第1 この記事の対象と資料
1 この記事の対象
交通事故の損害賠償訴訟では,後遺障害の有無・程度や,事故と症状との因果関係が医学的に争われることが多い。
自賠責保険の等級認定や協力医の意見書だけでは決着せず,裁判所が鑑定を採用する場合もあるが,事故の相手方の保険会社側の医師と利害関係のない鑑定人を見つけるのは容易ではない。
本記事は,最高裁判所の医事関係訴訟委員会に,裁判所が鑑定人候補者の推薦を依頼した事案のうち,交通事故その他の医療過誤以外の人身損害の事案を全て拾い出し,どのような類型で,どの学会に依頼され,推薦がどの程度順調に進んだかを整理するものである。
委員会の推薦の仕組みそのものは,医療訴訟の鑑定人はどう選ばれるかで扱っている。
2 使用した資料と集計の方法
資料は,最高裁判所の医事関係訴訟委員会についてのページに掲載された,第3回(平成14年1月16日)から第37回(令和8年5月27日)までの議事要旨に添付された推薦依頼事案の概要と,推薦依頼事案の経過一覧表である(令和8年9月19日・20日に取得)。
事案の概要は,裁判所が推薦依頼書に書いた要旨を匿名化したものであり,本記事ではさらに抽象化して紹介する。
平成13年の事案から令和7年の事案までを全て見て,被告が医療機関や医師ではなく,交通事故,労働災害,学校事故,暴行,保険事故等による人身損害について,後遺障害,因果関係又は死因が争われた事案を拾った。
事故の後の診療の過失が争点になった医療過誤の事案は除いた。
その結果は82件であった(本記事の集計)。
経過一覧表は平成28年3月の版までしか公表されていないため,平成27年の事案番号の途中以降の事案は,依頼先の学会が決まったところまでしか分からない。
期間や件数は本記事の集計であり,月単位の記載から計算したので1か月程度の誤差がある。
第2 交通事故の事件も対象になる根拠
医事関係訴訟委員会規則2条1号は,民事訴訟事件又は民事調停事件のうち争点若しくは証拠の整理又は裁判をするについて医学又は医療の専門的知識経験を必要とするものを「医事紛争事件」と定め,同条3号は,医事紛争事件の係属する裁判所等の依頼に基づいて鑑定人の候補者を選定することを委員会の事務としている。
対象は医学の専門的知識経験を要するかどうかで決まり,医療過誤の請求に限られていない。
実際にも,82件のうち58件は交通事故の事案であった(人身傷害保険の死因が争われた1件を含む)。
残りの内訳は,労働災害・公務災害・労働事件6件,学校・スポーツ・保育中の事故5件,保険金の請求(死因)2件,暴行2件,その他9件である(本記事の集計)。
第31回(平成31年3月15日)の議事要旨には,医療訴訟ではないが,交通事故や労災の事件で事故とPTSD等の精神疾患との因果関係が「熾烈に争われる」場合には判断に難渋することがあるという委員の発言が記録されている。
推薦を依頼するのは受訴裁判所であり,当事者が直接依頼することはできない。
選定依頼要領は,各裁判体や当事者の努力にもかかわらず鑑定人の選任が困難な事案を基本的な対象としているので,代理人としては,それまでに鑑定人を探した経緯を記録しておき,裁判所に委員会ルートの利用を求めることになる。
第3 類型別の件数と依頼先の学会
82件を争点の類型で分けると,次のとおりである(本記事の集計)。
| 類型 | 件数 | 主な依頼先の学会 |
|---|---|---|
| 骨折,関節,頸椎捻挫等の後遺障害一般 | 29件 | 日本整形外科学会 |
| 事故と死亡の因果関係・死因 | 8件 | 日本救急医学会,日本脳神経外科学会等 |
| 高次脳機能障害・脳外傷 | 7件 | 日本脳神経外科学会,日本精神神経学会 |
| 頸髄・脊髄の損傷 | 6件 | 日本整形外科学会,日本脊椎脊髄病学会 |
| PTSD・うつ病等の精神障害 | 5件 | 日本精神神経学会 |
| 眼の障害 | 5件 | 日本眼科学会 |
| CRPS・RSD | 4件 | 日本整形外科学会 |
| 難聴 | 4件 | 日本耳鼻咽喉科学会 |
| けいれん,ジストニア等の神経症状 | 4件 | 日本神経学会 |
| 線維筋痛症 | 3件 | 日本整形外科学会等 |
| 脳脊髄液漏出症 | 3件 | 日本脳神経外科学会等 |
| その他 | 4件 | 日本整形外科学会等 |
後遺障害一般の29件は,ほぼ全て日本整形外科学会に依頼されている。
眼の障害は日本眼科学会,難聴は日本耳鼻咽喉科学会というように,障害の部位に対応する基盤学会が選ばれている。
事故と死亡の因果関係では,死亡に至る経過に応じて,救急医学,脳神経外科,循環器,リハビリテーション医学等の学会が選ばれている。
第4 推薦は順調に進むか
1 全体の期間
経過一覧表で経過が分かる事案で計算すると,依頼から学会の推薦回答までは中央値1か月,依頼から鑑定人の選任までは中央値3か月,選任から鑑定書の提出までは中央値4か月であった(本記事の集計)。
終局は,和解32件,判決22件,取下げ3件であった。
2 器質的な障害は順調
骨折,関節,頸髄の損傷,眼,難聴のように画像や検査で確かめやすい障害の事案と,死因の事案は,ほとんどが順調に推薦を受けている。
例えば,難聴の4件は,いずれも依頼から2か月以内に推薦の回答があった。
3 精神・心因・中枢の機能障害は難航しやすい
経過が分かる67件のうち,推薦が難航したものは14件(約21%)であった(本記事の集計。推薦困難,適任者なし,他の学会が適当との回答,候補者・鑑定人の辞退・辞任,鑑定不能及び利害関係による再依頼を難航とした)。
難航は,高次脳機能障害,PTSD等の精神障害,ジストニア等の神経症状の類型に集中しており,これらの類型で経過が分かる12件のうち9件が難航した。
具体的には,次のような経過がみられる。
①暴行によるPTSDの事案と,二輪車の同乗中の追突事故によるPTSDの事案では,日本心身医学会が「他の学会が適当」又は「適任者なし」と回答し,日本精神神経学会に依頼し直した。
②交通事故後の人格障害を含む後遺障害の事案では,日本脳神経外科学会が「適任者なし」と回答し,別の学会に依頼し直した。
③体育祭の水泳リレーでの頸椎損傷の数年後に生じたジストニアの事案では,日本神経学会,日本精神神経学会及び日本心療内科学会のいずれからも推薦が困難とされ,日本神経学会に再依頼して推薦を得るまで約9か月かかった。
④小児の高次脳機能障害の事案では,日本精神神経学会が推薦困難と回答し,日本小児科学会に依頼し直した。
⑤自転車と自動車の事故で,神経痛,PTSD及び高次脳機能障害が争われた事案では,日本脳神経外科学会から「鑑定事項の一部につき推薦困難」との回答があった。
第29回(平成29年2月21日)の議事要旨には,高次脳機能障害や知覚異常のように判断の難しい事案が増え,学会が対応に苦慮しているのではないかという委員の発言があり,第31回では,精神神経が問題となる事案では医学的判断自体が難しいため,学会が推薦をためらう場合もあるという発言が記録されている。
4 線維筋痛症と脳脊髄液漏出症
線維筋痛症の3件のうち,疾患の専門学会に依頼した1件では,選任された鑑定人が辞任した。
その後の2件は日本整形外科学会に依頼され,いずれも鑑定書の提出と和解に至っている。
脳脊髄液漏出症(低髄液圧症候群)の事案では,依頼から選任まで1年以上かかったものがある。
第5 推薦を早く確実に得るための工夫
1 鑑定事項を診療科ごとに分ける
鑑定事項が複数の診療科にまたがると,依頼先の学会から「一部推薦困難」と回答されることがある。
第29回では,鑑定事項の一部が専門外であるとして推薦を断られた事案が複数あることが事務局から説明された。
交通事故その他の事故の事案でも,鑑定事項を診療科ごとに分けて複数の学会に並行して依頼した例がある。
①頸椎捻挫の1年余り後の両眼の調節機能障害の事案では,日本整形外科学会が推薦困難と回答した後,日本眼科学会と日本脳神経外科学会に分けて依頼し,それぞれ鑑定人が選任された。
②臨海学校での水泳中の死亡の事案では,法医学と救急医学の学会に分けて依頼された。
③妊娠中の事故と早産・児の後遺障害の因果関係の事案では,日本産科婦人科学会と日本小児科学会に依頼された。
後遺障害の部位と,事故との因果関係の機序とで,必要な専門分野が違うことが多い。
鑑定の申出では,どの鑑定事項をどの診療科の医師に尋ねるのかを分けて書いておくとよい。
2 基盤学会を選ぶ
第36回(令和7年6月30日)の議事要旨では,学会の選定に当たり,どの臓器の疾患か,患者が幼児や高齢者か,救急医療やリハビリテーションの場面か等を考慮していること,様々なサブスペシャルティの医師が所属する基盤学会を選ぶことが多いことが説明されている。
推薦依頼の事案をみても,PTSDは日本心身医学会より日本精神神経学会,線維筋痛症は疾患の専門学会より日本整形外科学会で完了している。
推薦依頼書の「推薦に当たっての希望」では,細かい専門分野を指定しすぎず,基盤となる診療科を示すほうが推薦を得やすいと考えられる。
3 利害関係と除外の範囲
後遺障害の事案でも,候補者が被告側と利害関係を有していたために再依頼となった例がある。
他方,避けてほしい候補者の範囲を広げすぎると推薦が難しくなるとして,第29回で問題とされている。
除外を求める範囲は,事故の相手方の保険会社の顧問医,自賠責の認定に関与した医師,協力医の所属など,具体的な利害関係に絞って理由とともに裁判所に伝えるのが適切である。
4 原因不明という鑑定もありうる
第34回(令和5年6月19日)の議事要旨には,原因の判断が難しい事例では,鑑定人は原因を明らかにしなければならないと考えがちであるが,医学的に原因が不明であればそのような鑑定意見を述べればよいことを裁判所から鑑定人にあらかじめ説明する必要があるのではないかという委員の意見と,そのような意見を率直に述べてもらえるよう説明を尽くしていきたいというオブザーバーの発言が記録されている。
心因や痛みが争われる事案では,鑑定の結果が「事故との因果関係は医学的に判断できない」となることもありうるので,立証責任の所在を踏まえて,鑑定を申し出るかどうかを依頼者と検討しておく必要がある。
第6 鑑定が解決に果たす役割
第20回(平成20年6月25日)に報告された裁判所へのアンケートには,後遺障害の等級に争いがあった事件で,鑑定の結果が原審の認定と同じ等級であったため控訴が取り下げられたと思われるという回答がある。
他方,代理人へのアンケートには,鑑定人がその病気の専門家ではなかったのに,被害者には反対の考えを持つ鑑定人を別に依頼する資力がなかったという不満も寄せられている。
82件のうち終局の区分が分かる57件をみると,和解32件,判決22件,取下げ3件であり,半数以上が和解で終わっている(本記事の集計)。
鑑定は判決の資料になるだけでなく,和解の基礎にもなる。
第7 代理人の実務上の対応
交通事故の後遺障害や因果関係が争われる事件で鑑定を考えるときは,次の点を整えておく。
①協力医の意見書や自賠責の認定資料で争点を絞り込み,鑑定事項を診療科ごとに分けて書く。
②地元で鑑定人が見つからないときは,これまでに鑑定人を探した経緯を記録したうえで,医事関係訴訟委員会を通じた学会への推薦依頼を裁判所に求める。
③推薦依頼書の「推薦に当たっての希望」では基盤となる診療科を示し,除外を求める範囲は具体的な利害関係に絞る。
④高次脳機能障害,PTSD,ジストニア,線維筋痛症等の事案では推薦が難航しやすいことを前提に,早めに申し出る。
⑤推薦から鑑定書の提出まで半年以上,事件の終局までさらに時間がかかることと,鑑定費用の負担を依頼者に説明しておく。
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第9 出典
1 規則
①医事関係訴訟委員会規則(平成13年最高裁判所規則第5号)2条(裁判所ウェブサイト)
2 医事関係訴訟委員会の資料
①最高裁判所「医事関係訴訟委員会について」(議事要旨と添付資料の一覧)
②第4回議事要旨(平成14年3月6日)と添付の選定依頼要領(抜粋)
③第20回議事要旨(平成20年6月25日)と添付のアンケート結果
④第29回議事要旨(平成29年2月21日)
⑤第31回議事要旨(平成31年3月15日)
⑥第34回議事要旨(令和5年6月19日)
⑦第36回議事要旨(令和7年6月30日)
⑧推薦依頼事案の経過一覧表(平成28年3月の版,第28回添付)
⑨推薦依頼事案の経過一覧表(平成24年の版,第25回添付)
* 本記事の件数と期間は,各回の議事要旨に添付された推薦依頼事案の概要と経過一覧表から集計したものである。特定の裁判例を根拠としていないため,判例秘書による判例本文の確認は行っていない。