第1 この記事の対象と結論
1 対象と基準日
本記事は,成年後見人が,成年被後見人(以下「本人」という。)の親族等から「昔,本人にお金を貸した」と申し出を受けたときに,本人の財産から返済してよいか,返済する前に何を確かめ,家庭裁判所にどう連絡すべきかを整理するものである。
基準日は令和8年9月19日であり,法令は同日時点の現行条文と,平成29年法律第44号による改正前の条文を,いずれもe-Gov法令検索で確認した。
裁判例は裁判所ウェブサイトの裁判例検索で確認した。
家庭裁判所の運用は,大阪家庭裁判所が後見人等に交付している「成年後見人・保佐人・補助人ハンドブック(Q&A付き)」(令和8年2月1日版。以下「大阪家裁ハンドブック」という。)で確認できた範囲で書く。
2 結論
①成年後見人は本人の債務を本人の財産から返済しなければならないが,貸主が金融機関以外で契約書がない場合には,まず本当に債務があるのかを確かめる必要がある(大阪家裁ハンドブック17頁)。
②古い借金であれば,消滅時効が完成していないかを確かめる必要がある。
令和2年4月1日より前に生じた貸金債権の時効期間は改正前の民法によるから,10年である。
③時効完成後に後見人が返済し,又は債務を認めると,本人は時効完成を知らなかったとしても時効を援用できなくなる(最高裁昭和41年4月20日大法廷判決)。
④時効を援用するか,道義的な理由から返済するかは,本人の意思を踏まえて後見人が判断するが,時効を検討しないまま返済することは避けるべきである。
⑤返済する場合も援用する場合も,債務の内容,存否の判断,時効の検討結果,本人の意思及び後見人の方針を書いた連絡票を,事前に家庭裁判所へ出す。
第2 大阪家裁ハンドブックの記載と記載例
1 ハンドブックの説明
大阪家裁ハンドブックは,本人の財産から支出できるものの一つとして,本人が第三者に対して負っている債務の返済を挙げている(16頁)。
他方で,本人が経済的に困っていた時期に身内から証書も作らずに受け取った金員のように,贈与なのか借金なのかがあいまいなものもあるとして,次のように述べている(17頁)。
「したがって、貸主が金融機関以外の場合で、正式な契約書等が残っていないような場合については、被後見人が本当に債務を負っているかどうか十分確認する必要があります。」
その上で,「いずれにせよ、被後見人の債務を返済する場合には、必ず、誰に対する、どのような債務につき、いくら返済するのかを簡潔に記載し、債務の存否を判断しかねる場合にはその旨も記載した上で、連絡票を用いて裁判所に連絡をしてください」としている(17頁)。
債務の返済は,事前に連絡票で裁判所に連絡すべき事項の一つとして挙げられており,添付資料は借用書の写しなどとされている(大阪家裁ハンドブック25頁,41頁)。
2 連絡票の記載例6
大阪家裁ハンドブックの書式集には,連絡票の記載例(No.6-2)があり,その記載例6は「債務を返済する場合」である。
内容は,本人が兄から昭和の時期に300万円を借りていたことが判明したこと,当時本人は離婚の慰謝料などで金が必要だったらしいこと,借用書は残っていないが昭和の時期に本人名義の口座へ250万円が振り込まれていることから,兄の話を信用して一括返済したい,というものである。
3 記載例6に書かれていないこと
記載例6は,連絡票の書き方の見本であり,法的な判断の見本として作られたものではないと考えられる。
そのまま自分の事案に当てはめると,少なくとも次の三つの確認が抜け落ちる。
①振り込まれた250万円が,貸付けなのか贈与なのか。
②申出の300万円と振込額の250万円の差額50万円の説明。
③昭和の時期の借入れについて,消滅時効が完成していないか。
以下,順に述べる。
第3 債務が本当に存在するかを確かめる
1 貸付けか贈与か
金銭の消費貸借は,当事者の一方が同じ種類・品質・数量の物で返還することを約束して,相手方から金銭その他の物を受け取ることによって効力を生ずる(民法587条。昭和の時期の貸付けに適用される改正前の同条も同じ文言である)。
したがって,貸付けといえるためには,お金を受け取った事実だけでなく,返還の約束があったことが必要である。
本人名義の口座への振込みの記録は,お金が本人に渡った事実の裏付けにはなるが,返還の約束があったことまでは示さない。
親族間の金銭の授受では,援助(贈与)として渡したものを,後になって貸したと考えるようになることもあるので,大阪家裁ハンドブックが贈与か借金かを確かめるよう求めているのは,この点を指している。
2 確認に使う資料と聴取
確認には,次のような資料と聴取が考えられる。
①借用書,念書,手紙,メール,メモなど,返還の約束をうかがわせる書面。
②本人名義の口座の入出金の記録。振込みの日付と金額,その後に貸主へ送金した記録があるか。
③本人自身の説明。判断能力が低下していても,当時の事情を覚えていることがあるので,本人の話を聞かずに決めない。
④貸主以外の親族の認識。貸主が推定相続人でもある場合,返済は他の相続人の取り分を減らすことになるので,他の親族の認識も聞いておくと後の紛争を防ぎやすい。
⑤過去に本人が一部を返済した記録。返済の記録は債務があったことの有力な裏付けになるが,後で述べるとおり,時効との関係では債務の承認に当たる可能性がある。
3 金額の食い違い
記載例6では,申出額が300万円で,振込みの記録は250万円である。
差額50万円が現金で渡されたのか,利息なのか,申出の記憶違いなのかによって,返済すべき額は変わる。
貸主の説明だけで申出額どおりに返済するのではなく,裏付けのある額と,裏付けのない額を分けて検討し,連絡票にもその区別を書くべきである。
第4 消滅時効が完成しているかを確かめる
1 改正前の民法が適用される
平成29年法律第44号による民法の改正は,令和2年4月1日に施行された。
同法附則10条4項は,施行日前に債権が生じた場合におけるその債権の消滅時効の期間については,なお従前の例によると定めている。
同条1項は,施行日前に債権が生じた場合の消滅時効の援用について,同条2項は,施行日前に生じた時効の中断の事由の効力について,それぞれなお従前の例によると定めている。
したがって,昭和の時期の貸付けであれば,時効期間,援用及び施行日前の中断は,改正前の民法によって判断する。
2 時効期間と起算点
改正前の民法167条1項は,債権は10年間行使しないときは消滅すると定め,改正前の民法166条1項は,消滅時効は権利を行使することができる時から進行すると定めていた。
返還の時期を定めていた貸付けであれば,その時期から10年で時効が完成するのが原則である。
返還の時期を定めなかった場合は,貸主は相当の期間を定めて返還を催告することができる(改正前の民法591条1項)ので,いつから権利を行使することができたといえるかの検討が要る。
もっとも,昭和の時期の貸付けであれば,後で述べる中断の事由がない限り,どの時点を起算点としても10年はとうに経過していることが通常である。
なお,令和2年4月1日以後に生じた貸金債権は,債権者が権利を行使することができることを知った時から5年,権利を行使することができる時から10年のいずれか早い方で時効にかかる(現行の民法166条1項)。
3 中断の事由を確かめる
改正前の民法147条は,請求,差押え・仮差押え・仮処分,承認を時効の中断の事由としていた。
中断した時効は,その中断の事由が終了した時から新たに進行する(改正前の民法157条1項)。
たとえば,本人が20年前に一部を返済していれば,その一部返済は債務の承認に当たり得るので,そこから新たに10年を数えることになる。
そのため,時効の完成を判断するには,貸付けの時期だけでなく,本人がその後に一部を返済し,又は返済の猶予を頼んだことがないか,貸主が裁判を起こしたことがないかを確かめる必要がある。
施行日以後の出来事については,現行の民法の完成猶予・更新の規定(承認による更新は152条)が問題になる。
第5 後見人が返済し又は債務を認めると援用できなくなる
1 時効完成後の承認
最高裁昭和41年4月20日大法廷判決(昭和37年(オ)第1316号,民集20巻4号702頁)は,次のように判示した。
「債務者が、消滅時効完成後に債権者に対し当該債務の承認をした場合には、時効完成の事実を知らなかつたときでも、その後その時効の援用をすることは許されないと解すべきである。」
判決は,その理由として,時効完成後に債務を承認すると,債権者は債務者がもう時効を援用しないだろうと考えるので,その後の援用を認めないのが信義則に照らし相当であることを挙げている。
同判決は,時効完成後に承認したことから時効完成を知って承認したと推定することは許されないとも判示している。
2 承認後に再び10年が経過した場合
最高裁昭和45年5月21日第一小法廷判決(昭和44年(オ)第1131号,民集24巻5号393頁)は,次のように判示した。
「債務者が、消滅時効の完成後に、債権者に対し当該債務を承認した場合においても、以後ふたたび時効は進行し、債務者は、再度完成した消滅時効を援用することができる。」
この事案では,債務者が債権者に対し支払の猶予を求めたことが,時効完成後の債務の承認に当たるとされていた(原審の判断であり,最高裁判決もこれを前提に判断している)。
つまり,返済そのものだけでなく,「少し待ってほしい」「分割なら払う」と伝えることも,債務の承認と評価されることがある。
3 後見人の行為は本人の行為になる
成年後見人は,本人の財産を管理し,財産に関する法律行為について本人を代表する(民法859条1項)。
後見人が本人の代理人として貸主に返済し,又は債務を認める発言をすれば,それは本人がした承認として扱われると考えられる。
したがって,後見人が時効を検討しないまま「確認してお返しします」と貸主に伝えたり,一部だけでも返済したりすると,本人が時効を援用する機会を後見人が失わせることになりかねない。
貸主から申出を受けた段階では,債務を認めるかどうかを留保し,「確認した上で家庭裁判所に連絡する」とだけ伝えるのが安全である。
第6 援用するか返済するかの判断
1 後見人は本人に代わって時効を援用できる
消滅時効は,当事者が援用しなければ,裁判所がこれによって裁判をすることができない(改正前の民法145条,現行の民法145条)。
成年後見人は本人の財産に関する法律行為について本人を代表する(民法859条1項)から,本人に代わって時効を援用することができると考えられる。
援用は,後日の紛争に備え,内容証明郵便など記録の残る方法で行うのが通常である。
2 本人の意思を確かめる
成年後見人は,本人の財産の管理に関する事務を行うに当たっては,本人の意思を尊重し,かつ,その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない(民法858条)。
時効の援用は,法律上の権利ではあるが,親族から受けた恩義に報いたいという本人の気持ちと衝突することがある。
大阪家裁ハンドブックは,本人にとって重大な影響を与える行為について,後見人が本人の意思を確認することなく自分の価値観に基づいて権限を行使してはならないとし,意思決定支援は支援者とともにチームで行うものとしている(52頁)。
本人が兄から助けてもらったことを覚えていて,返したいと明確に述べている場合と,本人の意思を確認できない場合とでは,判断の重みが異なる。
3 返済を選ぶ場合の位置付け
時効が完成している債務をあえて返済することは,法的な義務の履行というより,本人の財産を親族のために使う支出に近い性格を持つ。
大阪家裁ハンドブックは,本人の財産を配偶者や子,孫などに贈与し,又は貸し付けることは原則として認められないとしている(17頁)。
したがって,時効が完成している債務を返済する場合には,本人の明確な意思,本人の財産の額と今後の収支の見通し,他の推定相続人の認識などから,その支出が相当であることを説明できるようにしておく必要がある。
親族のための支出の考え方は,成年後見人は本人の財産から何に支出できるか――親族の交通費・祝い金・扶養・贈与と大阪家裁の考え方で扱っている。
4 善管注意義務と責任
成年後見人は,善良な管理者の注意をもって後見の事務を処理する義務を負う(民法869条による644条の準用)。
時効が完成していることを検討しないまま本人の財産から返済し,本人に損害を与えた場合には,損害賠償を求められる可能性がある。
また,後見人に不正な行為,著しい不行跡その他後見の任務に適しない事由があるときは,家庭裁判所は後見人を解任することができる(民法846条)。
返済すること自体が直ちに任務違反になるわけではないが,検討の過程と判断の理由を記録に残しておくことが,後見人自身を守ることにもなる。
第7 家庭裁判所への連絡票
1 事前に連絡する
債務の返済は,事前に連絡票で家庭裁判所に連絡すべき事項である(大阪家裁ハンドブック25頁,41頁)。
大阪家裁ハンドブックは,後見人が本人の利益のために何をすべきかは基本的に後見人の責任で判断することであり,裁判所は相談に応じたり具体的な指示をしたりしないとしている(24頁,40頁)。
疑問点を書く場合も,疑問点だけでなく,それに対して後見人等がどのようなことをしようとしているのか(方針や後見人の考え)を必ず書くよう求めている(40頁)。
そのため,連絡票には「返してよいでしょうか」と尋ねるのではなく,検討の結果と後見人の方針を書く。
回答が必要な場合は「要回答」にチェックを入れ,裁判所は連絡票を受け取ってから2週間を目途に電話で連絡するとされている(40頁)。
2 連絡票に書く事項
記載例6に加えて,次の事項を書くと,裁判所が判断の過程を確認しやすい。
①誰に対する,いつ生じた,いくらの債務か。
②債務の存在を裏付ける資料と,裏付けのない部分。
③時効の検討結果。貸付けの時期,返還の時期の定めの有無,中断の事由の有無,時効が完成しているかどうか。
④本人の意思。確認した方法と本人の発言。確認できない場合はその理由。
⑤後見人の方針。援用するのか,返済するのか,その理由。
⑥返済する場合は,返済額が本人の財産と今後の収支に与える影響。
⑦貸主が推定相続人である場合は,他の推定相続人の認識。
3 書き方の例
次は,時効を検討した場合の書き方の例である(架空の事例である。)。
本人の兄から,昭和60年頃に本人に300万円を貸したとして返済を求められました。
借用書はありませんが,昭和60年5月に本人名義の○○銀行口座へ兄から250万円が振り込まれた記録があります。
差額50万円については,兄は現金で渡したと言っていますが,裏付けはありません。
本人は「兄に助けてもらった」と話していますが,借りたのか,もらったのかについては,はっきりした説明ができません。
その後本人が兄に返済した記録は見当たらず,兄が裁判を起こしたこともありません。
改正前の民法167条1項により10年の時効期間が経過しており,時効が完成していると考えます。
本人の預貯金は約800万円で,毎月の収支は約3万円の赤字です。
以上から,時効を援用し,兄には返済しない方針です。
本人の長女・二女にもこの方針を伝え,異論はないとのことでした。
兄には,後見人として支払をお断りする旨を内容証明郵便で通知する予定です。
不明な点や問題点があったら連絡してください。
4 その後の報告
時効を援用した後に貸主が訴訟を起こし,又は示談が成立したときは,そのことも連絡票で連絡すべき事項である(大阪家裁ハンドブック26頁,41頁)。
返済した場合は,定期報告の後見等事務報告書で,1回につき10万円以上の臨時支出として別紙収支補足説明書に記載し,資料を付ける(大阪家裁ハンドブック書式集No.4-1)。
定期報告書の書き方は,令和7年4月全国統一書式による後見等事務報告書・報酬付与申立事情説明書の書き方で扱っている。
第8 貸主が後見人自身である場合
後見人自身が「本人に貸していた」と主張する場合,債務があるか,時効を援用するかを判断するのが,返済を受ける立場の後見人自身になる。
後見人と本人との利益が相反する行為については,後見監督人がいる場合を除き,本人のために特別代理人の選任を請求しなければならない(民法860条による826条の準用)。
他方で,民法108条は,自己契約・双方代理を無権代理とみなしつつ債務の履行を例外としている(同条1項ただし書)が,代理人と本人との利益が相反する行為についての同条2項には,債務の履行の例外は置かれていない。
債務の存否や時効に争いがある場合にも,その弁済を債務の履行として後見人が自ら行ってよいかは,本記事では結論を示さない。
少なくとも,後見人が自分への返済を自分だけで判断して実行することは避け,事前に連絡票で家庭裁判所に方針を示すべきである。
後見監督人が選任されている場合,大阪家裁ハンドブックは,後見人が本人との間で金銭の貸し借り等があれば後見監督人に申し出るよう求めている(27頁)。
後見人による本人の財産の不正な使用については,成年後見人による横領──親族後見人と第三者後見人の比較を中心にで扱っている。
第9 保佐人・補助人及び令和8年改正
保佐人・補助人は,債務の返済や時効の援用について代理権を付与されている場合に,その範囲で本記事と同じ判断をすることになる。
代理権の範囲については,保佐人・補助人の権限と実務――同意権・取消権・代理権,金融機関への届出及び令和8年改正で扱っている。
民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)は成年後見制度を大きく改めるが,法務省が公表している「民法等の一部を改正する法律案新旧対照条文」には,本記事で引用した時効に関する規定(145条,152条,166条),消費貸借に関する規定(587条,591条)及び受任者の注意義務(644条)について,その規定自体の改正は掲載されていない(644条は,後見監督人等の規定の準用条文の中で言及されているだけである)。
他方で,後見人の権限や委任の規定の準用を定める859条,869条等は改正の対象となっているので,施行後は条番号を読み替える必要がある。
改正の全体像は,令和8年成年後見制度改正と関係法律61本の整備で扱っている。
第10 出典・参考資料
1 法令
民法(108条,145条,152条,166条,587条,591条,644条,826条,846条,858条,859条,860条,869条) e-Gov法令検索
平成29年法律第44号による改正前の民法(145条,147条,157条,166条,167条,587条,591条)及び同法附則10条 e-Gov法令検索
法務省「民法等の一部を改正する法律案新旧対照条文」 法務省
2 裁判例
最高裁昭和41年4月20日大法廷判決(昭和37年(オ)第1316号,民集20巻4号702頁) 裁判所HP
最高裁昭和45年5月21日第一小法廷判決(昭和44年(オ)第1131号,民集24巻5号393頁) 裁判所HP
3 公的資料
大阪家庭裁判所「成年後見人・保佐人・補助人ハンドブック(Q&A付き)」(令和8年2月1日版)16頁~17頁,24頁~27頁,40頁~41頁,52頁,書式集No.4-1・No.6-2 裁判所
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