第1 対象と読み方
1 対象資料
平成19年度旧司法試験第二次試験論文式試験の6科目・各2問を扱う。
問題文と出題趣旨は法務省の公式資料により,それぞれの問ごとに掲載する。
答案は,公式の出題趣旨を参照した上でAIが作成した答案例である。
法務省「論文式試験問題・出題趣旨」(旧司法試験の年度別一覧)
平成19年度の問題PDF
平成19年度の問題と出題趣旨PDF
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2 答案の前提と表記
答案は平成19年度の出題当時の法令・裁判例を基準とする。
「現行法とその後の裁判例」は令和8年11月3日を確認基準日として別に設け,後の改正条文を当時の答案の根拠に混ぜない。
問題文及び公式出題趣旨の文字・句読点は原資料の表記を保ち,PDFの組版による行送りと字間だけを本文表示に合わせる。
以下の答案は一つの見解を採用した学習用の案であり,公式の模範解答ではない。
特に,虚偽の登記を信頼した転得者の保護,業務日誌の盗品等該当性,当事者適格を欠く代位債権者が受けた確定判決の既判力,準現行犯逮捕の要件及び訴因変更を要しない場合の例外については,見解が分かれ得るため,答案と異なる結論を採る余地がある。
解説では,公式趣旨の要求と答案独自の推論を分けて示す。
3 全12問の論点早見表
| 科目 | 問題 | 中心論点 |
|---|---|---|
| 憲法 | 第1問 | 外国人の公務就任・地方選挙権と国籍要件 |
| 憲法 | 第2問 | 条約の合憲性に関する拘束的な事前審査 |
| 民法 | 第1問 | 二重譲渡・虚偽登記,代位・詐害行為取消しと転得者 |
| 民法 | 第2問 | 原賃貸借の合意解約,転貸人地位・敷金・賃料の移転 |
| 刑法 | 第1問 | 早すぎた構成要件の実現と共犯関係からの離脱・中止 |
| 刑法 | 第2問 | 偽計による公務妨害,不法領得の意思,日誌の運搬・恐喝 |
| 商法 | 第1問 | 利益相反取引と5名の取締役の会社に対する責任 |
| 商法 | 第2問 | 名板貸会社・営業主体・取締役個人の対外責任 |
| 民事訴訟法 | 第1問 | 専門家が関与する六つの制度と説明の証拠性 |
| 民事訴訟法 | 第2問 | 債権者代位訴訟の当事者適格,審理順序と既判力 |
| 刑事訴訟法 | 第1問 | 現行犯逮捕,逮捕現場の捜索と物品別の差押え |
| 刑事訴訟法 | 第2問 | 共犯者・実行行為者の変更,訴因変更と概括的認定 |
第2 憲法
1 第1問
(1) 問題文(問題PDF1頁)
A市では,条例で,市職員の採用に当たり,日本国籍を有することを要件としている。この条例の憲法上の問題点について,市議会議員の選挙権が,法律で,日本国籍を有する者に限定されていることと対比しつつ,論ぜよ。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF1頁)
本問は,外国人の公務就任権及び地方議会議員の選挙権について,外国人の人権享有主体性,それぞれの権利の性質,国民主権原理と地方自治との関係などを踏まえて論理的に記述することができるかどうかを問うものである。
(3) 模範答案
第1 問題の所在
本条例は,外国人を市職員への採用から一律に排除する。
これが許されるかは,外国人に地方選挙権が保障されるかという問題と区別し,公務の性質及び国籍による区別の合理性から検討する。
条例という形式を採っただけで,人権制約が正当化されるわけではない。
第2 地方議会議員の選挙権
基本的人権は,人としての権利を保障する憲法の趣旨から,権利の性質上日本国民のみを対象とするものを除き,在留外国人にも保障される。
しかし,公務員を選定罷免する権利は,国民主権を具体化し,統治について最終的責任を負う国民の意思を国家機関の構成に反映する権利である。
憲法15条1項の「国民」は,日本国籍を有する者を意味する。
地方選挙については,93条2項が「住民」による直接選挙を定め,地方自治には住民自治という側面がある。
外国人も納税や行政サービスの享受を通じて地域生活の担い手となるから,住所を有する外国人も「住民」に含めるべきだとの考え方は成り立つ。
他方,地方公共団体も我が国の統治機構の一部であり,その議会は条例制定等を通じて公権力を行使する。
15条1項及び国民主権との整合から,選挙権の憲法上の保障に関する「住民」は,その区域に住所を有する日本国民と解する。
したがって,法律が市議会議員の選挙権を日本国民に限定することは,15条1項,93条2項に反しない。
もっとも,憲法上の保障がないことと,付与が憲法上禁止されることとは別である。
地域との特に緊密な関係を有する永住者等に法律で地方選挙権を付与する余地は認められる。
付与しない立法も,そのことだけで違憲とはならない。
第3 公務就任と国籍要件
公務就任は,政治的意思決定への参加であると同時に,職業を通じた生活維持・能力発揮という側面を持つ。
すべての市職員を選挙で選ばれる議員と同視して,外国人には憲法上の保護が及ばないとするのは相当でない。
職務に即して,国民主権に関わる制限と,14条1項の平等,22条1項の職業選択の自由の問題を検討すべきである。
住民の権利義務を直接形成し,その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行い,若しくは地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い,又はこれらに参画することを職務とする公務員については,統治を担う者と主権者との結び付きが重視される。
そのような職への任用を日本国民に限ることには,国民主権に由来する合理性がある。
国籍以外の能力が同等であるというだけでは,この制度的理由は失われない。
また,公権力行使等を担う管理職と,その経験を積むために経る職とを包含する一体的な管理職任用制度の下では,現に担当する仕事が専門的・補助的であることだけから国籍要件を否定できない。
人事運用全体を考慮し,一定範囲の職をまとめて扱うことにも合理性が認められ得る。
しかし,これは市職員の採用を例外なく国籍で限定してよいという意味ではない。
公権力行使や重要施策の決定に関わらず,そうした職への一体的任用とも結び付かない技術的・補助的職務まで排除する場合,その職務と国籍との関連を別に説明する必要がある。
地方選挙権が保障されないという理由だけでは,その説明にはならない。
第4 本条例の評価
本条例の目的を,国民主権に沿った行政運営及び適正な人事配置の確保と解すれば,その目的には正当性がある。
しかし,手段は採用段階での全面排除である。
対象職務ごとの国籍要件や,権力的職務への配置を制限する方法では足りないかを検討すべきである。
本問には,全職種を一体的に任用しなければ行政運営が成り立たないという事情は示されていない。
その事情を補って全面排除を正当化することはできない。
よって,公権力行使等を担う職及び合理的な一体的任用の範囲における国籍要件は認められるが,これと関係のない職まで一律に外国人を排除する部分は,合理的理由を欠く国籍差別として14条1項に反すると解する。
22条1項の職業的利益もこの判断を支える。
市議会議員の選挙権の限定が合憲であることと,本条例の全面的な採用制限の合憲性とは,結論を直結させることができない。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 外国人の人権享有主体性 | 第2冒頭 | 権利の性質に応じた保障を出発点とする。 |
| 公務就任と地方選挙権の性質 | 第2・第3 | 選挙による統治参加と職務に就く利益を分ける。 |
| 国民主権と地方自治 | 第2後半・第4 | 選挙権の非保障から採用全面禁止を直結させない。 |
問題文は,市議会議員の選挙権の国籍要件と対比しつつ,市職員採用の国籍要件を論じることを求めている。
公式出題趣旨は,外国人の人権享有主体性,それぞれの権利の性質,国民主権原理と地方自治との関係などを踏まえることを求めている。
選挙権についての結論だけで条例の結論を決めると,公務就任権の性質の検討が抜ける。
本答案は,選挙権では憲法上の保障と法律による付与の許容を分け,公務就任では具体的職務及び任用制度の範囲を検討した。
最高裁平成7年2月28日第三小法廷判決(平成5年(行ツ)第163号,民集49巻2号639頁)の地方選挙権の判断と,最高裁平成17年1月26日大法廷判決(平成10年(行ツ)第93号,民集59巻1号128頁)の管理職選考制度の判断は,対象を異にする。
後者は,既に職員として採用された外国人の管理職選考の受験資格についての判決であり,本問の市職員採用条例そのものを判断した判決ではない。
答案第4の全面排除に対する違憲判断は,その違いを踏まえた答案独自の推論である。
この推論を答案で示すときは,非権力的職への採用と22条1項の関係,判例が許容した一体的任用制度の射程を具体的に論じる必要がある。
国籍の区別があるというだけで違憲とするのでも,公務というだけで全面的に合憲とするのでもなく,対象職務と区別の理由を対応させることが重要である。
参照する裁判所掲載原文:
最高裁平成7年2月28日第三小法廷判決(PDF)
最高裁平成17年1月26日大法廷判決(PDF)
(5) 現行法とその後の裁判例
現行の日本国憲法14条,15条,22条及び93条を確認する場合も,保障される権利の性質を分ける構成が出発点となる。
個々の自治体の現在の募集要項や条例が,本問の全面排除と同じ内容であると推定することはできない。
現在の採用相談では,職種,職務権限,昇任・配置の制度及び実際の国籍要件を個別に確認する必要がある。
ここで引用した二つの最高裁判決は,いずれも平成19年度以前の裁判例である。
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2 第2問
(1) 問題文(問題PDF1頁)
「内閣は,条約を締結する際,その条約の合憲性について,最高裁判所の見解を求めることができる。最高裁判所が違憲であるとの見解を示した場合は,内閣はその条約を締結することはできない。」という趣旨の法律が制定されたと仮定する。この法律に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF1頁)
本問は,内閣が条約を締結するに際し,その合憲性について最高裁判所の見解を求めることができるかという点について,違憲審査権の性格,司法権の意義,憲法と条約の関係,国会の条約承認権等に関する基本的理解を踏まえながら,論理的記述ができるかどうかを問うものである。
(3) 模範答案
第1 検討の枠組み
本法は,条約締結前に最高裁判所が合憲性を審査する仕組みを設け,違憲との見解に内閣の締結を阻止する効力を与えている。
条約が憲法に適合すべきことと,このような事前審査を法律で最高裁判所の権限にできることとは,別に検討しなければならない。
第2 憲法と条約の関係
憲法98条2項は条約の誠実遵守を要求する。
他方,同条1項の最高法規性を定める列挙に条約が明記されないこと,国際協調の必要性から,条約を憲法より優位に置く見解も考えられる。
しかし,条約によって憲法と異なる国家権力の在り方を定め得るとすれば,96条の厳格な改正手続を,内閣による締結と国会承認によって迂回できることになる。
憲法が内閣・国会に与えた条約締結関係の権限は,憲法の枠内で行使されるべきである。
国内法上は憲法が条約に優位すると解する。
もっとも,国内で違憲と判断されたからといって,国際法上の条約の効力や相手国に対する義務まで当然に消滅するわけではない。
国際的義務との抵触を避けるためにも,締結前の慎重な検討は必要である。
しかし,その政策的必要性から,最高裁判所の権限を直ちに導くことはできない。
第3 司法権及び違憲審査権
76条1項の司法権は,具体的な権利義務又は法律関係についての紛争を,法を適用することによって終局的に解決する作用である。
81条の違憲審査権も,この司法権の行使に付随するものと解する。
81条が最高裁判所を終審裁判所とすることは,法律等の合憲性を具体的争訟と無関係に審査する憲法裁判所を設置したことを意味しない。
条約は81条に明記されていないが,国内に法的効果を及ぼす以上,具体的紛争の解決に必要な限りで,その合憲性を審査する余地はある。
条約であることから,当然に司法審査の対象外となるわけではない。
ただし,高度の政治性や判断に必要な事項の性質によって,司法審査の限界が問題となる場合はある。
これは,あらゆる条約について事前の抽象的審査を行う権限とは異なる。
本法による諮問は,締結前の条約について内閣と最高裁判所との間で意見を求めるものであり,具体的な権利義務の紛争を前提としない。
裁判所が当事者の主張立証を踏まえて紛争を解決する構造を欠き,司法権そのものとしては説明できない。
第4 法律による権限付加の限界
裁判所法3条1項が法律で特に定める権限を認めていることから,非訟的又は司法行政的な職務を含め,司法権以外の仕事を裁判所に与える余地はある。
しかし,法律さえあれば内容を問わず権限を追加できるとすれば,憲法の定める権力分立は法律によって変更できることになる。
司法機関としての性格,独立性及び他機関の憲法上の権限との整合が限界となる。
本法では,最高裁判所が政策判断と密接な条約案を締結前に審査する。
交渉が継続中であることまでは,本問の事実から断定できない。
締結前に自ら示した判断に関係する問題が,後日の具体的事件でも争われる可能性があり,その場合には中立的な司法判断への信頼への影響も問題となる。
単に求めに応じて法的助言をする場合にもこうした問題はあるが,本法はさらに見解に法的拘束力を与えているため,純粋な参考意見として正当化することは困難である。
第5 内閣・国会の権限との関係
73条3号は条約締結を内閣の職務とし,事前に,時宜によっては事後に,国会の承認を経ることを要すると定める。
61条は承認について衆議院の優越を定め,外交を担当する内閣と国民代表機関である国会との間に,憲法上の意思決定と統制の仕組みを設けている。
ところが,本法の下では,最高裁判所が違憲との見解を示せば,内閣及び国会が締結・承認を相当と考えても条約を締結できない。
これは具体的事件における法の適用の拒否を超え,最高裁判所を条約締結過程の決定的な統制機関に加えるものである。
内閣が諮問するかを選べるとしても,いったん諮問した後の拘束による権限配分の変更は解消しない。
したがって,違憲条約を防ぐという目的自体は憲法に適合するが,本法の仕組みは,76条・81条の司法制度及び73条3号・61条による権限配分と両立しない。
内閣・国会は自ら合憲性を審査し,具体的紛争が生じた場合には裁判所がその権限の範囲で審査すべきであり,法律だけで本問の拘束的な事前審査制度を創設することはできないと解する。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 憲法と条約の関係 | 第2 | 国内的な優劣と国際的義務を区別する。 |
| 司法権・違憲審査権の性格 | 第3・第4 | 付随的審査と法律による付加権限を分ける。 |
| 国会の条約承認権 | 第5 | 最高裁の見解による締結阻止と憲法上の権限配分を検討する。 |
公式出題趣旨の四つの要素は,単なる論点の列挙ではなく,一つの制度の合憲性を判断するための連続した検討事項である。
答案は,憲法優位説を採った上で,違憲条約を避ける必要性と,そのための権限を最高裁へ与えられるかを分離した。
さらに,抽象的審査が司法権そのものに含まれないとしても,裁判所法上の付加権限として許されるかという反論に進んでいる。
警察予備隊違憲訴訟の最高裁昭和27年10月8日大法廷判決(昭和27年(マ)第23号,民集6巻9号783頁)は,具体的な争訟を離れた抽象的審査権の理解に関係する。
しかし,本問のような条約についての拘束的意見制度の合憲性を直接決めたものではない。
答案の結論は,司法機関の性格に加え,73条3号・61条の条約締結・承認の仕組みへ最高裁による法的な拒否権を加える点を重視する推論である。
締結前というだけで交渉が継続中であると決め付けず,後日の訴訟も可能性として論じるべきである。
参照する裁判所掲載原文:
最高裁昭和27年10月8日大法廷判決(PDF)
(5) 現行法とその後の裁判例
現行憲法73条3号も,国会承認について事前を原則とし,時宜によって事後を認める。
61条は60条2項を準用する。
したがって,現在の説明でも承認時期を常に事後又は常に事前と書くのは正確でない。
76条と81条の条文を根拠にする際も,具体的事件の審査と条約案への抽象的助言を同一視しない。
裁判所法3条の付加権限の限界及び条約審査の限界については,条文の存在だけで本答案の制度評価が裏付けられるわけではない。
新制度の適法性を検討する実務では,権限を付与する法律の内容と憲法上の機関権限を併せて確認する必要がある。
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第3 民法
1 第1問
(1) 問題文(問題PDF2頁)
買主Xは,売主Aとの間で,Aが所有する唯一の財産である甲土地の売買契約を締結した。ところが,XがAから所有権移転登記を受ける前に,Aは,Bに対して,甲土地について贈与を原因とする所有権移転登記をした。
1 上記の事案において,(1) AB間の登記に合致する贈与があった場合と,(2) AB間に所有権移転の事実はなくAB間の登記が虚偽の登記であった場合のそれぞれについて,Xが,Bに対して,どのような権利に基づいてどのような請求をすることができるかを論ぜよ。
2 上記の事案において,Bは,甲土地について所有権移転登記を取得した後,Cに対して,甲土地を贈与し,その旨の所有権移転登記をした。
この事案において,(1) AB間の登記に合致する贈与があった場合と,(2) AB間に所有権移転の事実はなくAB間の登記が虚偽の登記であった場合のそれぞれについて,Xが,Cに対して,どのような権利に基づいてどのような請求をすることができるかを論ぜよ。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF2頁)
本問は,不動産に関する特定物債権の債権者について,二重譲渡関係が生じた場合とそうでない場合のそれぞれに関して,登記なくして物権変動を対抗できる第三者の範囲並びに債権者代位権及び債権者取消権の行使の可否の論述を通じてこれらの法理の理解を問い,さらに,転得者が生じた場合の法律構成の能力や権利外観法理に関する理解を問うものである。
(3) 模範答案
第1 共通の前提
Xは売買の合意により甲土地の所有権を取得するが,登記がない以上,民法177条の第三者にはその取得を対抗できない。
もっとも,第三者とは登記の欠缺を主張する正当な利益を有する者であり,登記名義を得た者がすべて該当するわけではない。
物権的請求,Aの権利の代位行使及び詐害行為取消しを区別して検討する。
第2 設問1・真実の贈与
AからBへの贈与が真実なら,XとBは同一不動産の二重譲受人となる。
Bは無償で取得したとしても,所有権を取得した者として原則的に177条の第三者に当たる。
Xは登記なく所有権を対抗できず,原則として所有権に基づく抹消登記請求はできない。
Bが売買の存在を知っていたというだけでも結論は変わらない。
ただし,Xの権利実現を妨げるためAと通謀するなど,登記欠缺の主張が信義に反する事情があれば,Bは背信的悪意者として排除され,Xは所有権に基づく妨害排除としてBの登記の抹消を求められる。
これが認められない場合,Aが有しない抹消登記請求権を代位することはできない。
しかし,424条による詐害行為取消しの余地は残る。
特定物債権も,履行不能となれば損害賠償による価値的満足に移るため,債務者の一般財産による担保を必要とする。
金銭債権でないことだけで取消権を否定すべきではない。
Aの唯一の財産が無償で流出すれば,Xの損害賠償債権を満足させる共同担保が失われる。
Aの無資力が取消権行使時にも存続し,Aがこの債権者を害することを知り,Bについて当時の424条1項ただし書の善意保護が成立しなければ,XはBを被告として贈与の取消しと原状回復としての登記抹消を請求できる。
贈与だから当然に主観要件を満たすとはいえない。
この取消しは共同担保の保全のためであり,Xへの直接の所有権移転を内容としない。
Bの登記を除去することと,XがBに優先して特定物自体の履行を受けられることとは区別すべきである。
177条による優劣を,取消権によって無条件に逆転させることはできない。
第3 設問1・虚偽の登記
AB間に実体的移転がなければ,Bは単なる無権利の登記名義人である。
二重譲渡はなく,BにはXの登記欠缺を主張する正当な利益がない。
Xは所有権に基づいて,Bに対し不実の登記の抹消を求め,Aに対する売買上の登記請求へ接続できる。
また,Aに自己名義を回復する登記上の請求権が認められる限り,Xは自己の登記請求権を保全するため,423条によりこれを代位行使する構成も考えられる。
この場合は特定の登記請求権の実現を保全するものであり,一般金銭債権の保全と同じ意味でAの無資力を要するものではない。
実体的財産の流出がない以上,虚偽登記だけを真実の贈与と同様の詐害処分として取り消す必要はない。
第4 設問2・真実の贈与後の転得
AB間の贈与が真実なら,CはBから所有権を承継し,登記も得ている。
原則としてXはCに所有権を対抗できない。
Bが背信的悪意者でも,その地位は当然にCへ承継されるわけではない。
C自身についてXとの関係で背信性を判断し,これが認められる場合に,所有権に基づくCの登記の抹消を求める。
詐害行為取消しについては,Aの処分の詐害性と無資力を前提に,当時の法における転得者Cの主観要件を別に審査する。
Cが取得時に債権者を害する事情を知る場合には,Bが善意であっても,Cに対してAB間の贈与の取消しと転得財産の回復を求めることができる。
BC間の契約だけをAの詐害行為とするのではない。
善意で保護されるCに対しては回復を求められず,Bについて当時の424条1項ただし書の善意保護が成立しない場合に,Bに対する価額による回復等を検討する。
第5 設問2・虚偽登記後の転得
Bが無権利者なら,Cは登記と贈与だけで当然に所有権を取得しない。
不動産登記に一般的な公信力はないからである。
原則としてXは所有権に基づくCの登記抹消を求められる。
ただし,AB間の虚偽の登記を信頼したCについては,94条2項(AB間に通謀がなく,Aが単独で虚偽の登記をした場合は同項の類推適用)による保護を検討する必要がある。
Cが贈与を受けた当時,AB間の登記が虚偽であることを知らなかったときは,AはAB間の移転の無効をCに対抗できず,Cとの関係では,甲土地はAからBを経てCへ移転したものとして扱われる。
そうすると,Aからの譲受人XとCとの優劣は,Aを起点とする二重の譲受人の場合と同様に,登記の先後によって決まる。
Cは所有権移転登記を備えているから,C自身がXとの関係で背信的悪意者と評価される場合でない限り,未登記のXはCに所有権を対抗できず,Cに対して登記の抹消を請求することはできない。
これに対し,Cが虚偽の登記であることを知っていたときは,Cは保護されず,Xは所有権に基づき,Cに対して登記の抹消を請求できる。
Aの請求を代位する構成ではAに対するCの抗弁が問題となるので,X自身の所有権に基づく構成と混同してはならない。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 二重譲渡と非二重譲渡の区別 | 第2・第3 | 贈与の実体の有無から出発する。 |
| 登記なく対抗できる相手の範囲 | 第1・第2・第4 | 無権利者,単なる悪意者,背信的悪意者を分ける。 |
| 債権者代位権・取消権 | 第2後半・第3後半・第4後半 | 被保全権利,回復先,主観要件を区別する。 |
| 転得者と権利外観 | 第4・第5 | C独自の保護要件を検討する。 |
公式趣旨は,二重譲渡関係が生じた場合とそうでない場合のそれぞれについて,登記なくして物権変動を対抗できる第三者の範囲と,債権者代位権及び債権者取消権の行使の可否を問い,さらに,転得者が生じた場合の法律構成と権利外観法理の理解を問う。
答案第2は,真正な贈与なら二重譲渡関係に入ることと,無償処分であってもBが当然に177条から排除されるわけではないことを示した。
その上で,履行不能による価値的満足を保全する取消権を検討する。
所有権に基づく請求,Aの権利を代位する請求及びAの処分を取り消す請求では,請求原因も効果も異なる。
特定物債権の保全について,最高裁昭和36年7月19日大法廷判決(昭和30年(オ)第260号,民集15巻7号1875頁)は,特定物引渡請求権も窮極において損害賠償債権に変じうるから,債務者がその目的物を処分して無資力となった場合には,特定物債権者は処分行為を詐害行為として取り消すことができるとした。
同判決は,これでは登記のない者が登記を備えた者に所有権の移転を対抗できるのと同じ結果になり177条の法意に反するとの上告論旨に対し,債権者取消権は総債権者の利益のため債務者の一般財産の保全を目的とし,債務者の無資力を要件とするから,177条の場合と法律効果を異にするとして,これを退けている。
答案第2が,取消しによる共同担保の回復と177条の優劣を区別するのは,この判断に沿う。
答案第4の転得者Cについては,最高裁平成8年10月29日第三小法廷判決(平成5年(オ)第956号,民集50巻9号2506頁)が,第二の譲受人が背信的悪意者に当たるとしても,その者からの転得者は,第一の譲受人に対する関係で転得者自身が背信的悪意者と評価されるのでない限り,所有権取得を第一の譲受人に対抗できるとしている。
詐害行為取消しについては,最高裁昭和49年12月12日第一小法廷判決(昭和49年(オ)第181号,集民113号523頁)が,当時の民法424条所定の受益者又は転得者の善意,悪意は,その者の認識したところによって決すべきであって,前者の善意,悪意を承継するものではなく,受益者又は転得者から転得した者が悪意であるときは,前者が善意であっても債権者の追及を免れることができないとした。
答案第4が,Bが善意であっても悪意のCに対する取消しを認め,善意のCとの関係ではB自身の主観要件を別に問うのは,この判断に沿う。
第5の虚偽登記後のCについては,最高裁昭和42年10月31日第三小法廷判決(昭和41年(オ)第1438号,民集21巻8号2232頁)が手掛かりとなる。
同判決の裁判要旨は,甲が乙に不動産を仮装譲渡し,丙が善意で乙から譲り受けた場合でも,丙が所有権取得登記をする前に,甲からの譲受人丁が乙を債務者とする処分禁止の仮処分登記を経ていたときは,丙は所有権取得を丁に対抗できないとする。
判決理由も,その後仮処分が取り消されたならば丙は所有権取得を丁に対抗できるとして,仮処分の帰すうを審理させるため差し戻しており,丁の帰責性を問題としていない。
この判断によれば,Cが善意である限り,XとCの優劣は登記等の先後で決まり,Xの関与がないことだけを理由にCの保護を否定することはできない。
ただし,同判決の判決理由は処分禁止の仮処分の効力から結論を導いており,94条2項の要件や「対抗関係」という語を示したものではない。
参照する裁判所掲載原文:
最高裁昭和36年7月19日大法廷判決(昭和30年(オ)第260号,民集15巻7号1875頁)
最高裁平成8年10月29日第三小法廷判決(平成5年(オ)第956号,民集50巻9号2506頁)
最高裁昭和42年10月31日第三小法廷判決(昭和41年(オ)第1438号,民集21巻8号2232頁)
最高裁昭和49年12月12日第一小法廷判決(昭和49年(オ)第181号,集民113号523頁)
(5) 現行法とその後の裁判例
現行民法には,423条の2以下の代位行使の範囲・直接請求等,423条の7の登記・登録請求権の保全,424条以下の詐害行為取消請求の要件と効果が明文化されている。
平成19年当時の423条から425条までによる答案を,これらの現在の条番号へ機械的に置き換えて読むことはできない。
現在の転得者に対する請求は,424条の5の要件を個別に確認する。
受益者に対する取消請求ができる場合であること,直接の転得者の認識,転得が重なった場合の認識に関する要件を省略しない。
現行法では,受益者Bが善意であれば,転得者Cが悪意であってもCに対する詐害行為取消請求はできない。
また,現行425条は,詐害行為取消請求を認容する確定判決の効力が債務者及びその全ての債権者に及ぶと定めており,旧法下の相対的効力の説明と区別する必要がある。
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2 第2問
(1) 問題文(問題PDF2頁)
Aは,平成18年4月1日に,Aが所有する建物(以下「本件建物」という。)をBに「賃貸期間平成18年4月1日から平成21年3月末日までの3年間,賃料月額100万円,敷金500万円」の約定で賃貸し,Bは,敷金500万円をAに支払い,本件建物の引渡しを受けた。Bは,平成19年4月1日に,Aの承諾を得て,本件建物をCに「賃貸期間平成19年4月1日から平成21年3月末日までの2年間,賃料月額120万円,敷金600万円」の約定で転貸し,Cは,敷金600万円をBに支払い,本件建物の引渡しを受けた。その後,平成19年7月1日に,AとBは,両者間の本件建物に関する建物賃貸借契約を合意解約すること,及び合意解約に伴ってAがBの地位を承継し,Cに対する敷金の返還はAにおいて行うとともに,平成19年8月分以降の賃料はAがCから収受することを合意した。そして,Bは,Aに預託した敷金500万円の返還を受けて,Cから預託を受けた敷金600万円をAに交付するとともに,Cに対して,AB間の上記合意により平成19年8月分以降平成21年3月分までのCに対する賃料債権全額をAに譲渡した旨を通知した。
以上の事案において,CがAB間の建物賃貸借契約の合意解約に同意しない場合,Cに対する賃貸人がAとBのいずれであるかについてどのような法律構成が考えられるか,また,Cに対して敷金返還債務を負担する者がだれかについてどのような法律構成が考えられるかに言及しつつ,BC間及びAC間の法律構成を論ぜよ。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF2頁)
適法に建物の転貸借がされた後に,賃貸人と賃借人(転貸人)が転借人の同意を得ないで,(1)原賃貸借契約の合意解約をし,これとあわせて(2)転貸人たる地位の移転の合意,(3)敷金返還債務の引受の合意,(4)転貸賃料債権譲渡の合意をした場合,これらの合意によって転貸借関係はどうなるか,その前提として,(1)ないし(3)の合意に転借人の同意を要するか否かについてどのような法律構成が考えられるかを検討させることを通じて,基本的知識の理解と論理的思考力,判断能力を問う問題である。
(3) 模範答案
第1 問題となる合意の分解
AB間では,原賃貸借の合意解約,転貸人たる契約上の地位の移転,敷金返還債務の引受け及び転貸賃料債権の譲渡がされている。
これらは別の法律行為であり,Cが合意解約に同意しないことから,すべてが無効又はすべてが当然にCを拘束するとすることはできない。
CはAの承諾の下で転借し,建物の引渡しも受けている。
ABが任意の合意によって原賃貸借を解消し,これを理由にCの使用権原を奪うことは,適法な転貸への承諾に基づくCの信頼を害する。
特段の事情のない限り,合意解約をCに対抗することはできない。
債務不履行を理由とする解除を正当化する事実は示されていない。
第2 Bが転貸人として残る構成
契約上の地位の移転は,債権だけでなく使用収益させる義務,修繕等の義務や解除権等を一体として移す。
契約の相手方が誰であるかもCの利益に関わるため,原則としてCの承諾を必要とすると考えることができる。
この立場では,Cの承諾がない以上,ABの合意だけではBは転貸借関係から離脱せず,Cとの関係でBが転貸人として残る。
原賃貸借の合意解約はAB間の処理として有効でも,Cに対してはその使用収益を支える関係が維持される。
BはCに約定どおり使用収益させる義務を負い,AもCに合意解約のみを理由として明渡しを求められない。
Cは従来どおりの期間及び賃料による利益を保つ。
敷金600万円を交付した相手はBである。
敷金は転貸借上のCの債務を担保し,原則として契約終了・明渡しの際に被担保債務を清算した残額を返還すべきものである。
Bが現金をAへ渡したことだけでは,CのBに対する返還請求権は失われない。
現金の移動と返還債務の移転とは別である。
Aを唯一の返還債務者としてBを免責するには,債権者Cの同意を要する。
AB間でAが返還する旨を約したことを,単なる履行引受けと解すれば,AはBに対して履行する義務を負うにとどまり,CはこれだけでAへ直接請求できない。
これに対して,Cを受益者とする第三者のためにする契約として,AがBとともに返還債務を負う併存的債務引受けと解する余地がある。
この場合,Cが債務者Aに対して受益の意思を表示すれば,Aにも直接請求できる。
Cが合意解約に反対したことは,Bを免責することへの反対を意味し得るが,Bを残したままAの返還約束を受け入れることと論理的に矛盾しない。
二重に600万円の返還を受けられるわけではない。
第3 Aへ賃貸人の地位が移る構成
他方,賃貸人の主要な給付は目的物を使用収益させることであり,その提供者の個性は賃借人ほど重視されない。
本件では転貸人Bから所有者Aへ地位が移り,Cの使用権原が所有者との直接の賃貸借となる。
期間・賃料等が維持され,担保も適切に引き継がれるなら,Cの承諾なしで地位移転を認めても,通常はCの利用上の利益を害さないと構成できる。
この構成では,BC間の転貸借に代わり,その条件を引き継ぐAC間の直接の賃貸借関係が成立し,Aが賃貸人となる。
原賃貸借の終了によってCを退去させる構成ではなく,地位承継によってCの使用を維持する構成である。
原賃貸借の月額100万円・敷金500万円を,そのままAC間の条件にすり替えてはならない。
賃貸人の地位に敷金関係も伴って移転すると解すれば,AはCの敷金600万円について返還債務を承継し,Bは離脱する。
実際にも600万円がAへ交付されている。
ただし,返還債務だけは債権者の承諾を要すると考える立場では,地位移転と免責的な債務引受けを切り離し,Bの返還債務を残すことになる。
この点を,地位移転の肯定だけから無説明に処理することはできない。
第4 賃料債権譲渡の独立した効果
地位移転を否定しても,平成19年8月から平成21年3月までの月額120万円の賃料債権は,対象期間と額が特定されている。
BからCへの通知により,Aは債権譲渡をCに対抗し,各月の支払期に賃料を請求できる。
これはCの承諾を必要とする地位移転とは異なり,地位がBに残る構成とも両立する。
Cは当時の468条2項に従い,Cが譲渡の通知を受けるまでにBに対して生じた事由をもってAに対抗できる。
また,適法な転貸における613条の直接義務と,譲り受けた月額120万円の請求は,根拠と限度が異なる。
同じ月の賃料を二重に取り立てることはできない。
以上から,Cの使用の維持を出発点に,地位移転を認める構成とBを残す構成を区別し,各構成に対応して敷金と賃料の帰属を処理すべきである。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 原賃貸借の合意解約 | 第1・第2 | AB間の効力とCへの対抗を分ける。 |
| 転貸人の地位移転 | 第2・第3 | Cの承諾の要否について二つの構成を示す。 |
| 敷金返還債務の引受け | 第2中盤・第3後半 | 現金の交付とBの免責を区別する。 |
| 転貸賃料債権の譲渡 | 第4 | 地位移転とは独立した債権譲渡と通知の効果を述べる。 |
公式趣旨は,四つの合意によって転貸借関係がどうなるかを問い,その前提として,原賃貸借の合意解約,転貸人たる地位の移転及び敷金返還債務の引受けの各合意に転借人Cの同意を要するかを検討させている。
転貸賃料債権の譲渡の合意は,同意の要否を検討させる対象に挙げられていない。
最高裁昭和62年3月24日第三小法廷判決(昭和59年(オ)第1178号,集民150号509頁)は,賃貸人は賃借人と賃貸借を合意解除しても,特段の事情のない限り,転貸借について承諾を与えた転借人に対しては合意解除の効果を対抗できないことを,先例を挙げて前提としている。
同判決は,合意解除が賃借人の賃料不払等の債務不履行のため法定解除権を行使できるときにされたものである等の事情がある場合を除いており,答案第1がBの債務不履行を示す事実がないことに触れるのはこのためである。
適法な転貸の承諾がある以上,ABの任意の解約だけでCを退去させる結論にはできない。
答案は,Bが契約当事者として残る構成と,所有者Aが転貸人の地位を引き受けてCとの直接の賃貸借になる構成を並べ,それぞれについて敷金600万円と賃料月額120万円を処理した。
原賃貸借の500万円・100万円を転貸借の条件へ置き換えないことが大切である。
答案第3のうち,賃貸人の地位の移転にCの承諾を要しないとする部分は,最高裁昭和46年4月23日第二小法廷判決(昭和45年(オ)第46号,民集25巻3号388頁)の理由に近い。
同判決は,賃貸人の義務は賃貸人が何ぴとであるかによって履行方法が特に異なるわけではなく,所有権の移転があったときに新所有者に義務の承継を認めることがむしろ賃借人に有利であることを理由に,特段の事情のない限り,所有権とともにする土地の賃貸人たる地位の譲渡に賃借人の承諾を要しないとした。
敷金については,最高裁昭和44年7月17日第一小法廷判決(昭和43年(オ)第483号,民集23巻8号1610頁)が,建物の所有権移転に伴い賃貸人たる地位に承継があった場合には,旧賃貸人に差し入れられた敷金は未払賃料債務に当然充当され,残額についてその権利義務関係が新賃貸人に承継されるとした。
しかし,これらはいずれも所有権の移転に伴う賃貸人たる地位の移転の場面の判断であり,本問のようにAが既に所有者であり,転貸人Bの地位だけをAへ移す場面を直接判断したものではない。
最高裁平成11年3月25日第一小法廷判決(平成7年(オ)第1705号,集民192号607頁)は,新旧所有者間で賃貸人の地位を旧所有者に留保する合意をしても,それだけでは地位の移転を妨げる特段の事情に当たらないとし,その理由として,賃借人が所有権を有しない転貸人との間の転借人と同様の地位に立たされ,不測の損害を被るおそれがあることを挙げた。
同判決は,旧所有者に対して敷金返還債務の履行を請求できるかどうかは,賃貸人の地位の移転とは別に検討されるべき問題であるとも述べている。
本問の合意は,逆に転借人Cを所有者Aとの直接の賃貸借関係に置くものであり,答案第3はこれらの判例の理由づけを本問へ及ぼす構成である。
もっとも,Bの免責まで認めるかは,判例が地位の移転とは別の問題とする敷金返還債務の帰属にかかわるので,地位の移転とは別に根拠を示す必要がある。
また,Cの合意解約への不同意と,Aの併存的な返還約束から利益を受ける意思は別であり,受益の意思表示の相手方はAとなる。
二説を示す際には,結論ごとにAC・BCの各債権債務が整合しているかを確認する。
参照する裁判所掲載原文:
最高裁昭和62年3月24日第三小法廷判決(昭和59年(オ)第1178号,集民150号509頁)
最高裁昭和46年4月23日第二小法廷判決(昭和45年(オ)第46号,民集25巻3号388頁)
最高裁昭和44年7月17日第一小法廷判決(昭和43年(オ)第483号,民集23巻8号1610頁)
最高裁平成11年3月25日第一小法廷判決(平成7年(オ)第1705号,集民192号607頁)
(5) 現行法とその後の裁判例
現行民法613条1項は,転借人は,賃貸人と賃借人との間の賃貸借に基づく賃借人の債務の範囲を限度として,賃貸人に対して転貸借に基づく債務を直接履行する義務を負うと定める。
本問に当てはめれば,Aが613条によりCに直接請求できる賃料は原賃料月額100万円が限度であり,Aが譲り受けた月額120万円の賃料債権の請求とは,根拠と限度が異なる。
現行民法613条3項は,適法な転貸がある場合に原賃貸借の合意解除を転借人へ対抗できないことと,合意解除当時に債務不履行解除権を有していた場合の例外を定める。
605条の2・605条の3は,不動産の譲渡に伴う賃貸人たる地位の移転を規定するが,本問の所有権移転を伴わない場面へ当然に直接適用できるという意味ではない。
現行539条の2は,契約上の地位の譲渡について,契約の相手方がその譲渡を承諾したときに地位が移転すると定めており,所有権の移転を伴わない転貸人の地位の移転を現行法で論じるときは,この規定との関係も検討する必要がある。
現行537条では受益の意思表示の規定は3項にあり,旧法の2項と番号が異なる。
さらに,現行470条は併存的債務引受を明文化し,債務者と引受人となる者との契約による併存的債務引受は,債権者が引受人となる者に対して承諾をした時に効力を生じ,第三者のためにする契約に関する規定に従うとする(同条3項・4項)。
免責的債務引受は現行472条が定め,債務者と引受人となる者との契約による場合は,債権者の引受人となる者に対する承諾を要する(同条3項)。
債権譲渡の抗弁は,現行468条1項により,対抗要件具備時までに譲渡人に対して生じた事由が基準となる。
敷金は現行622条の2に定義・返還時期・充当の規定があり,当時の判例法理の説明と現在の条文による説明を分ける必要がある。
第4 刑法
1 第1問
(1) 問題文(問題PDF4頁)
甲,乙及び丙は,事故死を装ってXを殺害しようと考え,丙がXを人けのない港に呼び出し,3名でXに薬剤をかがせて昏睡させ,昏睡したXを海中に投棄して殺害することを話し合って決めた。そこで,丙は,Xに電話をかけ,港に来るよう告げたところ,Xはこれを了承した。その後,丙は,このまま計画に関与し続けることが怖くなったので,甲に対し,電話で「待ち合わせ場所には行きません。」と言ったところ,甲は,「何を言っているんだ。すぐこい。」と答えた。しかし,丙が待ち合わせ場所である港に現れなかったので,甲及び乙は,もう丙はこないものと思い,待ち合わせ場所に現れたXに薬剤をかがせ昏睡させた。乙は,動かなくなったXを見て,かわいそうになり,甲にX殺害を思いとどまるよう懇請した。これを聞いて激怒した甲は,乙を殴ったところ,乙は転倒し,頭を打って気絶した。その後,甲は,Xをでき死させようと岸壁から海中に投棄した。なお,後日判明したところによれば,Xは,乙が懇請した時には,薬剤の作用により既に死亡していた。
甲,乙及び丙の罪責を論ぜよ(ただし,特別法違反の点は除く。)。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF4頁)
本問は,3名の者が,被害者に薬剤をかがせて昏睡させた上,海中に投棄して殺害することを共謀したが,1名が薬剤をかがせる前に,もう1名が海中に投棄する前に計画から離脱し,残る1名が海中に投棄したものの,後刻被害者は海中に投棄される前に死亡していたことが判明したという事例を素材として,事案を的確に把握してこれを分析する能力を問うとともに,いわゆる早すぎた構成要件の実現及び共犯関係からの離脱等の問題に関する理解とその事例への当てはめの適切さを問うものである。
(3) 模範答案
第1 行為と結果の時系列
3名は,Xを港へ呼び出し,薬剤で昏睡させた後に海中へ投棄するという殺害計画を共謀した。
実際には,丙が呼出し後に不参加を告げ,甲乙が薬剤をかがせ,Xはその作用で死亡した。
その後に乙が中止を求め,甲が乙を殴り,さらにXを海中へ投棄している。
死亡を海中投棄時と誤認したまま,離脱や中止を論ずることはできない。
第2 甲乙の薬剤使用と殺人
刑法199条の殺人について,甲乙は薬剤による昏睡自体ではなく,その後の海中投棄による死亡を予定していた。
そこで,薬剤使用の時点に殺人の実行の着手があり,予定より早く生じた死亡について故意の殺人既遂を認められるかが問題となる。
実行の着手には,構成要件実現に至る現実的な危険を生じさせる行為が必要であり,準備行為を行ったことだけでは足りない。
ただし,後続の殺害行為を確実・容易にするために不可欠な行為であり,それに成功すれば計画遂行を妨げる特段の事情がなく,後続行為との時間的・場所的な近接性もある場合には,一連の計画の中で客観的な殺人の危険が具体化したと評価できる。
本件の薬剤使用は,Xの抵抗を排して海中へ投棄するために組み込まれたものである。
場所は人気のない港であり,甲乙は現にXを昏睡させた。
そこから予定の投棄行為へ進むことを阻む事情は示されていない。
したがって,薬剤をかがせ始めた時点で殺人の実行の着手がある。
後に乙が翻意したことを,着手時に存在していた障害として扱うことはできない。
甲乙は,殺意の下で一連の殺人行為に着手し,その最初の行為によってXを死亡させた。
薬剤の作用による死亡は,計画に組み込んだ身体侵襲の危険が実現したものであり,全く別の独立した経過ではない。
予定した死因や死亡時点と異なることは,この範囲では故意を阻却しない。
甲乙には,60条,199条による殺人既遂の共同正犯が成立する。
薬剤の成分や用量は示されていないから,それを特定の薬剤であると補い,薬理について別の事実を認定する必要はない。
本問では,薬剤による死亡という与件と,計画・行為の密接性を基礎として判断する。
第3 乙の懇請と中止・離脱
乙は動かないXを見てかわいそうになり,甲に殺害を思いとどまるよう懇請している。
これは外部的障害によってやむなく中断した場合とは異なり,自己の意思による中止に向けた働き掛けと評価できる。
しかし,その時点でXは既に死亡し,殺人は既遂となっていた。
43条ただし書の中止未遂は,未遂段階における中止の効果を定めたものであり,既遂後の翻意によって既遂責任を消すことはできない。
共犯関係からの離脱も,離脱前に自ら行った実行行為によって発生した結果を遡って除去する制度ではない。
乙は死亡原因となった薬剤使用に自ら加担しているから,投棄をやめるよう求めたことや,その後甲に気絶させられたことによって,既に生じた死亡の共同正犯責任を免れない。
第4 丙の離脱
丙も殺害計画を自己の犯罪として共同実現することを合意し,Xを港へ呼び出す重要な役割を実行している。
自ら薬剤をかがせなかったとしても,共謀に基づく役割分担と殺害結果への寄与から,共謀共同正犯の成立が問題となる。
実行前の離脱については,単に内心で計画を断念しただけでは足りず,他の共犯者に離脱の意思を示し,先行する寄与が後の実行へ及ぼす影響を遮断したかを検討する。
丙は甲に不参加を伝え,甲乙も丙が来ないことを認識して実行した。
この点は,丙に今後の実行を期待しなくなった事情である。
しかし,Xが現場へ来たのは丙の呼出しによる。
丙はその呼出しを取り消しておらず,Xに警告するなどして現場への誘引という寄与を除去していない。
甲乙が不参加を認識したことだけでは,丙が作り出した実行条件は失われない。
よって有効な離脱を認めず,丙にも殺人既遂の共同正犯を認める。
第5 甲の後続行為と最終罪責
甲は乙を殴り,転倒による頭部の傷害と気絶を生じさせた。
傷害の故意として少なくとも暴行の認識があり,その危険が結果へ実現しているから,204条の傷害罪が成立する。
これはX殺害とは被害者も行為も異なり,甲について併合罪となる。
丙に乙への傷害の共謀を認める事情はない。
Xの海中投棄時には既に死亡しているが,甲はなお生存すると考えている。
客観的に死体の遺棄に当たる外形があっても,死体であることの認識が示されない以上,190条の故意を当然に認めることはできない。
また,同じXに対する一連の殺害行為について,既に成立する殺人既遂とは別に殺人未遂を重ねない。
結局,甲はXに対する殺人既遂の共同正犯及び乙への傷害,乙丙はXに対する殺人既遂の共同正犯の責任を負う。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 早すぎた構成要件実現 | 第1・第2 | 薬剤使用時の着手,因果経過及び故意を一連の計画から検討する。 |
| 共犯関係からの離脱 | 第3・第4 | 既遂後の乙の翻意と,実行前の丙の不参加表明を分ける。 |
| 具体的事案への適用 | 第2~第5 | 死亡時期,呼出しの寄与,乙への暴行及び後続投棄を対応させる。 |
本問の重要な時間関係は,乙の懇請時にXが既に薬剤によって死亡していたことである。
投棄前だから殺人も未遂だと扱うと,中止の問題全体を取り違える。
答案は,薬剤使用と投棄が密接な一連の計画であることから第1行為の着手を認め,予定より早く生じた死亡もその危険の実現と評価した。
最高裁平成16年3月22日第一小法廷決定(平成15年(あ)第1625号,刑集58巻3号187頁)は,クロロホルムを吸引させて被害者を失神させた上,港まで運び自動車ごと海中に転落させてでき死させるという計画について,第1行為が第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠であったこと,第1行為に成功した場合にそれ以降の殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存しなかったこと及び両行為の時間的場所的近接性などに照らし,第1行為は第2行為に密接な行為であり,第1行為を開始した時点で殺人罪の実行の着手があったとした。
同決定は,実行犯らが一連の殺人行為に着手してその目的を遂げた以上,第2行為の前の時点で第1行為により被害者が死亡していたとしても殺人の故意に欠けるところはないとして,実行犯らに殺人既遂の共同正犯を認め,実行犯らと共謀した被告人両名にも殺人既遂の共同正犯の罪責を認めた。
もっとも,同決定の事案は,被害者が第2行為の前に第1行為によって死亡していた可能性があるとされたにとどまり,本問のように薬剤による死亡が判明している事案ではない。
乙は死亡をもたらす薬剤使用に加わっており,その後の懇請によって既遂責任が消えるとは構成できない。
43条は「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者」についての規定であり,懇請の時点で殺人が既遂に達していた以上,乙に中止犯の規定を適用する余地はない。
丙は実行前に不参加を示したが,自らの呼出しによってXが現場へ来るという寄与が残る点を答案第4で重視した。
甲乙が丙の不参加を認識したことと,丙の先行する寄与が遮断されたこととは同じではない。
平成16年決定は実行の着手と殺人既遂の成否について判断したものであり,共犯関係からの離脱について判断したものではないから,丙の離脱の成否は,丙の呼出しという寄与が甲乙の実行と結果に及んでいるかによって別に検討することになる。
甲の乙への傷害と,死亡を認識しない後続投棄の評価も別に検討する。
参照する裁判所掲載原文:
最高裁平成16年3月22日第一小法廷決定(PDF)
(5) 現行法とその後の裁判例
現行刑法では,刑法等の一部を改正する法律(令和4年法律第67号)により懲役と禁錮が拘禁刑に一本化され,この拘禁刑への一本化は令和7年6月1日に施行された。
現行の法定刑は,殺人罪(199条)が「死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑」,傷害罪(204条)が「十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金」,死体損壊等の罪(190条)が「三年以下の拘禁刑」である。
本答案は法定刑の数値を論証の前提としていないため,刑名の改正は答案の結論に影響しない。
共犯の責任を検討する実務では,共謀,先行行為,離脱の通知,影響を除く措置,実行及び結果の時点を時系列で確定する必要がある。
第1行為への着手を認める判断と,それぞれの共犯者の寄与が遮断されたかの判断は,別の判断段階である。
2 第2問
(1) 問題文(問題PDF4頁)
甲は,交番で勤務する警察官Xに恨みを抱いていたことから,Xを困らせるため,Xが仕事で使っている物を交番から持ち出し,仕事に支障を生じさせようと考えた。そこで,甲は,Xが勤務する交番に行き,制帽を脱いで業務日誌を書いているXに対し,「そこの道で交通事故があって人が倒れています。」とうそを言った。これを信じたXは,制帽と業務日誌を机の上に置いたまま,事故現場に急行するため慌てて交番から出て行ったので,甲は,翌日まで自宅に隠しておいた後返還するつもりで,交番内からXの制帽と業務日誌を持ち出し,自宅に持ち帰った。
その日の夜,甲は,知人の乙と会い,「警察官を困らせるために交番から制帽と業務日誌を持ち出してきたが,もういいから,明日こっそり交番に返しておいてくれ。」と言ったところ,乙が,甲に対し,「警察官の制帽なら高く売れるよ。」と言ったので,甲は,業務日誌だけを乙に渡し,制帽については,Xに返すのをやめ,後に売るために自宅に保管しておくことにした。翌日,乙は,この業務日誌を持って交番に向かったが,その途中,このまま返すのが惜しくなり,この機会にXに金を出させようと思った。そこで,乙は,交番に着くと,Xに対し,「この業務日誌を拾った。マスコミに持って行かれたら困るだろう。10万円出せば返してやる。」と言ったが,Xは,これに応じなかった。
甲及び乙の罪責を論ぜよ(ただし,特別法違反の点は除く。)。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF4頁)
本問は,甲が,交番で勤務中の警察官を困らせるため,虚構の事故を申告し交番から出動させて制帽と業務日誌を持ち出した後,業務日誌の返還を依頼された乙が警察官に金銭を要求したという事例を素材として,事案を的確に把握してこれを分析する能力を問うとともに,偽計等を用いて公務を妨害した際の擬律,不法領得の意思の要否及び盗品等運搬罪等に関する理解とその事例への当てはめの適切さを問うものである。
(3) 模範答案
第1 甲の虚偽申告
甲は虚偽の事故を告げ,警察官Xを交番から出動させて通常業務を妨げた。
暴行・脅迫はないから,これだけで公務執行妨害罪(95条1項)を認めることはできない。
他方,公務であることから当然に業務妨害罪を排除すべきでもない。
強制力を行使する権力的公務と,事実上の業務としての活動とを,その具体的内容に即して区別する。
本件の事故申告への対応は,直ちに相手方へ強制力を行使する活動ではない。
Xを欺いて存在しない事故現場へ向かわせた行為は,人の錯誤を利用する偽計によってその職務としての業務を妨げるものであり,233条の偽計業務妨害罪が成立すると解する。
公務全体を一括して「権力的」と呼ぶだけでは,偽計による現実の妨害の評価を尽くしたことにならない。
第2 交番への立入り及び物品の持出し
交番は公務のために使用する建造物である。
一般人の相談等のために開かれた場所でも,物品を持ち出して職務を妨げる目的での立入りまで承諾されているとはいえない。
甲は当初からその目的で入っており,管理者の意思に反する立入りとして130条前段の建造物侵入罪が成立すると解する。
制帽と業務日誌は,Xが一時的に交番を離れても,公務所の机上に置かれ,その管理下に残る。
占有が放棄されたのではない。
甲はこれを無断で自宅へ持ち帰り,占有を侵害している。
しかし窃盗罪には,権利者を排除し,自己の所有物のようにその経済的用法に従って利用・処分する不法領得の意思を要する。
甲は翌日まで隠して職務を困らせた後,返還するつもりであり,持出し時には物をその経済的用法に従って利用し又は処分する意思までは認められない。
職務上重要な物を奪う点から権利者排除を認め得るとしても,利用処分の意思とは別である。
よって当初の窃盗罪は否定する。
もっとも,物理的な破損がなくても,隠匿して物の本来の効用を失わせれば「損壊」「毀棄」に当たり得る。
甲は制帽を必要な時に使用できない状態にしたから器物損壊罪(261条),公務所の用に供する業務日誌を利用できなくしたから公用文書毀棄罪(258条)を負う。
後に返す意思は,現在の効用侵害の故意を否定しない。
第3 制帽についての後発的な領得
夜になって甲は,乙の勧めを受け,制帽を返還せず売却するために保管することにした。
この時点では,他人の物を自己のために処分する意思が生じ,それを保管継続という態度に表している。
当初の占有取得時には不法領得の意思がなく窃盗でない以上,後の意思を遡らせて窃盗既遂にすることはできない。
制帽は既にXの占有を離れ,甲の占有はXその他の者の委託によるものでもない。
したがって後の領得について占有離脱物横領罪(254条)が成立する。
甲は公務として物を保管しているのではなく,業務上横領とする理由もない。
乙は事情を聞いた上で「高く売れる」と勧め,返す予定であった甲に売却目的の領得を決意・実行させた。
この因果関係が認められる本問では,乙には254条の教唆犯(61条1項)が成立する。
単なる評価の発言でなく,後の甲の意思変更とのつながりを捉えるべきである。
第4 乙の業務日誌の運搬
乙は業務日誌を返すために受領し,途中まで交番へ運んでいる。
盗品等運搬罪(256条2項)の客体は,財産に対する罪に当たる行為によって領得された物である。
甲の当初の行為について窃盗を否定した以上,無断で持ち出された物だからというだけで盗品と決めることはできない。
公用文書毀棄による取得と盗品等の客体性を区別する必要がある。
また,当初は被害側へ返還するための運搬であり,違法な回復妨害を助長する意思もない。
本稿の構成では,甲の持出しは領得犯罪ではないから日誌を盗品等と認めず,途中で恐喝目的が生じた後も,そのことだけで客体性が遡って変わるものではないとして,盗品等運搬罪を否定する。
第5 乙の金銭要求
乙はマスコミへの持込みを示して,Xが職務上の情報流出や信用失墜を恐れることを利用し,10万円の交付を求めた。
正当な返還交渉ではなく,相手方を畏怖させるに足りる害悪の告知である。
Xが応じず交付もないため,249条1項,250条の恐喝未遂罪が成立する。
乙は返還を委託されて日誌を占有していたが,それを金銭獲得の手段として留置・処分しようとしている。
委託趣旨に背き,所有者でなければできない処分をする意思の発現として,252条1項の横領罪も成立すると解する。
横領の不法領得の意思を,窃盗で問題にした経済的用法の一要素だけで否定してはならない。
第6 罪数
甲の同時の持出しによる器物損壊と公用文書毀棄は観念的競合とし,そのための建造物侵入との通常の手段関係を認める範囲で牽連犯として処理する。
虚偽申告による業務妨害と,後に別の意思で行った制帽の横領は,これと併合罪となる。
乙の横領と恐喝未遂は,同じ返還条件の提示が両者の実行行為となる構成では観念的競合であり,これと制帽の横領教唆とは併合罪となる。
後発の恐喝計画について甲との共謀は示されておらず,その責任を甲に及ぼすことはできない。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 偽計による公務の妨害 | 第1 | 公務の具体的な性質と233条の適用を検討する。 |
| 不法領得の意思 | 第2・第3 | 当初の隠匿目的と後発の売却意思を分ける。 |
| 盗品等運搬罪等 | 第4・第5 | 日誌の客体性,返還目的,目的変更及び恐喝を分ける。 |
| 各人の罪責 | 第6 | 個々の犯罪の成立と罪数を対応させる。 |
公式趣旨は,「偽計等を用いて公務を妨害した際の擬律」を挙げている。
答案は,暴行・脅迫を伴わない虚偽申告に公務執行妨害罪を認めず,偽計業務妨害罪の成否を検討した。
最高裁平成12年2月17日第二小法廷決定(平成9年(あ)第324号,刑集54巻2号38頁)は,公職選挙法上の選挙長の立候補届出受理事務について,「強制力を行使する権力的公務ではない」ことを理由に,業務妨害罪にいう「業務」に当たるとした原判断を正当とした。
答案は,この判断の枠組みにより,Xの職務を強制力を行使する権力的公務に当たらないものと評価して233条を適用した。
公式趣旨は,「不法領得の意思の要否」も挙げている。
最高裁昭和26年7月13日第二小法廷判決(昭和26年(れ)第347号,刑集5巻8号1437頁)は,窃盗罪の成立に必要な不法領得の意思を「権利者を排除し他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思」とし,永久的にその物の経済的利益を保持する意思であることを必要としないとして,逃走のため対岸に着けば乗り捨てる意思で他人の船を漕ぎ出した被告人に不法領得の意思を認めた。
答案は,この定式を前提に,翌日まで隠した後に返還するつもりであった甲には利用・処分の意思がないとして持出し時の窃盗を否定し,夜に制帽の売却を決めた甲とを分ける。
窃盗を否定した立場では,後から生じた領得意思を当初へ遡らせず,その時点の占有関係に応じた犯罪を検討する必要がある。
乙についても,売却の勧め,返還目的での受領・運搬,途中の金銭要求の決意及び実際の要求を区別する。
盗品等に関する罪の客体は,256条1項にいう「盗品その他財産に対する罪に当たる行為によって領得された物」である。
答案は,甲の業務日誌の持出しを窃盗ではなく公用文書毀棄と評価したので,業務日誌は領得罪によって得られた物に当たらないとして,乙の盗品等運搬罪を否定した。
隠匿による毀棄について,最高裁昭和44年5月1日第二小法廷決定(昭和43年(あ)第429号,刑集23巻6号907頁)は,刑法259条にいう文書を毀棄したというためには,必ずしもこれを有形的に毀損することを要せず,隠匿その他の方法によって,その文書を利用することができない状態に置くことをもって足り,利用を妨げた期間が一時的であるか永続的であるか,犯人に後日返還の意思があったか否かを問わないとした。
同決定は259条の私文書毀棄についての判断であり,答案は同じ考え方を258条の公用文書毀棄と261条の器物損壊にも及ぼしている。
これに対し,甲の持出しに窃盗罪を認める立場では,業務日誌は盗品となり,乙が返還のために運んだ部分と,Xに金を出させようと考えた後に交番まで運んだ部分とを分けて,運搬罪の成否を検討することになる。
横領罪の不法領得の意思について,最高裁昭和24年3月8日第三小法廷判決(昭和23年(れ)第1412号,刑集3巻3号276頁)は,「他人の物の占有者が委託の任務に背いて、その物につき権限がないのに所有者でなければできないような処分をする意志」をいい,必ずしも占有者が自己の利益取得を意図することを必要としないとした。
答案は,この定式により,返還を委託された業務日誌を金銭要求の手段とした乙に横領罪を認めたが,委託者の甲は業務日誌を処分する権限を持たない者であり,その委託に基づく占有をどう評価するかによっては別の構成もあり得る。
罪数についても,答案は,甲の持出しを一個の行為とみること,建造物侵入をその手段とみること,乙の金銭要求を横領と恐喝未遂に共通する行為とみることを前提としている。
(5) 現行法とその後の裁判例
現行刑法では,答案で用いた各罪の法定刑の懲役が拘禁刑に改められ,例えば偽計業務妨害罪(233条)は「三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金」,盗品等運搬罪(256条2項)は「十年以下の拘禁刑及び五十万円以下の罰金」,公用文書等毀棄罪(258条)は「三月以上七年以下の拘禁刑」である。
不法領得の意思は条文に書かれていない解釈上の要件であり,その内容は前記の判例によって示されてきた。
出題後の裁判例として,東京高裁平成21年3月12日判決(平成20年(う)第2747号,高刑集62巻1号21頁)は,インターネット掲示板への虚偽の犯罪予告により警察署員らに出動・警戒をさせた事案で,虚偽通報がなければ遂行されたはずの本来の警察の公務は,「強制力を付与された権力的なものを含めて,その全体が,本罪による保護の対象になる」として偽計業務妨害罪の成立を認めた。
同判決の考え方は,虚偽の申告によって警察官を出動させた甲の行為を偽計業務妨害罪とする答案の結論を支える方向にある。
書類を隠す目的の持出しが窃盗にならない場合でも,公用文書等毀棄罪や器物損壊罪の成否は別に検討する必要がある。
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第5 商法
1 第1問
(1) 問題文(問題PDF3頁)
甲株式会社は,ホテル業を営む取締役会設置会社であり,代表取締役会長A及び代表取締役社長Bのほか,Bの配偶者C,弟D及びAの知人Eが取締役に就任している。
乙株式会社は,不動産業を営む取締役会設置会社であり,代表取締役Cのほか,B及びDが取締役に就任している。
Bは,大量の不稼動不動産を抱えて業績が悪化した乙社を救済するため,同社の所有する土地(以下「本件土地」という。)を甲社に5億円で売却しようと考え,その承認のための甲社取締役会を招集した。入院中のAを除いたB,C,D及びEの4名が出席して取締役会が開催され,当該取締役会において,Bが本件土地の売買についての重要な事実を開示してその承認を求めたところ,Eから5億円の価格に難色が示されたものの,Bからバブル時代の土地価格を考えれば5億円の価格は決して高くないとの発言があっただけで,価格の相当性について議論がされることはなく,Cを議決に加えずに採決が行われた結果,Eは棄権したが,B及びDの賛成により本件土地の購入が承認された。
そして,Bは,甲社を代表して,乙社との間で本件土地を5億円で買い受ける売買契約を締結し,所有権移転登記手続と引換えに代金5億円を支払い,さらに,遅滞なく,本件土地の売買についての重要な事実を甲社の取締役全員が出席する取締役会で報告した。
その後,上記売買契約当時の本件土地の価格は,高く見積もっても3億円を超えないことが判明した。
甲社は,A,B,C,D及びEに対し,それぞれどのような責任を追及することができるか。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF3頁)
本問は,取締役会の承認決議を経て行われた利益相反取引によって会社に損害が生じた場合について,利益の相反する取締役,当該取引を行った取締役並びに承認の決議に賛成した取締役,棄権した取締役及び欠席した取締役がそれぞれどのような要件で会社に対して責任を負うかを理解しているかを問うものである。解答に際しては,特別の利害関係を有する取締役の範囲と本件承認決議の効力,利益相反取引の効力及び会社の損害についても,論述する必要がある。
(3) 模範答案
第1 取引及び承認決議
甲社の各取締役に対する請求は,会社法423条1項の任務懈怠による損害賠償を中心に検討する。
Cは甲社の取締役であると同時に乙社の代表取締役であり,乙社のために甲社と土地取引をする関係にある。
したがって本件は356条1項2号の利益相反取引に当たり,取締役会設置会社である甲社では,重要事実を開示して取締役会の承認を受ける必要がある(365条1項)。
甲社側を別の代表取締役Bが代表することによって,この承認が不要となるわけではない。
承認決議について,乙社を代表するCは,甲社の利益のために公正に議決することを期待し難い特別利害関係取締役であり,議決に加われない(369条2項)。
これに対し,B・Dが乙社の取締役を兼ねることや,B・C・Dの親族関係だけから,直ちにB・Dも特別利害関係人であるとするべきではない。
具体的に会社の利益と衝突する個人的利害を認める事情が必要である。
Cのみを除外すれば,議決に加われる者はA・B・D・Eの4名であり,B・D・Eの3名が出席しているため定足数を満たす。
出席3名の過半数であるB・Dの2名が賛成しているから,承認は成立する。
Eの棄権は出席者の数から除かれず,賛成に数えられないにとどまる。
もっとも,B等について具体的な特別利害関係が認められる場合には,除外後の人数と賛成数を計算し直し,決議の有効性を判断する必要がある。
Bは取引後,全取締役が出席する取締役会に重要事実を報告している。
ただし,365条2項の報告義務を負うのは,356条1項2号の取引をした取締役であるCであるから,Bの報告だけからC自身の義務履行まで直ちに断定することはできない。
しかし,事後報告は承認の瑕疵を当然に治癒するものではなく,価格の不当性や取締役の任務懈怠を免責するものでもない。
他方,Cの報告義務違反があったとしても,そのことだけで,既に取引によって生じた損害との因果関係が当然に認められるわけではない。
第2 損害及び取引の効力
承認が有効でも,不当な利益相反取引をした取締役及びこれを承認した取締役の責任はなくならない。
本件では,価額が高くても3億円の土地に5億円を支出している。
少なくとも2億円の超過支出が甲社の損害となる。
乙社救済が甲社にもたらす具体的利益は示されておらず,他社の救済自体を甲社の利益と置き換えることはできない。
仮に有効な承認がなければ,利益相反取引の効力も問題となる。
甲社は,取引安全も考慮し,相手方乙社が取締役会の承認を受けていないことを知っていたこと(悪意)を主張立証した場合に,乙社に対して無効を主張できると解する。
乙社代表者Cが承認の経過を知り得る立場にあるというだけでは足りず,Cが有効な承認のないことを認識していたかを確定する必要がある。
ただし,無効による代金返還と土地の返還は対応し,これによる損害回復も考慮すべきである。
5億円の返還請求と2億円の賠償を,土地を保持したまま重ねて満足させることはできない。
第3 B及びC
Bは乙社救済のために取引を企画し,甲社を代表して実行した。
甲社の取引決定・実行を担った取締役として,423条3項2号の任務懈怠の推定が問題となる。
また,Bは承認決議に賛成しているから,同項3号によっても任務懈怠が推定される。
現在価額への疑問が示されたのに,バブル期の価格を述べるだけで調査・検討をせず5億円を支払ったことは,善管注意義務及び忠実義務に反する。
適正な調査をすれば超過支出を避けられたと認められ,Bはその損害を賠償すべきである。
Cは利益相反取引をした取締役として,同項1号により任務懈怠を推定される。
議決から除外されたことは,乙社のために不当な取引を行う責任を消すものではない。
価額の合理性等を示して推定を覆せない限り,同じ超過支出について責任を負う。
ただし,Cの取引は乙社のためにしたもので,自己のためにした取引ではないから,428条1項の特則は適用されない。
したがって,Cは,任務懈怠が自己の責めに帰することができない事由によるものであることを示せば,責任を免れる余地がある。
第4 D及びE
Dは承認決議に賛成したため,423条3項3号により任務懈怠を推定される。
価格を調査せず承認した点を中心に,注意義務を尽くしたとの反証がない限り賠償責任を負う。
Bの弟であることや乙社の役員であることだけを責任の根拠とするのではない。
Eは価格に難色を示し棄権したが,369条5項の賛成推定と423条3項3号との関係を検討する。
議事録に異議をとどめなければ賛成が推定される一方,実際に棄権した事実等によって賛成の推定を覆す余地はある。
賛成が認められなくても,取締役としての監視義務違反は別に問題となる。
疑問を述べただけで,不相当な価格の調査や取引阻止の措置をとらなかったことに任務懈怠と因果関係があれば,一般の423条1項に基づき責任を負う。
第5 A及び責任の関係
Aは承認決議に欠席しており,賛成者としての推定は及ばない。
入院中の不出席だけでも任務懈怠とはいえない。
他方,代表取締役として,取引を知り阻止できたのに放置した場合や,報告後に回復措置をとれたのに怠り損害を拡大した場合には,その義務違反により生じた損害について責任を負い得る。
事前の認識,入院による職務遂行可能性及び回復可能性を具体的に確定すべきである。
同一損害について複数取締役の責任が成立すれば,430条による連帯責任となる。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 特別利害関係と承認の効力 | 第1 | 議決から除外する者と定足数・賛成数を対応させる。 |
| 取引の効力・会社の損害 | 第2 | 承認の有無と任務懈怠責任を区別し,返還との調整を示す。 |
| 各取締役の責任 | 第3~第5 | 取引者,実行・決定者,賛成者,棄権者,欠席者を分ける。 |
出題趣旨が求める各人の責任を論じるには,承認決議が成立したかを先に整理する必要がある。
答案はCを除外し,B・Dの兼任や親族関係だけで直ちに除外しない構成を採る。
この場合,議決参加可能な取締役4名に対して3名出席,出席3名中2名賛成となる。
B又はDも特別利害関係人とする見解を採るなら,この数をそのまま使うことはできない。
承認の成立と価格の相当性は別問題である。
423条3項の任務懈怠の推定は,C,取引を決定したB及び承認に賛成した者という役割に即して検討する。
Eについては,369条5項の賛成推定の前提となる議事録の異議と,実際の棄権による反証を分ける。
Aは欠席だけで当然に責任を負うのではなく,監視・回復措置をとる義務と可能性,損害との因果関係が必要となる。
取締役の監視義務について,最高裁昭和48年5月22日第三小法廷判決(昭和46年(オ)第673号,民集27巻5号655頁)は,取締役会を構成する取締役は,取締役会に上程された事柄についてだけ監視するにとどまらず,代表取締役の業務執行一般につき,これを監視し,必要があれば取締役会を自ら招集し,あるいは招集することを求め,取締役会を通じて業務執行が適正に行われるようにする職務を有するとした。
答案第4・第5は,この職務の内容を前提に,Eの棄権やAの欠席だけで責任を認めず,義務違反と損害との因果関係を個別に検討している。
Bの事後報告があったことだけでCの報告義務の履行や各人の免責まで断定しないことも,本問の事実の読み方として重要である。
利益相反取引の効力について,最高裁昭和43年12月25日大法廷判決(昭和42年(オ)第1327号,民集22巻13号3511頁)は,取締役が会社を代表して自己のためにした会社以外の第三者との取引について,会社は,取締役会の承認を受けなかったことのほか,相手方である第三者が悪意(その旨を知っていること)であることを主張し,立証して初めて,その無効を相手方である第三者に主張し得るとした。
同判決は取締役個人の債務を会社が引き受けた事案についての判断であり,本問の甲社と乙社との取引に同じ取引安全の考慮を及ぼすのは答案の解釈である。
したがって,答案第2でも,乙社代表者Cが承認の経過を知り得たというだけで悪意とはしていない。
(5) 現行法とその後の裁判例
現行会社法でも,356条,365条,369条,423条,428条及び430条を相互に参照する必要がある。
現行423条には監査等委員会の承認に関する4項等もあるため,平成19年当時の取締役会設置会社の答案に後に追加された制度を混ぜない。
実務上は,利益相反取引の事前承認書・議事録,時価を裏付ける資料,事後報告及び損害回復措置を別々に確認する。
承認を受けたという一点は,不相当な価格による損害の免責資料と同じではない。
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2 第2問
(1) 問題文(問題PDF3頁)
運送業を営むA株式会社は,小規模で同業を営んでいるB株式会社に自らの業務の一部を委託していた。B社では,これまで自らの商号によってその事業を行ってきたものの,仕事を得ることが難しくなってきた。そこで,A社は,B社の代表取締役Cに対し,「A社副社長」の肩書を付した名刺の使用を許諾し,さらに,B社は,事務所にA社の商号を表示した看板も掲げて事業を行うようになった。
その後,B社は,次第に資金繰りが悪化し,事業の継続が事実上困難となってきたが,Cは,上記の名刺を用いて,DからB社の事業に用いている自動車の部品を100万円で購入し,Dは,B社の上記事務所において,相手方をA社と誤認して,当該部品を引き渡した。しかし,その代金は,Dに支払われなかった。
Dは,A社,B社及びCに対し,それぞれどのような責任を追及することができるか。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF3頁)
本問は,役員である旨の肩書の付与により他社の商号の使用の許諾を受けた株式会社の代表取締役が第三者と取引を行って損害を与えた場合について,当該他社,当該株式会社及び当該代表取締役がそれぞれどのような根拠で第三者に対して責任を負うかを問うものである。解答に際しては,当該他社の名板貸人としての責任,当該株式会社の契約責任及び当該代表取締役の第三者に対する責任について,整合的な論述をすることが求められる。
(3) 模範答案
第1 責任主体を分ける必要
本件の部品はB社の事業のために購入されているが,CはA社副社長と表示した名刺を用い,B社事務所にはA社の看板がある。
Dの誤認を理由にA社だけを契約当事者と決めたり,逆に実際の事業主体がB社であることからA社の責任を否定したりしてはならない。
B社の契約責任,外観作出に関わるA社の責任及びC個人の責任を分ける。
第2 B社の契約責任
B社代表取締役Cは,B社の運送事業に用いる自動車部品を購入した。
取引の客観的な内容とCの代表行為に照らし,売買契約はB社のためにされたものと解される。
代表取締役は株式会社の業務に関する一切の裁判上又は裁判外の行為をする権限を有し(会社法349条4項),会社がその事業のためにする行為は商行為であるから(同法5条),CがDに対してB社のためにすることを示さなかったとしても,商法504条本文により,売買の効果はB社に帰属する。
したがって,B社は契約に基づく代金100万円の支払義務を負う。
代表者が他社の名称を用いていたからといって,実際に自社の事業としてした取引の代金負担を免れるのではない。
Dが相手方をA社と誤認したことは,後述する名板貸責任の保護要件となる。
誤認があるためB社との契約が当然に存在しないとすると,営業主体と名義人の双方に責任を負わせる制度の意味を失わせる。
もっとも,契約当事者の確定に必要な事実は取引表示の全体から判断すべきであり,単に部品の使用先だけを唯一の基準とするものではない。
第3 A社の名板貸責任
会社法9条は,自己の商号を使用して事業を営むことを他人に許諾した会社について,その会社が事業を営むものと誤認して取引した相手方に対し,使用者と連帯して取引債務を弁済する責任を定める。
自己の信用を用いた事業の外観を作出・容認した者に,その外観を信頼した相手方の取引を保護する責任を負わせる趣旨である。
A社が許したのは,形式上はCの「A社副社長」との肩書を付した名刺の使用である。
しかし,代表者Cがこれを営業に用いれば,B社の事業がA社の事業であるとの外観を生ずる。
仕事の獲得が難しくなったB社に対し,受注を助けるために肩書を与えた事情からも,単なる私的な呼称の許可を超え,B社の事業にA社の商号・信用を使用させたと評価できる。
看板の表示も同じ外観を強める。
ただし,看板そのものの許諾が明記されていない点は,名刺使用の許諾と区別しておく。
Dはその名刺を用いたCと,A社の看板がある事務所で取引し,相手方をA社と誤認して部品を交付している。
運送車両の部品購入は,許諾された事業の範囲とも結び付く。
Dが実際の営業主体を知っていた場合や,重大な過失により誤認した場合には保護を否定すべきであるが,本問にはそのような事実はない。
CがB社の代表者であることをDも当然知っていたと補ってはならない。
よってA社は,9条によりB社と連帯して代金100万円を支払う責任を負う。
A社が直接部品を使用していないことや,B社の経営悪化を知らなかったことだけでは,この取引債務についての責任を免れない。
これはA社を当然に売買契約の本人とする構成とは異なる。
なお,CがA社の取締役であるとの事実は示されておらず,取締役への代表権を示す名称付与を前提とする354条の直接適用には問題がある。
本件は,まず商号使用の許諾を起点とする9条により処理すべきである。
第4 Cの第三者責任
CはB社の代表取締役であるから,職務を行うについて悪意又は重大な過失があり,それによってDに損害を与えたときは,429条1項の責任を負う。
ここでの悪意・重大な過失は,取締役としての任務懈怠に関するものであり,代金不払という結果だけから当然に認定することはできない。
本件ではB社の資金繰りが悪化し,事業の継続が事実上困難になっていた。
Cがその状態を知り,代金を支払う具体的な見込みもないのに,A社の信用によってDに部品を交付させたのであれば,漫然と信用取引をして新たな債務を負担させた任務懈怠に悪意又は重大な過失がある。
Dは代金相当額の回収不能損害について,Cに賠償を請求できる。
資金調達や売上回収による合理的な支払見込みがあったなら,その事情を評価し直す必要がある。
また,CがA社を契約相手と誤信させて交付を受けることに故意・過失があり,これが違法な信用侵害・詐欺的取引と評価される場合には,民法709条による責任も考えられる。
単なる役職表示の使用を,交付時の詐欺の故意と同一視するべきではない。
第5 責任の調整
DはB社に代金を,A社に9条の連帯弁済を,Cに要件を満たす範囲で損害賠償を求められる。
A・Bの取引債務とCの損害賠償債務は発生根拠が異なるが,同一の100万円について満足を受けた範囲では他の請求も調整される。
三者に請求できることは,合計300万円を取得できることを意味しない。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 名板貸会社Aの責任 | 第3 | 商号使用の許諾,営業主体の誤認及び取引の関係を示す。 |
| 実際の営業主体Bの責任 | 第2 | 売買の当事者の確定と代金債務を論じる。 |
| C個人の責任 | 第4・第5 | 429条の任務懈怠と損害,三者の満足の調整を示す。 |
公式趣旨は,Aの名板貸人としての責任,Bの契約責任及びCの第三者に対する責任がそれぞれどのような根拠によるかを問い,三者の責任を整合的に論述することを求める。
答案では,AがCへ名刺の使用を許した目的と経緯から,Bの事業にAの商号・信用を用いる許諾を認定する。
看板も外観の一部であるが,看板の掲出までAが個別に許したとの事実は明記されていないので,名刺の許諾と混同しない。
CがAの取締役であるという与件はないため,肩書が副社長であるというだけで会社法354条を直接適用しない。
他方,Bの契約責任も,部品をBが使ったという一点のみではなく,Cの代表行為と取引表示全体から説明する必要がある。
最高裁昭和45年3月26日第一小法廷判決(昭和40年(オ)第14号,集民98号465頁)は,商法504条は会社代表機関の代表行為にも適用されるから,代表者が会社のためにすることを示さないで代表行為をした場合でも,会社と相手方との間に有効な法律関係が生ずるとした。
同判決は,相手方が,代表者が会社のためにすることを知らなかったときは,過失により知らなかったものでない限り,同条ただし書によって相手方と代表者個人との間にも同一の法律関係が生じ,相手方が会社との法律関係を否定して代表者個人との法律関係を主張したときは,会社はもはや会社との法律関係を主張できないともしている。
このただし書による代表者個人との法律関係は,相手方の選択によって生ずるものであり,答案第4の429条1項の責任とは要件が異なる。
429条では,経営悪化から代金不払へ飛躍せず,Cが認識した支払見込み,任務懈怠,Dの回収不能損害を順に検討する。
最高裁昭和44年11月26日大法廷判決(昭和39年(オ)第1175号,民集23巻11号2150頁)は,当時の商法266条ノ3第1項前段について,取締役が悪意又は重大な過失により会社に対する義務に違反し,よって第三者に損害を被らせたときは,任務懈怠の行為と第三者の損害との間に相当の因果関係がある限り,間接損害か直接損害かを問うことなく,当該取締役が直接第三者に対し損害賠償の責任を負う旨を定めたものとした。
答案第4は,この枠組みを会社法429条1項の検討に用い,悪意・重大な過失を任務懈怠について判断している。
最高裁昭和41年5月17日第三小法廷判決(昭和39年(オ)第1489号,集民83号517頁)は,最高裁昭和41年1月27日第一小法廷判決(昭和38年(オ)第236号,民集20巻1号111頁)を参照して,名板貸人は,自己を営業主と誤認するについて重大な過失があった者に対しては当時の商法23条所定の責任を負わないとしている。
昭和41年1月27日判決は,名義貸与者の責任は,誤認が取引をした者の過失による場合であっても免れ得ないが,重大な過失は悪意と同様に取り扱うべきものであるから,誤認して取引をした者に重大な過失があるときは責任を免れるとした。
答案が,実際の営業主体を知っていた相手方と並べて,重大な過失により誤認した相手方を保護から除く点は,この判断に沿う。
(5) 現行法とその後の裁判例
現行会社法9条も,商号使用を許諾した会社について,その会社が事業を行うと誤認して取引した者に対する連帯弁済責任を定める。
429条1項は,役員等の職務についての悪意・重大な過失と,それによって第三者に生じた損害を要件とする。
現在の取引相談では,契約書の相手方,発注表示,名刺,事務所表示,許諾の主体・範囲,誤認の時期及び支払見込みを確認する。
名義人の責任と取締役の損害賠償責任が成立しても,同じ代金について重複した満足を得られるわけではない。
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第6 民事訴訟法
1 第1問
(1) 問題文(問題PDF5頁)
裁判所が争点整理又は事実認定に関して専門家の協力を必要と認めるときに,これを可能にするため民事訴訟法が定める方法について,各方法の目的及び内容の相違を明らかにしながら論ぜよ。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF5頁)
専門的知見を必要とする事件について民事訴訟法が用意する各種の制度(鑑定,専門委員,調査嘱託,鑑定嘱託,釈明処分としての鑑定,知財関係事件における裁判所調査官等)の理解を問うものであり,鑑定が専門的経験則又はそれを事実に適用した結果についての専門家の意見を証拠資料とするもので,当事者の申出を要すると一般に解されているのに対し,専門委員の説明は証拠資料ではなく,当事者の意見聴取を経れば専門委員を関与させられること等を論ずべきである。
(3) 模範答案
第1 専門家の役割の区別
専門的知見を要する事件では,裁判官が専門家の協力を得る必要がある。
しかし,争点を理解・整理するための説明と,争われた事実を認定するための証拠とは異なる。
専門家の発言であるというだけで,そのすべてを証拠資料として扱うことはできない。
民事訴訟法の各制度を,その目的,関与の仕方及び当事者の手続保障から区別する。
第2 鑑定及び鑑定嘱託
鑑定は,特別の学識経験を有する者に,専門的経験則又はその経験則を具体的事実へ適用した判断を報告させ,裁判所の事実認定の資料とする証拠調べである(212条以下)。
医療行為と結果との関係,物の評価等について,裁判官に不足する専門的知識を補う。
通常の鑑定は当事者の申出を要すると解され,裁判所が鑑定人を指定する。
専門知識があるというだけで当事者の私的な協力者が当然に鑑定人となるのではない。
鑑定人には公正な判断を確保するための宣誓や忌避等の制度があり,裁判所は必要に応じて説明を求め,当事者にも意見・質問を通じて争う機会を与える。
鑑定の結果は証拠資料であるが,裁判所を法的に拘束しない。
裁判所は,資料の範囲,判断過程,前提事実及び他の証拠との整合を検討し,自由心証によって採否を判断する。
専門家に終局判断を委ねる制度ではない。
鑑定嘱託(218条)は,官庁若しくは公署,外国の官庁若しくは公署又は相当の設備を有する法人に鑑定を嘱託するものである。
個人を鑑定人として指定する場合と異なり,嘱託先の組織的な知識・設備を利用できる。
通常の鑑定における個人の宣誓等の仕組みがそのまま適用されるわけではないが,結果を事実認定に用いる点では鑑定としての性質を持つ。
必要な場合には担当者の説明を得て内容を明確にする。
第3 専門委員
専門委員(92条の2以下)は,専門的知見に基づく説明によって裁判所と当事者の理解を助け,争点・証拠の整理や訴訟手続の円滑な進行等に協力する。
裁判所は当事者の意見を聴き,決定で関与させることができる。
専門委員が争点整理に関与するために,通常の鑑定と同様の証拠申出が必要となるわけではない。
その説明は,例えば技術用語の意味,一般的な診療経過,検討すべき資料の種類等を明らかにするためのものであり,説明自体を証拠として争われた具体的事実を認定することはできない。
説明によって重要な認定資料が必要と判明したなら,当事者の主張や証拠調べへ接続しなければならない。
証拠調べの場面でも,証言や鑑定結果等の趣旨を明瞭にするため専門委員を関与させ得る。
ただし,専門委員が証人等に直接問いを発する場合の同意要件と,関与そのものについての意見聴取とは分ける。
また,和解の試みに関与させる場合には当事者双方の同意が必要である。
和解のための助言を,専門的事実の認定結果として強制することはできない。
専門委員には除斥・忌避等の公正確保の仕組みがある。
関与する専門家の立場を当事者に知らせ,説明に対する意見を述べる機会を確保することが,専門知識への不意打ちを防ぐ上でも重要である。
第4 調査嘱託と釈明処分
調査嘱託(186条)は,官公署,学校,商工会議所その他の団体に必要な調査を嘱託する制度である。
団体が保有する情報や調査能力を利用し,具体的事実や資料を得る点に特色がある。
専門的経験則について判断を求める鑑定嘱託と,既存資料・事実等について回答を求める調査嘱託とは,名称ではなく依頼内容に即して区別すべきである。
回答はその内容に応じて証拠資料となるが,裁判所が自由に評価する。
また,裁判所は釈明のため,鑑定を命ずることができる(151条1項5号)。
これは訴訟関係を明瞭にするため,例えば事案や専門用語の理解を補い,適切な争点整理や証拠申出を促す処分である。
職権で行い得るが,その結果をそのまま本案事実の証拠とし,当事者の証拠申出を経る鑑定に置き換えることはできない。
釈明目的と事実認定目的の境界を保つ必要がある。
第5 知的財産事件における裁判所調査官
知的財産関係事件では,技術的事項等について裁判所調査官の調査・報告を利用する制度があり,92条の8は,裁判長の命を受けた調査官に,一定の期日又は手続における当事者への発問・立証の促し,証拠調べの期日における証人等への直接の発問,和解を試みる期日における説明及び裁判官への意見陳述を行わせることを認める。
裁判所の職員としての調査官が裁判官の審理・判断を補助する点で,事件ごとに関与する専門委員と制度上の立場を異にする。
調査官は裁判官ではなく,その技術的見解が当事者の立証を不要にしたり,判決を拘束したりするわけではない。
公正確保のための手続も踏まえ,当事者が知り得ない専門的判断だけで結論を形成しないようにすべきである。
以上の各制度は,証拠を得る鑑定・鑑定嘱託等と,理解や審理を助ける専門委員・釈明処分・調査官の協力とを中核として使い分け,説明を証拠へ無断で転用しないことが必要である。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 鑑定・専門委員の目的と内容 | 第2・第3 | 証拠調べと理解・審理の補助を分ける。 |
| 申出・意見聴取・同意 | 第2・第3 | 関与の場面と手続要件を区別する。 |
| 調査嘱託・鑑定嘱託・釈明処分 | 第2後半・第4 | 調査の依頼内容と結果の利用目的を述べる。 |
| 知財調査官 | 第5 | 裁判所職員としての補助と証拠資料の関係を示す。 |
出題趣旨は六制度の名称を挙げるだけでなく,鑑定と専門委員を具体的な対比の例として示している。
答案の中心は,説明を得るための関与と,証拠によって争われた事実を認定することを分ける点にある。
鑑定人の報告は証拠資料となるが,専門委員の説明をそのまま鑑定に代えることはできない。
釈明処分として専門知識を得た場合も,理解の補助という目的と本案事実の認定を区別する。
当事者の意見を聴くことと,同意を得ることは同じではない。
答案第3は,争点整理への関与,証拠調べでの直接発問及び和解への関与を分ける。
平成15年法律第108号で新設された当時の92条の2は,争点整理等への関与(1項)と証拠調べへの関与(2項前段)の決定には当事者の意見聴取を求め,証人等に対する専門委員の直接の発問(2項後段)と和解を試みる期日への関与(3項)には当事者の同意を求めていた。
同じ改正で新設された鑑定人質問(215条の2)は,鑑定人が口頭で意見を述べた後に行われる証拠調べの手続であり,専門委員の説明とは位置付けが異なる。
鑑定嘱託では,宣誓に関する規定を除いて鑑定の規定が準用され,裁判所は,必要があるときは嘱託先の指定した者に鑑定書の説明をさせることができた(218条)。
知財関係事件における裁判所調査官の事務(92条の8)と除斥・忌避(92条の9)は,平成16年法律第120号で新設され,平成17年4月1日から施行されていた。
釈明処分として鑑定を命ずる規定は151条1項5号であり,6号は調査嘱託である。
これらの処分には証拠調べに関する規定が準用される(当時の同条2項,現行の同条4項)が,訴訟関係を明瞭にするための処分である点で,事実認定のための証拠調べとは目的を異にする。
(5) 現行法とその後の裁判例
現行民事訴訟法92条の2には,令和4年法律第48号による改正(令和8年5月21日施行)で,書面に代わる電子的方法による説明についての2項が加えられ,証拠調べの関与は3項,和解の関与は4項に置かれている。
当時の2項・3項という番号のまま現行実務を説明しない。
電子化された提出方法と,専門委員の説明が証拠かどうかは別の問題である。
現行の制度を利用する際も,関与決定,説明の方法・記録,直接発問への同意及び当事者の反論機会を確認する必要がある。
また,令和4年法律第48号による改正(令和8年5月21日施行)で,裁判所は,調査の嘱託と鑑定の嘱託の結果を当事者に提示しなければならないとされた(現行186条2項,218条3項)。
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2 第2問
(1) 問題文(問題PDF5頁)
甲は,乙に対して貸金債権を有しているとして,乙に代位して,乙が丙に対して有する売買代金債権の支払を求める訴えを丙に対して提起した。
1 甲の乙に対する貸金債権の存否に関する裁判所の審理は,どのようにして行われるか。
2 乙の丙に対する売買代金債権が弁済により消滅したことが明らかになった場合,裁判所は,その段階で,甲の乙に対する貸金債権の存否の判断を省略して,直ちに甲の丙に対する請求を棄却する判決をすることができるか。
3 裁判所は,甲の乙に対する貸金債権は存在し,乙の丙に対する売買代金債権は弁済により消滅したと判断して,甲の丙に対する請求を棄却する判決を言い渡し,その判決が確定した。当該貸金債権が存在するとの判断が誤っていた場合,この判決の既判力は乙に及ぶか。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF5頁)
当事者適格の訴訟要件としての訴訟上の意義と,その審理のあり方を問う問題である。1では,当事者適格が職権調査事項としてどのように審理されるかを,その存否の判断資料の収集方法を中心に論ずべきである。2では,当事者適格の存否の判断を省略して直ちに請求棄却の本案判決をすることの可否を,見解の対立も踏まえて論ずべきである。3では,当事者適格を欠いていることを見誤った確定判決に,判決としてどのような効力が認められるかを論ずべきである。
(3) 模範答案
第1 訴訟の構造
甲が行使しているのは,自己の乙に対する貸金債権ではなく,乙の丙に対する売買代金債権である。
甲は民法423条の債権者代位権によって,自己の名で他人の権利について訴訟を追行する法定訴訟担当者となる。
そのため,被保全債権である貸金債権の存在は甲の当事者適格に関わる訴訟要件であり,訴訟物である売買代金債権の存否とは別に判断される。
第2 設問1・貸金債権の審理
当事者適格は職権調査事項であるから,裁判所は,丙が甲の資格を争わなくてもその存在を判断しなければならない。
貸金債権が存在しなければ,甲には乙の権利を行使する資格がなく,原則として訴えを却下すべきである。
これを売買代金請求に理由がないとして棄却するのではない。
もっとも,裁判所が職権で判断することと,判断資料を職権で収集できることとは異なる。
訴訟要件のすべてに当然に職権探知が適用されるわけではない。
本件の被保全債権は,通常の財産的法律関係であり,その発生・消滅について最もよく資料を有する者から主張立証を提出させるのが合理的である。
そこで,本件では弁論主義を適用する立場を採る。
甲は貸金の合意・交付等の発生原因を主張立証し,丙は消滅事由等を主張立証できる。
裁判所は必要な釈明をして争点を明らかにするが,未主張の主要事実を自由に収集して判断の基礎にすることはできない。
事実についての自白の扱いと,その事実から当事者適格があると評価する法的判断も区別し,後者まで当事者の合意で拘束できると考えてはならない。
これに対し,乙の権利についての判決効が問題となるため,乙の利益を守る見地から職権探知を認め,裁判所が丙の態度に拘束されず資料を調査すべきだとの見解もある。
しかし,訴訟担当の資格が財産的権利関係を基礎とする点を重視すれば,弁論主義を原則とし,釈明や乙の手続関与を通じて適正を確保するのが相当である。
第3 設問2・訴訟要件判断を省略した本案棄却
売買代金債権が弁済で消滅しているなら,甲の請求を認容する余地はない。
しかし,本案に理由がないことと,本案を判断する資格を甲が有することとは別である。
この場合,訴訟要件は本案判決を許す前提であり,適格の判断を省略して請求棄却判決をすることはできないとする見解がある。
特に法定訴訟担当では,甲が負けるだけでなく,本来の権利者乙の権利について既判力が及び得る。
無資格者の訴訟によって他人の権利を確定させる危険を避ける必要がある。
他方,訴訟要件を欠くことの主な意味は原告への権利保護の拒絶にあり,いずれにせよ請求が排斥される場合には,訴訟経済から直ちに棄却してよいとする見解もある。
この見解は,不必要な貸金関係の審理を省き,丙に本案についての終局的解決を与えられるという利点を持つ。
しかし本件では,貸金債権の存在を判断しないと,そもそも甲が乙のために訴訟を追行する者であるかが確定しない。
乙を含む判決効の帰属が未確定のまま,乙の売買代金債権を消滅したものとして確定させることには問題がある。
よって,本件では省略を認めず,まず当事者適格を判断し,貸金債権がなければ訴え却下,適格が認められて初めて弁済を理由に請求棄却をすべきである。
第4 設問3・誤ってされた確定判決
裁判所は貸金債権があると判断して本案の請求棄却判決をし,これが確定している。
訴訟要件の判断に誤りがあるというだけで,判決全体が当然無効になるものではない。
当事者として訴訟をした甲丙間では,通常の不服申立てによる是正がないまま確定した判決としての効力を認める必要がある。
しかし,そのことと,当事者でない乙に既判力を拡張できるかとは別問題である。
民事訴訟法115条1項2号は,他人のため原告又は被告となった者に対する確定判決の効力を,その他人に及ぼす。
実際には被保全債権がない甲は,乙の権利について法定訴訟担当者となる実体的な資格を欠く。
資格があるとの判決理由中の判断は,それ自体について乙を拘束する既判力を持たない(114条1項)。
当事者適格についての誤判断を根拠に,資格のない者へ乙の権利を処分する権限を事後的に与えるべきではない。
甲丙間で判決を有効と扱いながら,乙への効力拡張を否定することは矛盾しない。
よって,乙が甲に訴訟追行を授権した等の別の事情がない本問では,この判決の既判力は乙に及ばないと解する。
乙が後に丙へ請求した場合,丙は現実の弁済を実体法上の抗弁として主張できるが,それは前判決が乙を拘束するということとは異なる。
当時の債権者代位訴訟における本人への効力拡張論と,客観的に担当資格を欠く本件とを混同してはならない。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 被保全債権の審理方法 | 第1・第2 | 当事者適格の職権調査と資料収集の規律を分ける。 |
| 適格判断を省略した本案棄却 | 第3 | 訴訟要件先行と訴訟経済の見解を比較する。 |
| 資格誤認の確定判決 | 第4 | 甲丙間での判決効と本人乙への拡張を区別する。 |
設問1では,職権調査事項だから当然に職権探知で資料を収集できると論じないことが重要である。
答案は,甲の貸金債権を甲の当事者適格の基礎としつつ,その審理には弁論主義を適用する立場を選ぶ。
設問2では,請求がいずれにせよ退けられることだけを見ず,乙の権利に関する判決効の帰属が問題となる法定訴訟担当の特徴を検討した。
設問3は,現実には資格がない甲に対する本案判決が確定した場合である。
判決理由中で資格が肯定されたことと,その判断が乙に対して既判力を持つことは別である(114条1項)。
本答案は,甲丙間の判決を当然無効にせず,115条1項2号による乙への拡張を否定する構成を採用した。
最高裁昭和48年4月24日第三小法廷判決(昭和47年(オ)第908号,民集27巻3号596頁)は,債権者代位訴訟に債務者が当事者参加した事案で,債権者が代位の目的となった権利につき訴訟追行権を有しないことが判明したときは,債務者はその訴訟追行権を失っていないとし,代位原因を欠く債権者の代位訴訟は却下を免れないとした。
同判決は,代位原因を欠く債権者が受けた本案判決の既判力が債務者に及ぶかを判断したものではなく,答案第4の結論はその点についての解釈である。
出題趣旨は,当事者適格を欠いていることを見誤った確定判決に「判決としてどのような効力が認められるか」を論ずべきとするにとどまり,乙に既判力が及ぶか否かの結論を示していない。
(5) 現行法とその後の裁判例
現行民法423条の6は,平成29年法律第44号による改正(令和2年4月1日施行)で新設され,被代位権利の行使に係る訴えを提起した債権者に,遅滞なく債務者へ訴訟告知をする義務を課している。
この条文を平成19年当時の答案の直接の根拠にはできない。
同じ改正で新設された423条の5は,債権者が被代位権利を行使した場合であっても,債務者は被代位権利について自ら取立てその他の処分をすることを妨げられず,相手方も債務者に対して履行をすることを妨げられないと定める。
現行法の相談では,代位の要件,法定訴訟担当の資格,訴訟告知,参加の機会及び114条・115条の判決効をそれぞれ確認する必要がある。
告知義務が存在するという条文の確認だけで,資格を欠く者の確定判決の本人への効力について結論が自動的に決まるわけではない。
第7 刑事訴訟法
1 第1問
(1) 問題文(問題PDF6頁)
警察官Aは,住居侵入被害発生の110番通報を受け,被害者B女方に赴いた。Bの説明は,「私はこの家に一人で住んでいます。先ほど居間で夕食をとっていると見知らぬ男がかぎの掛かっていない玄関から居間に上がり込んできました。悲鳴を上げるとその男は何もせずに逃げて行きましたので,すぐに110番しました。」というものであった。
そこで,Aは,Bとともに付近を捜したところ,上記通報から約30分後に,B方から約200メートル離れたコンビニエンスストアで雑誌を立ち読みしている男性甲をBが認め,「あの男です。」と指示した。その直後,甲が同店から出てきたので,Aは,同店前路上において,甲に対し職務質問を開始した。甲の外見からは本件住居侵入を犯したことをうかがわせる証跡は認められなかったものの,甲がAの質問には何も答えずに立ち去ろうとしたことから,Aは,同所で,甲を本件住居侵入の現行犯人として逮捕した。さらに,Aは,その場で甲の身体を捜索し,着衣のポケットからカメラ機能付携帯電話,名義の異なる複数のクレジットカード及び注射器を発見したため,これらを差し押さえた。
以上のAの行為は適法か。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF6頁)
本問は,捜査において重要な端緒となる現行犯逮捕を題材として,現行犯逮捕及び逮捕の現場における捜索差押えが許容される趣旨・要件に関する基本的な理解を問うことによって,捜査についての基本的知識の有無と具体的事案に対する応用力を試すものである。
(3) 模範答案
第1 職務質問と逮捕の区別
Aは住居侵入の通報を受け,Bから直前の被害状況を聴取した。
さらに,近隣でBが甲を犯人と指示している。
これらは,甲が犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由を基礎付ける事情であり,警察官職務執行法2条1項による職務質問の端緒となる。
甲の身体に証跡が見えないから,質問自体が当然に違法となるわけではない。
しかし,質問への不回答や立去りは,それだけで身柄拘束を許すものではない。
同条の質問は任意の手段であり,答弁を強制し,又は刑事訴訟法上の要件なしに逮捕することはできない。
職務質問の相当な嫌疑と,令状なしに逮捕できる現行犯の要件とは区別する必要がある。
第2 現行犯逮捕
憲法33条が令状主義の例外として認める現行犯逮捕は,犯罪と犯人との結び付きが明白で,誤認逮捕の危険が小さいこと等を根拠とする。
刑事訴訟法212条1項の「現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者」に当たるためには,犯罪の現行性又は時間的・場所的接着性と,逮捕時に認識できる事情からの犯罪及び犯人の明白性が必要である。
逮捕後に他の犯罪の証拠が出たことから遡って正当化することはできない。
本件では,通報から約30分,被害場所から約200メートルであり,時間・距離は隔絶していない。
被害者本人の直後の指示は,甲が犯人であることを示す重要な事情でもある。
他方,甲は既にコンビニで立ち読みしており,犯罪の継続をうかがわせる状況ではない。
Aは侵入を現認しておらず,外見上の証跡もない。
30分,200メートルという数値だけで,直ちに「行い終つた」者と認めることはできない。
そこで212条2項の準現行犯を検討する。
同項は,各号の外形的徴表に加え,罪を行い終わってから間がないと明らかに認められることを要求する。
Bの「あの男です」という指示を,1号の犯人としての追呼と評価できるかは問題となるが,単なる被害者の同定と,犯人として追われ呼ばれている状況とは区別すべきである。
本問では継続的な追跡や逃走中の呼掛けは示されていない。
2号の贓物等の所持や3号の身体・被服の顕著な証跡も,逮捕前には確認されていない。
4号の誰何されて逃走しようとする場合についても,任意の質問に答えず立ち去る行為が,常に逃走に当たるわけではない。
これを当然に認めると,質問への不協力によって現行犯の要件を作り出すことになる。
本稿では,被害者による指示は通常の嫌疑を基礎付けるが,本問の逮捕時の状況だけで現行性・準現行犯の外形的徴表が十分に認められるとはいえず,213条による逮捕は違法と解する。
仮に指示の具体的態様等から準現行犯性を肯定する場合にも,次の捜索・各差押えは独立に審査すべきである。
第3 逮捕現場の身体捜索
刑事訴訟法220条1項2号,3項は,適法な逮捕に際し,逮捕の現場において令状なしに捜索・差押えをすることを認める。
逮捕の現場では当該犯罪の証拠が存在する蓋然性が高く,迅速な確保の必要もあるが,逮捕したことがあらゆる犯罪の証拠を探索する一般令状となるわけではない。
本件では身体捜索が逮捕した路上で直ちに行われており,時間・場所の関係自体は逮捕現場の処分に近い。
しかし,前述のとおり逮捕が違法なら,その逮捕を根拠として令状主義の例外を利用することはできず,身体捜索も違法である。
任意の同意や別の捜索令状があったという事実もない。
第4 差押対象の関連性
仮に逮捕を適法とする見解でも,222条1項が準用する99条等との関係で,押収対象が被疑事実に関連する証拠等であることを要する。
甲を住居侵入で逮捕したことから,所持品を一括して差し押さえることはできない。
カメラ機能付き携帯電話は,具体的事情によっては侵入場所の撮影等の証拠となり得る。
しかし,Bの説明は男が何もせず逃走したというものであり,本問には撮影行為や端末内の関連情報の存在を示す事情がない。
一般的な撮影機能があることだけでは,本件住居侵入との関連性は十分でない。
名義の異なる複数のカードは別の窃盗等を疑わせ得るが,B方からカードが盗まれたとの事実はない。
注射器も別の薬物犯罪等の端緒にはなり得るものの,本件住居侵入の証拠であることは示されない。
他罪の嫌疑が新たに生じることと,この逮捕を根拠に直ちに差し押さえられることとは別である。
よって,本件の捜索・差押えは違法であり,逮捕を肯定する立場でも,少なくとも関連性の具体的根拠のないカード・注射器等の差押えを,そのまま適法とすることはできない。
別件での処分には,それに対応する令状その他の法的根拠を要する。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 現行犯逮捕の趣旨・要件 | 第1・第2 | 職務質問の端緒と現行犯・準現行犯の要件を分ける。 |
| 逮捕現場の捜索差押え | 第3 | 前提となる逮捕の適法性と時間・場所を検討する。 |
| 具体的な当てはめ | 第2・第4 | 被害者の指示,30分・200メートル,立去りと各物品の関連性を評価する。 |
公式趣旨は,逮捕と捜索差押えの両制度について,根拠を踏まえた要件と当てはめを求める。
答案は,Bの直後の指示を重要な嫌疑資料としつつ,それだけで通常現行犯の要件を満たすか,準現行犯の各号に当たるかを順に検討した。
甲の質問への不回答・立去りを,当然に逮捕の根拠としない構成である。
もっとも,212条2項1号の追呼については,Bの「あの男です。」という指示を,犯人として追呼されている状況と評価できるかが問題となり,継続的な追跡が示されていないことをどう評価するかによって結論が分かれ得る。
最高裁平成8年1月29日第三小法廷決定(平成5年(あ)第518号,刑集50巻1号1頁)は,内ゲバ事件の発生等に関する無線情報を受けて逃走犯人を警戒・検索中の警察官らが,犯行終了の約1時間ないし1時間40分後に,犯行現場から直線距離で約4キロメートル離れた地点で被疑者らを発見し,職務質問のため停止するよう求めたところ逃げ出したので追跡して追い付いたという事案で,着衣や靴の泥汚れ,腕に装着した籠手,顔面の新しい傷跡等が認められた事実関係の下では,各逮捕は212条2項2号ないし4号に当たる者が罪を行い終わってから間がないと明らかに認められるときにされたものであるとして,逮捕を適法とした原判断を是認した。
同決定の事案と比べると,本問は時間・距離が近い一方で,甲の外見には本件住居侵入をうかがわせる証跡がなく,2号に当たる物の所持も逮捕前には認められておらず,甲は質問に答えずに立ち去ろうとしたにとどまる。
212条2項1号について,東京高裁昭和53年11月15日判決(昭和53年(う)第997号,高刑集31巻3号265頁)は,「犯人として追呼されているとき」とは,犯人であることを明確に認識している者により逮捕を前提とする追跡ないし呼号を受けている場合を意味するとした上で,被害者が犯行直後に近くの警察官に犯人を指示し,任意同行を拒まれた後も監視を続け,間もなく応援に来た警察官にもほぼ同じ場所にいた犯人を指摘した事案で,追呼が継続していたと認めた。
本問では,BとAが付近を捜して約30分後に甲を見付けたものであり,犯行後に甲を見失わずに監視していた事情は示されていないから,同判決の事案との違いをどう評価するかが,Bの指示を追呼と評価できるかの分かれ目となる。
30分・200メートルという数値だけで結論を出すことも,それを理由に明白性がないと一律に判断することもできない。
準現行犯を肯定する答案でも,住居侵入と携帯電話・他人名義カード・注射器との関連性を一括処理せず,物品別に論じる必要がある。
本答案の逮捕否定は唯一の解答ではなく,Bの指示の具体的な態様や甲の立去りの態様の評価によって,準現行犯性を肯定する構成もあり得る。
参照する裁判所掲載原文:
最高裁平成8年1月29日第三小法廷決定(PDF)
東京高裁昭和53年11月15日判決(PDF)
(5) 現行法とその後の裁判例
現行刑事訴訟法212条2項も,各号の徴表に加え,罪を行い終わってから間がないと明らかに認められることを要求する。
220条の逮捕現場における処分と,222条が準用する差押え等の規律を併せて確認する必要がある。
現在の携帯端末の捜索では,端末という物の差押え,端末内の電磁的記録及び接続先の記録への処分を区別する必要がある。
本問は平成19年の与件に即した問題であり,現在の端末の機能や電子的捜査の権限を当然に当てはめて処分を正当化しない。
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2 第2問
(1) 問題文(問題PDF6頁)
検察官は,甲を,「被告人は,乙と共謀の上,平成19年3月4日,東京都内のX公園駐車場の自動車内で,殺意をもって,被告人において,Aに対し,その頸部をロープで絞め付け,よって,そのころ,同所で,Aを窒息死させたものである。」との事実で起訴した。甲は,公判において,「自分はその場にいたが,犯行に関与しておらず,本件は,乙とは別の男がやった。その男の名前は知らない。」旨弁解して無罪を主張した。
証拠調べの結果,裁判所は,乙とは断定できないが,現場に共犯者がおり,これと甲が共謀したことは明らかであるとして,「被告人は,氏名不詳者と共謀の上,平成19年3月4日,東京都内のX公園駐車場の自動車内で,殺意をもって,被告人又は上記氏名不詳者あるいはその両名において,Aに対し,その頸部をロープで絞め付け,よって,そのころ,同所で,Aを窒息死させたものである。」との事実を認定し,有罪判決を言い渡した。
以上の手続における問題点について論ぜよ。
(2) 出題趣旨(出題趣旨PDF6頁)
本問は,共犯者のいる殺人事件を題材として,訴因の意義・機能,共犯者と実行行為者をめぐって生じる訴因変更の要否,裁判所による罪となるべき事実の判示としての概括的認定の可否等について,基本的知識の有無と具体的事案に対する応用力を試すものである。
(3) 模範答案
第1 検討すべき二つの変更
起訴状は,共謀の相手を乙,絞頸の実行者を甲と記載した。
判決は,共謀の相手を氏名不詳者,実行者を甲又はその者あるいは両名と認定している。
共犯者の氏名の変更と,実行行為者の変更・不確定化は,防御に及ぼす意味が異なる。
また,訴因変更が必要かという問題と,判決で実行者を概括的に認定できるかという問題を区別する。
第2 訴因の機能と変更基準
訴因は,検察官の訴追意思を示して審判対象を画定し,被告人に何について防御すべきかを告知する。
起訴状の公訴事実は訴因を明示して記載し,訴因の明示は,できる限り日時,場所及び方法をもって罪となるべき事実を特定してしなければならない(刑事訴訟法256条3項)。
裁判所は訴因に拘束され,証拠から認定できるというだけで,告知されていない別の犯罪事実を認定することはできない。
訴因変更の要否は,審判対象の識別に必要な事項の変化か,そうでなくても被告人の防御にとって実質的に重要な事項の変化かによって判断する。
実体法上の罪名や法定刑が同じであるというだけでは,防御上の重要性を否定できない。
第3 共謀相手の氏名
甲について審判されるのは,特定の日・場所でAを絞め殺した一個の殺人である。
日時,被害者,場所,絞頸という方法及び死亡結果は,起訴状と認定事実で一致する。
共犯者の氏名が不明になっても,この一個の犯行と別の事件とを識別する機能は失われない。
共犯者の氏名は常に訴因特定に不可欠であるとはいえず,その変更のみで当然に訴因変更を要するわけではない。
もっとも,誰とどのように共謀したかは,甲の関与・故意を争う防御にとって重要となり得る。
乙との接触の不存在に防御を集中していた被告人に,別人との別個の共謀を突然認定するなら,不意打ちを避ける手続が必要である。
本件では甲自身が,その場に乙とは別の男がおり,その者が実行したと主張している。
その男の存在は公判に現れた争点であり,単なる氏名の不確定化を,全く新しい犯行の追加と同視することはできない。
ただし,この弁解は共謀を認めるものではないから,氏名不詳者との共同意思まで甲が争わなくなったと解することはできない。
第4 実行行為者の変更
共同正犯では共謀に基づく他者の実行によっても殺人既遂の責任を負うため,実行者を常に一人に特定しなければ有罪にできないわけではない。
しかし,起訴状で甲が絞めたと明示した場合には,自らの実行行為を否定する防御と,他者の実行について共謀による帰責を否定する防御とは,具体的な内容を異にする。
実行行為者は一般に防御上重要であり,その認定を変更するときは原則として訴因変更を要する。
ただし,実行者が誰かという点が審理の中で既に具体的争点となり,共謀共同正犯としての責任についても実効的な防御機会が与えられ,かつ認定が被告人にとってより不利益といえない場合には,例外的に変更を要しない余地がある。
甲の弁解により実行者の問題が争点化している点は,その例外を基礎付ける事情である。
他方,「自分は関与していない」との主張があっただけで,氏名不詳者との共謀の内容・成立過程まで十分審理されたとは限らない。
本問に示された事情だけで防御機会が充実していたと補うべきではなく,本稿では訴因変更を経るべきであったと解する。
変更後も同一の殺害結果に関する甲の共同正犯の責任を問うので,公訴事実の同一性の範囲内として312条1項による変更は可能である。
裁判所は検察官による変更を促し,必要な場合には同条2項の命令を検討し,変更に伴って防御準備が必要ならその機会を保障すべきである。
第5 概括的認定の可否
有罪判決では,罪となるべき事実を示さなければならない(335条1項)。
この要請は,犯罪成立に必要な事実が合理的疑いなく認定されることを求めるが,犯罪の法律的評価に影響しない細部まで一義的に確定することを常に要求するものではない。
本件では,甲が殺意をもって現場の者と共謀し,その共謀に基づいて甲又は共犯者がロープでAを絞め,死亡させたことが確定している。
どちらが手を掛けたとしても,共謀に基づく実行として甲に殺人既遂の共同正犯が成立する。
犯行の日時・場所,被害者,殺害方法及び結果も特定されており,この範囲で実行者を概括的に認定すること自体は許されると解する。
これに対し,甲が単に現場に居合わせただけかもしれないという疑いを,実行者不明という表現によって埋めることは許されない。
共謀及びそれに基づく実行の確定が前提である。
結局,概括的認定が実体的・判示上許容されるとしても,それによって訴因変更や防御保障の欠缺が当然に治癒されるものではない。
(4) 出題趣旨を踏まえた解説
| 公式趣旨の検討事項 | 答案内の位置 | 検討内容 |
|---|---|---|
| 訴因の機能 | 第1・第2 | 審判対象の画定と防御の告知を区別する。 |
| 共犯者・実行行為者の変更 | 第3・第4 | 氏名の変更と甲自身の実行の変更を別に検討する。 |
| 概括的認定 | 第5 | 共謀とその実行の確定を前提に,実行者の不確定と犯罪事実自体の不確定を分ける。 |
公式趣旨は,訴因変更の要否と判決の概括的認定という二つの問題を含む。
答案は,日時・場所・被害者・方法が同じであることによる識別と,甲が何について防御したかという実質的な問題を分けた。
最高裁平成13年4月11日第三小法廷決定(平成11年(あ)第423号,刑集55巻3号127頁)は,殺人罪の共同正犯の訴因としては,実行行為者が明示されていないからといって,それだけで直ちに罪となるべき事実の特定に欠けるとはいえないから,審判対象の画定という見地からは,実行行為者について訴因と異なる認定をするのに訴因変更が必要となるとはいえないとした。
その上で,同決定は,実行行為者がだれであるかは一般的に被告人の防御にとって重要な事項であるから,検察官が訴因で実行行為者を明示した以上,判決でそれと実質的に異なる認定をするには原則として訴因変更手続を要するとしつつ,被告人の防御の具体的な状況等の審理の経過に照らして被告人に不意打ちを与えるものではないと認められ,かつ,判決で認定される事実が訴因に記載された事実と比べて被告人にとってより不利益であるとはいえない場合には,例外的に訴因変更手続を経ずに訴因と異なる実行行為者を認定しても違法ではないとした。
また,同決定は,実行行為者を「A又は被告人あるいはその両名」とする択一的な判示も,被告人とAの2名の共謀による犯行である以上,罪となるべき事実の判示として不十分とはいえないとした。
もっとも,同決定の事案は,訴因と認定との間で共謀をした共犯者の範囲に変わりがなく,実行行為者だけが異なる場合であった。
したがって,本問の乙から氏名不詳者への共犯者変更を直接判断したものとして扱うことはできない。
甲自身が別の男の実行を主張したことは,例外を肯定する方向の事情である。
本答案は,その事実だけでは氏名不詳者との共謀について十分に防御の機会が与えられたとまでは補えないとして変更を要するとしたが,審理経過の評価によって反対の結論を採る余地がある。
実行者を甲又は共犯者とする認定も,共謀と共謀に基づく絞頸による死亡が確定していることが前提であり,関与自体の疑いを概括的表現で埋めることはできない。
判示の許容性が訴因変更の欠缺を当然に治癒するわけでもない。
参照する裁判所掲載原文:
最高裁平成13年4月11日第三小法廷決定(PDF)
(5) 現行法とその後の裁判例
現行刑事訴訟法でも,256条3項の特定,312条の公訴事実の同一性と防御保障,335条1項の罪となるべき事実の明示は,異なる判断段階として確認する必要がある。
公訴事実の同一性があるかという変更の可否と,変更の手続を経る必要があるかという要否を混同しない。
公訴事実の同一性を欠く訴因追加と追起訴の問題は,別の犯罪を訴因変更で審判対象にできるかという変更の可否の問題であり,同一の殺人について実行行為者をどう認定するかという本問の結論を直接決めるものではない。
後発の最高裁令和8年10月5日第二小法廷判決(令和7年(あ)第868号)は,当初訴因と公訴事実の同一性がない併合罪関係の追加訴因について,公訴提起がなく訴因変更だけがされた事案を扱う。
同判決は,追加訴因を訴因変更で審判の対象とすることはできず,訴因変更がされていることをもって公訴提起がされたのと同様とみることを許容すべき事情も記録上見当たらないとして,原判決と第1審判決を破棄し,第1審裁判所に差し戻した。
同判決は裁判官全員一致の意見によるもので,補足意見が付されている。
これは同一の殺人について実行行為者が変わる本問を直接判断したものではなく,変更の可否と要否を区別するための比較資料である。
平成19年当時の答案の根拠には用いない。
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第8 出典・参考資料
1 法令
日本国憲法(令和8年11月3日時点の現行版)
民法(明治29年法律第89号。令和8年11月3日時点の現行版)
会社法(平成17年法律第86号。令和8年11月3日時点の現行版)
刑法(明治40年法律第45号。令和8年11月3日時点の現行版)
民事訴訟法(平成8年法律第109号。令和8年11月3日時点の現行版)
刑事訴訟法(昭和23年法律第131号。令和8年11月3日時点の現行版)
裁判所法(昭和22年法律第59号。令和8年11月3日時点の現行版)
警察官職務執行法(昭和23年法律第136号。令和8年11月3日時点の現行版)
民法の一部を改正する法律(平成16年法律第147号。民法の現代語化)の公布時の原文(衆議院)
会社法(平成17年法律第86号)の制定時の原文(衆議院)
民事訴訟法(平成8年法律第109号)の制定時の原文(衆議院)
民事訴訟法等の一部を改正する法律(平成15年法律第108号)の公布時の原文(衆議院)
現行法は令和8年11月3日時点の版であり,平成19年当時の条文とは条番号や文言が異なる場合がある。
衆議院の制定法律情報に掲載された法律は公布時の原文であり,その後の改正は反映されていない。
2 裁判所ウェブサイトに掲載された裁判例
最高裁平成17年1月26日大法廷判決(平成10年(行ツ)第93号,民集59巻1号128頁)
最高裁平成7年2月28日第三小法廷判決(平成5年(行ツ)第163号,民集49巻2号639頁)
最高裁昭和27年10月8日大法廷判決(昭和27年(マ)第23号,民集6巻9号783頁)
最高裁昭和36年7月19日大法廷判決(昭和30年(オ)第260号,民集15巻7号1875頁)
最高裁平成8年10月29日第三小法廷判決(平成5年(オ)第956号,民集50巻9号2506頁)
最高裁昭和42年10月31日第三小法廷判決(昭和41年(オ)第1438号,民集21巻8号2232頁)
最高裁昭和62年3月24日第三小法廷判決(昭和59年(オ)第1178号,集民150号509頁)
最高裁昭和46年4月23日第二小法廷判決(昭和45年(オ)第46号,民集25巻3号388頁)
最高裁昭和44年7月17日第一小法廷判決(昭和43年(オ)第483号,民集23巻8号1610頁)
最高裁平成11年3月25日第一小法廷判決(平成7年(オ)第1705号,集民192号607頁)
最高裁平成16年3月22日第一小法廷決定(平成15年(あ)第1625号,刑集58巻3号187頁)
最高裁昭和26年7月13日第二小法廷判決(昭和26年(れ)第347号,刑集5巻8号1437頁)
最高裁平成12年2月17日第二小法廷決定(平成9年(あ)第324号,刑集54巻2号38頁)
最高裁昭和24年3月8日第三小法廷判決(昭和23年(れ)第1412号,刑集3巻3号276頁)
東京高裁平成21年3月12日判決(平成20年(う)第2747号,高刑集62巻1号21頁)
最高裁昭和41年5月17日第三小法廷判決(昭和39年(オ)第1489号,集民83号517頁)
最高裁平成8年1月29日第三小法廷決定(平成5年(あ)第518号,刑集50巻1号1頁)
最高裁平成13年4月11日第三小法廷決定(平成11年(あ)第423号,刑集55巻3号127頁)
最高裁令和8年10月5日第二小法廷判決(令和7年(あ)第868号)
最高裁昭和49年12月12日第一小法廷判決(昭和49年(オ)第181号,集民113号523頁)
最高裁昭和43年12月25日大法廷判決(昭和42年(オ)第1327号,民集22巻13号3511頁)
最高裁昭和48年5月22日第三小法廷判決(昭和46年(オ)第673号,民集27巻5号655頁)
最高裁昭和45年3月26日第一小法廷判決(昭和40年(オ)第14号,集民98号465頁)
最高裁昭和44年11月26日大法廷判決(昭和39年(オ)第1175号,民集23巻11号2150頁)
最高裁昭和41年1月27日第一小法廷判決(昭和38年(オ)第236号,民集20巻1号111頁)
最高裁昭和44年5月1日第二小法廷決定(昭和43年(あ)第429号,刑集23巻6号907頁)
最高裁昭和48年4月24日第三小法廷判決(昭和47年(オ)第908号,民集27巻3号596頁)
東京高裁昭和53年11月15日判決(昭和53年(う)第997号,高刑集31巻3号265頁)
各裁判例を参照する問題と判示の射程は,各問の解説に記載した。
事案の異なる判決は,答案の結論を直接判示したものとして扱わない。
3 裁判所ウェブサイトに未掲載の裁判例
本稿で言及した裁判例は,いずれも裁判所ウェブサイトに掲載されたものであり,この区分に掲げる裁判例はない。
4 公文書
法務省「論文式試験問題・出題趣旨」(旧司法試験第二次試験の平成14年度~平成22年度)
平成19年度旧司法試験第二次試験論文式試験問題
平成19年度旧司法試験第二次試験論文式試験問題と出題趣旨