車両の修理費が小さい事故では,加害者側又は保険会社から「この程度の衝撃で負傷するはずがない」と争われることがある。
しかし,修理費又は外見上の損傷だけで受傷の有無を決める固定的な基準はない。事故態様,乗員の姿勢,症状の出現時期,初診時の記録,治療経過,既往症及び事故後の行動を相互に照合する必要がある。
本記事では,軽微な交通事故で頚椎捻挫,腰椎捻挫等の受傷を否認された場合に,何を主張し,どの資料で裏付けるかを整理する。
第1 結論―修理費だけでは受傷の有無は決まらない
1 被害者側が証明する対象
民法709条に基づく損害賠償請求では,被害者側が,事故,傷害,事故と傷害との因果関係及び損害を主張立証する。
診断書は重要な証拠であるが,診断名が記載されているだけで因果関係が当然に確定するわけではない。他方,画像上の外傷性所見がないこと又は修理費が低額であることだけで,軟部組織損傷又は痛みが当然に否定されるわけでもない。
2 固定的な金額基準はない
日弁連交通事故相談センター東京支部の「赤い本」2023年版講演録編に収録された「軽微事故における受傷の有無」では,2018年以後の下級審裁判例86件を整理している。
同講演録の整理では,修理費10万円未満でも受傷を認めた例がある一方,修理費30万円を超えても受傷を否定した例がある。これは,10万円又は30万円という境界を示すものではなく,修理費だけでは結論を説明できないことを示す資料である。
第2 最初に作るべき時系列
1 事故から初診まで
次の事項を,事故当日から初診まで時刻順に整理する。
- ① 衝突の方向,車両の位置,乗員の座席及び姿勢
- ② 頭部,頚部,腰部等を車内に打ち付けたか,身体がどちらへ動いたか
- ③ 事故直後に生じた症状と,時間の経過後に生じた症状
- ④ 警察,保険会社,家族及び勤務先へ伝えた内容と時刻
- ⑤ 医療機関を選び,受診するまでに要した時間と遅れた理由
事故当日の記憶を後日まとめて書くよりも,警察への説明,保険会社の受付記録,勤務先への連絡,スマートフォンの発着信履歴及び位置情報等の同時期資料と照合する方が証明力は高い。
2 初診から症状固定又は治癒まで
診療日ごとに,主訴,部位・左右,診察所見,検査,診断,処置,処方,通院間隔及び仕事・家事への支障を並べる。
診療録に記載されていない症状を後から追加する場合は,なぜ初期記録に現れなかったかを説明できるか確認する。症状部位の大きな変化,長い治療中断又は治療内容と訴えとの不整合は,因果関係を争う材料となり得る。
第3 事故態様と車両損傷の立証
1 車両損傷は衝撃を推認する一資料である
損傷写真,修理見積書,修理明細,ドラレコ映像,実況見分調書等は,衝突位置,入力方向及び損傷の範囲を検討する資料となる。
もっとも,修理費には,部品価格,塗装範囲,工賃,車種,修理方法及び損傷箇所以外の要因も影響する。そのため,修理費の総額を人体への衝撃の大きさへ直線的に置き換えることはできない。
2 乗員の個別事情を落とさない
同じ車両挙動でも,乗員の向き,不意打ちかどうか,シートベルト,ヘッドレスト,体格,年齢及び事故前の身体状態によって身体への作用は異なり得る。
「低速だった」「バンパーの傷が小さい」という抽象的な表現だけでなく,車両と身体に何が起きたのかを分けて主張する必要がある。
3 工学意見書の読み方
工学意見書では,入力した速度,車両重量,剛性,衝突角度,制動及び乗員姿勢の前提を確認する。事故後の変形から事故時の速度又は人体への入力を推定する問題には幅があり,前提の置き方によって結果が変わり得る。
計算結果だけを示す意見書については,基礎資料,計算式,誤差範囲,実車との対応及び医学的結論まで導ける根拠が示されているかを確認する。
4 受傷メカニズムの説明と個別事故の立証を分ける
医学的知見に照らせば,後面衝突による加速を加えた頭頚部標本の実験で,頚椎が一時的にS字状の変形を示し,その間に下位頚椎の椎間関節では,関節包を引き伸ばす動きや挟み込む動きが生じ得ることが報告されている。
このような説明は,頚部の動きを単なる一様な後屈として捉えないための手掛かりになる。
ただし,一般的な実験に基づく受傷メカニズムの説明が,個別の被害者にその損傷が生じたことを直接証明するわけではない。
事故条件,乗車姿勢,診察所見,症状の出現・推移等との対応を検討する必要がある。
修理費の大小だけから受傷の有無を決めることも,反対に,受傷メカニズムの説明だけから当該事故による受傷を認めることも適切ではない。
工学上の説明と,その人について得られた医学的・生活上の資料を結び付けて検討する。
第4 医学資料の確認
1 初診時の記録
初診日,医療機関,主訴,症状部位,発症時期,圧痛,可動域,筋力,知覚,腱反射,画像所見及び診断を確認する。
事故当日の受診でなくても直ちに因果関係が否定されるわけではないが,休日,仕事,症状の遅発又は受診先の事情等,遅れた理由を同時期資料で説明できるようにする。
2 他覚所見の有無を二者択一にしない
X線又はMRIが陰性であることは,骨折,脱臼又は明瞭な構造異常が確認されなかったことを示すが,それだけで頚椎捻挫等を否定するものではない。
反対に,椎間板変性,骨棘又は脊柱管狭窄等が写っていても,事故によって新たに生じたとは限らない。画像,診察所見,症状の分布及び経過を組み合わせる必要がある。
画像・神経学的検査・可動域所見の具体的な確認方法は,「交通事故の入通院慰謝料に影響する他覚所見」で説明している。
第5 既往症,過去の事故及び事故後の行動
1 既往症は事故前後を比較する
同じ部位の既往症又は過去の交通事故がある場合は,病名の有無だけでなく,事故前の症状,最終受診日,治療内容,服薬,画像及び日常生活への支障を確認する。
事故前に無症状で通常の業務を行っていたのか,事故前から治療中であったのかによって評価は異なる。事故前記録を隠すのではなく,事故前後の差を具体的に示すことが重要である。
医療照会で既往症を確認したとされる場合は,質問事項と回答全文を一緒に確認する。
過去の病名に関する回答と,事故直前の症状・治療・活動制限に関する回答は意味が異なる。
後遺障害診断書の既存障害欄に記載がないことも,過去の全ての病気が存在しなかった証明にはならない。
頚部,上肢,腰部及び下肢の症状を分け,既往症がどの部位の症状を説明するのかを具体的に検討する。
2 仕事,家事,旅行及びスポーツ
事故後も仕事,家事,運転,旅行又はスポーツを行った事実は,症状の程度を評価する一事情となる。
しかし,就労を続けた事実だけで受傷が否定されるわけではない。業務量の減少,担当変更,休憩,周囲の補助,鎮痛薬の使用及び活動後の症状悪化等を確認する。
自転車通院についても,片道距離,時間,坂道,速度,休憩,乗降,制動及び活動後の症状を確認する。
日本脊髄外科学会は,腰部脊柱管狭窄症では前かがみや自転車利用で症状が軽減する場合を説明している。
歩行に支障がありながら自転車を選ぶことは医学的に両立し得るが,実際にその理由で利用したかは本人の説明等で確認する必要がある。
詳しくは,交通事故後の自転車通院と生活動作の評価参照。
第6 当事者別の主張立証チェック
1 被害者側
- ① 事故態様と乗員姿勢を写真・映像・供述で対応させる。
- ② 症状の発現,初診及び通院経過を一つの時系列にする。
- ③ 診断名だけでなく,診察所見と治療内容を示す。
- ④ 既往症及び過去事故の事故前状態を確認する。
- ⑤ 仕事等を続けた場合は,具体的な制約と代替措置を示す。
2 加害者側又は保険者側
- ① 修理費だけでなく,衝突態様,車両損傷及び乗員姿勢を特定する。
- ② どの傷病,症状又は治療期間を争うのかを分ける。
- ③ 初診遅延,症状変遷及び治療中断の具体的な意味を示す。
- ④ 既往症については,事故前から同じ症状があったことを資料で示す。
- ⑤ 工学意見と医学的因果関係を混同しない。
第7 裁判例を読む際の注意
1 受傷を認めた高裁判決
福岡高等裁判所令和元年9月26日判決(平成31年(ネ)第299号,判例体系ID28290700)は,軽微な後進追突事故について,受傷を否定した原判決を一部変更し,外傷性頚部症候群の受傷を認めた。
事故時に無防備であったこと,事故当日からの頚部痛・頭痛,誘発試験陽性及び可動域制限等を検討したものであり,車両への衝撃が小さいことだけで受傷を否定していない。
他方,後遺障害は認めず,入通院慰謝料についても既存の加齢変性等の関与を考慮して50万円とした。
治療費等の事故との因果関係,慰謝料額の調整及び損害全体の素因減額は別の判断であり,同判決は通常の加齢変化を超える事情が認められないとして,損害全体に対する素因減額は行わなかった。
2 受傷を認めなかった高裁判決
東京高等裁判所令和6年6月27日判決(令和6年(ネ)第813号,判例秘書の判例番号 L07920652)は,他覚的所見がなくても,既往の骨棘等と相まって軽度の衝撃により疼痛等が生じることはあり得るとして,主訴と事故態様・治療経過との整合性を慎重に検討する必要があると述べた。
しかし,受診までの期間,症状の訴え方と推移,事実と異なる転倒の説明,治療経過並びに診療録と後日作成された医師意見との不整合等を検討し,本件事故による傷害を認めず,控訴を棄却した。
高裁は原審の判断枠組みを補正しており,原審の理由がそのまま維持されたものではない。
疼痛発生の医学的な可能性を認めることと,当該被害者の症状が当該事故によるものと証明されたことを区別すべき例である。
3 受傷の有無と治療期間の長さを分けた例
東京高等裁判所令和2年9月23日判決(令和元年(ネ)第4770号・令和2年(ネ)第281号,判例秘書の判例番号 L07520660)は,軽微な追突事故による頚椎捻挫について,他覚所見・神経学的所見がないことだけから治療期間を1か月に限定しなかった。
継続的な診断・治療及び症状の軽快経過を踏まえ,約4か月の治療との因果関係を認め,通院慰謝料68万円とした。
受傷が認められるかという問題と,いつまでの治療が必要であったかという問題は区別し,後者についても月数だけで一律に判断しないことが重要である。
別表の選択,画像・診察所見及び慰謝料額との関係は,交通事故の入通院慰謝料に影響する他覚所見を参照されたい。
4 その他の事案と比較する際の限界
名古屋地方裁判所平成29年7月26日判決は,下降中のエレベーターの緊急停止による頚椎捻挫等が争われた事案で,事故当日の受診,症状経過,身体の変性所見,乗員姿勢,事故後の行動等を総合し,受傷を認めた。同判決は交通事故判例ではないが,「小さいと主張される衝撃」と受傷の関係を一要素だけで判断しなかった例として参考になる。
個々の裁判例の結論は,事故態様,診療録,既往歴及び供述の組合せに左右される。結論だけを件数比較して個別事件へ当てはめることはできない。
第8 出典・参考資料
1 法令及び公開裁判例
① e-Gov法令検索「民法」709条及び722条2項。
③ 福岡高等裁判所令和元年9月26日判決(平成31年(ネ)第299号,判例体系ID28290700)。
④ 東京高等裁判所令和2年9月23日判決(令和元年(ネ)第4770号・令和2年(ネ)第281号,判例秘書の判例番号 L07520660)。
⑤ 東京高等裁判所令和6年6月27日判決(令和6年(ネ)第813号,判例秘書の判例番号 L07920652)。
2 文献と調査範囲
① 日弁連交通事故相談センター東京支部編『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準2023年版下巻(講演録編)』所収「軽微事故における受傷の有無」。
② 同講演録の86件は講演者が設定した検索範囲の整理であり,全裁判例の網羅調査ではない。本記事は講演録本文及び事例表を確認したが,掲載された下級審裁判例86件の全文を判例データベースで独自に再読したものではない。
本記事第7の高裁3判決については,判例データベースの判文を確認し,受傷の有無,治療期間及び慰謝料の判断を区別して記載した。
③Stemper BD, Yoganandan N, Pintar FA. Gender- and region-dependent local facet joint kinematics in rear impact: implications in whiplash injury. Spine. 2004;29(16):1764-1771.(PubMed)