第1 結論の要旨と本記事の対象
1 本記事の対象と基準日
(1) 対象とする後遺障害と基準日
本記事は,交通事故による頭部外傷や顔面の骨折等の後に,においが分からなくなった場合(嗅覚障害)や味が分からなくなった場合(味覚障害)に,自賠責保険でどの後遺障害等級に当たるか,その等級が損害賠償の場面でどのように扱われるかを整理するものである。
鼻そのものを失った場合(鼻の欠損)と,鼻呼吸が困難になった場合もあわせて扱う。
記載は令和8年9月18日現在のものであり,自賠法施行令と労災保険法施行規則(以下「労災則」という。)の条文は同日にe-Gov法令検索で,労災の障害等級認定基準は同日に厚生労働省法令等データベースで,それぞれ原文を確認した。
(2) 資料の性質
医学的な仕組み,検査の方法及び訴訟上の争点の整理は,主に小松初男・小林覚・西本邦男編『後遺障害入門 認定から訴訟まで』(青林書院,平成30年)の鼻の障害と口の障害の章によっている。
同書は平成30年の刊行であるため,等級表,認定基準及び自賠責保険の支払基準は,本記事の基準日の原文で確認し直した。
同書は嗅覚障害と味覚障害について多数の下級審裁判例を紹介しているが,本記事の調査ではそれらの判決原文を確認していないため,個別の裁判例としては取り上げず,同書の整理として紹介するにとどめる。
裁判例として取り上げるのは,裁判所ウェブサイトで確認した最高裁判所の判決だけである。
2 結論の要旨
(1) 等級
鼻の欠損を伴わない嗅覚障害は,等級表に直接の定めがなく,自賠法施行令別表第二の備考6により,嗅覚脱失は12級相当,嗅覚の減退は14級相当として扱われる。
鼻呼吸困難も12級相当である。
鼻を欠損し,嗅覚脱失又は鼻呼吸困難を残した場合は9級5号に当たるが,鼻の欠損は外貌の醜状としても評価され,いずれか上位の等級によって認定される。
味覚障害も等級表に定めがなく,頭部外傷その他顎周囲組織の損傷及び舌の損傷によって生じた味覚脱失は12級相当,味覚減退は14級相当として扱われる。
(2) 検査と争点
嗅覚は,T&Tオルファクトメーターによる基準嗅力検査の平均嗅覚損失値で脱失と減退が区分され,嗅覚脱失は,アリナミン静脈注射による静脈性嗅覚検査の所見だけで確認してもよいとされている。
味覚は,濾紙ディスク法の最高濃度液による検査で,基本4味質を認知できるかによって脱失と減退が区分される。
訴訟では,事故から時間が経ってから症状を訴えた場合の事故との因果関係と,等級が認められた後の逸失利益の有無が主に争われる。
逸失利益は,調理師など嗅覚や味覚が仕事に直結する職業では認められやすく,そうでない職業では否定されて慰謝料で考慮されることが多いと整理されている。
第2 嗅覚・味覚の仕組みと外傷による障害
1 嗅覚の仕組みと嗅覚障害の種類
(1) においが伝わる経路
前記『後遺障害入門』によれば,においの物質は,鼻の穴から鼻腔に入って鼻腔の天井部分にある嗅上皮の粘膜に達し,そこで嗅細胞に受け取られる(同書231頁)。
嗅細胞から伸びる嗅神経は,頭蓋骨の底にある篩骨篩板の小さな孔を貫いて,脳の一部である嗅球に達し,そこから嗅覚の中枢に伝わって,においとして認識される。
鼻腔の天井は薄い篩板を挟んで前頭葉と接しており,頭部に強い衝撃を受けると,この経路のどこかが損傷されることがある。
(2) 嗅覚障害の種類
同書は,嗅覚障害を,自覚症状の程度により,次の5種類に分類している(同書232頁)。
①嗅覚脱失(まったくにおいを嗅ぐことができない)
②嗅覚減退(においを嗅ぐ能力が正常者に比べて弱い)
③嗅覚過敏(においが異常に刺激的に感じられる)
④嗅覚錯誤(通常とは違ったにおいとして感じられる)
⑤嗅覚幻覚(実際には存在しないにおいがするように感じられる)
後遺障害等級の認定基準が定めているのは,このうち嗅覚脱失と嗅覚の減退だけである(第3の3)。
嗅覚過敏,嗅覚錯誤及び嗅覚幻覚について,認定基準は等級を定めていない。
2 外傷性嗅覚障害の発生機序と気づくのが遅れること
(1) 呼吸性・末梢神経性・中枢性
同書は,原因部位により,嗅覚障害を呼吸性嗅覚障害と神経性嗅覚障害に分け,神経性嗅覚障害をさらに末梢神経性と中枢神経性に分けている(同書232頁)。
交通事故等による外傷性の嗅覚障害としては,次の三つが考えられるとされ,これらが複数混ざった混合性のものも少なくないとされている(同書232頁)。
①呼吸性嗅覚障害(骨折等によって鼻腔がふさがれ,においの物質が嗅上皮まで届かないもの)
②末梢神経性嗅覚障害(急激な衝撃で嗅神経の枝が断裂し,又は損傷したもの)
③中枢神経性嗅覚障害(脳挫傷や脳出血によって嗅球から中枢側が障害されたもの)
同書によれば,鼻骨骨折等の場合は骨折の整復により嗅覚が回復する例も多いが,嗅神経の束(嗅糸)が断裂した場合は,ほとんどが嗅覚脱失の状態となり,回復は期待できない(同書233頁)。
呼吸性のものは神経性のものより一般に軽度であり,原因を取り除けば回復が期待できるとされている(同書232頁)。
(2) 受傷後しばらくしてから気づくことが多いこと
同書は,外傷を受けた直後に嗅覚障害に気づくことはほとんどなく,他の傷害がある程度落ち着く数週間から数か月後に嗅覚の低下に気づいて受診することが多いとしている(同書233頁)。
頭部外傷後の検査で嗅覚の低下が認められた患者のうち40%は嗅覚低下を自覚していなかったという報告も紹介されている(同書233頁)。
また,嗅覚や味覚に関わる神経は細く,顕微鏡レベルの断裂や損傷はCTやMRIでは描出されないことがあり,画像検査で異常がなくても神経の微細な損傷はあり得るという医師の指摘も紹介されている(同書233頁)。
事故から時間が経ってから嗅覚障害を訴えることは珍しくないが,後に述べるとおり,それが事故との因果関係の争点になる(第5の1)。
同書は,嗅覚障害には味覚障害を伴うことも少なくないとしている(同書233頁)。
3 味覚障害の種類と原因
(1) 味覚障害の種類
同書によれば,味覚は,舌の表面,軟口蓋,咽頭の後壁及び喉頭蓋に分布する味蕾が,水に溶けた化学物質の刺激を受けて生じる感覚である(同書247頁~248頁)。
味覚障害には,味覚減退,味覚脱失,自発性異常味覚,異味症,解離性味覚障害などがあり,味覚を受け取る舌の味蕾の障害が主であるとされている(同書250頁)。
(2) 事故以外の原因
同書は,味覚障害の三大原因を,原因が特定できない特発性のもの,亜鉛欠乏症及び薬剤性のものとし,ほかに感冒の後,全身疾患,鉄欠乏症,耳の手術後,心因性などを挙げている(同書250頁)。
味覚障害には事故と関係なく生じる原因が多いことから,事故による味覚障害を主張する場合には,これらの原因ではなく事故による損傷が原因であることを示す必要があると考えられる。
後に述べるとおり,認定基準も,味覚障害を等級の対象とするのは,頭部外傷その他顎周囲組織の損傷及び舌の損傷によって生じたものに限っている(第3の4)。
第3 等級表と認定基準
1 等級表の文言と認定基準の位置付け
(1) 自賠法施行令別表第二の定め
自賠法施行令別表第二が鼻の障害について定めているのは,9級5号の「鼻を欠損し、その機能に著しい障害を残すもの」だけであり,9級の保険金額は616万円である。
嗅覚や味覚の障害そのものを定めた号はなく,同表の備考6は,「各等級の後遺障害に該当しない後遺障害であつて、各等級の後遺障害に相当するものは、当該等級の後遺障害とする。」と定めている。
嗅覚障害と味覚障害は,この備考6により,他の号に「相当」する後遺障害として扱われる。
相当等級の考え方は,後遺障害等級の号数の読み方で説明している。
(2) 労災の認定基準に準じて認定されること
自賠責保険の支払基準(平成13年金融庁・国土交通省告示第1号)第3は,「等級の認定は、原則として労働者災害補償保険における障害の等級認定の基準に準じて行う。」と定めている。
そのため,嗅覚障害と味覚障害の具体的な基準は,厚生労働省の「障害等級認定基準について」(昭和50年9月30日基発第565号)の別冊「障害等級認定基準」の鼻と口の項によって確認することになる。
味覚障害の部分は,「耳及び口の障害に関する障害等級認定基準の一部改正について」(平成14年2月1日基発第0201001号)によって改正されている(第3の4)。
労災則別表第一でも,鼻の欠損は9級5号であり,自賠責の9級5号と号数が一致する。
他方,準用の対象となる「局部にがん固な神経症状を残すもの」は労災則別表第一では12級12号,自賠法施行令別表第二では12級13号であり,号数が異なる。
「局部に神経症状を残すもの」は,いずれも14級9号である。
2 鼻の欠損(9級5号)と外貌の醜状
(1) 鼻の欠損と機能の著しい障害の意味
認定基準は,「鼻の欠損」を「鼻軟骨部の全部又は大部分の欠損」とし,「機能に著しい障害を残すもの」を「鼻呼吸困難又は嗅覚脱失」としている。
そのため,9級5号に当たるのは,鼻軟骨部の全部又は大部分を失い,かつ,鼻呼吸困難又は嗅覚脱失を残した場合である。
鼻の欠損が鼻軟骨部の全部又は大部分に達しない場合でも,それが外貌の醜状の程度に達するときは,単なる醜状として12級とされる(労災の12級14号,自賠責の12級14号)。
(2) 外貌の醜状とのいずれか上位の等級によること
認定基準は,鼻の欠損は外貌の醜状としてもとらえ得るが,耳介の欠損の場合と同様に,それぞれの等級を併合せず,いずれか上位の等級によるとしている。
その例として,鼻を欠損しその機能に著しい障害を残す場合は,鼻の障害としては9級5号に当たるが,外貌の醜状障害として7級12号に当たるので,7級12号とするとしている。
また,鼻の欠損を外貌の醜状としてとらえる場合に,鼻以外の顔面にも瘢痕等があるときは,鼻の欠損と顔面の瘢痕等を併せて,単なる醜状か著しい醜状かを判断するとしている。
外貌の醜状の大きさの基準と平成22年6月10日を境にした改正は,顔・首の傷あと(外貌醜状)の後遺障害等級で説明している。
3 鼻を欠損しない嗅覚障害と鼻呼吸困難
(1) 準用の等級
認定基準は,鼻の機能障害のみを残すものについては,等級表に特に定めがないので,その程度に応じて準用等級を定めるとし,嗅覚脱失又は鼻呼吸困難には12級12号を,嗅覚の減退には14級9号を準用するとしている(いずれも労災の号数)。
自賠責保険では,これが12級相当(12級13号の準用)と14級相当(14級9号の準用)になる。
認定基準の総論部分は,嗅覚脱失等の鼻の機能障害と味覚脱失等の口の障害は,神経障害ではないが全体としては神経障害に近い障害とみなされているため,一般の神経障害の等級を準用するとしている。
(2) 鼻呼吸困難の程度の区分がないこと
認定基準は,鼻呼吸困難を12級の準用とするだけで,鼻呼吸がどの程度妨げられれば「困難」に当たるかの数値基準や,14級に当たる軽い程度の区分を定めていない。
嗅覚には減退の区分があるのに対し,鼻呼吸には脱失と減退のような二段階の区分がない点に注意を要する。
4 味覚脱失と味覚減退
(1) 準用の等級と原因の限定
認定基準は,味覚障害について,次のとおり定めている。
①頭部外傷その他顎周囲組織の損傷及び舌の損傷によって生じた味覚脱失については,12級を準用する。
②頭部外傷その他顎周囲組織の損傷及び舌の損傷によって生じた味覚減退については,14級を準用する。
③味覚脱失は,濾紙ディスク法における最高濃度液による検査により,基本4味質すべてが認知できないものをいう。
④味覚減退は,同じ検査により,基本4味質のうち1味質以上が認知できないものをいう。
⑤検査を行う領域は,舌とする。
いずれも原因が「頭部外傷その他顎周囲組織の損傷及び舌の損傷」に限られており,それ以外の原因による味覚障害は,認定基準の準用の対象として定められていない。
(2) 療養終了から6か月経過後の認定と平成14年の改正
認定基準は,味覚障害は時日の経過により症状が次第に回復する場合が多いので,原則として療養を終了してから6か月を経過した後に等級を認定するとしている。
味覚減退を14級の準用とする定めは,平成14年2月1日基発第0201001号によって設けられたものである。
同通達は,味覚減退はそれまで障害として扱ってこなかったが,味覚減退を把握できる検査方法が定着したこと等から障害補償の対象とするとし,改正後の基準を平成14年4月1日以降に支給事由が生じたものに適用するとしている。
5 等級の一覧と併合
(1) 等級の一覧
以上をまとめると,次のとおりである。
| 障害 | 自賠責の等級 | 労災の等級 | 自賠責の保険金額 |
|---|---|---|---|
| 鼻を欠損し,嗅覚脱失又は鼻呼吸困難を残すもの | 9級5号(外貌の醜状の等級が上位ならその等級) | 9級5号 | 616万円 |
| 嗅覚脱失又は鼻呼吸困難(鼻の欠損なし) | 12級相当(12級13号の準用) | 12級12号の準用 | 224万円 |
| 嗅覚の減退 | 14級相当(14級9号の準用) | 14級9号の準用 | 75万円 |
| 味覚脱失(頭部外傷その他顎周囲組織・舌の損傷によるもの) | 12級相当 | 12級の準用 | 224万円 |
| 味覚減退(同上) | 14級相当 | 14級の準用 | 75万円 |
(2) 嗅覚障害と味覚障害がともに残った場合
認定基準の総論部分は,嗅覚脱失と味覚脱失を,いかなる障害の系列にも属さない場合の準用の例として挙げている。
自賠法施行令2条1項3号ニは,別表第二の13級以上の後遺障害が二以上ある場合,重い方の等級の1級上位の等級の保険金額によるとし,その金額がそれぞれの等級の保険金額の合算額を超えるときは合算額によると定めている。
そのため,例えば嗅覚脱失(12級相当)と味覚脱失(12級相当)がともに残った場合は,併合11級として扱われ,保険金額は11級の331万円となると考えられる。
嗅覚の減退(14級相当)が他の後遺障害と併存する場合は,14級は13級以上に当たらないため,等級の繰上げは生じない。
併合と加重の基本は,前記の号数の記事で説明している。
第4 検査の方法
1 嗅覚の検査
(1) 基準嗅力検査(T&Tオルファクトメーター)
認定基準は,嗅覚脱失と嗅覚の減退を,T&Tオルファクトメーターによる基準嗅力検査の認知域値の平均嗅覚損失値により,次のように区分している。
前記『後遺障害入門』は,同じ値を「平均嗅力損失値」と表記している(同書234頁)。
| 平均嗅覚損失値 | 区分 | 自賠責の等級 |
|---|---|---|
| 5.6以上 | 嗅覚脱失 | 12級相当 |
| 2.6以上5.5以下 | 嗅覚の減退 | 14級相当 |
同書によれば,この検査は,5種類のにおいの物質(花の香り,焦げたにおい,腐敗臭,果物のにおい及び糞臭)について,何かにおいを感じる濃度(検知域値)と,何のにおいか分かる濃度(認知域値)を測定するもので,嗅覚正常者が検知できる濃度を0番とし,10倍単位の8段階の濃度(5番から-2番まで)を用いる(同書235頁)。
嗅覚障害の程度は,平均認知域値により,正常(1.0以下),軽症(1.1~2.5),中等症(2.6~4.0),重症(4.1~5.5)及び脱失(5.6以上)の5段階に分類され,このうち中等症と重症が嗅覚の減退に,脱失が嗅覚脱失に対応するとされている(同書235頁)。
軽症(2.5以下)は,嗅覚の減退にも当たらないことになる。
(2) 検査の限界と実施できる医療機関
同書は,基準嗅力検査は国内で一般的な検査であるが,被検者が虚偽の申告をした場合には判定ができないなどの難点も指摘されているとしている(同書235頁)。
また,この検査は十分な換気が可能な設備が必要となるなどの制約から,大学病院などの大きな病院でないと扱っていないこともあるとしている(同書237頁)。
嗅覚障害を疑ったときは,検査を実施できる耳鼻咽喉科を早めに確認しておくことが実務上重要になると考えられる。
2 静脈性嗅覚検査(アリナミンテスト)と画像検査
(1) アリナミンテストと認定基準の定め
認定基準は,嗅覚脱失については,アリナミン静脈注射(「アリナミンF」を除く。)による静脈性嗅覚検査による検査所見のみによって確認しても差し支えないとしている。
同書によれば,この検査は,アリナミン注射液(一般名プロスルチアミン)を20秒かけて静脈内に注射し,特有のにんにく臭を感じ始めるまでの時間(潜伏時間。正常は7秒~10秒)と,においを感じてから消えるまでの時間(持続時間。正常は60秒~80秒)を測るものであり,嗅覚障害者では潜伏時間が延び,持続時間が短くなる(同書236頁)。
血液中の薬剤が肺から呼気に出て,のどの奥から嗅上皮に届くことを利用した検査であり,においが感じられれば嗅細胞が残って機能していると解釈でき,呼吸性か神経性かの区別に役立つとされている(同書236頁)。
アリナミンF注射液(一般名フルスルチアミン)は,においを弱めた製品であり,この検査には適していないとされている(同書235頁)。
検査の実施の可否は,受診先の耳鼻咽喉科に確認しておく必要がある。
(2) アリナミンテストだけで確認できるのは脱失であること
認定基準がアリナミンテストの所見のみで確認してよいとしているのは,文言上,嗅覚脱失に限られている。
そのため,嗅覚の減退(14級相当)を主張する場合には,基準嗅力検査による平均嗅覚損失値を示すことが必要になると考えられる。
同書は,CTやMRIは嗅覚障害の有無を直接確認する検査ではないが,頭部外傷の場合には嗅裂や脳の損傷の確認のために行われることが多く,CTで嗅裂部の変形が確認されれば嗅覚障害の存在をより客観的に裏付けることができるとしている(同書236頁)。
3 味覚の検査
(1) 濾紙ディスク法
同書によれば,濾紙ディスク法は,甘味,塩味,酸味及び苦味の溶液(ショ糖,食塩,酒石酸及び塩酸キニーネ)を5段階の濃度で用意し,直径5ミリメートルの濾紙ディスクに浸して舌に置いて調べる検査であり,味質ごとに評価することができる(同書254頁)。
正常値の上限は若年者で濃度系列3以下とされているが,60歳以上では濃度系列4が正常上限となるとされている(同書254頁)。
認定基準は,最高濃度液でも基本4味質すべてを認知できないものを味覚脱失,1味質以上を認知できないものを味覚減退としているから,等級の判断は,最高濃度液による結果が基準になる。
濾紙ディスク法の検査試薬として薬事承認を受けていた製品は,製造販売が中止され,供給が停止している(令和4年12月8日厚生労働省医政局医薬産業振興・医療情報企画課・労働基準局補償課事務連絡「濾紙ディスク法による味覚定量検査における試薬調製について」)。
同事務連絡は,労災保険の障害認定で用いる濾紙ディスク法による最高濃度液による検査には,日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会の示す調製法により医療機関で調製した味質液を用いた場合も含まれるとしている。
そのため,味覚の検査を受けるときは,受診先の医療機関で濾紙ディスク法の検査を実施しているかを事前に確認しておく必要がある。
(2) 電気味覚検査と心理テスト
同書によれば,電気味覚検査は,舌等に直流電流で刺激を与えて鼓索神経,舌咽神経及び大錐体神経の領域を調べるもので,神経障害の評価に適している(同書254頁)。
もっとも,認定基準が脱失と減退の定義に用いているのは濾紙ディスク法であるから,電気味覚検査の結果だけでは,認定基準の区分に当てはめることは難しいと考えられる。
同書は,心因が疑われる場合は心理テストも必要とされるとしている(同書254頁)。
第5 事故との因果関係と素因
1 事故から時間が経ってから訴えた場合
(1) 嗅覚障害
同書は,一般論として,事故後当初から嗅覚の異常を訴えており診療録等で確認できる場合は因果関係が認められやすく,事故後相当期間が経過した後に発症した場合は認められにくいとしている(同書237頁)。
他方で,事故の態様,他の傷害の程度及び治療状況によっては,嗅覚の減退や脱失に気づく時期が遅れたり,発生自体が遅れたりする例もあるとしている(同書237頁)。
同書は,食品の腐敗やガス漏れに気づかない,食事や調理に支障が出るといった日常生活上の出来事で初めて嗅覚障害に気づいた場合には,遅れて現れた理由を医師に確認するなどして,事故との因果関係を説明できるよう準備しておくことが望ましいとしている(同書237頁)。
第2の2で述べたとおり,外傷性の嗅覚障害は受傷後しばらくしてから気づくことが多いとされているから,気づいた時期と経緯を記録し,できるだけ早く耳鼻咽喉科で検査を受けることが重要になる。
(2) 味覚障害
同書は,味覚障害と事故との因果関係が認められるためには,事故直後に検査をして経過を観察することが重要であるとしつつ,味覚障害は遅れて発症することもあるから,事故直後に症状を訴えていなかった場合には,訴えが遅れた事情について合理的な説明をすべきであるとしている(同書257頁)。
同書は,事故から長期間が経過した後に初めて嗅覚や味覚の異常の診断を受け,それまで入通院した病院で異常を訴えた形跡がない場合に因果関係が否定された例があることも紹介している(同書256頁~257頁)。
味覚障害には亜鉛欠乏症や薬剤性など事故と無関係な原因も多いから(第2の3),事故前に味覚の異常がなかったことや,服薬の状況も含めて説明できるようにしておくことが望ましいと考えられる。
2 既存の変形と心因的要因
(1) 事故前の鼻の外傷や変形
同書は,鼻腔の形状は複雑で個人差も大きく,事故前の外傷(事故のみでなく,スポーツ等によるものも考えられる)で既に変形がある場合もあるので,過去に外傷を負って検査や治療を受けたことがある場合は,その内容を確認して評価することがより適切であるとしている(同書238頁)。
事故前の既存の変形や障害がある場合は,自賠責保険での加重の扱い(自賠法施行令2条2項)や,訴訟での損害額の調整が問題になり得る。
(2) 心因的要因と身体的特徴についての最高裁判決
嗅覚障害や味覚障害に心因的な要素が関わると主張される場合もある。
最高裁判所第一小法廷昭和63年4月21日判決(昭和59年(オ)第33号,民集42巻4号243頁)は,損害が加害行為のみによって通常発生する程度,範囲を超えるものであって,その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与しているときは,民法722条2項を類推適用して,損害賠償額を定めるにつき被害者のその事情を斟酌することができるとしている。
他方,最高裁判所第三小法廷平成8年10月29日判決(平成5年(オ)第875号,民集50巻9号2474頁)は,被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していても,それが疾患に当たらないときは,特段の事情がない限り,損害賠償の額を定めるに当たり斟酌することはできないとしている。
鼻腔の形状の個人差のような身体的特徴を理由に損害賠償額を減らすことは,この判決の考え方に照らして,疾患に当たるといえるかどうかが問題になると考えられる。
第6 逸失利益と慰謝料
1 自賠責保険の支払基準
(1) 慰謝料の額と労働能力喪失率
自賠責保険の支払基準は,令和2年4月1日以後に発生した事故について,後遺障害慰謝料の額と労働能力喪失率を次のとおり定めている。
| 等級 | 保険金額(自賠法施行令別表第二) | 後遺障害慰謝料(支払基準) | 労働能力喪失率(支払基準別表Ⅰ) |
|---|---|---|---|
| 9級 | 616万円 | 249万円 | 35/100 |
| 11級 | 331万円 | 136万円 | 20/100 |
| 12級 | 224万円 | 94万円 | 14/100 |
| 14級 | 75万円 | 32万円 | 5/100 |
保険金額は,逸失利益と慰謝料等から成る後遺障害による損害について,自賠責保険から支払われる額の上限である。
(2) 支払基準には嗅覚・味覚を理由とする逸失利益の制限がないこと
支払基準には,嗅覚障害や味覚障害であることを理由に逸失利益を否定し又は制限する定めはなく,等級に応じた労働能力喪失率表によって逸失利益を算定する仕組みになっている。
これに対し,訴訟では,嗅覚や味覚の障害が実際に労働能力に影響するかが個別に争われる。
2 訴訟での逸失利益の考え方
(1) 減収がない場合の逸失利益についての最高裁判決
最高裁判所第三小法廷昭和56年12月22日判決(昭和54年(オ)第354号,民集35巻9号1350頁)の裁判要旨は,交通事故による後遺症のために身体的機能の一部を喪失した場合でも,後遺症の程度が比較的軽微であって,被害者が従事する職業の性質からみて現在又は将来における収入の減少も認められないときは,特段の事情のない限り,労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害は認められないとしている。
嗅覚や味覚の障害は手足の機能障害と異なり身体の動きを直接制限しないため,職業の性質から収入の減少が見込まれるかどうかが,逸失利益の争点になりやすいと考えられる。
減収のない被害者の逸失利益の立証方法は,交通事故の後遺障害逸失利益で説明している。
(2) 実務書の整理
同書の総論部分は,味覚脱失と嗅覚脱失は12級相当,味覚減退と嗅覚減退は14級相当とされるとした上で,味覚や嗅覚が重視される調理師等では高い労働能力の喪失が認められ,主婦の嗅覚脱失について自賠責保険よりも高い労働能力の喪失が認められた例もあるが,そのような事情がないときは労働能力の喪失が否定されると整理している(同書23頁)。
鼻の障害の章でも,嗅覚の減退・脱失による後遺障害そのものは,医師による検査と診断があれば大きな困難なく認定される傾向にあるが,労働能力の喪失が認められるか,喪失率が労働能力喪失率表どおりになるか,喪失期間が何年とされるかは別の問題であるとしている(同書238頁)。
同書が紹介する裁判例には,調理師,飲食店勤務,溶剤を扱う業務,化学物質を扱う製造業務など,嗅覚が業務に直接関わる被害者について喪失率表と同程度以上の率を認めたものと,嗅覚が業務と具体的に結び付かない被害者について労働能力の喪失を否定し,慰謝料で考慮したものとがある(同書238頁~244頁)。
口の障害の章も,味覚を含む口の障害は直接労働能力に影響することが他の障害と比べて少ないと考えられ,逸失利益が否定される傾向にあるとしている(同書257頁)。
いずれも本記事では判決原文を確認していないため,個別の事件の内容には立ち入らない。
3 主張立証の要点と慰謝料
(1) 逸失利益の主張で示すべき事情
同書は,赤い本1994年版に掲載された論文を引用し,嗅覚の喪失・減退による逸失利益は原則として認めることが困難であるが,後遺障害の具体的な内容・程度,被害者の性別・年齢・職業,事故前後の稼働状況,職業の性質からみた収入減少又はそのおそれの有無・程度,将来の昇給・昇任・転職等における不利益な取扱いのおそれの有無等を総合的に勘案して認めることができる場合もあるとしている(同書238頁)。
そのうえで,逸失利益が認められるためには,特に次の事情を主張立証することが肝要であるとしている(同書239頁)。
①被害者の職業とその性質
②嗅覚の脱失がその業務に与えた具体的な影響
③再就職や転職が困難である事実
④収入の減少の状況
調理,食品の製造・検品,化学物質を扱う作業など,においや味で品質や安全を確かめる業務では,事故の前後で業務の内容がどう変わったか,補助者を付けるなどの特別な努力で業務を続けているかといった事情を,勤務先の資料等で具体的に示すことになると考えられる。
(2) 慰謝料での考慮
同書は,逸失利益が否定される場合には後遺障害慰謝料が認められるにとどまるが,その算定では,等級に応じた金額を参考にしつつ,被害者が被り又は将来被る日常生活上の様々な不利益・不都合をできる限り斟酌して柔軟に判断する必要があるという前記論文の指摘を紹介している(同書238頁)。
同書は,嗅覚脱失によって腐敗,ガス漏れ及び煙に気づかないといった生活上の危険にさらされることや,季節や天候を知らせるにおい,家族のにおいから感じる情緒を失うことなど,生活の質への影響を丁寧に主張立証することは,慰謝料だけでなく逸失利益の認定にも影響し得るとしている(同書239頁)。
訴訟で用いられる慰謝料の算定基準は支払基準の額を大きく上回っており,12級の額は,前記の外貌醜状の記事の第8の2で整理している。
第7 請求と立証の実務
1 後遺障害診断書と検査結果
(1) 後遺障害診断書に記載してもらう事項
嗅覚障害を主張する場合は,基準嗅力検査の平均嗅覚損失値(嗅覚脱失を主張する場合はアリナミンテストの所見でもよい。)を,味覚障害を主張する場合は,濾紙ディスク法の最高濃度液で認知できなかった味質を,それぞれ後遺障害診断書に記載してもらうことになる。
鼻の欠損がある場合は,鼻軟骨部の欠損の範囲と,鼻呼吸困難又は嗅覚脱失の有無を記載してもらい,外貌の醜状としての評価に備えて写真も用意しておくことが考えられる。
後遺障害診断書の作成時期と記載項目の全体は,交通事故の後遺障害診断書で説明している。
(2) 受傷時の資料と経過の記録
味覚障害は,原則として療養を終了してから6か月を経過した後に等級が認定されるから,症状固定の時期と検査の時期を主治医と相談しておく必要がある。
頭部外傷,顔面骨折,顎や舌の損傷など,嗅覚障害や味覚障害の原因となる傷害を受けたことを示す受傷時の画像や診療録は,事故との因果関係と認定基準の原因要件の双方にかかわる資料になる。
嗅覚や味覚の異常に気づいた時期,きっかけとなった出来事,主治医に訴えた時期も,診療録に残るよう早めに伝えておくことが望ましい。
歯の補綴や咀嚼・言語の障害をあわせて残した場合の等級は,歯・口の後遺障害の記事で扱っている。
2 認定結果に不服がある場合
(1) 異議申立て
自賠責保険の認定で非該当とされ,又は想定より低い等級とされた場合は,認定理由を確認した上で,不足していた検査結果や医師の意見書を補って異議申立てをすることが考えられる。
例えば,基準嗅力検査を受けないまま申請していた場合や,味覚障害の原因となった傷害が申請資料から読み取れなかった場合は,その点を補うことになる。
異議申立ての方法は,自賠責保険の後遺障害等級認定への異議申立てで説明している。
(2) 訴訟での判断
同書は,自賠責保険で等級認定を受けていない場合や認められなかった場合でも,専門医のもとで基準嗅力検査やアリナミンテストが行われ,嗅覚の減退又は脱失の診断がされていれば,訴訟で後遺障害が認定される余地は十分にあるとしている(同書237頁)。
また,同書によれば,これらの検査はいずれも保険適用が認められている(同書237頁)。
訴訟では,自賠責保険の認定がそのまま裁判所の判断になるわけではなく,検査結果,受傷の内容及び経過の記録から,後遺障害の有無と程度が改めて判断されることになる。
第8 出典
1 法令
①e-Gov法令検索「自動車損害賠償保障法施行令」(2条並びに別表第二の9級5号,12級13号,14級9号及び備考6を確認),令和8年9月18日閲覧。
②e-Gov法令検索「労働者災害補償保険法施行規則」(14条並びに別表第一の9級5号,12級12号及び14級9号を確認),令和8年9月18日閲覧。
2 告示・通達
①国土交通省掲載「自動車損害賠償責任保険の保険金等及び自動車損害賠償責任共済の共済金等の支払基準」,平成13年金融庁・国土交通省告示第1号,第3。
②国土交通省掲載「労働能力喪失率表」(支払基準別表Ⅰ)。
③厚生労働省「障害等級認定基準について」,昭和50年9月30日基発第565号別冊(準用,鼻及び口の項)。
④厚生労働省「耳及び口の障害に関する障害等級認定基準の一部改正について」,平成14年2月1日基発第0201001号。
⑤厚生労働省医政局医薬産業振興・医療情報企画課・労働基準局補償課事務連絡「濾紙ディスク法による味覚定量検査における試薬調製について」,令和4年12月8日。
3 裁判例
①最高裁判所第三小法廷昭和56年12月22日判決・昭和54年(オ)第354号,民集35巻9号1350頁。
②最高裁判所第一小法廷昭和63年4月21日判決・昭和59年(オ)第33号,民集42巻4号243頁。
③最高裁判所第三小法廷平成8年10月29日判決・平成5年(オ)第875号,民集50巻9号2474頁。
4 書籍
①小松初男・小林覚・西本邦男編『後遺障害入門 認定から訴訟まで』(青林書院,平成30年)23頁,231頁~244頁,247頁~248頁,250頁及び254頁~257頁。