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日本の戦後賠償はなぜ実物賠償で始まったのか――ポーレー案・賠償指定工場と挫折(AI作成)

第1 この記事が答える問い

占領期の賠償は,なぜ金銭ではなく工場設備の現物撤去という形で始まったのか。
そして,その計画はどうなったのか。

本記事は,昭和20年から昭和26年ころまでの実物賠償に範囲を限る。
講和条約後の役務賠償及び国別の賠償総額は,既存の戦後賠償の記事に委ねる。

第2 第11項が実物賠償を予定していた

1 条文

第11項の英語正文と外務省仮訳は次のとおりである。

“(11) Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those industries which would enable her to re-arm for war. …”

「十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス…」

条文は,維持を許される産業の要件として「経済を支持すること」と「公正な実物賠償の取立てを可能にすること」を掲げている。
賠償を現物で取り立てることが,条文の段階で既に前提とされていた。

2 「実物賠償」は最初の草案にはなかった

米国務省の公刊外交文書により起草過程を確認すると,1945年7月2日の最初の正式草案には,実物賠償への言及が一切ない。
1945年7月24日の対英提示案の時点では本文に挿入されている。

その間のどの時点で誰が挿入したのかは特定できていない。
英国代表団の修正提案一覧は第11項に触れておらず,米英間では早い段階で合意が成立していたとみられる。

第3 中間賠償計画

1 賠償使節団の来日と決定

占領初期の実物賠償は,1945年11月に来日した賠償使節団(ポーレー特使)が,同年12月6日から18日にかけて一連の中間的な決定・声明・報告を示したことに始まる。
1946年5月,極東委員会がこれを中間賠償計画として正式に採択した。

2 賠償指定工場

1946年中に500を超える工場が賠償の指定を受けた。
1948年3月の時点では約1,000工場が指定されていた。

指定を受けた工場の設備は,撤去されて賠償に充てられる予定の財産として扱われた。
国内の所有者がこれによりどのような立場に置かれたかは「賠償のために設備を撤去された所有者は補償されたのか」で扱う。

第4 連合国間の対立で配分が決まらなかった

1 請求の合計が176.5%になった

賠償の取り分をめぐり,請求国間の比率の合計が176.5%に達した(1947年5月の時点で,米国34%,英国25%,中国40%等)。
オーストラリアは極東委員会の権限そのものを争う手続上の異議を提起した。
1947年11月の米国の妥協案はソ連が拒絶した。

2 米国の単独指令で搬出が始まった

配分が決まらないまま,1947年4月,米国が単独の暫定指令により全体の30%の先行移譲を決めた。
実際の搬出が始まったのは1948年1月である。

第5 実施は著しく遅れた

1948年3月の時点で,指定された約1,000工場のうち解体が済んでいたのは20工場にとどまっていた。
現行のペースでは搬送の完了に約20年を要するとされ,最高司令官が強い不満を表明した。

第6 撤去の実績

最終的な撤去の実績は,1950年5月の時点で機械等4万3,919台,金額にして1億6,515万8,839円(昭和14年価格)とされる。

ただし,この数値は大蔵省の調査に基づくとされる二次資料によるものであり,一次資料そのものは未確認である。
数値を引用する場合は,この点を明示する。

第7 その後――政策の転換

賠償計画は,1948年の再調査と政策転換を経て縮小され,1949年5月の声明により,新たな暫定賠償の指定を打ち切ることが表明された。
この経過は「占領期の産業制限と逆コース」で扱う。

講和条約における賠償については,既存の「日本の戦後賠償」等の記事に委ねる。

第8 出典・参考資料

①ポツダム宣言第11項(1945年7月26日)
②United States Department of State, Foreign Relations of the United States(第11項の各草案,及び中間賠償計画に関する文書)
③極東委員会の決定(1946年5月)
④ジョージ・ケナンによる政策企画室文書PPS/28(1948年3月)
⑤大蔵省の調査に基づく撤去実績(二次資料)