第1 本記事の対象と結論
1 本記事の対象
本記事は,業務中又は通勤中の交通事故(第三者行為災害)で労災保険給付を受けた被害者が,加害車両の自賠責保険会社に対して自賠法16条1項の直接請求(被害者請求)をする場面を扱う。
この場面では,労災保険給付をした国も,労災保険法12条の4第1項により被害者の直接請求権を取得して自賠責保険会社に請求するため,被害者の請求と国の請求が同じ自賠責保険金額の枠を取り合うことがある。
本記事の調査基準日は令和8年9月19日であり,条文はe-Gov法令検索の現行条文,裁判例は裁判所HPの裁判例検索で確認した。
2 結論
①被害者の直接請求権の額と国に移転した直接請求権の額の合計額が自賠責保険金額を超えるときでも,被害者は,国に優先して自賠責保険金額の限度で支払を受けることができる(最高裁平成30年9月27日判決)。
②もっとも,この優先は被害者と国との間の相対的な優先劣後関係にとどまり,自賠責保険会社が国の請求を受けて国に対して自賠責保険金額の限度でした支払は,有効な弁済に当たる(最高裁令和4年7月14日判決)。
③そのため,国に先に支払われると,被害者は自賠責保険会社に残額を請求できなくなる。
④国が被害者に不当利得返還義務を負うかどうかについて,令和4年判決は「別論である」と述べるにとどまり,返還義務があると判断したわけではない。
⑤実務上は,労災保険給付を受ける事案では被害者請求を早く行い,未塡補損害が自賠責保険金額を超える見込みであることを自賠責保険会社に早めに伝えることが考えられる。
令和4年判決は,平成30年判決の被害者優先の考え方を保険会社の支払の効力にまで広げた判決ではない。
むしろ,被害者優先は保険会社の弁済の効力を左右しないとして,その及ぶ範囲を限定した判決である。
第2 第三者行為災害と自賠責保険の直接請求権
1 労災保険法12条の4の求償と控除
労災保険法12条の4は,次のとおり定める。
「政府は、保険給付の原因である事故が第三者の行為によつて生じた場合において、保険給付をしたときは、その給付の価額の限度で、保険給付を受けた者が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する。」(1項)
「前項の場合において、保険給付を受けるべき者が当該第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときは、政府は、その価額の限度で保険給付をしないことができる。」(2項)
厚生労働省「第三者行為災害のしおり」は,1項による調整を「求償」,2項による調整を「控除」と呼んでいる(同しおり8頁~9頁)。
労災保険給付が先に行われた場合は国が被害者の損害賠償請求権を取得して加害者側に請求し,損害賠償が先に行われた場合は国がその価額の限度で労災保険給付をしないという仕組みである。
控除と損益相殺の計算順序は,損益相殺とは―労災保険給付・年金・保険金の控除と計算順序で扱っている。
2 自賠法16条1項の直接請求権と国への移転
自賠法16条1項は,「第三条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生したときは、被害者は、政令で定めるところにより、保険会社に対し、保険金額の限度において、損害賠償額の支払をなすべきことを請求することができる。」と定める。
これが被害者請求と呼ばれる直接請求権である。
最高裁令和4年7月14日判決は,直接請求権が加害者に対する自賠法3条の損害賠償請求権と同額のものとして成立し,労災保険給付が行われた場合には労災保険法12条の4第1項によりその給付の価額の限度で国に移転し,国はその限度で直接請求権を取得すると述べている。
したがって,労災保険給付を受けた被害者の直接請求権は,労災保険給付の価額に相当する部分が国に移り,被害者の手元には労災保険給付を受けてもなお塡補されない損害(以下「未塡補損害」という。)に対応する部分が残る。
国は,移転を受けた直接請求権に基づき,自賠責保険会社に請求することになる。
3 競合が生じる場面
自賠責保険の支払は,自賠法16条1項のとおり保険金額の限度にとどまる。
厚生労働省「第三者行為災害のしおり」10頁も,傷害による損害の保険金額の上限を120万円と説明しており,最高裁平成30年9月27日判決及び最高裁令和4年7月14日判決の事案でも,傷害についての自賠責保険金額は120万円であった。
労災保険給付の額と未塡補損害の額の合計が保険金額を超えると,被害者と国の双方が全額の支払を受けることはできないため,どちらが先に支払を受けるかが問題となる。
労災保険給付の内容は,労災保険の給付内容―給付の種類,金額及び令和8年改正で扱っている。
自賠責保険の支払基準は,自賠責保険の支払基準――令和2年4月1日以降の交通事故に適用される告示の全文,別表及び改正経緯で扱っている。
第3 最高裁平成30年9月27日判決(被害者は国に優先する)
1 事案
最高裁判所第一小法廷平成30年9月27日判決(平成29年(受)第659号,第660号,民集72巻4号432頁)の事案は,トラック乗務員として中型貨物自動車を運転していた被害者が,中央線を越えてきた加害車両と正面衝突して傷害を負い,後遺障害が残ったというものである。
政府は,業務災害として療養補償給付,休業補償給付及び障害補償給付を行い,被害者の直接請求権は労災保険給付の価額の限度で国に移転した。
労災保険給付を受けてもなお塡補されない損害は,傷害につき303万5476円,後遺障害につき290万円であり,自賠責保険金額は傷害につき120万円,後遺障害につき224万円であった。
自賠責保険会社は,被害者の直接請求権の額と国に移転した直接請求権の額の合計額が保険金額を超えるときは,被害者は合計額に占める割合に応じて案分された金額の支払を受けられるにとどまると主張した。
原審は,被害者の請求を,自賠責保険金額の合計である344万円の限度で認容した。
2 判断
最高裁は,「被害者は,国に優先して自賠責保険の保険会社から自賠責保険金額の限度で自賠法16条1項に基づき損害賠償額の支払を受けることができるものと解するのが相当である。」と判示し,保険会社の上告を棄却した。
これにより,被害者は,未塡補損害が保険金額を超える限り,国の請求と競合しても保険金額の全額(上記の事案では344万円)の支払を受けられることになった。
保険会社が主張した案分説は採用されなかった。
3 理由
(1) 自賠法16条1項の趣旨
最高裁は,自賠法16条1項は「被害者は少なくとも自賠責保険金額の限度では確実に損害の塡補を受けられることにしてその保護を図るものである」と述べた(同法1条参照)。
そのうえで,未塡補損害の額が自賠責保険金額を超えるのに,被害者が自賠責保険金額全額の支払を受けられない結果が生ずることは,同項の趣旨に沿わないとした。
(2) 労災保険法12条の4第1項の趣旨
最高裁は,労災保険法12条の4第1項が設けられたのは,受給権者が塡補された損害の賠償を重ねて第三者に請求することを許すべきではなく,他方で第三者も塡補された損害について賠償義務を免れる理由はないことによると解した。
そして,労災保険法の目的に照らせば,「政府が行った労災保険給付の価額を国に移転した損害賠償請求権によって賄うことが,同項の主たる目的であるとは解されない。」と述べた。
したがって,国に移転した直接請求権の行使によって被害者の未塡補損害についての直接請求権の行使が妨げられる結果が生ずることは,同項の趣旨にも沿わないとした。
4 計算例(案分説との比較)
次の数字は説明のための単純な設例であり,判決の事案とは関係がない。
傷害の自賠責保険金額が120万円,被害者の未塡補損害が200万円,国に移転した直接請求権が150万円,合計が350万円とする。
| 考え方 | 被害者が受ける額 | 国が受ける額 |
|---|---|---|
| 平成30年判決(被害者優先) | 120万円 | 0円 |
| 案分説(採用されなかった考え方) | 約68万5714円 | 約51万4286円 |
案分説では,120万円に200万円÷350万円を掛けた額しか被害者は受け取れない。
被害者優先の考え方では,未塡補損害200万円が保険金額120万円を超えているため,保険金額の全額が被害者に割り当てられ,国の取り分は残らない。
未塡補損害が保険金額を下回るときは,被害者が未塡補損害の全額を受け,残りの枠から国が支払を受けることになると考えられる。
5 同じ判決の自賠法16条の9に関する判断
平成30年判決は,自賠法16条の9第1項の「必要な期間」の意義についても判断し,遅延損害金の支払請求を棄却した原判決の部分を破棄して差し戻した。
この論点は遅延損害金の起算点の問題であり,自賠責保険の被害者請求と遅延損害金―自賠法16条の9の「必要な期間」,利率及び訴訟提起の実益で扱う。
第4 最高裁令和4年7月14日判決(国への支払は有効な弁済)
1 事案
最高裁判所第一小法廷令和4年7月14日判決(令和3年(受)第1473号,民集76巻5号1205頁)の事案は,原動機付自転車で右折待ちをしていた被害者が,中央線を越えてきた車両と衝突して傷害を負ったというものである。
政府は業務災害として療養補償給付及び休業補償給付を行い,その価額の合計は864万2146円であった。
労災保険給付を受けてもなお塡補されない傷害の損害は440万1977円であり,自賠責保険金額は120万円であった。
被害者は平成30年6月8日に直接請求権を行使し,国も同月14日に移転を受けた直接請求権を行使した。
自賠責保険会社は,同年7月20日に被害者に16万0788円を支払い,同月27日に国に103万9212円を支払った。
被害者は,保険金額120万円から既払金を控除した103万9212円の支払を自賠責保険会社に求めた。
原審は,平成30年判決を引用して,被害者が国に優先して支払を受けるべき額について国にした支払は有効な弁済に当たらないとし,被害者の請求を認容した。
2 判断
最高裁は,原判決を破棄し,第1審判決を取り消して,被害者の請求を棄却した。
判示は,「被害者の有する直接請求権の額と、労災保険法12条の4第1項により国に移転した直接請求権の額の合計額が自賠責保険金額を超える場合であっても、自賠責保険の保険会社が国の上記直接請求権の行使を受けて国に対して自賠責保険金額の限度でした損害賠償額の支払は、有効な弁済に当たると解するのが相当である。」というものである。
裁判所HPの参照法条には,民法473条(「債務者が債権者に対して債務の弁済をしたときは、その債権は、消滅する。」)が挙げられている。
3 「相対的な優先劣後関係」の意味
最高裁は,平成30年判決の被害者優先について,「被害者又は国が上記各直接請求権に基づき損害賠償額の支払を受けるにつき、被害者と国との間に相対的な優先劣後関係があることを意味するにとどまり、自賠責保険の保険会社が国の上記直接請求権の行使を受けて国に対してした損害賠償額の支払について、弁済としての効力を否定する根拠となるものではない」と述べた。
つまり,被害者優先は,被害者と国のどちらが先に枠を使うべきかという両者の間の関係であり,国も正当な直接請求権者であることに変わりはないから,保険会社が国に支払えばその支払は弁済として有効になる。
その結果,保険金額の枠が国への支払で使われた分だけ,被害者は自賠責保険会社に請求できなくなる。
上記の事案でも,被害者の請求は国より6日早かったが,国への支払は有効な弁済とされた。
全文を見る限り,請求の先後によって弁済の効力が変わるという判断は示されていない。
4 この判決が判断していないこと
(1) 国の不当利得返還義務
最高裁は,括弧書きで「なお、国が、上記支払を受けた場合に、その額のうち被害者が国に優先して支払を受けるべきであった未塡補損害の額に相当する部分につき、被害者に対し、不当利得として返還すべき義務を負うことは別論である。」と述べた。
この事件は被害者が自賠責保険会社に支払を求めた訴訟であり,国は当事者ではない。
そのため,この括弧書きは,国が不当利得返還義務を負うと判断したものではなく,その問題を本判決の判断の外に置いたものと読むのが自然である。
国に対する不当利得返還請求(民法703条)が認められるかどうか,認められる場合の額や手続は,全文で確認できた範囲では判断されていない。
(2) 被害者優先の考え方を広げた判決ではないこと
令和4年判決は,平成30年判決を前提としつつ,被害者優先を理由に保険会社の国への支払の効力を否定した原審の判断を誤りとした判決である。
したがって,令和4年判決は,被害者優先の考え方を保険会社の弁済の効力にまで広げた判決ではない。
被害者優先は保険会社の支払の効力には及ばないとした点で,被害者にとってはむしろ厳しい結論であり,実務上の対応を考える必要が生じたのはこのためである。
第5 実務上の対応
1 自賠先行と労災先行
厚生労働省「第三者行為災害のしおり」(令和8年1月の表示があるもの)10頁は,自動車事故の場合,労災保険給付と自賠責保険等の保険金支払のどちらか一方を先に受けるよう求め,「どちらを先に受けるかについては、被災者等が自由に選べます。」としている。
同頁は,自賠責保険等から先に受けた場合を「自賠先行」,労災保険給付を先に受けた場合を「労災先行」と呼び,自賠先行の場合は自賠責保険等から支払われた保険金のうち同一の事由によるものが労災保険給付から控除されると説明している。
また,同頁は,自賠責保険等には仮渡金制度があり,労災保険では給付されない慰謝料が支払われること,休業損害が原則として100%支払われることなどを挙げている。
同しおり9頁は,特別支給金は保険給付ではなく社会復帰促進等事業として支給されるため支給調整の対象とならないと説明している。
どちらを先に使うかは,過失割合,損害額と保険金額の関係,治療の長さ,特別支給金の有無などによって有利不利が変わるため,事案ごとに比較する必要がある。
被害者の過失が大きい事故での比較は,被害者の過失が大きい交通事故の請求順序-自賠責の重大な過失による減額,被害者請求及び訴訟の比較と計算例で扱っている。
2 労災保険給付を受ける事案では被害者請求を早く行う
労災先行の事案では,国は労災保険給付をした後,移転を受けた直接請求権を自賠責保険会社に行使するから,未塡補損害についての被害者請求が遅れると,その間に国への支払が行われ,保険金額の枠が使われるおそれがある。
令和4年判決によれば,国への支払は有効な弁済であり,被害者はその分を自賠責保険会社に請求できない。
そのため,労災保険給付を受ける事案では,慰謝料その他の未塡補損害について,自賠責保険会社への被害者請求を早く行うことが重要である。
3 自賠責保険会社への連絡
令和4年判決の事案では,被害者の請求が国より先であったにもかかわらず,国への支払が有効とされた。
そのため,請求を先にするだけでなく,未塡補損害が自賠責保険金額を超える見込みであることと,平成30年判決により被害者が国に優先することを,自賠責保険会社に書面で早めに伝えておくことが考えられる。
保険会社がこれを踏まえて被害者への支払を先に行えば,令和4年判決の事案のような問題は生じにくい。
もっとも,こうした連絡をしても国への支払の効力が否定されるわけではない点は,令和4年判決の論理から明らかである。
4 国に支払われてしまった場合
国への支払が行われた後は,自賠責保険会社に対する請求は,残った保険金額の枠の範囲に限られる。
被害者が国に優先して支払を受けるべきであった部分について,国に不当利得返還を求める余地は,令和4年判決の括弧書きから考えられる。
しかし,最高裁がこれを認めたわけではないから,請求するときは,未塡補損害の額,国への支払額及びその時期を資料で特定したうえで検討する必要がある。
5 示談と遅延損害金
加害者側との示談は,労災保険給付の支給調整に影響する。
「第三者行為災害のしおり」11頁は,真正な全部示談が成立した場合,政府は原則として示談成立以後の労災保険給付を行わないと説明している。
示談の注意点は,労災保険又は障害年金を支給される可能性がある事案における示談で扱っている。
自賠責保険会社が被害者請求に対していつから遅延損害金を負うかは,自賠法16条の9第1項の問題であり,自賠責保険の被害者請求と遅延損害金―自賠法16条の9の「必要な期間」,利率及び訴訟提起の実益で扱う。
遅延損害金全般は,遅延損害金に関するメモ書きにまとめている。
第6 関連記事
①遅延損害金に関するメモ書き
②自賠責保険の被害者請求と遅延損害金―自賠法16条の9の「必要な期間」,利率及び訴訟提起の実益
③交通事故の既払金は元本と遅延損害金のどちらに充当されるか―自賠責保険金と任意保険の支払の違い
④遺族補償年金・遺族厚生年金と遅延損害金―不法行為時に塡補されたとみる最高裁大法廷平成27年3月4日判決
⑤損益相殺とは―労災保険給付・年金・保険金の控除と計算順序
⑥労災保険又は障害年金を支給される可能性がある事案における示談
⑦労災保険の給付内容―給付の種類,金額及び令和8年改正
⑧自賠責保険の支払基準――令和2年4月1日以降の交通事故に適用される告示の全文,別表及び改正経緯
⑨被害者の過失が大きい交通事故の請求順序-自賠責の重大な過失による減額,被害者請求及び訴訟の比較と計算例
第7 出典・参考資料
1 法令
①労働者災害補償保険法1条,12条の4(e-Gov法令検索)
②自動車損害賠償保障法1条,3条,16条,16条の9(e-Gov法令検索)
③民法473条,703条(e-Gov法令検索)
2 裁判例
①最高裁判所第一小法廷平成30年9月27日判決(平成29年(受)第659号,第660号,民集72巻4号432頁,裁判所HP)
②最高裁判所第一小法廷令和4年7月14日判決(令和3年(受)第1473号,民集76巻5号1205頁,裁判所HP)
3 公的資料
①厚生労働省「第三者行為災害のしおり」(令和8年1月の表示があるもの)8頁~11頁(厚生労働省HP)