第1 この記事の対象と結論
1 この記事の対象
(1) 問題となる場面
被相続人が自分を保険契約者・被保険者とし,相続人の一人を死亡保険金受取人とする生命保険に加入していた場合,受取人になった相続人だけが多額の保険金を受け取り,他の相続人との間に不公平が生じることがある。
遺産分割の場面で,他の相続人がその保険金を特別受益として持ち戻すべきだと主張することは多い。
本記事は,最高裁判所がこの問題について示した判断の枠組みと,その後に持戻しを認めた例・認めなかった例を整理する。
(2) 本記事の資料と基準日
本記事は,令和8年9月25日時点でe-Gov法令検索に掲載されている民法・相続税法の条文,裁判所ウェブサイトに掲載された最高裁判所の裁判例及び判例秘書で全文を確認した下級審の裁判例に基づいて整理したものである。
下級審の3件はいずれも裁判所ウェブサイトに掲載されていないので,判例秘書の判例番号を併記する。
2 結論の要約
死亡保険金請求権は,受取人の固有の権利であり,原則として民法903条1項の特別受益に当たらない。
ただし,保険金受取人である相続人と他の相続人との間の不公平が到底是認することができないほど著しいと評価すべき特段の事情があれば,同条の類推適用により,保険金が特別受益に準じて持戻しの対象となる。
特段の事情の有無は,保険金の額,その額の遺産の総額に対する比率,同居の有無や介護等への貢献の度合いなどの被相続人との関係,各相続人の生活実態等を総合して判断される。
下級審では,保険金が遺産の総額とほぼ同額であった例と,婚姻期間の短い妻の特別受益額が遺産の約61%に当たった例で持戻しが認められ,遺産の6%余りにとどまり,受取人が被相続人と長年同居して入通院の世話をしていた例では認められなかった。
第2 最高裁平成16年10月29日決定
1 事案
最高裁判所第二小法廷平成16年10月29日決定(平成16年(許)第11号,民集58巻7号1979頁)は,両親(決定文では甲・乙)の遺産分割について,子の一人が受け取った死亡保険金が特別受益に当たるかが争われた事案である。
遺産分割の対象として残っていた土地の評価額は,第1審の鑑定の結果によれば合計1149万円であった。
受取人となった子は,乙を保険契約者・被保険者とする2口の養老保険について,合計約574万円(500万2465円と73万7824円)の死亡保険金を受け取っていた。
この子は,甲・乙のために自宅を増築して甲・乙を住まわせ,認知症の状態になった甲の介護を乙が行うのを手伝っていた。
他の子らは,両親と同居していなかった。
2 判示
同決定は,被相続人が自己を保険契約者及び被保険者とし,共同相続人の一人又は一部の者を保険金受取人と指定して締結した養老保険契約に基づく死亡保険金請求権は,保険金受取人が自らの固有の権利として取得するのであって,保険契約者又は被保険者から承継取得するものではなく,これらの者の相続財産に属するものではないとした。
また,死亡保険金請求権は,被保険者が死亡した時に初めて発生するものであり,保険契約者の払い込んだ保険料と等価関係に立つものではなく,被保険者の稼働能力に代わる給付でもないから,実質的に保険契約者又は被保険者の財産に属していたものとみることはできないとした。
その上で,死亡保険金請求権又はこれを行使して取得した死亡保険金は,民法903条1項に規定する遺贈又は贈与に係る財産には当たらないとした。
もっとも,同決定は,保険料は被相続人が生前保険者に支払ったものであり,被相続人の死亡により保険金受取人である相続人に死亡保険金請求権が発生すること等に鑑み,「保険金受取人である相続人とその他の共同相続人との間に生ずる不公平が民法903条の趣旨に照らし到底是認することができないほどに著しいものであると評価すべき特段の事情が存する場合には,同条の類推適用により,当該死亡保険金請求権は特別受益に準じて持戻しの対象となると解するのが相当である。」とした。
3 特段の事情の考慮要素
同決定は,特段の事情の有無について,「保険金の額,この額の遺産の総額に対する比率のほか,同居の有無,被相続人の介護等に対する貢献の度合いなどの保険金受取人である相続人及び他の共同相続人と被相続人との関係,各相続人の生活実態等の諸般の事情を総合考慮して判断すべきである。」とした。
同居の有無と介護等への貢献の度合いは,被相続人との関係を示す事情の例として挙げられている。
比率だけで機械的に決まるものではない。
4 当てはめ
同決定は,保険金の額,遺産分割の対象となった土地の評価額,経緯からうかがわれる遺産の総額,当事者と被相続人らとの関係及び当事者の生活実態等に照らすと,特段の事情があるとまではいえないとし,持戻しを認めなかった原審の判断を結論において是認した。
第3 下級審の判断例
1 肯定例①:保険金が遺産の総額とほぼ同額だった例
東京高等裁判所平成17年10月27日決定(平成16年(ラ)第1447号,家庭裁判月報58巻5号94頁,裁判所ウェブサイト未掲載,判例秘書L06020755)は,受取人となった相続人が受け取った死亡保険金を持戻しの対象とした。
この相続人は,被相続人が契約した2口の生命保険(保険金額各5000万円)の受取人となり,合計1億0129万円(1万円未満切捨て)の保険金を受領していた。
遺産の総額は,相続開始時の評価額で1億0134万円であった。
同決定は,受取人が遺産の総額に匹敵する巨額の利益を得ていること,受取人の変更がされた時期やその当時受取人が被相続人と同居しておらず,被相続人夫婦の扶養や療養介護を託するといった明確な意図の下に変更がされたと認めることも困難であることを挙げた。
その上で,それぞれの相続人が別に各1000万円の生命保険金を受け取っていたことや,生活実態及び被相続人との関係の推移を総合考慮しても,特段の事情が存することが明らかであるとした。
持戻しの対象とされた額は,受領した保険金の額である1億0129万円であった。
2 肯定例②:婚姻期間の短い妻が保険金を受け取った例
名古屋高等裁判所平成18年3月27日決定(平成17年(ラ)第146号,家庭裁判月報58巻10号66頁,裁判所ウェブサイト未掲載,判例秘書L06120495)は,死亡保険金を民法903条の類推適用により持戻しの対象とした。
相続人は,平成11年1月6日に被相続人と婚姻した妻と,被相続人と先妻との間の長女・長男の3人であり,被相続人は平成14年5月31日に死亡した。
遺産の相続開始時の合計額は8423万4184円であり,妻の特別受益額として5154万0846円が加算された。
この額は遺産の合計額の約61%に当たり,同決定は,特別受益についての判断を原審判の説示によるとした上で,その中の「59パーセント」を「61パーセント」と改めている。
本記事で確認した抗告審の決定文には原審判の説示そのものは載っておらず,5154万0846円と保険金額・保険料額との関係は,決定文からは読み取れなかった。
みなし相続財産は,遺産の合計額に妻・長女・長男の各特別受益額を加えた1億4084万7691円とされ,妻の具体的相続分は,これに法定相続分2分の1を乗じた額から5154万0846円を控除した1888万3000円とされた。
3 否定例:保険金が遺産の6%余りにとどまった例
大阪家庭裁判所堺支部平成18年3月22日審判(平成16年(家)第574号・第1900号,家庭裁判月報58巻10号84頁,裁判所ウェブサイト未掲載,判例秘書L06160012)は,被相続人を被保険者とし,二男を受取人とする簡易保険の死亡保険金合計428万9134円について,持戻しの対象とすべきであるとはいえないとした。
同審判は,簡易保険契約に基づき受取人とされた相続人が取得する死亡保険金も,民法903条1項の遺贈又は贈与に係る財産に当たらないとした。
その上で,保険金の額が相続財産の額6963万8389円の6パーセント余りにすぎないこと,二男が長年被相続人と生活を共にし,入通院時の世話をしていたこと等を挙げ,特段の事情があるとは認め難いとした。
4 3件の比較
| 裁判例 | 保険金の額と遺産に対する割合 | 受取人と被相続人の関係 | 結論 |
|---|---|---|---|
| 東京高決平成17年10月27日 | 約1億0129万円,遺産の総額とほぼ同額 | 受取人変更の当時は同居しておらず,扶養・療養介護を託する意図も認め難い | 持戻しあり |
| 名古屋高決平成18年3月27日 | 妻の特別受益額約5154万円,遺産の約61% | 婚姻から被相続人の死亡まで約3年5か月の妻 | 持戻しあり |
| 大阪家堺支審平成18年3月22日 | 約429万円,遺産の6%余り | 長年同居し,入通院時の世話をしていた二男 | 持戻しなし |
| 最高裁平成16年10月29日決定 | 約574万円(遺産分割の対象の土地は1149万円) | 自宅を増築して両親と同居し,介護を手伝った子 | 持戻しなし |
割合が大きいほど持戻しが認められやすいことは読み取れるが,いずれの裁判例も,割合だけでなく,同居・介護の有無や受取人とされた経緯を併せて判断している。
どの程度の割合から特段の事情が認められるかという一律の基準は示されていない。
第4 持戻しの対象となった場合の計算
特段の事情が認められた場合に,保険金の額と払い込まれた保険料の額のどちらを持ち戻すかについて,最高裁平成16年決定は述べていない。
前記の東京高裁平成17年決定は,受領した保険金の額を持戻しの額としている。
持戻しの計算自体は,通常の特別受益と同じく,遺産の価額に特別受益の額を加えたものを相続財産とみなし,各相続人の相続分からその者の特別受益の額を控除する方法による(民法903条1項)。
特別受益の額が相続分の額以上であるときは,その相続人は遺産から取得することができない(同条2項)。
被相続人が持戻しを免除する意思を表示していれば,その意思に従う(同条3項)。
第5 周辺の論点
1 遺留分との関係
最高裁判所第一小法廷平成14年11月5日判決(平成11年(受)第1136号,民集56巻8号2069頁)は,自己を被保険者とする生命保険契約の契約者が死亡保険金の受取人を変更する行為は,平成30年改正前の民法1031条に規定する遺贈又は贈与に当たるものではなく,これに準ずるものということもできないとした。
そのため,死亡保険金は,原則として遺留分を算定するための財産の価額(民法1043条1項)に含まれないと考えられる。
特別受益について示された特段の事情の考え方が遺留分の算定にも及ぶかについて,最高裁判所の判断は本記事では確認できなかった。
遺留分侵害額の計算で死亡保険金をどう扱うかは,遺留分侵害額請求の計算方法と請求を受けた側の対応で説明している。
2 相続税の扱いとは別の問題である
特別受益に当たるかどうかは民法上の遺産分割の問題であり,相続税の計算とは別である。
被相続人が保険料を負担した死亡保険金は,特別受益に当たらなくても相続又は遺贈により取得したものとみなされ(相続税法3条1項1号),相続人が受け取った分には「500万円×法定相続人の数」の非課税枠がある(同法12条1項6号)。
逆に,特別受益に準じて持ち戻された場合でも,非課税枠の適用は変わらないと考えられる。
3 受取人の変更の時期と経緯
東京高裁平成17年決定は,受取人の変更がされた時期と,その当時の同居の有無や変更の意図を考慮した。
被相続人が亡くなる少し前に,同居していない相続人へ受取人を変更したような場合は,特段の事情を基礎付ける事情として主張されやすい。
遺言による受取人の変更は,遺言による生命保険金受取人の変更で説明している。
第6 主張・立証の進め方
1 持戻しを求める側
①保険契約の内容(保険契約者,被保険者,受取人,保険金額,受取人の変更の時期)を明らかにする。
②遺産の総額を,相続開始時の評価額で示す。
③保険金の額の遺産の総額に対する割合を計算する。
④受取人と被相続人の同居の有無,介護等への貢献の度合い,他の相続人の生活実態を具体的に主張する。
保険契約の有無が分からないときは,生命保険契約照会制度を利用することが考えられる。
特別受益全般の主張・立証の方法は,特別受益を効率よく主張・立証する方法で説明している。
2 持戻しを争う側
①保険金の額が遺産の総額に比べて大きくないことを示す。
②被相続人と同居し,療養看護や生活の支援をしていた事実を,介護記録,入通院の付添いの記録等で示す。
③受取人とされた経緯(被相続人が扶養や療養介護を託する意図で指定したこと等)を示す。
3 生前に保険を使って特定の相続人へ多く残したいとき
生前の対策として,特定の相続人を受取人とする終身保険を使う場合の注意点は,余命宣告を受けた後に特定の相続人へ多くのお金を残す方法で説明している。
健康状態の告知が要らない一時払終身保険でも,入院中の人や余命宣告を受けた人の申込みを引き受けないと明記している商品が多いので,保険を使った対策は健康なうちに検討しておく必要がある。
第7 出典
1 法令
① e-Gov法令検索・民法(903条,1043条)
② e-Gov法令検索・相続税法(3条,12条)
2 裁判例
① 最高裁判所第二小法廷平成16年10月29日決定(平成16年(許)第11号,民集58巻7号1979頁)
② 最高裁判所第一小法廷平成14年11月5日判決(平成11年(受)第1136号,民集56巻8号2069頁)
③ 東京高等裁判所平成17年10月27日決定(平成16年(ラ)第1447号,家庭裁判月報58巻5号94頁,裁判所ウェブサイト未掲載,判例秘書L06020755)
④ 名古屋高等裁判所平成18年3月27日決定(平成17年(ラ)第146号,家庭裁判月報58巻10号66頁,裁判所ウェブサイト未掲載,判例秘書L06120495)
⑤ 大阪家庭裁判所堺支部平成18年3月22日審判(平成16年(家)第574号・第1900号,家庭裁判月報58巻10号84頁,裁判所ウェブサイト未掲載,判例秘書L06160012)