第1 結論
1 共同相続人の一人による請求
被相続人が証券会社に有していた口座については,共同相続人の一人が,被相続人の死亡及び自らが相続人であることを証明し,他の共同相続人全員の同意を得ずに,顧客勘定元帳その他の取引履歴を請求できるのが原則であると考えられる。
もっとも,最高裁判所が直接判断したのは預金口座の取引経過であり,証券会社に対する請求について同じ結論を示した最高裁判例は,令和8年9月10日現在,裁判所ウェブサイトでは確認できない。
そのため,法的な根拠と証券会社の公開手続を併せて確認し,会社ごとの書式,対象期間,手数料及び本人確認方法に従って請求する必要がある。
2 情報の取得と証券の処分は別である
取引履歴又は残高証明書を取得することと,被相続人名義の株式,投資信託,債券又は預り金を移管し,売却し,又は払い出すことは別の手続である。
共同相続された株式等は遺産分割前には準共有となるものが多く,共同相続人の一人が資料を単独で取得できるとしても,その者だけで口座内の資産全部を処分できるわけではない。
相続放棄又は限定承認を検討している場合も,財産調査と処分を区別する必要がある。
第2 単独請求を認める法的な考え方
1 相続による契約上の地位の承継
民法896条は,相続人が相続開始時から被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継することを原則とし,同法898条は,相続人が数人あるときは相続財産が共同相続人の共有に属すると定めている。
所有権以外の財産権を数人で有する場合には共有に関する規定が準用され(民法264条),保存行為は各共有者が単独ですることができる(同法252条5項)。
被相続人が証券会社との取引契約に基づいて有していた報告請求の地位も共同相続人に承継され,取引状況を把握するための資料請求は,その地位を保存する行為として単独行使できると考える余地がある。
2 最高裁平成21年1月22日判決
最高裁平成21年1月22日第一小法廷判決(平成19年(受)第1919号預金取引記録開示請求事件,民集63巻1号228頁)は,預金契約に含まれる委任事務又は準委任事務の処理状況を把握するため,金融機関は預金者に取引経過を開示する義務を負うとした。
同判決は,預金者の死亡後,共同相続人の一人が,共同相続人全員に帰属する預金契約上の地位に基づき,他の共同相続人全員の同意なしに取引経過開示請求権を単独で行使できると判示した。
また,開示の相手方が共同相続人にとどまる限り,預金者のプライバシー又は金融機関の守秘義務の問題が生ずる余地はないとしつつ,請求の態様,対象又は範囲によっては権利濫用となり得ることも付言した。
3 証券会社への適用は判例の射程を踏まえて判断する
証券取引口座の契約関係にも,売買等の受託,保管,振替及び金銭の受払いに関する事務処理と,その結果を顧客へ報告する関係が含まれる。
そのため,取引状況の把握に必要な資料を相続人の一人が請求する場面では,前記最高裁判決の考え方が証券会社にも及ぶと解することができる。
もっとも,証券取引口座の契約内容及び金融商品の種類は預金契約と同一ではなく,証券会社に対する単独請求を直接認めた最高裁判例も確認できないため,本記事では「原則として単独請求できると考えられる」と整理する。
4 帳簿の保存義務と開示請求権は同じではない
金融商品取引法46条の2は,金融商品取引業者に帳簿書類の作成及び保存を義務付けている。
金融商品取引業等に関する内閣府令157条及び164条は,顧客勘定元帳を帳簿書類の一つとして掲げ,その記載事項と保存期間を定めている。
これらの規定は,証券会社が記録を作成し保存する根拠であるが,それだけで相続人に対する私法上の開示請求権を直接定めたものではないため,契約上の地位の承継及び各社の手続と区別して理解する必要がある。
第3 どの資料をどこへ請求するか
1 口座開設先を調べる資料
被相続人が利用していた証券会社が分からない場合,証券保管振替機構に登録済加入者情報の開示を請求できる。
同機構の公開案内は,法定相続人が複数いる場合でも,そのうち一人から請求できるとしている。
ただし,この開示で分かるのは開示時点の口座開設先であり,銘柄,保有数量,残高及び取引履歴は含まれないため,判明した各証券会社へ改めて照会する必要がある。
2 残高証明書と取引履歴
残高証明書は,死亡日その他の基準日に被相続人口座に存在した資産を把握する資料である。
これに対し,顧客勘定元帳,取引明細又は取引履歴は,売買,入出庫,入出金,配当,分配金,償還及び手数料等の経過を確認する資料であり,残高証明書だけでは分からない取得価額又は資金移動を調べる際に必要となる。
書類名,記載範囲及び交付形式は証券会社によって異なるため,「取引履歴一式」とだけ書かず,必要な資料名と項目を確認するのが適切である。
3 請求期間と対象口座を特定する
請求書には,被相続人の氏名,生年月日,住所,支店名及び口座番号のほか,対象期間,金融商品の種類並びに必要な取引項目を具体的に記載する。
例えば,死亡日前後の資産移動を調べるのか,被相続人の取得費を調べるのかによって,必要な期間と資料は異なる。
複数の口座区分がある場合は,特定口座,一般口座,NISA口座,外国証券口座,信用取引口座及び預り金のいずれを対象とするかも確認する必要がある。
第4 証券会社に対する実際の請求手続
1 一般に準備する書類
一般に,①被相続人の死亡を確認できる戸籍又は除籍,②請求者が法定相続人であることを確認できる戸籍又は法定相続情報一覧図,③請求者の本人確認書類,④証券会社所定の請求書が必要となる。
印鑑登録証明書,実印による押印又は追加の相続関係書類を求める会社もある。
弁護士が代理して請求する場合は,照会,資料請求及び受領の権限を明記した委任状と,代理人の本人確認資料等も準備する。
2 公表されている証券会社の取扱例
野村證券の公開資料は,「相続人等」の一人が,被相続人の死亡及び請求者の相続関係を示す書類等を提出して,顧客勘定元帳その他の口座情報を請求する書式を案内している。
楽天証券の相続手続案内は,確認書類の審査後,申請者に閲覧専用のログイン情報を案内し,被相続人口座の取引情報や顧客勘定元帳を確認する方法を示している。
SBI証券も,相続窓口を通じた残高証明書及び顧客勘定元帳の請求を案内しているが,公開ページだけでは共同相続人の一人による請求条件の全てを確認できないため,個別に問い合わせる必要がある。
3 相続手続依頼書とは分けて請求する
証券の移管又は換価に用いる相続手続依頼書は,遺産の取得者を確定して資産を処理するための書類であり,情報取得だけを目的とする請求書とは役割が異なる。
証券会社から相続人全員の署名又は遺産分割協議書を求められた場合は,それが取引履歴の交付条件なのか,資産の移管・払出しの条件なのかを確認する必要がある。
取引履歴だけを求めていることを明示すると,二つの手続が混同されるのを避けやすい。
第5 請求が制限され得る場面
1 保存期間を経過した記録
金融商品取引業等に関する内閣府令では,顧客勘定元帳の保存期間は原則として10年とされている。
もっとも,全ての報告書,画面表示又は補助資料が同じ期間保存されるとは限らず,保存期間を経過した記録は交付できないことがある。
古い取引が必要な場合は,廃棄時期を待たず,対象期間を特定して早期に請求すべきである。
2 生前に口座契約が終了していた場合
単独請求の法的根拠を契約上の地位の承継に求める以上,被相続人が生前に口座を解約し,証券会社の事務処理及び報告が既に終了していた場合には,存続中の口座と同じ法的構成が当然に妥当するとは限らない。
証券保管振替機構の開示も,過去に口座があった全ての証券会社を示す制度ではない。
解約済み口座の存在が疑われるときは,郵便物,電子メール,預金口座の入出金,確定申告書控えその他の手掛かりから証券会社を特定し,保存記録の有無を個別に確認する必要がある。
3 第三者の情報及び権利濫用
取引履歴に他の生存者を識別できる情報が含まれる場合,その部分は当該生存者の個人情報となり得るため,マスキング等の対象となることがある。
また,前記最高裁判決が述べるとおり,請求の態様,対象又は範囲によっては権利濫用となる場合がある。
必要性と無関係に期間又は資料を無限定に広げるのではなく,調査目的に対応した範囲を指定するのが適切である。
4 相続資格に争いがある場合
請求者が相続放棄をした場合,廃除若しくは欠格が問題となる場合又は相続資格自体に争いがある場合は,法定相続人として請求できることを当然の前提にできない。
遺言により口座内の資産全部を特定の相続人又は受遺者に取得させるとされた場合も,他の共同相続人が契約上の地位に基づく開示請求権を維持するかについては,各社の運用と個別の権利関係を確認する必要がある。
相続放棄を検討中の者は,民法915条2項により承認又は放棄の前に相続財産を調査できるが,資料取得を超えて資産の処分に進まないよう注意を要する。
第6 個人情報保護法及び守秘義務との関係
1 死亡した本人だけの情報
個人情報保護委員会は,個人情報保護法の「個人情報」は生存する個人に関する情報であり,死者に関する情報だけであれば同法の対象にならないと説明している。
したがって,被相続人本人だけを識別する取引履歴について,個人情報保護法が相続人による開示請求の直接の根拠になるわけではなく,同法を理由に当然に開示が禁止されるわけでもない。
請求の根拠は,主として相続された契約上の地位及び証券会社の手続に求めることになる。
2 生存する個人の情報が含まれる場合
死者に関する情報であっても,遺族,送金先その他の生存者を識別できる場合は,その生存者に関する個人情報に該当し得る。
そのため,証券会社が第三者名義,連絡先又は口座番号の一部を非開示とすることはあり得る。
一部がマスキングされていても,そのことだけで被相続人の取引経過全体の開示を拒むことが当然に正当化されるわけではないため,必要な項目と第三者情報を分けて協議するのが適切である。
第7 取得した取引履歴の使い方
1 相続財産及び取得費の確認
取引履歴からは,死亡日現在の保有銘柄だけでなく,生前の売買,入出庫,預り金の増減,配当及び分配金の受領,取引手数料並びに相続開始後の処理を確認できる。
取得価額を示す記録は,相続した株式等を後日売却するときの譲渡所得計算に関係することがある。
ただし,証券会社の記録上の取得価額,相続税評価額及び実際の売却価額は同じ金額ではないため,税務上の扱いは別に確認する必要がある。
2 資産移動に疑問がある場合
死亡前後に不自然な売却,出庫又は出金がある場合は,取引日,受渡日,移管先及び出金先を時系列で整理する。
取引履歴に資産移動が記録されているだけで,直ちに他の相続人による不正取得又は使込みが証明されるわけではない。
被相続人の意思能力,注文又は委任の有無,対価の帰属及び関連する預金履歴等を併せて検討する必要がある。
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第8 請求前の確認事項
①請求先の証券会社,相続窓口,支店名及び口座番号を確認する。
②被相続人の死亡と請求者の相続資格を示す戸籍等を準備する。
③残高証明書,顧客勘定元帳,取引報告書等のうち,必要な資料名,期間及び口座区分を特定する。
④相続人の一人による情報請求であり,資産の移管又は売却を求める手続ではないことを明示する。
⑤手数料,交付形式,保存期間,原本返却及び代理人請求の追加書類を確認する。
⑥一部又は全部を拒否された場合は,拒否の対象,理由及び根拠となる規定を分けて書面で確認する。
出典・参考資料
1 法令
民法(e-Gov法令検索。252条,264条,645条,656条,896条,898条及び915条)
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
金融商品取引法(e-Gov法令検索。46条の2)
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000025
金融商品取引業等に関する内閣府令(e-Gov法令検索。157条及び164条)
https://laws.e-gov.go.jp/law/419M60000002052
2 裁判例
最高裁平成21年1月22日第一小法廷判決(平成19年(受)第1919号預金取引記録開示請求事件,民集63巻1号228頁)
https://www.courts.go.jp/hanrei/37210/detail2/index.html
判決全文PDF
https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-37210.pdf
3 公的機関の資料
証券保管振替機構「登録済加入者情報の開示請求(相続人)」
https://www.jasdec.com/procedure/shareholders/disclosure/direct/honnin/
証券保管振替機構FAQ「取引履歴や保有残高等を確認する方法を教えてください。」
https://faq.jasdec.com/faq/show/1130
個人情報保護委員会FAQ「死者に関する情報は,個人情報保護法の保護の対象になりますか。」
https://www.ppc.go.jp/all_faq_index/faq1-q1-21/
4 証券会社の公開資料
野村證券「相続のお手続き」
https://www.nomura.co.jp/support/procedure/inheritance/
野村證券「残高証明書等の発行のご案内」
https://www.nomura.co.jp/support/procedure/inheritance/pdf/zandaka.pdf
楽天証券「相続」
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/support/inheritance/
SBI証券FAQ「相続手続きに伴う残高証明書・顧客勘定元帳の発行方法を教えてください」
https://faq.sbisec.co.jp/answer/5ef01144144d40001145e0a6/
5 参考文献
髙秀成「金融機関の預金者に対する預金取引経過開示義務について―最一小判平成21年1月22日判決(民集63巻1号228頁)―」慶應法学19号(2011年)537頁~576頁
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AA1203413X-20110325-0537.pdf?file_id=44340