和7年4月)12頁~14頁,33頁,60頁 裁判所
さいたま家庭裁判所「後見人等Q&A」(令和6年12月)27頁 裁判所
福岡家庭裁判所の成年後見人向けQ&A(R7.10版)8頁 裁判所
名古屋家庭裁判所「成年後見人・保佐人・補助人ハンドブック」(R8.4一部改訂)19頁 裁判所
京都家庭裁判所「成年後見人ハンドブック 早わかり 成年後見人」(令和7年3月改訂版)22頁 裁判所
東京家庭裁判所後見センター「後見センターレポート」vol.27(令和4年8月) 裁判所
千葉家庭裁判所後見係「よくある質問(成年後見編)」12頁(Q49) 裁判所
4 文献
我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明『第6版 我妻・有泉コンメンタール民法―総則・物権・債権―』(日本評論社,2019年)233頁~234頁
片岡武・金井繁昌・草部康司・川畑晃一『第2版 家庭裁判所における成年後見・財産管理の実務』(日本加除出版,2014年)65頁~66頁,79頁~85頁
小西洋「成年後見人等の財産に関する権限と限界」判例タイムズ1406号(2015年)16頁~17頁
大阪弁護士会高齢者・障害者総合支援センター編『【全訂版】成年後見人の実務2023』(大阪弁護士協同組合,2023年)191頁
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