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第1 この記事の対象と判断の順序
1 診断名だけでは等級は決まらない
交通事故による腕神経叢損傷は,頸部から上肢へ向かう複数の神経が損傷し,肩,肘,手関節及び手指にまたがる運動麻痺,感覚障害及び神経障害性疼痛を生じ得る外傷である。本記事は,成人の外傷性腕神経叢損傷による麻痺を対象とし,分娩麻痺,腫瘍性病変及び医原性損傷は対象外とする。
後遺障害等級は,「腕神経叢麻痺」という診断名それ自体に対応して一律に決まるものではない。損傷の存在と事故との因果関係を確認した上で,残った機能障害を肩,肘,手関節,手指又は神経症状という器官別の基準に当てはめる必要がある。
2 四つの段階を分けて検討する
実務上は,①事故による外傷があったか,②神経根,神経幹又は末梢神経のどこに障害があるか,③症状固定時にどの運動・感覚機能が残っているか,④その残存障害をどの等級項目で評価するか,という順序で検討すると混乱しにくい。
この順序を飛ばし,画像に異常がないから損傷はない,筋力低下があるから直ちに上肢の用廃である,などと結論付けることは適切でない。本記事は一般的な制度及び医学的知見を示すものであり,個別事案については診療記録,画像・電気生理検査の原データ及び事故態様に基づく検討が必要である。
第2 腕神経叢損傷の医学的な位置づけ
1 C5からT1までの神経が上肢を支配する
腕神経叢は,通常,C5からT1までの脊髄神経前枝が神経根,神経幹,分枝,神経束を経て,腋窩神経,筋皮神経,橈骨神経,正中神経及び尺骨神経等へ分かれる構造である。このため,一つの単神経障害とは異なり,肩外転,肘屈曲,手関節運動及び手指運動が異なる組合せで障害される。
上位型では主としてC5・C6領域の肩及び肘の運動,下位型では主としてC8・T1領域の手指運動及び手部感覚,全型では上肢全体が問題となる。ただし,実際の外傷は境界どおりに分かれるとは限らず,不全損傷,重複支配及び回復過程も考慮しなければならない。
2 節前損傷と節後損傷を区別する
後根神経節より中枢側の神経根引抜き損傷は節前損傷,それより末梢側の断裂又は伸展損傷は節後損傷と呼ばれる。節前損傷では自然再生が期待しにくく,節後損傷では損傷の程度により軸索再生の余地があるため,治療方針と予後の双方に関係する。
節前損傷では,感覚消失があるのに感覚神経活動電位が保たれること,傍脊柱筋に脱神経所見があること,Horner徴候があること等が局在を考える手掛かりとなる。もっとも,いずれも単独で全例を確定できる所見ではなく,診察,画像,神経伝導検査,針筋電図及び手術所見を組み合わせて判断する。
3 疼痛と鑑別診断も別に評価する
腕神経叢損傷では,筋力低下だけでなく,しびれ,灼熱痛,電撃痛等の神経障害性疼痛が残ることがある。他方で,頸髄損傷,頸椎神経根症,肩腱板損傷,骨折後拘縮,単神経障害,胸郭出口症候群,CRPS及び機能性神経症状でも,上肢の運動・感覚障害が生じ得る。
したがって,筋力,腱反射,感覚分布,筋萎縮及び電気生理所見が,想定される神経根・神経幹の支配と整合するかを確認する必要がある。「器質的な腕神経叢損傷が証明されないこと」と,「現にある症状が事故と無関係であること」は別の問題である。
第3 後遺障害等級の選び方
1 全型完全麻痺では一上肢の用廃が問題となる
自動車損害賠償保障法施行令別表第二は,一上肢の用を全廃したものを5級6号と定める。厚生労働省の労災障害認定基準は,肩,肘及び手関節の三大関節の全ての用を廃し,かつ,手指の全部の用を廃した状態を一上肢の用の全廃とし,完全な腕神経叢麻痺をこの例に含めている。
もっとも,この労災基準は自賠責の内部基準そのものではない。自賠責でも施行令上の等級項目に残存機能を当てはめる以上,完全麻痺か不完全麻痺か,三大関節及び手指に実用的な自動運動が残るかを個別に確認する必要がある。
2 不完全麻痺は器官別に評価する
末梢神経麻痺について,労災障害認定基準は,その神経が支配する器官の機能障害として等級を認定する。不完全腕神経叢麻痺について,筋力と知覚の合計点だけから一律に等級を決める公表済みの統一基準は確認できず,残った機能を器官別に評価することが基本となる。
| 主な残存障害 | 検討対象となる代表的等級 | 確認の中心 |
|---|---|---|
| 一上肢全体の完全な用廃 | 5級6号 | 三大関節と全手指の実用的機能 |
| 三大関節中二関節の用廃 | 6級6号 | 関節ごとの自動運動と原因 |
| 三大関節中一関節の用廃 | 8級6号 | 同上 |
| 三大関節中一関節の著しい機能障害 | 10級10号 | 原則として健側可動域の2分の1以下 |
| 三大関節中一関節の機能障害 | 12級6号 | 原則として健側可動域の4分の3以下 |
| 手指の用廃 | 7級以下の各手指等級 | 屈伸,母指対立及び対象手指数 |
| 頑固な神経症状 | 12級13号 | 医学的に証明できる局在と症状 |
| 神経症状 | 14級9号 | 医学的に説明できる症状の一貫性 |
3 弛緩性麻痺では自動可動域が重要となる
関節機能障害は通常,他動可動域を基礎に評価する。しかし,厚生労働省の公表基準は,末梢神経損傷による弛緩性麻痺では他動運動が障害の実態を表さないため,自動可動域を用いるとしている。関節そのものは他人が動かせても,本人が筋力で動かせない場合を見落とさないためである。
その一方で,疼痛回避,固定後拘縮又は肩関節自体の損傷による制限が混在する場合は,神経麻痺だけを原因とする自動運動障害と区別する必要がある。肩関節の基準角度,主要運動と参考運動及び代償動作については,肩関節の可動域制限と後遺障害12級6号で詳述している。
4 関節,手指及び疼痛の重なりを整理する
同じ神経損傷から肩,肘,手関節及び手指の障害が生じた場合でも,機械的に全ての等級を足すわけではない。各障害が別個の機能障害であるか,一つの上位等級に通常含まれる派生関係であるかを確認し,施行令2条の併合規定に従って最終等級を整理する。
関節又は手指の機能障害として評価できる場合に,同じ麻痺症状を重ねて12級13号又は14級9号として二重評価することはできない。他方で,機能障害の等級に吸収されない独立した神経障害性疼痛があると主張する場合は,局在,程度及び生活上の支障を別途検討する余地がある。
第4 MRI,神経伝導検査及び筋電図の読み方
1 MRI陰性だけでは腕神経叢損傷を除外できない
成人外傷性腕神経叢損傷の神経根引抜きについて,11研究275人を統合した研究は,MRIの感度を93%,特異度を72%と推定した。しかし,各研究の偏りが大きく,MRI技術及び判定方法も同一ではなかった。別の成人35人の前向き研究では,感度39%,特異度75%であり,MRIの成績は研究間で大きく異なる。
したがって,MRIの異常所見は重要であるが,陰性所見だけで損傷を否定することはできない。通常の頸椎MRIと腕神経叢を対象とする撮像では目的が異なり,撮像時期,断面,装置及び読影経験の影響も受ける。必要に応じて原画像を確保し,臨床所見及び電気生理所見との整合性を検討すべきである。
2 電気生理検査は時期と生データを確認する
神経伝導検査及び針筋電図は,損傷の有無,局在,重症度及び再支配を客観化する有力な検査である。ただし,事故直後はワーラー変性が十分に進んでおらず,重い軸索損傷があっても異常が揃わないことがある。
| 検査所見 | 外傷後に変化が明確となる目安 | 主な意味と限界 |
|---|---|---|
| 複合筋活動電位 | 約3日後から低下し,約7日で最低となり得る | 運動軸索障害の程度を反映するが,早期検査は過小評価し得る |
| 感覚神経活動電位 | 約5日後から低下し,約11日で最低となり得る | 節前・節後の局在に有用であるが,皮膚温,技術及び重複支配の影響を受ける |
| 針筋電図の脱神経所見 | 成人では通常約3週間後 | 検査筋の選択が不十分であれば病変範囲を捉えられない |
| 再支配所見 | 経時的な再検査で評価 | 回復の方向を示すが,一回の検査だけでは推移を判断できない |
判定文だけでなく,検査日,検査筋,左右の振幅・潜時・伝導速度,F波,感覚神経活動電位及び針筋電図波形を確認する必要がある。早過ぎる検査が正常であった場合と,適切な時期に十分な筋・神経を調べても一貫して異常がない場合とでは,証拠上の意味が異なる。
3 一つの検査を絶対視しない
成人外傷性腕神経叢損傷の診断及び治療について,公表ガイドラインの内容はなお不統一であり,全例に通用する単一の検査はない。診察,MRI又はCTミエログラフィー,神経伝導検査,針筋電図,経時的回復及び手術をした場合の術中所見を相互に照合する必要がある。
行政認定又は訴訟で重要なのは,単に検査名を列挙することではなく,その検査が事故後のどの時点に行われ,どの神経・筋を調べ,どの局在を支持又は否定するのかを説明できることである。
第5 事故との因果関係及び鑑別
1 事故機転と初期症状を確認する
腕神経叢は,頸部と肩の間が強く引き離される牽引,肩部への直接打撃,鎖骨・第一肋骨周辺の骨折又は肩関節脱臼等で損傷し得る。事故態様は診断の入口となるが,高エネルギー事故であったというだけでは,損傷部位及び重症度までは証明できない。
救急・初診時の自動運動,筋力,腱反射,感覚分布,疼痛及び血管損傷の有無を確認する。受傷直後から一貫して麻痺があるのか,当初は動いていたのに後から合理的説明なく重症化したのかは,因果関係を評価する重要な分岐となる。
2 解剖学的な整合性を確認する
上位型,下位型又は全型という仮説を立て,障害筋,反射,感覚領域及び電気生理所見が同じ局在を指しているかを確認する。握力だけで上肢全体の麻痺を判断せず,三角筋,上腕二頭筋,上腕三頭筋,手関節屈筋・伸筋及び手内筋等を個別に評価することが重要である。
症状が腕神経叢の支配範囲を越える場合,又は診察のたびに分布が大きく変わる場合は,直ちに詐病と決め付けるのではなく,頸髄・脳病変,複数外傷,疼痛回避,CRPS及び機能性神経症状を再検討する必要がある。
3 経過と代替原因を検討する
筋萎縮,Tinel徴候の移動,筋電図上の再支配及び筋力回復が神経再生の時間経過と整合するかを確認する。頸椎疾患,糖尿病性ニューロパチー,手根管症候群等の既往又は併存疾患があっても,それだけで事故との因果関係が否定されるわけではないが,事故前後の症状及び検査値の比較が必要となる。
第6 裁判例が示す認定と否定の分岐
1 名古屋地裁令和2年6月17日判決
名古屋地方裁判所令和2年6月17日判決・平成29年(ワ)第2349号・交通事故民事裁判例集53巻3号は,右不完全腕神経叢麻痺が争われた事案である。同判決は,診療経過,検査所見,症状分布及び残存機能を検討し,後遺障害併合12級を前提として損害を判断した。
この事例からは,不完全麻痺では診断名から全型完全麻痺と同じ等級を導くのではなく,回復後に残った器官別機能を確定する必要があることが分かる。判決本文は弁護士ドットコムライブラリーで確認したが,裁判所HP未掲載である。
2 神戸地裁令和5年7月21日判決
神戸地方裁判所令和5年7月21日判決・令和4年(ワ)第871号・交通事故民事裁判例集56巻4号172頁・自保ジャーナル2157号37頁は,麻痺範囲に僧帽筋まで含まれること等から,症状が腕神経叢の解剖学的支配だけでは説明できないとして,器質的腕神経叢損傷を否定した。
他方で,同判決は,心因反応としての右上肢機能障害と事故との関係を検討し,素因減額をした上で損害を評価した。「腕神経叢の器質的損傷がない」という医学的評価と,「症状について事故との法的因果関係がない」という評価を同一視できないことを示す事例である。判決本文は弁護士ドットコムライブラリーで確認したが,裁判所HP未掲載である。
3 横浜地裁令和6年7月11日判決
横浜地方裁判所令和6年7月11日判決・令和3年(ワ)第2737号・交通事故民事裁判例集57巻4号52頁は,主治医が頸椎症又は腕神経叢障害を疑い,頸椎MRI上の脊柱管狭窄,椎間板ヘルニア及びC8髄節付近の信号変化が問題となった事案である。腕神経叢損傷を認めた事例としてではなく,頸髄・神経根病変との鑑別が必要な事例として読むべきである。
判決本文は弁護士ドットコムライブラリーで確認したが,裁判所HP未掲載である。少数の裁判例から認定率又は一律の証明要件を導くことはできないが,初期記録,解剖学的整合性,検査時期及び代替疾患が結論を左右することは共通している。
第7 後遺障害申請,異議申立て及び訴訟の資料
1 最初に集める資料
診断書だけでなく,①救急記録と初診カルテ,②事故直後から症状固定までの筋力・感覚・腱反射,③自動・他動可動域の左右比較,④画像報告書とDICOM原画像,⑤神経伝導検査・針筋電図の生データ,⑥手術記録,⑦リハビリテーション記録を時系列に並べる。
可動域は主要運動ごとに測定し,代償動作の有無も記録する。手指については,単なる握力の数値だけでなく,屈曲・伸展,母指対立,つまみ及び巧緻動作ができるかを具体化する。疼痛を主張する場合は,部位,性状,頻度,服薬,睡眠及び日常生活への影響を継続的に記録する。
2 否定理由に対応する
画像陰性を理由に否定された場合は,撮像対象・時期・方法を確認し,MRI以外の臨床所見及び電気生理所見を併せて検討する。筋電図が正常とされた場合は,検査が早過ぎなかったか,必要な筋・神経が選択されていたか,波形及び左右差が残っているかを確認する。
症状分布の不整合を指摘された場合は,想定する神経根・神経幹ごとに,筋力,反射,感覚及び検査結果を一枚の表に対応させる。説明できない所見は隠さず,併存する頸椎病変,単神経障害,関節損傷,CRPS又は機能性神経症状の可能性を検討する方が,医学的評価の信頼性を保ちやすい。
3 追加意見又は鑑定の要否を見極める
まず既存の診療記録と原データを整理し,次に主治医又は末梢神経を扱う専門医へ,局在,検査時期,残存機能及び代替疾患を具体的に照会する。追加画像読影又は医学意見書は,争点が絞られ,結論を変え得る未評価資料がある場合に検討する。
事故直後の記録に麻痺がなく,適切な時期の複数の客観検査にも一貫した異常がなく,症状分布を説明する医学的仮説も立たない場合は,高額な鑑定を重ねても立証力が増さないことがある。反対に,初期麻痺,局在に沿う筋萎縮,時期を踏まえた電気生理異常及び一貫した機能障害があるのに一つの陰性画像だけで否定された場合は,資料の統合評価が重要となる。
第8 出典
1 法令・行政資料
① e-Gov法令検索・自動車損害賠償保障法施行令別表第二及び2条。
② 厚生労働省・障害等級認定基準。末梢神経麻痺を支配器官の機能障害として評価する部分。
③ 厚生労働省・上肢の障害認定基準。一上肢の用廃,完全な腕神経叢麻痺及び関節機能障害の部分。
④ 厚生労働省・関節可動域制限に係る障害等級認定。末梢神経損傷による弛緩性麻痺の自動可動域評価の部分。
⑤ 厚生労働省・神経系統の機能又は精神の障害に関する専門検討会報告書参考資料。完全麻痺と不完全麻痺の取扱いに関する部分。
2 裁判例及び専門書
① 名古屋地方裁判所令和2年6月17日判決・平成29年(ワ)第2349号・交通事故民事裁判例集53巻3号。弁護士ドットコムライブラリー判決本文179頁~180頁,186頁~187頁。裁判所HP未掲載。
② 神戸地方裁判所令和5年7月21日判決・令和4年(ワ)第871号・交通事故民事裁判例集56巻4号172頁・自保ジャーナル2157号37頁。弁護士ドットコムライブラリー判決本文172頁,176頁以下。裁判所HP未掲載。
③ 横浜地方裁判所令和6年7月11日判決・令和3年(ワ)第2737号・交通事故民事裁判例集57巻4号52頁。弁護士ドットコムライブラリー判決本文確認済み。裁判所HP未掲載。
④ 榎木貴之・小杉晴洋『自賠責・紛争処理事例と判例から読み解く後遺障害等級認定の判断』新日本法規出版,令和8年,153頁,212頁,218頁~219頁,422頁~424頁及び448頁。
⑤ 日本整形外科学会・日本手外科学会監修『標準整形外科学第15版』医学書院,令和5年,904頁及び911頁~913頁。
⑥ 新井一ほか編集『標準脳神経外科学第16版』医学書院,令和6年,346頁,381頁及び386頁~387頁。
⑦ 土屋弘行ほか編集『今日の整形外科治療指針第8版』医学書院,令和3年,328頁及び403頁~404頁。
3 医学資料
② Mansukhani KA. Electrodiagnosis in traumatic brachial plexus injury. Ann Indian Acad Neurol. 2013;16:19-25. PMC3644777。
③ Rubin DI. Brachial and lumbosacral plexopathies: A review. Clin Neurophysiol Pract. 2020;5:173-193. PMC7484503。
④ Wade RG et al. MRI for detecting root avulsions in traumatic adult brachial plexus injuries: a systematic review and meta-analysis of diagnostic accuracy. Radiology. 2019;293:125-133. PMID 31429680。
⑤ Acharya AM et al. Diagnostic accuracy of MRI for traumatic adult brachial plexus injury: a comparison study with surgical findings. J Orthop. 2020;17:53-58. PMC6919346。
⑥ Weekes MA et al. Scoping Review of the Published Guidelines for the Management of Traumatic Brachial Plexus Injuries. Cureus. 2025;17:e79266. PMC11926655。
⑦ Teixeira MJ et al. Neuropathic pain after brachial plexus avulsion – central and peripheral mechanisms. BMC Neurol. 2015;15:73. PMC4429458。