第1 本記事の結論
1 結論
令和8年9月18日,出版取次大手の日販グループが米国のAI開発企業Anthropic社に大量の書籍を販売していたとして,日本書籍出版協会(書協)が日販に事実確認を求める書面を送ったと報じられた。
報道の根拠となった米国の裁判資料を確認すると,Anthropic社の社内会議メモに「Nippan Japan」との書籍購入契約が令和6年11月21日に締結された旨の記載がある。
他方で,購入した冊数,単価,金額及び書籍の種類は黒塗りであり,日販にどのような用途が告げられていたかも,裁判資料からは分からない。
日本法の観点からは,次の3点を分けて考える必要がある。
①出版社が流通に置いた本を取次が転売すること自体は,譲渡権の消尽(著作権法26条の2第2項1号)により,著作権の問題になりにくい。
②転売先・用途・価格をめぐる問題は,出版社と取次の間の取引契約と再販売価格維持契約の問題であり,契約書の条項によって結論が変わる。
③購入した本の裁断・スキャンと学習は,それが行われた国の著作権法で判断されるのが原則であり,米国で行われたのであれば米国法(フェアユース)の問題になる。
米国の連邦地裁は,購入した紙の本を裁断・スキャンして電子化した行為をフェアユースと判断し,その後の15億ドルの和解も,購入した本のスキャンによる学習を対象外としている。
したがって,「本を買ってスキャンし,学習に使う」という経路は,米国では法的に閉じられていない。
出版社がこの経路に対応するには,取引契約での転売先・用途の定めと,AI学習用のライセンス市場の形成という,契約と市場の手段によることになる。
2 基準日と資料の性質
本記事は,令和8年9月19日現在の公開資料に基づく。
法令の条文は同日にe-Gov法令検索で確認した現行条文により,日本の裁判例は裁判所ウェブサイトで実在と該当箇所を確認したものを用い,関連する裁判例の有無は判例秘書でも検索した。
米国の裁判資料は,裁判記録を再公開するCourtListenerのPDFで本文を確認したものであり,PACERの認証済み写しではない。
朝日新聞と日経ビジネスの記事は,いずれも有料部分がある。
朝日新聞の記事は,Yahoo!ニュースに転載された全文で内容を確認したが,日経ビジネスの記事は有料部分を確認していない。
書協の書面と日販の回答書は公表されておらず,本記事は報道の記載によっている。
本記事の作成には,本件の当事者であるAnthropic社の生成AIを用いている。
そのため,裁判資料と報道の記載に即して記述し,いずれかの当事者に有利又は不利な評価を加えないよう注意した。
第2 報道された事実
1 朝日新聞の報道
朝日新聞(令和8年9月18日)によれば,書協は日販に対し,Anthropic社に渡った書籍に加盟出版社の発行物が含まれていたか,含まれていた場合の詳細,出版社の了承なく海外業者に大量販売した場合の法的整合性等の説明を求めた。
あわせて,AI学習を目的とする書籍の新たな販売の取りやめと,AI学習目的の書籍供給についての考え方の表明も求めたとされる。
同記事は,作家らがAnthropic社を訴えた米国の著作権侵害訴訟の裁判資料に,日販とみられる「Nippan Japan」の記述が複数回登場すると報じている。
日販は同紙の取材に対し,個別取引については取引の有無を含めて回答を差し控えるとした上で,「AI企業の学習向け用途と認識したうえで販売した事実はない」などと回答したとされる。
令和8年9月19日現在,書協と日販の各ウェブサイトに,本件に関する発表は見当たらない。
2 日経ビジネスの報道
日経ビジネス電子版(令和8年9月4日)は,「アンソロピックのAI学習向け書籍販売、日販が契約 米出版取次は拒否」との見出しで,日販がAnthropic社に大量の書籍を販売する契約をしていたことが米国の裁判資料から分かったと報じた。
本記事は,同記事の無料部分だけを確認している。
見出しにある「米出版取次は拒否」の具体的な内容は確認できていないため,第3の4で裁判資料の記載を示すにとどめる。
第3 米国の裁判資料で確認できること
1 Bartz事件と封印解除
報道のいう訴訟は,作家らがAnthropic社を被告として北カリフォルニア連邦地裁に提起したBartz v. Anthropic PBC(No. 3:24-cv-05417)である。
同事件では,令和8年1月21日,それまで封印されていたクラス認証申立ての関係書類が,封印を解いた版として一斉に提出された。
「Nippan」の記載があるのは,その中の複数の文書である。
2 社内会議メモに記載された「Nippan Japan」
クラス認証申立ての証拠(Dkt. 560-23,Exhibit 12)は,Anthropic社のデータ提携部門と財務部門の月次会議のメモである。
冊数,単価,値引率及び金額はすべて黒塗りであるが,「Nippan Japan」との取引の経過は次のとおり記載されている。
| 会議の日付 | メモ上の区分 | 記載の要旨 |
|---|---|---|
| 令和6年9月18日 | 確度が高い交渉中の取引 | 値引きの交渉を終え,支払条件を詰めて契約書の起案を始める段階 |
| 令和6年10月16日 | 承認待ちの取引 | 社内承認済みで,契約書案の確定と納期の調整中,発注番号の承認は相手方待ち |
| 令和6年11月27日 | 成約済みの取引 | 契約は11月21日に双方の署名が完了,12月17日に請求書を受領予定で支払を急ぐ |
同じメモには,令和6年9月18日の回に,社名を付さない「Japan partner」について,財務情報の確認を求められていることや,前払と到着時払の割合,円建てかドル建てかを検討した記載もある。
ただし,これが「Nippan Japan」と同じ相手を指すかは,メモからは断定できない。
令和6年5月23日の回には,購入した書籍の内容についての権利は購入によって得られるとの認識や,スキャンで作った画像から業者が文字を読み取ることが記載されている。
この認識が日本法の下で当然に通用するものでないことは,第6の3で述べる。
3 日本語書籍の書誌の取込み
別の証拠(Dkt. 563-7,Exhibit 45)の78頁~79頁には,「Nippan Loader」との項目がある。
そこには,日本の書籍に付されるCコードと日本十進分類法(NDC)の分類を,米国の書籍分類コード(BISAC)に対応させる手順が書かれている。
この記載からは,日本の書籍の書誌データを取り込む作業が行われていたことがうかがわれる。
また,原告側専門家の宣誓書(Dkt. 560-6)15頁の第36段落は,Anthropic社が書籍を購入した先として,Better World Books,Baker & Taylor,Ingram及びNippanを挙げ,購入した書籍はスキャン業者に送られるとしている。
同じ頁の第35段落は,Anthropic社の関係者の証言と回答書を引用して,書籍スキャン事業の書籍が同社のモデルの学習に用いられたと述べている。
もっとも,日販から購入した書籍が実際にスキャンされ,学習に用いられたかどうかは,これらの資料からは特定できない。
4 他の取次・書店との取引
Anthropic社の書籍購入は日本に限られない。
第3の2の会議メモには,英国の古書販売業者(World of Books),韓国(Booxen),台湾(UDC),アルゼンチン(SBS)の業者との取引が並んでいる。
米国の取次との関係では,別の会議メモ(Dkt. 560-34,Exhibit 23)の18頁に,令和6年3月26日の回の記載として,Ingramが,研究開発目的の裁断・スキャンと文字読取りはフェアユースに当たると自社の弁護士も考えているが,作家や出版社の訴訟が続く中で評判の面から今は難しいと回答したとある。
他方で,第3の2の会議メモでは,米国の取次であるBaker & Taylorからの購入が令和6年7月以降に進み,Ingramもスペイン語の書籍の取引候補として後に現れる。
このため,「米国の出版取次は拒否した」という要約は,少なくとも裁判資料の全体とは一致しない。
5 裁判資料から分からないこと
裁判資料から分からない事項は,次のとおりである。
①日販から購入した書籍の冊数,金額及び種類(新刊か,在庫・返品された本か,日本語の本か)
②Anthropic社が日販に告げた購入目的
③日販から購入した書籍がスキャンされた場所と時期
④日販から購入した書籍が学習に用いられたか
特に②は,日販の回答にある「学習向け用途と認識したうえで販売した事実はない」との説明の当否に関わるが,裁判資料はこれを裏付けも否定もしない。
第4 米国の裁判所の判断
1 フェアユース命令の三つの区分
北カリフォルニア連邦地裁のAlsup判事は,令和7年6月23日,Anthropic社によるフェアユースの主張について命令(Dkt. 231)を出した。
同命令は,一つの書籍ファイルについても,利用ごとに分けて判断した。
| 利用 | 判断 | 命令の該当頁 |
|---|---|---|
| 特定のモデルの学習のための複製 | フェアユースに当たる | 11頁~14頁 |
| 購入した紙の本を裁断・スキャンして電子化すること | 学習とは別の理由でフェアユースに当たる | 14頁~18頁,31頁 |
| 海賊版サイトから入手した書籍を中央ライブラリに保存すること | フェアユースに当たらない | 18頁~24頁,30頁~31頁 |
購入した紙の本の電子化について,同命令は,紙の本を廃棄してデジタル版に置き換え,保管場所の節約と検索を可能にしたにとどまり,複製物を増やしてもいないし,第三者に頒布してもいないことを理由とした。
学習のための利用が変容的であるから電子化も正当化される,というAnthropic社の主張は採られていない。
2 和解の範囲
その後,海賊版に由来する書籍の権利者をクラスとする和解が成立し,令和8年7月20日に最終承認された(Dkt. 680)。
和解金は15億ドルであり,対象作品は48万2460作品,1作品当たりの支払額は費用等の控除前で約3000ドルとされる(最終承認命令4頁)。
和解の対象は,海賊版サイトのデータから入手された作品の一覧に載った作品である。
スキャンした書籍による学習をやめさせることを求めた異議は,和解の範囲を超えるものとして退けられた(最終承認命令11頁)。
したがって,正規に購入した本のスキャンと学習は,この和解によって何ら制限されていない。
最終承認命令に対しては,令和8年8月,出版社側の調整を担った弁護士事務所と別の弁護士事務所がそれぞれ控訴を提起したが,いずれも弁護士報酬の部分を主な対象とするものである(Dkt. 682,Dkt. 683)。
第9巡回区控訴裁判所は,同年8月28日,Anthropic社がクラス認証について求めていた上訴許可の申立て(No. 25-4843)の判断を,これらの控訴の終了まで保留した。
令和8年9月19日現在,フェアユース命令の当否を控訴審が判断した記録はない。
米国の判断をどう評価するかについては,関連記事「米国政府はAI学習を「合法」としたのか―OpenAI著作権訴訟と取得・学習・出力の違い」も参照されたい。
第5 日本法の論点―本を売ること
1 譲渡権の消尽
著作権法26条の2第1項は,著作者が著作物をその原作品又は複製物の譲渡により公衆に提供する権利(譲渡権)を専有すると定める。
他方,同条2項は,同項各号に当たる原作品又は複製物の譲渡には同条1項を適用しないとし,同項1号は「前項に規定する権利を有する者又はその許諾を得た者により公衆に譲渡された著作物の原作品又は複製物」を挙げている。
出版社が著作者の許諾を得て発行し,取次・書店を通じて流通に置いた本は,同号に当たると考えられる。
そのため,取次がその本を国内外の事業者に転売すること自体は,譲渡権の侵害にならないと考えられる。
書協が問う「法的整合性」も,著作権ではなく,主として次の2で述べる契約の問題になると考えられる。
2 出版社と取次の取引契約
日本の書籍流通は,出版社から取次を経て書店に至る取引である。
日本書籍出版協会の50年史は,出版業界の流通・販売が,明治末年以来の委託販売制(返品条件付売買)と定価販売制(現在の著作物再販制度)を基本とすると説明している(同書36頁)。
公正取引委員会競争政策研究センターの報告書も,取次が書店に納入する書籍のうち,約3割が出版社,取次及び書店の三者間の返品条件付売買契約により,約5割が書店からの注文により配本されると言われているとしている(同報告書6頁)。
日販と各出版社の間の取引契約や取次の取引約款は公表されておらず,本記事は確認していない。
契約に転売先や用途を制限する条項があれば,それに反する販売は契約違反の問題になり得る。
反対に,そのような条項がなければ,本の所有権を取得した取次がどこに売るかを出版社が法的に止めることは難しいと考えられる。
また,本の所有権が取次に移っているかどうかも,個々の取引条件によって異なり得る。
(1) 書協の照会の意味
書協の照会は,加盟出版社の本が含まれていたかと,出版社の了承の有無を尋ねている。
これは,取引契約の条項と個々の本の所有関係を確かめなければ,契約上の問題の有無も判断できないことを示していると考えられる。
(2) 今後の契約の定め方
出版社がAI学習目的の大量購入を望まないのであれば,取引契約に転売先・用途の定めを置くことになる。
ただし,購入者が書店や図書館を経由して買う場合まで,出版社と取次の契約で止めることはできない。
3 再販売価格維持契約
独占禁止法23条4項は,「著作物を発行する事業者又はその発行する物を販売する事業者が、その物の販売の相手方たる事業者とその物の再販売価格を決定し、これを維持するためにする正当な行為についても、第一項と同様とする。」と定める。
書籍は,この適用除外(著作物再販制度)の対象とされている。
会議メモには値引きの交渉の記載があるため,値引きした販売が再販売価格維持契約に反しないかが問題になり得る。
(1) 再販契約書のひな型
日本書籍出版協会は,出版再販研究委員会が作成した再販売価格維持契約書のひな型と覚書を公開している。
出版社と取次の間のひな型(2017年11月作成)は,取次は,取引する小売業者及び取次業者との間で定価を維持するための契約を結んだ上で販売しなければならず(第三条),その契約を結ばない小売業者及び取次業者には販売しないと定める(第四条)。
これに違反したときは,出版社は,警告,違約金の請求及び期限付の取引停止をすることができる(第五条)。
(2) 大量一括購入の割引
同ひな型の第六条(2)は,「甲が認めた場合における、定期刊行物・継続出版物等の長期購読前金払い及び大量一括購入、その他謝恩価格本等の割引」には契約の規定を適用しないと定める。
同じひな型の覚書2)は,この大量一括購入を官公庁等の入札によらない大量一括購入とし,その場合の割引販売にも出版社の承諾を得るとしている。
公正取引委員会の「著作物再販制度の取扱いについて」(平成13年3月23日)の資料2も,書店が大量一括購入等の場合に値引きを行う例があり,関係業界がこれらの値引きは再販制度の下でも実施可能であることを確認するとしている(同資料7頁)。
(3) 本件に当てはめると
ひな型には,海外への販売や購入者の用途を定めた条項はなく,取次が小売業者を経ずに事業者へ直接販売する場合の価格を正面から定めた条項もない。
そのため,ひな型どおりの契約であれば,会議メモにある値引きについて,大量一括購入の割引として出版社の承諾があったかどうかが,契約上の主な問題になると考えられる。
もっとも,実際の契約がひな型どおりであるとは限らない。
また,出版社が再販商品を一定期間後に非再販化する運用もあるため(前記公正取引委員会の資料6頁),対象の本が販売時に再販商品であったかによっても結論は異なる。
第6 日本法の論点―スキャンと学習
1 準拠法
著作権侵害に基づく差止請求の準拠法について,知的財産高等裁判所平成20年12月24日判決(平成20年(ネ)第10011号)は,ベルヌ条約5条(2)により,保護が要求される同盟国の法令が準拠法となると判断した(同判決9頁~10頁)。
同判決は,上告審の最高裁平成23年12月8日判決(平成21年(受)第602号)で一部破棄されたが,最高裁の判示事項に準拠法は含まれていない。
損害賠償請求については,知的財産高等裁判所平成28年6月22日判決(平成26年(ネ)第10019号等)が,不法行為として法の適用に関する通則法17条により,加害行為の結果が発生した地の法を適用すべきであるとした(同判決PDF58頁,76頁)。
同条は,「不法行為によって生ずる債権の成立及び効力は、加害行為の結果が発生した地の法による。」と定めている。
日販から購入された本がどこでスキャンされたかは,裁判資料からは分からない。
仮にスキャンが米国内で行われたのであれば,その複製の差止めは米国法によって判断されると考えられ,第4のフェアユースの判断が問題になる。
米国内の複製について日本の著作権法の適用を直接判断した裁判例は,裁判所ウェブサイトで確認した範囲では見当たらない。
判例秘書で「準拠法」「著作権」「ベルヌ条約5条」を含む裁判例を検索した結果(令和8年9月19日,23件)も,確認した範囲では同様であった。
2 日本で行われた場合の著作権法30条の4
仮に同じ裁断・スキャンと学習が日本で行われた場合は,著作権法30条の4が問題になる。
同条は,「著作物は、次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には、その必要と認められる限度において、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。」と定め,同条2号は情報解析の用に供する場合を挙げている。
(1) ただし書の考え方
同条ただし書は,「当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」と定める。
文化庁の「AIと著作権に関する考え方について」(令和6年3月15日)は,ただし書の該当性を,著作権者の著作物の利用市場と衝突するか,将来における著作物の潜在的販路を阻害するかという観点から,技術の進展や利用態様の変化といった事情を総合的に考慮して検討するとしている(同文書23頁)。
同文書は,情報解析用のデータベースが販売されている場合の複製や,海賊版サイトから学習データを収集する行為を取り上げているが,正規に購入した紙の本を裁断・スキャンする場面は直接扱っていない。
(2) 出版社の立場から見た意味
出版社が書籍のAI学習用ライセンスを現に提供していれば,無許諾の大量スキャンがその市場と衝突するとの主張の足場になる。
反対に,そのような市場がなければ,購入した本を学習のために複製することについて,ただし書の適用を主張するのは容易でないと考えられる。
(3) 保存し続ける複製
同条は,「その必要と認められる限度において」利用を認めるものである。
Alsup判事の命令が問題にしたように,学習に使わなくなった後も汎用のライブラリとして複製を保存し続ける場合は,情報解析に必要な限度を超えないかが別に問題になり得る。
(4) 国内の裁判例
判例秘書で「著作権法30条の4」を含む裁判例を令和8年9月19日に検索すると5件であり,同条の適用の可否を判断したのは,東京地方裁判所令和4年5月27日判決(令和元年(ワ)第26366号)だけであった。
同判決は,ポスティング業務のために住宅地図を複写してポスティング用地図を作った事案で,同条の適用を否定した(同判決50頁~51頁)。
残る4件は,当事者の主張の中や他の規定の説明の中で同条に触れたものであり,書籍のスキャンやAI学習について同条を判断した国内の裁判例は見当たらない。
3 私的使用の複製(30条1項)との違い
著作権法30条1項は,私的使用を目的とするときは,「その使用する者が複製することができる」と定め,複製する者を使用者本人に限っている。
そのため,業者が書籍をスキャンする自炊代行は,依頼者が私的使用の目的であっても複製権の侵害とされた(知的財産高等裁判所平成26年10月22日判決・平成25年(ネ)第10089号)。
詳しくは「スキャン代行は著作権侵害になるか-自炊代行訴訟の確定判決と,許諾なしにできる範囲」で扱っている。
これに対し,30条の4には,複製する者を限定する文言がない。
したがって,事業者が購入した本を業者に裁断・スキャンさせる場合でも,目的が情報解析であれば,30条の4の要件とただし書で判断されることになる。
第3の2で紹介した,購入によって書籍の内容の権利を得るとの認識は,日本法の下では当たらず,購入しても複製権の許諾を受けたことにはならない。
結論を左右するのは,購入の事実ではなく,複製の目的と態様である。
第7 当事者ごとの実務
1 出版社
出版社が取り得る手段は,契約と市場の二つである。
①取次・書店との取引契約に,AI学習目的の転売や大量販売についての定めを置く。
②AI学習用のライセンスを有償で提供する仕組みを作る。
③自社の本がAI企業に渡った疑いがあるときは,取次に対し,取引の有無,対象書目及び取引条件の確認を求める。
②については,対価の分け方を含めて「生成AIの学習データ契約とクリエイターへの対価還元――著作権法30条の4との関係」で扱っている。
2 取次・書店
取次・書店が大口の注文を受けるときは,出版社との契約上の転売制限,再販契約上の価格の定め,与信と支払条件を確認する。
購入者の用途を確認する法的義務は,現行法上見当たらない。
ただし,本件のように取引が後に報道されると,出版社との取引関係に影響が及ぶことがあるため,大口取引の用途と条件を記録に残しておくことが望ましい。
3 AI事業者
AI事業者は,本の入手経路,購入契約,スキャンの場所と業者,保存と廃棄の方針,どのモデルの学習に用いたかを記録しておく必要がある。
Bartz事件では,海賊版からの入手と,学習に使わなくなった後も保存し続けたことが,フェアユースを否定される原因になった。
購入による入手であっても,保存の範囲と期間は別に問われる。
第8 まとめ
日販とAnthropic社の取引は,米国の裁判資料に契約締結の日付まで記載されているが,冊数,金額,用途の説明及び学習への利用の有無は資料から分からない。
日本法の観点では,本の転売は譲渡権の消尽により著作権の問題になりにくく,問題の中心は出版社と取次の取引契約にある。
スキャンと学習は行われた国の法で判断され,米国では購入した本の電子化がフェアユースとされ,和解もこれを対象外とした。
出版社にとっての実際の手段は,取引契約の定めとAI学習用のライセンス市場の形成である。
第9 出典
1 法令
①著作権法26条の2,30条,30条の4(e-Gov法令検索)
②私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律23条(e-Gov法令検索)
③法の適用に関する通則法17条(e-Gov法令検索)
2 裁判例
①知的財産高等裁判所平成20年12月24日判決(平成20年(ネ)第10011号)
②知的財産高等裁判所平成28年6月22日判決(平成26年(ネ)第10019号等)
③東京地方裁判所令和4年5月27日判決(令和元年(ワ)第26366号)
3 米国の裁判資料
①Bartz v. Anthropic PBC, Order on Fair Use, Dkt. 231 (N.D. Cal. June 23, 2025)
②Bartz v. Anthropic PBC, Order Granting Final Approval of Class Action Settlement, Dkt. 680 (N.D. Cal. July 20, 2026)
③Dkt. 560-23(Exhibit 12,社内会議メモ)
④Dkt. 560-6(原告側専門家の宣誓書)
⑤Dkt. 560-34(Exhibit 23,社内会議メモ)
⑥Dkt. 563-7(Exhibit 45)
⑦Dkt. 682(出版社側調整弁護士の控訴状)
⑧Dkt. 683(Cowan, DeBaets, Abrahams & Sheppard LLPの控訴状)
⑨Bartz v. Anthropic PBC, No. 25-4843 (9th Cir.)の事件記録(CourtListener)
4 公的資料
①文化審議会著作権分科会法制度小委員会「AIと著作権に関する考え方について」(令和6年3月15日)23頁
②公正取引委員会「著作物再販制度の取扱いについて」(平成13年3月23日)6頁~7頁
③出版再販研究委員会作成「再販売価格維持契約書(出版―取次)」及び覚書のひな型(2017年11月)
④日本書籍出版協会「契約書」(再販契約書のひな型の掲載ページ)
⑤日本雑誌協会・日本書籍出版協会50年史36頁
⑥公正取引委員会競争政策研究センター「電子書籍市場の動向について」(CR01-13)6頁
5 報道
①朝日新聞「出版取次の日販、米AI企業に書籍を大量販売か 業界団体が説明要求」(令和8年9月18日)
②同記事のYahoo!ニュース転載
③日経ビジネス電子版「アンソロピックのAI学習向け書籍販売、日販が契約 米出版取次は拒否」(令和8年9月4日)
6 関連記事
①米国政府はAI学習を「合法」としたのか―OpenAI著作権訴訟と取得・学習・出力の違い
②スキャン代行は著作権侵害になるか-自炊代行訴訟の確定判決と,許諾なしにできる範囲
③生成AIの学習データ契約とクリエイターへの対価還元――著作権法30条の4との関係
④robots.txtで生成AI学習・AI要約を拒否できるか――技術的効果と著作権法上の限界