第1 自転車通院から何を判断できるか
1 活動の事実と医学的評価を分ける
交通事故後に自転車で通院していたことは,その条件で自転車を利用できたという事実である。
それだけで,痛みがない,歩行に支障がない,治療が不要又は事故による傷害がないとまで判断することはできない。
他方,自転車利用は症状の程度や機能を検討する資料にはなる。
申告された障害と両立するかを,距離,時間,姿勢,速度,休憩及び活動前後の症状に即して調べることが必要である。
2 移動手段を選んだ理由は本人に確認する
徒歩より楽であったこと,医療機関が近かったこと,公共交通機関の乗換えが負担であったこと,費用や家族の送迎の都合などが,自転車を選ぶ理由として考えられる。
これらは一般的な仮説であり,特定の被害者について確認された事実ではない。
本人の説明,通院経路,事故前の利用状況及び診療録によって,実際の理由を確かめるべきである。
第2 腰部脊柱管狭窄症と姿勢による症状の違い
1 歩行がつらくても自転車が比較的楽な場合
日本脊髄外科学会の腰部脊柱管狭窄症の説明は,腰を伸ばして歩くと症状が悪化し,前かがみになると軽くなることや,買物カートを押す動作,自転車に乗る動作で症状が軽減することを示している。
このため,歩行困難と自転車利用が医学的に両立する場合がある。
この説明から導かれる実務上の推論は,「自転車に乗れた」という事実を,立位歩行での痛みや歩行可能距離と同じ尺度で扱うべきではないということである。
ただし,全ての狭窄症患者に当てはまるわけではなく,自転車の種類や乗車姿勢も異なる。
病名だけから本人が自転車を選んだ理由まで確定することはできない。
2 間欠性跛行と移動距離
同学会は,歩行を続けると下肢症状が生じ,休息すると再び歩けるようになる間欠性跛行についても説明している。
「歩けるか」という二択ではなく,連続して歩ける距離,症状が出るまでの時間,休息の姿勢及び回復時間を確認すると,生活上の制約を説明しやすい。
自転車での移動距離が長いことだけから,徒歩でも同じ距離を無理なく移動できるとはいえない。
反対に,長時間の高速走行,急坂,重い荷物の運搬等が確認された場合は,それぞれの身体負荷と申告症状との関係を具体的に検討する必要がある。
3 腰部の病変と上肢症状を混同しない
腰部脊柱管狭窄症の説明だけで,頚部痛,肩の可動域制限,手のしびれ又は握力低下の全てを説明することはできない。
上肢と下肢,左右,症状の分布及び検査結果を分け,頚椎,末梢神経,関節その他の原因を医師の診断と対応させるべきである。
本記事は自転車の利用を治療として推奨するものではない。
乗降,制動,周囲の確認及び転倒の危険を含む運転の適否は,本人の状態について個別に確認する必要がある。
第3 既往症と事故との因果関係
1 病名,事故前症状及び既存障害は別の事実
過去に狭窄症の診断があったことと,事故直前にも同じ症状や生活上の支障があったことは,別の事実である。
最終受診日,継続治療,服薬,歩行距離,就労及び自転車利用について事故前後を比較する。
既往症の記載があるだけで,事故後の症状を全て既往症由来と扱うことはできない。
後遺障害診断書の「既存障害」欄に記載がないことも,過去の全ての病気が存在しなかった証明にはならない。
診療録,診断書,医療照会回答は,作成目的と対象期間を踏まえて照合する必要がある。
2 医療照会は質問と回答を一緒に読む
保険会社から「医師に既往症を確認した」と説明された場合は,照会日,質問事項,回答全文,参照した診療録及び対象部位を確認する。
単に過去の診断名を尋ねた回答なのか,事故前にも活動制限があったという回答なのか,事故後の個々の症状の原因についての意見なのかによって,証拠の意味が異なる。
事故が既往症を悪化させた可能性についても,事故直後の発症,症状の変化,診察所見及び治療経過から検討する。
傷害の発生,相当な治療期間及び素因減額は別々の判断であり,年齢と病名だけで減額率を決めることはできない。
第4 自転車通院の事実を証拠にする方法
1 経路と動作を具体化する
確認事項は,片道距離,所要時間,坂道,路面,自転車の種類,電動アシストの有無,休憩,荷物及び代替交通手段である。
自転車を押す区間,乗降時の支障,足を着いて休む回数,ハンドルやブレーキを操作するときの痛みも,症状との対応を調べる材料となる。
地図,通院日一覧,本人の説明及び既存の診療録を時系列で整理する。
自転車利用の全日について詳細な記録がない場合は,記録のある日と本人の記憶に基づく説明を区別し,確認できない条件を補って断定しない。
2 できた動作と負担を併記する
「毎日自転車に乗った」だけでなく,ゆっくり走った,途中で休んだ,帰宅後に痛みが増した等の事情が実際にあれば併記する。
痛みを我慢して行ったことと,無症状で行えたことを区別することが,説得的な説明につながる。
反論は,活動の事実を一律に無意味とするより,その活動がどの症状の評価に関係し,どの症状を直接は説明しないかを示す方が適切である。
事故後の行動全般については,軽微な交通事故で受傷を否認された場合の主張立証も参照されたい。
第5 他覚所見と慰謝料の評価
1 骨折の有無だけで基準を選ばない
大阪地裁の算定基準第3版から転記された慰謝料表は,軽度の神経症状について,むち打ち症で他覚所見のない場合等を挙げ,表の3分の2程度とする説明を置いている。
これは骨折がない傷害を一律に3分の2にするという説明ではない。
現在の事件では,使用する版の原文と,具体的な症状・所見・治療経過を確認する必要がある。
腱反射,筋力,握力,可動域及び電気生理検査は,それぞれ確認する機能と限界が異なる。
検査名があることだけで通常基準の適用が決まるわけではないが,自転車利用だけで記録された所見を無効と扱うこともできない。
具体的な検査の証拠価値と裁判例は,入通院慰謝料に影響する他覚所見で説明している。
2 傷害期と後遺障害を分ける
治療中の傷害慰謝料と,症状固定後の後遺障害慰謝料・逸失利益は,評価する期間と損害が異なる。
後遺障害の認定がないことから,事故直後の傷害や相当な治療が否定されたと直ちに推論することはできない。
自転車通院は,この区別を踏まえた総合評価の一資料として扱うべきである。
第6 出典と調査範囲
1 公開資料
① 日本脊髄外科学会「腰部脊柱管狭窄症」(姿勢による症状変化,自転車利用及び間欠性跛行)。
② e-Gov法令検索「民法」709条,710条及び722条2項。
③ 大阪地裁の算定基準第3版から転記された慰謝料表(18頁・19頁の転記。最新版の確認に代わるものではない)。
2 この記事で確定していない事項
本記事は,公開資料に基づく一般的な医学説明と証拠評価の方法を扱う。
特定の被害者の通院理由,事故起因性,治療の必要性又は慰謝料額を認定するものではない。
自転車利用を直接の争点として判断した裁判例の網羅調査と,姿勢別の症状変化についての臨床研究の比較は,別途検討する余地がある。