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占領期の産業制限と逆コース――平和産業レベル・NSC13/2・マッコイ声明(AI作成)

第1 この記事が答える問い

占領期に課された産業の制限は,どの文書によって具体化され,いつ,どのように緩和されたのか。

第2 禁止された産業

1 条文は具体的な範囲を定めていない

ポツダム宣言第11項は,日本が戦争のために再軍備をすることを可能にするような産業の維持を認めないとする。
しかし,どの産業がこれに当たるかは条文に定めがなく,占領軍の指令に委ねられた。

2 指令による具体化

主な指令は次のとおりである。

①SCAPIN-301(1945年11月18日) 航空機及びエンジンの購入・所有・操作,並びに航空に関する教育・研究を全面的に禁止した。
②SCAPIN-629(1946年1月20日) 航空機工場389工場を管理下に置き,賠償の予定物件に指定した。
③SCAPIN-1134(1946年8月13日) 金属加工工場252工場及び軍事爆発物工場21工場を賠償の選定対象に指定した。工作機械の保有数に応じて分類されている。
④極東委員会の決定(1948年2月12日) 兵器・弾薬・軍艦の建造等の禁止を国際的な政策として採択した(ソ連は棄権)。

なお,③については,分類の内訳の合計と総数との間に差があり,資料上の確認を要する。

第3 平和産業レベル計画

1 生産の上限を数値で定めた

いわゆる平和産業レベル計画は,1946年4月から5月にかけて承認された報告書により,産業別の生産の上限として数値化された。
例えば,鋼塊は年325万トン,商業用の造船は年15万総トン,工作機械は年2万7,000台である。

2 賠償計画と表裏の関係にあった

上限を超える設備は,賠償として撤去される対象となる。
産業制限と実物賠償は,同じ政策の表と裏である。

実物賠償の経過は「日本の戦後賠償はなぜ実物賠償で始まったのか」で扱う。

第4 方針の転換

1 過大評価の是正――調査団の報告

1948年2月,民間の調査団(ストライク調査団)の報告が,賠償に利用できる資産の従来の評価が過大であったことを示し,賠償資産の大幅な圧縮を提案した。

2 NSC13/2

1948年10月7日,米国の国家安全保障会議は文書NSC13/2「対日政策に関する勧告」を採択した(同月9日に大統領が承認)。
同文書の第19項は,産業の非軍事化を,戦争兵器及び民間航空機の製造の禁止と,最小限の暫定的な制限に限定する方針を明記した。

もっとも,同文書の第20項は賠償に関する勧告を別に提出するとしており,NSC13/2自体が賠償の打切りを決定したわけではない
この点を単純化した説明が流布しているので注意を要する。

3 マッコイ声明

具体的な打切りは,1949年5月12日のマッコイ声明により確定した。
同声明は,今後の暫定的な賠償指定を打ち切ること,及び既存の30%のプログラムを1949年7月1日までに完了することを表明した。

これにより,産業制限という規制の考え方そのものが終了した。

第5 「逆コース」という語をどう扱うか

この一連の政策転換は,しばしば「逆コース」と呼ばれる。

ただし,これは同時代の批評の用語であって,公式の政策名ではない。
本記事は,語の当否を論じるのではなく,政策文書に基づいて何が変わったかを述べる方針を採る。

なお,同じNSC13/2は,公職追放の解除に関する政策の転換点でもあった。
単一の政策文書が,公職追放・賠償・産業制限という複数の領域について,大枠を転換しつつ具体的な実施は後続の文書に委ねるという共通の構造を持っていた。
公職追放については「ポツダム宣言第6項と公職追放」で扱っている。

第6 出典・参考資料

①ポツダム宣言第11項(1945年7月26日)
②SCAPIN-301(1945年11月18日),SCAPIN-629(1946年1月20日),SCAPIN-1134(1946年8月13日)
③極東委員会の決定(1948年2月12日)
④平和産業レベルに関する報告書(1946年4月から5月)
⑤政策企画室文書PPS/28(1948年3月)
⑥NSC13/2(1948年10月7日採択,同月9日大統領承認)
⑦マッコイ声明(1949年5月12日)