第1 国家元首にもICCの逮捕状は出るのか
国際刑事裁判所(ICC)は,国家元首や政府の長という地位だけを理由に刑事責任を免除する制度ではない。他方で,逮捕状が発付されたこと,外国の当局が実際に逮捕・引渡しを行う義務を負うこと,その義務に反したと裁判所が認定することは,それぞれ別の問題である。
本記事は,ヨルダンのアル・バシール氏に関する上訴判決,プーチン氏の訪問をめぐるモンゴル・タジキスタンの不協力決定,ネタニヤフ氏の訪問をめぐるハンガリーの不協力決定を比較する。進行中の手続については,2026年10月12日に確認したICCの公表資料を基準とする。逮捕状や起訴事実の確認は有罪判決ではなく,被疑者・被告人には無罪推定が及ぶ。
制度全体は国際刑事裁判所(ICC)とは―役割・管轄権・加盟国と日本との関係,逮捕・日本への協力請求の仕組みは国際刑事裁判所(ICC)の逮捕状の効力を参照されたい。
第2 第27条,第98条と外国裁判所の免除を区別する
1 第27条は公的地位による刑事責任の免除を認めない
ローマ規程第27条1項は,国家元首・政府の長等の公的地位を理由に,同規程上の刑事責任を免除したり,それ自体を刑の減軽理由としたりすることを認めていない。同条2項は,国内法・国際法上の免除や特別な手続規則が,ICCの管轄権の行使を妨げないとする。国家元首と政府の長は同一の役職ではないが,いずれも同条の対象である。
2 第98条は協力請求と第三国への義務の調整を扱う
第98条1項は,被請求国が第三国の国家免除・外交免除に関する国際法上の義務に反する行動を取らなければならない引渡し・援助請求について,原則として第三国の免除放棄への協力を先に得ることを要求する。同条2項には,派遣国の同意を要する国際協定に関する別の規定もある。
したがって,「第27条があるから第98条は無意味」「第98条があるから現職の国家元首は必ず逮捕できない」という説明はいずれも適切ではない。実際の決定が,どの免除・協定を,どの協力請求との関係で判断したのかを読む必要がある。以下の事件では,ICCは協力義務を免除によって回避できないとの判断を示しているが,その理由付けと審理対象は一様ではない。
3 外国の国内裁判所による訴追とICCへの協力は同じではない
ICJの2002年2月14日逮捕状事件判決は,外国の刑事管轄権からの現職外務大臣の免除を扱う一方,管轄権を有する一定の国際刑事裁判所では現職・元外務大臣が刑事手続の対象となり得ると述べている(54~61項)。免除は無罪や刑事責任の不存在を意味しない。
外国の国内裁判所が自ら訴追する場合の免除,ICCが自ら管轄権を行使する場合の免除,外国当局がICCのために逮捕する場合の免除を区別することが重要である。ICCの事件別判断を,外国国内裁判所一般の免除消滅まで意味するものとして読むことはできない。
第3 ヨルダン上訴判決―不協力認定と付託の結論が分かれた
1 2019年5月6日判決の結論
アル・バシール氏は,ダルフール情勢に関するICCの逮捕状がある中,2017年3月29日にヨルダンを訪問した。上訴裁判部は2019年5月6日,ヨルダンが逮捕・引渡しの義務に違反し,裁判所の機能・権限の行使を妨げたとの認定を全員一致で維持した。
しかし,締約国会議及び国連安全保障理事会に不協力の件を付託した部分は,多数意見により取り消された。したがって,「ヨルダンが上訴で全面勝訴して逮捕義務も否定された」という理解は誤りである。他方,「不協力が認定されれば付託も必ず維持される」という理解も誤りである。2人の裁判官の一部反対は,この付託の取消しに関するものである。
2 免除に関する判断と安保理付託という事情
判決は,国際裁判所との関係で国家元首免除を認める慣習国際法は存在せず,国家がICCの要請に従って他国の国家元首を逮捕・引渡しする場合にも,その免除は妨げとならないと判断した(主要認定1~5項,113~130項)。被請求国は,自国で訴追するためではなく,ICCの管轄権行使を援助するために逮捕するという説明である。
さらに,ダルフール情勢が安保理決議1593によりICCへ付託されたことと,スーダンに課された全面的協力義務を検討している(133~149項)。これは,安保理付託によらないウクライナ・パレスチナ情勢とは異なる事情である。同じ結論が示されていても,この相違を消して説明してはならない。
3 なぜ付託部分が取り消されたのか
上訴判決は,不協力認定の要件と,外部機関への付託が適切かという裁量判断を分けた。多数意見は,ヨルダンが協議を求めたことを予審裁判部が正しく評価せず,付託しなかった南アフリカと同様の事情にあるヨルダンを異なって扱った点などから,付託の裁量行使に誤りがあったとした(183~197項,202~216項)。付託は,協力を確保するための手段であって,不協力認定に自動的に付随する刑罰ではない。
第4 プーチン氏―モンゴルとタジキスタンの不協力認定
1 逮捕状は侵略犯罪ではなく,子供の移送に関する戦争犯罪を対象とする
ICCは2023年3月17日,ウクライナ占領地域からの子供の違法な追放・移送に関する戦争犯罪の疑いについて,プーチン氏の逮捕状を発付した。これを「ロシアの侵略犯罪についての逮捕状」と言い換えることはできない。侵略犯罪には,戦争犯罪と異なる管轄権の条件がある。
2026年10月12日確認のICC被疑者紹介では,プーチン氏の状態は「At large」(身柄未確保)とされている。発付の基礎となった犯罪事実が有罪判決で確定したという意味ではない。
2 モンゴルの2024年10月24日決定
モンゴルはローマ規程締約国であり,2023年5月に協力請求を受領していた。ICC予審裁判部は,2024年9月の訪問時にプーチン氏を逮捕・引渡ししなかったことにつき,第87条7項に基づき不協力を認定し,締約国会議へ付託した。
同決定は,第27条により,締約国及びICCの管轄権を受諾した国には,被疑者の公的地位や締約国・非締約国いずれの国籍であるかにかかわらず,逮捕・引渡しの義務があると判断した。モンゴルがロシアに対して負うと主張した免除尊重義務によって,ICCに対する協力義務は排除されないとし,第98条をこの事件における免除の根拠として認めなかった(26~38項)。
これは予審裁判部が示した規程解釈である。非締約国が規程の締結だけで締約国と同じ条約上の協力義務を負うと判断したものではなく,モンゴル自身の協力義務が審理対象であった。
3 上訴許可と再考の申立ての結末
2024年11月29日,予審裁判部はモンゴルの上訴許可申立てを退けた。同裁判部は,第87条7項の認定について本件の第82条1項(d)の上訴対象性を否定し,仮に対象になり得るとしても,直ちに上訴判断を得ることが具体的手続を前進させるという要件の説明が不十分であるとした(26~29項)。
さらに2025年3月18日,この上訴許可拒否決定の再考申立ても退けられた。単に法解釈に反対することは,例外的な再考を認める事情の変化等を示すものではないとされた(16~20項)。これは「上訴裁判部がモンゴル事件の免除論を実体審理して維持した判決」ではない。ヨルダン事件の上訴判決と,審級・申立ての対象・拒否理由を区別する必要がある。
4 タジキスタンの2026年3月19日決定
プーチン氏は2025年10月8~12日にタジキスタンを訪問した。ICCは2026年3月19日,同国が逮捕・引渡しの協力請求に従わなかったと認定し,締約国会議へ付託した。
タジキスタンは,非締約国ロシアの国家元首免除,ロシアとの協定,独立国家共同体(CIS)の協定等を理由に挙げた。予審裁判部はモンゴル決定を踏まえてこれらの主張を退け,CIS協定の他の条約上の義務を害さない旨の条項にも言及した。また,ロシアとの別の協定については写しが提出されていないことを指摘した(18~24項)。
この決定は,当該事件で援用された協定についての判断である。第98条2項のあらゆる国際協定が,常に無効又は無意味であると一般化することはできない。
第5 ネタニヤフ氏―ハンガリーの不協力と逮捕状の後続手続
1 ハンガリーの2025年7月24日決定
ICCは2024年11月21日,ネタニヤフ氏及びガラント氏について,戦争犯罪及び人道に対する犯罪の疑いによる逮捕状の発付を公表した。ハンガリーには2025年4月3日,ネタニヤフ氏の暫定逮捕の請求が送付され,同氏は同月3~6日に同国に滞在した。
同年7月24日の不協力決定は,国内法の未整備では条約上の協力義務を回避できず,第98条を援用する被請求国は,抵触する義務を具体的に示して適時に裁判所へ情報を提供する必要があるとした。ハンガリーは訪問前・訪問中に協議する機会がありながら,一方的に協力を差し控えたと評価され,不協力認定と締約国会議への付託がされた(18~31項)。
この決定の中心は,請求された暫定逮捕を行わず,適時の協議・情報提供も行わなかったハンガリーの対応である。モンゴル決定の第27条・第98条についての全説明をそのまま採用した決定である,と要約するのは正確でない。
2 2025年4月の差戻しは逮捕状の取消しではない
2025年4月24日の上訴判決は,イスラエルの管轄権異議を処理した予審決定について,第19条2項(c)に関する主張への応答が不十分であったとして取り消し,差し戻した。逮捕状自体はその上訴の対象ではなく,別途発付されていたと述べている(61~66項)。
予審裁判部は同年7月16日,逮捕状の撤回・取消し・無効確認等と捜査停止を求める申立てを退けた。同年10月17日には,この決定についての上訴許可申立ても退けた。管轄権異議の審理と,その間の逮捕状の効力は別の問題である。
同年12月15日には,第18条1項の捜査開始通知を改めて求める別の問題について,上訴裁判部が多数意見でイスラエルの上訴を退けた。この判断を,差戻し後の第19条の管轄権異議の全論点に対する最終判断と混同してはならない。2026年10月12日確認のICC被疑者紹介では,ネタニヤフ氏・ガラント氏はともに「At large」と掲載されている。
3 ハンガリーの脱退通知はその後撤回された
2025年の不協力決定は,ハンガリーの脱退が2026年6月2日に効力を生ずる予定であると記載していた。しかし,国連寄託者の正式通知C.N.180.2026.TREATIES-XVIII.10は,2026年5月29日に脱退通知が撤回されたことを伝えている。
したがって,2026年10月時点の説明として「ハンガリーは既に脱退した」と書くことはできない。2025年4月の協力義務と,その後の締約国としての地位の推移を別々に確認する必要がある。
第6 手続が終結した例と実際に引き渡された例
1 デイフ氏の手続終結
ICC予審裁判部は2025年2月26日,デイフ氏の死亡に関する資料を踏まえ,手続を終結し,逮捕状と未処理の協力請求を効力のないものとした(ICC-01/18-417)。生存が判明した場合の再開を妨げない旨も明示した。
これは,管轄権異議の係属中も逮捕状が維持されたネタニヤフ氏らの例とは異なる。「申立てが出た」「上訴された」「死亡が報じられた」という事実だけから,裁判所による取消し・終結を推測してはならない。
2 ドゥテルテ氏の引渡しと起訴事実の確認
ドゥテルテ氏は,2025年3月にフィリピン当局によって逮捕され,同月12日にICCへ引き渡された。2026年4月23日には,人道に対する犯罪の3つの訴因について起訴事実が確認され,公判裁判部へ送致された。ICCの事件紹介は,公判開始を同年11月30日の予定としている(2026年10月12日確認)。
逮捕状では犯罪を行ったと信じる「合理的な理由」(第58条),起訴事実の確認では各訴因について犯罪を行ったと信じる「実質的な理由」を裏付ける十分な証拠(第61条7項),有罪判決では「合理的な疑いを超えた」裁判所の確信(第66条3項)が必要となる。引渡しが実現したことは確認できるが,有罪判決が出たと説明することはできない。また,元国家元首の引渡しが実現した例だけで,現職の国家元首免除に関する争点がすべて解消したことにはならない。
第7 不協力認定を読む際の比較と確認事項
| 対象国と決定 | 不協力の認定 | 外部機関への付託 |
|---|---|---|
| ヨルダン・2019年上訴判決 | 全員一致で維持 | 付託部分は多数意見で取消し |
| モンゴル・2024年決定 | プーチン氏の逮捕・引渡しにつき認定 | 締約国会議へ付託。その後,上訴許可・再考を拒否 |
| タジキスタン・2026年決定 | プーチン氏の逮捕・引渡しにつき認定 | 締約国会議へ付託 |
| ハンガリー・2025年決定 | ネタニヤフ氏の暫定逮捕につき認定 | 締約国会議へ付託 |
第87条7項の不協力認定は,国への自動的な罰金・経済制裁・武力行使の命令ではない。犯罪についての個人の有罪判決でもない。付託先で何が行われたかは,裁判所の認定とは別に締約国会議等の記録を確認する必要がある。
事件を確認するときは,対象者,対象犯罪,逮捕状の発付・公表・取消しの別,協力請求の種類と受領,訪問時点の締約国としての地位,協議の有無,決定の審級と主文,後続の許可・停止・再考・上訴判断を順に確認すると混同を避けられる。公表版が秘匿・墨消しを含む場合,そこから非公開部分の理由や証拠内容を確定することはできない。
第8 主な一次資料
・ローマ規程第27・58・61・66・86~98条。
・ICJ逮捕状事件・2002年2月14日判決54~61項。
・ヨルダン上訴判決・訂正版ICC-02/05-01/09-397-Corr,2019年5月6日判決・同月17日訂正。
・モンゴル不協力決定ICC-01/22-90,2024年10月24日。
・モンゴル上訴許可等決定ICC-01/22-111,2024年11月29日,及び再考決定ICC-01/22-123,2025年3月18日。
・タジキスタン不協力決定ICC-01/22-143,2026年3月19日。
・ハンガリー不協力決定ICC-01/18-462,2025年7月24日。
・イスラエル管轄権異議の上訴判決ICC-01/18-422,2025年4月24日,逮捕状撤回等申立ての決定ICC-01/18-457,同年7月16日,上訴許可決定ICC-01/18-468,同年10月17日。
・第18条の通知に関する上訴判決ICC-01/18-481,2025年12月15日。
・ハンガリーの脱退通知撤回を伝える国連寄託通知,2026年5月29日。
・ICCの現行被疑者紹介:プーチン氏,ネタニヤフ氏,ガラント氏。
・デイフ氏の手続終結決定ICC-01/18-417,2025年2月26日。
・ドゥテルテ氏の起訴事実確認決定・公開墨消し版ICC-01/21-01/25-417-Red,2026年4月23日,及び現在の事件紹介。