◯本ブログ記事は,榎本光宏・最高裁判所デジタル審議官「裁判所のデジタル化の現状と将来(民事訴訟を中心に)」(司法研修所令和7年度民事通常専門研究会4,令和8年2月19日)をAIで論評したものである。
◯従前の紙記録を前提とした処理をそのまま電子化することができない理由の詳細は「従前の紙記録を前提とした実務をそのままでは電子化できない理由」を,mintsを用いた電子申立て・証拠提出・送達の具体的な運用については「mintsの実務解説 弁護士向けQ&A」を参照されたい。
目次
第1 本件文書の位置づけと論評の視点
1 本件文書の性格と射程
本件文書は,司法研修所の民事通常専門研究会(民事訴訟の諸問題2――民事訴訟の将来とAIの活用可能性)で用いられた4頁の講演資料である。
表題は「裁判所のデジタル化の現状と将来(民事訴訟を中心に)」であり,最高裁判所デジタル審議官の職にある者が,民事裁判手続のデジタル化を進める過程で生じたシステム開発上の困難を振り返る内容である。
本件文書は,特定の条文解釈や制度の全体像を体系的に示す文書ではなく,「システム開発はなぜ思うようにいかないのか」という一点に焦点を絞った自己省察である。
したがって,その妥当性は,網羅的な政策文書としてではなく,この限定された目的に照らして評価するのが相当である。本記事も,この観点から検討する。
2 論評に当たり確認した一次資料
本件文書が引用する外部資料は2つである。1つは「裁判所のデジタル化について(裁判所DXのグランドデザイン)(Ver1.0)」(令和4年5月)であり,本件文書3頁にその一部が引用されている。
もう1つは,一場康宏「フェーズ3における運用に関する一考察」(民事訴訟雑誌72号)であり,本件文書は電子記録・電子データによる具体的な業務再構築の検討例として挙げつつ,多角的な議論が必要だとする。
グランドデザインの内容は,最高裁判所が公表する後掲の資料により確認できるため,本記事の検討に反映した。
一場論文は日本民事訴訟法学会の年刊誌に掲載された論文であり,本記事では書誌のみを確認した。
なお,本件文書には裁判例の引用はない。そこで本記事も,法令と公的資料を中心に検討する。
第2 本件文書の要旨
1 システム開発が難航した4つの要因
本件文書は,裁判所のシステム開発における制約・あい路として,次の4点を挙げる。
第1に,公共調達による制約であり,業者やプロジェクトの担当者を自ら選べないとする。
第2に,業者による裁判所の業務理解が困難であることであり,その背景には,訴訟法や教科書では分からない現実の裁判所の業務や個別具体的な事務の積み重ねがあるとする。もっとも,本件文書は,裁判所側での現行業務へのこだわりという点も見られると付言している。
第3に,法施行という時間的制約であり,今回のシステム開発,特に事件管理システム(本件文書はこれを「TreeeS」と呼ぶ。)の開発は,外部の利用者も全面的に利用するシステムの開発であるため検討項目が著しく広く,時間的制約の下での検討には限界があるとする。
第4に,裁判所側での現行業務の再構築が困難であることであり,紙記録から電子記録への転換を契機として必要となる業務の再構築が難しいとする。
2 業務再構築(BPR)の理想と現実
本件文書は,今回のデジタル化に当たり,最高裁が,紙記録を前提としたこれまでの合理化・効率化の延長ではなく,電子記録・電子データを前提とする事務を再構築するという理想を掲げ,開発側と裁判実務側との対話を行いながら開発を進めてきたとする。
しかし現実には,最高裁も裁判実務も,紙記録による現行業務を前にして電子記録による業務を具体的にイメージして合理的かつ効率的な事務を新たに構築することは容易でなく,結局は現行業務をそのまま新システム上で再現しがちだと述べる。
その上で本件文書は,理想としては業務再構築や機能の優先順位付けをした上でシステム開発を進めるべきだったが,現実にはそうした進め方は難しく,開発を進めながら可能な対応を繰り返してきたのが実情であり,今なお理想に向けてもがいている最中だとする。
もっとも,現実のシステムが見えつつある最近になって,電子記録・電子データによる事務検討の前提が整いつつあり,新たな業務の再構築に向けてここから先が大事だとして,一場論文を具体的な検討例に挙げつつ,多角的な議論が必要だと結んでいる。
第3 本件文書が前提とする現行法と施行日程
1 民事訴訟手続の全面デジタル化
本件文書が対象とする民事訴訟手続の全面的なデジタル化は,民事訴訟法等の一部を改正する法律(令和4年法律第48号)による。
同改正法は令和4年5月25日に公布され,段階的に施行された。ウェブ会議等による弁論準備手続・和解期日は令和5年3月1日,ウェブ会議による口頭弁論への参加は令和6年3月1日に施行され,オンライン提出・訴訟記録の電子化等を内容とする全面施行は令和8年5月21日である(同改正法附則1条)。
全面施行後の現行民事訴訟法は,フェーズ3の内容を成す各規定を置いている。
オンライン提出については,132条の10が電子情報処理組織を使用してファイルに記録する方法による申立て等を認め,同条3項がファイルに記録された時に到達したものとみなすと定める。132条の11第1項は委任を受けた訴訟代理人その他一定の者に電子提出を義務づけ,同条3項は裁判所の使用に係る電子計算機の故障その他その責めに帰することができない事由がある場合に義務を適用しないとする。審理・記録・送達・裁判の各局面については,87条の2(ウェブ会議による口頭弁論等),91条の2(電磁的訴訟記録の閲覧・複写等),109条の2・109条の3(システム送達とその効力発生時期),252条・253条(電子判決書とこれに基づく言渡し)が定められている。
2 民事訴訟以外の手続と今後の施行
本件文書は民事訴訟を中心とするが,デジタル化は民事裁判手続全体に及ぶ。
民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(令和5年法律第53号)は令和5年6月14日に公布され,民事執行・民事保全・倒産・非訟・家事事件の各手続と,公証人による公正証書作成手続について,全面的なデジタル化を図るものである。同法は公布の日から起算して5年を超えない範囲内において政令で定める日から施行することとされ,令和10年6月までに施行される予定である。
その結果,オンライン申立て等の対象は段階的に広がる。
令和8年5月21日からmintsを利用できるのは,民事・行政訴訟事件(控訴・上告等を含む),督促事件,手形・小切手事件,少額訴訟事件等であり,利用できる裁判所は最高裁判所及び全ての高等裁判所・地方裁判所・簡易裁判所である。人事訴訟手続,家事事件手続,民事保全・強制執行・倒産の各事件等は令和10年6月までに順次対象となる予定であり,それまでは従来どおり書面で申し立てる必要がある。個別の手続でどの規律が適用されるかは事件の種類と申立ての時期により異なるため,実務では各手続の施行状況を確認する必要がある。
第4 本件文書の説明の正確性と客観資料との整合
1 「紙記録を作り続けている」という指摘の裏付け
本件文書の中心的な指摘は,現行業務をそのまま新システム上で再現しがちであるという点にある。
この指摘は,最高裁判所が公表する資料と整合する。裁判の迅速化に関する検証検討会の報告書「裁判手続のデジタル化の今とこれからⅡ」は,フェーズ3に先行して令和4年4月から導入された民事裁判書類電子提出システム(mints)について,現在はこのシステムによっても裁判所において紙の記録を作成しており,この点が改正法の前後で異なる点であると説明している。同報告書はまた,民事訴訟手続のデジタル化を,単にデジタルツールを取り入れるのではなく,民事訴訟手続の在り方を抜本的に見直す契機とすべきものと位置づけており,本件文書が業務再構築を重視する問題意識と方向を同じくする。
本件文書のいう業務再構築の困難には,構造的な背景がある。
紙記録を前提とした受付・編成・閲覧・送達・保管の各事務は,物理的な紙という単一物を共通の媒介として相互に接続しており,一つの事務だけを電子化しても隣接する事務が紙を前提としたままであれば接合部で紙が残る。mints導入後も裁判所が紙の記録を作成していたことは,この構造を端的に示している。記録の編成・保存を規律する規程通達と現行条文との具体的な対比は別稿「従前の紙記録を前提とした実務をそのままでは電子化できない理由」で扱ったが,この構造を踏まえると,本件文書の記述は,開発の遅滞を誇張するものではなく,公表資料によって裏付けられる範囲のものと評価できる。
2 公共調達・時間的制約という要因の位置づけ
本件文書が挙げる公共調達による制約と法施行という時間的制約は,改正法が公布の日から起算して4年以内の施行を予定し(令和8年5月21日に全面施行),外部の利用者も利用するシステムを限られた期間で構築する必要があったという制度上の事情と整合する。
これらを開発難航の要因として挙げること自体に,不自然な点は見当たらない。
もっとも,本件文書は要因の指摘にとどまり,固定された施行期日の下で開発の範囲や機能の優先順位をどのように管理したか,また開発の成否をどのような指標で検証するかには立ち入っていない。
この点は本件文書の目的に照らせばやむを得ないが,読者が本件文書から一般的な教訓を引き出す際には,要因の分析と具体的な対処方針とを区別して読む必要があると考えられる。
第5 本件文書が正面から扱っていない論点
1 電子記録化と個人情報・データ利活用
本件文書は,電子記録・電子データの活用やその先のAIの活用可能性を将来の課題として示すが,電子記録化に伴う個人情報保護やデータの取扱いの規律には正面から触れていない。
この論点は,近時の検討及び立法で具体化している。
法務省の民事判決情報データベース化検討会報告書(令和6年7月29日)は,民事裁判情報を機械学習の素材として活用することでAIを用いた予測や法律実務家の文書作成支援に用いる可能性を検討する一方,裁判の公開原則を踏まえて訴訟関係人のプライバシーに係るリスクを丁寧に議論する必要があること,及び民事判決情報を取り扱う情報管理機関に関する規律の必要性を指摘した。
これを受けて,民事裁判情報の活用の促進に関する法律(令和7年5月23日成立)が,民事裁判情報を処理して第三者に提供する情報管理機関の指定制度等を設けた。
また,現行民事訴訟法91条の2は電磁的訴訟記録の閲覧・複写等を定めており,訴訟記録の電子化は,記録の閲覧・複製及び二次利用の局面を従来と異なるものにする。本件文書が重視する業務再構築を実務で敷衍する際には,これらのデータの取扱いに関する枠組みと接続して理解することが有益であると考えられる。
2 利用者側の負担と手続保障
本件文書は開発側の視点からの記述が中心であり,利用者である代理人や本人の負担及び手続保障には多くを割いていない。
しかし,全面施行後は,委任を受けた訴訟代理人に電子提出が義務づけられ(民事訴訟法132条の11第1項),システム障害時の取扱いや,本人が手続に関与する場面での支援が現実の課題となる。これらの具体的な規律は本件文書ではなく現行法に置かれており,その要点は第6で述べる。
第6 弁護士実務への示唆と参照上の限界
1 電子化がもたらす実務上の変化の要点
本件文書は開発の経緯と課題認識を述べる文書であって,個別の手続要件を示すものではない。もっとも,全面施行後の実務で問題となる要点は,現行法に定められている。
委任を受けた訴訟代理人は電子申立ての義務を負い(民事訴訟法132条の11第1項),書面提出が許されるのは裁判所の使用に係る電子計算機の故障その他その責めに帰することができない事由がある場合に限られる(同条3項)。裁判所のサーバの故障により不変期間を守れなかった場合には訴訟行為の追完(同法97条1項)の余地があり,長期間にわたり手続をすることができない事態では,時効の完成猶予について民法161条による対応が考えられる。システム送達は,閲覧した時,ファイルに記録をした時,又は通知が発せられた日から1週間を経過した時のいずれか早い時に効力を生ずる(同法109条の3第1項)。
これらを踏まえた事務所内の管理,記録・記録外の区分,補助者の運用,受任時の確認事項といった具体的な運用は,別稿「従前の紙記録を前提とした実務をそのままでは電子化できない理由」及び「mintsの実務解説 弁護士向けQ&A」で扱った。
実務対応は,本件文書ではなく,現行の民事訴訟法・民事訴訟規則及び最高裁判所の公表資料により確認することになる。
2 本件文書を実務で参照する際の射程
本件文書の有用性は,フェーズ3のシステムがなぜ現行業務の再現に傾きやすいのかという構造的な理解を与える点にある。
この理解は,弁護士が新しい運用の定着過程で生じる不便や過渡的な対応を評価する際の背景として役立つと考えられる。他方,本件文書からは,完成後のシステムの具体的仕様や利用者側の権利救済の詳細を読み取ることはできない。これらは,現行法令及び最高裁判所の公表資料により別途確認することになる。
第7 出典・参考資料
1 法令
- 民事訴訟法(87条の2,91条の2,97条,109条の2,109条の3,132条の10,132条の11,252条,253条。e-Gov法令検索で現行条文を確認)。
- 民法(161条=天災その他避けることのできない事変による時効の完成猶予)。
- 民事訴訟法等の一部を改正する法律(令和4年法律第48号)附則1条。全面デジタル化及び全面施行日(令和8年5月21日)の根拠。
- 民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(令和5年法律第53号)。民事訴訟以外の民事裁判手続等のデジタル化の根拠。
- 民事裁判情報の活用の促進に関する法律(令和7年成立)。情報管理機関の指定制度等の根拠。
2 公的資料・立法資料
- 法務省「民事訴訟法等の一部を改正する法律について」。公布日及び段階施行日程の確認。
- 法務省「民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律について」。令和5年法律第53号の内容及び施行時期の確認。
- 最高裁判所「裁判手続のデジタル化の今とこれからⅡ」。mintsによっても裁判所が紙の記録を作成している旨,及びデジタル化を手続の在り方の見直しの契機とする位置づけの確認。
- 最高裁判所事務総局民事局「民事訴訟フェーズ3に向けた準備の手引」(令和8年6月19日版)。全面施行日・対象手続の確認。
- 法務省「民事判決情報データベース化検討会報告書」(令和6年7月29日)。AI活用の可能性とプライバシーリスク・情報管理機関の規律に関する検討の確認。
- 衆議院「民事裁判情報の活用の促進に関する法律案」。同法の立案内容の確認。
3 論評対象・関連資料
- 榎本光宏・最高裁判所デジタル審議官「裁判所のデジタル化の現状と将来(民事訴訟を中心に)」(司法研修所令和7年度民事通常専門研究会4,令和8年2月19日)。本記事の論評対象。
- 一場康宏「フェーズ3における運用に関する一考察」民事訴訟雑誌72号。本件文書が具体的な業務再構築の検討例として引用する文献(本記事では書誌のみ確認)。
- 川﨑直也・小鹿凌平「フェーズ3における運用の検討(1)――電子申立て①」ジュリスト2025年9月号(1614号)(有斐閣Online)。フェーズ3の電子申立ての運用に関する公開論考。