札幌高裁令和3年2月18日決定(令和3年(く)第3号)は,釧路地裁が道路交通法違反被告事件を大阪地裁へ移送した決定を取り消し,被告人の移送請求を却下した決定である。
この決定は,大阪府に緊急事態宣言が出されていた時期にされたにもかかわらず,決定理由で緊急事態宣言に言及していない。
しかし,一連の手続を最後まで確認すると,同じ合議体が,争点,予定証人及び被告人側の不利益が具体化された後の札幌高裁令和3年6月23日決定で,大阪地裁への移送を維持している。
そこで,本記事では,令和3年2月18日決定を「感染対策を否定した決定」と単純化せず,初回請求の具体性,検察官側の立証上の不利益,長距離移動による感染リスク及び後続決定を一体として検討する。
第1 本件の結論
1 令和3年2月18日決定の正確な位置付け
札幌高裁刑事部は,令和3年2月18日,釧路地裁令和3年1月19日決定を取り消し,被告人の移送請求を却下した。
合議体は,裁判長の金子武志裁判官,加藤雅寛裁判官及び渡辺健一裁判官である。
本決定は裁判所ウェブサイトの裁判例検索への掲載を確認できず,裁判所HP未掲載であるため,本記事では公開されている決定書全文に基づいて内容を整理する。
本決定の中心は,釧路地裁で審理する場合に被告人側が受ける不利益と,大阪地裁へ移送する場合に検察官側が受ける立証上の不利益との比較である。
2 本記事の評価
初回の移送請求は,大阪府に対する緊急事態措置が始まる前にされており,被告人の資力,生活状況,具体的な防御方針及び証拠意見が十分に示されていなかった。
そのため,本決定を,感染対策を十分に主張立証した請求について新型コロナウイルス感染症を一律に無視した決定と評価することはできない。
他方,本決定は,被告人側には具体的な資料を求めながら,検察官側については釧路周辺の証人又は補充捜査が必要となる可能性を重視しており,双方に求めた具体性が均衡していたかには疑問が残る。
また,緊急事態宣言下の長距離移動は当事者個人の不便にとどまらず,移動先の第三者を含む感染拡大の危険に関係するため,決定理由でこの公共的な利益に言及しなかった点は感染対策上十分でなかったと考えられる。
したがって,本決定は,結論を明白に誤りとまではいえないものの,感染対策を含む比較衡量の理由付けには不十分な点があり,補充資料を求めずに移送請求を却下したことには検討の余地がある決定と位置付けるのが相当である。
第2 移送をめぐる手続の経過
1 初回請求から移送確定までの時系列
公開されている一連の決定書及び関連資料から確認できる経過は,次のとおりである。
| 日付 | 手続 | 結果又は内容 |
|---|---|---|
| 令和3年1月9日 | 初回の移送請求 | 大阪地裁への移送を請求 |
| 令和3年1月19日 | 釧路地裁決定(資料1) | 事件を大阪地裁へ移送 |
| 令和3年1月20日 | 検察官の即時抗告申立て(資料2) | 検察官が移送決定を不服として即時抗告 |
| 令和3年2月18日 | 札幌高裁決定(資料3) | 原決定を取り消して移送請求を却下 |
| 令和3年3月20日 | 再度の移送請求 | 争点,証人及び当事者の不利益等を具体化して再請求 |
| 令和3年3月24日 | 検察官の意見書(資料4) | 検察官が再度の移送請求に反対 |
| 令和3年5月24日 | 釧路地裁決定(資料5) | 再び事件を大阪地裁へ移送 |
| 令和3年5月25日 | 検察官の即時抗告申立て(資料6) | 検察官が再度の移送決定を不服として即時抗告 |
| 令和3年6月23日 | 札幌高裁決定(資料7) | 検察官の即時抗告を棄却して大阪移送を維持 |
2 同一合議体が異なる結論を採った意味
令和3年2月18日決定と同年6月23日決定を担当した裁判官は同一である。
2月決定は,被告人の主張,証拠意見及び具体的な不利益が明らかでないことを理由として,釧路地裁の移送決定を取り消した。
これに対し,6月決定は,争点,予定証人,証人の出頭可能性及び被告人側の負担が具体化された記録の下で,大阪地裁で審理しても検察官に著しい立証上の不利益は生じないと判断した。
この経過は,2月決定が大阪地裁への移送又は感染対策を一般的に否定したものではなく,初回請求時に提出されていた判断資料の具体性を重視した決定であることを示している。
3 中心となる決定書の画像
釧路地裁令和3年1月19日決定及び札幌高裁令和3年2月18日決定の画像は,次のとおりである。





第3 札幌高裁令和3年2月18日決定の判断
1 被告人及び弁護人の不利益
本決定は,被告人が公訴事実を争う予定であるため,被告人及び弁護人が釧路地裁に複数回出頭して時間的及び経済的な不利益を受けること自体は否定しなかった。
他方,移送請求では一般的な移動負担が主張されているだけで,被告人の資力,生活状況その他の具体的な不利益を基礎付ける資料が提出されていないとした。
本決定は,公判期日を集中的に指定することにより,被告人及び弁護人の移動及び宿泊の負担を軽減できるとも評価した。
2 検察官側の立証上の不利益
本決定は,被告人の供述,具体的な防御方針及び検察官請求証拠に対する意見が明らかでないため,検察官が立証計画を定められる状況ではないとした。
その上で,審理の経過によっては釧路地裁周辺に居住する証人を尋問する可能性があり,補充捜査も必要になるとして,釧路地裁で審理する方が便宜であると判断した。
また,大阪地裁へ移送すれば,本件捜査を担当していない検察官が公判に関与するため,補充捜査にも支障が生じると評価した。
3 双方に求めた具体性の違い
釧路地裁令和3年1月19日決定は,検察官側の証人についてビデオリンク方式による尋問を利用でき,補充捜査に重大な支障が生じることも具体的に示されていないと判断していた。
しかし,札幌高裁は,被告人側については資力,生活状況及び防御方針の具体的な資料がないことを重視する一方,検察官側については地域内の証人又は補充捜査が必要になる可能性を重視した。
そのため,本決定の主要な検討点は,双方の不利益について要求した具体性及び疎明の程度が均衡していたかという点にある。
後の記録では,予定証人が特定され,釧路地裁周辺に居住する者を証人請求する予定がなく,証人が裁判所の所在地を問わず出頭に対応できることが明らかになった。
この後続経過からみると,本決定が検察官側について想定した立証上の支障は,初回請求時の記録では否定できなかったものの,結果的には抽象的な可能性にとどまったといえる。
第4 緊急事態宣言と感染対策の評価
1 初回請求と緊急事態措置の時系列
初回の移送請求は令和3年1月9日にされており,大阪府に対する緊急事態措置が始まった同月14日より前である。
したがって,初回請求を,緊急事態宣言と長距離移動による感染リスクを詳細に主張した申立てであったと位置付けることはできない。
釧路地裁令和3年1月19日決定は,その後の事情として,大阪府が緊急事態措置の対象区域となり,感染拡大地域からの接触及び移動を避けることが求められていることを考慮した。
政府は,令和3年1月13日に大阪府等を対象区域へ加える変更を決定し,大阪府に対する緊急事態措置は同月14日から開始された。
同年2月2日の変更では実施期間が3月7日まで延長されたが,同年2月26日の区域変更により,大阪府は3月1日から対象区域を外れたため,実際の対象期間は1月14日から2月28日までである。
2 令和3年2月18日当時の感染状況
令和3年2月18日当時,新規感染者数は減少傾向にあったものの,厚生労働省の専門家会合は,感染が十分に抑制された状態ではないと評価していた。
一般向けの予防接種が広く普及する前であり,長距離移動及び人との接触機会を減らすことには大きな感染対策上の意味があった。
この時期の長距離移動は,被告人又は弁護人の健康上の危険だけでなく,無症状又は発症前の感染者が移動先で第三者と接触する危険を含む問題であった。
3 比較すべきなのは事件全体の移動量であること
感染対策上の比較は,大阪府と北海道のどちらで感染者が多いかだけで決めるべきものではない。
被告人及び弁護人が大阪にいる事件を釧路地裁で審理すれば,両名が公判期日のたびに空港,航空機,公共交通機関,宿泊施設及び飲食場所を利用することになる。
他方,大阪地裁へ移送すれば,検察官又は証人が移動する可能性があるため,その人数,回数,宿泊の有無及びビデオリンクによる代替可能性も考慮する必要がある。
航空機内では換気及びマスク等によるリスク低減が期待できるが,感染対策上は機内だけでなく,自宅から空港までの移動,搭乗待ち,到着後の移動,宿泊及び食事を含む一連の接触機会を評価する必要がある。
したがって,刑事事件の移送判断では,誰が何人,何回,どのような経路で移動するのかを比較し,事件全体の総移動量及び総接触機会を減らせる裁判所を選ぶという視点が重要である。
4 決定理由に緊急事態宣言への言及がないことの意味
札幌高裁令和3年2月18日決定は,大阪府が緊急事態措置の対象区域であった期間中にされた。
しかし,決定理由には,緊急事態宣言,感染状況又は長距離移動による感染拡大の危険に関する記載がない。
文書から確認できる事実は,決定理由に緊急事態宣言への言及がないという点までであり,合議体が内部的に宣言を全く考慮しなかったとまでは断定できない。
もっとも,感染リスクが当事者の私的な不便ではなく第三者にも関係する公共的利益であることを踏まえると,客観的に存在した緊急事態措置を比較衡量の理由に示さなかった点は,感染対策上の説明として十分ではなかったと考えられる。
第5 再度の移送請求と後続決定
1 再度の移送請求で具体化された事情
弁護人は,令和3年3月20日,札幌高裁令和3年2月18日決定が指摘した点を踏まえて,再度の移送請求をした。
再度の請求では,被告人が運転していた事実自体は争わず,速度測定装置による測定の正確性を主要な争点とする予定であることが明らかにされた。
また,検察官側で尋問が見込まれる者,弁護側が釧路地裁周辺の者を証人請求する予定がないこと,予定証人が裁判所の所在地を問わず出頭に対応できること及び大阪で審理する方が証人の移動にも便宜であることが示された。
さらに,被告人及び弁護人が複数回の公判期日のため大阪と釧路を往復する時間,交通費,宿泊負担,勤務及び生活上の制約が具体化された。
感染対策についても,遠距離移動及び宿泊を伴う移動を減らす必要性,テレビ会議等の代替手段を検討して出張を減らす法務省の方針等が主張された。
2 釧路地裁令和3年5月24日決定
釧路地裁は,再度の請求で争点及び証拠意見が具体化され,現段階で尋問が見込まれる証人が限定されたことを踏まえ,大阪地裁への移送を決定した。
同決定は,予定証人が裁判所の所在地を問わず出頭に対応でき,大阪地検の検察官でも記録を精査して適切な尋問を行えると判断した。
また,補充捜査の可能性については,争点が限定されたことを踏まえると抽象的な指摘にすぎないと評価した。
他方,大阪で審理すれば被告人及び弁護人との期日調整を円滑に行うことができるのに対し,釧路で審理すれば複数回の長距離移動により時間的,距離的及び経済的な不利益が生じるとした。
3 札幌高裁令和3年6月23日決定
検察官は釧路地裁令和3年5月24日決定に即時抗告したが,札幌高裁は同年6月23日,検察官の即時抗告を棄却した。
この決定を担当したのは,令和3年2月18日決定と同じ合議体である。
同決定は,具体化された争点及び証拠意見を前提にすれば,大阪地検の検察官でも適切な証人尋問を行うことができ,検察官に著しい立証上の不利益は生じないとした。
また,検察官が複数回の出頭による被告人の時間的及び経済的負担を争っておらず,検察官の利益が著しく害される事情の疎明もないとして,釧路地裁の判断を是認した。
2月決定と6月決定の違いは,裁判所の一般的な価値判断が変化したというより,移送判断に必要な争点,証人及び具体的な不利益が記録上明らかになったことによるものと考えられる。
第6 刑訴法19条による移送の仕組み
1 移送の要件
刑訴法19条1項は,裁判所が適当と認めるとき,検察官若しくは被告人の請求により,又は職権で,その管轄に属する事件を事物管轄を同じくする他の管轄裁判所へ移送できると定めている。
同項の「適当」については,証拠調べの便宜,被告人,弁護人,検察官及び証人の出頭上の便宜,訴訟の進行その他の事情を総合して判断することになる。
被告人及び弁護人の住所だけで機械的に結論が決まるわけではない。
2 理由を付した請求書と相手方の意見
刑訴規則7条は,刑訴法19条による移送請求について,理由を付した請求書を裁判所へ提出するよう求めている。
したがって,移送を求める側は,移送の必要性及び相当性を基礎付ける事情を具体的に示す必要がある。
刑訴規則8条は,請求による移送決定をする前に,相手方又はその弁護人の意見を聴くよう定めている。
移送請求に対する検察官の意見も,立証上の支障,証人その他の関係者の利便及び被告人の防御上の利益を個別に検討したものでなければならない。
3 移送できる時期と即時抗告
刑訴法19条2項は,被告事件について証拠調べを開始した後は,移送決定をすることができないと定めている。
法文上の基準時は「証拠調べを開始した後」であり,検察官の冒頭陳述が終わった時点に一律に置き換えることはできない。
同条3項によれば,移送決定又は移送請求を却下する決定に対しては,その決定によって著しく利益を害される場合に限り,その事由を疎明して即時抗告をすることができる。
4 移送理由の具体化と予断排除
刑訴規則178条の6第3項は,第1回公判期日前に検察官及び弁護人が相互に連絡し,訴因若しくは罰条の明確化又は争点の整理に努めることを定めている。
同項は,裁判所が開廷回数の見通しを立てるために必要な事項を裁判所へ申し出ることも定めている。
他方,刑訴規則178条の16第1項は,第1回公判期日前の打合せを訴訟の進行に必要な事項に限り,事件について予断を生じさせるおそれのある事項にわたることを禁止している。
そのため,移送判断に必要な範囲で防御方針,予定証人及び証拠意見の概要を示すことと,証拠の実質的な内容を不必要に裁判所へ示さないことを両立させる必要がある。
第7 移送請求書に記載すべき事項
1 具体化すべき事情
刑事事件の移送請求では,少なくとも次の事情を,客観的な資料とともに具体化することが望ましい。
① 被告人及び弁護人の住所又は事務所と,現在の裁判所及び移送先裁判所までの移動経路である。
② 片道及び往復の所要時間,交通費,宿泊費並びに移動に必要な日数である。
③ 予想される公判期日の回数及び集中的な期日指定によって負担を減らせる程度である。
④ 被告人の勤務,収入,扶養その他の生活上の制約である。
⑤ 予断を生じさせない範囲で示す防御方針,主要な争点及び証拠意見の見込みである。
⑥ 検察官及び弁護側が請求する予定の証人の人数,所在地及び予定する立証事項の概要である。
⑦ 証人が移送先裁判所へ出頭できるか,ビデオリンク方式その他の代替手段を利用できるかという事情である。
⑧ 検察官が主張する補充捜査の内容,実施場所及び移送によって具体的に生じる支障である。
2 感染症流行時に追加すべき事情
感染症の流行又は緊急事態措置がある場合には,単に「感染が不安である」と記載するだけではなく,事件全体で生じる移動及び接触を比較する必要がある。
① 移動する当事者,検察官及び証人の人数並びにそれぞれの移動回数である。
② 航空機,新幹線,空港,駅,公共交通機関及び宿泊施設の利用の有無である。
③ 移動元及び移動先の公的な感染状況,緊急事態措置その他の移動抑制要請である。
④ ビデオリンク,電話会議又は書面による代替の可能性である。
⑤ 発熱等によって搭乗又は帰宅ができなくなった場合の公判運営上の影響である。
⑥ 基礎疾患等を主張する必要がある場合には,公開範囲を限定した上で提出する診断書その他の客観的資料である。
第8 情報公開答申から分かること
1 令和3年度(情)答申第47号及び第48号
令和3年度(情)答申第47号は,緊急事態宣言を考慮しないことになっていると分かる研修資料その他の文書について,札幌高裁が保有していないとした判断を妥当とした。
同答申は,刑訴法19条に基づく移送請求の判断でどの事情を考慮するかは,個々の事件ごとに裁判所が判断するものと整理している。
令和3年度(情)答申第48号も,弁護人の主張内容等が不明であることを移送否定の事情とする研修資料その他の文書について,札幌高裁が保有していないとした判断を妥当とした。
2 答申の射程
これらの答申は,特定の司法行政文書を札幌高裁が保有しているかという問題について判断したものである。
したがって,答申から,本件合議体が緊急事態宣言を実際に考慮したか,又は令和3年2月18日決定が実体的に正しかったかを確定することはできない。
本決定の評価は,決定書に記載された理由,釧路地裁の各決定及び同一合議体による令和3年6月23日決定を比較して行う必要がある。
第9 関連資料及び出典
1 移送請求に関する資料
② 令和3年1月20日付けの釧路地検検察官の即時抗告申立書(資料2)
③ 札幌高裁令和3年2月18日決定(令和3年(く)第3号・資料3)
④ 令和3年3月24日付けの釧路地検検察官の意見書(資料4)
⑥ 令和3年5月25日付けの釧路地検検察官の即時抗告申立書(資料6)
⑦ 札幌高裁令和3年6月23日決定(令和3年(く)第36号・資料7)
2 法令及び公的資料
⑤ 令和3年2月18日厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード資料
3 書籍及び医学資料
① 中山善房・古田佑紀・原田國男・河村博・川上拓一・田野尻猛編『大コンメンタール刑事訴訟法〔第3版〕第1巻〔第1条~第56条〕』(青林書院,2022年)199頁~213頁
② 伊丹俊彦・合田悦三編集代表『逐条実務刑事訴訟法』(立花書房,2018年)22頁~23頁
③ 法曹会編『刑事訴訟規則逐条説明 第2編第3章(公判)』(法曹会,1989年)28頁,47頁~49頁
④ 山崎学著『公判前整理手続の実務〔第2版〕』(弘文堂,2020年)7頁~8頁,18頁~19頁
⑤ PMC掲載論文(航空移動と新型コロナウイルス感染リスク)