第1 この記事の対象と結論
1 令和元年7月1日より前に開始した相続を扱うこと
この記事は,令和元年7月1日より前に被相続人が死亡し,平成30年改正前の民法が適用される遺留分減殺請求を扱う。
平成30年法律第72号附則2条は,施行日前に開始した相続の遺留分について,従前の例によると定めているため,減殺の通知又は訴訟が令和元年7月1日以後であっても,相続開始が同日前であれば原則として旧法事案である。
令和元年7月1日以後に開始した相続では,現物に対する減殺請求ではなく,金銭債権である遺留分侵害額請求が問題となる。
旧法と現行法では請求の効果が異なるため,出発点は相続開始日の確定である。
2 負担順序と通知順序は別の問題であること
旧民法1033条から1035条までが定めるのは,複数の遺贈又は贈与のうち,どの処分がどの範囲で減殺を受けるかという客観的な負担順序・割合である。
これに対し,各受遺者又は受贈者に減殺の意思表示をする時間的順序は,客観的に定まる各人の減殺額の範囲内であれば自由であり,複数回に分けて行使することもできると解されている。
したがって,受遺者への通知を完了した後でなければ受贈者へ通知できないわけではない。
ただし,通知の先後を選ぶことによって,法定の負担額を別の受遺者又は受贈者へ付け替えることはできない。
3 既存記事との役割分担
この記事は,減殺を受ける処分の順序と,意思表示をする順序との違いを中心に扱う。
減殺の結果として不動産が共有になった後の処理,旧法上の価額弁償及び共有物分割については,改正前の遺留分減殺請求によって共有となった不動産の解消方法で説明している。
旧法及び現行法に関する裁判例を広く参照する場合は,遺留分に関するメモ書きも併せて確認できる。
本記事では,順序の判断に直接関係する条文,裁判例及び実務上の分岐に対象を絞る。
第2 旧法が定める客観的な減殺順序
1 遺贈を生前贈与より先に減殺すること
旧民法1033条は,贈与は遺贈を減殺した後でなければ減殺できないと定めていた。
そのため,遺贈と生前贈与の双方がある場合は,まず遺贈に侵害額を割り当て,遺贈だけでは回復できない残額について生前贈与へ進む。
この順序は,各相手方への通知を発送する順番を定めるものではなく,最終的に誰がいくらの減殺を受けるかを決める規律である。
遺留分権利者が自分に有利な相手方だけを選び,この配分を変更することはできない。
2 複数の遺贈は目的価額に応じて減殺すること
旧民法1034条本文は,複数の遺贈を,その目的価額の割合に応じて減殺すると定めていた。
例えば,減殺すべき額が50であり,二つの遺贈の目的価額が80と20であれば,原則的な負担額は40と10になる。
ただし,遺言者が遺言で別段の意思を表示したときは,旧民法1034条ただし書により,その意思に従う。
このただし書による変更は遺贈相互間の順序又は割合に関するものであり,遺贈と生前贈与との法定順位を逆転させるものではないと解されている。
3 相続人に対する遺贈の目的価額
最高裁平成10年2月26日第一小法廷判決(平成9年(オ)第802号,民集52巻1号274頁)は,遺留分を有する相続人に対する遺贈について,当該相続人自身の遺留分額を超える部分だけを旧民法1034条の「目的の価額」として計算の基礎に入れるとした。
同判決は,特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」旨の遺言についても,同様に扱っている。
したがって,相続人が受遺者である事件では,処分された財産の価額全体をそのまま按分計算の分母に入れることはできない。
受遺者自身の遺留分額を控除した後の価額を用いて計算する。
4 複数の生前贈与は後の贈与から減殺すること
旧民法1035条は,贈与の減殺を後の贈与から順次前の贈与に対して行うと定めていた。
遺贈を減殺しても侵害が残る場合は,相続開始に近い贈与から古い贈与へ遡って客観的減殺額を割り当てる。
最高裁平成10年3月24日第三小法廷判決(平成9年(オ)第2117号,民集52巻2号433頁)は,共同相続人に対する旧民法903条1項の特別受益に当たる贈与について,原則として贈与の時期及び害意を問わず減殺対象になるとした。
この判決は順序そのものを判示したものではないが,順序計算に載せる贈与の範囲を確定する上で意味を持つ。
第3 明文だけでは決まらない三つの論点
1 同時の贈与
旧法には,複数の贈与が同時にされた場合の負担割合を直接定める規定がなかった。
実務書では,旧民法1034条本文を類推し,それぞれの目的価額に応じて按分するとの説明が一般的である。
問題となるのは,契約書や登記の年月日が同じであるというだけで,本当に同時の贈与といえるかである。
結論が変わる場合は,契約成立,条件成就,履行及び登記受付の各時点を分けて確認する必要がある。
2 贈与の先後を判断する基準時
旧民法1035条の「後の贈与」を判断する基準については,贈与契約が成立した時を基準とする見解,履行された時を基準とする見解及び両者を調整する見解がある。
本記事で確認した実務書及び裁判例の範囲では,最高裁による統一的な判断は確認できない。
具体的事件では,①契約日,②書面作成日,③停止条件又は期限,④送金日,⑤引渡日,⑥登記原因日,⑦登記受付日を区別する必要がある。
どの時点を採用しても各人の減殺額が変わらない場合は,それ以上の高負担な調査を続ける必要性は低い。
3 死因贈与の位置付け
東京高裁平成12年3月8日判決(平成11年(ネ)第4965号,高裁判例集53巻1号93頁)は,死因贈与を,遺贈に次いで,通常の生前贈与より先に減殺すべきものとした。
この判決によれば,基本的な順序は,遺贈,死因贈与,生前贈与の順となり,生前贈与の中では後の贈与から前の贈与へ進む。
もっとも,死因贈与を遺贈と同順位に置く有力な見解もあり,本記事の確認範囲では,この論点について最高裁判例はない。
法務省の改正審議でも見解の対立を理由に明文化が見送られているため,東京高裁判決の順序を確定した最高裁法理として扱うことはできない。
第4 相手方へ通知する時間的順序
1 客観的減殺額の範囲内では通知順を選べること
旧民法1033条から1035条までの順序に従って計算すると,各受遺者及び受贈者の減殺額は客観的に定まる。
埼玉弁護士会編『遺留分の法律と実務』第二次改訂版61頁~62頁は,この客観的減殺額の範囲内であれば,どの遺贈又は贈与に対する減殺を先にしても,複数回に分けてもよいと説明している。
京都大学の民法講義資料にも,減殺額は計算上客観的に定まり,遺留分権利者は任意の順で減殺請求できるとの説明がある。
ただし,本記事の確認範囲では,この時間的順序を直接判示した最高裁判例は見当たらないため,条文そのものから直接導かれる結論と同じ強さで断定することは避けるべきである。
2 通知順によって負担を付け替えることはできないこと
古い贈与の受贈者へ最初に通知した場合でも,その者が負担するのは,後の贈与及び遺贈へ先に侵害額を割り当てた後に残る客観的減殺額までである。
通知が早かったという理由だけで,後順位の処分へ侵害額の全部を割り当てることはできない。
同様に,先に負担すべき受贈者が無資力であっても,旧民法1037条は,その損失を遺留分権利者の負担としていた。
無資力分を古い贈与の受贈者へ転嫁することはできない。
3 複数の相手方へ早期に通知する実務上の理由
法的な通知順が自由であることと,通知を一人ずつ遅らせてよいことは別問題である。
旧民法1042条の期間制限と意思表示の到達立証を考えると,客観的減殺額が生じ得ることが判明している相手方には,調査中であっても早期に通知する方が安全である。
これは,先に通知した者へ優先的に請求できるからではない。
相手方ごとに減殺の意思表示が期限内に到達したことを立証し,後から判明した処分によって計算を修正できる状態を確保するためである。
第5 期間制限と意思表示の方法
1 旧民法1042条の1年と10年
旧民法1042条は,遺留分権利者が相続開始及び減殺すべき贈与又は遺贈を知った時から1年間,減殺請求権を行使しないときは,時効により消滅すると定めていた。
また,相続開始から10年を経過したときも同様とされていた。
財産調査又は評価が終わっていないという理由だけで,意思表示を先送りするのは危険である。
少なくとも,相続開始日,対象となり得る処分の存在,受益者及び認識時期は早期に記録しておく。
2 調停を申し立てただけでは足りないこと
最高裁昭和41年7月14日第一小法廷判決(昭和40年(オ)第1084号,民集20巻6号1183頁)は,旧法の減殺請求権を形成権とし,受遺者又は受贈者に対する意思表示によって法律上当然に減殺の効力が生ずるとした。
減殺の効力を発生させるために訴えを提起する必要はない。
他方,裁判所の遺留分減殺による物件返還請求調停の案内は,家庭裁判所へ調停を申し立てただけでは相手方に対する意思表示にならず,別に内容証明郵便等で意思表示をする必要があると説明している。
調停申立書を提出した日だけで期間制限を管理することはできない。
3 通知文と到達記録
通知には法律上の定型書式があるわけではないが,少なくとも,①被相続人,②相続開始日,③通知者が遺留分権利者であること,④減殺の意思,⑤対象となる遺贈又は贈与を可能な範囲で記載するのが安全である。
対象財産が未確定である場合でも,どの相手方にどの相続について意思表示をしたのかが後日判別できる文面にする必要がある。
内容証明郵便を利用する場合は,通知文だけでなく,発送記録,配達証明及び到達日を相手方ごとに保存する。
相手方又は処分の追加が判明したときは,旧民法1042条の期間との関係を改めて検討し,必要な通知を追加する。
第6 数値例による減殺額の確認
1 遺贈60・後の贈与30・前の贈与80の例
遺留分侵害額を100とし,減殺対象となる処分が,①遺贈60,②後の生前贈与30,③前の生前贈与80であるとする。
旧民法1033条及び1035条の順序によれば,客観的減殺額は,受遺者が60,後の受贈者が30,前の受贈者が10となる。
遺留分権利者は,前の受贈者へ最初に通知すること自体はできる。
しかし,その受贈者に対する減殺額は10であり,通知が先であったことを理由に100又は40を負担させることはできない。
2 受贈者が無資力である場合
前記の例で,後の受贈者が無資力であり,30を回収できない場合でも,前の受贈者の客観的減殺額は10のままである。
旧民法1037条により,無資力によって生じた30の損失は遺留分権利者が負担する。
したがって,請求先の資力だけを見て,資力のある古い受贈者へ請求を集中させることはできない。
処分の順序と各目的価額を確認した上で,回収可能性を別に評価する必要がある。
3 遺贈だけで侵害が回復する場合
遺留分侵害額が100であり,先に減殺すべき遺贈だけで100以上を回復できる場合,生前贈与の客観的減殺額はゼロとなる。
受贈者へ受遺者より先に通知しても,通知順だけを理由にその贈与を減殺することはできない。
この結論は,減殺の通知を受けたかどうかではなく,旧民法1033条から1035条までに従って侵害額をどこまで割り当てたかによって決まる。
通知順序と負担順序を分ける必要性が最も明確に現れる場面である。
第7 旧法事件を処理する際の確認手順
1 低負担の資料から処分を並べること
最初に確認する資料は,①被相続人の死亡日が分かる戸籍,②遺言書,③贈与契約書,④不動産登記事項証明書,⑤預貯金の取引履歴,⑥既存の相続税申告資料等である。
依頼者が保有する資料と公的に取得できる資料から,処分の種類,受益者,契約日,履行日及び目的価額を一覧化する。
相手方又は第三者だけが保有する資料は,当然に取得できるものではない。
まず低負担の資料で,どの不明点が減殺額を変えるのかを確認し,結果に影響する場合に限って照会,送付嘱託,文書提出命令その他の手段を検討する。
2 争いがある場合は複数の計算を示すこと
訴訟上の請求額は,通知を発送した順番ではなく,遺贈,死因贈与及び生前贈与の各目的価額を法定順位へ当てはめて算定する。
死因贈与の順位又は贈与の基準時が争われる場合は,採用する見解を明示した主位的計算と,反対説を採用した場合の予備的計算を分ける。
どの計算方法を採用しても結論が同じであると確認できれば,その論点のためだけに追加の鑑定又は大量の記録分析を行う必要性は低い。
反対に,処分の先後が一つ変わるだけで請求相手又は請求額が変わる場合は,契約成立及び履行の証拠へ調査を集中する。
3 現行法及び令和7年最高裁判決との関係
現行民法1046条は遺留分侵害額に相当する金銭の支払請求を定め,現行民法1047条は受遺者及び受贈者の負担順序・割合を定めている。
負担順序には旧法と共通する部分があるが,旧法事件へ現行1047条を直接適用することはできない。
最高裁令和7年7月10日第一小法廷判決(令和6年(受)第2号)は,旧法事件における価額弁償の意思表示と権利取得を扱ったものである。
同判決は減殺対象相互の順序を争点としておらず,旧民法1033条から1035条までの負担順序又は相手方への通知順序を変更するものではない。
第8 出典・参考資料
1 法令
①e-Gov法令検索「民法」(平成30年9月5日時点)1031条,1033条~1035条,1037条及び1042条
②e-Gov法令検索「民法」1046条及び1047条
③民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律(平成30年法律第72号)附則2条
2 裁判例
①最高裁判所第一小法廷昭和41年7月14日判決(昭和40年(オ)第1084号,民集20巻6号1183頁)
②最高裁判所第一小法廷平成10年2月26日判決(平成9年(オ)第802号,民集52巻1号274頁)
③最高裁判所第三小法廷平成10年3月24日判決(平成9年(オ)第2117号,民集52巻2号433頁)
④東京高等裁判所平成12年3月8日判決(平成11年(ネ)第4965号,高裁判例集53巻1号93頁)
⑤最高裁判所第一小法廷令和7年7月10日判決(令和6年(受)第2号)
3 公的資料
①法務省民事局参事官室「相続法制に関する具体的な検討事項」20頁(PDFビューア20頁)
②法制審議会民法(相続関係)部会第25回会議議事録(平成29年12月19日)16頁~17頁(PDFビューア17頁~18頁。死因贈与の減殺順序に関する審議部分)
③裁判所「遺留分減殺による物件返還請求調停」
4 文献
①埼玉弁護士会編『遺留分の法律と実務―相続・遺言における遺留分減殺の機能』第二次改訂版(ぎょうせい,2018年)59頁~64頁(PDFビューア91頁~96頁)
②堂薗幹一郎・野口宣大編著『一問一答 新しい相続法―平成30年民法等(相続法)改正,遺言書保管法の解説』(商事法務,2019年)149頁~154頁・197頁(PDFビューア166頁~171頁・214頁)
③田村洋三・小圷眞史編著ほか『第3版 実務相続関係訴訟―遺産分割の前提問題等に係る民事訴訟実務マニュアル』(日本加除出版,2020年)411頁~418頁(PDFビューア434頁~441頁)
④松岡久和「民法第五部・親族相続 第24回 遺留分と遺留分減殺請求権」(京都大学,2000年)2頁(PDFビューア2頁)