第1 民事保全とは何か
1 判決を待つ間の危険に備える手続
民事保全は,民事訴訟の判決を得るまでに財産が処分され,建物の占有者が変わり,又は生活・事業に重大な損害が生じる場合に,権利の実現や当面の状態を暫定的に守る裁判手続である。
金銭回収の準備をする仮差押えと,物や権利関係を守る仮処分があり,さらに仮処分は,係争物に関するものと仮の地位を定めるものに分かれる(民事保全法1条,20条,23条)。
裁判で勝てる見込みがあることと,今すぐ保全をする必要があることは別の問題である。
申立ての前には,最終的に何を実現したいのか,判決を待つと何が失われるのか,どの財産・物・行為を対象とするのかを分けて考える必要がある。
本記事は令和8年10月8日に確認した法令及び裁判所の案内を基礎とし,野村創『失敗事例でわかる!民事保全・執行のゴールデンルール30〈改訂版〉』(学陽書房,令和6年)を実務上の検討の参考としている。
同書の失敗事例は説明のための架空事例であり,掲載された金額や日数,著者の経験を全国共通の基準として扱うものではない。
2 まず選ぶべき3つの類型
| 最終的な目的 | 保全の類型 | 判決までに防ぐ危険 |
|---|---|---|
| 貸金・売掛金・損害賠償金等の回収 | 仮差押え | 責任財産が失われ,将来の強制執行ができなくなる危険 |
| 建物明渡し,物の引渡し,登記手続等 | 係争物に関する仮処分 | 占有や登記等の現状が変わり,権利の実行が困難になる危険 |
| 当面の生活費の確保,侵害行為の差止め等 | 仮の地位を定める仮処分 | 判決を待つ間に著しい損害や急迫の危険が生じること |
仮差押えは金銭債権の回収を準備する手続であり,その命令だけで預金を取り立てたり,相手方から支払を受けたりできるわけではない。
これに対し,仮払いを命ずる仮処分は,当面必要な給付を暫定的に実現する場合がある。
同じ金銭に関係する申立てでも,財産の確保と現実の支払を混同してはならない。
第2 仮差押えと仮処分の違い
1 仮差押えは金銭回収のために財産を確保する
仮差押えの対象には,不動産,預金・給料などの債権,動産等がある。
対象を選ぶときは,その財産が実際に存在するか,誰に属するか,先順位の担保権や他の差押えがあるか,後に回収へ進めるだけの価値が残るかを確認する必要がある。
不動産の登記に記載された抵当権の債権額や根抵当権の極度額と,現実に残っている債務額は同じではない。
手続の詳細は,仮差押えとは―要件・手続の流れ・担保・効力・解放金・担保の取戻しの全体像で説明している。
預金・給料については,預金・給料の仮差押えを参照する。
保証人の財産を確保する場合は,連帯保証人に対する仮差押えで,主債務者と保証人双方の資力・保全の必要性を説明している。
2 係争物に関する仮処分は物や登記をめぐる現状を守る
建物明渡しを求める場合,裁判の途中で占有者が変わると,誰を相手に明渡しの執行をするのかが問題になる。
そこで,占有移転禁止の仮処分により占有の移転を禁止し,執行官の保管・公示を通じて将来の明渡しに備える。
通常の債務者使用型では相手方が建物の使用を続けるため,仮処分の発令だけで直ちに退去させる手続とは異なる。
登記請求権を守る場合は,処分禁止の仮処分が問題となる。
金銭を回収したいから相手方の不動産を確保する場合と,自分がその不動産の登記を取得・回復したい場合では,保全する権利も手続も異なる。
相手方や対象の調査,執行官への申立てと2週間の期限は,占有移転禁止の仮処分で説明している。
登記請求権の類型,処分禁止登記・保全仮登記,後の登記への効力は,処分禁止の仮処分を参照する。
3 仮の地位を定める仮処分は現在の重大な損害に対応する
仮の地位を定める仮処分は,争いのある権利関係について,著しい損害又は急迫の危険を避けるために必要な場合の手続である(民事保全法23条2項)。
交通事故の被害者が当面の治療・生活のために金員の仮払いを求める場合などがあるが,請求権があるだけで当然に認められるわけではない。
必要な給付や禁止行為を具体的に定め,判決まで待てない事情を資料で示す必要がある。
仮払い・差止めの必要性,審尋,担保,本案訴訟との関係は,仮の地位を定める仮処分で説明している。
第3 申立てに必要な要件と疎明資料
1 被保全権利と保全の必要性を分ける
被保全権利とは,仮に守るべき権利又は権利関係である。
貸金なら貸付け・返済期・未払額,建物明渡しなら明渡しを求める権利の発生原因,登記なら契約等に基づく登記請求権を検討する。
相手方の弁済,契約の有効性,解除の効力など,予想される反論に関する資料も確認する必要がある。
保全の必要性は,仮差押えでは強制執行の不能又は著しい困難のおそれ,係争物の仮処分では現状変更による権利実行の不能又は著しい困難のおそれ,仮の地位の仮処分では著しい損害又は急迫の危険を避ける必要である。
単に支払や明渡しに応じないという事情から,全ての類型で同じ結論になるわけではない。
2 事実と資料を対応させる
民事保全法13条は,被保全権利と保全の必要性の疎明を求めている。
疎明のためには,即時に取り調べられる資料を用い,どの事実をどの資料で説明するかを対応させることが大切である。
| 説明する事項 | 準備を検討する資料 | 確認する点 |
|---|---|---|
| 権利の成立・内容 | 契約書,送金記録,請求書,解除通知等 | 当事者,日付,金額,条件,通知の到達 |
| 回収が困難になる事情 | 督促への回答,資産・負債に関する資料,登記等 | 単なる未払と資産不足を区別できるか |
| 占有・登記の変更の危険 | 登記事項証明書,現地の状況を示す資料,具体的な陳述書等 | 誰が,いつ,どのように現状を変えるおそれがあるか |
| 生活・事業の重大な損害 | 収支,支払期限,治療の必要,侵害行為の記録等 | 判決を待てない理由と求める措置の範囲 |
陳述書は,資料の不足を抽象的な断定で埋めるものではない。
体験した事実,時期,認識した経緯を具体的に記載し,推測と区別する必要がある。
登記等についても,取得時点以降に権利関係が変わっていないかを申立ての直前に確認することが重要である。
第4 費用と担保の資金計画
1 手続費用,担保,後の回収費用を見積もる
資金計画では,①申立手数料・郵便費用・登記に関する費用等,②裁判所が求める担保,③本案訴訟・保全執行・後の強制執行の費用を分けて考える必要がある。
申立てに必要な金額だけを用意しても,担保や執行費用を用意できなければ実効性のある保全につながらない。
執行官が行う執行では,現場の状況,搬出・保管,補助者の要否等によって費用が変わるため,対象と方法を伝えて確認する。
2 担保は後から必ず戻るとは限らない
民事保全法14条は,担保を立てさせる場合だけでなく,担保を立てさせずに保全命令を発する場合も認めている。
担保の額と方法は,対象,権利や必要性の疎明,相手方に生じ得る損害等を踏まえて裁判所が判断するため,一律の割合で確定することはできない。
供託した担保の取戻しには,担保取消し等の手続が必要であり,勝訴や和解だけで自動的に返金されるものではない。
分割払いの和解では,取戻しに必要な同意等をどう扱うかも検討する必要がある。
詳しくは,仮差押えの担保金の算定と立て方及び担保を取り戻す方法を参照する。
第5 申立てから保全執行までの流れ
1 申立先と面接・審尋を確認する
原則として,本案の管轄裁判所又は仮に差し押さえるべき物・係争物の所在地を管轄する地方裁判所が申立先となる(民事保全法12条1項)。
本案の管轄裁判所は第一審裁判所であるが,本案が控訴審に係属する場合は控訴裁判所となる(同条3項)。
特許権等に関する訴えの特則や,債権等の所在地に関する定めもあるため,単に相手方の住所だけで申立先を決めないことが大切である。
権利・必要性・対象を特定して申立て,裁判所の確認や補正,面接・審尋,必要に応じた担保提供を経て発令に進む。
仮の地位を定める仮処分では,原則として債務者が立ち会える審尋又は口頭弁論の期日が必要である(同法23条4項)。
東京地裁の案内では,保全命令の申立ては令和8年5月21日の民事訴訟の全面電子化の対象外とされており,申立ての際には同裁判所の現行案内を確認する必要がある。
2 発令と執行を分けて予定する
保全命令を得た後は,対象に応じて登記,第三債務者への送達,執行官による保管・公示等を行う。
特に占有移転禁止の仮処分など執行官が担当するものは,命令の申立てとは別に保全執行の申立てが必要である。
保全執行は,債権者に保全命令が送達された日から2週間を経過すると行えない(民事保全法43条2項)。
執行官の執行が必要な事件では,期間内に申立書を提出するだけで足りると考えず,執行への着手に間に合うよう発令前から連絡・準備を進める必要がある。
その後の本案訴訟,仮差押えから本執行への移行,明渡しの実現まで見据えて日程を管理する。
第6 保全を受けた側の対応と限界
債務者は,保全異議や,起訴命令を経た本案不提起等による保全取消し,事情変更による保全取消し等を検討できる(民事保全法26条,37条,38条)。
異議や取消しを申し立てただけで,直ちに執行が止まると考えてはならない。
対抗手段の詳細は,仮差押えとはから各論の記事を参照する。
申立てる側も,保全命令は権利関係の最終確定ではないこと,相手方の反論や後の本案判断によって結論が変わり得ることを踏まえる必要がある。
求める措置を必要な範囲に限定し,回収見込みと費用,相手方への影響を合わせて検討することが重要である。
第7 出典・参考資料
①e-Gov法令検索・民事保全法(1条,12~14条,20条,23条,26条,37~43条,52条等)。
②東京地方裁判所民事第9部の概要,保全事件の申立て及びその他の手続(保全執行の申立てと執行期限の案内を含む。令和8年10月8日確認)。
③野村創『失敗事例でわかる!民事保全・執行のゴールデンルール30〈改訂版〉』(学陽書房,令和6年)第1章1~8,第4章25~28,30。資金計画,必要性と疎明,執行期限及び手続選択の検討の参考とした。