◯本ブログ記事は,榎本光宏・最高裁判所デジタル審議官「裁判所のデジタル化の現状と将来(民事訴訟を中心に)」(司法研修所令和7年度民事通常専門研究会4,令和8年2月19日)をAIで論評したものである。
◯従前の紙記録を前提とした処理をそのまま電子化することができない理由の詳細は「従前の紙記録を前提とした実務をそのままでは電子化できない理由」を,mintsを用いた電子申立て・証拠提出・送達の具体的な運用については「mintsの実務解説 弁護士向けQ&A」を参照されたい。
目次
第1 本件文書の位置づけと論評の視点
1 本件文書の性格と射程
本件文書は,司法研修所の民事通常専門研究会(民事訴訟の諸問題2――民事訴訟の将来とAIの活用可能性)で用いられた4頁の講演資料である。
表題は「裁判所のデジタル化の現状と将来(民事訴訟を中心に)」であり,最高裁判所デジタル審議官の職にある者が,民事裁判手続のデジタル化を進める過程で生じたシステム開発上の困難を振り返る内容である。
本件文書は,特定の条文解釈や制度の全体像を体系的に示す文書ではなく,「システム開発はなぜ思うようにいかないのか」という一点に焦点を絞った自己省察である。
したがって,その妥当性は,網羅的な政策文書としてではなく,この限定された目的に照らして評価するのが相当である。本記事も,この観点から検討する。
2 論評に当たり確認した一次資料
本件文書が引用する外部資料は2つである。1つは「裁判所のデジタル化について(裁判所DXのグランドデザイン)(Ver1.0)」(令和4年5月)であり,本件文書3頁にその一部が引用されている。
もう1つは,一場康宏「フェーズ3における運用に関する一考察」(民事訴訟雑誌72号)であり,本件文書は電子記録・電子データによる具体的な業務再構築の検討例として挙げつつ,多角的な議論が必要だとする。
グランドデザインの内容は,最高裁判所が公表する後掲の資料により確認できるため,本記事の検討に反映した。
一場論文は,本件文書の注が「一場康宏・東京地裁部総括判事「フェーズ3における運用に関する一考察」(民事訴訟雑誌72号・本年4月発行予定)」として挙げるものである。民事訴訟雑誌は日本民事訴訟法学会の年刊誌であり,72号は法律文化社から既に刊行されているが,本記事では書誌のみを確認した。
なお,本件文書には裁判例の引用はない。そこで本記事も,法令と公的資料を中心に検討する。
第2 本件文書の要旨
1 システム開発が難航した4つの要因
本件文書は,裁判所のシステム開発における制約・あい路として,次の4点を挙げる。
第1に,公共調達による制約であり,業者やプロジェクトの担当者を自ら選べないとする。
第2に,業者による裁判所の業務理解が困難であることであり,その背景には,訴訟法や教科書では分からない現実の裁判所の業務や個別具体的な事務の積み重ねがあるとする。もっとも,本件文書は,裁判所側での現行業務へのこだわりという点も見られると付言している。
第3に,法施行という時間的制約であり,今回のシステム開発,特にTreeeSの開発は,外部の利用者も全面的に利用するシステムの開発であるため検討項目が著しく広く,時間的制約の下での検討には限界があるとする。
本件文書はTreeeSの定義を置いていないが,最高裁判所事務総局が令和7年7月2日に公示した公募公告の応募要領によれば,裁判所職員が利用する事件情報の管理機能,関連システムとの外部連携機能等を有するe事件管理システムがRoootS(第1次開発。令和6年5月完成)であり,国民が必要な書面を電子提出する機能,当事者・裁判所間のやり取りを電子化する機能,訴訟記録等を電子的に閲覧できる機能等を有するe提出・e記録管理システムがTreeeS(第2次開発)である。本件文書がTreeeSを「外部の方も全面的に利用するシステム」というのは,TreeeSが後者だからである。
第4に,裁判所側での現行業務の再構築が困難であることであり,紙記録から電子記録への転換を契機として必要となる業務の再構築が難しいとする。
2 業務再構築(BPR)の理想と現実
本件文書は,今回のデジタル化に当たり,最高裁が,紙記録を前提としたこれまでの合理化・効率化の延長ではなく,電子記録・電子データを前提とする事務を再構築するという理想を掲げ,開発側と裁判実務側との対話を行いながら開発を進めてきたとする。
本件文書3頁には,その根拠としてグランドデザインの一部が図として引用されている。そこには,利用者(国民・職員)の目線に立ち実務や事務の実情を踏まえたデジタル化を推進すること,デジタル技術を活用した事務の改善(BPR)としてシステム化の前提に現行の事務フローの合理性を検討し事務の標準化や合理化が不可欠であること,裁判所独自のシステムの開発ではなく市販のアプリ・サービス(SaaS)等の利用も検討すること,過度な作り込みをしないシンプルなシステムとすること,必要な機能に絞って開発し安定的に稼働することを確認した上で機能を拡張すること,といった方針が並んでいる。本件文書が後記のとおり機能の優先順位付けができなかったと述べていることは,最高裁自身が令和4年5月に掲げた方針との対比において読むことができる。
しかし現実には,最高裁も裁判実務も,紙記録による現行業務を前にして電子記録による業務を具体的にイメージして合理的かつ効率的な事務を新たに構築することは容易でなく,結局は,現行業務をそのまま新しいシステム上で再現し,それをより簡便に過誤なく行うという発想に陥りがちだと述べる。
その上で本件文書は,理想としては業務再構築や機能の優先順位付けをした上でシステム開発を進めるべきだったが,現実にはそうした進め方は難しく,開発を進めながら可能な対応を繰り返してきたのが実情であり,今なお理想に向けてもがいている最中だとする。
もっとも,現実のシステムが見えつつある最近になって,電子記録・電子データによる事務検討の前提が整いつつあり,新たな業務の再構築に向けてここから先が大事だとして,一場論文を具体的な検討例に挙げつつ,多角的な議論が必要だと結んでいる。
第3 本件文書が前提とする現行法と施行日程
1 民事訴訟手続の全面デジタル化
本件文書が対象とする民事訴訟手続の全面的なデジタル化は,民事訴訟法等の一部を改正する法律(令和4年法律第48号)による。
同改正法は令和4年5月25日に公布され,段階的に施行された。ウェブ会議等による弁論準備手続・和解期日は令和5年3月1日,ウェブ会議による口頭弁論への参加は令和6年3月1日に施行され,オンライン提出・訴訟記録の電子化等を内容とする全面施行は令和8年5月21日である(同改正法附則1条)。
全面施行後の現行民事訴訟法は,フェーズ3の内容を成す各規定を置いている。
オンライン提出については,132条の10が電子情報処理組織を使用してファイルに記録する方法による申立て等を認め,同条3項がファイルに記録された時に到達したものとみなすと定める。132条の11第1項は委任を受けた訴訟代理人その他一定の者に電子提出を義務づけ,同条3項は裁判所の使用に係る電子計算機の故障その他その責めに帰することができない事由がある場合に義務を適用しないとする。審理・記録・送達・裁判の各局面については,87条の2(ウェブ会議による口頭弁論等),91条の2(電磁的訴訟記録の閲覧・複写等),109条の2・109条の3(システム送達とその効力発生時期),252条・253条(電子判決書とこれに基づく言渡し)が定められている。
2 民事訴訟以外の手続と今後の施行
本件文書は民事訴訟を中心とするが,デジタル化は民事裁判手続全体に及ぶ。
民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(令和5年法律第53号)は令和5年6月14日に公布され,民事執行・民事保全・倒産・非訟・家事事件の各手続と,公証人による公正証書作成手続について,全面的なデジタル化を図るものである。同法は公布の日から起算して5年を超えない範囲内において政令で定める日から施行することとされているが,その施行は段階的であり,公証人による公正証書作成手続に関する部分は令和7年10月1日に,ウェブ会議等を利用した期日への参加等に関する部分は令和8年5月21日に,それぞれ既に施行されている。全面施行が令和10年6月までとされているものである。
その結果,オンライン申立て等の対象は段階的に広がる。
令和8年5月21日から全面デジタル化された主要な手続は,民事・行政訴訟事件(控訴・上告等を含む),督促事件,手形・小切手事件,少額訴訟事件,再審事件,人身保護事件及び民事雑事件(移送の申立て,除斥又は忌避の申立て,訴訟救助の申立て,閲覧等制限・秘匿の申立て,文書提出命令の申立て,証拠保全の申立て等)である。利用できる裁判所は最高裁判所及び全ての高等裁判所・地方裁判所・簡易裁判所である。他方,遅くとも令和10年6月から全面デジタル化される主要な手続は,民事保全事件,不動産・債権・動産等の強制執行・担保権実行事件,破産・再生・更生事件,調停事件,非訟事件,仲裁関係事件,発信者情報開示命令事件,DV保護命令申立て事件,労働審判事件,人事訴訟事件及び家事事件(調停,審判等)である。これらは,全面デジタル化前は従来どおり紙で申し立てることとなり,mintsによる電子申立て等は不適法となるので注意を要する(最高裁判所事務総局民事局「民事訴訟フェーズ3に向けた準備の手引」(令和8年6月19日版)45頁)。個別の手続でどの規律が適用されるかは事件の種類と申立ての時期により異なるため,実務では各手続の施行状況を確認する必要がある。
第4 本件文書の説明の正確性と客観資料との整合
1 「紙記録を作り続けている」という指摘の裏付け
本件文書の中心的な指摘は,現行業務をそのまま新システム上で再現しがちであるという点にある。
この指摘は,最高裁判所が公表する資料と整合する。最高裁判所事務総局「裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第11回)」(令和7年7月11日公表)の第2「裁判手続のデジタル化の今とこれからⅡ」は,フェーズ3に先行して令和4年4月から導入された民事裁判書類電子提出システム(mints)について,「現在は、このシステムによっても裁判所において紙の記録を作成しており、この点が改正法の前後で異なる点である」と説明している。同報告書は令和7年7月の公表であり,この記述は全面施行前の状態を述べたものである。同報告書はまた,民事訴訟手続のデジタル化を,単にデジタルツールを取り入れるのではなく,民事訴訟手続の在り方を抜本的に見直す契機とすべきものと位置づけており,本件文書が業務再構築を重視する問題意識と方向を同じくする。
本件文書のいう業務再構築の困難には,構造的な背景がある。
紙記録を前提とした受付・編成・閲覧・送達・保管の各事務は,物理的な紙という単一物を共通の媒介として相互に接続しており,一つの事務だけを電子化しても隣接する事務が紙を前提としたままであれば接合部で紙が残る。mints導入後も裁判所が紙の記録を作成していたことは,この構造を端的に示している。記録の編成・保存を規律する規程通達と現行条文との具体的な対比は別稿「従前の紙記録を前提とした実務をそのままでは電子化できない理由」で扱ったが,この構造を踏まえると,本件文書が業務再構築の困難を強調することには理由がある。もっとも,本件文書は開発の主体自身が作成した文書であり,論評に当たって検証すべきは誇張の有無よりも不足の有無である。本件文書は,開発の困難を一般的な4要因として述べる一方で,その困難が現に生じさせた具体的な帰結,すなわち施行当初のシステムが当初予定されていたTreeeSではなく改修後のmintsとなったこと及びTreeeSの全庁導入が令和9年度中まで先送りされたことには触れていない。読者は,本件文書を,開発の全体像を報告する文書ではなく,開発の困難の一般的要因を整理した文書として読む必要がある。
2 公共調達・時間的制約という要因の位置づけ
本件文書が挙げる公共調達による制約と法施行という時間的制約は,改正法が公布の日から起算して4年以内の施行を予定し(令和8年5月21日に全面施行),外部の利用者も利用するシステムを限られた期間で構築する必要があったという制度上の事情と整合する。
これらを開発難航の要因として挙げること自体に,不自然な点は見当たらない。
もっとも,公共調達による制約は,受注者の責任を軽くするものではない。TreeeSに係る契約書(令和5年4月3日付。件名は民事訴訟手続のデジタル化に係るe提出・e記録管理システムの設計・開発及び賃貸借保守,発注者は最高裁判所支出負担行為担当官最高裁判所事務総局経理局長,受注者は株式会社日立社会情報サービス,契約金額16億1616万4000円)は,第1条において,業務の内容は別紙仕様書等のとおりとした上で,「受注者は、発注者に対し、入札に際して受注者が提出した提案書記載の各提案内容についても、信義に従い、誠実にこれを履行するものとする」と定めている。入札時の提案書が契約内容を構成することを明文化したものである。システム開発では,契約書に開発対象の機能や具体的なスケジュールが記載されず,それらが提案書や見積書に記載されていることが多いから,この定めは,後に開発の範囲や到達点が争われる場面で意味を持つ。裁判例にも,開発業者が注文者と契約書を取り交わした上で,契約締結に先立って提出した提案書の内容に基づくシステム開発を提案し,これを了承した注文者と開発契約を締結したという経緯から,当該提案書は「契約書と一体を成すものと認められる」とし,開発業者は契約書及びこれと一体を成す提案書に従ってシステムを構築し,納入期限までに完成させるべき債務を負っていたと判示したものがある(東京地判平成16年3月10日L05931043)。また同契約第5条は,受注者が業務を第三者に委託し又は請け負わせることを原則として禁じ,書面による発注者の承諾がある場合を例外としている。
もっとも,本件文書は要因の指摘にとどまり,固定された施行期日の下で開発の範囲や機能の優先順位をどのように管理したか,また開発の成否をどのような指標で検証するかには立ち入っていない。
この点は本件文書の目的に照らせばやむを得ないが,読者が本件文書から一般的な教訓を引き出す際には,要因の分析と具体的な対処方針とを区別して読む必要があると考えられる。
3 TreeeSが全面施行に間に合わなかったこと
本件文書は「システム開発はなぜ思うようにいかないのか」を主題としながら,その最も具体的な帰結には触れていない。
最高裁判所事務総局「民事訴訟手続におけるe提出・e記録管理(デジタル化フェーズ3の未施行部分)に対応するシステムについて」(令和7年2月)は,TreeeSにつき,令和7年8月末の完成を目指して開発中であるとしつつ,「RoootSとの連携といった高難度の課題もあり、実務に耐えられるシステムの完成までには、いまだ相応の時間がかかる可能性」があるとする一方,mintsについては安定的に運用されており,その改修も既存システムを前提にするものでリスクが低いとした上で,「フェーズ3(令和8年5月までに法施行)を円滑に実施し、デジタル化を着実に進めていくため、改正法に対応するシステムとして、施行当初は、現在改修中のmintsを予定することとする」と述べている。TreeeSの導入時期は,同文書の時点では「令和9年度頃ないし令和10年度頃を目指したい」とされていた。
その後,最高裁判所事務総局民事局長,同行政局長,同総務局長及び最高裁判所事務総局デジタル審議官から日本弁護士連合会事務総長に宛てた令和8年2月27日付通知により,TreeeSは,名古屋高裁本庁,同地裁(支部を含む。)及び同地裁管内所在の各簡裁において令和9年1月から先行導入し,全庁導入は令和9年度中を目指すこととされた。本件文書は,この通知の8日前に,同じ最高裁判所事務総局デジタル審議官が作成したものである。
したがって,令和8年5月21日の全面施行は,当初予定されていたTreeeSではなく,改修後のmintsによって迎えられた。本件文書が「開発を進めながら可能な対応を繰り返してきた」「今なお,理想に向け,もがいている最中」と述べるのは,この経過を指すものと解される。本件文書の4つの要因のうち,第3の時間的制約と第4の業務再構築の困難は,この帰結において結び付いている。
4 mintsとTreeeSと紙の併存
本件文書が第4の要因として挙げる現行業務の再構築の困難は,裁判所内部の負担としても現れている。
最高裁判所事務総長「苦情の申出に係る対応について(通知)」(令和8年6月11日付・最高裁秘書第2020号)及び最高裁判所事務総長が情報公開・個人情報保護審査委員会に提出した理由説明書(令和7年10月22日付)は,開示申出に係る司法行政文書を,「全司法労働組合が、最高裁に対し、令和7年3月頃、mintsとTreeeSと紙という三つの事件管理方法が併存することについて、職員の負担が増えることがないように要望した際の文書(全司法新聞2443号参照)、及びこれに対する最高裁の考えが書いてある文書」と特定している。
もっとも,最高裁判所は,当該文書を探索したところ存在しなかったとして不開示とし,その理由を,全司法労働組合から最高裁判所に対する要望については書面でされる場合もあれば口頭による場合もあり,それに対する最高裁判所の考えについても同様であることから,当該文書が存在しないことに不合理な点はない,と説明している。したがって,要望の内容そのものが公表資料により確認できるわけではない。もっとも,これらの文書の記載からは,三つの事件管理方法が併存する状況が生じ,それが職員の負担として意識されていたことが窺われる。
現行業務をそのまま新しいシステム上で再現するという発想に陥りがちであるという本件文書の自己認識は,このような併存状況と対応するものといえる。
第5 本件文書が正面から扱っていない論点
1 電子記録化と個人情報・データ利活用
本件文書は,電子記録・電子データの活用やその先のAIの活用可能性を将来の課題として示すが,電子記録化に伴う個人情報保護やデータの取扱いの規律には正面から触れていない。
この論点は,近時の検討及び立法で具体化している。
法務省の民事判決情報データベース化検討会報告書(令和6年7月29日)は,民事裁判情報を機械学習の素材として活用することでAIを用いた予測や法律実務家の文書作成支援に用いる可能性を検討する一方,裁判の公開原則を踏まえて訴訟関係人のプライバシーに係るリスクを丁寧に議論する必要があること,及び民事判決情報を取り扱う情報管理機関に関する規律の必要性を指摘した。
これを受けて,民事裁判情報の活用の促進に関する法律(令和7年法律第49号。令和7年5月30日公布)が,民事裁判情報を処理して第三者に提供する指定法人の制度等を設けた。同法は令和8年1月15日に施行されている(附則1条本文)。もっとも,指定法人が民事裁判情報管理提供業務を実際に行う部分(6条から18条まで等)は,公布の日から起算して2年を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとされており(同条ただし書),本記事の執筆時点では未施行である。附則2条は,指定法人が同業務に係る規定の施行の日前においても,その実施に必要な準備行為をすることができる旨を定める。
また,現行民事訴訟法91条の2は電磁的訴訟記録の閲覧・複写等を定めており,訴訟記録の電子化は,記録の閲覧・複製及び二次利用の局面を従来と異なるものにする。本件文書が重視する業務再構築を実務で敷衍する際には,これらのデータの取扱いに関する枠組みと接続して理解することが有益であると考えられる。
2 利用者側の負担と手続保障
本件文書は開発側の視点からの記述が中心であり,利用者である代理人や本人の負担及び手続保障には多くを割いていない。
しかし,全面施行後の現在,委任を受けた訴訟代理人には電子提出が義務づけられており(民事訴訟法132条の11第1項),システム障害時の取扱いや,本人が手続に関与する場面での支援は,既に現実の課題である。利用者側の負担という点では,法廷や弁論準備手続室等において電磁的訴訟記録等を閲覧し又はウェブ会議に参加するためには私物のモバイルPC等を用意して裁判所に持参する必要があるとされていること(前掲「準備の手引」6頁),住所・氏名等の秘匿の申立て自体は電子申立てが可能であるのに秘匿事項届出書面は書面により提出する必要がありファクシミリによる提出ができないとされていること(同5頁)なども,本件文書が扱っていない事項である。これらの具体的な規律は本件文書ではなく現行法に置かれており,その要点は第6で述べる。
第6 弁護士実務への示唆と参照上の限界
1 電子化がもたらす実務上の変化の要点
本件文書は開発の経緯と課題認識を述べる文書であって,個別の手続要件を示すものではない。もっとも,全面施行後の実務で問題となる要点は,現行法に定められている。
委任を受けた訴訟代理人は電子申立ての義務を負い(民事訴訟法132条の11第1項),書面提出が許されるのは裁判所の使用に係る電子計算機の故障その他その責めに帰することができない事由がある場合に限られる(同条3項)。裁判所のサーバの故障により不変期間を守れなかった場合には訴訟行為の追完(同法97条1項)の余地があり,長期間にわたり手続をすることができない事態では,時効の完成猶予について民法161条による対応が考えられる。システム送達は,送達を受けるべき者が送達すべき電磁的記録に記録されている事項を最高裁判所規則で定める方法により表示をしたものの閲覧をした時,同事項についてその使用に係る電子計算機に備えられたファイルへの記録をした時,又は通知が発せられた日から1週間を経過した時のいずれか早い時に効力を生ずる(同法109条の3第1項)。同条2項は,送達を受けるべき者がその責めに帰することができない事由によって閲覧又は記録をすることができない期間は,同項3号の1週間の期間に算入しない旨を定める。実務上は,控訴期間が,電子判決書を閲覧した時点,ダウンロードした時点又はシステム送達の通知の日から1週間を経過した時点のいずれか早い時点から進行する点に留意を要する(前掲「準備の手引」5頁)。
なお,訴状等の送達は,原則として出力書面による送達であり,原告は,mintsにアップロードされたデータをダウンロードして印刷し,出力書面を作成して裁判所に提出する必要がある。訴状送達前に被告に訴訟代理人が就いた場合や,被告がシステム送達を受ける旨の届出をしている場合などには,システム送達が選択されることが考えられる(前掲「準備の手引」4頁)。全面施行後もこの局面で紙が残ることは,第4の1で述べた構造の現れといえる。また,申立手数料は郵便費用と一本化され,ペイジーにより電子納付することとされた(同3頁)。裁判所のシステムに障害が生じた場合には,それが電子申立て等の義務及び手数料の電子納付義務の例外事由に該当し,書面による申立てや収入印紙の貼付による納付が可能とされている(同46頁・47頁)。
これらを踏まえた事務所内の管理,記録・記録外の区分,補助者の運用,受任時の確認事項といった具体的な運用は,別稿「従前の紙記録を前提とした実務をそのままでは電子化できない理由」及び「mintsの実務解説 弁護士向けQ&A」で扱った。
実務対応は,本件文書ではなく,現行の民事訴訟法及びその下位法令並びに最高裁判所の公表資料により確認することになる。具体的に適用される規律は,民事訴訟規則等の一部を改正する規則(令和6年最高裁判所規則第14号)による改正後の民事訴訟規則,民事事件等に関する手続において用いる識別符号の付与等に関する規則(令和6年最高裁判所規則第15号),民事訴訟費用等に関する規則の改正(令和8年最高裁判所規則第7号)及び民事事件等に関する手続における電子情報処理組織の使用に関する細則(令和7年最高裁判所告示第4号)である。最高裁判所規則はe-Gov法令検索に収録されていないため,裁判所ウェブサイトのPDFにより確認する必要がある。
2 本件文書を実務で参照する際の射程
本件文書の有用性は,フェーズ3のシステムがなぜ現行業務の再現に傾きやすいのかという構造的な理解を与える点にある。
この理解は,弁護士が新しい運用の定着過程で生じる不便や過渡的な対応を評価する際の背景として役立つと考えられる。他方,本件文書からは,完成後のシステムの具体的仕様や利用者側の権利救済の詳細を読み取ることはできない。これらは,現行法令及び最高裁判所の公表資料により別途確認することになる。
第7 出典・参考資料
1 法令
- 民事訴訟法(87条の2,91条の2,97条,109条の2,109条の3,132条の10,132条の11,252条,253条。e-Gov法令検索で現行条文を確認)。
- 民法(161条=天災その他避けることのできない事変による時効の完成猶予)。
- 民事訴訟法等の一部を改正する法律(令和4年法律第48号)附則1条。全面デジタル化及び全面施行日(令和8年5月21日)の根拠。
- 民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(令和5年法律第53号)。民事訴訟以外の民事裁判手続等のデジタル化の根拠。
- 民事裁判情報の活用の促進に関する法律(令和7年法律第49号。令和7年5月30日公布,令和8年1月15日一部施行。指定法人の業務に関する規定は未施行)。指定法人の制度等の根拠。
- 民事訴訟規則等の一部を改正する規則(令和6年最高裁判所規則第14号),民事事件等に関する手続において用いる識別符号の付与等に関する規則(令和6年最高裁判所規則第15号),民事訴訟費用等に関する規則の改正(令和8年最高裁判所規則第7号)及び民事事件等に関する手続における電子情報処理組織の使用に関する細則(令和7年最高裁判所告示第4号)。全面施行後の実務に適用される下位法令。
2 公的資料・立法資料
- 法務省「民事訴訟法等の一部を改正する法律について」。公布日及び段階施行日程の確認。
- 法務省「民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律について」。令和5年法律第53号の内容及び施行時期の確認。
- 最高裁判所事務総局「裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第11回)」(令和7年7月11日公表)第2「裁判手続のデジタル化の今とこれからⅡ」。mintsによっても裁判所が紙の記録を作成している旨,及びデジタル化を手続の在り方の見直しの契機とする位置づけの確認。
- 最高裁判所事務総局民事局「民事訴訟フェーズ3に向けた準備の手引」(令和8年6月19日版)。全面施行日・対象手続の確認。
- 法務省「民事判決情報データベース化検討会報告書」(令和6年7月29日)。AI活用の可能性とプライバシーリスク・情報管理機関の規律に関する検討の確認。
- 衆議院「民事裁判情報の活用の促進に関する法律案」。同法の立案段階の資料(成立後の条文は前記法令欄参照)。
- 最高裁判所「裁判所のデジタル化について(裁判所DXのグランドデザイン)(Ver1.0)」(令和4年5月)。本件文書3頁が引用する方針の確認。
- 最高裁判所事務総局経理局長公募公告(家事事件手続等のデジタル化に伴うe事件管理システム・e提出・e記録管理システムの改修等業務一式)(令和7年7月2日)及び同応募要領。RoootS及びTreeeSの内容並びに開発経過の確認。
- 最高裁判所事務総局「民事訴訟手続におけるe提出・e記録管理(デジタル化フェーズ3の未施行部分)に対応するシステムについて」(令和7年2月)。施行当初のシステムを改修後のmintsとする方針の確認。
- 最高裁判所事務総局民事局長ほかから日本弁護士連合会事務総長宛て「民事裁判手続等のデジタル化に伴い利用する最高裁判所の新システムTreeeSの先行導入に関する通知」(令和8年2月27日付)。TreeeSの先行導入及び全庁導入の時期の確認。
- 最高裁判所事務総長「苦情の申出に係る対応について(通知)」(令和8年6月11日付・最高裁秘書第2020号)及び最高裁判所事務総長の理由説明書(令和7年10月22日付)。三つの事件管理方法の併存に関する記載並びに不開示の理由の確認。
- 民事訴訟手続のデジタル化に係るe提出・e記録管理システムの設計・開発及び賃貸借保守に関する契約書(令和5年4月3日付)。契約金額,提案書の取込み及び下請等の禁止の確認。
3 論評対象・関連資料
- 榎本光宏・最高裁判所デジタル審議官「裁判所のデジタル化の現状と将来(民事訴訟を中心に)」(司法研修所令和7年度民事通常専門研究会4,令和8年2月19日)。本記事の論評対象。
- 一場康宏・東京地裁部総括判事「フェーズ3における運用に関する一考察」民事訴訟雑誌72号(法律文化社)。本件文書が具体的な業務再構築の検討例として引用する文献(本記事では書誌のみ確認)。
- 川﨑直也・小鹿凌平「フェーズ3における運用の検討(1)――電子申立て①」ジュリスト2025年9月号(1614号)(有斐閣Online)。フェーズ3の電子申立ての運用に関する公開論考。同誌の連載は全10回であり,第10回(完)は工藤敏隆「フェーズ3における運用の検討(10・完)」ジュリスト2026年6月号(1624号)である。
- 東京弁護士会「特集 民事裁判手続のIT化の現在とこれから〈前編〉」LIBRA Vol.24 No.4(2024年4月)及び同〈後編〉LIBRA Vol.24 No.5(2024年5月)。弁護士向けの解説。