第1 この記事の対象と結論
本記事は,遺産分割事件を弁護士に依頼する場合の着手金・報酬金の算定について,平成16年3月31日に廃止された日弁連の報酬等基準規程(以下「旧規程」という。)が定めていた「争いのない部分は3分の1」の扱いを,規程の文言,現行の会規及び裁判例に基づいて整理するものである。
本記事の法令及び会規は令和8年9月12日現在のものであり,裁判例は裁判所ウェブサイト及び判例秘書で確認した範囲に限っている。
結論は次の3点である。
①旧規程14条1項13号は,分割の対象となる財産の範囲及び相続分の双方について争いのない部分に限り,経済的利益を相続分の時価相当額の3分の1とすると定めていた。
②旧規程は廃止されたが,報酬額の合意がはっきりしない事件では,裁判所が旧規程や単位弁護士会の旧会規を相当報酬額の目安として参照した例がある。
③報酬をめぐる紛争を避けるには,委任契約の段階で,当該事件の経済的利益の算定方法(3分の1の扱いを含む。)と中途終了時の清算方法を書面で具体的に定めておくことが考えられる。
第2 旧日弁連報酬等基準規程の「3分の1」の定め
1 遺産分割請求事件の経済的利益
旧規程(平成7年9月11日会規第38号)は,平成7年10月1日から平成16年3月31日まで適用されていた規程である。
旧規程は,民事事件の着手金及び報酬金を経済的利益の額を基準として算定するものとし(17条1項),経済的利益の算定方法を14条1項各号で事件の類型ごとに定めていた。
遺産分割請求事件についての同項13号は,次のとおりである。
「遺産分割請求事件は、対象となる相続分の時価相当額。ただし、分割の対象となる財産の範囲及び相続分について争いのない部分については、その相続分の時価相当額の三分の一の額」
本文は相続分の時価相当額を原則とし,ただし書は,遺産の範囲と相続分の双方に争いがない部分に限って,これを3分の1に圧縮する構造である。
範囲と相続分に争いがなければ,主な争点は遺産の分け方の調整にとどまるため,相続分の全額を経済的利益とすると紛争の実態に比して過大になるという考え方によるものと考えられる。
本記事が引用する旧規程の条文は,当ブログに掲載した日弁連の,報酬等基準規程(平成7年9月11日会規第38号)(制定時の条文)による。
2 表形式の転載にみられる「範囲又は」との違い
インターネット上には,旧規程の内容を表形式にまとめた「(旧)日本弁護士連合会報酬等基準」という資料が複数の法律事務所のウェブサイトに掲載されており,その中には,遺産分割請求事件のただし書を「範囲又は相続分についての争いのない部分」と記載するものがある。
しかし,旧規程の文言は「範囲及び相続分について争いのない部分」であり,後記の東京地裁平成30年3月26日判決も,旧規程を,範囲及び相続分の双方に争いがない部分を3分の1とする定めとして扱っている。
「及び」と「又は」とでは,3分の1が及ぶ範囲が異なり得る。
「範囲及び相続分」であれば,遺産の範囲と相続分のいずれかに争いがある部分には3分の1は及ばない。
これに対して「範囲又は相続分」と読むと,一方にだけ争いがない部分まで3分の1とする余地が生じ,経済的利益が小さく算定される方向にずれる。
なお,直前の14条1項12号(共有物分割請求事件)は,持分の時価の3分の1を原則とし,「分割の対象となる財産の範囲又は持分に争いのある部分」を例外とする逆向きの構造の規定であり,「又は」の文言はこちらに現れる。
3 計算例
旧規程17条1項の報酬金の料率は,経済的利益の額のうち300万円以下の部分が16%,300万円を超え3000万円以下の部分が10%,3000万円を超え3億円以下の部分が6%,3億円を超える部分が4%であった。
以下は,依頼者の法定相続分の時価相当額が6000万円で,遺産の範囲にも相続分にも争いがなく,遺産の分け方だけが問題となった事件で,依頼者が相続分どおりの遺産を取得したと仮定した本記事の計算例である。
相続分の時価相当額6000万円をそのまま経済的利益とすると,報酬金の標準額は498万円(300万円×16%+2700万円×10%+3000万円×6%)となる。
13号ただし書により3分の1の2000万円を経済的利益とすると,報酬金の標準額は218万円(300万円×16%+1700万円×10%)となる。
いずれも消費税相当額を含まない額である(旧規程10条)。
旧規程は,事件の内容により30%の範囲内での増減額を認め(17条2項),調停事件については算定額の3分の2への減額を認めていた(18条1項ただし書)。
4 減額義務と協議による増額の定め
旧規程は,経済的利益の算定について,紛争の実態との調整も定めていた。
15条1項は,「前条で算定された経済的利益の額が、紛争の実態に比して明らかに大きいときは、弁護士は、経済的利益の額を、紛争の実態に相応するまで、減額しなければならない。」と定めていた。
他方,9条は,依頼を受けた事件が特に重大若しくは複雑なとき,審理若しくは処理が著しく長期にわたるとき等に,依頼者と協議のうえ,報酬額を適正妥当な範囲内で増額できるとしていた。
本記事では,旧規程の下でも,処理に長期間を要したことは経済的利益を大きく算定する理由ではなく,依頼者との協議による増額の問題として扱われていたと整理する。
第3 旧規程廃止後の規律
1 弁護士の報酬に関する規程
旧規程は平成16年3月31日に廃止され,同年4月1日からは,弁護士の報酬に関する規程(平成16年2月26日会規第68号)が適用されている。
同規程は,報酬を「経済的利益、事案の難易、時間及び労力その他の事情に照らして適正かつ妥当なもの」でなければならないとし(2条),報酬に関する基準の作成と事務所への備置きを義務付け,その基準に報酬の種類,金額,算定方法,支払時期等を明示するよう求めている(3条1項・2項)。
旧規程の算定方法を自らの報酬基準に取り入れている法律事務所もあり,その場合,遺産分割事件の経済的利益に3分の1のただし書が及ぶかどうかは,その事務所の報酬基準の文言によって決まる。
同規程4条は,法律事務を依頼しようとする者から申出があったときは,報酬見積書の作成及び交付に努めるものとしている。
2 受任時の説明と委任契約書
弁護士職務基本規程(平成16年11月10日会規第70号)24条は,「弁護士は、経済的利益、事案の難易、時間及び労力その他の事情に照らして、適正かつ妥当な弁護士報酬を提示しなければならない。」と定める。
同規程29条1項は,受任に当たり,事件の見通し,処理の方法並びに弁護士報酬及び費用について適切な説明をしなければならないとし,30条1項は,弁護士報酬に関する事項を含む委任契約書の作成を義務付けている。
弁護士の報酬に関する規程5条4項は,委任契約書に記載しなければならない事項として,「受任する法律事務の表示及び範囲、弁護士等の報酬の種類、金額、算定方法及び支払時期、委任事務の終了に至るまで委任契約の解除ができる旨並びに委任契約が中途で終了した場合の清算方法」を掲げている。
委任契約書に「当事務所の報酬基準による」とだけ書き,当該事件での経済的利益の算定方法(3分の1のただし書を適用するかどうかを含む。)を示さないままにすると,事件の終了後に算定の前提をめぐって依頼者と弁護士の意見が分かれるおそれがある。
3 民法の委任の報酬と中途終了
弁護士への事件の依頼は委任契約であり,受任者は,委任が履行の中途で終了したときは,既にした履行の割合に応じて報酬を請求することができる(民法648条3項2号)。
委任は各当事者がいつでも解除することができ(同法651条1項),その解除は将来に向かってのみ効力を生ずる(同法652条による620条の準用)。
したがって,事件の途中で依頼者が弁護士を解任した場合の報酬は,委任契約書に清算方法の定めがあればそれにより,定めがなければ事務処理の程度に応じて定まることになる。
第4 報酬額の定めがない場合の相当報酬額
報酬額について依頼者との間に定めがない場合について,最高裁昭和37年2月1日第一小法廷判決(昭和36年(オ)第5号,民集16巻2号157頁)の裁判要旨は,次のとおりである。
「弁護士の訴訟委任事務処理に対する報酬の額につき依頼者との間に別段の定めがなかつた場合には、事件の難易、訴額および労力の程度ばかりでなく、依頼者との平生からの関係、所属弁護士会の報酬規則等その他諸般の状況をも審査し、当事者の意思を推定し、以て相当報酬額を算定すべきである。」
同判決は旧規程の制定前の事案であるが,所属弁護士会の報酬規則等を考慮要素に挙げている。
次に紹介する下級審裁判例も,旧規程や単位弁護士会の旧会規を相当報酬額の算定に用いる根拠として,同判決を参照している。
第5 相続関係事件の報酬をめぐる裁判例
1 東京地裁平成30年3月26日判決
東京地裁平成30年3月26日判決(平成27年(ワ)第35367号)は,両親の遺産について遺産分割調停を共同受任した弁護士らが,調停が審判に移行した後に依頼者から解任され,依頼者に報酬を請求した事件である。
委任契約書には,受任弁護士の報酬基準による旨の記載しかなく,具体的な算定方法は契約書からは明らかでなかった。
判決は,同じ依頼者との別件の委任では旧規程により報酬を精算していたことなどから,本件でも旧規程による報酬を支払う旨の黙示の合意があったと認めた。
仮にその合意がなかったとしても,最高裁昭和37年2月1日判決の枠組みにより,旧規程を参考に相当報酬額を定めるのが相当であるとした。
そのうえで判決は,遺産の範囲及び相続分に争いがない事件であったとして,依頼者が審判により取得した額(少なくとも7162万2897円)の3分の1を経済的利益とし,委任契約書の算定方法により報酬金を約270万円と算定した。
依頼者は,争いのない事案で弁護士の労力は小さかったと主張したが,判決は,範囲や相続分に争いがないという事情は経済的利益を3分の1とすることで既に反映されているとして,これを理由とする更なる減額を認めなかった。
他方,弁護士らは事件の終了前に解任されていたため,判決は,約定の報酬全額ではなく事務処理の程度に応じた報酬に限られるとした。
解任までに特別受益や寄与分を考慮する必要がないことが明らかになり,不動産の鑑定も終わっていた一方で,後任の代理人がその後も審判期日を重ねたことなどを考慮して,事務処理の程度を8割とし,報酬金を215万6640円とした。
2 東京地裁令和5年9月26日判決
東京地裁令和5年9月26日判決(令和3年(ワ)第19010号,令和4年(ワ)第21552号)は,亡母の遺産分割調停事件等を受任した弁護士らが,着手金350万円を受領した後に報酬金997万5000円を請求し,依頼者が反訴で着手金の返還を求めた事件である。
弁護士らは,依頼者が取得した財産等の合計約3800万円の25%が合理的な報酬額であると主張したが,報酬金の額についての合意は認められなかった。
判決は,最高裁昭和37年2月1日判決を参照したうえで,弁護士の所属する東京弁護士会の旧弁護士報酬会規を報酬金算定の合理的な基準として用いた。
経済的利益は,調停で依頼者が取得した保険契約上の権利(解約返戻金約929万円相当)と,経済的利益を算定できない委任事項についての800万円の合計約1729万円とされた。
相手方が特別受益の主張をしなくなった生前贈与の不動産や,調停外で取得された保険契約上の権利は,弁護士らの委任事務処理によって取得したものとは認められないとして,経済的利益に算入されなかった。
同会規の料率による報酬金は約190万円となるが,判決は,調停事件の報酬を3分の2まで減額できるとする同会規の定めを踏まえ,調停が3回の期日で成立したこと,弁護士らの主張書面が2通にとどまったこと,着手金350万円を受領していることなどを考慮して,その約7割の130万円を相当な報酬金の額とした。
依頼者の反訴(公序良俗違反,錯誤,債務不履行解除等を理由とする着手金の返還請求)は,いずれも退けられた。
3 東京地裁令和5年2月22日判決
東京地裁令和5年2月22日判決(令和3年(ワ)第23995号)は,遺言により単独で取得した不動産の占有者に対する明渡し請求訴訟を受任した弁護士らが,和解による終了後,着手金と報酬金の支払を求めた事件である。
依頼者は,紛議調停を申し立てたうえで,説明が不十分であったなどとして支払を拒んだ。
判決は,弁護士が受任時に報酬基準を印刷したものを交付し,不動産の評価額を基に着手金の標準額と増減の幅を示したうえで,依頼者の経済状況等を考慮して下限額から更に減額した額を提示していたことなどを認定し,委任契約書どおりの合意の成立を認めた。
事件の終了後にも,弁護士が報酬基準による報酬金の標準額を示したうえで減額した額を提案し,依頼者がこれを了承したとして報酬金の額の合意が認められ,請求はほぼ全額が認容された。
もっとも判決は,建物に居住する者に対して明渡しを求める事件を,占有権ではなく所有権に関する事件として経済的利益を説明した点について,適切さを欠く面があったと指摘している。
着手金の額自体が基準に照らして標準的なものであったため結論は左右されなかったが,経済的利益の区分の説明の正確さが問われ得ることを示す判断である。
4 これらの裁判例から読み取れること
3件はいずれも東京地裁の判決であり,事案も異なるから,これだけで裁判所の一般的な傾向を断定することはできない。
もっとも,次の点は3件に共通するか,少なくとも1件で明確に示されている。
①報酬額の合意が明確でないと,裁判所は最高裁昭和37年2月1日判決の枠組みにより相当報酬額を定め,その際,旧規程や単位弁護士会の旧会規が目安として用いられることがある。
②旧規程等の料率で算定した額がそのまま認められるとは限らず,労力や受領済みの着手金を考慮して減額されることがある。
③3分の1のただし書を適用した事件で,争いがないことを理由に更に減額することは否定された例がある。
④受任時と終了時に報酬基準の内容を具体的な数字で説明した記録がある事件では,報酬額の合意が認められた例がある。
第6 委任契約の際に確認しておくこと
1 経済的利益の算定方法
依頼者の立場からは,委任契約の締結前に,弁護士の報酬基準の該当部分の交付又は提示を受け,当該事件の経済的利益を何円と見込むのか,その算定に3分の1のただし書又はこれに相当する定めを適用するのか,適用しないのであればその理由は何かについて,説明を求めることが考えられる。
遺産に含まれるかどうかに争いのある財産,調停外で解決した部分,相手方が主張を取り下げた部分を経済的利益に含めるかどうかも,前記の東京地裁令和5年9月26日判決のように事件の終了後に争点となり得る。
弁護士の立場からは,報酬金を「協議のうえ定める」とするだけでなく,算定式を委任契約書に書き,事件の長期化や複雑化に備えるのであれば,協議による増額の定めを置いておくことが考えられる。
説明した内容は,報酬基準の写しや見積書と併せて記録に残しておくと,後に説明の有無や内容が争われたときの資料になる。
2 中途終了と手続の移行
委任契約が中途で終了した場合の清算方法は,委任契約書の記載事項である(弁護士の報酬に関する規程5条4項)。
遺産分割事件では,調停から審判へ,審判から即時抗告へと手続が移行することがあり,それぞれの段階での着手金の要否と額も定めておくことが考えられる。
旧規程は,調停事件から引き続き訴訟その他の事件を受任するときの着手金を,算定額の2分の1としていた(18条3項)。
3 紛議調停と懲戒請求
報酬について弁護士と依頼者の意見が合わないときは,弁護士会の紛議調停を利用することができる。
弁護士法41条は,「弁護士会は、弁護士の職務又は弁護士法人の業務に関する紛議につき、弁護士、弁護士法人又は当事者その他関係人の請求により調停をすることができる。」と定めており,依頼者だけでなく弁護士の側からも申し立てることができる。
日弁連の弁護士白書2025年版によれば,2024年に全国の弁護士会の市民窓口が受け付けた苦情21,777件のうち,「報酬」に関するものは1,566件(7.2%)であり,そのうち1,461件は依頼者からの申立てであった。
懲戒手続は,弁護士に報酬の返還や損害賠償を命じる手続ではないため,金銭の清算を求めるのであれば,紛議調停や民事訴訟による必要がある(懲戒手続の流れは弁護士会の懲戒手続を参照)。
第7 関連記事
①日弁連の,報酬等基準規程(平成7年9月11日会規第38号)は,旧規程の制定時の全文である。
②日弁連の,弁護士の報酬に関する規程(平成16年2月26日会規第68号)は,現行規程の制定時の条文である。
③家庭裁判所が選任した遺言執行者の報酬の目安-現行法と旧基準は,遺言執行者の報酬と旧規程の関係を扱っている。
④弁護士職務基本規程-現行条文,82条及び判例上の位置付けは,職務基本規程の全体像を扱っている。
⑤不当な懲戒請求と不法行為責任は,根拠のない懲戒請求が不法行為となる場合を扱っている。
⑥弁護士に対する業務妨害と対策――日弁連の宣言,濫用的懲戒請求,国選弁護人の解任及び法律事務所のカスハラ対策は,濫用的懲戒請求を含む弁護士への業務妨害を扱っている。
第8 出典
1 日弁連の会規
①日本弁護士連合会「報酬等基準規程」(平成7年9月11日会規第38号,平成16年3月31日廃止)9条,10条,14条1項12号・13号,15条1項,17条1項・2項,18条1項・3項(当ブログ掲載の制定時の条文)
②日本弁護士連合会「弁護士の報酬に関する規程」(平成16年2月26日会規第68号)2条,3条1項・2項,4条,5条4項
③日本弁護士連合会「弁護士職務基本規程」(平成16年11月10日会規第70号)24条,29条1項,30条1項
2 法令
①民法620条,648条3項,651条1項,652条(e-Gov法令検索)
②弁護士法41条(e-Gov法令検索)
3 裁判例
①最高裁昭和37年2月1日第一小法廷判決(昭和36年(オ)第5号,民集16巻2号157頁,裁判所ウェブサイト)
②東京地裁平成30年3月26日判決(平成27年(ワ)第35367号,裁判所HP未掲載,判例秘書で確認(判例番号L07331667))
③東京地裁令和5年2月22日判決(令和3年(ワ)第23995号,裁判所HP未掲載,判例秘書で確認(判例番号L07830681))
④東京地裁令和5年9月26日判決(令和3年(ワ)第19010号・令和4年(ワ)第21552号,裁判所HP未掲載,判例秘書で確認(判例番号L07832050))
4 統計
①日本弁護士連合会『弁護士白書2025年版』179頁「弁護士に対する苦情申立て」