第1 松川事件の最高裁判決を読む際の要点
松川事件の第二次上告審である最高裁第一小法廷昭和38年9月12日判決は,上告を棄却した判決である。
無罪とした原判決に対する上告が棄却されたため,無罪判決が確定した。
裁判所が公開する判決全文はPDFで370頁あるが,その大部分を占める下飯坂潤夫裁判官の少数意見は,原判決を破棄して差し戻すべきであるという立場である。
したがって,長い文章の方を最高裁の結論と受け取ると,判断の方向を取り違える。
まず主文を確認し,次に多数意見と各裁判官の個別意見の区切りを確かめてから,自白の信用性やアリバイに関する記述を読む必要がある。
以下の頁数は,裁判所の公開PDFの先頭から数えた実頁を指す。
第2 第一次上告審と第二次上告審の違い
1 昭和34年8月10日の破棄差戻し
最高裁大法廷昭和34年8月10日判決(https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-57786.pdf)の主文は,被告人らに関する原判決部分を破棄し,事件を仙台高等裁判所に差し戻すというものである。
この段階で,最高裁が自ら無罪を言い渡したわけではない。
同判決の主文は公開PDF1頁で確認できる。
2 昭和38年9月12日の上告棄却
最高裁昭和38年9月12日判決の裁判例情報(https://www.courts.go.jp/hanrei/57787/detail2/index.html)は,事件番号を昭和36年(あ)第2378号,事件名を汽車顛覆致死等被告事件(松川事件),原審裁判年月日を昭和36年8月8日と表示している。
法廷は第一小法廷であり,昭和34年の大法廷判決と区別する必要がある。
昭和38年判決の主文は,公開PDF1頁の「本件上告を棄却する。」である。
無罪判決の確定という事件の結果と,最高裁自身が無罪の主文を言い渡したかという手続上の問題は,区別して説明するのが正確である。
第3 370頁の判決文の構成
1 多数意見は1頁から34頁
多数意見の理由は,判例違反,法令違反,実行行為についての事実誤認,自白,工具,アリバイ等の問題を検討している。
34頁では,上告適法の理由に当たらず,刑訴法411条を適用すべきものとも認められないとして,上告棄却の結論につなげている。
自白については,裁判例情報の裁判要旨も,被告人と実行行為を結び付ける証拠が自白のほかになく,その自白に事実に反する点や不合理・不自然な点があって信用性に疑いがある場合には,有罪の証拠とすることが許されないという判断を掲げている。
少数意見だけでなく,多数意見にも証拠評価に関する検討がある。
2 斎藤朔郎裁判官の補足意見は34頁から39頁
斎藤朔郎裁判官の補足意見は,多数意見に付加された説明である。
捜査中の自白と公判廷の自白について,裁判所がその真実性を確かめる手段の違いなどを論じている。
39頁では,合理的な疑いが残る場合の判断と,真犯人まで証明する必要があるかという問題に触れている。
3 下飯坂潤夫裁判官の少数意見は39頁から370頁
下飯坂潤夫裁判官の少数意見は,39頁で始まり,原判決の審理・証拠評価を批判する。
367頁の結語では,審理不尽,理由不備及び重大な事実誤認を指摘し,原判決全部を破棄して原裁判所に差し戻すべきであるとしている。
この意見は,無罪とした原判決を維持する多数意見とは結論を異にする。
また,破棄差戻しを求める意見であって,最高裁が自ら有罪を言い渡した判決でもない。
上記の掲載範囲は,同じ頁の途中で意見が切り替わるため,34頁と39頁が重なっている。
各範囲を足し合わせて判決全文の頁数を計算するものではない。
第4 自白・事実認定と刑訴法411条の適用を読み分ける
1 証拠評価だけを切り出さない
下飯坂少数意見は,自白,実行行為,アリバイ等に関する証拠評価を長く論じている。
しかし,その説明は,原判決を維持できるか,刑訴法411条によって破棄差戻しをすべきかという判断に結び付いている。
単に事実認定の感想を述べた文章として読むのは適切ではない。
多数意見と少数意見の対立を調べる場合は,双方がどの証拠を取り上げ,どの点で評価を異にし,どの手続上の結論を求めているかを対応させて読むと整理しやすい。
少数意見の一節を引用するときも,意見の執筆者と,多数意見と異なる結論に立つことを明示する必要がある。
2 個別意見の長さと裁判所の結論を混同しない
個別意見は,多数意見に採用されなかった考え方や,多数意見を補う説明を知る資料となる。
文章の長さは,その意見が裁判所の結論になったかどうかを決める基準にはならない。
松川事件では,39頁以降の長文を読む前に,1頁の主文と34頁の意見の区切りを確認することが特に重要である。
第5 よくある疑問
1 「上告棄却」なのに,なぜ無罪確定なのか
棄却されたのは,無罪とした原判決に対する上告だからである。
「棄却」という言葉だけで被告人に不利な結果と判断せず,誰がどの判決に対して申し立てた上告なのかを確認する必要がある。
2 下飯坂裁判官の少数意見が最高裁の判断なのか
裁判所が公表した判決文の一部ではあるが,原判決を破棄して差し戻すべきであるとした個別意見である。
上告を棄却した多数意見と同じ判断として紹介することはできない。
3 昭和38年判決は国家賠償請求の判決なのか
昭和38年9月12日判決は,汽車顛覆致死等被告事件についての刑事判決である。
その後の国家賠償請求に関する裁判とは,事件の種類と審理の対象が異なる。
この刑事判決だけを根拠に,国家賠償請求の認容範囲や責任要件まで説明することはできない。
第6 原資料と関連記事
1 裁判所の公開原文
本稿の判決文の構成と各意見の結論は,最高裁昭和38年9月12日判決全文(https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-57787.pdf)の1頁,34頁,39頁,367頁及び370頁を中心に確認したものである。
第一次上告審との違いは,最高裁大法廷昭和34年8月10日判決全文(https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-57786.pdf)1頁の主文に基づく。
2 少数意見の種類と最高裁の審理過程
反対意見,意見及び補足意見の一般的な違いは,最高裁判所裁判官の少数意見(https://yamanaka-bengoshi.jp/2020/05/10/saikousai-iken-hyouji/)で説明している。
事件の分配,調査官の調査,評議及び意見の公表までの制度は,最高裁判所は判決をどう決めるか-大法廷・小法廷・評議・多数意見・少数意見(AI作成)(https://yamanaka-bengoshi.jp/2026/08/24/saikousai-hanketsu-kettei-katei/)を参照されたい。