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大日本帝国憲法の緊急勅令とナチス・ドイツの総統命令――独立命令・授権法・戒厳令の比較(AI作成)

第1 この記事が扱う対象

1 比較する二つの制度と本記事の範囲

大日本帝国憲法(明治22年勅令,明治22年2月11日発布)は,帝国議会の関与なしに天皇が法律と同等又はそれに準ずる効力を持つ命令を発することを認める複数の制度を置いていた。ヒトラー政権下のドイツでは,1933年3月の全権委任法(Ermächtigungsgesetz)の成立を起点として,議会の立法権が事実上政府に移り,最終的には「総統命令(Führererlass)」と呼ばれる新たな法形式が現れた。本記事は,明治憲法第8条の緊急勅令,第9条の独立命令及び第14条の戒厳を中心に,これらがドイツの授権法・総統命令とどこまで同じ構造を持ち,どこで異なるのかを,条文と裁判例の原文に当たって整理するものである。生成AIを用いて条文・裁判例・公文書原本を通読し,記載内容を原典と照合した上で構成した。

比較の対象は,両国のあらゆる委任立法・緊急権制度ではなく,議会の通常の立法手続を経ずに法律と同一又はそれに準ずる効力を持つ規範を政府又は元首が発するという,狭い意味での「議会不関与型の立法代替手段」に絞る。日本側では緊急勅令(第8条)と独立命令(第9条)を中心に扱い,戒厳(第14条)は両者と機能が異なるため区別して扱う。ドイツ側では,ヴァイマール憲法48条の大統領緊急権を出発点とし,全権委任法による議会の自己委任,1934年の大統領職とライヒ首相職の統合を経て総統命令に至る過程を扱う。

2 現在の憲法論議との関係について

本記事は歴史的な制度比較を目的とするものであり,現在の憲法改正論議における当否を論じるものではない。もっとも,衆議院憲法審査会が令和8年5月14日に公表した資料は,緊急事態における「緊急政令」の創設が検討課題として挙がっていることを示しており,同資料に記録された会派発言の中には,明治憲法下の緊急勅令の歴史を踏まえたものがある。この点は,本記事の末尾で,あくまで公表資料に記録された事実として簡潔に紹介する。

第2 大日本帝国憲法における勅令の種類

1 緊急勅令(第8条)――法律に代わる勅令

大日本帝国憲法第8条は,「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス」と定め,第2項で「此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ」と定めていた。緊急勅令は,帝国議会が閉会中であること及び緊急の必要があることの二つを要件とし,法律に代わる効力を持つ点で独立命令(後述)よりも強力であったが,次の会期における帝国議会の事後承諾を得られなければ将来に向かって効力を失うという歯止めが条文上組み込まれていた。

緊急勅令の上諭(勅令の公布文)には,帝国憲法第8条第1項に基づく旨を記載することが,勅令の公布手続を定めた公式令(明治40年勅令第6号)第7条第3項によって義務付けられていた。同条第4項は,帝国議会が緊急勅令を承諾しなかった場合にその効力を失うことを公布する勅令の上諭にも,その旨を記載すべきことを定めており,緊急勅令の使用及びその失効が公式令のレベルでも形式的に統制されていたことが分かる。なお,勅令という法形式自体は明治22年の憲法発布以前から存在した詔・布告の系譜に連なるものであり,明治元年から昭和17年までの恩赦の実施根拠を整理した記事では,明治22年以降の勅令とそれ以前の詔・布告とが法形式を異にする点を扱っている。

2 独立命令(第9条)――法律を変更できない命令

大日本帝国憲法第9条は,「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」と定めていた。独立命令は,法律の執行又は公共の秩序・臣民の幸福の増進という目的のために発する点で緊急勅令よりも要件が緩やかであったが,ただし書によって法律を変更する効力までは認められておらず,帝国議会による事後承諾という統制も予定されていなかった。憲法学者の芦部信喜は,この構造を「明治憲法は,①の点では,議会の関与しない,しかし法律と同じ効力を有する行政権による立法(独立命令,緊急勅令)を広く認め(八条・九条)」と整理しており,独立命令と緊急勅令をあわせて「議会の関与しない立法」と位置付けている。

3 戒厳(第14条)と戒厳令――地域を区切った統治権限の軍への移管

大日本帝国憲法第14条は,「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」(第1項),「戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」(第2項)と定めていた。この第2項の委任を受けた法律に相当する規範が,憲法制定前の明治15年8月5日太政官布告第36号「戒厳令」である。太政官布告は憲法制定前の法形式であるが,大日本帝国憲法第76条により,憲法の条規に矛盾しない現行の法令は総て遵由の効力を有するとされたため,戒厳令は法律と同一の効力を持つ現行法として存続した。

戒厳令は,戒厳を「臨戦地境」と「合囲地境」の二種に区分する(第2条)。臨戦地境では,司令官は軍事に関係する行政事務及び司法事務のみを管掌し,地方行政官・裁判官はなお職権を行う(第9条)。これに対して合囲地境では,地方行政事務及び司法事務の全てが司令官に移管され(第10条),軍事に係る民事及び刑法上の一定の犯罪については軍衙(軍事裁判所)が裁判権を持ち(第11条),「合圍地境內ニ於ケル軍衙ノ裁判ニ對シテハ控訴上告ヲ爲スヿヲ得ス」(第13条)として上訴が禁止されていた。戒厳令は,緊急勅令・独立命令のように議会不関与で法律に代わる規範を作る制度ではなく,特定の地域における行政権・司法権そのものを軍司令官に一時的に移す制度である点で,両者とは機能を異にする。

4 勅令の公布手続と軍令という例外

大日本帝国憲法第55条第2項は,「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と定め,勅令には原則として国務大臣の副署を要求していた。この原則の例外が,陸海軍の統帥に関する事項について定められた「軍令」である。明治40年軍令ニ関スル件(軍令第1号)第1条は,「陸海軍ノ統帥ニ関シ勅定ヲ経タル規程ハ之ヲ軍令トス」と定め,軍令は陸海軍大臣のみの副署で足りるとされていた。統帥権が内閣から独立した権限として扱われていたことの制度的な表れであり,緊急勅令・独立命令が国務大臣の副署を通じて内閣の統制を受けたのに対し,軍令はその統制の外に置かれていた。

第3 緊急勅令が実際に使われた場面

1 治安維持法改正(昭和3年)――死刑の追加

治安維持法は大正14年法律第46号として制定され,制定時の第一条は,「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」と定めていた。昭和3年6月29日勅令第129号「治安維持法中改正ノ件」は,帝国憲法第8条の緊急勅令として発せられ,第一条を「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ禁錮ニ処シ」に改め,国体変革を目的とする結社の組織者・指導者に対する法定刑を死刑まで引き上げた。国立国会図書館日本法令索引によれば,この改正は第56回帝国議会に「承諾ヲ求ムル議案」として提出され(提出日は昭和4年1月22日),事後承諾を得ている。

2 ポツダム宣言受諾に伴う勅令第五四二号

昭和20年9月20日勅令第542号「『ポツダム』宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」は,「朕茲ニ緊急ノ必要アリト認メ樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ帝國憲法第八條第一項ニ依リ…裁可シ之ヲ公布セシム」との上諭を付して,帝国憲法第8条の緊急勅令として発せられた。本文は「政府ハ『ポツダム』宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合國最高司令官ノ爲ス要求ニ係ル事項ヲ實施スル爲特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ爲シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」という一文のみであり,連合国最高司令官の要求事項を実施するために必要な命令を政府が制定し,かつ罰則まで設けられるという,対象を個別に限定しない包括的な委任であった。

この勅令に基づき,公務員の公職追放を定めた勅令,政令第201号(後述)等,多数の命令が制定された。貴族院は昭和20年12月8日に,衆議院は同月18日に,それぞれこの勅令を承諾しており,帝国憲法第8条第2項の事後承諾要件は満たされている。この勅令自体は,昭和27年4月28日法律第81号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」によって廃止されるまで存続した。ポツダム宣言の発表から受諾及び降伏文書の調印に至る経緯はポツダム宣言の発表から宣言受諾及び降伏文書調印までの経緯を整理した記事で,これに伴う天皇の地位の変化はポツダム宣言受諾時の国体護持を扱った記事で,それぞれ別途整理している。また,この勅令に基づいて発せられた命令の種類,占領期間中及び講和後の効力並びに現在も法律としての効力を有するものについては,日本国憲法外で法的効力を有していたポツダム命令を扱った記事で整理している。

第4 ヴァイマール憲法からナチス・ドイツの総統命令へ

1 ヴァイマール憲法48条の大統領緊急権

ドイツ・ヴァイマール共和国憲法(1919年憲法)第48条第2項は,「Der Reichspräsident kann, wenn im Deutschen Reiche die öffentliche Sicherheit und Ordnung erheblich gestört oder gefährdet wird, die zur Wiederherstellung der öffentlichen Sicherheit und Ordnung nötigen Maßnahmen treffen」(大統領は,ドイツ国内において公共の安全及び秩序が著しく害され又は害される虞があるときは,その回復に必要な措置をとることができる)とし,続けて,そのために一時的に第114・115・117・118・123・124・153条所定の基本権の全部又は一部を停止できると定めていた(本記事におけるドイツ語条文の日本語訳は,公定訳ではなく参考のための仮訳である)。同条第3項は,大統領がとった措置を遅滞なく国会(Reichstag)に報告する義務を課し,国会の要求があれば当該措置を失効させるべきことも定めており,事後の議会統制という点では大日本帝国憲法第8条第2項と類似する構造を持っていた。

1933年2月28日の「ドイツ国民及び国家保護のための大統領令」(いわゆる国会議事堂放火令)は,この48条2項に基づき,第1条で上記7箇条の基本権を「bis auf weiteres」(さらなる通知があるまで)停止した。この時点までは,形式上ヴァイマール憲法の枠内の措置であった。

2 全権委任法(1933年)――議会自身による立法権の委譲

1933年3月24日の「民族及び国家の困難を除去するための法律」(通称:全権委任法,Ermächtigungsgesetz)は,第1条で「Reichsgesetze können außer in dem in der Reichsverfassung vorgesehenen Verfahren auch durch die Reichsregierung beschlossen werden」(ライヒの法律は,ライヒ憲法所定の手続によるほか,ライヒ政府によっても議決することができる)と定め,第2条で「Die von der Reichsregierung beschlossenen Reichsgesetze können von der Reichsverfassung abweichen」(ライヒ政府が議決したライヒ法律は,ライヒ憲法と異なる内容とすることができる)と定めた。第3条は,政府議決の法律に対する大統領の裁可権をライヒ首相(ヒトラー)に付与した。この法律自体は,ヴァイマール憲法第76条が定める憲法改正の議決要件(総議員数の3分の2以上の出席,出席議員の少なくとも3分の2以上の同意)を満たして成立している。

大日本帝国憲法の緊急勅令が,既存の憲法秩序の内部で,個別の事項について法律に代わる効力を一時的に認める制度であったのに対し,全権委任法は,議会が自らの立法権を政府に包括的に委譲し,しかも政府がその権限を用いて憲法自体と異なる内容の法律を作ることまで認めた点で,性質を異にする。緊急勅令にあった事後の議会承諾という歯止めも,全権委任法には存在しない。同法第5条は当初1937年4月1日までの時限立法とされたが,その後1937年,1939年及び1943年の延長立法によって効力を維持し続けた。

3 大統領職とライヒ首相職の統合(1934年)

1934年8月1日の「ドイツ国家元首に関する法律」第1条は,「Das Amt des Reichspräsidenten wird mit dem des Reichskanzlers vereinigt. Infolgedessen gehen die bisherigen Befugnisse des Reichspräsidenten auf den Führer und Reichskanzler Adolf Hitler über」(大統領の職はライヒ首相の職と統合される。これにより,従来の大統領の権限は,総統兼ライヒ首相アドルフ・ヒトラーに帰属する)と定めた。全権委任法によってライヒ首相に移されていた裁可権と,ヴァイマール憲法48条に基づく大統領固有の緊急権とが,この時点で一人の地位に完全に集中したことになる。

4 総統命令という新たな法形式

1934年以降,「総統命令(Führererlass)」と呼ばれる法形式が現れる。本記事で原文を確認した実例として,1938年2月4日の「国防軍の指揮に関する令」(軍の最高指揮権をヒトラーが直接掌握する内容),1939年8月30日の「ライヒ防衛のための閣僚会議設置に関する令」(同会議に法律と同一の効力を有する命令を発する権限を認める内容),1942年12月12日の「NSDAPの法的地位に関する令」(1933年12月1日法律の一部規定を廃止する内容)がある。

とりわけ性質を端的に示すのは,1942年4月26日のライヒ議会決議である。同決議は,議長の提案により議会が全会一致で確認したものとされ,「Der Führer muß daher – ohne an bestehende Rechtsvorschriften gebunden zu sein – …jederzeit in der Lage sein, nötigenfalls jeden Deutschen…mit allen ihm geeignet erscheinenden Mitteln zur Erfüllung seiner Pflichten anzuhalten…ihn im besonderen ohne Einleitung vorgeschriebener Verfahren aus seinem Amte…zu entfernen」(総統は,現行の法規に拘束されることなく,必要な場合にはあらゆるドイツ人を,適切と考えるあらゆる手段によって義務の履行に従わせ,所定の手続を経ることなくその地位から罷免することができる状態に,常にあらねばならない)と定めた。総統命令には,全権委任法のような議会の議決すら不要であり,官報(Reichsgesetzblatt)への掲載も一律に行われていたわけではないとされる。大日本帝国憲法の緊急勅令に組み込まれていた,帝国議会の事後承諾という歯止め及び国務大臣の副署という統制は,この段階のドイツにはいずれも存在しない。

第5 二つの制度を分ける三つの違い

1 事後の議会統制の有無

大日本帝国憲法第8条の緊急勅令は,帝国議会の事後承諾を得られなければ将来に向かって効力を失うという条文上の歯止めを持つ。実際に,前記の治安維持法改正(昭和3年勅令第129号)は第56回帝国議会で,ポツダム宣言受諾に伴う勅令(昭和20年勅令第542号)は昭和20年12月の帝国議会で,いずれも承諾を得ている。これに対し,ドイツの全権委任法には事後の議会承諾という制度自体が存在せず,総統命令に至っては,1942年のライヒ議会決議が示すとおり,現行法規への拘束からの解放が議会自身によって確認されるに至っている。

2 法律を変更できる範囲

独立命令(第9条)は法律を変更する効力を持たないが,緊急勅令(第8条)は「法律ニ代ル」効力を持つ。もっとも,緊急勅令が変更できるのは個別の法律事項であり,憲法自体を変更する効力までは認められていない。これに対し,全権委任法第2条は,政府議決の法律がライヒ憲法と異なる内容であってもよいと明文で定めており,法律のみならず憲法自体の改変までも委任の対象としていた点で,緊急勅令とは委任の範囲が異なる。

3 副署という統制

大日本帝国憲法第55条第2項は,勅令に国務大臣の副署を要求しており,緊急勅令もこの例外ではなかった(軍令のみが例外)。総統命令についても閣僚の署名が付されている例は存在するが(前記の各令にはライヒ大臣ラマースらの署名がある),1942年のライヒ議会決議が示すように,総統自身の行動が現行法規に拘束されないことが確認された段階では,副署という統制が実質を持ち続けたかは条文の文言からは判然としない。

第6 戦後の法的処理における違い

1 日本の最高裁判例――旧憲法上有効な命令の効力の維持

最高裁判所大法廷は,昭和23年6月23日判決(昭和22年(れ)第279号,刑集2巻7号722頁)において,「昭和二〇年勅令第五四二號…及び銃砲等所持禁止令は新舊いずれの憲法の下においても有効である」,「旧憲法上の法律は,その内容が新憲法の条規に反しない限り,新憲法の施行後も効力を有する」と判示した。同大法廷は,昭和28年4月8日判決(昭和24年(れ)第685号,刑集7巻4号775頁,政令第201号違反事件)において,「昭和二〇年勅令第五四二号は日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有する」,「昭和二三年政令第二〇一号は昭和二〇年勅令第五四二号に基く命令である」と判示している。これらの判例が示す枠組みは,緊急勅令に由来する命令の効力を,現行の日本国憲法との整合性ではなく,制定当時の大日本帝国憲法上の有効性によって判断するというものであり,最高裁はこの枠組みを一貫させている。

2 横浜事件が示す,実体判断に立ち入らない処理

治安維持法違反被告事件(いわゆる横浜事件)の再審上告審において,最高裁判所第二小法廷は,平成20年3月14日判決(平成19年(れ)第1号,刑集62巻3号185頁)で,「旧刑訴法適用事件について再審が開始された場合,その対象となった判決の確定後に刑の廃止又は大赦があったときは,再審開始後の審判手続においても…免訴判決が言い渡されるべきである」,「被告人は免訴判決に対し無罪を主張して上訴することはできない」と判示した。この判断は,治安維持法という法律自体の効力を否定するのではなく,その後の廃止及び大赦を理由として,有罪か無罪かという実体判断に立ち入らずに手続を打ち切るという処理を採ったものである。

横浜事件では,元被告らが特高警察の取調べにおいて拷問を受けたとされ,遺族が国家賠償を求める訴訟を提起した。東京高等裁判所は,平成30年10月24日判決(平成28年(ネ)第3783号,原審・東京地方裁判所平成24年(ワ)第36185号,控訴棄却)において,「警察官による拷問及び自白の強要,留置の継続が違法であることは,もちろんである」として違法性そのものは明確に認めながら,当該行為が国家賠償法の施行(昭和22年10月27日)前の行為であるため,同法附則第6項の「なお従前の例による」との規定により,大審院昭和16年2月27日判決(民集20巻2号118頁)に由来するいわゆる国家無答責の法理――統治権に基づく権力的行動について国は賠償責任を負わないとする戦前の判例法理――が適用されるとして,国の賠償責任を否定した。

3 ドイツ連邦憲法裁判所――一定のナチ「立法」を当初から無効とする判断

ドイツ連邦憲法裁判所は,1953年12月18日決定(1 BvL 106/53,BVerfGE 3, 225)において,ラートブルフの定式を引用し,「der Widerspruch des positiven Gesetzes zur Gerechtigkeit ein so unerträgliches Maß erreicht, daß das Gesetz als ‘unrichtiges Recht’ der Gerechtigkeit zu weichen hat」(実定法の正義との矛盾が耐え難い程度に達したときは,その法律は『不当な法』として正義に道を譲らねばならない)との立場を採った。同裁判所は,1968年2月14日決定(BVerfGE 23, 98,いわゆる国籍剥奪Ⅰ事件)において,ユダヤ人からドイツ国籍及び財産を剥奪した1941年11月25日の「帝国市民法第11次施行令」について,「hat der Widerspruch zur Gerechtigkeit ein so unerträgliches Maß erreicht, daß sie von Anfang an als nichtig erachtet werden muß」(正義との矛盾が耐え難い程度に達しているため,当初から無効と解さねばならない)と判示し,当該施行令を制定当初から無効なものとして扱った。

「Ⅰ」は,同種の国籍剥奪の効力が争われた後続の1980年4月15日決定(BVerfGE 54, 53,Ausbürgerung II事件)と区別するための連番であり,同決定はBVerfGE 23, 98の上記判断を「維持する(hält…fest)」と明言して踏襲している。

日本の最高裁が緊急勅令に由来する命令の効力を旧憲法上の有効性によって連続的に維持したのに対し,ドイツの連邦憲法裁判所は,一定のナチ期の規範を後から遡って無効と評価する法理を確立した。この処理方式の違いは,横浜事件の国家賠償請求訴訟が国家無答責の法理によって退けられたことと対照させると,戦時期の国家不法行為に対する事後的な法的救済の可否にも及んでいる。ドイツでは連邦補償法(BEG)等による個人補償の枠組みが構築され,連邦財務省の統計によれば2024年12月31日現在の公的部門による補償等の総額は853億6100万ユーロに達しているのに対し,日本では,横浜事件の国家賠償請求が国家賠償法の非遡及及び国家無答責の法理によって否定された例が示すとおり,戦時期の国家不法行為について同種の補償立法は設けられていない(日本及びドイツの戦後賠償の全体像は,日本の戦後賠償の金額等を整理した記事を参照)。

第7 現行日本国憲法における位置付け

1 独立命令・緊急勅令に相当する制度は引き継がれていない

日本国憲法第41条は,「国会は,国権の最高機関であつて,国の唯一の立法機関である」と定める。同第73条第6号は,内閣の事務として「この憲法及び法律の規定を実施するために,政令を制定すること」を挙げ,ただし書で「政令には,特にその法律の委任がある場合を除いては,罰則を設けることができない」と定めている。芦部信喜は,この構造の変化について,「日本国憲法の下では,内閣の発する政令は,法律を執行するためのもの(執行命令)か,法律の具体的な委任に基づくもの(委任命令)でなければならないし…天皇には裁可権はない」と整理する。

芦部は,国家緊急権についても,「わが国では,明治憲法は緊急権に関する若干の規定を設けていたが(八条の緊急命令の権,一四条の戒厳宣告の権,一三条の非常大権など),日本国憲法には,国家緊急権の規定はない」とした上で,緊急権一般の危険性について「濫用の危険が大きい(例,ワイマール憲法四八条の定める大統領の非常措置権)」と指摘している。独立命令(第9条)及び緊急勅令(第8条)に相当する制度は,日本国憲法には引き継がれておらず,内閣による政令制定権は,法律の執行又は個別具体的な委任の範囲に限定されている。明治憲法第73条の憲法改正手続が現行憲法の制定過程でどのように用いられたかについては,裁判官及び検察官の定年が定められた経緯を扱った記事で触れている。

2 公表資料が記録する現在の議論

衆議院憲法審査会事務局が令和8年5月14日に公表した「『緊急事態条項』のイメージ(案)」は,緊急事態において国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときに,あらかじめ法律の定めるところにより,内閣が法律と同一の効力を有する「緊急政令」を制定できることとする案を,議論の素材として示している。同資料は,これまでの憲法審査会における発言の記録として,令和5年6月15日の論点整理に,「参議院の緊急集会は…戦前の緊急勅令等の濫用という歴史の反省に立ち,民主政治を徹底するためのもの」との会派発言,及び緊急政令について「白紙委任的なものは不要」,「規定するとしても確認規定」とする慎重論があったことを記録している。

同資料は,令和4年12月1日の論点整理として,「1941年,国会議員の任期を延長し,戦争翼賛体制が作られた。だからこそ,日本国憲法は緊急事態条項を廃し,国会議員の任期を明記した」との発言も記録している。もっとも,この1941年の措置(衆議院議員ノ任期延長ニ関スル法律,昭和16年2月24日法律第4号)は,帝国憲法第8条の緊急勅令ではなく,帝国議会の審議を経た通常の法律による現任議員の任期の1年延長であった。緊急事態条項をめぐる現在の議論の当否は本記事の対象外であるが,明治憲法下の緊急勅令の歴史が,現に公表資料の中で参照材料として位置付けられていることは,事実として確認できる。

第8 出典・参考資料

1 法令・条約

大日本帝国憲法(明治22年2月11日発布,国立国会図書館「日本国憲法の誕生」)第8条・第9条・第14条・第55条・第73条・第76条
公式令(明治40年勅令第6号,Wikisource)第7条
軍令ニ関スル件(明治40年軍令第1号,Wikisource)第1条
戒厳令(明治15年8月5日太政官布告第36号,Wikisource)第2条・第9条~第13条
治安維持法(大正14年法律第46号,制定時,Wikisource)第一条
治安維持法中改正ノ件(昭和3年勅令第129号,Wikisource)第一条
「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号,Wikisource)
治安維持法中改正ノ件法令情報(昭和3年勅令第129号,国立国会図書館日本法令索引)
日本国憲法(e-Gov法令検索)第41条・第73条第6号
⑩ヴァイマール共和国憲法(1919年8月11日)48条2項・3項(documentArchiv.de,仮訳は本記事筆者による)
民族及び国家の困難を除去するための法律(全権委任法)(1933年3月24日,documentArchiv.de,仮訳は本記事筆者による)第1条~第5条
ドイツ国民及び国家保護のための大統領令(1933年2月28日,documentArchiv.de,仮訳は本記事筆者による)第1条
ドイツ国家元首に関する法律(1934年8月1日,documentArchiv.de,仮訳は本記事筆者による)第1条
国防軍の指揮に関する令(1938年2月4日,verfassungen.de,仮訳は本記事筆者による)
ライヒ防衛のための閣僚会議設置に関する令(1939年8月30日,verfassungen.de,仮訳は本記事筆者による)第Ⅱ条
NSDAPの法的地位に関する令(1942年12月12日,verfassungen.de,仮訳は本記事筆者による)
ライヒ議会決議(1942年4月26日,verfassungen.de,仮訳は本記事筆者による)

2 裁判例

最高裁判所大法廷昭和23年6月23日判決(昭和22年(れ)第279号,刑集2巻7号722頁,裁判所ウェブサイト)
最高裁判所大法廷昭和28年4月8日判決(昭和24年(れ)第685号,刑集7巻4号775頁,裁判所ウェブサイト)
最高裁判所第二小法廷平成20年3月14日判決(平成19年(れ)第1号,刑集62巻3号185頁,裁判所ウェブサイト)
東京高等裁判所平成30年10月24日判決(平成28年(ネ)第3783号,原審・東京地方裁判所平成24年(ワ)第36185号,控訴棄却,裁判所ウェブサイト)
連邦憲法裁判所(ドイツ)1953年12月18日決定(1 BvL 106/53,BVerfGE 3, 225)
連邦憲法裁判所(ドイツ)1968年2月14日決定(BVerfGE 23, 98,Ausbürgerung I事件)
連邦憲法裁判所(ドイツ)1980年4月15日決定(BVerfGE 54, 53,Ausbürgerung II事件)

3 文献

①芦部信喜『憲法 新版』(岩波書店,1997年3月10日第1刷発行)265頁,337頁~338頁

4 ウェブ資料

「緊急事態条項」のイメージ(案)(令和8年5月14日,衆議院法制局・衆議院憲法審査会事務局)
衆議院議員ノ任期延長ニ関スル法律法令情報(昭和16年法律第4号,国立国会図書館日本法令索引)
Compensation for National Socialist Injustice(2024年12月31日現在,ドイツ連邦財務省)