国家賠償法施行前の公務員による違法な公権力行使については,国家賠償法を遡及適用できるか,施行前の法令の下で国の賠償責任を認められるかが問題となる。
本記事では,国家賠償法の制定時法文にあった附則6項,最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決及び一般に「国家無答責の法理」と呼ばれる考え方の射程を整理する。
第1 国家賠償法の施行と附則6項
国家賠償法は,昭和22年10月27日に公布され,同日施行された。
同法第1条は,公権力の行使に当たる公務員が職務を行う際に故意又は過失によって違法に他人へ損害を加えた場合,国又は公共団体が賠償責任を負うことを定めている。
もっとも,衆議院が公開する国家賠償法の制定時法文の附則6項は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と定めていた。
そのため,昭和22年10月27日より前の公権力行使に基づく損害について,国家賠償法第1条を直接遡及適用することはできない。
附則6項の「従前の例による」とは,施行前の行為について,行為時に適用されていた法令及び当時の法理によって責任の成否を判断する趣旨である。
国家賠償法施行前であるという一事だけで直ちに全ての請求が排斥されるのではなく,行為の性質,請求の法的根拠及び相手方を確認する必要がある。
第2 最高裁昭和25年4月11日判決
最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決(昭和24年(オ)第268号,損害賠償請求事件,集民3号225頁)は,戦時中に警察官が防空法に基づいて家屋を除却した事案を扱った。
同判決は,国家賠償法施行前には,公務員による違法な公権力の行使について国の賠償責任を認める一般的な法令上の根拠がなく,大審院判例も国の責任を否定してきたとの立場を示した。
その上で,国家賠償法附則により施行前の行為は従前の例による以上,国に損害賠償責任を認めることはできないとした。
この判決が示した考え方は,一般に「国家無答責の法理」と呼ばれている。
もっとも,判決が直接扱ったのは,防空法に基づく家屋除却という具体的な権力的作用である。
第3 国家無答責の法理の意味
国家無答責の法理とは,日本国憲法及び国家賠償法の施行前において,公務員の違法な公権力行使による損害について,国又は公共団体は原則として民事上の損害賠償責任を負わないとする判例上の考え方である。
その背景には,公法上の権力作用について民法の不法行為規定を直接適用しないという当時の公法・私法二元論や,国の賠償責任を認める一般的な実定法上の根拠がないという理解があった。
日本国憲法第17条は公務員の不法行為について国又は公共団体に賠償を求める権利を法律で定めるとし,これを具体化した国家賠償法が昭和22年に制定された。
「国家無答責」という名称から,戦前の国家活動について国家は道義的・政治的責任を一切負わないという意味に広げるべきではない。
これは,特定の時期及び法的根拠の下で,裁判上の損害賠償責任が成立するかを判断するための法理である。
第4 最高裁判決の射程
最高裁昭和25年判決は,国家賠償法施行前のあらゆる国家活動について,一切の民事責任が成立しないと包括的に判示したものではない。
少なくとも,公権力の行使に当たる権力的作用と,国が私人と同じ立場で行う私経済作用又は非権力的作用を区別する必要がある。
国が物品を購入する,土地建物を賃貸する,又は事業者として契約関係に入るような私経済作用では,民法その他の私法規定による責任が問題となり得る。
公務員の行為を理由とする場合でも,その行為が公権力の行使に該当するか,国以外の主体に対する契約責任又は不法行為責任が成立し得るかを個別に検討すべきである。
また,戦争被害,強制連行,財産接収その他の歴史的事案では,国家無答責の法理だけでなく,行為時の国内法,国際法上の請求,除斥期間又は消滅時効,条約による請求権処理及び訴訟上の請求権能がそれぞれ問題となる。
一つの法理だけで全ての争点を処理できるわけではない。
第5 学説上の批判と限定論
旧憲法下で国家無答責が一貫した実体法上の原則であったかについては,学説上の批判及び異論がある。
大審院判例が公権力の行使について国の責任を否定したことは確認できる一方,その理論的根拠,慣習法としての成立,私経済作用との境界及び日本国憲法施行後の評価をめぐって議論がある。
下級審裁判例及び学説には,行為の性質,適用法令,信義則,正義・公平等を考慮し,国家無答責の適用範囲を限定しようとする見解がある。
実務上は,「最高裁判例が採用する法理」と「その歴史的根拠及び射程に対する学説上の評価」を分けて記載するのが安全である。
最高裁昭和25年判決の一般論だけを掲げ,戦前のあらゆる国家活動について損害賠償責任が成立しないと断定することは避けるべきである。
第6 行為時法に関する一般判例との区別
最高裁平成15年4月18日第二小法廷判決(平成11年(受)第1519号,民集57巻4号366頁)は,証券取引における損失保証契約の公序良俗違反を扱った判決である。
同判決は,民事上の法律行為の効力は特別の規定がない限り行為当時の法令に照らして判断するとの一般論を述べ,参照判例として最高裁昭和35年4月18日大法廷決定(昭和29年(ク)第223号,民集14巻6号905頁)を挙げた。
最高裁平成15年判決は,戦後補償又は国家賠償を扱った判決ではない。
したがって,戦時中の国の行為について国家無答責を直接判示した先例として引用してはならず,行為時法による判断という一般的な時間的適用関係を補助的に確認する資料にとどまる。
第7 実務上の確認事項
国家賠償法施行前の行為について請求の成否を検討する場合,少なくとも次の事項を分けて確認する必要がある。
① 損害の原因となった具体的な行為とその時期
② 行為が公権力の行使,私経済作用又は非権力的作用のいずれに当たるか
③ 行為時に適用された国内法令及び責任根拠
④ 請求相手が国,公共団体,法人又は個人のいずれか
⑤ 契約責任,不法行為責任その他の別個の法的根拠の有無
⑥ 除斥期間,消滅時効及び信義則等の主張
⑦ 平和条約,共同声明その他の国際的な請求権処理の有無
この順序で事実と法的根拠を整理すれば,国家無答責という結論だけを先に置くことによる見落としを避けやすい。
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④ 裁判所関係国賠事件
第9 出典
① 衆議院「法律第百二十五号(昭二二・一〇・二七)国家賠償法」制定時法文。
② e-Gov法令検索「国家賠償法(昭和二十二年法律第百二十五号)」。
③ 最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・昭和24年(オ)第268号・集民3号225頁。
④ 最高裁平成15年4月18日第二小法廷判決・平成11年(受)第1519号・民集57巻4号366頁。
⑤ 最高裁昭和35年4月18日大法廷決定・昭和29年(ク)第223号・民集14巻6号905頁。
⑥ 西埜章『国家賠償法コンメンタール 第3版』勁草書房,2020年,69頁~85頁。