メインコンテンツへスキップ
       

戦後賠償で国内財産所有者は補償されたか――指定工場・撤去設備と救済(AI作成)

第1 この記事が答える問い

占領期の賠償は,工場の設備を現物で撤去して連合国へ引き渡すという方法で始まった。
撤去の対象となった設備は,国が所有していたものばかりではない。
民間の会社が所有する工場も賠償の指定を受けた。

では,設備を撤去され,あるいは長く指定を受けたまま使えなかった国内の所有者は,その損失について補償を受けたのか。

結論を先に述べる。
占領が終わる直前の1952年3月の時点で,損失を補償する制度はまだ存在しなかった。
政府は「講和発効後何かの形で補償したい」と述べ,その方法として租税の減免を検討していると答弁している。
すなわち,撤去や指定による損失を正面から填補する仕組みではなく,将来の税を軽くするという形の措置が構想されていた。
もっとも,実際に法令となったのは減免ではなく,賠償指定の解除を受けた法人について法人税の納付の期日を繰り延べる措置であった。

他方,指定を受けている間の管理費は,占領期を通じて政府から支給されていた。
ただし総司令部の査定が厳しく,潤沢ではなかった。
その不足分の清算も,財政上ほとんど考慮し得ないとされた。

本記事は制度の説明であり,個別の補償請求に対する助言ではない。

第2 賠償指定と所有者の地位

1 指定の効果

賠償として撤去される予定の設備は,占領軍の指令に基づいて指定された。
指定を受けた設備について,所有者は,これを処分し,移動し,又は改変することを禁じられ,現状のまま保管する義務を負った。

所有者は,自分の財産でありながら,これを使うことも処分することもできない立場に置かれたことになる。
そして,指定から撤去又は解除までの期間は,計画の遅れによって長期に及んだ。

賠償指定を受けた工場の範囲と数は「日本の戦後賠償はなぜ実物賠償で始まったのか」で扱う。

2 撤去の実施主体――賠償庁

撤去そのものを行ったのは占領軍ではなく,占領軍の指令を受けた日本政府である。

日本側で賠償の事務を担ったのは賠償庁である。
賠償庁臨時設置法(昭和23年法律第3号)が1948年1月31日に公布され,これに基づいて総理庁の外局として設置された。
賠償庁は,占領が終わった1952年4月28日,昭和27年法律第116号により廃止されている。
法令番号・公布日・廃止の根拠は,国立国会図書館の日本法令索引で確認した。

賠償庁の存続期間が占領期間とほぼ重なっていることは,この機関の性格をよく示している。

第3 補償はどう扱われたか

1 政府は指定工場に管理費を支給していた

まず確認しておくべきなのは,指定を受けている間の管理費が,政府から支給されていたことである。

設備を現状のまま保管するには,油を差し,錆を落とし,監視人を置くといった費用がかかる。
これらの費用について,政府は「管理費」を支給していた。

ただし,その額は十分ではなかった。
1952年3月6日の参議院外務委員会で,政府委員は「管理費は御承知の通り,司令部のほうの嚴重な査定によりまして,必ずしも潤沢には従来は支給されておらなかつた次第であります」と答弁している。

2 損失の補償は,講和発効の直前まで「研究中」であった

同じ答弁で,政府委員は補償の見通しについて次のように述べている。

只今の御質問の第一の点でございまするが、賠償指定を受けたために不当の損害をこうむつて将来立遅れる状況にあるものも勿論あるわけでございまするが、これらの工場に対しましては、講和発効後何かの形で補償したいということを政府部内でもすでに研究いたしておる次第でございまして、その一つの方法としましては、そういう工場が今後講和発効と同時に稼働しましても、暫らくの間は租税を特に減免して今までの非常に不利な点を補いたいというようなことは具体的に目下考慮されております。

ここから,次の三点が読み取れる。

①政府自身が,賠償指定によって「不当の損害」をこうむった工場があることを認めている。
②しかし,補償はこの時点でまだ行われていない。「講和発効後何かの形で補償したい」という研究段階である。
③検討されていた具体案は,損失の填補ではなく,稼働再開後しばらくの間の租税の減免であった。

この答弁は1952年3月6日のものであり,講和条約の発効(同年4月28日)の約2か月前である。
すなわち,占領期を通じて,賠償指定による損失を補償する制度は設けられていなかった。

もっとも,この答弁の25日後に成立した法律に,賠償指定に関する税の規定が置かれている。
租税特別措置法等の一部を改正する法律(昭和27年3月31日法律第61号)は,その第1条により,当時の租税特別措置法(昭和21年法律第15号)に第5条の14を加えた。

同条第1項は,法人が,その有する資産再評価法第3条第9号に規定する賠償指定施設について指定の解除を受け,当該資産に新たに帳簿価額を付した場合において,その新帳簿価額の合計額が当該事業年度の所得金額に等しいか又はこれを超えるとき等は,当該事業年度の法人税額の納付の期日を,3分の1ずつ,事業年度終了の日から8か月・14か月・20か月を経過した日の前日とする,と定めた。

すなわち,実際に法令となったのは,税額を減免する措置ではなく,納付の時期を繰り延べる措置である。
同法に「減免」の語はなく,賠償に関する規定は第5条の14の一箇条だけである。
指定の解除を受けて設備を再び資産に計上したことで生じる帳簿上の利益に対し,直ちに法人税を課すと事業の再開が妨げられるという場面を対象とした規定であって,撤去された設備そのものの損失を填補するものではない。

前記答弁のいう「租税を特に減免して」という構想がこの規定を指すのかどうかは,法律の条文だけからは確定できない。
確認できるのは,講和発効の直前に成立した法律が賠償指定について置いた措置は,損失の填補でも税額の減免でもなく,納付期日の延期であったという事実である。

3 管理費の不足分の清算も見送られた

指定工場の側からは,従来支給された管理費の清算,すなわち不足分を後から補ってほしいという要望が政府に寄せられていた。

これに対する政府委員の答弁は,次のとおりである。

管理費の今後の清算、即ち従来の不足の分を今後補うということは、併しながら政府としても目下の財政では殆んど考慮し得ないのではないかと思いまするが、すでに支給した管理費を返すというようなことは今後問題にならないのじやないかと存じます。

不足分の清算は財政上難しい。他方,既に支給した管理費の返還を求めることはない。
つまり,管理費については現状のまま打ち切るという趣旨である。

第4 国会で示された法的整理

補償の問題は,講和条約の審議の場でも正面から論じられていた。

1951年10月25日の参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で,参考人の山下康雄が,賠償に用いられた財産の類型ごとに補償義務の有無を整理している。
以下は同参考人の意見であって,政府の見解でも確定した法解釈でもない。

1 持ち去られた私有財産――補償の義務がある

持ち去られたものは、これは私有財産である限りはそれに関して当然完全に補償するとか、どの程度補償するとかということは別問題としまして、とにかく補償の義務はあるわけであります。つまり私有財産は、やつぱり国内財産であろうと、国外財産であろうと賠償に振当てるわけなんですから、当然補償の義務が生ずるわけであります。

国が賠償に充てた以上,私有財産であれば補償の義務が生ずる。
補償の程度は別問題である,という整理である。

2 指定されただけで解除された場合――保管費用と逸失利益

同参考人は,撤去されずに指定が解除された場合を分けて論じている。

賠償指定という行為は、つまり本來所有者が使用し得る所有権の当然の発露として利用することができるのでありますが、その指定されることによつて、つまり一種の差押えされたような恰好になつて、それを使用し、利用して收益を上げることができない。却つてそれを保管するために油を差したり磨ぎをかけたり、監視人を付けたりして自分の費用で負担しておるわけです。

その上で,①保管のために投じた出費については当然補償の問題が起こる,②使用できなかった期間の得べかりし利益まで補償するかは「いろいろの問題があろう」として結論を留保している。

賠償指定を「一種の差押え」になぞらえる整理は,この問題の構造をよく示している。
所有権を奪われたのではなく,使えなくされた上に保管の負担を負わされた,という損失である。

3 国有財産――補償の問題は生じない

その問題になつておる軍事施設が、軍が所有していたところの工場、海軍の工廠であるとかというのになれば、これは国有財産ですから、国有財産については補償の問題は起らないわけで

海軍工廠のような国有の施設が賠償に充てられても,国が国に補償する問題は生じない。
補償が問題になるのは私有財産の場合に限られる,という区別である。

第5 国内財産・連合国財産・在外財産の違い

戦後補償の文脈でしばしば論じられるのは,在外財産の問題である。
これは,講和条約によって外国にある日本人の財産が処分されたことに伴う補償の問題であり,本記事の問題とは,財産の所在地も,財産を失った法的な原因も異なる。

在外財産については,既存の「在外財産補償」及び「請求権放棄」で扱っている。

もっとも,前記の参考人意見が「私有財産は,国内財産であろうと,国外財産であろうと賠償に振当てるわけなんですから,当然補償の義務が生ずる」と述べていたことは,記憶にとどめておいてよい。
当時は,国内財産と在外財産を,補償義務という同じ枠組みの中で論じる整理も示されていた。

もう一つ,占領期に生じた財産の処理には,連合国財産という類型がある。
連合国財産の返還等に関する政令(昭和26年政令第6号),連合国財産である株式の回復に関する政令(昭和24年政令第310号)及び連合国財産上の家屋等の譲渡等に関する政令(昭和23年政令第298号)が,返還又は回復と,これに伴って生ずる損失について定めていた。

この類型については,講和の後に処理のための法律が制定されている。
連合国財産の返還等に伴う損失の処理等に関する法律(昭和34年5月15日法律第165号)は,第1条で,右の各政令に規定する損失の処理及び補償はこの法律の定めるところによるとし,第2条で,政府が,同条各号に掲げる場合に応じ,当該事由による損失を受けた者に対し,その損失の処理又は補償を行うため返還善後処理金を支払うものと定めた。

したがって,占領期に国の行為によって財産上の不利益を受けた者の扱いは,一つに揃っていない。
連合国財産については講和の後に金銭の支払を伴う処理立法が置かれたのに対し,賠償指定については前記のとおり法人税の納付期日を繰り延べる規定が置かれたにとどまり,在外財産については講和条約による処分という別の枠組みで論じられてきた。
三つは根拠となる法令も,設けられた措置の性質も異なるから,一つの結論を他へ流用しない。

第6 裁判で争われたか

この問題が裁判で争われたかどうかについて,本記事は調査していない。
本記事の作成にあたって用いたのは国会会議録であり,裁判所ウェブサイトの裁判例検索による調査は行っていない。

したがって本記事は,裁判例の存否について何も述べない。
「裁判例はない」とも「ある」とも書かない。

確認できるのは,補償の要否が,少なくとも1951年から1952年にかけて国会で正面から議論されていたという事実である。

第7 原資料で確認する方法

①国会会議録検索システム。「賠償指定工場」「賠償指定の解除」等の語で検索すると,1948年から1953年にかけての審議を追える。本記事の中心的な資料はここで得た。
②国立国会図書館の日本法令索引。賠償庁臨時設置法のように既に廃止された法令の書誌をたどれる。
③衆議院「制定法律」。租税特別措置法等の一部を改正する法律(昭和27年法律第61号)のように,現行法令に残っていない当時の条文を読める。
④官報。賠償指定・保全に関する告示を確認する。
⑤国立公文書館及びアジア歴史資料センターの賠償関係文書。
⑥裁判所ウェブサイトの裁判例検索。

第8 出典・参考資料

1 法令

①ポツダム宣言第11項(1945年7月26日)
②賠償庁臨時設置法(昭和23年法律第3号,昭和23年1月31日公布。昭和27年法律第116号により昭和27年4月28日廃止)。国立国会図書館 日本法令索引で書誌を確認した。
③租税特別措置法等の一部を改正する法律(昭和27年3月31日法律第61号)第1条による租税特別措置法(昭和21年法律第15号)第5条の14の追加。衆議院「制定法律」掲載の条文で確認した。
④連合国財産の返還等に伴う損失の処理等に関する法律(昭和34年5月15日法律第165号)第1条・第2条。衆議院「制定法律」掲載の条文で確認した。

2 国会会議録

①第13回国会参議院外務委員会会議録第9号(1952年3月6日)。政府委員の答弁。https://kokkai.ndl.go.jp/txt/101313968X00919520306/33
②第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録第3号(1951年10月25日)。参考人山下康雄の意見。https://kokkai.ndl.go.jp/txt/101215185X00319511025/108

3 公文書・歴史資料

①SCAPIN(連合国軍最高司令官指令)のうち賠償に関するもの
②国立公文書館所蔵の賠償関係文書