第1 本記事の対象と結論
本記事は、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、有料老人ホーム、通所介護その他の介護施設で、利用者が食物又は吐物を誤嚥し、窒息、低酸素脳症、誤嚥性肺炎又は死亡に至った場合の民事責任を説明するものである。
誤嚥事故が発生したという結果だけで施設の責任が認められるわけではない。事故前に把握できた嚥下機能、過去のむせ・誤嚥・嘔吐、認知機能、食べ方、医師等の指示、食事形態及び介護計画から、どのような事故を具体的に予見でき、どのような回避措置が実行可能であったかを検討する必要がある。
また、利用者が高齢で、認知症、嚥下障害又は既往症があることは、注意義務の内容、因果関係、損害及び素因減額の各場面で意味が異なる。同じ事情を、施設の注意義務を重くする理由と損害を減額する理由の双方へ無条件に用いると、二重評価となるおそれがある。
本記事の基準日は令和8年9月22日である。
第2 責任判断の順序
1 契約責任と不法行為責任
施設と利用者との契約関係がある場合、施設は契約に付随する安全配慮義務又は利用者の心身の状況に応じた介護を提供する義務を負うことがある。施設又は職員の行為については、民法415条の債務不履行責任のほか、民法709条の不法行為責任及び民法715条の使用者責任が問題となる。
どの請求原因を選ぶかによって、立証対象、消滅時効、遅延損害金の起算点その他の扱いが異なり得る。実務では、契約書、重要事項説明書、介護計画及び施設の具体的な役割を確認した上で構成する。
2 結果から注意義務違反を逆算しない
高齢者の食事には一定の誤嚥・窒息リスクが伴う。事故後に危険が明らかになったことから、事故前にも同じ程度の危険を具体的に予見できたと直ちに評価することはできない。
注意義務の内容は、事故当時の情報と介護水準を基準に、危険の発生確率、結果の重大性、回避措置の有効性、利用者の自立・尊厳、職員配置及び他の利用者への影響を踏まえて判断する。常時見守り又は全介助が必要であったかは、利用者ごとに検討する。
3 事故前、事故時、事故後を分ける
事故前には、嚥下評価、食事形態の決定、介護計画、情報共有及び職員配置が問題となる。事故時には、配膳方法、姿勢、一口量、摂取速度、見守り及び異常の発見時期を確認する。事故後には、食物除去、吸引、背部叩打法、救急要請、心肺蘇生、看護職・医師への連絡及び家族・行政への報告を確認する。
食事の提供方法に過失がなくても、異常発見後の対応に独立した注意義務違反がある場合があり、逆の場合もある。時系列を分けることが重要である。
第3 予見可能性と具体的な注意義務
誤嚥・窒息の具体的な予見可能性を検討する資料には、次のものがある。
- 嚥下内視鏡検査、嚥下造影検査、反復唾液嚥下テストその他の評価
- 医師、歯科医師、看護師、言語聴覚士、管理栄養士等の指示・所見
- 過去のむせ、咳込み、誤嚥、窒息、嘔吐及び誤嚥性肺炎
- 食物をかき込む、丸のみする、口腔内へため込むなどの食行動
- 認知機能、意思疎通、姿勢保持及び自力摂取の状況
- 食事形態、水分の粘度、一口量、摂取速度及び食事場所
- 介護認定資料、施設サービス計画、栄養ケア計画及び申し送り
「要介護5」「認知症」「高齢」という属性だけでは、特定の食物の誤嚥を具体的に予見できたとは限らない。他方、同じ利用者について反復するむせや窒息、専門職の指示及び食事形態変更の理由が記録されていれば、具体的な回避措置を求める根拠となり得る。
第4 食事形態、姿勢、見守り及び多職種連携
厚生労働省の令和7年11月「介護保険施設等における事故予防及び事故発生時の対応に関するガイドライン」は、誤嚥・窒息の予防として、医師・歯科医師等の専門職による口腔機能・嚥下機能の評価、多職種間の情報共有及び個々の利用者に応じた食事形態の選択を挙げている。
同ガイドラインは、利用者の噛む力及び嚥下機能に応じて基本食、ソフト食、ペースト食等を使い分けること、食材の切り方を統一すること、水分の少ない食材では水分摂取を促すこと、早食いの利用者には少量ずつ提供することなどを示す。また、きざみ食は口腔内や喉の奥でばらけて気管に入りやすいことがあるため、細かくし過ぎない配慮も示している。
もっとも、このガイドラインは個別事件の法的責任を直接決める規範ではない。作成時期、対象施設、当時の介護水準及び現場で実行可能であった措置を踏まえ、注意義務を考える資料として用いる。
第5 名古屋地裁判決と名古屋高裁判決
1 名古屋地裁令和5年2月28日判決
名古屋地裁令和5年2月28日判決(判例時報2582号64頁)は、特別養護老人ホームの入所者が食事中に意識不明となり死亡した事案で、施設に常時見守り義務の違反があるとし、死亡との因果関係を認めた一方、食事形態の変更が結果へ寄与したことを理由に5割の過失相殺をした。
しかし、この地裁判決だけを最終的な結論として紹介することはできない。施設側及び遺族側の双方が控訴し、上級審で結論が変更された。
2 名古屋高裁令和6年4月18日判決
名古屋高裁令和6年4月18日判決(令和5年(ネ)第283号)は、原判決中の施設敗訴部分を取り消し、遺族の請求を全部棄却した。
高裁は、入所時及び施設サービス計画等で嚥下が良い又は自立とされ、主治医意見書でも摂食上の問題が指摘されず、家族との外食等でも誤嚥歴がなかったことなどから、事故当時に嚥下機能の低下があったとは認めなかった。また、重度のアルツハイマー型認知症、要介護5及び食事摂取の全介助という事情だけから、他の入所者より誤嚥事故の可能性が高く、施設がこれを具体的に予見できたとはいえないとした。
過去の嘔吐についても、その頻度、原因及び施設が講じていた小分け提供等の対応を検討し、常時見守り義務又は全介助義務を否定した。食事形態を全粥から汁等でふやかした米飯へ変更した点も、医師の指示の趣旨に反するとまではいえないと判断した。
3 両判決から分かること
同じ記録から地裁と高裁の評価が分かれたことは、「認知症」「要介護度」「嘔吐歴」「食事形態変更」というラベルだけでは結論が決まらないことを示す。嚥下機能の具体的な評価、医師の指示の目的、食事変更の実際の内容、事故前の頻度及び家族との外食状況まで確認する必要がある。
特に、地裁判決を紹介する二次資料を利用する場合は、控訴審判決の有無を確認しなければならない。
第6 過失相殺と素因減額
1 高齢・認知症・嚥下障害だけでは足りない
民法722条2項の過失相殺では、被害者側の行為が損害の発生又は拡大に寄与したかを検討する。認知症その他の事情から危険を理解し行動を制御する能力が乏しい利用者について、食べ方又は食事希望を直ちに本人の「過失」と評価できるとは限らない。
素因減額では、既往症又は身体的・心因的素因が損害の発生又は拡大へ具体的に寄与した程度を検討する。年齢又は病名があるというだけで、定型的に一定割合を減額することはできない。
2 施設が引き受けた危険との関係
介護施設は、まさに加齢、認知症、嚥下機能低下その他の事情に応じた介護を提供する。特定の危険を把握し、その危険に対応することが契約及び介護計画の内容となっていた場合、同じ危険が現実化したことを当然の減額理由とすると、施設が引き受けた安全配慮の範囲を空洞化させることがある。
他方、施設が引き受けた危険であるというだけで、因果関係又は素因の寄与を常に無視できるわけでもない。事故がなくても同じ時期に同じ結果が生じた蓋然性、もともとの生命予後及び事故による増悪部分を医学的に区別する必要がある。
3 二重評価を避ける
一つの事情を、①注意義務の根拠、②注意義務違反、③因果関係、④被害者側の過失、⑤身体的素因、⑥余命を踏まえた損害算定のどこで評価したかを明示する必要がある。
例えば、嚥下障害があったため食事介助義務が強化され、その義務違反によって誤嚥したと認定した上で、同じ嚥下障害だけを理由に損害全体を減額する場合は、二重評価になっていないかを検討する。他方、事故後の死亡時期を早めた程度だけが立証できる場合には、因果関係又は損害の範囲として評価すべきことがある。
第7 因果関係と損害
死亡事案では、誤嚥又は窒息が死亡原因であったか、低酸素状態がどの程度継続したか、救急対応によって結果を回避できた蓋然性があったかを検討する。死亡診断書だけでなく、救急活動記録、搬送先診療録、画像、血液ガス、気道から回収された物、解剖所見及び専門医意見を確認する。
損害には、治療費、付添費、葬儀関係費、逸失利益、本人慰謝料及び近親者固有の慰謝料等が問題となる。高齢者又は無職者であることから逸失利益が常に0円となるわけではなく、年金の種類、生活状況及び家事労働を個別に検討する。
第8 証拠収集
- 入所契約書、重要事項説明書及び施設サービス計画
- 入所時アセスメント、介護認定調査票、主治医意見書及び診療情報提供書
- 栄養ケア計画、食事箋、献立、食形態変更記録及び配膳表
- 嚥下評価、歯科・言語聴覚士・看護師・管理栄養士の記録
- 介護記録、経過表、申し送り、ヒヤリ・ハット及び事故報告書
- 職員配置、勤務表、食堂の座席、当時の担当範囲及び防犯カメラ映像
- 救急要請記録、消防の救急活動記録及び搬送先診療録
- 家族への説明記録、行政報告、保険会社への報告及び再発防止記録
記録の後日作成又は訂正が疑われる場合は、電子記録の監査ログ、作成日時、更新履歴及び原本性を確認する。職員の供述は、当時作成された客観記録と照合する。
第9 施設側と家族側の実務
施設側は、事故直後の救命を最優先とし、その後、観察した事実と推測を分けて記録する。誰が、いつ、どこで、何を見聞きし、どの措置をしたかを時刻順に残し、原因分析は多職種で行う。職員個人の責任追及だけを目的とした聴取は、正確な報告を妨げることがある。
家族側は、早期に記録の保存を申し入れ、施設記録、救急記録及び医療記録の時刻を一本の表へ統合する。施設が謝罪したことだけで法的責任が確定するわけではなく、逆に施設が不可抗力と説明したことだけで責任が否定されるわけでもない。
第10 まとめ
介護施設の誤嚥事故は、利用者の属性ではなく、事故前に得られた具体的情報、選択された食事・介助方法、事故時の見守り及び事故後の対応によって判断する。
過失相殺又は素因減額を論じる場合も、高齢、認知症又は嚥下障害という名称だけで処理せず、その事情を責任判断のどの段階で評価するかを明示し、同じ危険の二重評価を避ける必要がある。
第11 出典・参考資料
- e-Gov法令検索・民法(415条、709条、715条、722条等)
- 厚生労働省「介護現場におけるリスクマネジメントについて」
- 厚生労働省「介護保険施設等における事故予防及び事故発生時の対応に関するガイドライン」
- 名古屋高裁令和6年4月18日判決(令和5年(ネ)第283号)
- 名古屋地裁令和5年2月28日判決・判例時報2582号64頁(控訴審は上記名古屋高裁判決)
- 広島地裁令和5年11月6日判決・判例時報2612号(ゼリー誤嚥事故。公刊誌本文及び上訴状況は公開前に再確認する。)
- 山中弁護士ブログ「素因減額の要件・判例・主張立証と計算方法」
- 山中弁護士ブログ「デイサービスの送迎時の転倒事故と事業所の責任」