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平賀書簡事件とは―長沼ナイキ訴訟への札幌地裁所長の書簡,札幌地裁の厳重注意,最高裁の注意処分及び訴追委員会の判断(AI作成)

第1 本記事の対象と結論

1 本記事の対象と基準日

本記事は,昭和44年に札幌地裁の平賀健太所長が長沼ナイキ訴訟の担当裁判長に書簡を届けた,いわゆる平賀書簡事件の経過と,その後の処分及び影響を時系列で整理する。
事実関係は,国会会議録,裁判所ウェブサイトに掲載された決定・判決,裁判官訴追委員会の公表資料及び日本弁護士連合会の決議で確認できる範囲で記載した。
書籍の記述は,出典を示して補足的に紹介した。
法令は,令和8年9月27日現在の条文をe-Gov法令検索で確認した。

2 結論

①昭和44年8月14日,平賀健太札幌地裁所長は,長沼ナイキ訴訟の執行停止申立事件を担当していた福島重雄裁判長の官舎に,事件についての自らの見解を記した書簡を届けた(平賀書簡)。
②これに先立つ8月4日には,事件の合議体に加わっていない平田浩判事にも,平賀所長からメモが渡されていた(平田メモ)。
③札幌地裁は8月22日に保安林解除処分の効力を停止する決定をし,9月13日の臨時裁判官会議で平賀所長に対する厳重注意を決定した。
④最高裁は,9月20日の臨時裁判官会議の決定に基づいて平賀所長を注意し,同日東京高裁判事に異動させ,書簡の交付は「節度を越えるもの」であるとする所信を公表した。
⑤もっとも,最高裁の事務当局は,国会で,平賀書簡は裁判に干渉したものとは考えないと説明した。
⑥裁判官訴追委員会は,昭和45年10月19日,平賀裁判官を不訴追とし,書簡の写しを東京の裁判官らに送るなどした福島裁判官を訴追猶予とした。
⑦札幌高裁は同月28日に福島裁判官を注意し,札幌地裁の裁判官会議も同年11月7日に福島裁判官を注意した。
⑧日弁連は,同年12月19日の臨時総会で,訴追委員会の決定と,札幌高裁の注意処分及びこれを支持する最高裁の態度を批判する決議をした。
⑨本案の長沼ナイキ訴訟は,札幌高裁昭和51年8月5日判決で訴えが却下され,最高裁昭和57年9月9日判決で上告が棄却された。

第2 時系列

年月日出来事
昭和44年7月7日農林大臣が長沼町の国有保安林の指定解除を告示し,同日,住民らの取消訴訟及び執行停止申立事件が札幌地裁に係属
昭和44年8月4日平賀所長が平田判事にメモを渡す(平田メモ)
昭和44年8月10日所長官舎での協議で,8月10日から16日までの週には執行停止事件の決定を告知しないことで話がまとまる
昭和44年8月14日平賀所長が書簡を福島裁判長の官舎に届ける(平賀書簡)
昭和44年8月22日札幌地裁が保安林解除処分の効力を停止する決定
昭和44年8月27日札幌地裁本庁の裁判官9名が臨時裁判官会議の招集を求める方向で相談
昭和44年9月13日札幌地裁の臨時裁判官会議が平賀所長に対する厳重注意を決定
昭和44年9月14日・15日書簡がテレビで放映され,翌朝の新聞に全文が掲載され,札幌地裁が決議内容を発表
昭和44年9月20日最高裁が平賀所長を注意し,東京高裁判事に補する
昭和44年10月9日衆議院法務委員会で最高裁が経過を説明
昭和44年10月23日福島裁判官に対する訴追請求(新聞報道による)
昭和45年1月23日札幌高裁が執行停止決定を取り消し,申立てを却下
昭和45年5月7日札幌地裁が国による福島裁判長の忌避申立てを却下(同年7月10日に札幌高裁が抗告を棄却)
昭和45年10月19日訴追委員会が平賀裁判官を不訴追,福島裁判官を訴追猶予とする
昭和45年10月28日札幌高裁が裁判官会議の議決に基づき福島裁判官を注意
昭和45年11月7日札幌地裁の裁判官会議が福島裁判官を注意
昭和45年12月19日日弁連臨時総会が訴追委員会の決定等を批判する決議
昭和51年8月5日札幌高裁が本案の一審判決を取り消し,訴えを却下
昭和57年9月9日最高裁が上告を棄却

第3 長沼ナイキ訴訟と執行停止決定

1 事件の係属

昭和44年10月9日の衆議院法務委員会で,矢口洪一最高裁判所長官代理者は,事件の経過を次のように説明した。
農林大臣は,昭和44年7月7日,北海道夕張郡長沼町の馬追山付近にある約35ヘクタールの国有保安林について,高射教育訓練施設とするために保安林の指定を解除する告示をした。
これに対し,長沼町の住民173名が,農林大臣を被告として解除処分の取消しを求める本案訴訟を起こすとともに,処分の執行停止を申し立て,これらの事件は同日札幌地裁に係属した。
事件は札幌地裁の民事第一部に係属し,担当の裁判官は福島重雄裁判長,木谷明裁判官及び石川善則裁判官であった。
国は7月22日に意見書を提出し,住民側は8月1日に反論書を提出した。
矢口洪一最高裁判所長官代理者は,担当の裁判部で執行停止事件の決定をする段取りになったのは8月10日前後であったと説明した。

2 昭和44年8月22日の執行停止決定

札幌地方裁判所昭和44年8月22日決定(昭和44年(行ク)第11号)は,主文で,農林省告示第1023号による保安林解除処分の「効力を停止する。」とした。
同決定は,自衛隊の憲法適合性について,「少なくとも、自衛のために必要かつ相当な限度内にとどまるものであれば、いかなる軍事力も憲法の右条項にいう『戦力』にあたらないとすることには疑問があり」とした。
その上で,同決定は,自衛隊の存在自体が憲法に違反するとすれば,解除処分は森林法26条2項の「公益上の理由」に当たるとはいえず,本案の審理を経ない段階で申立人らの主張を直ちに理由がないとみることはできないとした。
同決定の末尾には,「(裁判官 福島重雄 木谷明 石川善則)」と記載されている。
決定は8月22日午前9時30分に廷吏送達で告知され,その直後に福島裁判長は記者会見をした。

3 執行停止決定のその後

この決定に対しては,8月26日に即時抗告がされた。
札幌高等裁判所昭和45年1月23日決定(昭和44年(行ス)第1号)は,主文で,「原決定を取消す。」及び「相手方らの執行停止申立を却下する。」とした。

第4 平賀書簡と平田メモ

1 決定告知日の延期をめぐる協議

矢口洪一最高裁判所長官代理者の説明によれば,平賀所長は,8月10日の昼頃,刑事の所長代行の渡部判事と民事の所長代行の平田浩判事を官舎に招き,決定告知当日の庁舎管理について協議した。
同日夕刻には福島裁判長も加わって協議が行われ,平賀所長が8月10日から16日までの週に出張を予定していたことから,福島裁判長の意見により,その週には決定の告知をしないことで話がまとまった。
翌11日にも福島裁判長と平賀所長の間で話合いがあったが,その週には告知をしないということで了解がついた。
平賀所長は,8月12日から14日まで管内に出張し,14日の昼頃に登庁した。

2 8月14日の書簡

矢口洪一最高裁判所長官代理者は,平賀所長が,自分が法律上問題となると考えた諸点を福島裁判長の決定の参考に供してはどうかと考え,8月14日の夕刻に書面をしたため,使送により福島裁判長の官舎に届けたと説明し,「これがいわゆる平賀書簡というものでございます。」と述べた。
平賀所長は,翌15日と16日も管内に出張する予定であった。
昭和45年5月6日の参議院法務委員会で,亀田得治委員は,書簡の初めの方に「一先輩のアドバイスとしてこのような考え方も有り得るという程度で結構ですから、一応御覧の上、もし参考になるようでしたら大兄の判断の一助にして下さい。」と書かれていることを紹介した。
同委員は,書簡の本文について,「結論としては、政府の考え方を尊重すべきだと、こういうことですね。」と述べ,理由を一,二,三と分けて書いた「裁判書きの理由のような書き方」であるとした。
山本祐司『最高裁物語(下巻)』(講談社+α文庫,1997年)30頁及び31頁は,書簡の一枚目に,「このような意見を裁判前に担当の裁判長である大兄に申上げることは、いささか越権の沙汰とも考えますが事件の重大性もさることながら、あくまでも大兄の人柄を信頼した上での老婆心ですから、何とぞ小生の意のあるところを率直に汲み取って下さるようにお願いいたします」との文章が付け加えられていたと記載している。
同書31頁は,別紙の記載として,「一、本件の保安林の指定解除後に行わるべき立木の伐採等、保安林の現況の変更によって『回復の困難な損害』を生ずるといい得るか……」との一節を紹介している。

3 8月4日の平田メモ

矢口洪一最高裁判所長官代理者は,昭和44年10月9日の衆議院法務委員会で,平賀所長が8月4日に平田判事にメモを渡したことは事実であると答弁した。
同長官代理者は,平田判事は第一部の総括裁判官であったものの本件の合議体には加わっていない「全くの局外者」であり,メモは鉛筆書きで,二人の間の純粋な法律解釈上の研究材料という趣旨で渡されたにすぎないと説明した。
これに対し,畑和委員は,事件を担当する裁判官と同じ部の総括判事に憲法問題に関するメモを渡すこと自体,「間接的な一つの手段としてやられたのじゃないかという疑問さえむしろ持たれる」と述べた。
平田メモの存在は,8月21日に平田判事が福島裁判長に対し,平賀書簡に他意はないことを説明する便宜として明かしたことから問題となった。

4 福島裁判長による書簡の開示

福島裁判長は,8月21日に決定書の原本に裁判官3名の署名を終えた後,陪席裁判官に対し,平賀所長から書簡が自宅に送られてきたことを告げ,渡部判事及び平田判事にも相談した。
福島裁判長は,8月22日の記者会見で書簡の存在を発表してはどうかとの意向を持っていたが,両所長代行の意見を受けて,発表は見合わせ,裁判官会議の招集を求めてその判断に委ねることになった。
8月27日,札幌地裁本庁の裁判官9名が会議室に集まり,臨時裁判官会議の招集を求める方向で事を運ぶことを相談した。
平賀所長は,8月30日,本庁の裁判官全員の前で,書簡を交付した趣旨を説明した。
昭和45年11月12日の参議院法務委員会で,矢崎憲正最高裁判所長官代理者は,9月6日に正式に会議の招集があったと答弁した。

第5 札幌地裁の臨時裁判官会議と厳重注意

1 9月13日の臨時裁判官会議

臨時裁判官会議は,9月13日の午後1時頃から,札幌市内にある高等裁判所の分室で開かれた。
現行の裁判所法29条3項は,地方裁判所の裁判官会議について,「各地方裁判所長が、その議長となる。」と定めている。
矢口洪一最高裁判所長官代理者は,議長は通常の場合は所長がなるが,事件の経緯にかんがみ,最も関係がないとみられる広岡得一郎小樽支部長が議長を務めたと説明した。
会議は深更まで続いて9月14日午前0時半頃に終了し,平賀所長に対し,札幌地裁として厳重注意の処分を行うことを決定した。
書簡を公表するかどうかも議論されたが,裁判官会議の決議としては成立せず,9月16日以降の本庁の裁判官の会議又は常置委員会の処置に従うことになった。

2 テレビ放映・新聞掲載と決議内容の発表

9月14日午後8時からのテレビ放映で,書簡を交付した事実と書簡の内容が放映された。
9月15日の朝刊には,書簡の全文が掲載された。
同日午前9時30分,本庁の全裁判官と広岡小樽支部長が協議し,これ以上公表しない場合は「かえって世人の誤解を生むおそれがある」として,決議内容を公表することにした。
同日正午,広岡支部長が札幌地裁本庁で記者団に決議内容を発表した。
平賀所長も,書簡を出した趣旨についての弁明書を作成し,報道陣に原稿を渡した。
同日午後,福島裁判長は平田判事にメモの公表を要請したが,同日夕刻,本庁の裁判官らは,平田メモは平賀書簡と直接の関係がないとして公表しないことを全員一致で決め,午後7時頃に広岡支部長が報道陣に発表したが,翌16日の朝刊にはメモの全文が掲載された。

第6 最高裁判所の注意処分と所信

1 注意処分と東京高裁への異動

最高裁は,9月17日の定例裁判官会議で,熊野札幌高裁長官と平賀所長を事件報告のため上京させることを決め,熊野長官には福島裁判長から直接事情を聴取してくるよう指示した。
9月18日午後,熊野長官と平賀所長が上京し,石田最高裁長官の部屋で,岸盛一最高裁判所事務総長が立ち会って正式の報告が聴取された。
最高裁は,9月20日午前10時30分に臨時裁判官会議を開き,その決定に基づいて,石田長官が長官室で平賀所長に注意を行い,同時に平賀所長を東京高裁判事に補する異動を発令した。
石田長官は,同日午後1時30分から記者会見を行った。
前掲『最高裁物語(下巻)』35頁及び36頁によれば,石田和外長官はバンコクの世界裁判官会議を終えて帰国の途中に香港でこのニュースを聞き,帰国したのは9月16日夜であった。

2 最高裁の所信

岸盛一最高裁判所事務総長は,昭和44年10月9日の衆議院法務委員会で,最高裁が石田長官から表明した所信を次のとおり読み上げた。
「札幌地方裁判所におけるいわゆる長沼町保安林解除処分の執行停止申立事件について、同地方裁判所長が同事件担当の裁判官に対し、事件に関する個人的見解を記載した書簡を交付したことは、先輩としての親切心から出たものであるとはいえ、節度を越えるもので、裁判の独立と公正について国民の疑惑を招き、まことに遺憾である。」
「裁判の独立と公正は、裁判官の生命ともいうべきものであり、従来ともわが国の裁判官すべてが、毅然たる態度で、良心に従い独立してその職責を遂行していることは、いうまでもない。」
「もとより、裁判官は、独善に陥ることのないよう、平素から謙虚な気持で相互に知識と経験を交換し合い修養研鑽を積む努力をすることも必要ではあるが、いやしくも係属中の事件に関し裁判の干渉とみられるおそれのあるような言動はもとより、その疑いを招くような行動をすることも、厳に慎しまなければならない。」
「われわれは、今後とも互にさらに厳しく戒め合いわが国裁判所の伝統である裁判の独立と公正およびこれに対する国民の信頼の確保に一そうの力を尽くす覚悟である。」

3 注意処分の根拠と「干渉」についての説明

岸盛一最高裁判所事務総長は,注意処分の法的根拠を問われ,「裁判所法八十条による『司法行政の監督』それが根拠でございます。」と答弁した。
現行の裁判所法81条は,「前条の監督権は、裁判官の裁判権に影響を及ぼし、又はこれを制限することはない。」と定めている。
憲法76条3項は,「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めている。
矢口洪一最高裁判所長官代理者は,裁判の干渉を「当該事件を担当している以外の者がしいて事件に立ち入りまして、自己の意見に従った裁判をさせようとする」ことと定義した上で,平賀書簡は力で自分の結論を押しつけようとしたものではなく,「これは裁判に干渉したというふうには考えるべきものではない」と答弁した。
同長官代理者は,平賀書簡や平田メモを出すに当たり法務省の方面から何らかの連絡があったという事実は「絶対にございません。」とも答弁した。
訴追をするかどうかが最高裁の中で問題にならなかったのかとの質問に対し,岸盛一最高裁判所事務総長は,「訴追、つまり弾劾事由には当たらない、そこまでする必要はない、そういうのが裁判所の考え方であります。」と答弁した。

4 石田長官の記者会見についての書籍の記述

前掲『最高裁物語(下巻)』38頁によれば,石田長官は,平賀所長について「先輩として立派な裁判をしてもらいたいという考えしかなかった」と繰り返した。
同書によれば,石田長官は,記者からの質問に対し,「最高裁としてはこれで納得していただくほかはない。疑惑は晴れると思う」と答え,さらに「裁判の干渉とは、力で自分の意見を押しつけることですから」と答えた。
同書42頁によれば,福島裁判長は,平賀所長の処分が最高裁で決まった日,「結局、平賀さんの弁明は通じなかったということですね。裁判所内部では二度とこういうことは起きないでしょう」と語った。

第7 国会と法曹界の受け止め

1 昭和44年10月9日の衆議院法務委員会

畑和委員は,最高裁の処置と見解について,「全面的に私も賛成いたします。」と述べた。
松本善明委員は,東京弁護士会が司法制度臨時措置委員会で「憲法が保障する裁判官の独立を裁判所の内部から破壊する違憲、不当な裁判干渉行為であって、司法権の独立を守る立場から絶対に許すことができない」と決議し,日本弁護士連合会が会長談話で「裁判官が良心に従い独立してその職務を行なうことに対する不当な介入というべきである」としていることを紹介した。
その上で,同委員は,最高裁の所信には裁判官の独立を侵すという表現がないと指摘した。
同委員は,三人の裁判官が結論を出した後に書簡が送られていることを指摘したが,矢口洪一最高裁判所長官代理者は,合議がいつ終了したかは調査していないとした上で,書簡の趣旨は論理の運びに矛盾がないか等を心配した助言であると答弁した。
森山欽司委員は,毎日新聞の記者に対し,平賀書簡は一先輩としてのアドバイスにすぎず,「決して干渉とは言えないであろう」との考え方を述べたと発言した。
岡沢完治委員は,福島裁判長の発言として,「平賀書簡が日本の裁判にとって正しいことか、正しくないことか、それを国民に判断してもらいたかったのだ」との言葉を紹介した。

2 飯守重任鹿児島地裁所長の寄稿

畑和委員は,鹿児島地裁の飯守重任所長が「国民協会」の機関紙に「平賀書簡事件の背景」と題する文章を発表したことを取り上げた。
岸盛一最高裁判所事務総長は,最高裁の裁判官会議では,平賀書簡のような事例が今まで例がなかったとは考えられないとする点は事実に反し,平賀所長に対する措置は「必要にして十分な措置であると最高裁は確信しておる」との意見が強かったと答弁した。
昭和45年6月10日の衆議院法務委員会で,岸盛一最高裁判所事務総長は,この発言について,昭和44年10月14日に福岡高裁の裁判官会議が飯守所長に厳重な注意をしたと答弁した。
飯守所長をめぐるその後の経過は,ブルーパージとは―昭和44年からの青法協会員裁判官への脱会勧告・再任拒否と「司法の危機」の全体像で紹介している。

3 大津事件との対比をめぐる議論

昭和45年11月13日の衆議院法務委員会で,高橋英吉委員は,大津事件の際に大審院長であった児島惟謙が担当の裁判官に働き掛けたことと平賀所長の行動との違いを尋ねた。
矢崎憲正最高裁判所長官代理者は,両者が全く同じであるとは理解しがたいと答弁した。
家永三郎『司法権独立の歴史的考察』(日本評論新社,1962年)123頁は,宮沢俊義が昭和19年発表の論文「大津事件の法哲学的意味」で,「司法権独立の原理は単に行政府の裁判官に対する干渉を排斥するにとどまらず、司法部内においても担当の判事に対して干渉を為すことを禁ずる趣旨でなくてはならぬ」としていたことを紹介している。
同頁は,宮沢俊義が同じ論文で「正しい判決を為さしむべく行はれる干渉」は違法でないともしていたことを紹介し,この見解は司法権の独立の保障のためにはなはだ問題であるとしている。

第8 裁判官訴追委員会の判断

1 訴追請求

矢崎憲正最高裁判所長官代理者は,福島裁判官に対する訴追の申立てが昭和44年10月23日にあったと新聞が報じていると答弁した。
岸盛一最高裁判所事務総長は,昭和45年5月6日の参議院法務委員会で,「平賀判事、福島判事については、ただいま訴追委員会で審議されております。」と答弁した。
前掲『最高裁物語(下巻)』90頁によれば,平賀裁判官は6601人から,福島裁判官は1166人から訴追請求されていた。

2 昭和45年10月19日の決定

裁判官訴追委員会は,昭和45年10月19日,平賀裁判官を不訴追とし,福島裁判官を訴追猶予とする決定をした。
裁判官弾劾法2条1号は,弾劾による罷免の事由として,「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。」を定めている。
同法13条は,「訴追委員会は、情状により訴追の必要がないと認めるときは、罷免の訴追を猶予することができる。」と定めている。
裁判官訴追委員会の公表資料「罷免の訴追を猶予した事案の概要」の第7の事案は,長沼基地訴訟事件の裁判長が,書簡の取扱いは裁判官会議で審議することになっていたにもかかわらず,「東京の裁判官らに同書簡のコピー数枚を送り、なりゆきにまかせたため、そのうちの1通が新聞記者に入手され、テレビ、新聞で公表される結果になった」としている。
同資料は,民事所長代行裁判官に交付されたメモについても,裁判官会議で公表の必要はないとされ,受信者からも公表を拒否されたにもかかわらず,これを公表したとしている。
同資料は,これらの行為を「裁判官会議非公開の原則を侵したものであり、弾劾法2条1号の職務上の義務に著しく違反したときに該当する。」とした。
その上で,同資料は,書簡が「求めてもいないのに所長の立場にある者から決定告知前に交付されたものであるから、受け取る側としては助言の域を超えた干渉ではないかと一応考えることも無理でない」ことなどの諸事情を総合して,罷免の訴追を猶予したとしている。
平賀裁判官に対する不訴追の理由について,林孝矩委員は,昭和45年11月13日の衆議院法務委員会で,訴追委員会は書簡の内容が「裁判権に影響を及ぼさない」ことを不訴追の理由としていると述べた。

第9 福島裁判官に対する注意処分とその後

1 国による忌避の申立て

昭和45年4月,農林大臣は福島裁判長の忌避を申し立てた。
昭和45年5月8日の衆議院法務委員会で,畑和委員は,忌避の理由が,福島裁判長が青年法律家協会の会員であり裁判の公正を妨げるおそれがあるというものであったと述べた。
札幌地裁は同年5月7日に忌避の申立てを却下し,農林大臣の抗告に対し,札幌高裁は同年7月10日に抗告を棄却した。
昭和45年11月27日の参議院本会議で,佐藤榮作内閣総理大臣は,「福島裁判官の忌避につきましては、国側が当事者の一方として訴訟上の権利を行使したものにすぎず、政府の司法への介入という批判は当たらないと思います。」と答弁した。

2 札幌高裁の注意処分

札幌高裁は,訴追委員会の決定から約10日後の昭和45年10月28日,裁判官会議の議決に基づいて福島裁判官を注意した。
昭和45年11月13日の衆議院法務委員会で,矢崎憲正最高裁判所長官代理者が紹介した注意の内容は,「いわゆる平賀書簡問題に際し同書簡および平賀メモの公表に関して貴官の執った行為は、裁判官としての節度を逸脱した行為であり、遺憾である。」及び「よって、裁判所法第八〇条により注意する。」というものであった。
同長官代理者は,この注意の決定は「適切であると考えていることは変わりません。」と答弁した。
また,同長官代理者は,訴追請求や忌避の申立てがある状況で札幌高裁が措置をとることは考えなければならないことであり,札幌高裁は訴追委員会の決定があった後にと考えていたと説明し,訴追委員会の決定や政治的勢力の圧迫の下で議決をしたのではないと答弁した。
これに対し,畑和委員は,訴追委員会の結論が出た後すぐに処分をするのは,「外部の政治勢力の結論というか、政治に支配されたというふうな印象を国民が持つのはあたりまえですよ。」と述べた。

3 辞意の表明と撤回

前掲『最高裁物語(下巻)』91頁によれば,福島裁判官は,注意を言い渡された後,記者会見で辞意を表明し,「裁判所みずからが司法権の独立を放棄し、時の政治権力にすすんで迎合したものである。この意味でも『平賀書簡』は万難を排しても公表に値するものだった」と声明して辞表を提出したが,二日後に辞意を撤回した。
吉田豊最高裁判所事務総長は,昭和45年11月13日の衆議院法務委員会で,福島裁判官が辞表を提出した後,「わずか四十数時間後にその辞表を撤回される」のは福島裁判官の自発的な意思によるのではなく,これをバックアップする何らかの組織があるのだろうと推測したと答弁した。

4 札幌地裁の注意処分

札幌地裁の裁判官会議は,昭和45年11月7日,福島裁判官を注意した。
矢崎憲正最高裁判所長官代理者は,この注意について,退官の意を表明した際に福島判事がした談話は,司法権の独立について不当な疑いを抱かせ,裁判所及び裁判官の名誉を著しく傷つけ,裁判に対する国民の信頼を損なうものであるという点を遺憾であるとして注意したものであると説明した。
畑和委員は,平賀問題のときに福島裁判官について何も言わなかった札幌地裁が,辞意表明をめぐる事柄だけで処分したのは,「事の軽重というか、その点の区別がどうもはっきりしない。」と述べた。

5 法律時報への寄稿

昭和45年12月17日の衆議院法務委員会で,岡沢完治委員は,福島裁判官が法律時報の1月号に「十月二十六日付札幌高裁裁判官会議 注意処分に対する反論」という題の文章を寄稿することを取り上げた。
同委員は,福島裁判官の談話として,「私は正しかったと確信している。」との言葉を紹介した。
吉田豊最高裁判所事務総長は,裁判官たる者は自分の一身上のことについて外部の雑誌に意見を掲載することには慎重であるべきだというのが多くの裁判官の考えであろうと答弁した。
矢崎憲正最高裁判所長官代理者は,福島判事について最高裁が直接事情を聴取したことはないと答弁した。
岩瀬達哉『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』(講談社,2020年)178頁は,福島重雄弁護士の発言として,「僕はね、裁判官の俸給表でいうところの4号に据え置かれたままで、退官する日にようやく2号にあがった。」と記載している。

第10 日弁連の決議と「司法の危機」

1 日弁連臨時総会の決議

日本弁護士連合会は,昭和45年12月19日の臨時総会で,「平賀・福島裁判官に対する訴追委員会決定に関する決議」をした。
同決議は,「裁判官訴追委員会が昭和45年10月19日、平賀・福島両裁判官に対してなした決定は裁判官の独立の理念に照して事案の本質をあやまった不当なものである。」とした。
同決議は,訴追委員会が青年法律家協会会員であることなどを理由とする訴追請求に関して裁判官213名に発した照会状は,「裁判官の思想、良心の自由ひいては司法権の独立をあやうくするおそれがあり、同委員会はすみやかに右照会を白紙にもどすべきである。」とした。
同決議は,「札幌高等裁判所が昭和45年10月28日福島裁判官に対してなした司法行政上の注意処分及びこれを支持する最高裁判所の態度は、訴追委員会の不当な決定に追随して自ら司法権の独立を放棄したものとの印象を与え、国民の裁判所に対する信頼をあやうくするものであって、誠に遺憾である。」とした。

2 札幌弁護士会の裁判官アンケート

昭和46年2月26日の衆議院法務委員会で,畑和委員は,札幌弁護士会が全国の裁判官に送った匿名のアンケートの集計結果について,新聞報道を紹介した。
同委員によれば,回答は2461人の裁判官のうち432通であり,平賀書簡について「裁判干渉になる」又は「その疑いがある」とする回答が297人で全体の77%を占めた。
同委員によれば,訴追委員会の決定について「いずれも不適当」とした者は218人であり,裁判干渉を受けた経験があるとした者は30人であった。

3 青年法律家協会をめぐる問題への広がり

前掲『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』161頁は,当時最高裁事務総局に勤務していた人物への取材に基づき,この時,石田長官は平賀書簡の「流出の犯人を捜しだし、青法協を裁判所から排除しなければならないと肚を固めた」と記載している。
昭和46年4月13日の衆議院法務委員会で,畑和委員は,平賀書簡問題から福島裁判官の忌避申立て,訴追委員会の決定,札幌高裁の処分を経て,宮本康昭判事補の再任拒否に至る一連の動きを取り上げた。
青法協会員裁判官への脱会勧告や再任拒否の全体像は,ブルーパージとは―昭和44年からの青法協会員裁判官への脱会勧告・再任拒否と「司法の危機」の全体像で紹介している。

第11 長沼ナイキ訴訟の結末

1 札幌高裁昭和51年8月5日判決

札幌高等裁判所昭和51年8月5日判決(昭和48年(行コ)第2号)は,主文で,「原判決を取消す。被控訴人らの訴えはいずれもこれを却下する。」とした。
同判決は,被控訴人らは当事者適格又は訴えの利益を欠くとした上で,「結局自衛隊の存在等が憲法第九条に適反するか否かの問題は、統治行為に関する判断であり、国会及び内閣の政治行為として窮極的には国民全体の政治的批判に委ねらるべきものであり、これを裁判所が判断すべきものではないと解すべきである。」とも述べた。

2 最高裁昭和57年9月9日判決

最高裁判所第一小法廷昭和57年9月9日判決(昭和52年(行ツ)第56号,民集36巻9号1679頁)は,保安林の指定解除により洪水緩和,渇水予防上直接の影響を被る一定範囲の地域に居住する住民の原告適格を認めた。
その上で,同判決は,代替施設の設置によって洪水,渇水の危険が解消され,保安林の存続の必要性がなくなったと認められるに至ったときは訴えの利益は失われるとして,上告を棄却した。
同判決には,団藤重光裁判官の反対意見がある。
同判決の判決文には,自衛隊の憲法適合性についての判断はない。

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第13 出典・参考資料

1 法令

①日本国憲法(e-Gov法令検索)76条
②裁判所法(e-Gov法令検索)29条,80条,81条
③裁判官弾劾法(e-Gov法令検索)2条,13条

2 裁判例

①札幌地方裁判所昭和44年8月22日決定(昭和44年(行ク)第11号,裁判所ウェブサイト)
②札幌高等裁判所昭和45年1月23日決定(昭和44年(行ス)第1号,裁判所ウェブサイト)
③札幌高等裁判所昭和51年8月5日判決(昭和48年(行コ)第2号,裁判所ウェブサイト)
④最高裁判所第一小法廷昭和57年9月9日判決(昭和52年(行ツ)第56号,民集36巻9号1679頁,裁判所ウェブサイト)

3 国会会議録

①衆議院法務委員会(昭和44年10月9日)における矢口洪一最高裁判所長官代理者の経過説明
②同委員会における矢口洪一最高裁判所長官代理者の平田メモについての答弁
③同委員会における岸盛一最高裁判所事務総長による最高裁の所信の読み上げ
④同委員会における岸盛一最高裁判所事務総長の注意処分の根拠についての答弁
⑤同委員会における矢口洪一最高裁判所長官代理者の干渉の意義についての答弁
⑥同委員会における岸盛一最高裁判所事務総長の訴追についての答弁
⑦参議院法務委員会(昭和45年5月6日)における亀田得治委員の質疑
⑧衆議院法務委員会(昭和45年6月10日)における岸盛一最高裁判所事務総長の答弁
⑨参議院法務委員会(昭和45年11月12日)における矢崎憲正最高裁判所長官代理者の答弁
⑩衆議院法務委員会(昭和45年11月13日)における矢崎憲正最高裁判所長官代理者の答弁
⑪同委員会における吉田豊最高裁判所事務総長の答弁
⑫参議院本会議(昭和45年11月27日)における佐藤榮作内閣総理大臣の答弁
⑬衆議院法務委員会(昭和45年12月17日)における岡沢完治委員の質疑
⑭衆議院法務委員会(昭和46年2月26日)における畑和委員の質疑
⑮衆議院法務委員会(昭和46年4月13日)における畑和委員の質疑

4 公的資料

①裁判官訴追委員会「罷免の訴追を猶予した事案の概要」
②日本弁護士連合会「平賀・福島裁判官に対する訴追委員会決定に関する決議」(昭和45年12月19日臨時総会)

5 文献

①山本祐司『最高裁物語(下巻)』(講談社+α文庫,1997年)30頁,31頁,35頁,36頁,38頁,42頁,90頁,91頁
②岩瀬達哉『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』(講談社,2020年)161頁,178頁
③家永三郎『司法権独立の歴史的考察』(日本評論新社,1962年)123頁

6 調査範囲

国会会議録は,令和8年9月27日に国会会議録検索システムの検索用APIで,昭和44年9月1日から昭和46年6月30日までの発言を「平賀」で,昭和45年10月1日から昭和46年3月31日までの発言を「福島判事」及び「福島裁判官」で検索し,関係する発言の全文を確認した。
矢口洪一の肩書は,会議録に記載された肩書(最高裁判所事務総局行政局長)による。
裁判例は,同日に裁判所ウェブサイトの裁判例検索で,裁判年月日(昭和44年8月22日及び昭和48年9月7日)並びに「保安林解除処分」及び「長沼」の語で検索した。
本案の一審判決は,裁判所ウェブサイトの検索では見当たらなかったため,本記事ではその内容を紹介していない。
『最高裁物語(下巻)』,『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』及び『司法権独立の歴史的考察』の記述は,該当頁を画像で確認した。
平賀書簡及び平田メモの全文,札幌地裁の裁判官会議の発表文並びに訴追委員会の決定書の全文は確認していない。