第1 この記事の対象と結論
1 対象と資料
本記事は,弁護士が事件に関して預かった金員(預り金)の管理をめぐる規律と,その違反が懲戒処分の対象とされた例を整理するものである。
本記事の法令及び会規は令和8年9月28日現在のものである。
会規は日本弁護士連合会(以下「日弁連」という。)が公表している現行の会規集の本文で確認し,懲戒例は日弁連の機関誌『自由と正義』に掲載された懲戒処分の公告及び裁決の公告の原本で,号・頁・処分の内容を確認した。
公告は処分の理由の要旨を記載したものにとどまるため,本記事の記述も公告の記載の範囲に限られる。
個々の弁護士の氏名は,本記事の目的との関係で必要がないため記載しない(弁護士法人の名称は,処分の対象そのものであるため記載する。)。
2 結論
結論は次の5点である。
①預り金の保管は,弁護士職務基本規程38条と「預り金等の取扱いに関する規程」(以下「預り金規程」という。)が定めており,預り金規程は令和8年6月1日施行の改正で,預り金口座の自己名義の原則,通帳等の原本の提示義務及び照会に応じない会員の公表の制度を加えた。
②公表された懲戒例には,清算や返還の遅れ,口座・記録の不備といった管理の問題から始まり,目的外の使用(流用),さらに虚偽の報告や弁護士会の調査への不協力へと進むにつれて処分が重くなる段階がある。
③もっとも,処分の重さは一律ではなく,目的外の使用が認定されても戒告にとどまった例がある一方,預り金口座の届出と照会への回答を怠っただけで業務停止とされた例もある。
④依頼者の同意のない報酬の控除は懲戒の対象になり得るが,報酬の合意が後から認められて日弁連が処分を取り消した例もあり,委任契約書と清算書面が弁明の最大の資料になる。
⑤弁護士会から預り金について照会を受けたときに回答しないことは,それ自体が重い処分の理由になっている。
第2 預り金に関する規律
1 弁護士職務基本規程
弁護士職務基本規程38条は,「弁護士は、事件に関して依頼者、相手方その他利害関係人から金員を預かったときは、自己の金員と区別し、預り金であることを明確にする方法で保管し、その状況を記録しなければならない。」と定めている。
書類その他の物品の保管は39条(預り品の保管)であり,預り金の保管の条文は38条である。
同規程45条は,「弁護士は、委任の終了に当たり、委任契約に従い、金銭を清算した上、預り金及び預り品を遅滞なく返還しなければならない。」と定めている。
同規程25条は,「弁護士は、特別の事情がない限り、依頼者と金銭の貸借をし、又は自己の債務について依頼者に保証を依頼し、若しくは依頼者の債務について保証をしてはならない。」と定めている。
依頼者から借りることだけでなく,依頼者に貸すことも対象である。
これらはいずれも,同規程82条2項が行動指針又は努力目標として解釈適用すべきものとして列挙する規定には含まれておらず,義務規定である。
2 預り金等の取扱いに関する規程
預り金規程(平成25年会規第97号)は,平成25年8月1日に施行され,平成29年と令和7年6月13日に改正された。
主な内容は次のとおりである。
①保管目的以外の使用の禁止(2条)
②預り金のみを管理する専用の口座(預り金口座)の開設(3条1項),口座名義に「預り金、預り口、預り金口その他の預り金口座であることを明示する文字」を用いること(3条3項),所属弁護士会への届出(3条4項)
③自己の金員との区別(4条1項)と,一定額以上の預り金の預り金口座での保管(4条2項)
④相手方等から預り金を受領したときの依頼者への通知(5条)と預り証の発行(6条)
⑤入出金の年月日及び金額並びに入金の目的及び出金の使途の記録と,職務終了後3年間の保存(7条)
⑥依頼者の請求があったとき及び職務が終了したときの,書面による収支の報告(8条)
⑦弁護士会による照会・調査(9条)と,照会に対する回答義務(10条)
4条2項は,「会員は、一の事件又は一の依頼者について預り金の総額が五十万円以上となった場合において、当該預り金を十四営業日(日本銀行の休日を除いた日をいう。)以上にわたり保管するときは、当該預り金のうち五十万円以上の額を預り金口座で保管しなければならない。」と定めている。
14営業日は預り金を保管する期間の要件であり,義務の内容は,そのうち50万円以上の額を預り金口座で保管することである。
この規律は令和8年6月の改正で新設されたものではなく,従前から置かれている。
3 令和8年6月1日施行の改正点
令和7年6月13日の改正のうち,3条2項から7項まで及び9条から13条までの改正規定は,令和8年6月1日から施行されている(附則)。
主な改正点は次のとおりである。
①預り金口座は,原則として会員自身の名義で開設しなければならない(3条2項)。
共同事務所の他の会員の名義の口座を用いる場合など3つの場合が例外とされ(同項ただし書),他人名義の口座を用いるときは,口座名義人と連名で具体的な事情を届け出なければならない(3条7項)。
②弁護士法人は,法律事務所ごとに,その法律事務所の所属弁護士会に届け出る(3条5項)。
③弁護士会は,預り金の返還に関する懲戒の請求や紛議調停の申立てがあったときのほか,「預り金若しくは預り預貯金の返還に関する苦情があったとき」にも照会・調査ができる(9条1項)。
他人名義の口座を届け出ている会員については,口座名義人への照会や,他の弁護士会への調査の依頼の仕組みが設けられた(9条2項~5項)。
④照会を受けた会員は,通帳や帳簿等の記録の写しを添付して書面で回答しなければならず(10条1項),さらに「弁護士会から前項の写しに係る原本…の提示を求められたときは、その求めに応じなければならない。」(10条2項)。
⑤回答をしないとき,又は原本の提示の求めに応じないときは,弁護士会は,そのことを公表する措置と,懲戒の手続に付して綱紀委員会に調査させる措置の一方又は双方を採ることができる(11条4項)。
公表しようとするときは,あらかじめ弁明の機会を与えなければならない(11条5項)。
第3 公表された懲戒例に見る処分の段階
1 清算・返還の遅れと管理の不備(戒告)
(1) 委任契約の解除後の不返還
財産管理等委任契約に基づいて金員を預かっていたのに,契約の解除後も450万円を超える多額の金員を返還せず,その後の訴訟上の和解で定めた解決金(665万6132円)も期限までに支払わなかった例は,職務基本規程45条違反として戒告とされた(仙台弁護士会,2024年12月13日効力発生,自由と正義2025年5月号56頁)。
返還の遅れが単独で問題とされた例では,戒告にとどまるものがある。
(2) 事務職員への任せきり
破産申立事件(後に債務整理に変更)で,在庫商品の把握や売上金の管理を事務職員に任せきりにして,約2年間預り金口座を確認しなかった例は,戒告とされた(愛知県弁護士会,2025年1月31日効力発生,自由と正義2025年6月号93頁)。
この例では,事務職員が預り金口座から横領していたことを知りながら速やかに依頼者に報告しなかったことが職務基本規程5条違反とされ,委任契約書を作成しなかったことも30条違反とされている。
事務所内の不正に気付いた後の対応そのものが懲戒の理由になることに注意を要する。
(3) 口座の表示・届出・区分管理の不備
口座名義に「預り金口」等の表示のない4つの口座で預り金を保管し,届出をせず,事件ごと・口座ごとの入出金管理をしなかったうえ,ある依頼者の預り金を他の依頼者の案件の送金や精算に充てた例は,戒告とされた(福岡県弁護士会,自由と正義2017年10月号49頁)。
この例は,目的外の使用(流用)が認定されても戒告にとどまったものであり,処分の段階が一律ではないことを示している。
2 記録と報告のない保管(業務停止1月~3月)
(1) 受領証も記録もない現金の交付
顧問先の法人から現金3330万円を預かり,理事長に手渡したとしながら受領証等を確保せず,入出金の記録も職務終了時の収支報告も作成しなかった例は,業務停止1月とされた(第一東京弁護士会,自由と正義2023年9月号61頁)。
摘示された規定は,職務基本規程5条並びに預り金規程7条1項及び8条である。
(2) 事務所の金庫での保管
相続に関して現金約4100万円を預かりながら,預り金口座で保管せず,法律事務所内の金庫で保管し続け,残額やその有無すら不明な状態に置いた例は,預り金規程4条2項違反等として業務停止3月とされた(大阪弁護士会,2019年10月17日効力発生,自由と正義2020年1月号85頁)。
現金を預かった場合も,4条2項の要件に当たる限り預り金口座での保管が義務である。
(3) 弁護士会への説明の拒否
預り金口座に25回にわたって振り込まれた約2億4840万円のうち,支払が確認できない約9280万円について所属弁護士会が説明を求めたのに対し,マスキングをしていない取引履歴や容易に提出できる書証を出さなかった例は,業務停止3月とされた(大阪弁護士会,2018年3月15日効力発生,自由と正義2018年7月号95頁)。
3 虚偽の報告・調査への不協力・多額の流用(退会命令・除名)
(1) 判決書の偽造
訴訟を提起していないのに進行していると虚偽の報告をし,実在する裁判官の署名と印を貼り付けて判決書を偽造した例は,成年後見人としての預金の費消や,管財予納金等として預かった金員の目的外使用とあわせて,退会命令とされた(福岡県弁護士会,2024年9月19日効力発生,自由と正義2025年2月号81頁~82頁)。
(2) 照会への不回答
所属弁護士会から預り金の入出金の年月日・金額・目的・使途等について照会を受けたのに,書面で回答せず調査に協力しなかった例は,会費の滞納とあわせて退会命令とされた(東京弁護士会,2023年9月5日効力発生,自由と正義2024年1月号69頁)。
(3) 弁護士法人の預り金の流用
テレビやインターネットの広告で1万件以上の過払金返還請求事件等を受任した弁護士法人が,業務未了のまま業務を停止して解散し,依頼者からの預り金約30億2020万円に対して現預金が約4億8144万円しかなく,差額約25億3876万円を不正に流用した例は,弁護士法72条に違反する業者からの事件の紹介等とあわせて,除名とされた(弁護士法人東京ミネルヴァ法律事務所,第一東京弁護士会,2024年2月17日効力発生,自由と正義2024年7月号135頁)。
公告によれば,約30億円は預り金の総額であり,流用と認定された額は約25億円である。
4 口座の届出と年次報告書
預り金口座の届出をせず,所属弁護士会からの照会にも回答しなかったことに加え,「依頼者の本人特定事項の確認及び記録保存等に関する規程」11条1項に基づく年次報告書を4年分提出しなかった例は,業務停止1月とされた(第二東京弁護士会,自由と正義2024年1月号72頁)。
同じ内容の違反が戒告とされた例もある(東京弁護士会,2024年10月13日効力発生,自由と正義2025年3月号78頁)。
また,年次報告書を4年分提出しなかったことだけで業務停止1月とされた例がある(第二東京弁護士会,自由と正義2024年12月号82頁)。
年次報告書は預り金規程ではなく本人確認規程に基づく書類であるが,預り金口座の届出と同じく,所属弁護士会への届出・報告を怠ることが独立の懲戒理由になっている。
本人確認の手続は,弁護士が依頼者の本人確認を行う場合―対象業務・確認方法・記録保存・令和9年見直しで整理している。
第4 報酬の控除と処分の取消し
1 合意のない控除
依頼者との間で報酬についての合意がないのに,一方的に報酬を3922万2100円と決め,預かっていた賠償金6238万8015円と相殺した例は,いったん戒告とされた(東京弁護士会,2012年7月4日効力発生,自由と正義2012年10月号114頁)。
2 日弁連による取消し
もっとも,この戒告は審査請求を受けて日弁連が取り消し,「懲戒しない」とした(自由と正義2013年10月号136頁)。
裁決の理由の要旨によれば,受任案件ごとの報酬の支払内容を確認する合意書が作成され,依頼者が押印を持ち帰ったまま返送しなかったという経緯があった。
報酬の控除が懲戒の対象になるかは,控除の根拠となる合意の有無にかかっており,合意書や委任契約書,清算書面の有無が結論を分ける。
報酬の請求と懲戒全般については,弁護士報酬の請求と懲戒――時間制報酬・過大請求・預り金からの控除をめぐる懲戒例と日弁連の取消裁決で扱っている。
第5 弁護士が確認しておくこと
1 口座と記録
①預り金口座は自己名義で開設し,名義に「預り金」「預り口」等の文字を用い,所属弁護士会に届け出る(令和8年6月1日以降に他人名義の口座を用いる場合は,口座名義人と連名での届出が要る。)。
②一の事件又は一の依頼者について預り金の総額が50万円以上となり,14営業日以上保管するときは,そのうち50万円以上を預り金口座に置く。
現金を事務所の金庫で保管し続けない。
③入出金のたびに,年月日・金額・入金の目的・出金の使途を記録し,職務終了後3年間保存する。
④相手方や保険会社から金員を受領したときは,遅滞なく依頼者に通知する。
2 清算と報告
①委任の終了時は,委任契約に従って清算し,預り金を遅滞なく返還し,入出金の概要を記載した書面で収支を報告する。
②報酬を預り金から充当するときは,委任契約書の定めと清算書面に基づいて行い,争いのある部分とない部分を分けて,争いのない部分を先に返還する。
③事務職員に管理を任せきりにせず,預り金口座の残高と記録を自分で定期的に照合する。
職員の不正に気付いたら,速やかに依頼者に報告する。
3 弁護士会からの照会
①所属弁護士会から照会を受けたときは,速やかに,通帳や帳簿等の記録の写しを添付して書面で回答する。
②令和8年6月1日以降は,原本の提示を求められたら応じる必要がある。
回答をしないことや原本の提示に応じないことは,公表の対象となり,懲戒の手続に付される理由になる。
③本人確認規程に基づく年次報告書(毎年6月30日まで)も,預り金口座の届出と同様に,提出を怠ること自体が懲戒の理由になる。
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第7 出典
1 日弁連の会規
預り金等の取扱いに関する規程(平成25年会規第97号,令和7年6月13日改正)
弁護士職務基本規程(平成16年会規第70号,令和3年6月11日改正)
2 懲戒処分及び裁決の公告
いずれも『自由と正義』(日本弁護士連合会)に掲載された公告である。
2012年10月号114頁(東京弁護士会の戒告)
2013年10月号136頁(上記戒告を取り消した日弁連の裁決)
2017年10月号49頁(福岡県弁護士会の戒告)
2018年7月号95頁(大阪弁護士会の業務停止3月)
2020年1月号85頁(大阪弁護士会の業務停止3月)
2023年9月号61頁(第一東京弁護士会の業務停止1月)
2024年1月号69頁(東京弁護士会の退会命令)
2024年1月号72頁(第二東京弁護士会の業務停止1月)
2024年7月号135頁(第一東京弁護士会の弁護士法人に対する除名)
2024年12月号82頁(第二東京弁護士会の業務停止1月)
2025年2月号81頁~82頁(福岡県弁護士会の退会命令)
2025年3月号78頁(東京弁護士会の戒告)
2025年5月号56頁(仙台弁護士会の戒告)
2025年6月号93頁(愛知県弁護士会の戒告)