目次
1 総論
2 示談の文言
3 労災保険の支給決定前の示談の取扱い
4 自賠責保険の被害者請求と労災保険等の求償との関係
5 関連記事その他
1 総論
(1) 交通事故が労働災害に該当する場合,被災者は,使用者とは別の第三者の加害行為によってケガをしたこととなりますから,第三者行為災害となります(「第三者行為災害としての交通事故」参照)。
(2) 第三者行為災害の場合,労災保険は,被災者である交通事故被害者に支払った障害補償給付等を,被災者の過失割合に応じて損害保険会社に請求します。
2 示談の文言
(1) 示談が真正に成立し,かつ,その示談内容が,受給権者の第三者に対する損害賠償請求権(保険給付と同一の事由に基づくものに限る。)の全部の填補を目的とするものである場合,放棄した損害賠償請求権について,労災保険からの支給を受けることができなくなります(最高裁昭和38年6月4日判決参照)。
また,慰謝料「以外の」名目で加害者から損害賠償金を支払ってもらった場合,その分,労災保険からの支給が減ります(労災保険法12条の4第2項)。
そのため,労災保険からの支給がある場合,労基署に相談した上で示談する必要があります。
(2)ア 実務上は,以下の文言にしておけば特に問題はないです。
乙は,甲に対し,本件事故に関して,労働者災害補償保険法,厚生年金保険法及び国民年金法に基づく過去及び将来の給付金並びに乙の甲に対する既払金とは別に,解決金として,金○○万円の支払義務があることを認める。
イ 「相手方は、請求人に対し、一切の損害の賠償として既払金のほか○万円の支払義務のあることを認めるとともに、請求人と相手方との間には当該示談金の支払のほかは、何らの債権債務のないことを確認する」という示談書を作成した事案では,労基署長から既払いの労災保険給付を取り消され,労働保険審査官に対する審査請求も棄却されましたが,労働保険審査会に対する再審査請求の結果,労災保険給付が再び支給されることになりました(労働保険審査会の平成30年労第42号の裁決参照)。
(3) 高額療養費をまだ支給されていない場合,「国民健康保険からの高額療養費とは別に」といった文言を追加すればいいです。
3 労災保険の支給決定前の示談の取扱い
・ 第三者行為災害事務取扱手引61頁及び62頁によれば,労災保険の支給決定前に示談が成立している場合の取扱いは以下のとおりです。
(1) 真正な全部示談が成立している場合の取扱い
第一当事者等と第二当事者等の間で真正な労災保険給付を含む全損害の填補を目的とする示談(以下「全部示談」という。)が行われたと判断された場合には,それ以後の労災保険給付を行わないこと。
労災保険給付を行わない場合の要件は,次の2点である。
ア 当該示談が真正に成立していること
なお,次のような場合には真正に成立した示談とは認められないこと。
① 当該示談の成立が錯誤,心裡留保(その真意を知り,又は知り得べかりし場合に限る。)に基づく場合
② 当該示談の成立が詐欺又は強迫に基づく場合
イ 当該示談の内容が,第一当事者等の第二当事者等に対して有する損害賠償請求権(労災保険給付と同一の事由に基づくものに限る。)の全部の填補を目的としていること
次のような場合には,損害の全部の填補を目的としているものとは認められないものとして取り扱うこと。
① 損害の一部について労災保険給付を受けることを前提として示談している場合
② 示談書の文面上,全損害の填補を目的とすることが明確になっていない場合
③ 示談書の文面上,全損害の填補を目的とする旨の記述がある場合であっても,示談の内容及び当事者の供述等から判断し,全損害の填補を目的としているとは認められなかった場合
また,示談が真正な全部示談と認められるかどうかの判断を行うに当たっては,示談書の存在及び示談書の記載内容のみにとらわれることなく,当事者の真意の把握に努める必要があること。
(2) 真正な全部示談とは認められない場合の取扱い
当該示談が真正な全部示談とは認められない場合には,労災保険給付を行う必要性が認められる限りにおいて労災保険を給付することとなるが,示談の成立に伴い,第一当事者等が第二当事者等又は保険会社等より損害賠償又は保険金を受領している場合には,受領済みの金額を控除して労災保険給付を行うこと。
また,示談書は存在するが,調査の結果真正な全部示談とは認められなかったため労災保険給付を行うこととした場合には,示談締結時の状況や真正な全部示談とは認められないと主張する理由を,第一当事者等から書面によりあらかじめ徴しておくこと。
なお,第一当事者等から書面を徴する目的は,真正な全部示談ではないことを第一当事者等が主張したという事実を文書で確認し保管しておくことにあるため,その趣旨が十分に記載されていれば書面は任意の様式で差し支えないこと。
4 自賠責保険の被害者請求と労災保険等の求償との関係
(1) 国民健康保険法による保険者は,被保険者に保険給付を行なったときは,同法64条1項に基づき,その給付の価額の限度において被保険者の第三者に対して有する損害賠償請求権を当然に取得します(最高裁昭和42年10月31日判決)。
(2) 被害者請求は,国民健康保険の求償及び労災保険の求償に優先して行使できると解されています(老人保健法に関する最高裁平成20年2月19日判決,及び労災保険法に関する最高裁平成30年9月27日判決)。
(3)ア 被害者の有する自賠法16条1項に基づく請求権の額と労災保険法12条の4第1項により国に移転した上記請求権の額の合計額が自賠責保険金額を超える場合であっても自賠責保険会社が国に対してした損害賠償額の支払は有効な弁済に当たります(最高裁令和4年7月14日判決)。
イ 自由と正義2023年12月号25頁には,「平成30年最判(山中注:最高裁平成30年9月27日判決)が示した被保険者の権利が優先すべきとする判例法理は、国と被保険者との間の優先劣後関係にすぎない相対的な関係であり、自賠責損害額について弁済をした自賠社の弁済の効力には影響を与えず、有効な弁済と解する。」と書いてあります。
(4) 国民健康保険法及び労災保険法には,請求権代位においては被保険者の権利が優先すると定める保険法25条2項に相当する条文がありませんから,被害者請求権と求償権の優先関係は法令の解釈に基づくものとなります。
5 関連記事その他
(1) 32期の都築民枝 元裁判官は,自由と正義2023年12月号15頁ないし21頁に「民事損害賠償請求における示談(和解)と労災保険給付請求」を寄稿しています。
(2) 保険会社との間で休業損害の単価及び期間並びに総額に関する争いがある事案において,示談成立後に労災保険に対して休業特別支給金を請求する予定である場合,示談書において,休業損害の単価及び期間を確認しておいた方がいいです。
(3) 以下の記事も参照してください。
・ 任意保険の示談代行制度