第1 国際刑事裁判所の所長は誰か
1 赤根智子氏が日本人として初めて所長に選出された
国際刑事裁判所(ICC)の所長は,日本人の赤根智子氏である。
2024年3月11日に裁判官の互選で選出され,日本人として初めてICC所長に就任した。
外務省の2026年10月10日の電話会談の発表でも,赤根氏をICC所長として紹介している。
裁判官としての任期と,所長としての任期は別である。
赤根氏は2018年3月からICC判事を務め,裁判官としての通常の任期は2027年3月までである。
所長の任期は3年間又は裁判官としての任期の終了までの,いずれか早い時までとなる。
本記事では,2026年10月13日に確認した公表資料に基づき,日本人裁判官の経歴,裁判官と所長の選出方法,それぞれの職務を説明する。
ICCの対象犯罪や管轄権の全体像は,国際刑事裁判所(ICC)とは―役割・管轄権・加盟国と日本との関係を参照されたい。
2 裁判官・所長・検察官の違い
ICCは,国家間の紛争を裁く国際司法裁判所(ICJ)とは別の機関である。
また,ICC内部でも,裁判官,所長及び検察官は同じ職務ではない。
| 役職 | 主な職務 | 選出する主体 |
|---|---|---|
| 裁判官 | 裁判部を構成し,逮捕状や公判などの司法上の判断を行う | ローマ規程の締約国会議 |
| 所長・2名の次長 | 裁判所長会議を構成し,検察局を除く裁判所の適正な運営等に責任を負う | ICCの裁判官 |
| 検察官 | 独立した機関である検察局を率い,捜査・訴追を担う | 締約国会議 |
根拠はローマ規程34条,36条,38条,39条及び42条である。
所長が検察官に代わってすべての事件を捜査したり,逮捕状を単独で発付したりする制度ではない。
逮捕状は検察官の請求に基づき予審裁判部が判断するため,報道では誰がどの職務で関与したかを区別する必要がある(58条)。
第2 歴代の日本人裁判官
1 日本人裁判官の一覧
外務省の2026年9月のICC概要は,日本が輩出した裁判官として,齋賀富美子氏,尾﨑久仁子氏及び赤根智子氏の3名を挙げる。
選挙で選ばれた年,裁判官に就任した時点,通常の任期及び任期後の担当事件の継続は,区別して読む必要がある。
| 日本人裁判官 | 選出・就任と任期の読み方 | 主な事項 |
|---|---|---|
| 齋賀富美子氏 | 2007年11月の補欠選挙で選出。2009年1月に再選され,同年4月に逝去 | 日本人初のICC裁判官。人権担当大使等を歴任 |
| 尾﨑久仁子氏 | 2009年に選出,2010年1月20日就任。ICC公式プロフィールの通常任期は2018年3月10日まで | 2015年3月から2018年3月まで第二次長。通常任期後も担当事件に関与 |
| 赤根智子氏 | 2018年3月就任。通常の任期は2027年3月まで | 2024年3月11日,日本人初のICC所長に選出 |
齋賀氏は,外交官として人権・人道分野に携わり,国連女子差別撤廃委員会委員や人権担当大使を務めた。
尾﨑氏については,外務省の第二次長選出時の紹介が,外務省・法務省,大学及び国連薬物犯罪事務所での経歴を示している。
赤根氏は,検事任官後,国連アジア極東犯罪防止研修所所長や国際司法協力担当大使兼最高検察庁検事等を経てICC判事となった。
2 尾﨑氏の「2009~2018年」と「2010年就任」は矛盾するのか
外務省の概要は尾﨑氏の任期を「2009~2018年」と表示する一方,同省の個別紹介は2009年の選出と2010年1月の就任を区別する。
ICC公式プロフィールの上部も,選出を2009年11月18日,任期を2010年1月20日から2018年3月10日,常勤勤務の開始を2010年3月8日と分けている。
したがって,選出年をそのまま就任年とする年表は正確ではない。
ローマ規程36条10項は,第一審裁判部又は上訴裁判部に配属された裁判官について,既に審理が開始した公判又は上訴を完了させるための在職継続を定める。
尾﨑氏の公式プロフィールには,通常任期の終了後である2018年3月から2019年11月までのンタガンダ事件への配属も掲載されている。
通常の任期の終了と,担当事件のための在職継続は別の出来事である。
第3 ICC裁判官はどのように選ばれるか
1 18名の裁判官を締約国会議で選ぶ
ローマ規程36条1項は裁判官を18名とし,外務省の2026年9月の概要も18名と説明している。
裁判官は締約国会議で秘密投票により選ばれる。
同条6項は,出席し投票する締約国の3分の2の多数を得ることと,得票数に関する条件を定める。
候補者の指名と,裁判官としての選出は異なる。
締約国は1回の選挙につき1名の候補者を指名できるが,候補者は必ずしも指名国の国民である必要はなく,いずれかの締約国の国民であることを要する(36条4項)。
同じ国の国民である裁判官が同時に2名在職することはできない(同条7項)。
2 必要な資格・専門分野・言語
裁判官には,高い徳性,公平性及び誠実性と,自国の最高位の司法職に任命されるために必要な資格が求められる(36条3項)。
専門性については,刑事法・刑事手続と関連する実務経験を備える経路と,国際人道法・人権法等の国際法及び裁判所の司法活動に関連する職業上の経験を備える経路がある。
日本の国内裁判官としての経歴だけが唯一の選出経路というわけではない。
少なくとも一つの裁判所の作業言語について,優れた知識と流暢さも求められる。
作業言語は英語及びフランス語である(50条2項)。
選出に当たっては,主要な法体系の代表,公平な地理的代表,男女の公平な代表等にも配慮する(36条8項)。
3 任期は原則9年で,再選には例外がある
裁判官の任期は原則9年で,原則として再選できない(36条9項)。
もっとも,最初の選挙で3年の任期を割り当てられた裁判官や,残任期間が3年以下の欠員補充などには再選の例外がある(36条9項,37条2項)。
前節のとおり,既に始まった公判又は上訴を終えるための在職継続も別に定められている。
第4 なぜ所長は日本人なのか―選出方法と職務
1 日本人であることによって所長に指定される制度ではない
ICC所長は,ICC裁判官による絶対多数の議決で選出される(38条1項)。
赤根氏についても,外務省は18名の裁判官による秘密投票で選出されたと説明している。
日本人に所長職が割り当てられる制度ではなく,裁判官として選出された人物が,さらに裁判官の互選で所長となる。
日本の分担金拠出と,所長の選挙は別の制度である。
外務省の選出時の談話は赤根氏への高い評価を述べているが,各裁判官の投票理由や票数を説明する資料ではない。
国籍や分担金の額だけを理由として,個々の裁判官がなぜ赤根氏へ投票したかを断定することはできない。
2 所長の任期と裁判所長会議の職務
所長及び2名の次長の任期は3年,又は裁判官としての任期の終了までの,いずれか早い時までである。
所長・次長としては1回に限り再選資格があるが,裁判官としての任期が自動的に延長されることを意味しない(38条1項)。
所長と次長が構成する裁判所長会議は,検察局を除く裁判所の適正な運営等に責任を負う。
共通の関心事項では検察官と調整し,その同意を求める一方,検察局は独立した機関として行動する(38条3項・4項,42条1項)。
個別事件の逮捕状や有罪判断は,規程に従った裁判部の手続で行われる。
第5 日本人裁判官は日本政府を代表するのか
ICC裁判官は,職務の遂行に当たって独立することが求められる(40条1項)。
日本政府が候補者を指名し,選挙で支援することと,選出された裁判官が日本政府の指示に従って判決をすることは異なる。
「日本人裁判官」という表現は国籍や日本の人的貢献を示すものであり,日本政府の代理人として裁判を行うという意味ではない。
また,所長が日本人であることだけで,ICCが日本の事件を優先して裁いたり,日本人を特別扱いしたりする制度にはならない。
個別事件では,犯罪類型,時間的・領域的な管轄権,補完性等の要件を確認する必要がある。
日本国内での協力や引渡しは,ICCの逮捕状の効力―誰が逮捕し,なぜ身柄を確保できないのかで説明している。
第6 2026年末の裁判官選挙と日本の候補者
外務省は2025年11月21日,2026年末のICC裁判官選挙に向け,山内由光氏を候補者として指名したと発表した。
発表時の役職は,法務省法務総合研究所国際連合研修協力部長兼国際司法協力担当大使である。
これは裁判官の候補者指名であり,裁判官への当選,所長への選出又は赤根氏の所長職の承継を発表したものではない。
裁判官を選ぶ締約国会議の選挙と,所長を選ぶ裁判官の互選は別々である。
候補者指名の段階で,次の日本人所長が決まったと読むことはできない。
米国によるICC及び関係者への制裁は,役職の選出方法とは別の問題であり,ICCへの米国制裁―理由・対象・影響と日本の対応で扱う。
ICJとの区別は,国際司法裁判所と国際刑事裁判所の違いを参照されたい。
第7 出典・参考資料
①外務省「赤根智子ICC判事の裁判所長選出について」(2024年3月11日)。赤根氏の経歴,所長の選挙・任期・職務。
②外務省「茂木外務大臣と赤根ICC所長の電話会談」(2026年10月10日)。同時点の役職の確認。
③外務省「ICCの概要」(2026年9月,1頁)。裁判官の人数,日本人裁判官及び日本の貢献。
④外務省「齋賀富美子ICC裁判官の逝去について」(2009年4月25日)。選出,再選及び経歴。
⑤外務省「尾崎久仁子ICC裁判官の裁判所第二次長選出について」(2015年3月12日)及びICC「Judge Kuniko Ozaki」。選出・就任・通常任期・事件配属。
⑥外務省「ICC裁判官選挙への山内氏の候補者指名」(2025年11月21日)。候補者指名と予定された選挙。
⑦外務省「国際刑事裁判所に関するローマ規程」及び国連掲載のローマ規程本文。特に34~42条,50条及び58条。
国連掲載本文は1998年採択の規程の訂正文であり,すべての後年の改正を含む最新統合版ではない。
本記事では,上記の裁判官の資格・選挙・職務等に関する条項を参照している。