第1 売っていない株式にも所得税が生じ得る
国外転出時課税は,一定の居住者が国外転出をする場合に,所有する有価証券等を譲渡したものとみなし,含み益に所得税を課す制度である。
対象となる株式を実際に売却していなくても申告と納税が必要となり得るため,移住前に資産と期限を確認する必要がある。
同じ仕組みは,一定の居住者から非居住者へ対象資産を贈与し,又は相続・遺贈によって移転する場合にも設けられている。贈与者又は被相続人本人が海外へ移住しなくても,検討が必要になる点が重要である。
これは,出国時に航空券等を通じて徴収される国際観光旅客税とは別の制度である。
第2 対象者と対象資産を判定する
1 1億円以上と国内居住期間の要件
所得税法60条の2・60条の3は,対象資産の価額等の合計額が1億円以上であることと,原則として直前10年以内に国内に住所又は居所を有していた期間の合計が5年を超えることを要件としている。
1億円は含み益の金額ではなく,対象資産の価額等の合計額で判定する。ちょうど1億円の場合も対象となり得る。
在留資格による期間除外があるため,国内居住年数を単純に合算してはならない。出入国管理法別表第一の上欄の在留資格で在留した期間や,別表第二の在留資格で在留した平成27年6月30日以前の期間について,法令・経過措置を確認する必要がある。
相続税・贈与税の納税義務者の判定とは異なる要件であり,国籍,住所履歴及び在留資格をそれぞれ整理すべきである。
2 株式,投資信託,匿名組合持分と未決済取引
対象資産は,有価証券,匿名組合契約の出資持分,未決済の信用取引・発行日取引及び未決済のデリバティブ取引である。国内保有か国外保有かだけで対象を限定しない。
預金や不動産の価額を,この制度の1億円判定にそのまま加えるものではない。他方,非上場株式も確認対象であり,「証券会社の口座には1億円ない」という理由だけで判定を終えてはならない。
NISA口座内の上場株式等も,対象資産の価額の判定から当然に除外されるわけではない。国税庁のFAQは,譲渡による所得が非課税となる一定の有価証券も対象資産に含むと説明している。1億円の判定と,実際に課税される所得の計算を分ける必要がある。
株式報酬に係る一定の有価証券には対象外となるものがあるため,ストック・オプションや譲渡制限付株式は契約内容と法令上の要件を確認する。
3 評価日と資料
国外転出日以後に申告する場合と,転出前に申告する場合では,評価時点が異なる。転出前に申告する場合には,原則として転出予定日の3か月前の価額等を用いる仕組みがある。
その後に取得した資産の扱いも含め,対象資産の明細を作成し,非上場株式の評価,取得価額,為替換算及び未決済取引の損益を確認する。申告直前に残高証明書だけを集める方法では,取得費や評価日の資料が不足し得る。
第3 海外移住する本人の申告と納税管理人
国外転出の時までに納税管理人の届出をした場合は,転出した年分の確定申告期限までに,通常の所得と国外転出時課税による所得を含めて申告・納税する。
納税管理人を届け出ずに転出する場合は,国外転出の時までに,その年の1月1日から転出時までの所得について準確定申告と納税を行う必要がある。
納税管理人を決めるのが転出後でよいと考えていると,申告期限と納税猶予の選択に影響する。
納税管理人は,申告書の提出や税務署との手続を担うための制度である。委任したことだけで本人の納税義務が免除されるわけではなく,連絡方法,資料の受渡し及び継続届出の担当も決めておくべきである。
第4 海外在住者へ贈与する場合
一定の居住者が非居住者へ対象資産を贈与すると,贈与対象資産を贈与時に譲渡したものとみなして,贈与者の所得税を計算する。
対象者かどうかの1億円判定は,贈与する部分だけでなく,贈与者が所有等している対象資産全体について行う。少額の株式贈与であっても,贈与者の資産全体によって適用が問題となる。
贈与者は,贈与した年分の確定申告期限までに,この所得を他の所得と併せて申告・納税する必要がある。
受贈者の贈与税は別に判定する。海外在住の子へ日本株を贈与する場面では,「子の贈与税だけ」を検討するのでは足りない。
第5 海外在住者が相続・遺贈で取得する場合
一定の居住者が死亡し,非居住者の相続人等が対象資産の全部又は一部を取得した場合,取得される相続対象資産を相続開始時に譲渡したものとみなして,被相続人の所得税を計算する。
1億円の判定は被相続人の対象資産全体について行う一方,課税対象となる移転は非居住者が取得する対象資産について検討する。相続人全員が海外在住であることは要件ではない。
相続人は,相続開始があったことを知った日の翌日から4か月を経過した日の前日までに,この所得を含む準確定申告と納税をする必要がある。
相続税の申告期限は,通常,相続開始を知った日の翌日から10か月以内であるが,それを待って被相続人の所得税を検討してはならない。
未分割の場合の資産帰属,遺産分割による変更,納税猶予及び課税の取消しは,申告期限と併せて早期に検討する必要がある。
国際裁判管轄,準拠法及び現地の相続手続は,外国籍・国外財産がある相続と遺言―国際裁判管轄・準拠法・反致・遺言方式で整理している。
第6 納税猶予は免税ではない
1 原則5年,延長により最長10年
所定の申告,書類の添付及び担保の提供等によって,国外転出時課税による所得税について原則5年間,延長届出によって最長10年間の納税猶予を受ける制度がある。
本人の国外転出では,転出時までの納税管理人の届出が必要である。贈与の場合と相続の場合には,それぞれ固有の手続があるため,本人の転出用の届出手順をそのまま流用しない。
相続の場合は,相続対象資産を取得した非居住者の相続人等全員が,準確定申告期限までに原則として連署した一の書面で納税管理人を届け出ること等が必要となる。
2 毎年の届出,資産移転と利子税
猶予期間中も,各年の12月31日に所有等している適用資産について,翌年3月15日までに継続適用届出書を提出する必要がある。
対象資産の売却・決済又は贈与によって猶予税額の一部が確定し,継続届出の不提出や納税管理人に関する一定の事由等によって全体が確定する場合がある。手続を受けた年だけで管理を終えてはならない。
猶予税額を納付する場合には,猶予期間に応じた利子税も問題となる。担保の維持,売却時の届出,納期限及び資金計画を一緒に管理すべきである。
3 帰国時の取消しも自動ではない
本人が一定期間内に帰国し,引き続き所有している対象資産等については,課税を取り消す仕組みがある。ただし,所定の要件を満たし,帰国の日から4か月以内に更正の請求又は修正申告を行う必要がある。
納税猶予,帰国による取消し,価額下落による減額及び外国税額控除は別の制度・手続である。「帰国予定があるから申告しなくてよい」とはならない。
第7 弁護士・税理士が初動で共有する事項
海外移住予定日,贈与予定日又は死亡日を起点として,対象者の住所履歴,在留資格と国内居住期間,取得者の居住者区分及び資産一覧をそろえる。
資産一覧には,国内外の保管先,資産種類,数量,評価日,時価,取得費及び未決済取引を記載する。会社の持分や非上場株式を保有している場合は,評価担当者と資料の準備期間も確保する。
弁護士が贈与契約・遺言・遺産分割を起案する際は,資産を取得する人の居住者区分を税理士に伝え,所得税と贈与税・相続税の双方を確認する。税理士は,申告期限,納税管理人,担保及び継続届出を具体化し,現地専門家との検討が必要な事項を特定する。
売却していない資産への課税では納税資金が不足し得るため,契約の実行又は出国の直前まで資金計画を先送りしないことが重要である。
第8 一次資料
本稿は令和8年10月10日に確認した現行法令及び国税庁の公表資料に基づく。国税庁のFAQは令和5年6月改訂版であり,制度の詳細を参照する際は現行条文及び令和8年4月1日現在のタックスアンサーと併せて確認する。
外国での実際の売却時の課税,取得費の引継ぎ,外国税額控除及び租税条約の適用は,相手国と取引時点ごとに確認する必要がある。
– 所得税法60条の2・60条の3・137条の2等
– 所得税法施行令170条等
– 国税庁No.1478 国外転出をする場合の譲渡所得等の特例
– 国税庁No.1467 贈与により非居住者に資産が移転した場合の譲渡所得等の特例
– 国税庁No.1468 相続又は遺贈により非居住者に資産が移転した場合の譲渡所得等の特例
– 国税庁 国外転出時課税制度・各種様式・FAQ
– 国税庁No.2022 納税者が死亡したときの確定申告(準確定申告)
– 国税庁No.4205 相続税の申告と納税